緋色の羽の忘れ物   作:こころん

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第二十四話

 剣や銃弾を煙が受け止めるという現象は、言うまでも無く物理法則を無視している。とはいえハルバストルの操るそれにも一定のルールはあり、その最たるものが密度、というより量によって効果が変わるというところだ。

 だが機械の身体に溜め込まれた煙の量は圧力など存在しないかの如くであり、周辺一帯を覆って余りある程。そこから生み出される武器や拳を模した攻撃の威力は金属のそれより高く、速度も通常では有り得ぬものだ。剣を打ち合わす時にだけ重量が発生しているのではないか、そう思わざるをえない反則じみた攻撃は止むことがない。

 

 対するコルネリウスとて、反則の度合いで言えば同じようなもの。攻防万能な血を常に武器と全身に纏わせ、ろくな詠唱も無しに数々の魔法を発動させる。技術であると言えばそれまでだが、それは相手とて同じことだ。

 

「千日手だと、そうは思わないかね?」

 

 煙での攻撃に紛れて大経口の拳銃を撃つハルバストルは、厚さ数十ミリの鉄板を悠々と貫通する筈の弾丸を剣で叩き落とすコルネリウスに向けてそう言った。

 

「思わんな! お前の全方位攻撃は厄介だが、堅牢な相手を仕留める際は感知が容易な程に煙を集めなきゃいかん。相手を内部から殺す術は俺には通用しないし、奥の手も把握してる」

 

 後は近付いて叩き切るなり、魔法を撃ち込むなり。ハルバストルに相性の良い攻撃を続ければいいとコルネリウスは笑う。

 

「それとてある程度は防げるし、そも根本的な解決にはならないと知っているだろうに……」

「別にお前を殺せなかろうが、玩具を運べない状態にすればそこで勝ちだ」

「ふむ、相変わらず嫌なところを突く男だ」

 

 困ったものだと、そう言わんばかりにハルバストルは首を振る。やはり表情を読むことは出来ないのだが、押されている事実を気にしていないように取れるその言動。

 コルネリウスはこの敵が勝算も無しに戦いを挑む相手では無いと知っている。何かしらの隠し玉を用いられる前に決着をつけるべき。そう考えた彼が自身の車を相手のそれへとぶつけようとすると、ハルバストルはコートの内より新たな拳銃を取り出し、しかしそれを敵ではなく空へと向けた。

 

「故に、ここは舞台を変えるとしよう」

 

 甲高い音と共に撃ち出された弾丸は輝く軌跡を描き、天高く舞い上がる。込められた弾丸は相手を害するものではなく、曳光弾だ。即ち、誰かに位置を知らせるための手段。

 僅かな後、コルネリウスの優れた聴覚は空を裂く幾つかの音を捉えた。それは力強いエンジンの音であり、ローター・ブレードの回転する音であり、そしてミサイルの推進剤が燃焼する音だ。

 

「重騎兵を撒いたと思えば、今度は航空騎兵たぁなんの冗談だ!?」

 

 地上に激突した無数のミサイルが爆炎を伴う轟音を発し、地面を捲り上げていく。たまらず攻撃を中断して車を操り、回避行動に移るコルネリウス。上空を見上げた彼が見たものは、遠くから急速に近付いてきつつある巨大な飛行船やヘリの数々。科学のみを用いた通常のものから、異界存在と一体化した生物型まで多種多様な航空戦力が展開されている。

 

 ちょっとした軍隊並みの陣触れと、それを構成するのが多数の傭兵チームであることを見て取ったコルネリウスは叫ぶ。

 

「随分と大盤振る舞いじゃねぇか! いくら大作だろうが、"外"に出て直接見れない身でそこまで入れ込んでどうする!」

「それだけの価値はある……と言いたいところだが、生憎と私が雇ったものではない」

 

 ハルバストルは首を振りつつ、彼に向けて降ってきたミサイルを煙で包む。爆炎を煙の内に閉じ込められたミサイルはその役目を終え、残った煙はハルバストルの新たな武器と化した。

 

「あん? じゃあこいつらの雇い主は」

「デューラーではないかね、ほら」

 

