☗ 前日
俺が帝位戦に向けて準備をしていたときに八一君と銀子ちゃん、桂香さんに加えてあいちゃんと天ちゃんでのゴタゴタは見事に解決されたらしい。
八一君は尽さんに勝利し、桂香さんは…。
2勝1敗、あいちゃんに負けて降格してしまった。しかし、天ちゃんには快勝らしい、流石だ。
けれど、桂香さんも女流棋士と言う夢を諦めきれず夏に行われるマイナビ女子オープン将棋トーナメントに向けて頑張ると銀子ちゃんから聞いた。
「頑張ってこいよ、太一」
「うん、行ってきます」
長年、それこそ幼いころから将棋の相手として切磋琢磨していた爺ちゃんに見送られ、俺は明日から始まる五番勝負の会場へと向かう。
場所は神奈川県にある旅館だ。
駅に着くと何故か人が騒がしいことに気付いた。
「妖精か?」「すごい美人さん…」「おい!お前話しかけて来いよ!!」「ばかっ!お前が行け!!」「ほかの女の子と女性もかわいいし美人」「だが、なんだあの中に一人ぽつんといる男は、気にくわん」「同意」「やるか」「「「「同意」」」」
凄い物騒な雰囲気だけどそこまでいってなんとなくわかったぞ…。
うん、あの五人組だろうな。
人混みを掻き分けるとやっぱりというかセーラー服の銀子ちゃんと私服の桂香さん、いつもの服装の天ちゃんとあいちゃん、そして顔が真っ青な八一君がいた。
殺気に当てられたのだろう、可哀そうに。
「あ…兄弟…子……」
もういい休め!と叫びたい。
「見送りに来てくれたの?」
「ええ、太一くん頑張ってね。お父さんと一緒に応援してるわ」
「別に私は来たくて来たわけじゃないわ。どっかのクズに言われて仕方なく来てあげたのよ。勘違いしないことね」
「えっ、でも早くいこって言ってたのは天ちゃんだよね」
「ちっ、違う!えっと……そう!何かあって間に合わなかったらそれこそ夜叉神としての恥になるのよ!おわかり?」
どや顔で言っても説得力がない、けれどそれも可愛いので良し。
「兄弟子、頑張ってください」
「ありがとう、銀子ちゃん。八一君は……うん、お疲れ」
一応労いの言葉は掛けておく。
八一君は真っ青な顔のまま(この時あとで胃薬をプレゼントしようと決意)言った。
「俺も桂香さんも頑張りました。あとは、兄弟子の番ですね」
「あはは、重圧だな。昔の八一君は純粋で可愛げがあったのに」
「それはお互い様ですよ」
互いに笑いあう。
その笑みには昔からの付き合いとしての感謝が含まれていた。
そして、時間が刻々と迫ってきていた。
「太一おじちゃん!勝ってくださいね!!」
「だらしない対局なんてしたら許さないんだから」
最後にあいちゃんと天ちゃんから激励の言葉が贈られる。
「行ってくるよ。次に会うのは僕がタイトルを防衛、または奪取された時だ」
そう、ここからは一人での戦いだ。
誰にも頼れない、誰にも会わない。
相手はあの名人。油断なんてできないから。最初から本気で行かなければ…。
その日、俺は大阪を発った。
☖ 解説
「いっちゃったね…」
「はい…」
姉弟子が兄弟子の背中を見ながらそう呟いた。
心配なのだろう。
だが、それと同時に俺は途轍もなく熱いと感じていた。
気温的な意味ではない、心の奥底に眠る闘志、それが何故か俺の中を駆け巡っていた。
「八一君も明日は頑張ってね」
「あれ、ししょー明日何かあるんですか?」
「アンタ聞いてなかったの?明日
「はう~……忘れていました…」
天衣の言う通り帝位戦一局目は竜王である俺が解説することになっている。
「八一」
「どうしました、姉弟子」
「…兄弟子は勝てると思う?」
勝てると思う…か。
「姉弟子は神鍋歩夢六段を知っていますよね」
「関東のマント棋士でしょ、知ってる。それがどうかしたの?」
「あいつが兄弟子と対局し終わった後何て言ったと思います?『今なら名人にも勝てそうだ』と言ったんですよ。兄弟子との対局で成長した歩夢にそう思わせた人が一方的に負けるとは俺は思えません」
それは信頼だ、そしてとても臆病な答えでもあった。
もし仮に兄弟子が名人に一方的に完膚なきまでに叩きのめされたらそれは兄弟子だけではなく俺にまでショックを与えるだろう。
俺は、技術も読みも将棋に関して一切兄弟子には及ばない。そんな兄弟子が及ばないような相手が竜王のタイトルを取りに来たとしたら?
