緋色の羽の忘れ物   作:こころん

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話を作ろうとし過ぎて色々見失ったけれど八章は気楽に書けたので満足。


第十八・五話

 勘違いされやすいが、吸血鬼――血界の眷属に固有の気配や魔力などというものはない。仮にあったとしても、緋色の羽のような存在しないに等しいもの。この世ならざる眼でも無い限りは確認出来ないだろう。

 ただ臨戦態勢の彼等が放つ殺気や魔力といったものは桁外れであるため、その存在を知る者はすぐさま超越種を思い浮かべてしまうのだ。そして吸血鬼の側も、自らの種を偽ることなどそうありはしない。

 

 とはいえ、長い牙や血の操作を始めとする技術は他の種でも習得可能であるし、有名な反射物に映らない特性とて模倣が出来ぬものではない。実のところ本職の吸血鬼狩りであっても、何の確認も無しに相手が吸血鬼だと瞬時に判断するのは困難なのだ。それどころか、同族同士ですら同様のことが起こりうる。

 

『貴様、血界の眷属の気配を漂わせておるな』

 

 コルネリウスが動揺を露わにすることが無かったのは、そう知っていたからだ。

 

 戦闘で荒れ果てた高級ホテルの一室。血で作られた刃と共に投げかけられたのは、爬虫類が発するような、声というより音に近い何か。受け取る側が魔術を用いねば意味すらわからぬものであったが、内容はコルネリウスにとって爆弾に等しいものに思える。だがよくよく考えてみれば、彼を吸血鬼だと断定している訳ではない。

 

「よくわかりましたね。昨晩、というより半日以上か。奴らと戦っていたもので」

『ふむ、血の気配が残るはそれ故か』

「……何の術も無しに判別出来るものではないはずですが、流石と言うべきでしょうか。『血闘神』裸獣汁外衛賤厳(らじゅう じゅうげえ しずよし)どの」

 

 放たれた刃をシュラハトシュベールトで叩き落とし、平静を装ったコルネリウスは、眼前の相手を礼を失さぬ程度に観察する。

 顔を隠すように獣の頭骨を被り、ローブらしきボロ布を纏った小柄な老人。その装いで身体が見えぬようになってはいるが、明らかに下半身が存在しない。故に足代わりとなる木製の大きなL字杖を手にしている……が、コルネリウスが知る通りであれば、その杖を持つための片腕すら失っているはずだ。

 

 だが、彼は無理に生きながらえているだけの老人ではない。吸血鬼を狩るための血法を極め、四肢の過半と健常な声帯を欠いてなお無数の超越種を屠り続ける世界最高峰のヴァンパイアハンター。それが斗流血法創始者にして『血闘神』と呼ばれる男、裸獣汁外衛賤厳である。

 

『それがわからんのは目も開かぬ赤子ぐらいであろうよ』

「…………まぁ、誤解が解けたようで何よりです。汁外衛殿も奴らを追ってここへ?」

 

 つまりコルネリウスにとっては天敵であるが、あくまで正体を見抜かれていればの話だ。コルネリウスがこの場にいるのは、自身とは別の吸血鬼の痕跡を求めてのこと。となれば老吸血鬼狩りも目的を同じくしている可能性は高い。そして追撃が来ない以上、先程の攻撃も不幸なすれ違いであったのだろう。特に謝罪は無いが。

 

 とはいえ相手が相手なため、最悪の事態を想定しないのは愚策だ。しかし気構え以外に出来ることがないのも事実。コルネリウスはひとまずそう考え、魔術による調査作業を再開する。

 

『然り。昨晩、この街を去る寸前に気付いたのじゃ。行き掛けの駄賃にと思ったが、すんでのところで見失った』

「運の良い相手だ。まぁ貴方が全て片付けてしまうと私としては楽な反面、振り上げた拳をどうするか複雑でもありますが」

 

 などと言ってはいるが、コルネリウスは目的の吸血鬼を見つけても必ず仕掛けると決めている訳ではない。確かにコルネリウスはVD社から受けた仕事を台無しにされたが、吸血鬼とは多少の恨みつらみで敵対を決意していい相手ではないのだ。