 鋼鉄の指が指した先、一際大きな飛行船。その搭乗部の左右や下部のハッチが開き、無数の鉄の塊が飛び出す。それは黒塗りにされた大型バイクや、踏破性に優れた軍用車用だ。搭乗者は全て斬撃のための武器を所持し、頭部と胴体にはそれらを繋ぎ止める鎖を有している。"首無し公"デューラーの麾下であることは間違いなかった。

 

「上空にいたのを、私の煙で惑わせていたのだよ。恐らくは、我々のように手早く事態を終えてしまいそうな面々への妨害用だろう。次善の策として、彼自身が目標を確保し事態の混乱を深めることも出来る訳だ」

 

 主の目的を妨げんとする者の首級を挙げんと、首無しの兵団が二人に迫る。空爆を避け、防ぐために速度を落としたコルネリウス達はそれを迎撃する他無かった。追いついた首無し達は車両、あるいはその上に立つ怨敵を切り刻むため、種々様々な刃を振るう。

 

 彼等の技量は飛び抜けたものでこそないが、高い平均を誇る。先程から降り注ぐミサイルやロケット砲に加え、高度を下げて接近して来たヘリまでもが参戦するのだ。いかなコルネリウスとて防ぎ切れるものではない。血に覆われた車体や銃火器は高い防護性能を持つものの、徐々に傷付けられていく。

 しかし一方のハルバストルの様子は、同じ状況下にあってもコルネリウスとは随分と異なる。コルネリウス自身が先程指摘したように、ハルバストルの車両を包む煙は大半の飛び道具には有利であった。数多の弾丸や爆発物は一度推進力を失ってしまえば後が無いため、衝突の一時だけ煙の密度を変えるなりして簡単に防ぐことが可能なのだ。その性質上、面で守ることにも長けており、爆炎なども通しはしない。振るわれる刃にのみ留意し、時にコルネリウスへのちょっかいすら可能な余裕を作り出している。

 

「どうだね、君とてこの状況は辛かろう。時には妥協が必要だと思うが」

「……言うじゃねぇか。その言葉、忘れるなよ」

 

 挑発を受け、動きが止まったコルネリウスの声が低いものへと変わる。それを隙と見たバイクに跨る首無しが両手斧を振るうが、彼はそれを大剣で叩き斬り、驚愕に硬直する顔を掴んで地面に叩きつけた。哀れな首無しの頭部は、車の速度と大地の硬さであっという間に摩り下ろされる。

 

 放り投げられた首無しならぬ顔無しが他の車両に激突。転倒と爆発によって生まれた新たな煙を吸い上げつつ、ハルバストルは余裕を示すように両手を広げた。掌には先程まで存在しなかった筈の魔法陣が輝いている。

 

「窮地における勝算の無い意地は醜いだけだ。どれ、君の気持ちが傾くよう、もうひと押ししてあげるとしよう」

 

 ハルバストルはコートの裾を翻しつつ横に一回転してから、左手で右腕を掴む。右手も左手も閉じているというのに、そこから放たれる光は尚も眩く、目を背けたくなる程。右腕と右肩からせり出していた円筒はそれまでとは異なり、煙の排出ではなく吸引を始めた。絶え間ない爆炎と爆音にも負けぬ光と吸引音の中、ハルバストルは左手の人差し指を立て、高らかに宣言する。

 

「エアリエルよ、群がる巻雲に乗って走っておくれ」

 

 風、煙、音。最後に光。

 

 異能と魔術により、世界の本来あるべき順序を歪めて射出された鋼鉄の右腕。煙と業風を纏った拳は秒にも満たぬ時間でコルネリウスへと至る。コルネリウスは周囲を取り囲む敵を切り裂く途中であったが、大剣を強引に引き戻し、ワイヤーを巻き付けた左腕をその後ろに添え、血で足と車体を繋いで鋼鉄の拳を受け止める。

 