考えるだけでも恐ろしい。だからこそ、俺は
「あい、お前は師匠の家で留守番な」
「えー!?あいも東京行きたいですー!」
うっ…!罪悪感が…!だが、こればかりは譲れない。
「本当ごめん。天衣もな」
「別に。早くいけばいいのに何で当日に出発なのかしら」
「またまた~、本当は俺と会えなくなるの寂しいんだろう?ん?ん?」
「うざい」
小学4年生に罵倒される最高位のタイトル『竜王』を持つ俺…!情けない…!!
だが、それも心地よいと感じている俺がいる。姉弟子足蹴らないで痛いです。
「それじゃあ桂香さん。あいのことお願いします」
「わかったわ。八一君は準備終わったのかしら?」
「いえ、帰ったらやろうと思っています。あいは一緒に荷物を纏めような」
「愛の逃避行をしましょう!!」
唐突に何を言い出すんだこの子は。ほら、姉弟子が余計に機嫌が悪くなるじゃないか。
「…………チッ」
舌打ち!今舌打ちしたよ!!
こえーよ…。
結局その日は荷物を纏めてあいと天衣に指導対局した後布団に入り眠りに落ちた。
すやぁ。
☗ 待っていた
俺は目を閉じて心を落ち着かせようとしていた。
だが、それでも鳴りやまない闘志の拍動ははやる気持ちを余計に奮い立たせる。
「待っていた」
そうこの時を俺は待ち望んでいた。
まるで運命のいたずらかのようにプロになってから名人と対局することはなかった。
けれど、戦える。
俺は対局室に向かいながら手に握る扇子に力を込める。
それは喜びと同時に恐怖でもあった。
あの人と差異があれば―――いや、それは愚考か。
あの人と差異があって当然なのだ、あの人は俺の憧れだった。それは今も変わらない。
だからこそ、この対局で俺は強くなるためにその憧れを捨てる。
対局室に向かう前には大勢の記者たちが詰め寄ってきた。
それも当然だ。
二冠と四冠の対局だから世間の注目度は半端ないだろう。
「今のご心境は!?」「防衛できる自信はありますでしょうか!?」「太一先生、今日のおやつは何しますか!?」「名人との対局について一言お願いします!!」
おやつはプリンですね。
しかし―――
「夢見た人と対局するので楽しみですね。プロになった理由の一つである名人と対局できるので恥ずかしい棋譜にしないよう頑張ります。それだけです。では、失礼します」
言葉少なに俺は記者達の横を通り過ぎ、対局室の前までくる。
扉を開けると、既に記録係などが準備を終わらせていた。
そして、改めて俺が名人と対局するんだという実感が湧いてきた。
俺はタイトル保持者として、名人は挑戦者として。
「熱い」
そう言わずしてなんだろうか。
俺が座り、相手を待つ。
そして、来た。
和服に身を包んだ、
☖ 大盤解説
「皆さまおはようございます。本日は神奈川県、鶴巻温泉で行われる帝位戦第一局の模様を、終局まで完全中継でお送りします。聞き手を務めさせていただくのは女流棋士の
カメラの前の美女が丁寧に一礼し、隣に立つ俺を紹介してくれる。
「本日の解説者を紹介します。九頭竜八一竜王です。先生、本日は宜しくお願いします」
「あ、どうも。宜しくお願いします」
「九頭竜先生はニコ生は初登場ということでコメントのほうでも朝から盛り上がっています」
画面が切り替わり、対局室が映し出される。
そこにはもう既に二人の対局者の姿があった。
兄弟子と名人、その二人が盤を挟んでいるだけで言い難い感情に襲われる。
