緋色の羽の忘れ物   作:こころん

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この章はリハビリがてら短編集です。


第九章 応接不暇
第二十五話


「――なんだテメェ! 俺の言うことが信じられねぇってか!」

「いやそういうことじゃなくてすね……」

 

 ある昼下がりのこと。片腕にパン屋の紙袋を抱えて歩いていたコルネリウスは、聞こえてきた言い争う声の片方に聞き覚えがあると気付いて足を止めた。

 声の出処は彼がいる大通りから一本脇に入った、アパートの多い地区。立ち並ぶ集合住宅の中では随分と小奇麗な一棟の前で、小柄な黒髪の少年が困ったように頭をかいている。

 

「これだから背高の連中は駄目なんだ。おい、お前もそんな奴にひっついてねぇでこっち来い!」

「ええ!? いや、その……気持ちはありがたいけど、僕はレオ君と見て回るからいいよ」

 

 が、声は二人、どころか三人分あるというのに姿は一人。少年の様子を見るに通信機器の類を用いている訳でもない。コルネリウスは首を捻りながら近付き、後数歩の距離に至ってようやく事態を把握した。

 

「なんだってぇ!? オメェ、俺達と同じ癖に背高に媚びるってのか! そいつらにオメェが満足できる家なんて探せる筈がねぇだろ!」

「いやいや、俺はあくまで足代わりで、決めるのはリールさんすよ?」

 

 三人の内、二人は小さいのだ。小柄を通り越した、数センチサイズの小型種族。片方は少年の肩に取り付けられた、小さな板と玩具の椅子を組み合わせた足場の上で困ったように。もう片方はアパートの周囲だけ敷かれたレンガの歩道の上で、超小型カプセルの射出機を片手に気炎を上げている。

 

「……そうか! わかった、オメェその背高に脅されてるんだな! くそっ、気付けなくてすまねぇ。だがそうとわかったからにゃあ待ってろ、今俺がこの防犯用濃縮ヒドラ毒で……」

「なにその飛躍!? というか、それ正式には過剰防犯用にカテゴリされてる規制逃れ兵器ですよね。撃たれたら俺死にますから!!」

「簡単に死ぬ死ぬ言う奴の死ぬは信用ならねぇんだ、死ね! 喰らえ、必殺――」

 

 相手が本気だと悟り、慌てて逃げ出そうとする少年と、その背に向けて躊躇いなく引き金を引く異界存在。コルネリウスは地を蹴り、その合間に入り込むと、自身に命中する軌道で射出されたカプセルを血を纏った手で掴み、握り潰した。

 掌から歩道に零れ落ちた毒液が、音と煙を立てながらレンガを溶かす。その物騒な音に恐る恐る振り向いた少年――レオナルド・ウォッチは見知った顔に驚いたような反応を返す。

 

「あれっ、コルネリウスさん……?」

「おう、久々だな、レオ。相変わらずというか、苦労してるようじゃあないか」

 

 

 

 

 

 

 

「成程、小さくなった友人の新居探しねぇ……」

「はい。もういくつか回ったんすけど、さっき寄った店でここが良いって紹介されて」

 

 アパートの入り口――二つ用意された内、通常サイズのそれをくぐった先にあるちょっとしたエントランスで、コルネリウスはレオから事情を聞いていた。

 あのままレオナルド達を放置するのは危険であったし、何よりコルネリウスが暇なのだ。

 

 レオナルド曰く、詳細は省くが準人型種から小型種へと変異してしまった友人。言うまでもなく従来の生活を続けることは難しいため、新しい住居、そして職場を探していた。

 だがレオナルドの友人であるリール――コルネリウスの視線の先、階段やエレベーターの造りを確認している彼は、あくまで変異しただけであり、生来の小型種ではない。故にそれらを探すためのコツや手がかりといったものを持たず、状況は芳しくないのだとレオナルドは言う。

 