 しかし幸か不幸か、彼とVD社との契約はまだ続いている。再発の可能性を調査することは必要であろう。コルネリウスは自身の隠密・探知技術と、何が潜むかわからぬ藪をつつく危険を天秤にかけ、多少のリスクを受け入れることにした。無論、見つけた相手が確実に仕留められる相手であれば彼は躊躇なく剣を取るのだが。

 

 そんなコルネリウスの返答に対し、汁外衛は興味を惹かれたのか僅かに顔を上げる。

 

『ほう、何ぞ因縁でもあったか。赤い水に属する者としては、珍しいな』

「仕事上のトラブルですよ。それでもヘルメス流らしからぬと?」

『畑違いの仕事で命を捨てようとする物好きは、そうおらんだろう』

「これは手厳しいことで」

 

 ヘルメス流を指して赤い水――血を扱う者ではない、とまで言う汁外衛。しかしコルネリウスは不思議と悪意は感じなかった。この老人が毒舌で知られているから、だけではない。おそらく血法や牙狩りに対する妥協の無さが根底にある故の、ある意味純粋な言葉なのだろうと、コルネリウスはそう感じたのだ。

 

 事実、汁外衛は失った肉体を血法で補完してまで戦い続けている。それは下手をすれば醜い妄執や怨念にすら見えかねない生き様だが、汁外衛はそういった狂気を漂わせていない。吸血鬼と戦うことをただの生業だと考えているような、淀みない気配。そんな者にとって、牙狩りと等号で繋げないヘルメス流は感情的な問題など関係なく、論ずるに値しない存在なのだろう。

 

(あの一瞬の攻防で流派を見抜けるあたり、知らずに侮っている訳でもない。わかってはいたが、『血闘神』の名は伊達じゃないな)

 

 記録されているのみでも、人間としては異常な長さの生を吸血鬼狩りに捧げてきた修羅。その根源を垣間見た気分のコルネリウスであるが、彼とて悠久の時を生きてきた超越種だ。畏怖するでも感動するでもなく、そんなものかと軽く流して自らの作業を終え、帰り支度を始める。

 

『では、行くぞ。先導せい』

 

 そうしてこの場から去ろうとしたコルネリウスを呼び止める汁外衛。少々言葉不足であるが、調査結果を用いて共に吸血鬼を追えということで間違いないだろう。無論、それはコルネリウスにとって喜ばしい提案ではない。

 しかしこの手の人物には、同行する義務が無いなどという正論は無意味だ。また百戦錬磨の牙狩りに魔術の知識が無い筈もなく、調査結果に不足があると誤魔化すのも無理があるだろう。故にコルネリウスは渋い顔をして、足代わりの杖で早くしろとばかりに床を打ち鳴らしている老人に向き直る。

 

「これでも仕事なので守秘義務というものが……」

『安心せい、俗世の事情など欠片も興味が無いわ』

 

 老吸血鬼狩りは時間の無駄だとばかりに言い捨てる。確かにコルネリウスが見知りする限り、汁外衛はそのような些事に拘る性格ではなく、言葉にも偽りがあるようには感じない。しかし、そういう問題ではないのだ。

 共に行動するということは、コルネリウスの正体に勘付かれる可能性が高まるのと同義である。それは甘受出来るようなリスクではなく、彼の意思が変わることはない。

 

「うーむ……では、情報だけお渡ししますので――」

 

 ただ、コルネリウスは大事なことを見落としていた。

 そも汁外衛は自身の力のみでも標的を追い、滅殺出来る。その彼がコルネリウスの正体に気付いていないにも関わらず同行を求めるのであれば、それなりの理由があるということに。

 

『だが、貴様には――否、ヘルメス流には問いたいことがあるのでな。貴様とて、自らが属す流派に血界の眷属と結び付かんとする愚か者は不要であろう』

 

 そして何より、このような時に限ってコルネリウスに重要な案件を持ち込むのがHLである。

 

 

 

 

 

 

 