この二人どちらかが俺の前に立つのだから。
「珍しいですね、普段は直前まで姿を現さない名人がすでにいます。九頭竜先生はこれをどう見ますか?」
「そうですね。名人は対局に真理を求める、つまり勝ちをあまり意識しないことで有名です。そんな名人が早くから姿を現すということはすぐにでも兄弟子…太一二冠との対局で真理を求めたいという意識の表れでしょう」
「兄弟子といえば太一二冠と九頭竜先生は同門、清滝先生の弟子として有名ですね」
「はい(笑)まぁ、一緒にいたころは一度も勝てたことがありませんでしたが(笑)」
「なんと!それではますますこの対局が楽しみになってきました」
俺の発言にコメントが少しだけ騒ぎ出す。
『はえーびっくり』『クズ竜王負け越しか』『さてさてどっちが勝つのか』『流石はクズ』
目に入ったコメントの二つ目と四つ目、貴様らは許さんからな。
しかし、俺の隣にある二つのメロン…先ほどから大きく揺れている。つまるところ
おっぱいでけええええEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEE!!
なんだよこれ、もはや爆弾だ、兇器だ。非核三原則はどこ行ったと大声で叫びたい。この二つのメロンを気にしながら俺は兄弟子と名人の対局にふさわしい解説をしなきゃいけないのか…。
「太一二冠は普段日常生活ではどういったことをなさっているんですか?」
「そうですね…。重要な対局前だと温泉巡りとかしています。あとは(弟子に)指導対局とか」
「そうなんですねー!(一般の人に)指導対局するなんて器がデカいですね。あと、太一二冠は対局中抹茶を飲むことで有名ですがそのことで何か知っていますか?」
「兄弟子はお爺さんみたいなところがあるんですよね(笑)姉弟子が小さいころなんてすごく甘やかしていましたし、ガラケーの使い方が未だにわかっていなかったりとか。抹茶については心が落ち着くって聞いたことがあります」
「九頭竜先生の姉弟子と言えば『浪速の白雪姫』で有名な空銀子先生ですね。あっ、コメントが一気に賑やかになりました!!」
『銀子たんktkr』『ニコ生出てくれねぇかぁ』『ちょっと誰かこのクズ竜王とチェンジして』『俺はたまよんのほうが好きだよ!!』『俺もたまよん派』
コメントでは姉弟子と鹿路庭さんについてで一気に賑わった。俺が置いてかれた…?最速でタイトルを取ったこの俺が…?
ショックを受けていると、対局が今にも始まりそうな雰囲気だった。
「振り駒の結果は…名人が先手番ですね。先生、どういった戦型が予想されるでしょう?」
「二人ともなんでも指すタイプですのでよくわかりませんね。しかし、名人は相手の得意とする戦法に自ら飛び込むというのがあります。兄弟子もそれを十分に知っているはずですのでまずは得意の戦法、居飛車穴熊か右四間左美濃辺りが怪しいかと」
「太一二冠の棋風は正しく『攻め』といった感じですよね。対局では切れのある攻撃力がいつも炸裂していましたからね。どういう乱戦になるのかドキドキが止まりません!」
「いいえ、太一二冠の棋風は『攻め』ではなく『受け』です」
「―――え?」
俺の言葉に鹿路庭さんが首を傾げた。しかし、俺は今にも対局が始まることばかりに意識を向けていた。
「始まりますよ」
五番勝負第一局目が始まった。
次話から対局が始まります。
棋譜とかいろいろ参考にしますので時間がかかるかもしれません。