緋色の羽の忘れ物   作:こころん

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第二十六話①

 空に拡がる霧の海からはらはらと降り注ぐ白い雨。地に辿り着くと儚く消えてしまうそれは、しかし宙にある内に多種多様な光彩を照り返すことで、街の彩りを一層鮮やかにする。

 

 舞い散る雪の中、コルネリウスはバスを待つ人異混じった列の只中にあった。

 彼が片手で持っている、折りたたんだ新聞。雪に濡れず、しかし字も読めるよう色を薄めた血で包まれたそれの天気予報欄には、人類のものならぬ言語で今週中は同様の空模様が続くと記されていた。

 

「まだ数日は雪か。賑やかになるな」

 

 そう呟いた彼は視線を移し、車道を挟んだ斜向いのスポーツバーを眺める。普段は閉じている折れ戸を全て開き、テレビも道路側に移すことで雪見観戦と洒落込むその店。客は異界存在の割合が多いが、誰も彼も昼間から酒を片手に大はしゃぎだ。

 

 ここ数日HLに降り注ぐ弱い雪は、暖冬により雪という娯楽をお預けされていたHLの住人――主に雪を珍しがる異界存在達――の心を浮つかせて止まない。

 そうなると必然的に事故だの犯罪だのも増えるのがこの街であるが、その程度では怯まないのもまたHLだ。商魂逞しい商売人達は雪よ止むなと空に祈りつつ様々なサービスを繰り出し、まるで十二月のような賑やかさが生まれていた。

 

 コルネリウスがバーの店主が運ぶ大量のウインナーを乗せた大皿に気を引かれていると、右方から爆発音が響いた。

 彼が視線をやれば、そこには横転し炎上するバス。割れた窓からは色とりどりの炎が飛び出しており、その下を車体から這々の体で抜け出した乗客達が頭を守りつつ逃げ惑っている。

 

「………………」

 

 炎の種類や状況から、事故の原因が乗客の誰かが持っていた大火力のパーティー用花火であろうと見抜いたコルネリウス。彼は一瞬だけ目を瞑り、ため息の代わりのように鼻から空気を出すと、バスが来ないとわかって解散しだした列を抜け、近くの消火栓へと歩いていった。

 

 HLにおける消火栓は、道に転がる空き缶と同程度の軽さで勝手に開かれる。彼等は当然のように器具を用いぬため、程度はともあれ破壊という形でだ。

 悩んだ当局は苦肉の策で、水が欲しいならこちらを使えと、消火栓に機材用ではなく一般人用の開閉と修理が容易な口を作ることで対処した。

 

 コルネリウスは持っていた新聞紙をいくらかにばらし、円筒形にしてから血で覆っていく。それらを血で繋ぎ合わせ即席のホースを作ると、消火栓の一般用口を開いてそこに挿し込んだ。新聞の筒を通って勢い良く吐き出された水が炎上を続けるバスに降り注ぎ、火勢を弱めていく。

 

 水の軌道が変わらぬよう新聞を硬質化させたコルネリウスは、ひとまずの対処を終えると消火栓から足早に離れる。いかに強靭な吸血鬼とはいえ、雪の中、凍る寸前まで冷やされた水の近くに突っ立っている趣味は彼にはないのだ。

 

 手を外套のポケットに入れようとした彼がふと横を向けば、その手並みを見たスポーツバーの客が、口笛と拍手でもってコルネリウスを褒め称えている。コルネリウスはぞんざいに手を振り返しつつ、彼等の席に置かれた大皿を再度眺めた。

 中身こそ普段と変わらないのであろうが、雪をイメージする装飾が随所に施されている大皿。クリスマスの飾りの流用なのか微妙に季節外れ感もあるが、未だに湯気の立つウインナーの山が放つ魅力を損なうことはない。

 

「…………なんか食うか」

 