 コルネリウスが血法使いを装うのは、吸血鬼にとってその肩書は何かと便利であったからだ。しかし無数の流派の中からヘルメス流を選んだ理由は、流派特有の事情から入門が容易かったことともう一つ。彼が望まずして持つことになった何者かの『記憶』に、流派の知識が多数含まれていたからである。

 

 そのヘルメス流の一部に、吸血鬼と接近しようとする動きがある――――以前からあったのだとすれば、偶然と片付けるには意味深に過ぎるだろう。それを調査することは、コルネリウスが得た『記憶』が何故この『記憶』であったのか。ひいては三年前の『大崩落』において、彼がどのような経緯でNYに赴き、敗北に至ったかを解明することに繋がるやもしれない。

 

 

 

 故に、彼は今HLの深部でマフィアが持ち出した装甲機械化獣の群れと戦っているのだ。言うまでもないが、コルネリウスの追う吸血鬼とは無関係である。

 

 

 

『こやつらも暇なものじゃな。儂は関知せんと言っておるにも関わらず、仕掛けてくるとは』

「相手にとってはそういう問題ではないでしょう。違法薬物の取引現場見られたんですから」

 

 コルネリウスは鉄の牙を剥き出しに飛び掛かってきた機械の獣を半歩ずれることで避け、相手が次の行動に移る前にシュラハトシュベールトで首を落とす。これまでの戦闘で機械化獣にはサブの脳や遠隔操作機能が備わっていないことがわかっており、二人にとってはどうということもない敵だ。

 

『しかしこれで三件目だ。石を投げれば当たるような環境に身を置きながら文句を言うのは、当たり屋のようなものじゃろうて』

「それに関しては……HLだと妥当性が無くもないですね。行政の手が及ばない深部でも、密談に向いている場所とそうでない場所はありますし」

 

 たとえば今彼等がいるような、"基本的には"何も起きない深部は取引に向いていない。確かに外縁部で場当たり的な取引をするよりかは遥かにましだ。しかし比較的安全であるが故にこのような意図せぬ遭遇が起きうるし、当局も本腰を入れれば捜査が出来る。

 ではHL通がどのような場所を選ぶかと言えば、"何か"がいたり、起きる場所だ。深部における危険は規則性や兆候を有することがある。一部の組織はそれを入念な調査、あるいは偶然によって把握することで安全な取引場所を確保しているのだ。

 その情報は優れた狩場や採集場所のようなもので、まさに値千金。"何か"を調整する手段を見つけた者が、そこで貸密談場を経営する事例も存在する程であった。

 

『"外"であれば一種の聖地や霊場か。それが偏在するとは、まこと狂った街じゃな』

 

 コルネリウスの説明を受けた汁外衛の声には、僅かであるが呆れが含まれていた。一方のコルネリウスも汁外衛が血の糸と刃、そしてそこから生まれる火と風を用い、機械化獣を屠っていく姿を呆れた目で見ていた。

 

 なにせ血法というものは、何かしらの力を付与した特殊な血液を用いる技だ。人体に不可欠な血を改造し操作することが必須であるため、研鑽するほど術者にかかる負荷は大きい。故に二種の属性、つまり二種の血を体内に抱え、操る汁外衛の技は神業であると同時に狂気の産物なのだ。

 

 裏の世界には汁外衛を指して人界の吸血種と呼ぶ声もあるが、それも仕方のないことだろう。コルネリウスから見ても汁外衛の血を操る技術は、性質こと違えど吸血鬼と同レベルのものであったから。

 

(弟子はいるようだが、二属性の完全な斗流血法を使えるのは世界に彼一人。…………この老人こそが、作り出された存在ではない、本当の意味での血の化物なのかもしれんな)

 

 

 

 

 

 

 

『またか。時間の無駄であるな』

「……………」

 

 既に本日二桁目に突入した不幸な出会いの解決に勤しむ二人。彼等にとっては疲弊するようなものですらないが、コルネリウスの表情は優れない。

 

『どうした。まさか音を上げた訳でもあるまい』

「それは、勿論。ですが……」

 

 コルネリウスは続ける。

 

