地球暦2019年10月7日午後9時20分頃【択捉島沖250kmの北太平洋『火星シレーヌス海』】
ミーコが尖山でワーム達の襲来を予知した頃、海中では既に異変が生じていた。
極東ロシア連邦海軍攻撃型原子力潜水艦『K332』発令所
「艦長!本艦直下の海底で爆発音!」ソナー員が報告した。
「海底火山の噴火か、」
艦長が言い終わらない内に艦全体が大きく揺さぶられた。
どこにも掴まっていなかった水兵が艦内の至る所で身体を強く打ち付けられた。
艦長は潜望鏡を掴んでいたので辛くも難を逃れたが、副長が前に跳ばされて操舵員の頭に激突した。操舵員は首の骨を折って即死し、副長も計器パネルに衝突して重傷を負った。
艦長の身体が再び前に投げ出されそうになった時、副操舵員が、
「艦長!本艦は急速沈降中!深度200を超えました!」
「全速前進、浮上せよ!」艦長が指示を出す。
「スクリュー動きません!機関正常」
「深度400突破!」
「バラストタンクブロー!脱出挺の準備だ!」艦長は必死に浮上を試みながら万が一を想定する。
「ブロー効きません!さらに沈降中!深度500超えます!間もなく圧壊深度!」副操舵員が悲痛な声を上げて報告する。
艦内全体に金属的な軋み音が響き渡る。
「救難ブイを出せ、無駄死には御免だ!」
艦長が叫んだ。
次の瞬間、アクラ型潜水艦はくしゃりと圧壊して今度こそ、巨大ワームの体内に収まった。
救難ブイも一緒に呑まれた。
極東米露連合上陸艦隊旗艦『ブルー・リッジ』CIC(戦闘管制室)
「極東ロシア潜水艦『K332』音信途絶。レーダーから消えました!」
管制官が上陸艦隊司令のジョーンズ中将に報告した。
「我が方の原子力潜水艦『コロンバイ』音信途絶、レーダーから消えました!」
「全艦隊戦闘態勢。砲・爆雷近接戦闘用意!」ジョーンズ中将が指示する。先に仕掛けられたか、とジョーンズ中将は歯噛みした。
強襲揚陸艦『イオージマ』居住区
突然の警報サイレンで三段ベッドから飛び降りた大月は、艦の左舷側の海中から黒い筒が空高く伸び上がったと思うと、左舷斜め前方の空母『ロナルド・レーガン』の甲板に巨大なワームがその口を吸着させたのを目撃した。
航空母艦の飛行甲板は流石に分厚くてワームの衝突を持ちこたえたが、ワームはそのまま甲板に乗り上げる形でレーガンの甲板上を這いずり廻り、周囲の戦闘機やパイロット、エンジニア、作業員達を巨大な掃除機の様に口へ吸い込んでいった。
巨大ワームの下敷きになったヘリや戦闘機の燃料が炎上して弾薬が誘爆すると、煩わしそうに巨体を捻り、金属や航空機の残骸を吐き出すと、吐き出された残骸がレーガンの艦橋部分や舷側の対空ミサイルランチャーに当たり、爆炎や火花が飛び散った。
甲板の作業員達は悲鳴を上げて逃げ回り、中には恐怖に堪えかねて暗い海上に飛び込む者もいたが、別のワームに海中深く呑み込まれていった。
艦内から警備兵がM16自動小銃で射撃しても、強靭な鱗と筋肉質の塊の前には無力だった。
『全艦隊の乗組員は外に出るな!海兵諸君は艦載砲やジャベリンで応戦しろ!海中には爆雷と魚雷を発射!アスロック(対潜水艦魚雷)も初源策定で撃て』
ジョーンズ中将の直接指示が艦内に流れた。
大月はCIC(シーアイシー)(戦闘指揮所)を目指した。
巨大ワーム達は更に艦隊を襲い続けた。
冷たい海中を進む艦船に搭載された原子炉の熱源は格好の獲物の存在をワーム達にアピールしているようなものだった。
極東ロシア艦隊旗艦最新鋭ミサイル巡洋艦『ウダロイ』の艦橋に巨大ワームが吸い付くと、ブリッジにいた艦長以下上級将校達を吸い込んで海中に消えた。
巡洋艦『ウダロイ』は操舵不能となり、艦隊から離れた所を別のワームが煙突からガスタービン機関に突っ込むと機関部が爆発して轟沈した。
他にも極東ロシア海軍の艦船は冷戦時代のタイプが多く、レーダーアンテナはステルス性を考慮せず、高く長い為、巨大ワームが引っ掛かると、バランスを崩して転覆する艦船が続出した。