 衝突により生まれた衝撃波と暴風は、二人の周囲に群がっていた首無し達を切り刻みながら吹き飛ばした。魔術同士、鉄同士がぶつかり合い、生まれた火花と光が周囲を照らす。

 暴力的な眩さの中、ハルバストルが左手を掲げる。その掌にある魔法陣が一際強い輝きを放ってから、役目を終えたかのように唐突に消えた。時を同じくして、右拳から溢れる光も。

 

「――――そして、君の呪いを解こう」

 

 永遠にも思える一瞬は拮抗では終わらなかった。光が消えると同時、右腕が鎧の如く纏っていた風と煙が周囲に解き放たれる。その対価のように力を増した拳がコルネリウスの大剣と左腕を弾き飛ばし、腹部へと突き刺さった。身体はくの字に折れ、血で繋げた足場すら引き剥がして宙に舞う。

 

 力無く落下するコルネリウスを、難を逃れていた首無し達が地上に落ちる前に切り刻まんとする。無数の刃がコルネリウスへと迫り――――

 

 

 

「――夜が遠い事に感謝しろよ」

 

 

 

 振るわれた大剣と、コートの内から放たれた無数のワイヤーや短剣。凶手達はただの肉片と化し、鮮やかな緋色と濁った赤の噴水が周囲を染め上げる。

 コルネリウスは魔術、そして身と大剣に纏う血の位置と量を調節することで、中空での強引な回転を果たす。そして首無しが乗っていた車両群を次々と足場とし、自身の車へと戻ってきた。

 

「……あの程度で死ぬとは思っていなかったが、予想以上に――」

 

 ハルバストルの言葉は響き渡る轟音によって遮られる。それは先程まで雨の如く降り注いでいたミサイルやロケット砲の音ではない。故に音の出処へと振り返った"劇作家"が見たものは、白い空を一時的にでも赤に変える程の爆炎と、炎上し地に落ちていく巨大飛行船の姿であった。

 

 ハルバストルは再度振り返る。一瞬目を離しただけのコルネリウスの周囲には、途轍もない量の精密な魔法陣。鉄の劇作家は戻ってきた右腕を装着しつつ、先程までと同じ声音で一言。

 

「怒りの魔法を投げ捨てる事こそが、幸福への道筋だと思うのだが」

 

 返事は爆炎であった。

 

「――――こら、待ちたまえ! これでは君の車も吹き飛ぶだろう!」

「黙れこの三流作家がぁ!! 吐いた唾ァ飲めねぇぞ!!」

 

 数を把握することすら困難な大量の魔法陣は、記された術式を次々と発動させる。あらゆる理不尽を内包する霧さえも吹き飛ばすような、途轍もない魔力と爆炎が撒き散らされ、周囲はたちまち火の海になった。

 

 地上の首無し達は言うに及ばず、飛行船やヘリといった航空戦力も戦いなど忘れて逃げ惑う。ハルバストルも全ての煙を用い、またコルネリウスによって新たに生み出される煙を取り込んで防御に徹しているが、火力と手数が多過ぎるため明らかに防ぎ切れていない。

 自身の防御が削られる様と周囲の惨状。口の端から流す血を気にも留めず新たな魔法陣を紡ぎ続けるコルネリウスを見て、ハルバストルもついに白旗を上げる。

 

「落ち着け。よし、こうしよう。ここは私も妥協するので――――」

「今更遅いわ! これが最終的な解決だ!」

 

 コルネリウスが今までのそれより更に大きな魔法陣を宙に描いた、その時。

 

「次元刀斬法――――――断空線」

 

 空すらも断つような広大な斬撃が霧と爆炎を切り裂き、コルネリウスの魔法陣とハルバストルの上半身を斬り飛ばした。

 

 

 

 

 

 

 

「本当に我を忘れる訳ないだろうが。仮に車が吹き飛んでも、爆弾の一つや二つ運ぶ手段幾らでもあるんだよ」

「その一点だけで冷静さを主張するには無理がある。我輩はそう思うのだが」

「うるせぇな。その胡散臭い一人称がキャラ付けだって新聞社にバラすぞ」

 

 黒煙を上げつつもなんとか走っている赤い車と、その脇を駆ける鋼鉄の四足獣。といっても後者は生物ではなく移動を補助するための機械であり、頭部にあたる部分に操縦者の足を乗せるための機構が備え付けられている。