「こうまで頻繁に事故が起きるというのは、無いとは言いませんが不自然です」

『この雑兵共は儂の妨害が目的であると?』

「いえ、先程から軽く尋問していますが、当人達にそのような意識はありません。ですがこういった状況を第三者が作ることは可能でしょう」

 

 実のところ、コルネリウスは汁外衛に気付かれぬよう敵の『記憶』を覗き見ていた。術を使いこなせていない彼では一瞬で読み取れる情報量に限りがあるが、それでも今日遭遇した組織の幾らかは上に命令され、普段では考えられぬペースでこの一帯を利用していたとわかった。

 コルネリウスの調査結果から見るに、二人の追う吸血鬼は自らの痕跡を隠すことなど考えてもいない。この不自然な接触の連続は、それを補っていると考えることも可能であった。

 

 汁外衛は片方だけ残る手を口元にやり、考え込むかのような様子を見せてから話し始める。

 

『血界の眷属と繋がりを持とうとする、あるいは利用せんとする愚か者は常に存在する』

「ええ、これは吸血鬼のための警備網、もしくはデコイの可能性があるでしょう。問題はこのような迂遠かつ大規模な隠蔽が出来る組織は限られているというところで」

 

 必要な影響力や資金を考慮すれば、相当な規模の組織であることはまず間違いない。しかもその組織が隠そうとしている吸血鬼は、HLの選挙に大きな影響を及ぼす行いをしているのだ。

 もし吸血鬼の行動が協力者の目的に相反せぬ……どころか、意に沿ったものである場合、即ちその組織はHLの政治に影響を与えんとしている。VD社のように無知から生まれた無謀であるなら捨て置けるが、そうでないなら厄介事だ。

 

「蓋を開けたらどこぞの国が糸を引いてた、なんてのは勘弁して欲しいですね。人の手で吸血鬼兵団を作ろうとしていたあの国なんかも、まだ諦めていないようですし」

『人間は脆弱であり、定命の身でもある。長期的な制御が出来んことなぞ目に見えているというのに、愚かなことじゃ』

 

 しかし、と汁外衛は続ける。

 

『奴等に対抗する手段を持っている者であれば、何かを成せるやもしれん』

「ん? ……ああ、うちの話ですか。汁外衛殿を疑う訳ではありませんが、何故そのような嫌疑が生まれたのでしょうか」

『事の始まりは五年、いや六年……十か二十年前だったやもしれんな。些事であった故、よく覚えておらん』

 

 汁外衛は語る。かつて滅殺した血界の眷属のいくらかが、人間の血法使いと取引、もしくは協力関係にあったのだと。勿論、その中にはヘルメス流も含まれていた。

 それ自体は驚く程のことではない。太古の昔より超越種の魅力に抗えなかった者は多く、血法使いとて欲を持つ人間なのだから。しかし、この老吸血鬼狩りは組織の浄化などには興味を持たない。見つけた背信者を諸共に滅することはあっても、積極的に牙狩りに報告したり、調査させることはなかった。

 

 もっとも、この老人は常に超越種を追って両世界を飛び回っているため、十年単位で行方不明になることが珍しくない。仮に彼が眼前の敵を討ち果たし、人里に戻った際に背信者の情報を提供したとしよう。それを聞く牙狩りの成員が、下手をすると幼子であった頃に起きた事件。調査するのは殆ど不可能に近く、結果に大差は無いのだ。

 

『が、ここ三年程かのう。何を血迷ったのか知らんが、そやつらが儂を狙って来るようになった』

「……それは、とんでもない事件では?」

 

 『血闘神』とまで称えられる存在を、同じ血法使いが襲ったのだ。牙狩りに属さぬコルネリウスにまで届きそうな醜聞である。そうなっていないのは、やはり汁外衛が報告していない故だろう。

 

『指一本振るえば終わることよ。吹聴する気にもならん』

「牙狩り本部としてはそう思えないでしょうが……まぁ、置いておきましょう。それが、ヘルメス流であったと?」

『流派なぞ、一目見ればわかることじゃからな』

 