横転した艦船にはワームが群がり、船体に巻き付くとあっという間に海中に引きずり込んだ。
沈没した艦船に装備した爆雷が反応してワームの体内で爆発し、ワームもろとも海底に沈んだ艦もあった。
アウトレンジ攻撃に特化した為に、意外と装甲が薄い米軍イージス巡洋艦『ウィルバー』も船体に体当たりする巨大ワームに蹂躙され、巨大な艦橋や舷側に大穴を空けられ、乗組員が吸い出される地獄絵図が展開された。
別のワームは艦橋手前のVLS(格納型垂直発射筒)に頭を突っ込んでイージスミサイルを吸い込んでしまい、身体の内部で爆発したミサイルが巨体を破裂させ、大量の酸性の体液が船体に降り注いだ。
船内から身を乗り出して対戦車ミサイルを撃っていた海兵達は、不幸にも降り注ぐ体液を浴びてその場で溶けていった。
『ブルー・リッジ』のCICで指揮を取っていたジョーンズ中将は、那覇のミッチェル大統領に撤退の具申をして許可された。
『全艦隊に告ぐ、上陸作戦は中止!針路変更面舵一杯!横須賀に帰投する。引き続き戦闘態勢維持!各員生き残れ!』
ジョーンズ中将の撤退指令が出された頃、大月の乗る『イオージマ』は巨大ワームが直通甲板に乗り上げ、居合わせた海兵隊がジャベリンミサイルやバズーカ砲で撃退を試みていた。
「ダメだ!ジャベリン1発当てただけでは奴に効かないぞ!」
「オオツキ!なんかアイデアないか!?」
ブリッジ奥側へ立て籠った大月に、軍曹が必死に問いかけた。
「CIWS(近接対空射撃)を手動に切り替えて弾幕を撃ち込んで!ジャベリンは一斉射撃で撃ち込むしかない!」
「アパッチヘリの30mmバルカン砲で撃つか、C4爆薬を巻き付けた肉の塊を喰わせて爆発させるかですかね!」
やけくそで大月は答えた。
軍曹は準備をする為に弾薬庫へ向かった。
大月は後悔した。イワフネが「最近では海中にも短時間居れますよ」と火星ホームステイの時に言っていたではないか!
「くそっ!!」大月はブリッジの壁を激しく殴り付けた。
次の瞬間、巨大ワームの口がブリッジ正面にへばりついて吸引した。
ブリッジの中に居た将校達は悲鳴を上げる間もなく、ワーム体内に吸い込まれていった。
大月は必死に座席にしがみついていたが、甲板側からアパッチ攻撃ヘリが30mmバルカン砲を撃ち始めると、銃弾がワームの巨体を貫通し、ワームが甲板上で激しくのたうちまわった。
その衝撃で大月の手がシートから離れ、大月もワームの体内に吸い込まれていった。
――――――
『あ、』ミーコが呟いた。
『ゴメン、ひかり。彼がワームに呑まれた』
西野は失神しそうになるのを根性で堪え、ミーコを抱き締めて懇願した。
「何とか助けて!!」
『分かった』ミーコが言った。
『どこに連れてくる?彼が溶けそうだからワームごと運ばなくてはいけない』
西野は素早く頭を働かすと、
「市ヶ谷の防衛省。場所分かる?」
『ん、大丈夫。1分かからないで持ってくよ』ミーコが言った。
「東山!連絡を!」西野が叫んだ。
――――――
西野を後ろから見守っていた東山は、咄嗟に岩崎の携帯にコールし、相手が出ると有無を言わせずに、
「大月さんがワームに喰われました!ワームごと市ヶ谷に今から転送します!」
と叫んだ。
相手の返答も聴かずに伝えきった東山は、その場でへなへなとくずおれてしまった。
同時刻【東京都 千代田区 防衛省地下指令センター】
日本国政府と英国連邦極東政府は極東米露艦隊の動向を秘かに監視していたが、東山からの連絡で事態が一変した。
「全く、最近の若者は、」岩崎が文句を言いながらも、
「でも、良い判断ですな」とロイド少将が褒めた。
「大臣、聴こえましたね?」岩崎は桑田防衛大臣に臨戦態勢を指示した。
「駐屯中の特科を使います」桑田防衛大臣が言った。
「ワームの中には国民が呑み込まれています。人命第一でお願いします!」
岩崎が力を込めて言った。
「庁舎内中庭に空震!」
管制官が叫んだ。
