緋色の羽の忘れ物   作:こころん

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第七章 暴力の品格
第十九話


「ま、待ってくれ! 俺はあんたが絡んでるなんて知らなかったんだ!」

「おいおい、知らなかったで済む業界じゃないってこたぁ、わかってるよな?」

 

 とある裏カジノの支配人室。呼び出した客、もといカモを威圧するための悪趣味な調度品の並ぶそこで、コルネリウスは部屋の主にシュラハトシュベールトを突きつけていた。

 廊下からは彼に半殺しにされたチンピラ達の苦悶の声が絶えず響いており、この施設が擁していた戦力が既に無効化されたことは明確だ。部屋の主もそれがわかっているのだろう。顔中に汗を浮かべ、首元で揺らめく刃をなるべく見ないようにしつつ、コルネリウスに釈明を続ける。

 

「そ、それは勿論だ。だから詫び料はしっかりと払う! あの客の負け分もチャラでいい! な、十分だろ、手打ちしてくれ!」

「あそこの社長は何度か俺を雇っているし、彼の会社とうちの書店には継続的な取引関係もある。ガラルド、あんたの部下はその程度のことも報告してなかったのか?」

「あ、ああそうだ! これは不幸な行き違いだったんだ!」

 

 何かの機械かのように首を縦に振り続けるガラルド。彼は負けた客から執拗かつ暴力的な取り立てをすることで恐れられているが、この無様で必死な姿からはそのような悪名や貫禄は一切感じ取れない。

 

「……なるほど」

 

 それを見たコルネリウスは彼の首元にあった刃を下げる。ガラルドはひとまず危機は脱したと安堵したのか、椅子の背もたれに身を預けようとした――――負けの嵩んだ客を呼び付けた時、自らがどのような行いをするかを一切忘れて。

 

「そうだ、なら早速あの客の証文を――」

「知らなかった訳ねぇだろこのダボがぁぁぁぁ!!!!」

 

 ガラルドの眼前にあった木製の重厚な事務机。コルネリウスが斬り上げる形で振るった大剣はその三分の一程を切り飛ばし、延長線上にあった壁掛けの剥製を真っ二つにしただけでなく、壁にクレバスの如き深い割れ目を生み出した。

 

 破砕音と風圧を受け、立ち上がろうと中腰になった姿のまま動きを止めるガラルド。しかし刃の動きは目で追えていなかったのだろう。目線だけが恐る恐る横へと向けられ、何が起きたかを理解すると同時に腰が抜けたかのように椅子へと崩れ落ちる。

 

 あえて一度安心させたところに唐突な暴威を叩きつける。勇気、あるいは蛮勇を持たぬ者を脅しつけるのに有効な手法だ。ガラルドも普段やっているはずだが、種はわかっていても抗することは出来なかったらしい。今やおこりを得たかのように震えるのみだ。

 

「ひっ……か、金なら――」

「特別に教えてやるが、近頃お前と同じようなことをする連中が増えていてな」

 

 コルネリウスは怯えるガラルドの命乞いを無視して話を続ける。

 

「そいつらは俺や俺の会社ではなく、その周囲や、もう一つ外側にちょっかいをかける訳だ。でもって、ぶん殴られると決まってこう言う。俺に関係あるとは思っていなかった、と」

「ぐ、偶然だ! 悪意があった訳じゃない、信じてくれ!」

 

 返答はガラルドの口元に突き付けられる大剣であった。人差し指の代わりとしては無骨に過ぎるが、意図はしっかりと伝わったようで室内は静寂を取り戻す。

 

「で、だ。ガキの言い訳を延々と聞かされるだけでも業腹だってのに、俺を更に苛立たせることがある。そのボンクラ共が、揃いも揃ってガルガンビーノ一家の下部組織や、強く影響を受けている連中だってことだ。……言いたいことはわかるな?」

 

 青ざめるガラルドに見せつけるかのように、コルネリウスはゆっくりと大剣を振り上げ

 

「ストップ、ストーップ! シニョール、ちょっと待ってマジで!」

 

