緋色の羽の忘れ物   作:こころん

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第六章 あるいは蠱毒であり
第十六話


 暴力と奇跡が投げ売りされる都市においても、選挙というものは存在する。HL議会は日々襲い来る理不尽の八割程度は不断の努力と汚職によるコネと諦めで乗り切っているし、市長やその取り巻きも同様だ。一方、司法はそこに武力を付け足した。

 ともかく、こうして生まれるHLの公権力はこの都市の六、七割を管理し、最悪でも"治安が悪い"程度に済ませている。これは"外"では理解され難いが、人界・異界双方の歴史上でも特筆すべき成果であろう。どれ程であるかと言えば、取り締まられる側である非合法組織の大半が、個々の案件における感情はともあれその存続を望む程だ。なにせ天秤にかけられているのは都市、及び世界の安寧である。

 故に、HLにおいて各種選挙は無数の思惑が入り乱れつつも、この三年間絶やされることなく行われてきた。今回も、同様である。

 

「今次議会選挙における、VD(ヴァルハラ・ダイナミクス)の選挙戦略への協力を願いたい」

「……それはまた、なんとも」

 

 カルネウスの言葉は簡潔であったが、対するコルネリウスはその真意を掴みかねていた。場所は多くの大企業が拠点を構える区画においても、一際目立つVDの本社ビル。彼がカルネウスに呼ばれる際に、いつも使われている見慣れた応接室だ。

 急な呼び出しから唐突、かつ曖昧な依頼のような何かに対し、コルネリウスは聞くべきことを聞かんとする。彼はカルネウスが情報を必要以上に秘匿したり、説明を厭う性格でないことは知っていた。依頼を受ける前でも判断材料を貰える程度には、信頼関係を築けているとも思っている。

 

「私が知る限りにおいて、VD社の選挙戦略は他社とそう変わらない……無難なものだったはずです。御社の戦力だけで足りぬということは、何か計算外かつ異常な事態が発生したのか、それとも前提から違うのか」

「後者だ。我々は今回の選挙において、過去とは異なり大規模な介入を行う」

「あー、それは……その、一部地区の掌握や、当選した議員との繋がりを作るのではなく?」

「我々が用意した、あるいは繋がりの深い人物を一定数当選させる。議会において直接の影響力を持つことを目的とした計画だな」

 

 コルネリウスは心中で頭を抱えた。そして慎重に言葉を選ぼうとして、やめる。正直に、包み隠さず言ってしまった方が話が早い相手なのだ。

 

「無謀かと。今まで通り選挙自体への介入は小規模なものに留め、当選者との繋がりを拡大するのが確実です。HL議会の任期や定数、議員の寿命は未だ不安定。しかし一年毎の選挙とはいえ、連続して当選している者は多い。築いた関係は無駄にはなりません」

「……その問題点はわかっているだろう。意のままにとまでは言わぬが、行使出来る影響力が限定されたものとなる。その上、独自の後援者や他勢力の横槍が入りやすい」

「だからと言って一から育てれば、死んだ時のリスクが大き過ぎる。それに何より、選挙そのものに大規模な介入をするのは……"沼"以外に言い様が無い。それはVD社であってもです」

 

 確かにVD社は軍需産業、ひいては世界経済における雄であろう。しかし、それだけだ。HLのほぼ全てを巻き込む選挙へ正面から挑むのは、即ちHL全てと戦うようなもの。そしてそれが国家であっても勝利を望めない相手だということは、三年前に『世界の警察』が証明したばかり。それも軍事・経済・謀略・外交など浮かぶ限り全ての手段で。

 

「まず手を出してはいけない地区や候補者を除外。勢力の衰えた組織を見繕い、彼等の持っていた席の争奪戦に厄介な相手がいなければこれを狙う。そうしてようやく数議席。後は数年かけて揺るがぬ支持基盤を築き、しかる後に次の選挙での勢力拡大を目指す……ぐらいであれば」

 

 堅実を通り越し、臆病とも取れるコルネリウスの言葉に、カルネウスは眉をしかめる。

 

「それは……慎重過ぎはしないか。確かにここは北欧ではない。私もVDがHLにおいて絶対の存在でないことぐらいはわかっている。だが、そこらの非合法組織が束になってかかって来ても、蹴散らせるだけの力は有しているぞ」