 コルネリウスは自身の店に戻る考えをあっさりと捨て、消防車のサイレンが微かに聞こえ始めた街を、近場にどんな食事処があったかを思い出しつつ歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 "外"の人間には意外に思われることも多いが、HLの飲食店の過半は人間種でも問題なく食べられる料理を供している。

 

 だがそれは人異の食性、あるいは両世界の環境が似通っていたことを意味している訳ではない。

 第一に異の側のとても広い守備範囲が、人間種のそれをカバーしていたから。そして第二に、人界の擁する多種多様な調理法が、極一部の種を除いて調理という概念に乏しい異界存在にとって魅力的であったからだ。

 

 ともあれ、HLにおける人間種の食生活はそう窮屈なものではない。人間種でも食せる異界の食材や、異界由来の技術で品種改良された人界の食材――見た目に少々、難があることも多い――を生理的に受け付けないという者にとっては、また別であるが。

 

「ホルモン焼き、ホルモン焼き食べ放題だよー。何の内蔵かって? さぁ、俺も知らない」

「髑髏ポテトと硬液バターのじゃがバター! 八脚ガゼルのレバーで作ったスープに浸して食べりゃ、にんげ……今じゃご禁制、懐かしのAクラス肉を思い出す味と食感だぜ!」

「こんな寒い日にはポトフっぽいのがいいよー。今日は鬼角人参いいの入ってるよー」

 

 雪だというのに――HLでは雪だからこそ、であるが、店の外にテーブルや屋台を出して客を掴もうと熱気溢れる大通り。ここは特筆するほど飲食店が多い通りではないというのに、今は何かしらのイベントでも開かれているような状態だ。

 

 呼び込みの声で騒がしい中、コルネリウスは多種多様な料理を横目で見つつも、止まることなく歩き続ける。彼には既に目的とする場所があり、余程良い選択肢を見つけることがない限り気が移ることは無い。

 

 そうして彼が辿り着いたのは、銀行前のちょっとした広場のような場所で開催されている、主にEU圏のリカーフェスタだ。

 

 銀行の向かいや左右というのはHLにおける危険地帯の一つであり、関連組織による管理が成されない場合は空きビルや空き地になることが多かった。この銀行はHLでは少数派の、海外への送金が可能な銀行のため、大金が動きやすく尚更だ。

 実際に銀行の左右は関連企業。そして広場の左右までも借り手が少なかったようで、片方は空きビルとなり、もう片方は胡散臭い弱小政治団体の根城となっている。屋上に繋いだ気球から勇ましい言葉を綴った垂れ幕を掲げているせいで、空を見上げると実に景観が悪かった。

 

 とはいえ、人が集まる場所であることに変わりはない。そこに目をつけてこの手のイベントが開催されることが多々あった。

 このリカーフェスタも今回が初めての開催ではなく、コルネリウスは過去に訪れた際に料理・酒共にそれなりの評価を付けている。数日前に開催の知らせを受け取っていたこともあり、本日の昼飯と相成った訳だ。

 

 漂ってくる様々な料理の匂いが、コルネリウスの食欲を刺激する。自然と足早になった彼だが、テーブルへと向かう途中で見知った顔を見つけ、方向を転換した。

 

「ようレナート、百年定期でも入れてきたのか」

「ここの定期預金は種族の寿命差が問題で新規受け入れ停止中だ。知っているだろう」

 

 コルネリウスの軽口に対し、仏頂面で応えるレナート・カザロフ。時々コルネリウスと仕事を共にする人間種の銃器使いは、眼前で開催されるフェスタとコルネリウスの顔を交互に見て頷く。

 

「成程。お前らしいが、店はどうした」

「今日は休みだよ、さっき決めた。お前もどうだ?」

「ふむ……」

 

 レナートは少しだけ考えてから

 

「祖国の品があるならば考慮しよう」

「あー、確かあったな。運営母体的にも無いってこたないさ」

「わかった。ならば付き合うとするか」

 