 振り下ろす直前でそれを止め、部屋の入口へと向き直る。声の主はコルネリウスを静止するかのように右手を伸ばす男だ。焦った顔にもどこか抜けた所を感じるそのイタリア人に対し、コルネリウスはため息をひとつ。

 

「トーニオ、だからお前は駄目なんだ。もう少し勉強しろ」

「なんすか突然!? いや、それよりも、そいつは殺さないって話でしたよね?」

 

 ボディランゲージまで用いて理不尽だとばかりに訴えかけるトーニオ。言うまでもなく、剣呑な場には相応しくない。コルネリウスは彼に近付き、一度小突いてから小声で話す。

 

「だから殺す気は無いんだよ。寸止めか、精々腕一本程度だ。抵抗する気概が無い奴への、最後のひと押しだ」

「あっ、なるほど!」

「……お前、なんのためにここにいるかわかってるか? 今のを止めて恩を売りつけ、奴をコミッションに付かせるなり、カジノの利権に食い込むなりするのがお前の役目だ」

「……そうなんすか?」

 

 初めて聞いたとばかりにキョトンとした顔をするトーニオ。

 コルネリウスは襲撃の直前、ガラルドは生け捕りにするので好きにしろ、と伝えた時のトーニオの様子を思い出す。彼は『了解っす!』と大きく頷いていたが、どうもその姿に騙されたようだ。

 

「そうなんだよ。それがどうして『ちょっと待って』からの、本人の目の前で種明かしになる」

「いやー……てっきり拷問でもしろってことかと」

 

 それを聞いたコルネリウスは彼をもう一度小突こうとしたが、詳しい説明を怠った自身のミスだと思い直し手を止める。

 

 今回の襲撃は、近頃コルネリウスの周囲を標的として行われている有形無形の攻撃に対する報復だ。そしてガラルドについての情報提供を行ったのが、トーニオの属する在HLマフィア・コミッションである。

 ガラルドはコミッションにとっても商売敵であった。そこで共同襲撃と相成った訳であるが、それをただ殺すだけでなくコミッション、そしてトーニオの利に繋げようとしたのはコルネリウスのちょっとした感謝の気持ちであり、独断でもある。しかしこの業界において新しい金蔓というものは、余程の火薬庫でもない限り喜ばれるもの。問題は無いだろう。

 

 だが上に言われた通りにただのカチコミだと考えていたチンピラ、もといトーニオにその手の機転を期待するのは酷であったようだ。コルネリウスとしては、非合法組織で出世を目指すなら自分から言い出すぐらいであれと思うが。

 

「まぁいい。どの道、奴はあんな調子だ。お前が多少情けない姿を見せたところで、目の前の蜘蛛の糸を逃すこともあるまいよ。ほら行け」

「うっす! あー、でも男を口説くのって気が乗らないな……名前も兄貴と同じだし……」

 

 ぶつくさ言いながらガラルドの元へ向かうトーニオ。そのなんとも頼りない姿を眺めつつ、コルネリウスは手に持った大剣を振って血を払った後、手入れを始める。魔術的な強化が成されたそれには必要の無い行いであったが、癖であり、何かを考える時の手慰みでもあった。

 

 彼が考えるのは、ガルガンビーノ一家の現状について。かの一家は電子魔術書――という形で歪んで伝わったコルネリウスの『記憶』――から得られる力を求めたため、彼とは敵対関係にある。しかし、トーニオがHL入りした際に起きたゴタゴタにより、現在は多方面に抗争を抱える多忙な身だ。

 それらの敵対組織は戦争を吹っ掛けた大義名分こそ感情的なものだが、実際には下手を打った巨大組織をこの機に叩きたいという思いを共有している筈であった。少なくともコルネリウスはそう確信しており、事実彼が調べている限りでは、この状況であれば引き出せるであろう有利な手打ちやファニーウォーは行われていない。

 

 そのような状況にあっては、いかに裏社会の強豪として知られるガルガンビーノであっても余裕など無い。だというのにコルネリウスへの攻撃を始めた。その矛盾する事実が、彼の気掛かりとなっていた。

 

(……まぁ、考えて答えが出る訳でもないか)

 