 リールにとっての唯一の救いは、小型化に伴い食費や光熱費といった出費が大幅に削減されたため、強制的に失職した現状でも暫くは生活に余裕があることぐらいだろう。

 もっとも、心配したレオナルドが付き添わないといけないことからもわかるように、あくまで金銭的には、であるが。

 

「お前の職場に相談してみたりは?」

「あー、その……ちょっと言い出し辛くて。ほら、クラウスさんなんか、忙しいのに時間割いてくれちゃうだろうし。あとは、まぁ、他にもリールさん自身が遠慮したり色々と……」

「うーむ……確かに、お悩み相談所って訳でもないか」

 

 コルネリウスはパンの入った紙袋を『門』に放り込み、腕を組む。

 

 レオナルドの職場、もとい彼が所属する秘密結社・ライブラはこの街に深く通じている組織だ。本来の職務でないとはいえ、こういった件においても何かしら有用な情報を抱えているであろう彼等。その力を借りることが出来ないというのは、レオナルドにとって痛手であろう。

 

 同時に、この隠し事に向いていない少年が言葉を濁したであろう部分。それがリールの事情、及びライブラの職務に関わることではないかとコルネリウスは思ったが、言及することはしなかった。

 コルネリウスにとって、自身に関係の無い、既に終わったであろう世界滅亡の危機など、わざわざ掘り返してまで知りたいものではない。

 

「しかしお前も仕事があるだろうに、付き合いが良いな」

「やー、その……友達なもんで。それに、リールさん割とここ気に入ってるみたいなんですよ。だから解決しない問題って訳でもなさそうですし」

 

 レオナルドからこのアパートに関する資料を受け取ったコルネリウスはそれを捲りつつ頷く。

 

「ああ、確かにここは小型種にとって好条件が揃ってそうだな」

「――――ああん!? それは聞き捨てならねぇぞ、背高!!」

 

 が、そこに怒り混じりの異を唱える声。

 コルネリウスは声の主、リールの横にいた小型種へと視線を向ける。

 

 小さな肩を怒らせた、リスと犬の合いの子のような小型種。名をナッツルといい、先程レオナルドに食って掛かっていた男だ。そしてこのアパートの住人でもあるという。

 

 彼は経緯はどうあれ今は同じ小型種の誼だと、リールにこのアパートについての――やけに否定的な――説明をしている最中であった。そんな身としては、コルネリウスの発言は見逃せなかったのであろう。

 

「コルネリウス、だ。何度も言わせるな」

「知ったことかよ! 今大事なのは、この詐欺アパートを褒めるてめぇの言動だ! やっぱり背高の連中は信用ならねぇ! ああ、そうだ、そうだ!」

 

 見た目はともかくとして、両手を上げ、地団駄を踏むナッツルの怒りは凄まじい。しかもコルネリウス達を事ある毎に悪意ある大型種だとなじり、自身のその発言で怒りを再生産する無限ループだ。会話相手としてはかなり難儀な性格である。

 

 リールに対して良い家を探すのに付き合うと言い、彼自身が足で調べた様々な候補地を教えているあたり、悪い異界存在ではないのだろう。が、今の発言からもわかるように、自身より大型の種に対する敵愾心が強すぎるのだ。

 

「詐欺って……そんな風には見えないけど、なんかあるんですか? それにナッツルさん、ここに二年ぐらい住んでるって言ってましたよね」

「チビの発言は信じられねぇってか! いいか、詐欺は詐欺なんだ!」

 

 疑問を挟んだレオナルドに再度怒りを爆発させるナッツル。見かねたリールが間に入り、両手でナッツルを抑えるようなジェスチャーをする。

 この小さなレオナルドの友人は、コルネリウスから見てどうにも弱気、かつ人が良い。ナッツルが単なる悪意の塊であれば別であったやもしれないが、怒りに隠されがちな優しさにも気付いてしまって突き放せず、親友との板挟みで苦労している様子であった。

 

