地球暦2019年10月8日午後5時【NHKニュース】
NHKに伝わる冷静な口調を受け継いだ男性アナウンサーが臨時ニュースを伝えていた。
「防衛省によりますと昨日午後10時頃、北海道北東部沖250kmの北太平洋で極東アメリカ、極東ロシアの連合艦隊が火星巨大生物の襲撃を受けた模様です」
「極東米軍関係者によりますと、襲撃により多数の艦船が大破、沈没し、多くの犠牲者が出ているとの事です」
「この件に関して、間もなく岩崎内閣官房長官による緊急記者会見が行われる模様です」
「スタジオには、東南海大学海洋学部の岬渚沙教授にお越しいただいています」
岬は研究中に呼び出されたのか、サンダル履きの白衣で髪も慌てて纏めたように乱れていた。
「岬教授、この火星巨大生物とは具体的に何を指すのでしょうか?」
アナウンサーが岬に尋ねる。
「マルス人は以前から、火星が地球型環境になる以前からの生物として、幾つかの種類を挙げていました。火星の『極めて過酷な』環境を生き延びていた、巨大ワームや、サソリモドキ、巨大トカゲ等ですね。この中で海中でも短時間活動可能な生物を考えるとおそらく、巨大ワームでしょう」
岬が淡々と答えた。
「マルス人が公開した情報によりますと、巨大ワームの全長は200m程度、鱗に覆われた強靭な筋肉質を持つ生物です。幅5mの口を持ち、周辺の生物を根こそぎ吸い込んで強力な胃液で消化するようです」
男性アナウンサーが引きつった顔で岬の説明を聞いていたが、急にイヤホンに手をやると、
「ただいま、首相官邸の記者会見場に岩崎官房長官が姿を見せました。間もなく会見が始まるものと見られます」
壇上の日の丸に一礼して上がった岩崎官房長官は原稿をやや早口で読み上げた。
「昨晩、北海道沖250kmの北太平洋 シレーヌス海上において、火星アルテミュア大陸上陸を目指していた極東アメリカ、極東ロシアの連合艦隊が巨大ワーム群に襲われ、多数の潜水艦、巡洋艦が沈没し、その他の艦船も甚大な損害を受けたため、上陸作戦を断念したとの連絡が政府にありました。この襲撃により、多くの乗組員や海兵隊員に犠牲者が出ているとの報告も受けております。現在、医療支援が行える艦船、航空機を現地に派遣しているところであります」
岩崎は一旦息をつくと、今度ははっきりと、聴きやすい早さで原稿の続きを読み始めた。
「尚、この上陸作戦に我が国の民間人1名が現地での案内役として同行していましたが、巨大ワームに襲われ、救助されましたが、現在、意識不明の重体です」
「我が国の民間人は、極東アメリカ合衆国の『強い要請』を受けて同行しておりました。政府は本件について直《ただ》ちに澁澤総理大臣がミッチェル大統領、パノフ大統領にホットラインで厳重抗議をいたしました」
「民間人は現在、東京都内の病院で専門家による治療を受けておりますが、皮膚の大部分を喪い、呼吸・免疫機能が低下して危険な状態です。直ちに代用の皮膚を手当てしないと火星生物由来の未知の細菌や微生物が侵入し、患者の生命が危険にさらされてしまいます。入院病院に有る代用皮膚の在庫が、間もなく底をつきます。
どうか、各医療研究機関におかれましては、代用皮膚の提供をお願いするものであります」
岩崎が深く、長く、頭を下げた。
記者会見を取り仕切っていた東山が記者達に質問を促すまで岩崎は頭を下げ続けた。
政府が会見で全国に支援を求めた予想外の光景に、記者達は声も出せなかった。
彼らの目には、まるで岩崎が重体の民間人に深く謝罪しているように見えたのである。
やがて質問が始まり、騒然となった記者会見の様子を写した映像からスタジオに画面が戻り、
「岬教授、今の会見で岩崎官房長官が述べた民間人の容態が深刻という事ですが、ワームに襲われて、皮膚を喪うという状況をどのようなものだと推察されますか?」アナウンサーが質問した。
「直径5mある巨大ワームの口から吸い込まれたのでしょう」
岬は戦慄した表情で説明した。
「おそらく、巨大ワームの消化 器官には非常に強い胃酸が有り、それで身体を『丸ごと焼かれた』のだと思われます。負傷者の容態は我々が想定する以上に深刻なものだと判断せざるを得ません」
岬はそう言うと席を立ち、
「私の研究室でも代替皮膚の研究と火星生物の研究をしています。これから負傷者の為に、代替皮膚提供の準備をします」
岬が白衣を翻してパタパタとサンダルの音を響かせながらカメラの前を横切った。
この光景を目にした全国の医療機関や製薬会社から、代用 代替皮膚提供と専門医師派遣の申し出が首相官邸に殺到した。
内閣官房の東山は、大月の治療を行う医師、代替皮膚や複合型皮膚の生成を行う医師、未知の火星生物による細菌感染症を防ぐグループに分け、24時間態勢で大月の治療に当たった。
官房長官の岩崎と澁澤は、毎日必ず大月の容態に関して報告を受けた。
同時にこの専門医集団は、米露艦隊の負傷者手当ても行った。
これらのデータは各国医療機関に即座に伝えられ、集積された。
国交省 海上保安庁と自衛隊は、巨大ワームの侵入を警戒して、北海道近海の漁船や貨物船等民間船舶の航行を禁止した。
大月が意識を取り戻したのは約2週間後だった。
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地球歴2019年10月12日午前7時【東京都 千代田区永田町 首相官邸 総理大臣執務室】
国営放送でありながら、対馬事変を経ても相変わらず批判的な偏向姿勢を崩さない、空気の読めないHKニュースの女性アナウンサーが、元気一杯に喋!る。
「1ヶ月に渡り、与野党が全国各地で議論されてきた澁澤政権の拙速な政権運営と、我が国の遅すぎる火星文明承継方針に対する国民の審判が下される国民投票日になりました!火星文明と火星新天地開拓に関する国民の総意が示される日です!」
「ここまで来るといっそ清々しいですな」
岩崎が呆れた声で言った。。
「極東米露の火星上陸作戦が失敗した現在、こちらに分はある」澁澤総理が言った。
「払った犠牲は大きかったですな」岩崎が言った。
「ああ、どこかで責任は取らんとな」澁澤は天井を仰いだ。
ーーー13時間後
同、12日午後8時1分。【NHKニュース国民投票 開票 特別番組】
今朝方明るくニュースを"しゃべる"女性アナウンサーに代わって、伝統的な冷静さを保つ声音の男性アナウンサーがニュースを『伝え』始めた。
「各投票所からの速報を集計した結果、火星文明承継方針について、段階的承継派が82%、火星開発計画の推進が45%という結果になりました。
これは、現在の澁澤政権の政治姿勢に一致するものとなり、非常事態宣言以降の国家運営に評価を与える事を意味します」
「しかしながら、国内自給率 が現段階で70%前後と国民全体を養うには至らず、政府備蓄の減少が今後の国家運営の課題となりそうです。首相官邸は、ーーー」
火星転移後の国内政治基盤を固めたものの、澁澤達のやるべき事は多かった。