 数が揃わなかったのか、破損を考慮してか。木製の丸机とプラスチックの椅子という、いまいちしっくりこない組み合わせの席が並ぶ広場で二人は空きを探す。

 雪が降る前からの開催であったためか、即席で設けられたらしき屋根は会場の数割しか覆えていない。調理場は煙の多い焼き物の場以外は殆どカバー出来ていたが、客席は木製の床が敷かれた部分のみで全体の三、四割といったところ。必然的に、それらの好立地は客で埋まっていた。

 

「雪中の食事には慣れているが、どうだ」

 

 レナートの言葉に対し、コルネリウスは首を横に振る。

 

「それも乙なもんだが、今日の気分とは違うな」

 

 そう言って外套の内、そこに生成した『門』へと手を差し入れるコルネリウス。短いワイヤーロープを四本取り出して血で覆うと、銛のように尖らせた片側を地へと突き立てた。それらを支柱とし、切り開いた数枚のビニール袋を血で接合・硬質化させ、くの字型に組み合わせれば即席の屋根の完成である。

 材料こそ貧相であるが、血で包まれたビニール袋は薄い磨りガラスのような外見と性質を有している。強度の方も申し分なく、十分実用に耐えうるものだ。

 

 レナートは感心半分、呆れ半分といった様子で

 

「器用なものだな」

「突然のレジャーから野戦築城まで。鍛えれば用途が広いのがヘルメス流の売りだ」

 

 コルネリウスは余ったビニール袋を『門』へと戻しつつ自慢し、席に着いてメニューを手に取った。分厚い紙束には様々な国・地域の酒類と、それらに合わせる肴が記されている。

 

「屋根も出来たことだし、さっさと何か頼もう。凍えちまう」

「ラガーのページを開いてか。余裕だな」

「ホットエールは後でいいんだよ」

 

 

 

 

 

 

 

「最近ワイナーズLLCがエンゼル・ヘア……ゴッサマーでもケセランパサランでもいいが、あれに多額の懸賞金を懸けただろ? その影響で幻想生物の捕獲本が売れに売れてな」

「その手の書籍の殆どは著者の空想だろう。実在する生物の情報であっても、真偽の怪しいものばかりだったと記憶しているが」

「素人にゃわからんってのもあるが、雪中で騒ぐにゃ恰好のイベントだからな。ほら」

 

 骨付き豚のローストと白ビールを楽しみつつ、コルネリウスが目線で示した先。幾人かの異界存在が虫取り網を持って走り回り、空から降り注ぐ雪を捕まえて中を確認しては、これは違うと笑い合っている。

 

「……確かに伝承では毛玉や粉雪のような姿とあるが。理解に苦しむな」

「楽しけりゃ良いんだよ。ただ今までと違って、雪から歌声のようなものが聞こえたとか、それっぽい噂があるみたいだが」

「大方、薬物中毒者の戯言か、ワイナーズの仕込みだろう。可能性自体は否定しないが、あまりに時期が噛み合い過ぎている」

 

 異界存在達の内、一人がふらふらと車道に出て車に跳ね飛ばされた。仲間たちはそれを笑って煽り立てている。そんな光景を呆れた目で見ていたレナートは豚の脂身の塩漬けを齧り、蒸留酒を喉に流し込む。

 

「まぁ、その可能性のが高いがな。しかし万が一にも見つかるなんてことがありゃあ――」

「あれっ。もしかして貴方、コルネリウスさん?」

 

 料理へと向かうフォークを止め、声の主へと振り返るコルネリウス。そこには席を探す途中なのであろう、荷物を持ったままの二人の女性が立っている。

 一人は眼鏡とスーツでかっちりと固め、ブロンドをアップにしたキャリアウーマン風。もう一人が声の主であり、ブラウンの癖毛でロングヘアー。こちらはラフな格好であり、この天気にも関わらず外套を羽織っていない。どうにもちぐはぐな二人組であった。

 