「まぁまぁ、ナッツル君。それについて教えてもらってもいいかな……?」

「う、お……ああ、リールか。そうだったな、大事なことを伝え忘れててすまねぇぜ」

 

 ひとまず落ち着いたナッツルが、自身の横にある階段、正確にはその両脇に取り付けられた機構を指差す。

 それは一見すると、車椅子や大型の荷を運ぶための階段用昇降機――をかなり小さくしたものだ。ボタン一つで屋根や壁が展開・収納可能なタイプで、荷運びと移動で使い分けられるようになっている。

 

「まずこれだ。これは俺達用の昇降機だが、こんな位置にあっちゃ背高の酔っ払い共に何されるかわかったもんじゃねぇだろ!」

「もしかしてそういう事故があったんすか?」

 

 レオナルドの疑問に対し、ナッツルは首を振る。

 

「起きそうになったことはあるが、意外と頑丈に出来てて安全だったな」

「……リスクがあるってのはわかりましたけど、なら問題無いんじゃ?」

「いいわけあるか! そもそも俺達専用の階段ならあんな事は起きねぇんだ。ここは俺達に快適な暮らしをどうたらとかアピールしてる癖に、実態は背高共のおまけとして見てやがる!」

 

 何かを思い出したのか、虚空に向けて拳を振るうナッツル。コルネリウスはそんな彼を見て、その事故の被害者は彼なのではと思いつつ口を挟む。

 

「だが専用の昇降機が付いてる物件はかなり珍しい方だろう。しかも頑丈、かつこの家賃ともなれば破格だと思うが」

「あ、確かに。実は僕のアパートにもリールさん達みたいな人住んでますけど、いつも自前の移動補助機械使ってますよ」

「うーん、僕もこれ十分便利だと思うけどなぁ。複数あるから順番待ちってのも無さそうだし」

 

 相次ぐ反対意見、特にリールのそれにショックを受けたのか、ナッツルはよろける。

 

「な、だ、騙されちゃなんねぇぞ! これは問題の本質を誤魔化す背高共の陰謀だ! ……よし、他にもまやかしがあるってのを見せてやらぁ。付いてこい!」

 

 

 

 

 

 

 

「次はここだ! 見ろ、この所狭しと詰め込まれた俺達の部屋を。まるでゲットーだ!」

 

 煽動者のように大げさな身振り手振りで背後を示すナッツル。

 

 彼等が立つのはアパートの一室だが、その部屋には本来あるはずの扉が無かった。そして室内には無数の棚が鎮座している。

 

 多くの仕切りと小さな扉を擁するため、コインロッカーにも見えるその棚。正体は小型種用の部屋を並べた特殊住居であり、棚の一つ一つが別のアパートのようなものだ。

 渡り通路や階段はしっかりと用意されているし、屋上にあたる部分には公園や屋台まで見受けられ、小型種達が憩いの時間を過ごしている。小部屋の幾つかは住居ではなくロビーや自然区画、テナントとしても使われているようで、中には普通の人間が買い物をしている姿まであった。

 

 アパートの中に無数のアパート、どころか小さな街があるかの如き光景。レオナルドは思わず感嘆の息を漏らす。

 

「うわ……なんというか、こういうのロマンありますよね。僕、妹に付き合わされて人形遊びしてた時、ミニチュアの家とかデザイン凝ってて地味に好きだったんすよ」

「店に公園に、ありゃ保育園か。大したもんだな」

「これは凄いね……ここなら多少の物は外に出なくても揃いそうだよ」

 

 三者三様の賞賛の言葉。ナッツルはやはり納得がいかないようで、駄々っ子のように両手を振って講義する。

 

「こらこらこらぁ! 見るべきところはそこじゃねぇだろ! ここは背高共にとっては一部屋だってのに、俺達は寿司詰めにされてるんだぞ!」

「いや、でも……住人の皆さんに不満無さそうっすよ?」

「それが背高の陰謀だって言ってるんだこのデカチビ!」

 

