緋色の羽の忘れ物   作:こころん

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第二十六話②

「はぁ、疲れたわー。一体何だったのかしらね」

「なんにせよ貧乏籤だ。なまじ一人助けちまったのが仇になった」

 

 集団昏倒の騒ぎが収まりつつあるリカーフェスタ会場の一席。コルネリウスは同じ卓に着くオリガと共に、酒と料理を平らげていた。二人は先程まで大勢の被害者の手当に奔走していたため、その顔には多少の疲れが見える。

 

 ジャネットはそんな二人を呆れた目で見つつ

 

「よくこの状況で食事を続ける気になれますね。先程の原因が食事にある可能性は捨てきれないと思うのですが」

「いや、それはコルネリウスさんが一皿ずつ調べてくれてるでしょ」

「詫びと礼に頼んでた酒と飯はタダ、新規注文も半額。少なくとも俺は俺の調査結果が信用出来るし、簡単な治療と救急隊への引き渡しまでやった。これで食わなきゃ損だ」

「そうそう。万一当たっても、すぐ治療して貰えるし。そもそも皆気にしてないわよ」

 

 オリガの指差す先には、屋根付き席を中心に盛況なリカーフェスタ会場が広がっている。その賑わいは集団昏倒前に劣るものではなく、HLの住人が事件の原因をこの会場だと思っていない、あるいはそうであったとしても気にしていない証左であった。

 

「……リスク管理が杜撰過ぎます」

「この街で何から何まで完璧に、なんてやったら疲れるだけよ。というかジャネットも飲みたいんでしょ? なら飲めばいいのよ。飲めばわかる!」

 

 大ジョッキを掲げるオリガに対し、ジャネットは頭痛を抑えるかのように片手を当てていたが、不意に顔を上げると膝に置いた鞄から携帯端末を取り出し、通話を始めた。一瞬で表情を切り替えたあたり、相手は友人知人ではないだろう。

 

「――――事態は把握しました。しかし次長、今日の私は正式な休暇申請受理の下、オフを過ごしています。これは本来であればオリガ先輩にかけるべき電話かと」

 

 出会った直後の怜悧な印象と表情を取り戻したジャネットが、電話の相手に向けてハキハキと、そして次々と反論を繰り出していく。

 コルネリウスは次長という単語から、かつて会ったデリミドという人物を思い浮かべ、そして同情した。漏れ聞こえてくる会話からすると、理はジャネットの側にあるというのに、不思議なものである。

 

「現場に居る私へピンポイントで連絡をしているのも気になります。仮に位置追跡機能を通知なく使用したのであれば、パワハラもしくはセクハラでは――」

 

 ジャネットの攻勢は尚も数分間続き、彼女が勝利する形で幕を閉じた。その戦果に女傑はとても満足がいったようで、口や表情には出さないが、代わりに眼鏡を光らせている。今日は霧が深く太陽光に乏しいというのに、不思議なものである。

 

 入れ替わるようにして、オリガが服のポケットから携帯端末を取り出す。表情を変えることはなかったが、その心は左手でしっかりと握って離さない大ジョッキが如実に示している。

 

「――――でもそれ、正確にはうちの担当案件じゃないでしょう。支払いは上層部任せで懐痛まない連中からの、ついでに声かけとけ程度の便利屋扱いを最優先にするのはおかしいですよ。この前局長もそう言ってくれてたじゃないですか」

 

 力説しつつ、彼女は手振りでウェイトレスを呼び寄せ、指差すことで新たな杯を注文する。

 ジャネットと異なり正式な休暇中ではないであろう彼女に対し、電話の相手は随分と食い下がっていた。コルネリウスの予測する限り、相手は一方的な命令を下せる立場である筈だが、不思議なものである。

 

「うちは人数的に、取捨選択していかないといつかパンクしますし。そりゃ付き合い大事だってのもわかりますけど、私も今、飲みで人脈築いてるからなぁ。ほら、次長も褒めてたコルネリウスさんとですよ」