 前者のルーフに座り込んでいるのはコルネリウスだ。そして後者を操っているのは黒いタキシードにシルクハット、マントにステッキと物語の中から抜け出してきたような怪盗スタイルの男。ゴシップ誌曰くHLで一番の伊達男、"次元怪盗"ヴェネーノである。

 

 コルネリウスとハルバストルの戦闘、あるいはコルネリウスの暴走に介入したヴェネーノ。彼はその場での戦闘は無益であると判断し、コルネリウス達に同行を申し出た。

 

「やめたまえ。これは世間の側もそれらしい怪盗に期待しているからであり、決して趣味などではないと……」

「何度でも言わせて貰うが、コルネリウス、君はその狭量なところを直した方が良い」

 

 そう、コルネリウス達に、である。

 

「元はと言えばお前のせいだろうがハルバストル。欲出しやがって」

「その点は否定しないがね。しかしあれはあまりにも――――」

 

 コルネリウスの車の上には、横に両断されたハルバストルの身体が乱雑に固定されている。しかし動力が切れたかのように動いておらず、声はコルネリウス達の頭上、正確にはそこに広がる大量の煙から響いていた。

 それは単純な話で、この煙こそがハルバストルの本体なのだ。種類問わず煙を取り込むことで自身を膨張させたり分身を作ることが可能な、気体型よりも概念型に近い異界存在。それが"劇作家"の正体であり、高い不死性を伴う強さだ。一見相性の悪い"機械公"と互角に渡り合える理由でもある。

 

 先行していたがこのままでは争いに巻き込まれると思ったヴェネーノの一撃により、ハルバストルの戦闘用義体は大きな損害を受けた。車も破壊されており、仮に目標を確保しても離脱は難しい。そう判断したハルバストルは、ヴェネーノの介入で多少冷静さを取り戻したコルネリウスと交渉。核を諦めることと少々の協力を見返りに、もう一つの目標を譲ってもらう選択肢を選んだのだ。

 

「――――ここまで話が面倒になったのは、ヴェネーノ、てめえのせいでもあるんだぞ。霧の悪戯に混ぜるようにして、モキートに空間編成仕掛けさせてただろ」

「妨害はしたが、そこまで我輩の責任にされても困る」

 

 主にコルネリウスが突っかかる形で、ああだこうだと言い合いながら一行は進む。後続はコルネリウスの残した炎や、ヴェネーノの協力者であるモキートという魔術士によって進行を阻まれている。そうして生まれた時間的猶予を活かし、ついに三人は目的地へと一番乗りを果たす。

 

 如何に常識を超越したHLの深部と言えど、地上かつ空間が歪んでいなければ、何処に何があるか程度は誰かしらが知っている。基本的にという前置きは付くし、情報の持ち主が行政であるとは限らないが、とにかく最低限のマッピング程度はされている。

 それによれば、この座標では大規模な空間・地殻・物理法則等の変異は確認されたことが無く、謎の存在が目撃されたこともあまり無い。周囲より安全な、移動式の魔術地雷原と廃墟のみが広がっている筈であった。

 

「……城だな」

「成程、あの騎士達はここから出撃していたのだろう」

 

 しかし、三人の眼前に聳えるのは大規模な堀や城壁を備えた、石造りの城塞である。過去の遺物であることは間違いなかろうが、まさか地図の情報提供者も廃墟と城を同一視することはあるまい。異界と繋がっていようと、ここは北米大陸なのだから。

 

 次なる行動を決めかねていた彼等の前で、跳ね橋がゆっくりと降り始める。年季の入っているであろう木製の橋が、澄んだ水を湛える堀としては珍しいそれに道を架けた。次いで城門や門楼の落とし格子が上げられ、内部への道が開かれる。何かしらの妨害がかけられているであろう、外からでは内部が一切伺えぬ城門は、石で造られた生物の口の如き不気味さを発していた。

 

「ふーむ……招待されているようだが?」

「私は戦闘ボディがこれなものでね、君達に任せるのが効率が良いと思うのだが」

「こっちを見るな。一歩も進む気無いだろ、お前ら」

 