 ナッツルは憤って続ける。

 

「いいか? 一部屋に詰め込まれてる上、家賃は背高共より幾らか安い……条件が最大限整っても半額程度だ。提供されてるスペースは背高用の一割もねぇってのにだぞ!? これが詐欺じゃなくて何だ!」

「え、そうなんすか? それは確かに……うーん、でもなんか納得しちゃいけないような……」

「おう、お前の考えが正しいから安心しろ」

 

 腕を組んで考え込むレオナルド。コルネリウスはその肩に手を置く。

 

「広さに見合った価格で提供しろってのは、正論ではあるが現実を見てなくてな」

 

 コルネリウス曰く、この問題はHL成立以降何度か問題となり、様々な議論を経て現状の形に落ち着きつつあるのだという。

 

 まず家賃についてだが、小型種用の部屋をサイズに合わせた値段にするのは、多くの家主にとってメリットが無いのだ。むしろデメリットが多いとすら言える。

 

 というのも仮にそうした場合、平均的なサイズの種族一体に貸すのと同程度の利益を上げるためには、何十体もの小型種を入居させる必要がある。それだけの店子が集まるかはわからない。

 また、管理上の問題もある。如何に保険だの保証だのといった単語に縁の薄いHLとはいえ、家主が店子に対して一切の責任を負わなくていい住居は――外縁部の中でも比較的まとも区域に限っては――あまり無い。まともな物件ほど、スペースあたりの店子が増えれば、家主のリスクも増えるのだ。

 

「こんなんじゃあ、小型種用の部屋なんて同族ぐらいしか用意せんだろ。それどころか、商売人なら小型種の家主ですら別種用の部屋用意するぞ」

「はー、そう言われると……」

「僕が今住んでる家、小さくなってから広過ぎて不便なんだよねぇ……小型種用の部屋が無くなるのは困るよ」

 

 リールのしみじみとした呟きに対し、コルネリウスは頷く。

 

「小型種に対する他種からの不満も意外と馬鹿に出来んからな。小型種の権力者達も、家賃に関しては共生する上で譲歩するべき部分だと扱ってる」

「あ、それ何かで読んだことあります。HLだと小型種の仕事は十分にあるし給料も他と変わらないけど、出費が段違いに少ないから事実上の格差だとかなんとか……」

「そういうところだな。不当な待遇を受けてる小型種がいたり、種族用のサービスに乏しい面があるってのも確かだが、全体的にはバランスが取れている方だ」

 

 汚染種族なんかは本当に共生が難しいからな、とコルネリウスは付け加える。大抵の種族が生存可能な環境が害になる、或いは生命活動が他種に害を及ぼす種族もHLには多いのだ。

 

「だが下ばかり見たらキリがねぇだろ! 俺達の問題が存在することは事実だぞ!」

 

 ナッツルの叫びに対し、コルネリウスはつまらなそうに答える。

 

「であれば近しい種だけで固まるんだな。42番街よりかは安く出来るだろうさ。効率の良いテロ目標だのにされるだの、この街にはお馴染みの超常事故だので、区画毎消し飛ぶリスクを許容すればだが」

 

 貴族用の隔離居住区だと揶揄される人間種専用の区画。膨大なコストをかけてなお、安全性が保証しきれない出来損ないの揺り籠を例に挙げ、コルネリウスは皮肉げに笑う。

 

「ぐ、ぬ、ぬうううぅ……」

「ナッツル君、君の不満もわかるけど、ここはいいところじゃないかな……」

「い、いや、駄目だ! 騙されるなリール。そう、他にも問題はある!」

「おう、言ってみろ言ってみろ」

 

 ナッツルの挙げるこのアパートへの不満に対し、コルネリウスは詰まる事無く答えていく。

 