 コルネリウスは頭に浮かんだ幾つかの推測を打ち消し、思考を止める。敵を知ることは重要だが、裏付けの無い推測だけを積み重ねても仕方がない。今必要なのは信頼出来る情報と、それを集めるための時間。幸いと言っていいのか、彼が現状で把握している敵はガラルドで打ち止めであった。

 

 部屋に電話のベルが鳴り響いたのは、コルネリウスがこの後に向かう情報屋を考え始めた直後であった。

 

 聞き慣れているはずの電子音にすら驚き、怯えたように肩を震わせたガラルドは、目線だけでトーニオに伺いを立てる。それを受けてトーニオは一瞬考える素振りを見せたが、黙って頷き、受話器を指し示した。電話相手がどこの誰であろうと、既に王手をかけた状態が電話一本で覆ることもないと判断したのだ。

 一度深呼吸をしてから受話器を取ったガラルドは、まだ少し震える声で話し始める。それからの彼は、まさに百面相と呼ぶに相応しいものであった。

 最初は緊張感から僅かに蒼かった顔色。それが電話相手から希望でも齎されたのか、すぐに血色を取り戻したかと思えば、直後に眉を大きく歪める。声と表情には次第に怒りが滲み、終いには額に青筋を浮かべて怒鳴り散らすに至ったところでトーニオが待ったをかけた。

 

「あー……シニョール・ガラルド。一応、こういう状況だから、ね?」

 

 その声に現状を思い出したのか、ガラルドは慌てて声を抑える。そして暫し通話を続けた後、堪えきれなかったようにもう一度怒鳴ってから、受話器を何故かコルネリウスへと差し出した。コルネリウスはそれを見て顔をしかめたが、結局は受け取って耳に当てる。

 

「……もしもし」

 

 彼が聞いていた限りでは、電話の相手はガルガンビーノ一家の構成員だ。

 

『お前がコルネリウスか。始めまして、だなァ』

 

 おそらくは若い、男の声。この状況には似つかわしくないやけに陽気なものだが、コルネリウスはその原因が酒気から来るものだと判断し、思わず電話を切りそうになった。

 なにせ受話器からはグラス同士をぶつけ合う音や、陽気な音楽、そして女達の歓声と注文を強請る声が漏れ聞こえて来るのだ。どこぞの店で遊んでいる最中なのだろう。

 

「こちらこそ。どうやらガルガンビーノの一員のようだが、名前を聞いても――」

『ああん? 名乗る気はねェよ。必要無いからなァ』

「そうか。で、用件は?」

 

 先を促すコルネリウスの右手には、血を纏わせたシュラハトシュベールトが握られている。相手の非礼に腹を立てた訳ではない。これから何が起きるか、薄々察しているからだ。

 

『てめぇがガルモスの頭でっかちとイタリアのボケ共を棺桶に放り込んだせいで、俺達は随分と手間かけさせられてんだよ。まぁ、身の程を知らねェ連中は遠からず俺が叩き潰してやるが……』

 

 なにせ電話の相手はコルネリウスの素性を知っており、下部組織の人間を守る素振りも見せず、タイミングよく襲撃に合わせて連絡を取って来た。おそらくはガラルド達をコルネリウスにけしかけたのも、この男やその周囲だろう。反撃されることも、織り込み済みであったに違いない。

 

 ――――要するに、ガラルドは撒き餌だったのだ。本人には、知らせていないのだろうが。

 

『その前に、俺達の面子を潰したてめぇをぶっ殺しておかねェとなぁ! あぁ、そんなちっぽけなカジノでもお前如き三下の墓標にゃ豪華過ぎるだろうが、釣りはいらねぇぜ?』

 

 笑い声と共に通話が切られた直後、轟音と強い振動が支配人室を揺さぶった。

 

 

 

 

 

 

 

「それで、あの大爆発ですか。お疲れ様です」

「どうも。生体自爆兵器なんて久々に見ましたが、あんな骨董品どこでかき集めてきたんだか。それとも在庫一掃セールですかね?」

 