「防衛省建物を封鎖!職員はシェルターへ!特科を出せ!」
桑田が叫んだ。
次の瞬間、地下指令センターの天井がズシンと震動した。
「......」岩崎とロイドは黙って天井を見上げた。
中庭に面した建物の屋上に重機関銃と対戦車ミサイルを構えた隊員が並んでいた。
彼らは驚愕の眼差しで中庭に出現した手負い巨大ワームを視認した。
「目標サーモ!」警備隊長が指示する。
「サーモ完了。目標中央に人体の赤外線反応確認!」
「よし、頭と尻を狙え!撃ーっ!」
自衛隊員が一斉に巨大ワームの頭と尻に重機関銃弾とミサイルを撃ち込んだ。
狭い中庭で動きを封じられた手負いの巨大ワームは、暴れまわる前にあっという間に頭と尻をミンチにされ、沈黙した。
1階で待機していた突入部隊が火炎放射器と透明な強化樹脂シールドを構えてワームの巨体に接近する。
隊員が至近距離でサーモする。
「ここです!」
サーモした隊員が指差した場所に他の隊員が殺到して、斧(おの)やサバイバルナイフ、チェーンソーでワームの巨体を切り裂くと、人の背中が見えた。
隊員はチェーンソーを放り出すと背中から大月を引っ張り出した。
彼の衣服は強烈なワームの胃酸で溶けており、皮膚も火傷した様に真っ赤になっていた。
「熱!おいっ!しっかりしろ!衛生兵!すぐ来てくれ!要救助者1名。全身火傷!心肺停止!」
警備隊長が緊迫した表情で報告した。
駆け付けた衛生兵が心肺蘇生処置に成功し、そのままストレッチヤーに乗せられたまま大月は建物内の医務室に運ばれた。
大月の全身と呼吸器内部に及んだ胃酸による火傷は重症で、感染症が懸念された為、応急措置を済ますとすぐに自衛隊中央病院にヘリで搬送された。
病院では、未知の火星生物の胃酸と火星生物体内に存在する細菌からの感染症を警戒し、無菌状態を保った特設の集中治療室で不断の救命措置が取られた。
2時間後に東山と西野、ミーコ、イワフネが病院内に現れた。
待っていた岩崎と自衛隊病院の担当医官が状況を説明し、西野に頭を下げた。
西野はミーコを岩崎に紹介し、東山が尖山で起きた事を報告した。
岩崎と東山は澁澤に報告する為に首相官邸に戻り、ミーコとイワフネだけが残った。
集中治療室を写すモニターで、全身を包帯で巻かれ酸素吸入器を付けて|昏睡《こんすい」する大月の顔を見ながら、西野はミーコに「ありがとう」と涙声で礼を言った。
ミーコは何も言わずに西野にしがみついて、西野の耳元で『何とか内臓だけは溶けるのを防いだから大丈夫、だよ』とそっと言った。
西野はミーコの首筋に顔を埋めて|泣いた。
イワフネは何も言えずにその場で立ち尽くしていた。
市ヶ谷に出現した巨大ワームの亡骸を検証していた日英化学防護部隊は、ワーム体内から更に数名の米軍海兵と思われる体の一部を発見したが、大月以上に溶解が進んでおり、衣服で辛うじて体組織を保っている状態だった。
大月の他に生存者は、居なかった。
余りに酷い光景に、立ち会った英国極東軍ロイド少将が「悪夢の光景だな。」と呟いた事で、日英将兵はこの出来事を『市ヶ谷の悪夢』と呼んだ。
首相官邸で岩崎の報告を受けた澁澤総理はあまりの酷さに愕然としたが、直ぐに立ち直って、火星生物対抗策を省庁横断型チームで至急立案するよう指示した。
次に、極東アメリカ合衆国のミッチェル大統領にホットラインで大月が重症を負った事について、政府首班として厳重抗議した。
ミッチェル大統領は平謝りするしかなかったが、上陸艦隊も多くの艦船が損害を受け、ワームに撃沈された艦は3割を超え、海兵隊にもかなりの犠牲者が出たと澁澤に報告した。
澁澤は晴海埠頭の使用と自衛隊横須賀基地での修理、兵士の治療支援を約束した。
極東ロシア連邦のパノフ大統領も、澁澤の厳重抗議に対し、率直に謝罪した。
ロシア海軍の損害は最新鋭ミサイル巡洋艦や原子力潜水艦を始め、半数が帰還出来なかった。
パノフ大統領はかなり憔悴していた。
こうして、極東米露艦隊によるアルテミュア大陸上陸作戦は無惨な失敗に終った。