 問うて曰く。アパート前の歩道が私道に関わらずレンガ敷きなのは、僅かな段差も辛い小型種への配慮が足りない。景観に拘る人間への阿りではないのか。

 答えて曰く。コンクリートの道は平時こそ平らだが、修理時には小型種にとって底なし沼に等しく大きな危険となる。そしてHLにおいて、その機会は多過ぎるのだ。

 

 問うて曰く。他の部屋にはある、外へと繋がる窓が無いのは格差ではないのか。

 答えて曰く。積み木の如し粗雑な物件が多いHLにおいて、窓が無いことは珍しくない。またこのアパートにおいては、僅かながらも外気に通じる窓の有無で割引が成されている。

 

 問うて曰く。他種の部屋に比べて配管・配電に関するメンテナンスが多く、委任しない場合対応に時間が取られる。大型種用の住居に小型種用の区域を作ったせいで、点検等の無用の手間が増えているのではないか。

 答えて曰く。統一こそされていないが、この街のインフラにおける平均的な規格は小型種のそれとは異なる。仮に小型種専用の住居であっても、それらを全て自前で用意しない限り、大元との規格の差異から点検は多い。そしてその点検を、平均的な家賃で疎かにしない物件は少ないのだ。

 

 問うて曰く。隣人の飼っている猫が優しいけど怖い。

 答えて曰く。ペット禁止の家に越すか、愛情表現なので慣れろ。

 

「コルネリウスさん、やけに詳しいっすね」

「部下……社員には小型種もいるからな。生活に不便が無いか調べ、支援した経験はある」

 

 コルネリウスはレオナルドに対し、そう表向きの理由を告げる。実際には、重要な仕事を任せる人材の生活環境を監査、もとい必要に応じた改善を提供するのは、情報の強奪手段が豊富なHLにおける転ばぬ先の杖というだけだが。

 

「――で、まだ何かあるか?」

「ぐ、ぐぬぬぬ……」

 

 コルネリウスは随分と弱ってきた様子のナッツルへと視線を戻す。コルネリウスの回答には強引な部分も多々あるが、それらは現実において小型種の権力者層が妥協を決めた部分ばかりだ。

 

 その譲歩が生まれるまで、陰に陽に無数の犠牲が払われている。故にナッツルのような不満の声は途切れることこそ無いが、現実を知る共同体の中核で支持を得るまでには至らない。

 

 そしてそういった部分で強硬な主張を続けぬあたり、ナッツルはある程度現実を悟ってはいるのだろう。コルネリウスはそう感じると同時に、少々の疑問を抱く。

 

「……眼がガラス玉って訳でもないのに、このアパートに文句が出てくるあたり、お前もしかしてHLでここ以外の家に住んだ経験無いんじゃないのか」

「なっ……ちっ、ちげぇし! 他は最低限度の条件すら揃ってなかっただけだし!」

「………………」

「やめろ! 実家住まいの頃、母ちゃんが向けてきたような目で見るな!」

 

 何かしらの心の傷を刺激されたのか、頭を抱えて悶えるナッツル。コルネリウスはそんな彼に慈悲をくれてやりつつ、いつの間にか住民と雑談をしていたレオナルドとリールに声を掛ける。

 

「まぁ、ここでいいんじゃないのか?」

「あっ、はい。僕もそう思いますけど……リールさん、どうすか? あ、決めるのは他回ってからでもいいですから遠慮しないでくださいね」

 

 レオナルドの気遣いに対し、リールは礼を言ってから答える。

 

「ここにするよ。僕の身体の弱さも考えると、安全な範囲にお店が多いのは魅力だし」

 

 現在のサイズを鑑みても細すぎる四肢を指差してそう言ったリールは、未だに悶ているナッツルへと向き直る。

 

「ナッツル君も色々とありがとう。この身体で注意すべきことが色々とわかったよ。これからはご近所さんとして宜しくね」

「ううう、早く一人暮らしを……はっ!? お、おう。まぁお前が決めたってんなら、もう文句は…………」

 

 ナッツルはそこで言葉を切ると、首を大きく振って目を見開く。

 