「三桁、下手すれば四桁のそれを相手に出来るかと言えば否でしょうよ」

「……そこまでなのか?」

 

 事の深刻さを感じ取ったのか、カルネウスが息を呑む。コルネリウスは、彼が自分の話を馬鹿馬鹿しいと一蹴しなかったことに感謝しつつ頷いた。

 

「芽がある選挙区は誘蛾灯のようなものです。何より問題は、手を広げ過ぎてとんでもないものを引き当ててしまう場合がある。選挙となれば『悔恨王』も出張って来るでしょうし」

「では、そういった相手だけを上手く避けることは」

「わかりやすいケースばかりじゃありません。選挙区の定数など知ったことかと、全陣営に仕掛けてくる場合もあります。大量の候補者を擁立すれば、どこかで見落としからの大惨事が起きることはほぼ確実かと……」

「ううむ……しかし……」

 

 机の上で両手を組み、考え込むカルネウス。コルネリウスは自らの意見が受け入れ難いものだと取られていることに少々の焦りを感じていたが、同時に仕方ないとも思っていた。

 なにせ告示と立候補の届出開始は眼前に迫っているのだ。既にかなりのリソースを注ぎ込んでいるであろう計画を、外部の、それも専門家でもない人間に苦言を呈されたというだけで、大幅な修正が出来るはずもない。

 

「我々が調査した限りでは、選挙へ介入しようとして失敗した企業はあれど、そこまでの損害を受けたものは無いと捉えていたのだが……」

 

 そう零すカルネウスも、指摘された計画の危うさを信じきれないのだろう。

 

「失礼ながら、調査の方向性に問題があるように思えます。ノバルディオファーマやファイブランスの選対部長が、二年前の選挙期間中に亡くなっている件はご存知でしょうか」

「選対部長が病死や事故死したというのは、個人的な記憶として持っていた。確かに時期を考慮すれば、疑わしいことこの上ないだろう」

 

 だが、とカルネウスは続ける。

 

「今回起こり得る問題を洗い出すために調査した結果、特に異常は見つからなかった」

「前者はアーリマンブラザーフッドの呪術、後者は金伐組のエクストリーム寄生虫かと」

「まさか。いや、しかしそれならば…………」

「企業の側が面子から隠蔽したのもあるでしょう。ですがそれ以前に、この街において『疑わしきは黒』という考えが抜けた調査に思えます。"表"の方に本当の意味で理解して頂くのは、難しいとわかっていますが……」

 

 正確には前者の選対部長は二代目で、初代を護衛ごと吹き飛ばしたのはコルネリウスだ。告示前であったため大事にはならなかったが、HLにおいて"あらゆる手段"を考慮した調査などというものが如何に頼りないかの証明には、彼も一役買っている。

 どこぞの人事部長の時と同じ手段を使っているため、余計なことは言わないが。

 

「……その情報を元に再調査をさせれば、他の者を躊躇させられるだけの証拠は出てくるか?」

「明らかに"そうではない"死体を見た人間の証言程度なら。それ以上を求めるのであれば、彼等と一戦交えることになりますよ」

「…………割に合わんな」

 

 こめかみを抑えつつ、ため息をつくカルネウス。それはつまり、VD社の乗った船が出港するのは止められないということだ。航路の先にあるのが、海の果てであるにも関わらず。

 

「…………ならば今次議会選挙における、VDの損害を抑えるための依頼をしたい」

 

 しかし、オケアノスの領域を超える前に引き返させることは出来るかもしれない。

 

「……無理な時は無理だと、受け入れてくれるのであれば」

「…………善処しよう」

 

 豪華客船をオール一本で転回させることが、どれだけ困難かはともかくとして。

 

 

 

 

 

 

 

 かくして今次選挙における雇い主が決まったコルネリウスであったが、彼の予想通り……否、それ以上に状況はよろしくなかった。

 

「荒れる、今回の選挙は間違いなく荒れる……」

「いやー前に聞いた通りスゴいっすねHL式選挙! 本当に一覧貼り出された時には死んじまってる候補者がいるとは思いませんでしたよ!」

 

 白い椅子とテーブルが並ぶオープンカフェの一席。憂鬱そうに紅茶を啜るコルネリウスの前で、新聞片手に心底楽しそうにはしゃいでいるのはトーニオだ。コルネリウスはそんな彼の顔に、ガムシロップのパックを指で弾いて黙らせる。