 コルネリウスは二人の顔と名前を頭の中で一致させようと試み、すぐに諦めて立ち上がる。

 

「申し訳ない。どこかでお会いしたことが――」

「あーいや、ごめんごめん。後輩経由で知ってただけで、初対面なのよ」

 

 片目を瞑って謝るロングの女性。彼女は続けて

 

「ミヨン、イム・ミヨン。えーと黒髪ポニーの。あの子の同僚でさ」

「……ジャネット先輩、不用意な情報の流出はですね」

「えー、いいじゃんそれぐらい。まったくお堅いんだから。ねぇ――」

 

 後輩であろう女性の苦言を笑い飛ばした彼女は、同意を求めようとしたのかコルネリウスへと視線を戻し――戻そうとする途中、レナートを見て動きを止めた。

 

 一瞬にして場の空気が硬化する。

 

 レナートの素性に気付いたであろう彼女が放った僅かな、しかし鋭い気配。

 自身と同様の世界に身を置く者の圧力を感じ、臨戦態勢に入ったレナートの静かな殺気。

 僅かに遅れ、状況が変質したことを把握した残り二人の、互いを探るような視線。

 

 四人の姿は、傍目には変化が無いままであろう。

 だが彼等を包む静かな緊張感は、ほんの僅かな契機がこの場を戦場へと変えることを如実に示していた。

 例えば、そう。今まさにウェイトレスによってテーブルへと運ばれてくる、湯気の立つ料理の皿などがそうだ。

 

「…………待て」

 

 痛い程の静寂。それを破ったのはウェイトレスではなく、コルネリウスであった。彼はあえて自身の発する気配を収め、椅子へと座る。場の空気が、ほんの僅かに軟化した。

 そうして作り出した余裕を用い、彼は料理を運んできたウェイトレスに感謝の言葉とチップを渡す。民族衣装風の制服をやや寒そうに着こなした女性が去ったところで、再度三人へと向き直る。

 

「そっちの二人はミヨンの同僚だと、そう言ったな」

「……ええ、そうよ」

 

 ロングの女性の返答に対し、コルネリウスは頷く。

 

「見たところ、連れを知っているようだ。……退っ引きならない間柄か?」

「……いいえ、ただ知っていただけ。害意は無いわ」

 

 コルネリウスはレナートへと視線をやる。

 

「私も彼女達を知らないし、敵意も無い」

 

 歴戦の傭兵たる彼は即応出来る姿勢こそ崩さなかったが、殺気を収めることで話し合いに応じる姿勢を見せた。

 コルネリウスはよし、と呟いてから、卓上の食器に手を伸ばし

 

「であればこれは不幸な事故、一種の職業病だ。互いに忘れるとしよう」

 

 届けられたばかりのウインナーへフォークを突き刺しつつ、コルネリウスは軽い調子で言う。女性二人はそれに応じるよう頷くが、レナートはグラスの中身を一気に飲み干して立ち上がる。

 

「せめて食ってからにしないか?」

 

 その後二人で河岸を変えようという言外の誘いに対し、レナートは首を横に振り、懐から出した幾枚かの紙幣を机に置く。

 

「身に染み付いた習性が邪魔をするものでな。気分を害した訳ではない」

「そうかい。ああ、帰り道をズドン、なんてのはやめろよ」

「安心しろ。敵の区別がつかん程の猜疑心は、祖国に置いて来た」

 

 苦笑しつつ言ったレナートの背に向け、コルネリウスは別れの言葉を送る。寡黙なロシア人は振り返りこそしなかったが、片手を軽く挙げてそれに返した。

 

 

 

 

 

 

 

「せっかく楽しんでたのに、ごめんなさいね」

「気にするな。こういう仕事をしてれば、こんなこともある」

 

 レナートが去った後、コルネリウスは二人組と席を共にしていた。流れというものもあるが、元々彼女達の片割れは共通の知人を種に会話を始めようとしていたのだ。先の一件を本当に気にしていないコルネリウスとしては、断る必要も無い。

