緋色の羽の忘れ物   作:こころん

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第二話

「――ええ、ではそのように。失礼します」

 

 通話を終えて折りたたみ式の携帯を閉じたコルネリウス。彼が歩みを止めぬまま横を向けば、そこには虚ろな目で生きている事への喜びを呟く博士がいた。コルネリウスはその姿に若干の申し訳無さを覚えたが、同時にHLにおいてこの程度で折れていては今後大変だろうなと勝手な事を考えつつ声をかける。

 

「博士、博士!」

「……はっ! あ、ああコルバッハ君か。VD社は何と?」

「警備の人間を迎えに向かわせるが、一つ隣のカニンガムパーク駅一番出口まで来て欲しいと。ここからなら歩いて15分程度です」

 

 コルネリウスは足元を這う虫型の異界存在の群れを踏まぬよう注意しつつ、目的の方向を指差す。空中ドライブの甲斐あって統一戦線の追手を振り切った現状、それはそう難しいことではないだろう。

 

「なるほど、それはいいニュースだ! しかし、何故隣の地区まで?」

「ここは今日の生還率三割切ってるから来たくないそうで」

「そうか……」

「安心してください。交通機関の生還率表記は少し大げさですから」

 

 一転して表情を陰らせた博士に対し、コルネリウスは天気予報の降水確率程度のものだと気楽に言う。とはいえ安心させる為の嘘という訳ではなく、注意さえ怠らなければ一割未満の地区以外は数字ほど危険ではない。そもコルネリウスに言わせれば、HLでは自衛の術が無ければ生還率表記など十割あろうが気休めである。

 

「それに車突っ込ませた廃ビルは今頃火事です。消防やらが集まればチンピラ共は大人しくなりますし、ついでに統一戦線の連中も動きづらくなって一石二鳥です」

「それは倫理的にどうなのだろうか……」

「私のせいでこうなったのを棚に上げて言いますが、多少の倫理観よりご自身の命を大事になさった方がいいですよ。特にスロープにいる時は」

「スロープ? ……おっと、申し訳ない」

 

 問い返した直後に二足歩行の蜘蛛のような異界存在の腕、もしくは脚にぶつかりかけた博士。コルネリウスは双方が謝る姿を見て揉め事に発展しないと判断した後、地面を指差す。

 

「ようは外縁部以外の傾いてる土地です。永遠の虚に近付くにつれ傾斜は激しくなるし、超常現象が起きる確率も増える。行政の管理も行き届きません」

「つまり訳ありの住人が多いという訳か……」

「そうなりますね。ちなみにさっきの廃ビル、解体工事の予定表がありました。古い日付や内部の荒れようを見るに、業者が何かされた上での不法占拠でしょう」

 

 他にも大量の血痕や使用済み注射器などもあったのだが、コルネリウスはわざわざ伝える事でもないだろうと口には出さない。

 

「しかしそうなると、やはり私のような非力な人間は近付かないのが一番では」

「出費が格段に増えますよ? というのはともかく、浅い地域ならそうでもありません。それに外縁部でも危機管理が出来なければ同じですから」

 

 あれを見て下さい、とコルネリウスが指し示した先。甘い匂いを漂わせるクレープの店と、ガーリックシュリンプに似た何かを売る屋台が通りを挟んで営業している。

 

「デザートと飯の二択ってのは問いとして良くないですが、そこは目を瞑ってください。博士が小腹が空いた時、どちらを選びますか?」

「何か問題がある訳か……両方とも駄目、というパターンは」

「それは無いので安心してください。あくまで入門編ですので」

「ふむ……」

 

 二人の歩く歩道にある屋台からも、近付くにつれスパイスの香りが漂ってくる。二種の香りが混じり合う中、博士は眼鏡を直しつつ二つの店を見比べていたが、そう悩んだ様子もなくすぐに答えを出した。

 

「あちらのクレープ屋だろうね」

「その心は」

「まず屋台の方は供する物が聞いた事もない品で怪しい。また衛生面だが、遠目に見ただけでも掃除の行き届いているクレープ屋に比べ劣っている」

 

 ひとつずつ指を立てて説明する博士の言うとおり、使い込まれたであろう屋台や吊り下げられた紙のメニューは所々に染みや変色がある。一方クレープ屋は店の前のテラス席の床や置かれている椅子まで磨き上げられているようだ。

 