 

「コミッションから仕事受けてるお前にも無関係じゃねぇぞ」

「……そうなんすか?」

「おいシルヴェストロ。鉄砲玉としてならともかく、こんなん本当に欲しいのか」

 

 きょとんとしているトーニオに呆れたコルネリウスは、席に着く最後の一人、コミッション幹部のシルヴェストロに話を振る。彼はトーニオを組織に迎え入れようとしているが、準構成員ならともかく、正規構成員は馬鹿では務まらない。

 それを重々承知しているであろうシルヴェストロは、苦笑しつつコーヒーのカップを置いた。

 

「そう言わないでやってくれ、ミスター・コルバッハ。前にも言ったが、私はアンドレッティ君はこの業界に向いていると思ってる。無論『力』以外の面でもね」

「……目が眩んで、でないなら構わんけどな。こいつの馬鹿さ加減に」

「少し能天気である方が、部下にも民衆にも好かれるものだよ。これは本心さ」

 

 コルネリウスはガルガンピーノとの一件の後、何度かシルヴェストロと会う機会を設けていた。そこでわかったことは、シルヴェストロは十中八九、トーニオが吸血鬼であることに気付いているということ。そしてコルネリウスに対しても、若干の疑惑を持っているということだ。

 もっとも後者に関しては、シルヴェストロが見える地雷を踏まない人間だということが確認出来たので問題はない。ついでに言えば、彼は恩を忘れない人間でもあった。

 

 もっとも、二人に様々な意味で気にかけられている当人は、それに気付く様子もなく新聞を開いて頭を捻っている。

 

「でもコミッションって選挙自体には殆ど関わらないんでしょう? なんかヤバそうなこと起きてましたっけ」

「お前が今読み飛ばした、集団記憶喪失事件がその一つだよ。個人差はあるが、数週から二月分の記憶が飛んだ連中が数千人。問題はそこに宴会帰りの選挙管理人、しかも最精鋭の一団が混じってたことだ。同じような事件が42街区で起きたばかりなのも、面倒事ではあるが」

 

 有権者登録から投票日の実務まで、あらゆる業務に関わる選挙管理人。その記憶がこの時期にリセットされることは、各種業務の多大な混乱と、それに付け込もうとする輩を招くだろう。

 たかが数十人のスタッフと侮るなかれ。あらゆることが起こり得るHLにおいて、公権力の担い手を選ぶ儀式に関わる彼等に襲い来る負担は想像を絶するものだ。求められる能力も多く、最精鋭ともなれば肉体と頭脳、そして倫理を含む精神の面でも優れたまさに得難い人材である。そんな実務における中核的存在の記憶が飛ぶなど、笑い事では済まない。

 

「選挙が混乱すればする程、シマに厄介な当選者が現れる可能性が増える。自分達のお人形さんを持ってない組織は最悪ロシアンルーレット状態だぞ」

「この街の選挙は、区域によって投票機材どころか投票方式すら異なる有様だ。不正投票者を始めとする、集計結果への疑念は既に約束されたようなものだろう。まあ事故に遭ったとはいえ選挙管理人達は優秀だから、あまりに極端な操作は行えないだろうがね」

 

 二人の言葉を聞いて、トーニオは頷く。

 

「なーるほど……でもなんというか、管理側もわりと荒いところがあるんですね。もっと画一的というか、うまいことやってるもんだと」

「地区の"色"や機材の納入元同士の争いも関係してるな。ただ一番の原因は、HLが出来てまだ三年しか経ってないってことだ。どの方法が安全かを確認する時期なんだよ」

「つまり実験場って訳っすね」

「世界の命運が掛かってるがな。これでも以前よりは、遥かにましになった」

 

 コルネリウスは三年前の、HL初の選挙の惨状を思い出す。まだHLがNYと呼ばれていた頃、米国がこれを取り返せないことが世界中に知れ渡り、『世界の警察』の威信の低下と共に国際情勢はにわかに騒がしくなっていた。

 当の元NYにおいてもそれは同様だ。野心を見せた強国や、それを牽制せんとする強国が次々に手勢を送り込み、街を騒がす火遊びをしては霧の奥へと消えていく混乱の日々。望む望まざるに関わらず境界都市で生きることになった者達は、政治面における代表者を求めていた。

