第二十二話
墨汁を垂らしたかのような、不自然なまでに綺麗で濃密な暗闇。それは夜目の効く者であっても一寸先が見通せないであろう、そう本能的に感じさせる不気味さを醸し出していた。
しかし、現実は少々異なる。その闇は視界を封じるという本来の役割を果たすと同時に、そこに内包する者や物だけを綺麗に浮かび上がらせているのだ。意匠を同じくする円卓と椅子、卓上に並ぶ水入れやグラス。そして、卓に着く数名とその供らしき存在。
それら自体が光を放っている訳では、ない。黒の色紙の上で別の絵を動かしているかのように、同じ空間にありながら位相がずれたかのような、奇妙な光景が広がっている。
「ではの、アルルエル。儂の玩具と貴様の馬、どちらが上手く踊れるか楽しみにしておるぞ」
その言葉を最後に、卓に着いていた一体の異界存在とその護衛の姿が掻き消えた。それを皮切りに他の面々も立ち上がることなく姿を消していく。彼等が去ったことで生じた穴は直ちに暗闇が埋め、黒の領域が増した世界に残ったのは一体の異界存在とその護衛。そして、護衛達の更に背後に立つコルネリウスのみとなる。
色も音も無い静謐な暗闇にため息が響いた。
「……私は別に、こういったことを楽しむ趣味は無いんだけどねぇ。困ったものだよ」
グラスに手を伸ばしつつ、唯一卓に残った異界存在が呟く。その出で立ちは、上質だが簡素な黒のマントを羽織っただけ。特徴といえば人間にとって両肩にあたるであろう部分がやけに盛り上がっている程度の、一見何の変哲も無い老異界存在。
「確かに、趣味で他人に迷惑をかけるというのは、褒められたことではありませんね。それが絶大な権力を用いたものであれば、尚更」
「遠回しに私も批判するのはやめてくれよ、コルネリウス君。老い先短い老人の唯一の楽しみなんだから」
「アルルエル翁は百年前もそう仰られていましたが? そもそも今回の発端も、彼の方が手掛けたエンジェルスケイルの供給ルートを、貴方が趣味の対価として教えて潰したからでしょうに」
苦笑しつつのコルネリウスの言に対し、参ったなとばかりに頭をかく異界存在。
彼の名は"ドン"・アルルエル・エルカ・フルグルシュ。異界の裏社会における有数の顔役であり、その影響力の高さから神性存在と同格の扱いすら受ける権力者の中の権力者だ。
マントの下に収められた肉体はその実、殆どが脳であり、もはや巨大な脳に手足と顔だけが付いていると言っても過言ではない程。種特有の知能を更に磨き上げることで得た神算鬼謀こそが、彼を神々の如き今の地位に就けている。
「細かいことを気にするのは良くないよ。それに翁などと言うが、歳なら君の方が……っと、いかんいかん。このままだと話が進まないじゃないか」
アルルエルはこの話はここまでだとばかりに手を振ってから続ける。
「聞いていたとは思うけど、彼が街の深部に隠した品々を回収して欲しい。中身はアメリカ政府の対HL工作における物証。君にも縁があっただろう?」
「……まぁ、多少は。ですが彼の方が興味を持たれる程のものではなかったように思いますが」
それはつまり、アルルエルにとってもそうだ。彼等にとって人界の列強のごたごたなど、ご近所の醜聞のようなもの。暇潰しに使うのであれば、良いものは他にいくらでもある筈だ。先程までこの場にいた他の権力者達も、あくまでアルルエル達のやり取りを見るために集まっただけに過ぎない。
コルネリウスの疑問に対し、アルルエルは首肯する。
「本来であれば、そうだ。でもそれを看過し辛い厄介事にまで昇華させるのが、彼の嫌らしいところでね。君は彼との付き合いが薄かったから、知らないのも仕方ないが」
「何か余計なものを追加したと」
「その通り。政府機関と、それが手を結んだ組織や個人の双方に絶妙な悪戯をしたのだよ。両者が誤認を把握せぬまま、意図せぬ災禍の種を育ててしまうように。まぁ、つまり核だね」
「………………はぁ?」
思わず礼を失した声を上げてしまうコルネリウス。老異界存在はそれを咎めること無く、言葉を重ねる。