 置かれている椅子や机はそれなりのものだが、どうにも狭さが目立つ応接室。部屋同士を区切る仮設の壁には窓と、一部が歪んでいるせいで用をなさないブラインドが設けられており、その向こうには先程コルネリウスも通ってきたオフィスが見える。その隣室に無機質な机が所狭しと並ぶ有様を見る限り、これでも相当無理して用意されたスペースであることが伺えた。

 そうまでしてでも応接室を設ける精神に感心すると共に、窮屈な労働環境に同情もしつつ、コルネリウスは机を挟んで眼前に座るビジネススーツ姿の男から受け取った資料に目を通す。

 

「確かに型落ちであり、メンテナンスも面倒です。しかし操作は単純、効果も十分。メンテナンスにしても寝かせずに使ってしまえば不要ですから、根強いヒット商品ですよ」

「それは"外"での話でしょう。今じゃ家庭用防犯システムに完封されるような兵器、HLで使っていたら経営不振を疑われますよ」

「まぁ、だからこそ監視の目が緩く"外"に持ち出しやすいので……」

 

 コルネリウスは雑談を挟みつつ、資料を読み終える。机や椅子に始まり、コピー機から文房具まであらゆるオフィス用品の品名、個数、値段。購入するにあたって必要な情報が全て揃ったそれはレイアウトも工夫されており読みやすく、HLでは珍しい非常に丁寧な仕事であった。

 

「拝見しました。いや、いつもながら良い仕事で」

「ありがとうございます。安心・安全・正確・確実が弊社のモットーですから」

 

 かっちりとスーツを着込み、短い黒髪を七三分けにした黒縁眼鏡の日本人という、いかにもなビジネスマンスタイルの男は控えめな笑顔を見せた。そうしてから、僅かに眉尻を下げつつ別の資料を取り出す。

 

「それで、ですね。新たな事業所を開設するのでしたらこちらの方も……」

「……お気持ちはわかりますが、そちらは個人営業窟で賄う予定ですので」

 

 内容を見もせずにすげなく断るコルネリウスだが、それも故あってのことだ。なにせ彼が持っているその資料は、コルネリウスの経験上間違いなく、銃器を始めとする各種兵器のカタログである。つまり眼前の東洋人は、真面目かつ人の良さそうなビジネスマンであると同時に、死の商人なのだ。

 

「そこをなんとか……いえ、勿論、コルバッハさんの会社にはオーダーメイドや、珍しいものを使う方が多いことは承知しております。しかし近頃始められた廃棄・放置車両関連の事業にはそうではない方も多く携わっているというではないですか」

「確かに、そこは否定しませんが」

「でしょう、そうでしょう。HLにおいて日々の備えは必須です。ましてや今のように、他所とトラブルを抱える状況では尚更。ですが新しく入社、あるいは提携なされた方々では、貴方とは備品に対する意識に差があるやもしれません。我々に任せていただければ確かな品質の商品を入荷から定期メンテナンス、有事の保険まで――」

 

 熱の篭ったセールストークを続ける男が所属するこの会社は、表向きにはオフィス用品を取り扱うまともな会社であるが、同時にHLの裏社会で大きなシェアを有する軍需企業兼武装組織『MS-1313』の支部だ。HLには同組織の支部が多数あり、それぞれ別の表の顔を持っている。

 その実、と言われないのは、彼等は表の仕事にも――それこそ大多数の一般企業より――真摯に取り組んでいるからである。それもそのはず、元はと言えば彼等は堅気だったのだ。

 

「ご購入量に応じて護身用銃器の取扱講習会も一月分無料でして――」

 

 HLを誕生させた三年前の『大崩落』は、その場にいた全てを分け隔てなく襲った。これにより最も大きな被害を被った層は、人数で言えば政府でもアウトローでもなく一般市民だ。

 成立直後のHLは今よりも治安が悪かったが、だからと言って全てを捨てて逃げ出せる者ばかりではない。致し方ない面もあるが、彼等に対する"外"の対応も十分なものではなく、特に財産の保証に関しては未だに大揉めしている状態。

 そのような状況下において、NYの支部と市場が潰れてしまった、では済まないひとつの商社がMS-1313の母体となった。HL誕生当初、"外"との取引がまともに行なえなくなったせいで潰れかけたとある会社。それを救ったのが、組織名の由来ともなった銃器――正確にはそれらに用いられた画期的な新部品を指す、少々皮肉交じりな規格番号――である。