 

 コルネリウスは通話相手であろうデリミドに苦労人判定を下しつつ、のんびりとホットビールを飲んでいたが、突然のキラーパスに慌てて木製のジョッキを置いた。

 目線と手振りでオリガを制止するコルネリウス。しかし悲しいかな。この状況において、その判断は正しいが遅過ぎた。

 

「えっ、コルネリウスさんに? 了解でーす」

 

 差し出される携帯端末。コルネリウスが拒否しようにも、既にオリガはやりきったとばかりに杯を傾けている。

 コルネリウスは一瞬、それを受け取らないという選択肢を真剣に検討した。だが状況と経験則から逃げられないと悟り、煤けた表情でそれを受け取る。

 

 端末から、疲れの滲んだ重い声が響く。

 

「…………前置きも出来ず申し訳ない。仕事を依頼したいのだが」

「…………内容次第です。が、伺いましょう」

 

 

 

 

 

 

 

「経費で飲む酒は美味いかー……うまい! そりゃそうよねー」

「この会場で提供される飲食物は、現時点で最も可能性が高い対象です。その調査は積極的に行うべきでしょう」

「……お前ら、もう少し上司に優しくしてやれよ」

 

 柱代わりのワイヤーロープを増やし、屋根を拡張したスペースの下。追加されたテーブルの上には大小様々な酒瓶が乗せられている。

 

 コルネリウスが受け取った電話の相手は、やはりデリミドであった。

 

 彼の説明によれば、ここ数日、先程見たような昏倒事件が多発している。

 被害者の殆どは違法薬物摂取の経験が無く、原因は経口摂取であろうこと以外不明。だが被害者達の摂った食事や提供した店舗からの薬物反応は無し。そして症状はコルネリウスの見立て通り、命に関わるものではない。

 

 発生件数は日増しに増え、このまま悪化が続くであろうことは確実。加えて被害者の一部に禁断症状に近いものが確認されたとの情報もあり、当局はこの件に対する警戒度を上げるべきか憂慮しているそうだ。

 

 コルネリウスへの依頼は、この件に関する調査であった。

 

 彼は当初、これを丁重に断ろうとした。なにせ捜査材料に乏しすぎるのだ。先程の集団昏倒にしても、被害者達に共通点が無い。倒れていない者との差異にしても同様だ。料理や食器は救急隊への受け渡し前に調べたが、何も検出が出来なかった。

 

 そもその程度で判明する事件なら、とっくに解決されている。事ある毎に批判の槍玉に挙げられるHLPDを始めとする各種捜査機関だが、彼等の大半は無能とは程遠いのだ。

 単に事件数が多過ぎて手が回らないのと、彼等が対処させられる事件の数割が、本来は国家レベルで対処すべきトンデモ案件なだけである。

 

「休日返上で仕事に当たっています。次長への気遣いは十分かと」

「嘘つけ、条件付けた上に代替の休暇もぎ取ってだろう。電話変わる度に疲弊してたわ」

「ザワーブラウデンおかわりー。いやー、たまにはドイツ料理もいいわね」

 

 明らかに気乗りしない様子のコルネリウスに対し、デリミドは幾らかの譲歩をした。

 

 まずは操作範囲。今回の事件はHL外縁部の広範で発生していたが、被害者の増加に伴いデータが充実した結果、被害は同心円状に広がっている可能性が浮上したそうだ。

 

 断定ではなく可能性としたことからわかる通り、虫食いのような無被害地域の存在など例外的な部分もある。だが円の内側に向かうにつれ、被害が増加する傾向にあることは確かだという。

 デリミドはそれを理由に、かつてない密度で被害者が出た、このリカーフェスタ会場を含む一定区画の捜査のみでよいとしたのだ。ただし原因に繋がる情報を得た後は、この限りではない。

 