「次に客層。ここがあまりよろしくない地域であるとすれば、ホワイトカラーの多いクレープ屋は信頼出来そうだ。最後に移動可能な屋台とそうでない店舗というのは買う側の安心は勿論、店側の心構えの点でも大きいのではなかろうか」

「なるほど、なるほど……」

 

 コルネリウスは博士の回答に頷き、懐から財布を取り出しつつ行動で答えを示す。ただし向かうのはクレープ屋ではなく、丁度客の列が途切れた屋台である。

 

「……自信はあったのだが。理由を聞いても?」

 

 プラスチックのフードパックに包まれたガーリックシュリンプもどき。食欲をそそる香りを発するそれは、運動後の日暮れ前に眺めているだけでは拷問に近いものだ。博士は渡された自身の分のそれを扱いに困ったように両手で持ちつつ聞いた。

 

「まあ色々ありますが、とりあえずクレープ屋の客を見てください」

 

 出来たてのシュリンプもどきを口に運ぶ手を止めたコルネリウスは、通り過ぎたクレープ屋に並ぶ客の列を親指で指す。彼等は博士が指摘したように昼休みらしきサラリーマンが多く混じっており、如何にも肉体労働者が集う周囲の店に比べ上品な客層に見える。

 

「……やはりわからないな。強いて言えばマスクと長袖の客が多いぐらいだ」

 

 HLではわりとあてにならない季節はともかく、少なくとも今のこの地区は寒いとは言えない。長袖はスーツ姿の務め人に紛れて気付き難いが、マスクの多さは花粉症や風邪がこの店でだけ流行っているのではと思える程度には異常であった。

 

「いえいえ、ビンゴですよ。付け加えるならサングラスも多い」

「うーむ……おや、これは意外と美味しいな」

 

 手元から立ち上る匂いに負けた博士を横目で見つつ、コルネリウスは頷く。

 

「マスクは鼻の赤み、長袖は注射痕、サングラスは瞳孔の開きを隠すためですね」

「ん、いや、それは……いやいや、こんな表通りだぞ!?」

 

 思わず声のトーンを上げてしまった博士。とはいえ常識的な人間であればあまり歓迎したくない現実であることには違いない。なにせ元気になれるお薬が天下の往来で、真っ昼間から売られているということだ。

 

HLPD(警察)の汚職率の低さは素晴らしいですが、いかんせん人手と戦力が足りません。外縁部でもあの手の店はあるのでご注意を」

「一昔前のデトロイトみたいなものか」

「賑わってるからこそ出来るのでちょっと違うかもしれませんね」

 

 交差点を曲がることでクレープ屋が視界から消える。カニンガムパーク駅に繋がる大通りは小規模ながらオフィスビルも多く、先程まで漂っていた各種飲食店の匂いも次第に車の排気ガスにかき消されていく。

 

「あれを初級編としたのは客にそうと知らせず、かつ相手を選ばず売っているからです。たちが悪いと言えばそうですが、そのせいでわかりやすい客も多い」

「いくら警察の手が足りないと言ってもやり過ぎに思えるのだが……」

「仕込み次第じゃ店ごと数分で消えて無くなるような連中もいるのがこの街ですから」

 

 コルネリウスは遠くから響き始めた消防車のサイレンを聞きつつ、食べ終わったゴミを博士の分まで受け取って市のゴミ箱に入れる。

 この手の公共物は維持費の都合で一時期大規模な削減がされたのだが、その後民間から凄まじい数の批判と陳情が集まるに至り、今は逆に増えている。理由はゴミ箱に貼られた『異臭や怪しい音がする時は近付かないこと』という張り紙が全てだ。誰だって危険は遠ざけたいし、その排除はお上にやって欲しい。

 

「来たばかりと、この街に少し慣れた気がする頃が危険です。隠れた名店でも探そうと土地勘の無い場所に行く時はくれぐれも慎重に」

「肝に銘じておくよ」

「まあVD社の護衛を付けていけば、大抵の場合相手から避けますよ。……さて、あとはこの通りを真っ直ぐ行くだけです」

 

 その言葉に博士は心底安心した様子で胸を撫で下ろす。

 

「やっとか……いや、今日は本当に長い一日だったよ。帰ったら久々にお酒でも飲んで寝てしまいたいね」

「そりゃいいですね。でもVD社の迎えと合流するまで気は抜けませんよ」

「はは、脅かさないでくれたまえ。このあたりは剣呑な雰囲気もしないし人通りも多い。タクシーでも拾ってしまえばもう安心さ」

 