 

「今ならスタンプ二倍。しかも洗剤まで付いて――」

 

 今も現役のカリスマ社長が同様の境遇にあった幾つかの会社や技術力のある個人経営店、ついでに傭兵やらなんやらを束ね、その力で作られた銃器は手頃な価格で頑丈・長持ち・それなりの性能と初期HL裏社会において大好評。

 以来同組織は軍需産業を裏の看板とし躍進したが、元々の気質なのか表の商売も軽んじることはなかった。HLの複雑な外交事情を利用した彼等はうまいこと表と裏の商売を法的に切り離し、正当な市場競争にも励む奇妙な組織と化したのである。

 

 彼等は表の商売への悪影響を嫌うため、他組織のように縄張りを主張したり、自分達から抗争を起こすことが殆ど無い。HL広しと言えど、HLPD(警察)よりHLIRS(税務署)と激しくやり合っている武装組織はここぐらいのものであろう。もっとも、彼等が一軍需企業ではなく反社会的勢力として名が売れている事実を忘れた者には、それなりの結末が待っているのだが。

 

「――ですので、どうぞこの機会にご契約をですね」

「……正直に言えば、選択肢のひとつではありました」

 

 セールストークが一段落したところを見計らい、コルネリウスは口を開く。

 

「ですがこの時期には、ちょっと。……例の中国製品の件で、騒がしいでしょう? 先日、うちにもHLPDの警部補がやって来て釘を刺されたばかりなんですよ」

「それは、その……はい。やはりそうでしたか。いやはや、困りましたねぇ……」

 

 コルネリウスの言葉に対し、男は片手で頭を掻きつつ浮かない表情を見せる。

 二人が思い浮かべているのは、最近HLの裏社会で話題になりつつある、とある事件だ。HLに中華製の旧式パワードスーツが大量に持ち込まれたとされる一件。その数、なんと千。

 

「人民華星三型……時代遅れとはいえ、安定性抜群のあれを千機。製造元とHL内の軍需企業の顔ぶれ、そして商品の製造時期を考慮すれば、各戦区との付き合いも深いうちに仲介の嫌疑がかかるのは仕方ないことではありますが」

「いい迷惑だと?」

 

 男は深く頷く。

 

「我々ならもっとうまくやります。しかも運び屋はジャガーノート・スミスときたものだ。彼を使っておきながらこれだけ早く噂になるようでは、査定に響きますよ。そも、かの国には直近の選挙における介入疑惑がかけられています。大規模とはいえ、いま右から左へ流すだけの仕事のためにそれだけのリスクを取るなど有り得ません」

「成程、心中お察しします。ですが――」

「今、我々と大口の契約でもしようものなら、経営上後ろ暗いところが無い会社にとっては面倒なことになる……と」

 

 男はため息をつき、手に持っていた兵器カタログを茶封筒へとしまう。

 

「取引先にご迷惑をおかけするのは我々の望むところではありません。今回は諦めます……が、もう一度だけチャンスを頂けませんでしょうか」

「と、いうと?」

「新規事業所の備品について、仕入先を決めるのを待って頂きたいのです。勿論、弊社を選ぶことは条件に入っておりません」

 

 身を乗り出しての言葉に対し、コルネリウスは頭の中で損得の勘定を行う。ガルガンビーノ一家との関係を考慮すれば装備の充実は急務であるが、既存の人員と装備を効果的に用いれば多少先延ばしにすることも可能であった。

 

「対価次第、ですかね。長く待てるものでもありませんし」

「承知しております。では……我々から差し出せるのは、ガルガンビーノ一家において貴方への攻撃を指揮している者の、主要な拠点を含めた各種情報となります。如何でしょうか。悪い話では、ないと思うのですが」

 

 

 

 

 

 

 

「保留になさったのですか? 費用対効果は良好かと……」

 