「いや、諦めちゃあ駄目だ!」

「懲りない奴だな」

「あのガッツだけは見習いたいかもしれない」

「……不動産屋さんに電話しようかな」

 

 面倒な相手から街頭パフォーマー程度の扱いにランクアップされたナッツルは手を広げる。

 

「俺達には、ゴスモーン・ハイツのような種族のことを考えて作られた住居が必要なんだ!」

「あの種族専用高級マンション街か。でも運営は小型種じゃねぇし、べらぼうに高いぞ?」

「そう、そこだ!」

 

 我が意を得たりとばかりにナッツルはコルネリウスを指差す。やり込められたのが効いたのか、そこに先程までの敵意のようなものは感じない。代わりに少々の狂気が混じってはいるが。

 

「俺達小型種の希望の星! 大富豪モスール・ザウザーンなら、小型種の理想郷を作ってくれるはずなんだ! ザウザーンは近頃、住宅問題に熱心だと雑誌で読んだ! これはいずれ、苦しむ俺達をここから連れ出し、新天地へと誘ってくれるという意味に違いない!」

「海を割って、ってか。壮大な夢だなぁ」

「これもう現状への不満って言うより趣味なんじゃないすか? オカルト雑誌的な」

 

 現実に足りない理由を補うため、ついには大宇宙の意思だのを語り始めたナッツル。目の焦点が合わなくなってきた彼を止めたのは、街角で行われるカルト宗教の演説を眺めている気分のコルネリウス達でも、その横で淡々と電話をかけているリールでもなかった。

 

「おやおや、ナッツル君。君が小型種以外の友達を連れてくるのは珍しいねぇ」

「畏れよ、審判の日は近い――はっ!? ち、違うぞ爺さん。こいつらはダチなんかじゃ……」

「ほっほ、よきかな、よきかな」

 

 品の良い服装だが、手足の生えた毛玉にしか見えない小型種の老人。その老人に自らの反論を軽く流されたナッツルは、しかし声を荒げることはしない。

 

「ぐぬぬ……爺さんはいつもこうだからな。まぁいいや、何か用かい」

「用が無くても話をしたいのが老人というもんじゃよ……というのは冗談として、この前ナッツル君から頼まれていたものが手に入ったよ」

 

 老人が取り出した数枚のチケットらしきものを見て、ナッツルは目を輝かせる。

 

「ほ、本当か!? ありがてぇ……おい、背高! これはなんだと思う!」

 

 コルネリウスは僅かな間老人を見つめ、会釈をしてからナッツルに答える。

 

「ザウザーン商会本社ビルの見学チケットだな。最上層は会長の住居として絢爛豪華な空間が広がってる、とはよく言われるが」

「知ってても言うなよ、俺が寂しいだろ! ……とにかく、背高共を顎で使う俺達の星。その城を見学出来るチケットってことだ!」

 

 ナッツルは老人から丁重に受け取ったチケットを高々と掲げ、

 

「忙しない日々で消耗すると、いつしか熱い理想を忘れちまうんだ。来い、俺が小型種の目指すべき場所を見せてやる!」

「……俺達も行くのか?」

「ち、チケットが丁度人数分あるんだから来てくれたっていいだろ!」

 

 

 

 

 

 

 

 デザインこそやや古臭いが、天高く聳え立つその威容で他を圧倒する巨大なビル。脆弱な種でありながら無数の他種を従える、HL有数の富豪・ザウザーンの本拠地とされる場所だ。

 

 そこから出てきたナッツル達――正確には、彼をリールと共に肩へと乗せたレオナルドと、同じように小型種の老人を肩に乗せたコルネリウス――の空気は、たった一人を除いて和やかなものだった。

 

「いやー、職場見学なんて暇だと思ってたけど、凄かったすね。HLの多種族共生って無理矢理詰め込んだ感も強いですけど、ここのは本当に働く人達のことが考慮されてる感じがしました」

 