「その他諸々のおまけと合わせれば、HLの四分の一ぐらいは焼き尽くせるであろう玩具の山だよ。激しい利用にも耐えうる政府印と保証書付きでラッピングをされ、何故か持ち主すら簡単に取り出せない場所に『早いもの勝ち』と札付きで陳列されている訳だ」
良かれと思ってタイマーまで付けたらしいよ。そう言ってアルルエルは笑う。
彼は先程、今回の件を厄介事だと言い表した。それは即ち、この老人にとっては厄介事以上のものではないということだ。防げずとも、変化に応じた対応をするだけの話。
「時間切れは言うまでもない。闇に葬らない限り、誰かの手で使用されるか、売られることで出処が明らかになる。世論は沸騰し、人界の諸国は米国をHLから追い出そうとするだろう。政府は事態を認めることも、かつての領土を諦める訳にもいかず強硬路線を貫く。いつ、どこでかはともかく、戦争が起きるんじゃないかな?」
「ああわかってるさ。ここはこういう街だよ畜生め」
この話は遠からず広まるため、動くなら早いほうが良い。そうアルルエルに言われたコルネリウスはしかし、HLの深部ではなく外縁部、それも繁華街の一角に立っていた。
これからの仕事に必要な何かを揃えるためではない。彼がここにいる理由は、その手の中にある一通の招待状だ。上流階級の優雅な夜会にでも誘うかのような、豪華なそれ。だがコルネリウスの苦虫を噛み潰したような表情からもわかるように、中身はろくでもないものだ。
コルネリウスは招待状に記されている、表通りに面した一等地に建つビルへと足を踏み入れる。ガラス窓を通した外からは、人で賑わっていたように見えたその建物。実際には人一人見当たらない、上品な装飾だけが存在を主張する不気味なフロアを幾つも通り過ぎ、最上階へ。
一際広く、豪華なパーティ会場らしき部屋へと続く扉の両脇には、槍を手にした首無しの人形が二体並んでいる。コルネリウスを見るや獲物を構えた人形達だが、彼が招待状を放り投げると武器を収めた。片方はそれを優雅な動きで床に落ちる前に手に取り、もう片方は礼をしつつ扉を開く。
やはり中が見えないように細工された扉。そこを抜けた瞬間、コルネリウスは自身に向けて飛んできた上等な酒瓶を掴み取り、間髪入れず投げ返す。
「おいおい、人を待たせるにも限度があるだろうよ。てっきり俺はここに酒を飲みに来たもんだと勘違いしそうになってたぞ」
その瓶を片手で受け止めたのは黒髪、白人の中年男性だ。彼は空いている手を用いて手刀で瓶の首を落としつつ言い放つ。そして中身が零れそうになった瓶を、下顎から直接生える牙の如き骨を持つ口元へと運んだ。
「俺は俺の都合でここに来てるんだ、てめぇに文句を言われる筋合いはねぇ。むしろその日暮らしの重犯罪者がゆっくりタダ酒を飲めたことに感謝しろよ、ボルドイ・ミンスク」
「あぁ? テメエこそ金とコネでカタギを気取ってるだけだろうが。今すぐその生皮剥がして、両脚切り取った上で街路樹に吊るしてやってもいいんだぜ」
適当な席に着き、互いに視線を合わさぬまま言い争うコルネリウスとボルドイ。コルネリウスはこの"機械公"と呼ばれる、短気で残忍なSS級指名手配犯を好ましく思っていない。対するボルドイの側は自身に敬意や畏怖を持たぬ者全てにこの調子であり、故にHLで数々の犯罪を引き起こして特級の犯罪者と化している。
「どうかお静かに。ここは我が主デューラー様が設けた席。場を乱すようであれば、こちらとしてもそれなりの対応を取らせていただきます」
険悪な空気を払うかのように、とは言い難い慇懃無礼な態度。二人の視線を遮るように歩いてきたスーツ姿の異界存在は、肩と頬骨のあたりが鎖で繋がれている。それはファッションではなく、浮遊する頭部と、首から下を繋ぐためのもの。彼が首無し公デューラーの配下であることを示している。
首無し公は生物の首を生きたまま落とし、会話も可能なそれを蒐集する悪趣味な犯罪者だ。しかもインターネット上で犠牲者を公開し閲覧者と対話させることで、HL内だけでなく人界でも名が売れている。HLのゴシップ的脅威論を広げる主因のひとつだとされ、最高位の指名手配犯とされて久しい。