 

 かくして人界・異界間における明文化された各種調整と、国際社会との関係樹立という難題を求められる初選挙。有権者登録には細胞分裂だのゾンビの群れだのが紛れ込むし、候補者は勿論選挙スタッフや有権者への脅迫・洗脳・暗殺は日常茶飯事。投票機材への霊子ハッキングから、選択候補者を誤認させる幻覚までなんでもござれ。米国は自分達の庭で勝手な政治権力の成立など認めるはずが無いし、一枚噛もうとする各国は堂々と干渉して来る有様。

 両世界の一部権力者や、コルネリウスも含む有力な個人が陰日向なく働くことで、なんとか選挙が終わった後も大混乱だ。食人等を禁じたクライスラー・ガラドナ合意を始めとする各種条約に反対する連中は暴れに暴れ、人界の面白文化を仕入れた異界存在達は権利団体ごっこを始める。ようやく街の名が決まったHLの一年目は、そうした混沌の中過ぎ去っていったのだ。

 

「ああいうのが楽しいのは確かなんだが、今回ばかりはな」

「確かに今次選挙のVD社は……なんというべきか、前向きに過ぎる」

「アホだとはっきり言ってくれても構わんぞ。告げ口などせんし、契約にも影響は無い」

「私は貴方と違って、軍用サイボーグの軍団に狙われると死んでしまうか弱い男なものでな」

 

 冗談めかして言うシルヴェストロ。その彼の横に、店から出てきた彼の部下がやって来て、耳打ちをしてして去っていく。コルネリウスは告げられた内容が、先程渡したアタッシュケースの中身についてだと聞き取っていたが、当然顔には出さない。シルヴェストロの側は聞かれることも承知の上で、そのような手段を選んでいるのだろうが。

 

 シルヴェストロは部下から告げられた金額に満足したように頷き、コルネリウスに握手を求めて右手を差し出す。

 

「代価は確かに受け取った。我々は今次選挙において、VD社への妨害行為は行わない。また可能な限り、かつ利害の一致しない相手のみであるが、VD社へ敵意のある組織に掣肘を加えよう」

「戦力が足りなければ言ってくれ。VDが直接援護することは出来ないが、俺含め雇われが出張るなり、間接的な支援をすることは出来る」

 

 コルネリウスもそれを握り返し、その後二、三の確認を互いにして話し合いは終わりだ。コルネリウスは紅茶を飲み干してから、帰り支度を始める。

 平日昼間だというのに人気のない……訳ではないが、コミッション構成員によって事実上封鎖されているオープンカフェでは、椅子を引く音ですらよく響く。それを受けて、コルネリウスはつい問いかける。

 

「防諜に不安がある訳じゃないんだが、ここでやる必要あったか?」

「なに言ってるんすかシニョール。必要ありありっスよ!」

 

 新聞を閉じたトーニオが指を鳴らしつつ言うと、シルヴェストロも頷く。

 

「私もこれでイタリア系だからね。オープンカフェは大事だよ」

「あとは聖職者への敬意と自宅での料理ってか。楽しそうで何より」

 

 

 

 

 

 

 

「話のわかる連中には金を撒き終わりました。これで多少はましになるでしょう」

 

 VDの持ちビルの一室。コルネリウスは壁に貼られた選挙区記載の地図に、手慣れた様子で書き込みを入れていく。ここはカルネウスの属する派閥と、彼等に雇われた面々が集う、一種の選挙対策室であった。もっともVDの本営ではないし、扱うのは裏のあれこれのみであるが。

 

「今街に出てる選挙カーからの報告だけでも、妨害が減っているとわかります。……始まる前は侮っていましたが、これだけの数が来るとは思っていませんでしたよ」

 

 頭が痛そうに言うVD社の社員。ここは連携を前提として社から認められてはいるが、あくまで一派閥の独自戦略室だ。カルネウスなどの幹部社員は本社か、社長の周りに詰めている。

 

「この時期は売り手市場ですし、お祭り騒ぎに乗じた馬鹿も増える。普通ならバックにいる組織の根回しと、目的とするエリアを限定することでなんとかなりますが」

「……当社はそれをしていなかった、と」

「それでもこの程度であれば、戦力を増強すれば済む範疇なので序の口ですね」

「既に当陣営の候補者は二人亡くなり、戦線離脱も一人いるのですが……」

 