 

「とはいえ、つい警戒してしまうのは避けた方がいいな」

「普段はあんなミスしないんだけどねー……国が同じで多少知ってた分、つい」

 

 少々落ち込んだ声音のロングの女性。席に着いてからの自己紹介によれば、彼女の名はオリガ・ストリアロフという。

 コルネリウスは所属組織など繊細な問題については聞いていないが、彼女の後輩、そして上司であろう人物を思い浮かべるに、荒事を直接担うものではないと見当をつけている。

 

 一方のお堅いキャリアウーマン風、ジャネット・バルローは、そんなオリガを見て眼鏡に片手を添えつつ

 

「まったく、気をつけて下さい。私はミスター・カザロフを知りませんでしたから、随分と肝を冷やしました」

「ほんと残念だわー。友人知人にサーロ好きな人殆どいないのよ。せっかく波長の合うかもしれない酒飲みと巡り会えたのに」

 

 ジャネットの苦言を聞き流しつつ、新たに注文した豚の脂身の塩漬けを指すオリガ。その目にも声にも色の気配は混じっておらず、純粋に同好の士を逃したことを残念に思っているらしい。

 

 この短時間で彼女が結構な呑兵衛であると察していたコルネリウスは笑う。

 

「あいつも以前、同じような事を言っていたな。俺も嫌いじゃあないが、優先するかってと厳しいものがある」

「どこからどう見ても、脂以外の要素がありません。幾ら何でもそれはどうかと」

 

 見ているだけで胃もたれがする、と言わんばかりに脂身から視線を逸らすジャネット。彼女はオリガとは異なり、肴となるものはピーナッツしか注文していない。

 既に二杯目を半ばまで減らしていたオリガは、小皿に盛られたそれを見て首を振る。

 

「だめよー、だめだめ。悪くはないけど、それだけじゃ物足りなさ過ぎるわ。やっぱりこう、パンチの効いたものじゃないと!」

「それは味ではなく、単に舌と胃への打撃では? あくまでお酒を中心に据え、他は脇役に徹するべきです」

「なによぅ、ロンドンっ娘はお上品な飲み方が好きねぇ」

 

 二杯目も飲み干し、三杯目の蒸留酒を頼むオリガ。注文を終えた彼女は口元に手を当て、内緒話をするようなジェスチャーをしつつも、周囲に聞こえる声でコルネリウスへと話しかける。

 

「でもこの子、こうやって気取ってるけど、酔うとわりとがっつり食べるのよ」

「……先輩、殿方に変な情報を吹き込むのは、淑女としてあるまじき行いです」

 

 眼鏡を光らせつつ釘を差すジャネット。彼女もまた、いつの間にか注文していた二杯目を受け取り、ジョッキに口をつける。

 コルネリウスの本能が、二人のペースに警鐘を鳴らした。それは健康面の心配ではないが、危機感を抱くような何かだ。だが初対面の相手に対し、一方的な予測で泥酔を懸念する言葉を投げかける訳にもいかない。

 

 コルネリウスは嫌な予感を振り切るよう、眼前にあった肉の煮凝りにフォークを突き刺す。

 

「まぁまぁ。ミス・バルローと私は初対面であることだし」

「そこよ。貴方について、次長はともかく、ミヨンからある程度良い印象を聞いてるわけ。その相手ですらここまでお堅いとなると、先輩として心配しちゃうこともあるでしょ?」

「ミヨンを信じない訳ではありませんが、伝聞は伝聞であり、人の関係もまた別個のものです」

「友達の友達。つまり一緒に酒飲んだら友達よ」

 

 オリガはコルネリウスと同じ料理をつまもうとし、それが幾らか減っていることに気付く。

 

