転移列島   作:NAO

95 / 121
なろう小説の方でホラーイベント用に書いた短編を加筆修正して転移列島用にしました。良かったら、どうぞ。


命令はまだか!?

2022年3月10日午前0時4分【東京都 新宿区 市ヶ谷 防衛省本庁舎 防衛大臣執務室】

 

 防衛大臣の桑田は昨日未明から働き詰めだった。北海道東方沖と尖閣諸島で相次いで国籍不明不審船の目撃情報が相次いだ為である。

 

 北海道東方沖では極東ロシア連邦の国旗を(かか)げたミサイル駆逐艦が領海内を悠然(ゆうぜん)と航行しているのを漁船が発見した。

 

 尖閣諸島では謎の木造漁船が異常な高スピードで海上保安庁巡視船を振り切って逃走を続けているとの通報があった。

 

 いずれの地域も自衛隊艦船が接近しようと試みるとすぐに距離を置かれてしまい、詳細が確認出来ないと現場の指揮官が本部に指示を求めていた。

 

 たまたま定例視察で地下司令センターに居合わせた桑田は第1報 入電時(にゅうでんじ)から陣頭指揮を()り、空自・海自を大規模に動員して捜索活動を続けていた。

 

しかし、空自の早期警戒機を投入しても探知されず、業を煮やした桑田はイージス艦と潜水艦隊も投入、さらに横須賀のユニオンシティ海軍司令部(コマンド・ケイプ)と協議して横田基地と横須賀沖の空母『ロナルド・レーガン』から電子戦哨戒機まで動員して総力を挙げた捜索を行ったが、日没時に()いても発見報告は無かった。

 

 統合幕僚監部の報告を受けた桑田は地下司令センターから執務室に戻って仮眠を取っていた。

 

 午前1時頃、突然執務室の扉を激しく叩く音と共に、

「桑田隊長!敵襲でありますっ!ご命令願いますっ!」

と大声で若い隊員と思われる声が桑田を叩き起こした。

 

「わかった!今行く!」

と桑田は返答して身支度(みじたく)を整え始めた。

 

 桑田は父親が旧日本陸軍近衛連隊出身であり、桑田自身も高校卒業後に陸上自衛隊に入隊して30代まで普通科連隊の中隊長として勤務した経験を持つ。

 

そんな彼は常日頃から秘書官や防衛事務次官、当直隊員に「俺の事は大臣と呼ぶな、「隊長」と呼べ」と言っていた。

 桑田は突然の火星生物襲撃で司令センターから急ぎの伝令が来たのだろうと思った。

 

「準備が出来た。入ってよし!」

桑田が大声で入室を許可したが、扉が開く事は無かった。

しばらく待っても隊員の声が聴こえないので扉を開けてみたが、執務室の外は深夜で人気(ひとけ)もなく、しんと静まり返っており、誰も居なかった。

 

 不審に思った桑田は内線電話で大臣官房に問い合わせたが、

「大臣に緊急の連絡や官邸からの呼び出しなどはありません」

との事だった。

 既に事態は収束したのかと思って眠気を感じた桑田は再び仮眠に就いた。

 

その日---

 

 再び昨日と同じ海域で不審船舶が警戒中の海上保安庁巡視船に目撃され、桑田は仮眠もそこそこに、早朝から地下司令センターに(こも)りっきりとなった。

 そしてまたしても日没と同時に、不審船舶の情報は途絶えたのだった。

 徒労感に襲われた桑田は現場への指示や官邸への報告で疲れた頭を休ませるべく、いつもの仮眠場所である大臣執務室にある折り畳み式の簡易ベッドで仮眠していた。

 

3月11日 午前零時を過ぎた頃、大臣執務室のドアが激しく叩かれて、

「敵襲です、桑田隊長!ご命令を!」

と再び例の隊員の声が聴こえたので桑田は、

 

「どこが攻めて来たのだ!」

と訊き返すと。

 

「敵襲に付き、隊長殿のご命令を至急頂きたいのであります!」

と返事が返ってきた。

 

「分かった、入室してよし!」

と桑田が入室許可を与えたが一向に外の隊員は室内に入ろうとせず、ドアをドンドン叩いて

「失礼します!敵襲です!桑田隊長!ご命令願いますっ!」

と先程と同じ行動を繰り返していた。

 