「………………けっ」
「参加者はこれだけか。ヴェネーノはともかく宗教狂いや銭ゲバなんかも居ないが、あのあたりは時間に煩い。そもそも呼んでないと考えていいな」
「だろうな。私にも招待状は届いていなかった」
忠告に対しては反応を見せぬまま、空いた席が多い会場を見渡しつつ言ったコルネリウスにそう返したのは、壁に背を預ける全身機械の異界存在だ。可動部を阻害しないように改造されたステンカラーコートを纏い、手に持つ上等な葉巻から紫煙をくゆらせている。
「ハルバストルか。ということは、思った通りだな。相変わらず姑息な奴め」
「HLが破壊という形で乱れることを望まぬ面々が、今回の件を収束させる方向に動くのは簡単に予測出来る。余計な情報を与えたくはないのだろう」
"劇作家"ハルバストルは声に嘲りの色を込めて言う。それを感じ取ったデューラーの配下は明確な殺気を放つが、対するハルバストルは柳に風と受け流して続ける。
「各国の在HL諜報機関、特に米国のそれは随分と慌ただしい動きを見せている。政府中枢の情報を持つような大物の首を落とし、大衆の前に名札付きで飾りたいという訳だ」
「獲物を引きずり出すために物証を抑えるか、騒乱を少しでも長引かせ、泥沼化させたいと。いつものことだが、玩具をさっさと使ってしまいたいお前とは相容れんわな」
「そのように言われるのは心外だ。私は貴重な人や品を無為に費やしてしまうのではなく、計算された緻密な脚本の下、最高の舞台のために用いたいのだから」
興が乗ったのか、謳い上げるかのように朗々と喋るハルバストル。彼はいわゆる劇場型犯罪の専門家であり、重要な人や物が彼にとって美しい最期を迎えることに価値を見出す。世に衝撃を与えることを望んでいる訳ではないが、いずれにせよ危険人物であり、やはりHL最高位の指名手配犯だ。
生かしたまま首を落とし、それを用いて名を高めることを好むデューラー。死によって全てを完成させることを至上とし、名誉欲を持たぬハルバストル。この両者は相反する理念と重複しがちな標的のために犬猿の仲であった。
「しかしコルネリウス、君は何故ここに来た? この場は今回の一件を列席者に知らしめ、欲を煽ることで事態の混乱を招くためのもの。"会議"本来の目的とはかけ離れていることなどわかっていただろうし、君は既に独自の情報を持っている筈だ。時間の無駄だろう」
「そんなこたわかってる。HLが安定してからは、お題目通りに使われた方が少ないからな。だが考え無しのアホ共が、あの議長気取りの臆病者に乗せられて事態がややこしくなる方が面倒だ」
「なっ、貴様、デューラー様に向かって今なんと――」
怒りの声を上げたデューラーの配下を無視して、コルネリウスは集った面々を見渡し口を開く。
「一度しか言わないからよく聞けよ。今回のヤマはドン・アルルエルや、それと同格の爺様方の遊び場だ。小金目的や花火で遊びたいだけの連中は、目ぇ付けられて墓の下に叩き込まれる前に手を引くんだな」
コルネリウスの言葉にざわつく会場。幾人かの者が残念そうに、あるいは時間の無駄だったと憤慨しつつ場を後にしようとする。
「皆様、お待ち下さい! 異界の顔役である方々が此度の一件を知らぬ訳はありませんが、重要視しているかはまた別の話。目的の品を手に入れれば、名を売るにせよ、何処かの勢力に売るにせよ莫大な見返りがあるのです!」
主の目的を台無しにされそうな異界存在はそう叫ぶが、流れが変わることは無かった。もはや潮は変えられぬと悟った異界存在は、失態の原因であるコルネリウスを強く睨む。
「貴様、デューラー様に無礼であるのみならず、妨害までするとは――」
「おいハルバストル。お前も降りろ」
「君は無益なことはしない主義でなかったかね?」
「……ああはいはい、わかったよ。命乞いは聞かないからな」
しかしコルネリウスはその声に見向きもせず、周囲に残る面々との会話を続けている。無視された異界存在の頭からぶちり、と存在しない筈の血管が切れるような音がした。背負っていた剣に、無言で震える手を伸ばす。