 次に期限や束縛時間といった細かい部分。そして最後に彼の部下を二人、限定的ながらサポートに付けるということで合意に至った。それが誰かは言うまでもないが、経費を引き出したのはその二人である。

 

 今回も組織名は明かされなかったが、報酬は十分。過剰にすら見える大盤振る舞いだ。

 しかしコルネリウスの見立てでは、デリミドは無為にリソースを浪費するような男ではない。彼に伝えていない情報もあろうし、デリミドの脳内ではこの一帯が捜査線上における最重要区画なのだろう。

 

 そうであれば、これらの譲歩も想定の内かつ許容範囲となりうる。コルネリウスが仕事を承諾したのは、デリミドの能力を信じてみたというところが大きかった。決して同情ではない。

 

「他に何か美味しいの無い? ……そうだ、私白ソーセージ食べてみたいんだけど」

「やめとけ、もう昼を回ってる。あれは午前中に食うもんだ。それより捜査だが――」

「ピーナッツとポテトチップス。この二つだけでも、十分に過ぎます」

「その二つ自体は否定しないけどさぁ。やっぱり気取りすぎじゃない?」

「お酒を飲み、友人知人と語らう。過剰な食事は無粋です」

「でもビールはがぶ飲みするんでしょ?」

「………………」

 

 正確に言えば、コルネリウスはサポートの人員を望んだ訳ではない。デリミドがその譲歩を、あえて最後の最後に持ってきたことを思い出したコルネリウス。

 受け入れたのは早計であったやもしれないと今更ながらに考えつつ、彼は何かから逃げるように自身のグラスにワインを注いだ。

 

 

 

 

 

 

 

「ミヨンは乙女だからねぇ。この前も人狼を題材にした恋愛小説でガン泣きしてたし」

「先輩、作品内では人狼ではなく別の種です。描写の正確さを見るに、著者は人狼の特性をある程度正しく知った上で、問題を避けるためにぼかしたのでしょう」

 

 訂正を受け、オリガは手酌でワインを注ぎつつ首を捻る。

 

「あー、そうだっけ。同じ人狼でも、私じゃこんなロマンチック通り越したプレイ恥ずかしくて出来ないわー、とか思ってた記憶しか無いわ」

「オリガ、お前部外者に種族ばらしていいのか。いや驚きはせんが……」

「別にいいわよ。どうせ同じ仕事してれば気付くでしょ」

「規定に違反している訳ではありませんが、常識的に考えて褒められる行動ではありません」

 

 

 

「――それで最初はエメリナと私の二人しかいなかった訳よ。もう疲れたのなんの」

「あー待て待て、使い魔からの情報整理してるんだ。あとそれ三回目だ」

「三回話すほど忙しかったってことよー。だってのに次長は――」

 

 そうしてまた同じ話を続けるオリガの横。ジャネットは淡々とジョッキを空にしつつ

 

「経験上、あと四回は繰り返されます。頑張って下さい」

 

 

 

「ミス・バルロー?」

「………………」

 

 呼びかけに応じないジャネットを心配するコルネリウス。彼の横に座るオリガは新たな注文を終えると、ジャネットの様子を見て少し驚いたかのように眉を上げる。

 

「ありゃ、もう酔ってきたの。この前の飲みじゃ結構もったのに、今日は早いわね。半日オフで中途半端に気が抜けてたのかしら」

「これだけ飲んでようやくって気もするが……大丈夫なのか?」

「平気、平気。酔っても仕事はきちんと出来る子よ。……ちょっとダウナー入るけど」

 

 そう言ってオリガは鞄から紙以外にも使える万能ワインラベルレコーダーを取り出し、注文の合間の手慰みと化したラベルの保存作業に戻った。

 

 

 

「戦時における後方動員、それに伴う地位の上昇。そこから加速した女性の社会進出が晩婚化を進行させました。現代において平均結婚年齢は――」

「……いっそ寝てくれた方がましやもしれんな」

 