そのうちにノックの音が大きくなり、数人の隊員が慌ただしく話す声がした後に「バカヤロー!」と怒声が響いてドアをガンガンと数人がかりで懸命に叩く気配が伝わってきた。また、()げ臭い匂いも部屋に漂い始めた。

 

流石に異常事態と気付いた桑田はベッドに腰かけたまま内線電話で大臣秘書官を呼び出したが、秘書官は冷静さを保っており、

「現在のところ、襲撃など大臣に報告を要する緊急の事象は発生していません」

との返答だった。

 

 首を捻った桑田は、

「執務室の外で数人の隊員が大声でドアを叩いて騒いでいる」

と伝えると電話口の向こうから息を呑む音が聞こえ、「直ぐに向かいます!」と言って通話が切られた。

 

 1分もしない内に当直警護隊が大臣秘書官と完全装備で駆け付けたが、執務室の外は静まり返っており、やはり誰も居なかった。

 

 駆け付けた隊員が執務室の扉を念入りに調べたところ、木製の扉に無数の血塗(ちまみ)れの手形が残されており、その場で警備隊が市ヶ谷警察署に通報した。市ヶ谷署の鑑識課が現場検証を行ったが、やはり多数の手形が(かす)かな焦げ跡と共に扉の外側にびっしりと残されており、警視庁は防衛省本庁舎への建造物不法侵入と器物損壊、威力業務妨害容疑で捜査を開始した。

 

連日の徹夜と不可解な出来事で疲弊(ひへい)した桑田は大臣車で大田区田園調布の自宅に戻ることにした。

市ヶ谷から首都高速3号線で用賀に向かう途中、車内で微睡(まどろ)んでいた桑田は、後部座席背後の窓ガラスがバンバンと叩かれる音で飛び起きた。

 

 テロリストの襲撃かと身構える桑田と助手席のSPだったが、運転手は思わずブレーキを踏んで速度を落として路肩に停車しようとした。

 

「馬鹿!速度を落とすな!思う(つぼ)だ!」

SPが叫ぶと大臣車は急減速から急加速した。

運転手は顔面蒼白で前方を懸命に見据(みす)えてハンドルを握っていたが、バックミラーを凝視(ぎょうし)した途端に「ぎゃっ!」と小さく(うめ)くとハンドルに()()してしまった。

 

 運転手の異常に気付いたSPはちらりとバックミラーを一瞥(いちべつ)した後に、後部座席の桑田を気遣いつつも振り返らずに、

「そのまま振り向かずに姿勢を低くして前方か床だけを見ていてください!直ぐに応援を呼びます」

 

と告げるとぐったりした運転手を助手席側に引き寄せてハンドル前へ移動してアクセルを踏み込むと猛スピードで用賀料金所を目指して疾走(しっそう)した。

 

 桑田は襲撃の恐怖で飛び降りたくなったが、自衛官時代に培ったなけなしの根性を総動員して後部座席の床にかがみこむように身体を丸めながら車中に留まった。

後部窓ガラスを叩く音はガンガンと激しさを増し、頭上からもドスドスと足音が車の天井を突き破らんばかりに響いていた。

 

 5分後、大臣車が用賀料金所に辿り着く寸前に大臣車を叩く物音はぴたりと治まった。

SPからの緊急通報を受けて待機していた機動隊と警視庁公安の車両が大臣車を護るように取り囲んで桑田を保護し、意識不明の運転手と到着直後に卒倒(そっとう)したSPは救急車で病院に搬送された。

 

 救急搬送された病院で運転手は急性心不全による死亡が確認され、SPは極度の緊張と疲労による脱水症状と意識障害を引き起こしているものの命に別状は無かった。

 

 SPは卒倒する寸前に、

「車の後部窓ガラスに複数の(すす)まみれの真っ黒な人影が取り付いて白い瞳を見開いて何かを叫びながら車の天井と窓ガラスを懸命に叩いていた」と同僚のSPに話した。

 

 桑田自身も念のため、世田谷区の自衛隊中央病院に搬送されて当直医官の診察を受けたが、軽い脱水症状だけであり、一晩の安静で改善されると診断された。

 

 昨日の防衛省内大臣執務室の不審者侵入騒動で捜査を開始していた警視庁は、新たな事件に仰天して大臣車の現場検証を行ったが、後部窓ガラスに血液がこびりついた無数の手形と、焦げ跡の着いた無数の足跡が天井部分で発見された。