 これより先も襲い来るであろう無数のトラブルを想像したのか、沈鬱な表情になるVD社員。コルネリウスは男に気休めの言葉を投げかけてから、各大選挙区の情勢を聞いていく。しかし、これが一仕事であった。

 

「フラットアイアンディストリクト南がHLPDにより突如封鎖。激しい戦闘を確認……街宣のコースを変えりゃいいだけだろ。詳細のわからん些事送られてもどうにもならんぞ」

 

 単純な量は勿論、余分な情報が多過ぎるのだ。そもコルネリウスは裏社会への対応と荒事のために雇われたのであり、純粋な選挙戦略に関しては素人である。妨害手段の特定や防止といった弥縫策は提案出来ても、それを上手く避けるための選挙上の代替案は浮かばない。根から断つための情報ならともかく、原因が特定出来ない問題を全て投げられてはきりがないのだ。また、あくまで一派閥による独自の行動であるため、本営との調整で余計な手間も増えている。

 

「申し訳ありません。ですが本社の方では、我々の仕事が認められつつあるとも聞きます。ある程度時間が経てば、人員や権限の追加により効率化されるでしょう……その、おそらく、ですが」

「そう願います。流石はVD社と言うべきか、純粋な選挙面では優位に立っている様子。故にこのままではあらゆる連中から狙われて、遠からずパンクしますから」

 

 コルネリウスはそうぼやきつつ、大量の報告の中から優先順位の高そうな、しかし地雷にはなり得ないであろう問題のみを抜き出していく。これらはカルネウスによって雇われた、数少ないVD社外の戦力に割り当てられる。

 

「……兎にも角にも人が足りないんだよなぁ」

「こういう時、自分の身体が一つしか無いことを不便に思いますよ。分裂出来る種族が羨ましい」

 

 やはりと言っていいのか、そこにVDの誇る武装サイボーグの協力は得られない。もしくは多くの手間と制限がある。非効率甚だしいが、外様である以上仕方がない。こういった地道な作業を続けることで、現状が改善される可能性があるというだけ救いだろう。

 

「アメーバや菌類のように? あれは制限なく使える能力ではないですよ。元から歩合制でない職場では給料の問題もありますし」

「ああ、そう言われると……分裂残業裁判がありましたね。個体数が把握出来ないからと、その時だけ成果給にしようとして揉めた」

「他には仕事に熟達した職員が自ら雇用条件を下げ、自分だけで職場の席を埋めてから突如一人賃上げスト敢行なんてのも。まぁ、無理はせず自分の出来る範囲でやりましょう」

 

 自らも肉体を分割して活動出来る種であるコルネリウスは笑う。生真面目なVD社員とは違い、彼は貰った分以上の働きをする気は無い。もっとも、現状そうなりかけてはいる。

 今もVD本社で、この戦略室への便宜を図ろうと尽力しているであろうカルネウス。コルネリウスは心中で彼への感謝と声援、そして若干の不満を送る。努力は認めるしある程度の成果も出ているが、付き合いを重視した、割に合わない仕事であることには変わりないのだ。

 

 その思いが何らかの形で届いたのであろうか。コルネリウスが彼でなければ対処出来ないであろう問題のため、外に出る準備を整えた丁度その時。部屋のドアが若干乱暴に開かれ、その向こうには疲れた表情のカルネウス。

 

「何があったので?」

 

 カルネウスは重役であると同時に、社長の付き人である。通常この場に来れない筈の彼が急ぎの様子で来たということを考慮して、コルネリウスは簡潔に聞く。

 

「要件は二つだ。まず一つ……敵対陣営に、おそらく血界の眷属が協力している」

「……なるほど、ついに当たりを引いたと。もう一つは?」

 

 掛け値なしの凶報である。だがコルネリウスはそれよりも、カルネウスの表情。二つ目の知らせを告げようとするそれが、一つ目の時より曇っていることに不安を抱いた。

 

「それに関わることでもあるが、お嬢様が……社長が、君をお呼びだ」

「吉報だと、そう取っていいので?」

「…………私にも立場がある」

「………………さいですか」

 

 

 

 


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