 別の意味で醜い先陣争いを繰り広げる三人は前に進もうとはしない。百戦錬磨のHLの札付き達ともなれば、地雷を踏む前に見つけるだけでなく、それが踏んでも良い地雷かどうかもわかるものなのだ。

 そんな彼等に焦れたのだろうか、門の内より鉄の音が響き始める。規則正しい、恐らくは足音であろうそれ。暫し後、城門より一人の鎧騎士が現れ、跳ね橋を渡ってコルネリウス達の前までやって来た。

 コルネリウスの見たところ、騎士の装いは先程まで散々見た騎士達と同系統のもの。違いと言えば、それよりも豪華で身分の高さを示しているところであった。

 

 騎士は優雅かつ丁重に礼をしてから話し始める。

 

「ようこそお越し下さいました。我らカネリアル騎士団の今世の主、"悔恨王"ネストル様がお待ちです」

 

 

 

 

 

 

 

 13王とは太陽である。かつてそう言い表した評論家が居た。

 別にその人物は狂気に陥った訳ではなく、彼等をイカロスに対する太陽のような存在だと言いたかっただけだ。大いなる力を持ち、異界を前にした人類種の頂点かつ希望であり、しかし近付き過ぎればその身を焼かれるのだ、と。

 

 彼等は人間なのか、そうだとして同族の栄光になど興味を持つのか。根拠の無い期待に塗れた乱暴で杜撰な、しかし人間種の覇権が不安視される中で一定の支持を得た説であった。

 だがコルネリウスに言わせれば、一番の間違いは種が云々ではない。太陽は断じて、人を殺す距離まで向こうから近付いては来ないのだ。しかも逃げても追ってくるのだから、質の悪さは筆舌に尽くし難い。原初の鳥人間コンテストで遠回しな自死が成されたのとは訳が違うのであり、断じて同列に語ってはいけないのだ。

 

 謁見の間。そう教えられた部屋の巨大な扉がゆっくりと開いていく中、コルネリウスは現実逃避気味にそんなことを考え続けていた。

 

「こちらへ」

 

 先導する騎士に付いて行くコルネリウスの眼前に、絢爛豪華な空間が広がる。天井を埋める光の結晶の如きシャンデリア、立ち並ぶ金銀で形作られた燭台や鎧、貴重な木材で作られた家具と、その上に並ぶ芸術品じみた調度や宝の数々。どれ一つ取っても十分な財産になるであろうそれらは、しかし見る者にどこか物寂しさを感じさせる。

 理由はそれが一度過ぎ去り、失われた世界だからだ。コルネリウスは室内に居並ぶ無数の高位騎士達を眺めつつ、過去にも幾度か得た感覚を再確認する。

 

 この一日で何度も戦った騎兵達と同じように、彼等は全て亡霊だ。

 肉体を持たぬ訳ではない。物質化も霊体化も可能だ。人の特性を失った訳ではない。生者に可能な事は同じように成せる。不死性まで得た彼等は、むしろ人間の上位存在だ。

 

 それでも、それでも。滅びの気配と、そう言い表すしか無いような奇妙な感覚を見る者に与える。ただのアンデッドや亡霊では持ち得ぬ、色褪せた写真のような何か。そんな彼等と共に蘇った品々もまた、同じ影を持っている。

 

「――やあ、やあ。久し振りじゃあないか。よく来てくれたね」

 

 過ぎ去りし日々の王。それがこの"悔恨王"ネストルである。

 複眼ルーペとでも言うべき無数の拡大鏡で目元を隠した、スリーピーススーツにウェストコートの男が玉座に座って笑う。対するコルネリウスの顔には、早くも疲れの色が見える。13王とはそういうものだ。

 

「来ざるをえない状況にしたんだろうが。理由が無きゃ、俺もあいつらのように帰るわ」

 

 コルネリウスは宝を前にしてあっさりと帰還した怪盗と、殿を務めるなどと言って入城を拒んだ作家を心の中で罵倒しつつ、そう嘆いた。

 