警視庁と公安が所有する生体データに該当する手形や血痕の人物は存在しなかった。

鑑識は手足の大小から容疑者は少なくとも5人と推定した。

 

 夜が明けて、早朝から警視庁から病室で報告を受けた桑田は、事態を深刻なものと(とら)えざるを得なかった。

 

 桑田は今まで心霊やオカルトを信じていなかった。UFOに関しては、マルス文明との遭遇(コンタクト)もあり、確実な物証が有れば認めるが、未だ物証を眼にしていない。

しかし、事ここに至ってはその考えを改める必要があるかも知れないと弱気になっていた。

 

 警視庁担当者が病室を出た後、岩崎官房長官が見舞いに訪れた。

「お身体の調子はいかがですか?」

 

「心配かけて済まない、岩崎さん」

桑田はベッドから身体を起こすと頭を下げた。

 

「いえいえ、お気になさらずに。あなたが無事で居てくれて良かった。一体何が起こったのですか?」

岩崎が桑田を(いた)わりながらも事情を聴く。

 

 桑田は意を決して昨晩から身辺で起きた出来事を岩崎に説明した。

 岩崎は桑田の話を聴くと、彼の目を真っすぐに見つめて訊いた。

「桑田さんのお父上は前の戦争の時に近衛連隊に所属されていたのですよね?」

 

「ええ、終戦前の数か月間だけでしたが何か?」

「お父上は当時「市谷(いちがや)」の陸軍参謀本部を護る市谷高射砲陣地へ応援に行かれていたと聞いた事が在ります。()の辺りを調べると良いでしょう」

それだけ言うと岩崎は用事を思い出したと言って、病室を出ていった。

 

病院を出ると岩崎は国家安全保障局に連絡を入れて内閣調査室長を呼び出すのだった。

 

2022年3月11日午前11時【東京都千代田区永田町 首相官邸】

 

岩崎と内調の責任者は、ミツル商事に転職したの(みさき)渚紗(なぎさ)から電磁波の人体への影響について説明を受けていた。

 

「それでは、幻覚を見る可能性があると?」

岩崎が訊く。

 

「はい。特殊な電磁波は人体の思考中枢部の脳神経を麻痺(マヒ)させる事が出来ます。その上で、電磁波に()()んだイメージに従って幻覚を見たり、幻聴(げんちょう)と言う症状を起こす可能性がありますね」

岬が答えた。

 

「そのような話は聴いたことがない」

内調の責任者が首を捻る。

 

「当たり前です。そのような非人道的実証実験なんて日本国内で出来る訳無いじゃないですか!」

岬が憤然(ふんぜん)として答えた。

「電磁波による脳神経中枢の操作は、人体に与える負荷が人によっては耐えられない場合があると思われます」

「最悪、急性心不全やアルツハイマー型痴呆症の発症があるでしょう」

岬が神妙な顔で説明する。

 

「とはいっても、人間の脳は普段90%しか使われていないと言われていますから、程よい刺激で普段は()れない物を()てみるのも良いかも知れません」

 

岬の言葉に岩崎は(うなず)くが、

「あくまでもそれは個人が決めるべきでしょう。人体へのリスクを考えれば尚更(なおさら)でしょう」

と岬博士に釘を刺すのだった。

 

 岩崎官房長官が桑田の病室を出た後に、桑田は防衛大臣秘書官を呼んで、桑田の父が近衛連隊から牛込区市谷の高射砲連隊に派遣された状況を調べるように「お願い」した。

 政治家の私的な「お願い」は、近年世間の目が厳しいので拒否もやむなしと覚悟したが、秘書官は以外にも快諾して直ちに作業に取り掛かっていた。

 

 午後になって桑田は安静に過ごしていた自衛隊中央病院を抜け出すと、市ヶ谷の防衛省本省に戻った。

 程なくして、大臣秘書官が桑田に調査結果を報告するために執務室を訪れた。

 

「急な所無理にお願いして申し訳ない」

桑田が頭を下げる。

 

「そんな!頭を上げてください隊長。隊長の一大事ですから、みんな心配しているのですよ?特に当直の隊員たちが大変心配していました」

秘書官が恐縮する。

 