 ビルの外まで響く金槌やドリルによる内装工事の音。二足歩行の蟷螂に似た異界存在、コルネリウスの部下であるカルベストは、その音に負けぬよう少々大きめの声で話す。

 場所はHLの中心たる『永遠の虚』に程近い、サウスリム地区の一角。コルネリウスが興した廃車関連の事業が利益率こそ低いものの好調であるため、新しく設けられることになった事業所の工事現場である。

 同地区は近頃、某13王によって起こされた災害で大きな被害を受けた。人通りは少なく、立ち並ぶビルには契約上の、あるいは物理的な空きが目立っており割安だ。

 

「タダより高いものはない……なんて根拠の無い考えじゃあないぞ。MS―1313は確かに十分な武力を持つが、本質的には真っ当な市場競争力と裏社会における中立性によって勢力を拡大してきた組織だ。目先の契約ひとつのために、ガルガンビーノの情報を売るとは思えん」

 

 コルネリウスの慎重論に対し、カルベストは前脚の先にある手で持つ携帯端末のタッチパネルを操作しながら考える素振りを見せる。節のある前脚の構造上、手と眼の距離は人間に比べて随分と離れているのだが、全く苦にしていない。本人曰く、距離よりも液晶に貼る覗き見防止シートが度々自身に効果を発揮する方が深刻であるらしい。

 

「それは私とて把握しております。近頃噂されている、ガルガンビーノ一家が兵器の仕入先をMSから切り替えようとしている件が関係しているのやもしれません。ですが裏事情を考慮しても、彼等から齎される情報の有用性は変わらないでしょう。罠ということであれば、また別ですが……」

「そこまで愚かな連中ではないさ。十中八九、情報は役立つだろう……が」

 

 コルネリウスはダガーを用いて缶詰を開けつつ、眉を顰める。

 

「他に懸念が?」

「何も考えずにそれを利用すれば、損をする気がする。いや、きっとする。少なくとも、今はまだMSにとってのガルガンビーノは取引先だからな。それを切る程の何かがある筈だ」

 

 カルベストはため息ひとつ。

 

「……多少踊らされても、望む結果が得られるなら良いではないですか」

「なんだ。金勘定には煩いくせに、こういう時だけ」

「費用対効果、ですよ」

 

 側近のそっけない返答に不満げなコルネリウスをよそに、カルベストは携帯端末にたった今届いたメールを開き、手早く内容を確認して頭を上げる。

 

「コミッション経由で裏付けが取れました。此度の一件で我々に対しての攻撃を指揮しているのは、ガルガンビーノ一家幹部の"鉄人"メイナードで間違いありません。例のカジノで貴方に電話をかけてきたもの、彼でしょう」

「メイナード? ああ、"機械公"に対抗意識燃やしてるってあれか。確かに荒事で名を売ってきた奴だが……シマは随分と遠くなかったか」

 

 コルネリウスが記憶するところによれば、件の人物が縄張りとするのはHLの北部、それもかなり北端寄りだ。自身の経済基盤を放って遠出するというのは、無いとは言えないが珍しい。特に、得たばかりでもない支配域での暴力沙汰がやけに多い、スマートな経営が出来ない輩には。

 

「我々への……貴方への報復が一家の総意とすれば不思議でもないでしょう」

「それならもっと名が売れた奴が出てくる。メイナードなんてのは所詮、敵陣に放り込むぐらいしか使い所の無いチンピラの親玉だからな。対立したばかりの頃ならともかく、今になって送り込まれてくる人材とは思えん」

 

 独断の可能性もある、とコルネリウスは続けた。ガルガンビーノ一家はかつて彼が関わった一件により、ガルモスという名の幹部を失っている。そのガルモスのシマは未だ一家の勢力圏に留まっているものの、正式な管理者は不在のままだ。コルネリウスを討つことによって、宙に浮かんだままのそれを継承する大義名分を得ようとした可能性は十分にある。

 

「成程。二の矢、三の矢への油断は出来ませんが、ありそうな話ですね」

 

 ただ、とカルベストは続ける。

 

「そうだとしても"鉄人"への対処は必要です。残念ながら情報屋も、協力してくれているコミッションも所在地を割り出すまでには至ってません。手数が多いのは敵の方である以上、長引かせるのは得策とは思えませんし、やはりMSの力を借りるべきでは」