「やめておいた方がいいよ」
異界存在の血走った眼が言葉の主へと向けられる。人間に似た形状の見上げる程の巨体を小さな椅子へと器用に収め、身体の各所から捻れた鉄骨、あるいは木に見える何かを生やした異界存在。およそ客へと向けられるものではない視線を受けても、他の招待客同様に意に介した様子は無い。
「君は何か勘違いしているようだが、ここはデューラーの顔色を伺う場ではないし、彼の名に尻込みするような者もいない。彼が勝手に招き入れたシンパでもない限りね。それが名代ともなれば、軽視されるのは当然じゃないか。本来であれば、君には参加資格すら無いのだから」
優しく、子供に諭すような声音で紡がれた辛辣な言葉。それを聞いたボルドイが大声で笑う。
「違ぇねぇ。気に入らないならさっさと抜けばいいってのに、飼い主の名を囀るばかり。ご主人様と同じで度胸の足りない野郎だ。ああ、もしやてめぇの首かわいさに奴の靴を舐めた時、首の代わりにタマを切ってもらったのか?」
それなら仕方ねぇとボルドイが大笑いするに至り、異界存在は剣を引き抜いて駆け出し――――
「静かにしろ」
次の瞬間、コルネリウスが上着の内に生じさせた『門』から取り出したシュラハトシュベールトによって縦に両断された。大剣は標的の体内を通り抜ける際、纏う血をチェーンソーのように波立たせることで内部を蹂躙。デューラーの部下は声を発する間もなく絶命した。
この場に残る内の幾人か。おそらくは大型の異界存在が言及したデューラーの信奉者とやらがざわつく中、ボルドイが席から立ち上がる。
「俺は降りねぇぜ。ちょうど新しい武装が欲しいと思ってたところなんだ。まぁホワイトハウスの連中がお願いしますと土下座でもすりゃあ、売ってやることも考えなくはないがな」
そう言い残して立ち去るボルドイに続き、ハルバストルも会場を後にする。コルネリウスは両者の背を嫌そうな顔で眺めてから、未だ席に着く巨体へと向き直った。
あえてボルドイが便乗するような言葉を選び、デューラーの配下を激高させた異界存在。コルネリウスも時々利用する情報屋のアルキューラは、先程と変わらず窮屈そうに椅子に腰掛け、卓上の料理を外見に似合わぬ上品な所作で口にしている。
「煽るなら自分で始末しろよ」
「君が言うなとも思うけど、別にいいじゃないか。死んでも構わないからこの場に送られたのだし、遅かれ早かれだよ。あと、私はあんなつまらないものに興味は無いね」
自身の卓にある料理を食べ終わったアルキューラは他の卓に向かって歩き出した。コルネリウスはため息をついた後、眼前にある料理へと手を伸ばす。これより急速に進行するであろう事態に備え、十分な腹拵えは必要なことだ。
崩壊した建造物が霧の中から現れ、ふらふらと宙を漂った後にまた霧の中へと消えていく。NYの残滓を魚とする、人類の手を離れた白い海。光や音を規則性無く遮断するそこでは先を見通す事叶わず、時に距離までも歪むために無限にすら思える広がりを見せていた。
『――という訳で、ヴァルハラ・ダイナミクス社によるヴィセラル重工の買収はHL軍事産業の寡占化を更に進めてしまうでしょう。人間種以外に否定的な傾向があると指摘されている同社の躍進は、異界存在の就労事情に悪影響を及ぼしかねません!! そーですねー、グァバラさん?』
『はぁい』
地面の各所に散らばった、向きすらも一定でない道路の欠片。大崩落以降に敷かれたものであろう比較的新しいそれは何があったのか、今や崩したパズルのようだ。その手の分野に長けた者であれば、ピースを頭の中で繋ぎ合わせて本来の行き先を示すことが出来るであろう。だがそれはこの街を甘く見た者が陥る罠であると、コルネリウスは知っている。
ただの超常現象、HLでは自然災害にあたるものだと思考を止めてはいけないのだ。そこに人智を超えた何者かの悪意が介在すること。本来続くべき場所ではなく、生ける者が踏み入るべきではない領域に答えがすり替えられていることなど、霧の奥では日常茶飯事なのだから。