 レオナルドが笑いながら言えば、肩のリールが強く頷く。

 

「ビル内の機器、単純に多くの種族が使えるってだけじゃなかったからね。凄い高そうだけど」

「ほっほ。作業の引き継ぎ、情報の共有、異種共同作業まで視野に入れたモデルじゃったのう。多くは商会が開発したものじゃろうし、開発費まで含めれば膨大なコストになるわい」

「うわ、本気なんだなぁ……そうなると、五階で見たあれも特別な機能があったんですかね?」

 

 リールの言葉を老人が補足し、それによって新たな興味が生まれたレオが質問を重ね、会話が止むことはない。

 

「…………ぜ、だ」

 

 しかし、ただ一人。ナッツルだけは虚ろな目で、霧に包まれた空を眺めるのみだ。彼にとっての聖地――聖地であった筈の場所で見た光景は、最後の希望を打ち砕いてしまったのだろう。

 

 ナッツルは目の端に涙を浮かべながら叫び出す。

 

「何故だっ! ザウザーンは背高共に媚びたってのか!?」

 

 コルネリウスはナッツルの悲壮な叫びに対し、肩に乗る老人を一瞥してから答える。

 

「媚びとは違うだろう。あれは正しく多種族の力を纏め、より大きな成果に変えてるだけだ。ザウザーン商会がどうやって拡大したかわかる光景だったと、そう思うが?」

「それは! ……それは、そうかもしれないが。最上層の豪邸だって、実際には接待用の数フロアがあるだけで、会長室すら無かったんだぞ。ザウザーンが本当にここの主なら、せめて彼の居場所ぐらい……」

 

 本人の意思ではないのでは。ナッツルの逃避とも言える反論に対し、コルネリウスが何か言おうとした時、その肩に乗る老人がそっと手を横に出して彼の言葉を遮った。

 コルネリウスがそれを黙って受け入れ、老人とナッツルの距離を縮めるために膝を曲げて腰を落とすと、老人は礼を言ってからゆっくりと話し始める。

 

「ナッツル君や、案内役の子が言っておったじゃろう? 一つの種だけでは乗り越えられぬ壁も、多くの種が合わされば越えていける。それが会長の口癖だと」

「……言ってたけど、そんなのは少年漫画の中でしか通用しないじゃないか」

「儂は理想論とは思わなかったよ。完璧ではないにせよ、ここがそうだ。そしてそんな場所に、一部の種族しか入れないような領域をあえて作る意味はあるかのう」

 

 老人の目は溢れんばかりの優しさを湛えているが、相手が自身の真意を理解していると、そう確信しているような力強さも備えていた。無言のナッツルに対し、老人は続ける。

 

「この街は過酷な場所じゃよ。儂ら脆弱な小さき種だけでなく、力強い大きな種にとっても」

 

 いつ街ごと消えてもおかしくないような危機が無数に漂う霧の中、一つの種だけが覇権を握ることなど不可能だと、老人は笑う。

 

「それを互いが理解出来れば、更に前へと進める。理解せぬ者によって傷付けられるのは世の常じゃが、それはこの街特有の過酷さでいつか消えてゆく。神の如き力を持たぬ限り、HLは紐帯を知らぬ者が生きてゆける世界ではない。理想であっても、打算であっても、必要なことじゃ」

「………………」

 

 思惑はどうあれ、出来ねば死するのみ。残酷であると同時に、選択肢が無い故の優しさをも持つ言葉。

 それを聞いたナッツルは俯いていたが、不意に顔を上げる。

 

「……今からでも、出来るもんかな。背高の奴らに言われてきた事を忘れるのは難しくて、心からって訳じゃないけど」

「出来るよ!」

 

 ナッツルの言葉に応えたのはリールだ。横ではレオナルドも頷いている。

 

「ほら、僕なんか元は人間種サイズだったから、ナッツル君はもう前進してるようなものだし」

「確かにそっすね。……まぁ、僕もリールさんの友達となら、仲良く出来ると思いますし」

「お前ら……くさいこと言いやがって、馬鹿野郎!」

 