「しかし、君は前進を選んだ訳だ。未来の為に過去を求める……実に素晴らしい! 君がそこまで私の考えを理解し、実行してくれるだなんて!」

「いいから『記憶』返せ。あと核」

 

 コルネリウスがこの場に嫌々ながらやって来た理由はそれである。入城を渋るコルネリウスに対し騎士が告げた、"悔恨王"が彼の『記憶』を持って待つという言葉。

 コルネリウスは13王と関わるぐらいであれば、HLの幾らかが灰燼に帰そうとも、北米に眠る資産が凍結されようとも構わない。最も大事にすべきは命なのだ。使った食器を洗う程度の感覚で世界に大洪水の如き破滅を再来させかねない連中と付き合うのは、明らかにリスクに見合っていない。だがそれでも、こと『記憶』に関してであれば話は別。

 アイデンティティでは済まない何かと『妹』に纏わるそれは、コルネリウスにとって世界の滅亡と向き合ってでも取り戻すべきものであるから。

 

「まぁまぁ、焦りは禁物だ。せっかく来たのだし、互いの近況でも伝え合おうじゃないか。具体的には選挙で何をしたとか!」

「……はいはい、わかってましたよ。この時期はいつもそれだな」

「そうこなくては! HLの、そして世界の未来に纏わる地道ながらも重大な出来事だからね」

 

 ネストルが両手を小気味良く打ち合わすと、コルネリウスの眼前で塵が集まるかのようにして椅子が組み上がる。木材が削れた脚、剥がれた塗装、折れた膝掛け、色褪せた背もたれの刺繍。今にも崩れてしまいそうな頼りないそれが、ビデオのフィルムを巻き戻すかのようにして修復されていき、瞬く間に立派なアンティークへと蘇った。

 

 コルネリウスはそれに腰掛け、神がかった魔術を詠唱も無しに用いたネストルと向き合う。

 

 世間では"悔恨王"は当代一の死霊術師とされることが多いが、その認識は正確ではない。彼は確かに死霊術を修めているし扱いもするが、その本質はあらゆる存在をあらゆる形で"蘇らせる"ことに特化した男だ。

 そして彼は時や、それを超えた世界そのものに纏わる何かにすら手を掛けている節がある。コルネリウスはかつて三十個以上の肉片に分割した筈の彼が、次の瞬間には再生の気配なく元通りになっていた経験からそう考えていた。

 

「今回の選挙で擁立したのはこの騎士団だったな。お前に下手に対抗すると、地獄の底から有権者が無限に湧いて出てくるからなぁ」

「ルールから逸脱はしていないさ。それに、この街で意思持つ死者は珍しくない。私の周囲だけを問題視するのはおかしいだろう」

「限度ってもんがあるだろうよ。お前が好き勝手し続けたら、いずれ神の国が定員割れを起こすぞ」

「それはいいことじゃあないか。黙示録で世界が滅ぶというのであれば、私はそれをもう一度再建して見せるよ!」

 

 胸元の懐中時計の針が不規則に回転し、両目に装着された複眼ルーペもどきがガチャガチャと音を鳴らして回る。持ち主の感情を表すかのようにレンズが明るい色に変わったり、明滅を繰り返すのを眺めつつ、コルネリウスはため息をついた。

 

 コルネリウスは彼を――他の13王もいくらかはそうだが――HL成立以前から知っている。そのコルネリウスからすれば、ネストルの言葉は大言壮語でもなんでもない。

 火山の噴火で一夜にして滅びた街を一晩で住人ごと蘇らせ、戦場で無念の最期を遂げた将をその軍団ごと現世へ呼び戻し、空想だとされていた失われた土地を追憶の彼方から呼び戻す。HLが生まれなければ、彼もまた他の13王のように人界を滅ぼすか、決定的に変質させていたことは間違いないのだ。

 

「世界は日々、より良い方向へと変わっている。そこに途切れてしまった技術や価値観、滅びを経験した者達の記憶、そして過去には届かなかった声を加えれば、未来は更に素晴らしいものとなる」

「劣っていたり、無用だから消えたものも多いだろうが。隔絶し過ぎて拒絶反応起こしてるぞ」

 