 思わずそう零すコルネリウスの横。酒瓶置き場と化した方のテーブルには、彼等からのスタッフへの気遣いもあり、回収の遅れている空き瓶が山と積まれている。

 

「つまり私もまだまだ……ミスター・コルバッハ、聞いていますか?」

「それはもう。ですが、私は再度見回りに出るので」

「あー、お酒がおいしいわー」

 

 

 

 

 

 

 

 本来であれば朱色に染まる空も、今は濃い霧と雲に阻まれて暗いばかり。空気は更に冷え込み、道行く人々は勿論、幾らかの異形も上着の襟を立て、自宅や酒場へと足早に向かっていく。

 

 徐々に闇が近付きつつも、まだ照明を必要としないHLの外縁部。その一角で開かれたリカーフェスタ会場の一席で、コルネリウスは手帳に調査結果を纏めていた。

 

「被害が格段に多いのはこの会場だが、周囲の店舗や屋台の中には客数を考慮すれば同程度の犠牲者を出したであろう店もある。大抵の捜査機関じゃどの店で何を食ったかはともかく、屋台まで調べるには手が足りん。区画レベルでの被害者数だけではわからん切り口だな」

「なーる。次長なら、そこまで考えて調べさせたのかもね」

「かもしれんなぁ。問題はここからで、被害者の食べた料理にも、使っていた食器にも共通点が無いってことだ」

 

 彼は大量の使い魔と自身の足を用いたこれまでの調査で、幾つかの可能性を見出しては、それを否定するサイクルを繰り返していた。

 食材や食器への不規則な混入、発症までの長期の潜伏説、大気経由での感染、上空からの散布、経口摂取という前提への疑い、等々……それらはいずれも空振り、非現実的、あるいは立証困難という形で行き詰まった。進んだのは、この一帯における被害者の救助作業ばかりである。

 

 凝りをほぐすように首を左右に動かし、コルネリウスは椅子の背もたれに背を預ける。だがそうして広がった視界の内、左側にあたる部分を彼は努めて見ないようにしていた。

 

「――ええ、わかっています。HLにおいて時の流れは偏在しますが、少なくとも大多数の人間にとっては平等なままです。家族・既婚者・職務上必要な場面以外において、ファーストネームで呼び合える異性は学生時代のほんの僅か。いえ、正確には彼等にも既にパートナーがおり……」

 

 膝を抱えて椅子に座るジャネットから延々と吐き出される愚痴を、コルネリウスはこの短時間で得た経験則から反応せずに聞き流す。

 誰も彼もが返事を欲しがる訳ではないのだ。そして正答が存在しない問題に対し、中途半端な取り組みはすべきでない。本人の職務上のパフォーマンスが下がっていないのであれば、尚更だ。

 

 同僚かつ友人だけあって慣れているのか、要所要所で上手く構ってあげていたオリガが、身を乗り出してコルネリウスの手帳を覗き込む。

 

「今は手段ではなく犯人に主眼を置いてるんだっけ?」

「ああ、微小な魔法生物や超小型種による犯行の可能性が上位にある」

「ふむふむ。まぁ平均サイズ以上の人異による遠隔操作の線で探しても、手がかり無いしねぇ。そういえば最近……といってもうちが関わった案件じゃないんだけど、そういうケースがあったわ。菌テロリストだったかな」

 

 オリガが近付くことでコルネリウスの周囲には濃密な酒気が漂う。

 彼女の飲酒量はジャネットよりも多く、下手をすれば倍はあるかもしれない。ジャネットが料理に手を出し始め、酒のペースも落ちてきたことを考慮すれば、恐ろしいことだが差はこれから更に広がるであろう。

 