「そうか。後で差し入れでもせんとな。番記者共にこの出来事は知られているのか?」

「いえ。大臣車の運転手が過労で交通事故を起こしたとだけ」

 

「この状況が一息つけたなら、ご家族の弔問(ちょうもん)に行かねばならんな。手筈(てはず)を頼む」

「わかりました。それで、例の件で報告です」

 

「どうだった?」

「少し報告にお時間がかかりますが?」

 

「構わんよ。私は今も入院中という事になっている」

桑田がニヤリと笑った。

「では、報告します」

秘書官は一息つくと、ゆっくりと確かめるように資料に目を通しながら説明を始めた。

 

「隊長のお父上は1945年3月1日付けで近衛連隊から一時的に市谷の高射砲連隊小隊長に任命されて、不足していた下士官の代わりを務められています」

「そのことは亡き親父(おやじ)幾度(いくど)か聞いたことがある。任官間もないのにいきなり小隊長をやれと言われて困ったと言っていたな」

 

「そうでしたか。当時の連隊日誌では桑田小隊長は厳しくも面倒見が良い優しい上官だと部下からの信望も厚かったようですね」

「私も早くそうなりたいものだ」

 

「充分でしょうに。さて、3月1日に転属して10日後、「あの空襲」がありました」

「東京大空襲だな?」

 

「はい。桑田小隊長は部下の高射砲小隊に迎撃準備を指示した後に単身、司令部へ弾薬の補充を直談判しに向かったそうです」

「あの頃は弾薬も(ろく)に補給されていなかったらしいな」

 

「ええ。大編隊のB29相手に弾薬が不足気味の対空砲火など、自殺行為もいいところでしたが、桑田小隊長は何とかしようという思いで直談判に乗り込んだのでしょう」

「親父らしい」

 

「そして小隊長殿の補給要請は一蹴されてしまいましたが、連隊長から配下の将兵を連れて埼玉県川越に変更配置せよという命令をもぎ取ってきた様です。変更配置は言い換えれば一時的な避難許可ですね」

「それは知らなかった。それで父は部下を救えたのか?」

 

「残念ながら・・・。連隊司令部からの帰途に敵戦闘機の機銃掃射で乗っていた連絡車両が破壊され、徒歩で身を隠しつつ市谷の陣地に戻ったようですが、焼夷弾の大量投下後で周囲は火の海だったそうです」

 

「空襲後に桑田小隊長は、対空陣地をくまなく探して部下を見つけようとしましたが、辺り一面が焼失していて、遺体と陣地資材の区別が付かない程、焼け焦げていたようです」

秘書官が沈痛な面持ちで報告を続ける。

 

「結局、桑田小隊長指揮下の将兵は全員行方不明のまま、戦死扱いとなっておりました。遺骨も未だ見つかっておりません。以上になります」

 

桑田も、大臣秘書官も、(しばら)くの間、言葉が出なかった。

 

2022年3月11日午後4時【東京都港区六本木 ユニオンシティ国大使館】

 

岩崎官房長官は内閣調査室の室長を伴って駐日大使のもとを訪れていた。

 

「大使閣下。ご多忙中の所申し訳ない」

「とんでもない。友好国の官房長官ならいつでも歓迎しますぞ!」

大使が大げさな仕草で二人を出迎えた。

 

「感謝します、大使」

岩崎はそう言うと本題を切り出した。

 

「ところで一昨日(おととい)から我が国の一部地域でかなり強力な電磁波が観測されましてね。一部の観測所では観測機器が故障するほどの異常レベルでした」

「それは・・・災難でしたな。リベラルを標榜(ひょうぼう)する修正マルクス主義カクマル派かカルト宗教の仕業でしょうか?」

 

「残念ながら違うようです。彼らが言うところの電磁波が人間を狂わせるなど、我が国ではその手の事象は確認されておりません。ただ、貴国の幾つかの研究機関では積極的に取り組んで成果を上げているようですが?」

 

「とんでもない!われわれの技術は貴国の後塵(こうじん)を拝しています。ですが過去の実験では特殊な電磁波が脳神経の思考中枢に作用して、一種の幻覚や幻聴を引き起こして自律神経をマヒさせると聞いています」

 

「そのような非人道的実験は我が国の中では到底認められないものです」

「それは我が国も同じですとも」

 