 そして、ヘルメス流を用いる刺客を撃退した汁外衛が、返す刀で幾つかの拠点を焼き払う最中に見つけたもの。それが血界の眷属に依らぬ転化の模索を始めとする行き過ぎた研究であり、その有り様はかつて灰燼に帰したヘルメス流の背信者達と非常に似通っていたのだという。

 

『この三年で儂を討たんとした木っ端共は全てヘルメス流であった。偶然ではあるまい。奴等の拠点や研究内容の類似性も考慮すれば、それらは全て一つの根に繋がるであろうよ』

「あるいは十年、二十年前のそれも同じ流れを汲む集団であったやもしれない、と」

 

 過去に血界の眷属と取引関係にあった一派。それが存続し、かつてと変わらぬ研究を続けているのだとすれば、未だに血界の眷属と繋がりを持つ可能性は十分にあるだろう。もし推測が外れていたとしても問題は無い。今現在ヘルメス流に背信の徒がいることさえ確定すれば、コルネリウスにとっては十分な取っ掛かりとなるのだ。

 

 彼が今まで『記憶』のために行った調査の対象には、勿論ヘルメス流も含まれていた。しかし、それを修める当人達にすら把握しきれぬ巨大な流派は、有限のリソースを手がかりもなしに投入するには分が悪い。リスクを避けつつの調査となれば、尚更だ。

 だが汁外衛からもたらされた情報が正しければ、目的の背信者達は三年に渡り刺客を送り続け、多数の拠点を擁していたことになる。潤沢な資金と人材が無ければ行えることでなく、調査すべき対象も限られてくるだろう。

 

 コルネリウスはかつて調べた情報を思い出しつつ、ヘルメス流について語り始める。

 

「我々ヘルメス流は、大小合わせれば軽く三桁を超す派閥により構成される寄り合い所帯です」

『その程度は知っておる。群れを率いる者がおらん、奇っ怪な羊であるとな』

「自らの力のみで流派を開いた汁外衛殿には、そう見えてしまうでしょう。ですが起源からして多数の錬金術師の合力であるヘルメス流においては、本流だの開祖だのというのは揉め事の種にしかならぬのでご法度なのですよ」

 

 とはいえ、あくまで建前上の話だ。実際にはヘルメス流の誕生に関わった人間の幾らかは、自らの功績を誇り、己こそが流派の指導者に相応しいと喧伝し相争った。

 連綿と続く素晴らしき師弟関係により、彼等の自尊心と対立関係は直系や後進の一部にも受け継がれる。結果としてヘルメス流は、王を戴かぬ独立独歩の精神と互いに切磋琢磨しあえる環境、そして技術的な多様性を育むに至ったのだ。

 

『儂が下らん誤魔化しを聞きたいとでも?』

「上位派閥同士の内ゲバ多くて嫌になるんですよ。多少のお遊びは見逃して下さい」

 

 コルネリウスは苦い笑みを浮かべつつ、飛び掛かってきた敵を斬り伏せる。

 彼は三年ほど前に血法使いとしての身分を得るため、とある派閥に属する人間から金でお墨付きを貰っている。しかしどうも『記憶』の持ち主が派閥の力関係というものに疎かったらしく、コルネリウスは欧州の地で、他派閥の先輩方による楽しい実技試験を受ける羽目になったのだ。

 

「そういう訳で、ヘルメス流において力を持つ派閥もその過半が自称本流です。資金力などを考慮すれば、まず疑うべきは上位七派閥でしょう」

『他の連中は』

「中堅派閥同士が手を組めば、出来なくもありません。しかし彼等もそれぞれの敵対関係や技術の秘匿がありますし、事実上の盟主派閥を有するため自由に動けないところも多い。初弾が空振りしてからでいいかと」

『ふむ…………』

 

 一応は納得したのか、口を閉じて作業に勤しむ汁外衛。それを見たコルネリウスは手帳を取り出し、襲撃された場所や経緯、詳細などを聞き出していく。

 聞き取りはそう時間をかけることなく終わった。命を狙われたことを些事扱いするのは本心からであったようで、所々記憶が怪しいところもあったが、必要な情報は覚えているあたり流石と言えるだろう。コルネリウスは書き出したそれらを眺め、情報を整理する。