「だがなぁ……仮にそうだったとしても、犯行に規則性を見つけることが出来んという結論に行き着いちまう。魔術で直接、料理を変質させているなら話は早かったが」

「あー、手作業っぽいのね。そりゃ厳しいわ」

「犯人がそうならな。こんな思いついた時にだけ混入してます、なんて動きをされちゃあ網を張るにも難しい。超広範囲の探知は……対象の想定サイズ的に処理能力がパンクする。絶対にやりたくない」

 

 だが奇妙なことに、コルネリウスはオリガの帯びた酒気に不快感は覚えない。本人の美貌だとかそういうものではなく、自然とそうなるのだ。そして飲めば飲むほどに、頭の回転や肌艶まで良くなっている感すらある。

 

 コルネリウスはオリガに対し、一種の酒の怪物という結論を下しつつあった。もっとも細かいマナーを気にせず互いのグラスに注ぎ合うことも多かった以上、彼が飲んだ量もそれに大きく劣るものではないのだが。

 

「店の幾つかに網を張ったが、その途端ぱたりと被害が止まりやがった。犯行手段に他者の意思が介在可能か、対策を避ける機能が備わっているのは間違いないだろう」

「せめて料理に薬物反応が残ればいいんだけどね。体内限定の増殖とか、めんどくさいわー……ねぇコルネリウス、もう今日は飲むだけ飲んで終わりにしない?」

「魅力的な提案だな。だが働け」

「我々の職務上、異性との出会いや交流の機会は少なくなります。よって貴重なプライベートは大事にすべきであり、次長の如き仕事中毒者は女性の敵として……なんですか、煩いですね、耳元で歌わないで下さい。今は次長の糾弾をすべきなのです、先日も彼は――」

 

 

 

 

 

 

 

 街を照らす明かりが徐々に増えていく。様々な色彩のそれが霧や雪に吸収・反射されることで、人工と自然の中間のような独特の明るさを生み出している。

 

 人界では既に空が暗いだろうが、季節の関係上、時間はそう遅くない。コルネリウスは近付きつつある『夜』を気にして時折腕時計を確認しつつ、手帳への書き込みを続けていた。

 

「やはり屋根が無い場所で調理された品による発症例が多い。だが屋内調理限定の場でも被害者は出ている。上空からの散布とマクロ犯罪の組み合わせ……しかし一貫性がなぁ」

「別件、は使用薬物が同じっぽいから除外か。同組織内の別行動なんかはどう?」

 

 コルネリウスはじゃがいもの団子を齧りつつ、首を横に振る。

 

「無いとは言えんが、非効率の極みだな。……結局、その手の進展に繋がり辛いパターンにばかり行き着くんだ。わかっちゃいたが、面倒なヤマだよ」

「でも薬物反応が出た料理を実際に抑えて、効果が消えるまでのおおよその時間も突き止めたんでしょ。初日の成果にしては十分過ぎると思うわよ」

 

 オリガはそう言いつつ携帯端末で時間を確認し、今日の勤務時間がそろそろ終わりだと気付いて笑う。

 

「契約的には貴方も、もう上がりでしょう。今日はお疲れ様ってことで、飲もう!」

「……いや、それぐらいにしておけよ」

「何言ってるの、夜はこれから。昼間のお酒も美味しいけど、夜はまた格別!」

 

 楽しそうに眼前の紙束を叩くオリガ。山と積まれたそれは、彼女によって保管されたワインラベル、そして経費で作られたものだ。ラベルの無い酒類も多く飲んでいた事を考慮すると、彼女は少なく見積もっても自身の体積以上の酒を飲んでいることになる。

 

 人体の謎から目を逸らしつつ、コルネリウスは自身の左を親指で指す。

 

「見ろ、半額サービス決めた責任者が泣きそうになってるだろ。それにミス・バルローも……色々とまずい」

 

 ジャネットは先程までと同様、椅子に膝を抱えて座っている。変わったことと言えばネクタイが外されたことと、コルネリウスの注文した白アスパラと酒をひたすら消化する機械と化したこと、そして言動がヒートアップしていることだ。

