地球暦2019年10月22日未明【東京都世田谷区 自衛隊中央病院 集中治療室】
大月はふと、目を覚ました。しばらくぼんやりと天井を見つめ、思考を働かせようとしたが酷く寝起きが悪い時のように頭が重く、身体はピクリとも動かせなかった。
声を上げようにも酸素吸入器が喉奥、おそらく気管まで入っているのだろう。
どうにも出来なかった。
どうにも出来なかった、と頭の中でしゃべると不意に涙が止まらなくなった。喉から嗚咽が込み上げるがどうにもならない。
大月はただひたすらに涙を流し続けていた。
大月の変化に最初に気付いたのは、集中治療室隣の待合室に居たミーコだった。
ミーコはユサユサと待合室のソフアーでコクりと眠る西野ひかりを動かして言った。
『彼が起きた』と。
その言葉を耳にした瞬間、ミーコでも目を見張る程の瞬発力で西野は飛び起き、集中治療室のモニターに目を凝(こ)らした。
目を細めてよくよく見ると、目を開けて、涙を流していた。
「ーっ!」西野は集中治療室に直通するインタホンに向かって、
「大月さんが起きました!」と叫んだ。
西野のコールとほぼ同時に、その夜のシフトで入っていた東南海大学の岬教授が大月のベッドに駆け付けて確認を始めた。
岬はモニターに向かって大きく手で輪を作り、起きた事を知らせた。
西野は涙を流して喜んだ。
朝になると、祖父の仁志野や東山と春日、イワフネ、岩崎官房長官まで駆け付けた。
皆、大月が昏睡状態を脱したことを心から喜んだ。
その後、岬教授から西野ひかりと祖父、イワフネが別室に呼び出されて大月の現状と今後のリハビリについて説明した。
岬は極力感情を自制しながら説明した。
「入院時にご説明した通り、大月さんの皮膚はまだ殆ど喪われたままです。代用皮膚を毎日当てていますが、それでも全身からリンパ液が常に出続けています。意識のある状態で毎日、全身の皮膚を取り替える治療は想像を絶する痛みを伴います」
西野の顔が引きつった。
「また、数ヵ月後に皮膚が定着、再生成されても、皮膚が固まらないように、毎日身体を動かさないといけません。これも、相当な痛みを伴います。大月さんがこの苦痛に耐えられるかが今後の問題になるかもしれません」
岬は説明を終えた。
室内に沈黙が漂った。
「麻酔とかで痛みを緩和できないのですかな?」西野の祖父が訊いた。
「毎日麻酔をかけると、おそらく、薬物中毒になりますね。確実に」岬が告げた。
「そこで、イワフネさんです」岬は不意にイワフネを見つめた。
「もし、マルス人が鱗を剥がされるような怪我を負った場合はどうするのでしょうか?」
岬が質問した。
イワフネは暫く考えると、
「我々は鱗が再生されるまで、培養カプセルに収容して、半冬眠状態で培養カプセルから必要な成分を使って皮膚の再生を試みるでしょう」
と答えた。
岬は、訊いた。
「それは、尖山の施設に有りますか?」
「有ります。調査中に負傷した隊員の治療に使いました」イワフネが答えた。
その返事を聞くなり岬は
「暫くお待ちください」と言って部屋を飛び出していった。
数分後に、岬と岩崎官房長官が入ってきて、
「イワフネさん、大月さんの治療にご協力お願い出来ませんか?」と二人とも頭を下げてイワフネに頼み込んだ。
イワフネは苦笑して、
「分かりました。大月さんには沢山お世話になっています。我々も手伝いましょう」
と言った。
待合室に戻ると、ミーコが西野にしがみついてきて、「私もついていくよ」と言った。
東山と春日は、「後はこちらで何とか回してみるから心配無用だ」
「西野さん、大月さんを宜しくお願いします」と言って来た。
仁志野社長も、
「ひかりちゃん、ワシも岩崎さんや他の社員と空いた穴を何とかするから、気にせんと大月さんの面倒みるんやで」と励ました。
岬教授は、
「地球側の医療関係者として私もついて来てよろしいでしょうか?」とイワフネに尋ねると、
「私達ではヒトの治療経験が乏しいですから、是非ご同行お願いします」と快諾された。
大月の搬送には、マルス側からの申し出でアダムスキー型シャトルが使われる事になった。
大月を乗せたストレッチャーがシャトルに近付くと、シャトルの下部から同じくストレッチャー形のカプセルが表れて大月をストレッチャーからスムーズにカプセルに収容した。
やがてイワフネ、西野、ミーコ、岬教授を乗せてアダムスキー型シャトルは尖山に向かった。
尖山に行く途中から到着後も、岬教授はイワフネ、駆け付けたゼイエスとマルス人治療用 培養カプセルを地球人用に成分を調整する打ち合わせに没頭した。
1時間後、大月は急遽 、成分調整されたヒト治療用カプセルに収容された。
治療用カプセルには身体から染み出たリンパ液や老廃物、汚物を分解し、皮膚や焼けた内臓器官を再生させる溶液に満たされている。呼吸器官が修復されると肺が直接溶液を取り込んで酸素吸収が出来る様になるらしい。
現代医学は動物実験でさえ、倫理的に問題ありと物議をかもしていた新技術である。
それをヒト用に調整した岬の能力は天才的と言える。
こうして大月の皮膚再生治療は無事、始まった。
岬とゼイエスの手探りによる治療は続けられた。
岬とゼイエスの共同医療技術の模索データは、『タカミムスビ』から自衛隊中央病院に日々転送され、火生研医師団と地球人医師にも取扱い可能な簡易型『溶液治療カプセル』が開発されて厚労省の特例で即時認可された。
このカプセルは、治療に当たる医師や看護士の負担を軽減すると同時に、患者自身の苦痛も和らぐ事から、火星転移直後に国際線旅客機に乗って被曝した多数の乗員乗客、空自偵察機の高瀬少佐、米露艦隊負傷者の治療に大いに役立った。