「網はもう設置してある。そのうち引っかかるだろうから、時間に関しては……っと」

 

 コルネリウスは言葉を切り、手に持つ開き終わった缶詰の中に一枚の紙片を入れる。複雑な文様の描かれたそれは中身と反応するかのように淡く発光し、缶を包み込む。僅かな後、缶の中から数十匹の虫が飛び立った。

 

 僅かな滞空の後に地へと降り立つと、カサカサと素早い動きで内装工事中のビルや、その周囲へと潜り込み姿を消した黒光りする使い魔達。カルベストはそれと空になった缶詰を交互に見て呟く。

 

「残念です。もし余っていたら、頂こうかと思っていたのですが」

「お前達のお陰で昆虫食は値上がりする一方だよ。コックローチの缶詰が三年前の三倍値、生に至っちゃ五倍で呪術師共が悲鳴を上げてるぞ」

「"こっち"のは毒らしい毒も無い上に安くて美味しいんですから、仕方ないじゃないですか」

「確かに種族間のギャップを考慮しなければ、それは至極真っ当な思考なんだが……」

 

 異文化コミュニケーションを試みる二人の会話を打ち切らせたのは、工事音に負けぬ音量で響き渡る携帯の着信音であった。コルネリウスは自身のそれを取り出し、表示された非通知の表示を見て顔を顰めつつも通話ボタンを押す。聞こえてきたのは、聞き覚えのある若い男の声。

 

『よぉ、この前はうまく逃げおおせたようじゃねェか』

「あんなポンコツが相手ならな。台所事情でも苦しいのか、メイナード?」

 

 名を呼ばれた相手は軽く舌打ちをする。

 

『名前がわかった程度で調子に乗るなよ。あの一帯を焦土にするなんざ安いもんだ。なにせ俺のシマは再開発計画が進んでいるからな、金なんざいくらでも湧いてくる』

「そうか。で、お財布自慢をしたかった訳じゃあるまい。用件は何だ」

『……その余裕、てめぇの眼の前で新しい城が月まで吹っ飛んでも続くか見ものだな。蝿のようにうるせぇコミッションの連中共々、一文無しにしてからぶっ殺してやる』

 

 通話が荒々しく切られると同時、コルネリウスが放った使い魔達が次々と異常を伝える信号を発した。彼は即座に使い魔達の視界を共有し、異常の原因を確認する。

 まるで監視カメラの管理室のように、彼の視界に並ぶ幾つもの景色。その全てに共通するものは、凄まじい速度で工事中のビルへと向かってくる、幾台ものトラックであった。ひとつの例外もなく無人のそれらは、まるでブレーキをかける気配が無い。建造物の破壊が目的なのは明白であった。

 

 迫る驚異に対し、コルネリウスは慌てることなく使い魔へと指示を出す。内容はごく簡素なもの。トラックに近づいて自爆、それだけだ。

 僅かな後、次々と響き渡る轟音。単なる車両爆発と思えぬ音からして、火薬でも積んであったのだろう。ビルへと向かう反応が無くなったところで、コルネリウスは満足気に携帯を上着の内へと仕舞う。

 

「メイナードは何と?」

「構ってくれってだけだ。とりあえず、ここら一帯に魔術的な防護でも仕掛けて――」

 

 余裕たっぷりな彼の言葉を遮ったのは、ビルから我先にと逃げ出してきた作業員達の悲鳴だ。二人がそちらを向いた直後、閃光を伴う轟音と共に事業所予定地は瓦礫の山と化した。

 コルネリウスは無言で、残った数少ない使い魔に命じ、混乱に紛れ逃げようとしていた不審な作業員数人を捕縛しつつカルベストへと向き直る。

 

「保険は?」

「えっ? あ、はい。ご安心下さい、適用されます」

「よし、MSに連絡を取れ」

「……後悔は焦りよりも役に立たない、と言いますが、あえて言わせて頂きます。やはり最初からこうすればよかったのでは」

「黙らっしゃい。……愚連隊上がりの小僧め、嫌がらせと暴力の違いを教え込んでやる」

 

 


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