将棋勉強していくので暖かい目で見守ってください。
プロローグ
享年86歳、日本を代表する将棋棋士死去。
そのニュースは瞬く間に日本中に広まった。彼の名を知らないものはいない。
通算成績1975戦1450勝525敗勝率0.73歴代2位のまさしくトップの棋士が死んだのだ。
死因は老衰。けれど、最後まで彼は棋士として生き続け、その生涯に幕を閉じた。
*
「のはずだったんだけどなぁ…」
見た目5歳の男の子はそうポツリと言葉を洩らした。
目の前は、子供たちが無邪気に遊んでいる光景が目に入る。
彼は顎に手を掛け考える。
生まれてこの方5年、気が付いたら女性の乳房をむしゃぶっていた。俺は棋士として、生涯に幕を閉じたと思ったんだが…、これが俗にいう「転生」という奴か?生前の若手棋士がそれで盛り上がっていると教えてくれたことがある。
訳が分からない…、けど折角だ。この生を謳歌するのもいいな。
まぁ、一つだけやり残したことがあるが…。
彼、八柳太一はため息を零した。
歴代2位の彼がやり残したこと、それは自分の上に位置していた彼を終始倒しきることができなかったというもの。彼は将棋界の生きる伝説、若手たちには神とまで呼ばれている強者だった。一時期は7冠まで駆け上がり、最終的には永世7冠にまで至ったまさしく最強棋士。
八柳太一の勝率は行って、2割5分といったところ。彼に負け続けた悔しさは死んだ後も拭えない。
だが、彼は元プロ棋士。将棋から離れることもできずに、親から買ってもらった将棋盤を幼稚園の教室で広げ、昔の棋譜を再現して遊んでる。たまに、先生たちと対戦するが何せん、素人、手加減しつつ負けてあげる。この年で将棋で負けるのは悔しくて仕方がないだろうという年長者の配慮である。
すると、一人の男の子が近づいてきた。
「ねぇ!何やってる!?」
「これは―――将棋だよ、九頭竜君」
九頭竜八一、将来の最年少タイトルホルダーに八柳太一は笑顔で答える。
*
幼稚園で九頭竜八一に将棋について教えた後、家に帰る時間になった。
家は、祖母と祖父の3人暮らし、両親は、訳あって今年から外国で働いている。
和式風の敷居を跨ぎ、真っ先に祖父の所へ向かう。
「おじーちゃん!」
「おお!太一来たか!」
祖父は既に準備万端のようだ…。
ごくりと喉を鳴らし、下座に座る。
目の前の老人は元名人の―――プロ棋士だ。
駒を交互に並べ、振り駒をする。俺が先手番だ。
これがいつもの日常。家に帰ったら祖父と一局指し感想戦をやる。これが今のところ俺の一番の楽しみだ
俺は歩を持ち▲2六歩と指す。祖父もまた△8四歩と進める。
その日の対局が終わったのは3時間後。俺の勝利であった。
「太一、お前は才能がある」
感想戦が終わると祖父がそう言ってきた。
「才能…」
「ああ、お前は間違いなくトップの、一番上の棋士になれる。どうだ?」
それは、プロを目指さないか?という提案であった。
確かに、プロにはなれる…、けど、生前のあの人との対局の様な胸躍るようなものができるのか?この世界に彼と同等の棋士がいるのか?いや、いない。俺は、彼との対局を望んでいる。
太一は将棋はするがプロになるつもりはなかった。だから、一つだけ情報を見落としていた。将棋界を揺るがす大偉業が、昨日達成されたということを。
「そうか…、お前ならあの名人を倒す棋士になるとおもったのだが」
「名人?」
「ああ、昨日7冠…、まぁ、将棋で一番強い称号を手に入れた名人だ」
ほれ、と傍らにあった新聞を手渡してくる。一面には、その名人について書かれてあった。中学生でプロになり、最年少で将棋界で名人と並ぶビッグタイトル竜王をとった。
だが、俺が一番驚いているのはそこじゃない。
メガネを掛け、相手を睨むような目つきの彼はまさしく―――生前の彼と同じ姿をしていた。
手がふるふると震えてくる。これは武者震いだ。彼が存在するという震えが俺を奮い立たせた。
俺がいた世界ではないが、彼がいる。その事実だけで俺は、プロを目指すのに十分な理由だった。
「お爺ちゃん」
「なんだ?」
「僕―――プロになるよ」
これは、元プロ棋士であった彼が再び名人である彼と対戦するためにプロを目指す物語である。