 

「ミヨンと同じ小説を読んでも心が動かなかった時の衝撃があなたにわかりますか、わからないでしょう。……うるさいですね、黙ってて下さい。いいですか、成熟したと言えば聞こえはいいでしょうが、若さと感受性を失う事は必ずしも伴侶を得る事には繋がりません。うるさい。実際エメリナ先輩は既婚者ですが同じものを読んで――」

 

 暗い感情の発露は更に熱を帯び、ここには、あるいはこの世界にいない誰かとの会話まで加わっている。コルネリウスが思わず、今回の事件で組んだ薬物反応の調査魔術を用いた程だ。

 

 オリガは後輩、次いで自身の持つ酒瓶を見て、首を横に振る。

 

「ジャネットが虚空と会話するのは初めて見たけど、それを危険視するのは早計よ。世の中には目には見えない意思が常に存在するわ。ほら、私にも、酒が帰るなと言っている。限界を超えろと訴えているわ」

「うるさい、うるさい。耳元で歌うのはやめなさい。貴方もそうやって私を馬鹿に――」

「……大丈夫、大丈夫。いずれ出てくるシュコーラ……小学校ね。その教師への初恋話さえ乗り切れば、気力が衰えてその内寝ちゃうから」

「お前が限界を超えるように、ミス・バルローがイマジナリーフレンドを生み出して限界を超える未来しか見えんぞ……」

 

 どの道、『夜』を迎える前にコルネリウスは帰らねばならない。オリガは言わずもがなだが、ジャネットとてこの惨状にも関わらず、やるべき作業は完璧にこなしている。彼女達が裏の世界に生きることもあり、正体に気付かれるリスクは高い。

 

 そして何より、程度の差はあれど酒の怪物が実は二人いたのだ。コルネリウスの警戒心は別の意味で最大級に達している。この場からは一刻も早く離れるべきだ、と。

 

 しかしオリガはそれを見越したかのように、コルネリウスの腕を掴む。その瞳は怪しく輝いている。まるで獲物を見つけたかのように。

 

「逃がしゃしないわよ。エメリナは結婚してから夜付き合いづらくなったし、チェインは見所あるけどまだ酒に弱いわ。一人酒も好きだけど、久々に全力で飲み合う機会……!」

「おいやめろ。俺を訳のわからん頂上決戦に巻き込もうとするな。そういうのはバッカーディオでやるべきだ」

「最近行ってないから代替わりしたろうけど、既に王位を得ているわ。私は誰からの挑戦でも受け付ける」

「挑んでねぇ!」

 

 バッカーディオとは、あらゆる物事の決着を飲み比べで決める狂気の穴蔵。眼前に居る相手が世界有数の怪物であることが確定し、コルネリウスは逃走を図るが、オリガがそうはさせない。逃走を阻みつつも酒は飲み続ける離れ業さえ見せつける始末だ。

 白アスパラを齧っては負の感情を撒き散らすジャネットと合わせ、場は混沌と化していく。

 

「繊細な味も嫌いじゃないけれど、故郷の雪を思い出す、燃えるような酒こそが勝負の華」

「学力差のせいで……いいえ、この性格のせいで孤立しがちな私を、先生は常に元気付けてくれました。ですが……歌を止めなさい、ここからが大事なところです!」

「人界と異界の出会いによって、今までなら単なるアルコールとされたであろう度数の"酒"が生まれたわ。私は、その酒達が導く先へと至りたい」

「こら離せ、こっちは反撃してないってのに、人狼の力使った組技は卑怯だろうが……!」

「ですがあの人には既に心に決めた女性がいました。結婚式への招待状が届いた時、私は――――うるさい! さっきから何ですか、耳元でらんらんらんと、私を馬鹿にするのもいい加減に――」

 