『しかしその反面、VD社の持つ軍事技術の転用は工業用機材、特にヴィセラル社が近頃苦戦していた歪曲次元採掘分野における進歩を促すと専門家は指摘しています。それはHL産鉱物資源市場に活力を与えてくれるでしょう!! そーですねー、グァバラさん?』
『はぁい』
コルネリウスの運転する車両は、途切れ途切れの道の残骸を無視して道なき道を行く。依頼主から得ていた情報を入力することで、ナビゲーションシステムは正常に機能している。コルネリウス程にこの街を熟知していれば補助が無くとも進めるが、あるに越したことはない。
ラジオニュースを聞き流しつつ、コルネリウスは車両に備え付けられた情報端末を操作する。防弾仕様の液晶画面に映されるのは、裏WWWと呼ばれる掲示板サイトのログだ。
世界の日陰について、基本的には匿名で語り合うこの場所。ある程度裏社会に精通した者でなければ閲覧出来ぬよう、様々な関門、もとい嫌がらせが設けられている。それでもガセネタや論理の飛躍が多いのは、単に情報の精度や判断力の問題だけでない。人異関係なく、知恵持つ存在が考えることは似通っているというだけだ。
とはいえ見る者が見れば便利な情報が転がっていることもある。コルネリウスは機械の助けを借りてログに絞り込みをかけ、今回の件に対する反応を探った。
「……誰かが意図的に広げようとした痕跡はあるな。まさかデューラーの部下共が雁首揃えてパソコンに齧りついてたのか?」
首は無いってのに、と言おうとしてやめたコルネリウスは更にログを漁る。情報を拡散しようとした何者かの思惑とは異なり、利用者の反応は鈍い。近頃は比較的精度の高い情報が揃う大事件が続いたためだと、コルネリウスはそう判断する。
秘密諜報機関・人狼局による某国の人造吸血鬼関連とされる施設への工作。厄介な抗争を抱えていなかった筈の強豪暴力団・九頭見会の突然の壊滅。こういった出来事に比べれば、ゴシップ誌が事ある毎に特集を組む政府の工作などノイズに過ぎないのだろう。
だが実際に工作の物証を巡る争いが勃発すれば話は別だ。拡散しようとする者がいる以上、これらの情報は掘り起こされて評価を受ける可能性が高い。そうなれば有象無象が群がり、事態が更に混迷を増すのは明白だ。
コルネリウスにとって唯一の救いは、この一件が現状のまま日向に広まってしまうことを望む者が少ないであろうということ。工作員は動き辛くなり、対テロ警備が厳重になり、裏取引市場も締め上げられるのだ。目的はどうあれ、世間を騒がせるのは目標を確保した後でなければならない。
「ったく、いつものことだが好材料が少なすぎる。そもそも座標からして――」
そこで唐突に言葉を切ったコルネリウスは、前方を睨み付ける。白い霧が広がるのみの、音の無い世界。
「嫌な運試しもあったもんだ。さて、最初の相手は――」
コルネリウスがハンドルの脇にある幾つかのボタンを押すと、ボンネットの一部や車体の脇が開き、機械のアームに支えられた銃火器が姿を現した。同時に響き渡る、大量の銃声。
それはコルネリウスの操る火器が発したものではない。霧の向こうから、突如として現れた人異混じった複数の集団。彼等が構える様々な武器から発せられるものだ。大量のマズルフラッシュを伴うそれは、本来であれば遠方からでも確認出来るはずのもの。奪われたのは音と視界か、それとも距離か。常人であれば驚く暇も無く巻き込まれ、死に至りかねないそれを見てコルネリウスは笑う。
「よし、よし。統一戦線の連中が混じってるじゃあないか!」
コルネリウスの両掌から血が溢れ出し、握ったハンドルを伝ってその中心部にある穴へと注ぎ込まれていく。そこから続くパイプを通して車体の各所に届けられた血はまず車体を覆い、次いで備え付けられた火器。最後にその弾薬をコーティングして、戦闘に耐えうるよう強化した。
「ああ、そうだ。厄ネタにまみれた中でも、こうやって一つ一つプラスを探していくのが、この街を楽しく生き抜く術だったな!」
コルネリウスの叫びと共に、緋色の弾丸が白い世界を切り裂いた。