 太古の聖人を実際に擁立して宗教改革を掲げる騎士団が、神が同祖であったことから同盟を組んだ部族のシャーマン・騎馬民族連合と相争う。そこに都市ギルド連合から支援を受けた武士団が横殴りをかけ、戦場を眺めるギリシア式民会がああだこうだと言い合ってる横でシルクロード商人が屋台を開く。そしてそれら全てが最新の魔術だの、HL由来の科学兵器だのを扱っているのが"悔恨王"の周囲における日常だ。

 

「それはそうさ、前提が大きく違う彼等がすぐに答えを導き出せる筈がない。好きなだけ意見をぶつけ合えばいいんだよ。なぁに大丈夫さ、何度死んだって、私がいる」

 

 ネストルは手を広げる。

 

「この街で生きていれば、彼等もいずれ世界について考える時が来る。そして敵対的・消極的にでも共存し、世界を回すための良き方策を生み出すよ。そうして過去の失敗をやり直すのさ。そう、未来のために!」

「……お前の未来志向は後ろを、過去を見過ぎだ」

 

 過去の彼等はああすればよかったのではないか。この事件はより良い結末を選べたのではないか。あの災害さえ無ければ。ここで病を得なければ。こうなれば、ああなれば、あれさえ……

 

 今がどう乱れようとも、未来のために、過去をやり直そう。彼は常にそうだ。故に"悔恨"。時に埋もれたあらゆる存在を掘り起こす、逆廻しの時計の王。

 

 後ろ向きのまま全力疾走を続ける稀代の狂人が立ち上がる。彼が手を打ち鳴らすと、彼とコルネリウスの間にあった床が伸びるようにして部屋が拡張された。それを見たコルネリウスも無言で椅子から立ち上がり、『門』から大剣を取り出す。

 

「お前の相手ではなく、騎士団最強の称号を持った騎士と一騎打ちをすればいいって条件に変わりは無いな?」

「勿論だとも! 私は"絶望"と違って嘘はつかないからね! 今回の余興とて、"こちら"で彼がやんちゃをする代わりなのだから。こうすることで、あれもきっと良い未来へと繋がるさ!」

「また訳のわからんことを。あの出歯亀が何か……いや、いい。どうせろくな事じゃない」

 

 剣を構えるコルネリウスの前に、同じく獲物を構えた騎士が歩いて来る。装いこそ豪奢であるが、魔術を用いる者にとって見た目と実用性は別物。また身の運びや纏う気配は戦場を渡り歩いた者のそれであり、一目見て尋常ではない遣い手だとわかる。

 

「初代"カーネリアン"ジャン・ド・ジェクス。いざ、尋常に……」

「おい待て、なんだその後ろの連中は」

 

 ただし、その背後には部屋に控えていた大量の騎士全てが列を作っていた。

 

「一騎打ちだよな」

「然り。我らが主の言葉に偽りはありませぬ」

「おいネストル」

「うん?」

 

 "悔恨王"は首を傾げ、ややあって手をぽんと打ち鳴らす。

 

「ああ、"カーネリアン"との一騎打ちだね。彼は初代カーネリアンの――」

「それは知ってる。……ん? おい、まさか」

「騎士団を"全て"蘇らせたからね。歴代の称号保有者が勢揃いさ! みんな君の活躍を見て直接戦いたいって言うけど、一人だけってのも悪いし。大丈夫、彼等は誇り高いから一騎打ちの形式は守るし、休憩もあるよ」

 

 悪意のない笑みを浮かべながらネストルはそう言い、胸元から光沢のある黒い正二十面体――コルネリウスの『記憶』を取り出した。それを高々と掲げつつ、彼は宣言する。

 

「今日の選択を昨日の最善とし、明日の運命としよう! 我が友コルネリウス君、未来のために過去を掴むのだッ!!!!」

「こんのクソ野郎がぁ!!!!」

 

 コルネリウスが自宅に帰ったのは、これより七十二時間後のことであったという。

 

 




諸々の都合で一人出番が無くなったのがいますが、これは閑話に突っ込みます。

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