「我々の調査によりますと、今回の電磁波の発信場所は不思議な事に、三沢、横田、岩国にある貴国通信施設周辺であり、我が国が極秘裏に保有する早期警戒衛星を経由(ハッキング)して北海道東方沖、尖閣諸島沖、そして市ヶ谷の防衛大臣室のある庁舎に集中して照射された形跡を確認しました」

「ほう・・・。それは不思議な偶然ですな。我が国に責任を(なす)り付けようとする英国連邦極東やユーロピア共和国の陰謀でしょう」

大使がすっとぼけて見せた。

 

「そうであれば良かったと、心から願っていましたよ」

抑揚(よくよう)のない声音(こわね)で岩崎が応える。

 

「我が国が持つ早期警戒衛星のアクセスコードを知る者は総理の他に数人だけです」

「当然でしょうな。我が国でもそうしています」

 

「ご理解いただけたようで助かります。我が国はこれ以上の行動を見逃す事は出来ません!該当する犯罪組織を発見した場合、帰属する国家や組織に対し我が国は最大規模の経済制裁と国交断絶を宣言するでしょう」

「惑星間多国貿易を標榜(ひょうぼう)する貴国にそれができるのか?」

 

「我が国の存亡に関わる事ですから、やり遂げる事になるでしょう。少なくとも澁澤総理と私はそのように認識していますよ」

「しかと(うけたまわ)った。我が国も犯罪組織の捜査に協力しよう。我が国は貴国と常に共に在るというのがソーンダイク代表のお考えです」

 

「感謝します。これ以上、人類連合を弱体化させる訳にはいけません」

「まったくだ。偉大な連合に栄光を」

 

岩崎官房長官がユニオンシティ国大使館を出て直ぐに大使は横須賀基地の情報将校を詰問(きつもん)して電磁波の一種であるリリー波を使った実証実験中止を迫り、実験を続行した場合、地球と火星諸国の関係悪化は必至(ひっし)であるとの報告書をボレアリフシティと月面都市(ユニオンシティ)へ打電した。

 

同日午後8時【東京都新宿区市ヶ谷 防衛省敷地内】

 

 大臣秘書官の報告を受けた桑田は気分転換がてら散歩をしたくなり、SPと当直警護隊員を連れて敷地内の人があまり立ち入らない緑地帯を散策していた。

 桑田は緑地帯の一角に古く朽ちた(ほこら)を見つけると無性に祈りを捧げたくなり、隊員にお酒と線香を用意させた。

 

 (ほこら)に日本酒とお線香を供え、桑田は静かに感謝の念と、迷わずに靖国神社で英霊となるように願いながら合掌(がっしょう)した。

 

 幾分落ち着いた気持ちになった桑田が執務室に戻ろうと(きびす)を返そうとした時、

「ご命令確かに(うけたまわ)りました!」

「小官らはお先に靖国でお待ちしております!隊長はどうぞごゆっくりいらしてください!」

「小隊、桑田隊長に敬礼っ!!」

 

と数人の呼びかける声と遠ざかる軍靴(ぐんか)の足音が桑田の耳に聴こえた。

桑田は思わず(かたわ)らのSPに「今、何か聞こえなかったか?」と(たず)ねたが、その場に居た者は怪訝(けげん)そうな顔をすると皆、首を横に振るのだった。

 

 その日の夜は大臣執務室の扉を叩く者も居らず、不審船舶出没の報告も途絶(とだ)えていた。

 

 翌朝、桑田は早朝に昨晩の(ほこら)を訪れたがそこに(ほこら)は存在せず、1本の桜の大木があるだけだった。

 

警護の隊員にその事を伝えると、

「昨晩は隊長が突然桜の木の下でお供え物をして手を合わせたので驚きました」

と返事が返ってきて桑田を驚かせた。

 

 桑田は大臣秘書官にこの話をしたが、初老の秘書官は静かに微笑(ほほえ)むと

「良かったですね」と一言だけ言った。

 

 また、岩崎官房長官にも事の顛末(てんまつ)を伝えたがやはり彼も、

「桑田君はお父上の代わりとして、立派に(つと)めを果たしましたね」

と思慮深げな顔で答えるのだった。

 

 桑田は防衛大臣を務めた任期中、毎年3月10日になると必ずあの桜の木を訪れて(そな)え物を欠かさなかったという。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。