 乱暴な言葉とは裏腹に、泣きながらリールとレオナルドの首に抱きつくナッツル。

 

 そんな彼等を眺めるコルネリウスは、立ち上がりながら肩の老人へと話しかける。

 

「流石、この街で大商会を率いるお方の言葉は重みが違いますね」

「またまた。言ってることはありきたりで、彼が本心では気付いていただけじゃよ」

 

 老人は自らの顔、というより毛を撫でつつ

 

「しかし、よくこの無精髭で儂だと気付いたのう。知らぬ限り、同じ種でないと気付かんもんだと思ってたが」

「慣れれば人間種における人種差のようなもの。雑誌で拝見した顔を、頭の中で髭と組み合わせるだけですよ」

 

 あとはアパートからずっと心配そうな顔をして尾行している護衛や、案内役の固まった笑顔。そして都合の良すぎるチケットの枚数とタイミングなどが判断材料だと笑うコルネリウス。老人――モスール・ザウザーンもそれを聞いて笑う。

 

「確かにそうじゃが、彼が小型種以外と普通に会話している機会を逃す訳にはいかんかったからのう。ただあやつらの方は、まだまだ修行と茶目っ気が足りんな」

「仕方ないでしょう。貴方に何かあれば、ザウザーン商会の理想は消し飛んでもおかしくないのだから」

「まぁ、そうじゃな。……それ以外に道など無いというのに、なかなか理解されんわい」

 

 ザウザーンは声のトーンを落として続ける。

 

「この街は、世界は、この三年で後戻りが出来ぬ程の致命的な変異を果たした。だが、そこで生きる者達はこれが確定した世のあり方だと誤解しておる。たかが三年しか経っておらんのに」

「異界存在という乱暴な括りは、ある意味では彼等自身を助けていますからね」

「然り。そこにどれだけの種と思想が内包されているのかを、人間種という新たな隣人がもたらす衝撃と、この街の乱痴気騒ぎが誤魔化してくれていることに気付いておらん」

 

 人間種だけではなく、異界存在達も。

 

 有史以来、これ程無数の種が一堂に会する事は異界でも無かったのだと、老人は言う。そして彼等が今現在共存出来ているのは、全ての存在に等しく降り注ぐ危機のお陰である、とも。

 

「HLがこれだけの領域しか持たなかった事は神に感謝すべきことだ。もし各種族毎の安全な領域が容易に確保出来るようであったなら、彼等の視点は大きく変わっていただろう」

「人界の文化も浸透しきらなかったでしょうし、そも人類が許容しきれたかわからない。まぁ、だからこそ異界の権力者達は"外"へ出る事を禁じている訳ですが」

 

 日々HLで起きる"外"から見れば恐ろしい争いは、慣れれば笑って見ることすら出来るコミカルな性質も持っている。それが、別のものと化していたかもしれないのだ。

 

 事実、『大崩落』直後に起きた争いの幾つかは、今のそれとは異なる様相を呈していた。当時を振り返る二人は、互いがそれを知っていると直感し、ため息をつく。

 

「あんなのはもう二度と御免ですね。早く異種間交流が進むといいのですが」

「そうなるよう、儂は老骨に鞭打つとするさ。いま成されているなし崩し的な共生だけでは、有事に危う過ぎる。懸念すべきは、時じゃろうが……」

「HLという揺り籠は、内外問わずそう簡単には壊せませんよ。……『大崩落』のような、神の御業に二度目が無ければ」

 

 見上げる二人の視線の先には、常日頃と変わらぬ白い空。多くの超常現象を内包しつつも、人界と異界を隔てる壁と言うには頼りない、そんな霧だけが広がっていた。

 

 




長編だと削るようなエピソードを入れたり、出し辛いキャラを登場させる事が出来るのはいいけれど、やはりこれはこれで難しい。

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