 ぴたりと止んだ声を訝しみ、関節技を用いた攻防を止めた二人。

 コルネリウスはついに飲み過ぎで倒れたかと、慌てて視線をやるが、そこに居たのは顔に赤みを帯びつつも、冷静な目をしたジャネットであった。彼女は何かを聴くかのように耳元に手をやり、少しして頷く。

 

「……間違いありません。この歌声は幻聴ではない」

「急に冷静になって言われると怖いんだが」

「臨界点越えて行き着いちゃったような印象受けるわよね。……あー、でも貴女、確かに酔うと耳良くなるわね。普段色々と考え過ぎて聞き逃してるのが無くなるんだろうって、局長が」

 

 オリガは思い出したとばかりに手を叩いて言った後、ジャネットへと水のグラスを手渡す。彼女は礼を言ってそれを受け取り、一息に飲み干すと

 

「声の出処は……雪です」

「ごめん、やっぱり駄目かも」

「いや待て、病院に行くにはまだ早い。可能性はあるぞ」

 

 コルネリウスは自身の携帯端末を取り出し、上空を――そこから降り注ぐ無数の粉雪を写真に収め、メールに添付して送信した。

 

 程なくして、返信が届く。相手はピザ配達のバイトが終わったばかりだという黒髪の少年。本文は先日友人の家探しを手伝って貰った礼から始まり、その後にコルネリウスが求める答えを出来る限り細かく記載している。

 それを読み、コルネリウスは頷く。

 

「ミス・バルローの発見が正しかったようだ」

「……この雪が犯人だってこと?」

 

 オリガは掌で受けた雪を指差し、たちまち溶けてしまったそれを見つつ首を傾げる。

 

「正確には、そこに紛れている。知り合いに大層、眼がいい奴がいてな。そいつに見て貰ったところ、雪に混じって毛玉の妖精じみたものがいるそうだ」

 

 上空から降下し、直接あるいは他者の服などを経由して料理への混入や食器への付着を果たす。意思を持って自身への対策を避け、時間が経てば溶けるように消えてしまう。

 自然種かの区別こそつかないが、新手のマクロ犯罪、あるいは災害の原因であることは間違いない。

 

「そんな上手くいものかしらね。でも、それがHLか」

「どの道、これ以上に有力な手掛かりは現状ではありません」

「そういうことだ。それに見つけさえすれば、話は早い。夜までもう少し時間がある。さっさとこいつを解析して、逆探知で事件解決といこう」

 

 コルネリウスは椅子から立ち上がる。が、二人の反応は鈍い――を通り越し、無い。

 

「……おい」

「私の勤務時間はたった今終わりましたので」

 

 自身の腕時計をアピールするジャネットの横で、オリガもジョッキを指差す。

 

「そうそう。解決、明日にしない? 明日も経費で飲めるし。やるなら一緒にやった方が、確認作業少なくて楽よ。だから座って、ほら」

「……………………」

 

 この僅か三十分後、コルネリウスは近くのビルへと突入。そこに居を構える政治団体、そして彼等の気球から散布されていた新型魔術生物の製造所を、一切の妥協無く粉砕した。

 秘密裏かつ本人の意思なく薬物依存者を増やし、然る後に薬物を売り出すことで莫大な利益を得ようとする計画は、彼等の働きにより未然に阻止されたのである。

 

 そしてオリガ・ストリアロフの協力を得る条件であった後日の奢りには、何故かジャネット・バルローと、彼女らの同僚であるイム・ミヨンまでついてきたそうだ。

 彼女達三人、そしてそれが生み出す混沌に疲弊し酒に逃げたコルネリウスによって、報酬の実に半分が費やされたという。

 

 秘書である異界存在に、逃れえぬ酒盛りを後回しにしたことが正しかったのか問われた時。コルネリウスは山と積まれたワインのエチケットをスケッチブックに貼るのみで、何も答えることはなかった。

 

 




食って飲んでるだけの話なんだからもっとスリムに纏めろオラッ

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