 

 

 

 

 

 

 絶え間なく響く銃声と爆発音。カニンガムパーク駅前にある第二カニンガム公園では、そのシンボルマークであるシロツメクサが彫られた石柱を境として二つの勢力が銃撃戦を繰り広げていた。

 

「まぁ、こういうこともあります。タクシー代がタダになっただけよしとしましょうよ」

「…………」

 

 博士は返事をする気力も尽きたとばかりにへたり込む。効果が無いと見たコルネリウスが適当な慰めを切り上げ、ビルの角から顔を出して様子を伺えばそこは随分と賑やかなご様子。少なくとも、目的地までの運転を強要されたタクシーが精算を諦めて逃げ出す程度には盛り上がっている。

 派手に撃ち合いをしている勢力の片方は本日大活躍の双世界統一戦線だ。よく見れば下っ端連中が銃撃戦に隠れて自販機を壊している。そうして手に入れたジュースの缶を大事そうに抱えてるあたり、統制だけでなく財布の中身も足りないようで涙を誘う。

 

「もう一方は装備や人員からすると旧コミッションの連中か。青息吐息でも余所者にゃ噛み付かなきゃいけないってのは辛いね」

 

 統一戦線の相手はいわゆる地元マフィアだ。三年前の大崩落以前、HLがまだNYだった頃からこの街に拠点を構えていた彼等は、なまじ武力と縄張りがあったせいで一時期は壊滅状態にまで追い込まれた。

 "外"の下部組織や上層部に見放され新興勢力に好き勝手される中、同じ境遇の組織と同盟や合併を繰り返すことでなんとか生き残り、虫食いだらけとなった縄張りを健気に守る彼等はHL裏社会の癒やしと言っても過言ではない。

 

「コルバッハ君。この場合、VD社との合流はどうなるのだろうか……」

 

 乏しい装備で頑張る彼等を心中で応援していたコルネリウスに問いかけたのは、自失状態から立ち直った博士であった。顔色がまた悪くなってはいるが、立ち直るまでの時間も含め先程よりこの街に慣れてきたのかもしれない。

 

「大丈夫ですよ。ここは珍しく駅舎が地上にありますが、線路自体は地下にあります。入り口も一つじゃあないし、小さな抗争程度で電車が止まる事は稀ですから」

 

 つまり別の入口から改札を抜ければいいだけの話である。仮に目論見が外れても、一度抗争を始めてしまった統一戦線から逃げ切るのは先程よりずっと容易であろう。だが連中が他組織とドンパチしていなければ面倒な事になっていた筈だ。そう考えると不幸中の幸いと言えるのだろうか。

 

「ということはVD社の迎えに連絡をして、少し遠回りするだけでいいのかね?」

 

 次はどんな剣林弾雨を潜り抜けねばならぬのかと身構えていたのだろう。拍子抜けしたように確認する博士に対しコルネリウスは笑って返す。

 

「我々でなく彼等にお迎えが来ていなければ、そういうことになります」

 

 酷い冗談だと苦い顔をする博士を尻目にコルネリウスは携帯を取り出す。この抗争に電波妨害は使われていないらしく、通話に支障は無いようだ。

 

「本来は博士にも番号を伝えておいた方がいいんですが、まだ携帯をお持ちで?」

「いや、誘拐された時に財布や時計と一緒に没収されてしまったよ」

「まあそうですよね」

 

 コルネリウスは頷きつつ、先程伝えられた迎えの人員の連絡先をダイヤル。

 

「………………」

 

 しかし通話ボタンを押す前に指を止め、免許やカード類について悩み始めていた博士に声をかける。

 

「そういった対応はVD社に任せた方が早く終わりますよ。ただ博士の今日の予定を整えた担当者、どなたですか?」

「人事部のジノヴィエフ部長だが、どうかしたかね」

「いえ、手続きは別の方に頼んだ方がいいかと。今回の後始末で忙しいでしょうから」

 

 多忙を理由に他所に丸投げされてもかないませんし。そう笑いながらコルネリウスは再度のダイヤル――ただし先程とは違う番号、そして空の旅の直後に掛けた番号へと。相手は最初のコール音が鳴り終わる前に電話を取った。

 

『ジノヴィエフだ。何かあったか』

「ええ、少々面倒なことになりまして。合流する場所の変更をお願いします」

 

 

 

 


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