「あっ、ホロデーツ食べてくれたんだ。ジャネットは駄目なのよーこれ」

「慣れてないと塩味がきついだろう。一応は肉料理ってのもある」

「誤解しないで下さい。私がそれに苦手意識を持っているのは、以前先輩の家を訪れた際に頂いたそれに、前年の数字が掘られていたからです」

 

 ジャネットは手で何かを裏返すような仕草をする。そのゼリー状に固めた料理の裏面、ということであろう。

 

「うん? 長持ちするし年越しなんかにゃうってつけだと、そう聞いてたが」

「お邪魔したのは夏も終わろうかという頃です」

「…………うーん」

「大丈夫だっての。HL産の材料なら二年経っても平気だってこの前わかったし」

 

 次の杯を頼みつつ笑うオリガに対し、残る二人は無言を貫いた。

 

 

 

 

 

 

 

 何かが倒れ、食器の割れる音、次いで悲鳴が響き渡る。

 

 音のした方向へと瞬時に振り返る三人。人で賑わってきたため、回収が遅れ卓に積み重なった空の杯はちょっとした山になっているが、彼等の集中力が鈍る事は無かった。

 

 彼等の視線の先には、一人の人間が、自身の使っていたであろう椅子や机を巻き込んで倒れている。場所が場所なため単なる酩酊に見えなくもないが、連れらしき異界存在の慌てぶりがそれを否定していた。

 

 コルネリウスとオリガは無言で目配せをし、何事も無かったかの如くジョッキへと手を伸ばす。が、ジャネットの冷ややか、かつ強烈な視線に晒されたことで仕方なく立ち上がり、倒れた者に向かって歩いていく。

 

「応急処置するぞ。ほら、どいたどいた」

 

 ジャネットが倒れた人間の連れに状況を聞く横で、コルネリウスは魔術を用いた症状の把握と、簡易的な治療に努めた。彼は本職には程遠いが、長い歳月の中で得た知識と魔術による強引な手法で多少の問題なら解決出来る。

 

「……どう?」

 

 傍に片膝をついたオリガに対し、コルネリウスは首を傾げつつ返す。

 

「極度の酩酊と薬物によるトリップを合わせたような症状だ。そう悪質なものではなく、命に別状は無い。ただ……」

「ただ?」

「普段からクスリをやっている気配が無いな」

 

 コルネリウスは意識の無い人間の袖を捲るなどして中毒者の持つ特徴が無いかを調べた後、聞き取りを続けていたジャネットを呼ぶ。彼女が得た被害者の情報は、コルネリウスの推測を裏付ける健康的なものであった。

 

 単に薬物慣れしていなかった可能性はある。しかし先程まで普通に飲み食いしていた者が、急にここまでの症状を発するというのは、無いとは言わないが異常だ。少なくとも、コルネリウスが現状で把握しているHL内の違法薬物においては。

 

 だがコルネリウスはそれに深入りする気は無く、仮にあったとしても被害者を実験動物よろしく調べ尽くす訳にはいかない。『記憶』を読むという手もあるが、彼の技術では対象のそれや心身を害することがあるため、気軽には使えなかった。

 

「ま、やるべきことはやったさ」

 

 被害者をその連れに任せてからのコルネリウスの言葉に、オリガは頷く。

 

「そうね。何にでも首を突っ込む訳にはいかないわ」

 

 オリガは立ち上がり、親指で自分達の卓を指す。

 

「さっ、お酒がぬるくなっちゃわない内に戻りましょ」

「そこは料理が冷めない内に、だろ」

 

 霧と雪しか見えない空を見つつ、コルネリウスは苦笑して立ち上がろうとした、その時。

 

「……先輩!!」

「ん? どしたのーって、えっ……」

「…………おい、やめてくれよ。今日は休みなんだ」

 

 ジャネットの緊迫した声に釣られ、そちらを見た二人。

 彼等の視線の先には、リカーフェスタ会場のあちらこちらで、たった今見た被害者と同じような倒れ方をする多くの人異の姿があった。

 

 


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