 

「ロシアでの襲撃があったというのは重要ですね。上位七派閥の内二つは、歴史的な経緯で入国禁止になっていますから。決めつけはできませんが、他にも同じような事情で絞り込みがかけられそうだ」

『細かい判断はどうでもよい』

 

 汁外衛のそっけない言葉を受け、コルネリウスは結論のみを伝えるべくペンを走らせた。

 

「ドイツのバルヒェット派とラウテンバッハ派、フランスのバルバストル派の三つです」

『多いのう』

「これ以上は実際に調べてみないとわかりませんよ。正解があるとも限らない」

 

 コルネリウスはそう言って、三派閥について簡単な説明を書き込んだメモを汁外衛に手渡す。汁外衛はそれを手に取って一読した後、手の中に生み出した炎で焼き捨てた。

 

『まぁ、よかろう。元より時間を割いてまで探す気もない』

「命を狙われているというのに、剛毅なことで」

『斬れぬ刃を恐れるのは、愚者のする事だ』

 

 宙空に舞う無数の血の刃を霧散させつつ、汁外衛は歩き出す。既に一帯には、二人以外に動く者はいなくなっていた。

 

「他に懸念されることは?」

『無い。今は、これだけでよかろう』

 

 汁外衛の行く手には、先程まで影も形も無かった洋館が現れている。コルネリウスの用いる魔術的な探知も、そこが目標だと示していた。罠であるかはともかく、ここがゴールであることには違いない。

 

 深い霧で空こそ見えないが、時刻はまだ昼を少し過ぎたばかり。待ち受ける吸血鬼がどの程度の力量かはわからない。夜にもつれ込む前に――吸血鬼ではなく、頼もしくも恐ろしい同行者から――逃げる準備を整える余裕こそあるだろうが、ゆっくりと会話が出来る時間はこれで最後となる可能性があった。故に、コルネリウスは問いかける。

 

「私への嫌疑は、晴れましたかね?」

『さあなあ、どうであろう』

「そうですか、それはよかった」

 

 唐突な質問に対し、汁外衛は振り返ることなく、とぼけたように返す。多くの者にとってはおよそ満足出来るような返答ではなかったはずだが、当のコルネリウスは言葉を重ねることもなく、話は終わったとばかりに歩き始める。

 今は、これでいいのだ。この二人にとって重要なのは、結論が出たか否か、その一点のみ。もしそうなった時に何をするかなど言うまでもなく、変わることもないのだから。

 

 

 

 コルネリウスが語ったヘルメス流の内情など、調べればすぐに手に入る程度のものだ。ましてや求めた本人が大した興味を抱いていないとくれば、考えうる目的などそうありはしない。汁外衛には情報ではなく、それを語る本人が必要であったのだ。

 老吸血鬼狩りが真実に辿り着いたかはこの際関係ないだろう。背信者か吸血鬼かの違いなど、灰になってしまえば変わらない。だが、少なくとも今この時、結論が出されることはなかったのだ。

 

 

 

『――俗世で何と言われておるかは知らんが』

 

 辿り着いた洋館、その巨大な扉の前。ドアハンドルに血で作った手をかけた汁外衛が、何かを思い出したかのように動きを止めて呟く。

 

『儂は義務も使命も背負ってはおらぬ。必要だと思ったことを為すのみじゃ』

「意外、と思う者もいるでしょうね」

『馬鹿げた考えよ。"そう"したいのであれば、永遠の虚の縁にでも住むのが最善じゃろうて』

 

 だが、と汁外衛は続ける。

 

『それを選んだ上で、俗世の混沌まで面倒を見ようとする大馬鹿者もおる。貴様への結論は、あの若造に任せるとしよう』

 

 そう言った後、汁外衛は両開きの扉を開く。洋館の中からは濃密な魔力と殺気が溢れ出したが、二人は意に介することもなく歩みを進めた。

 客を招き入れた扉はひとりでに閉じられ、霧深き地には静寂のみが残った。

 

 




今回投稿分のルビ追加等は後日

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