第一話 弟子
私は憧れた。
若き日に頂点にまで上り詰めたあの棋士に。 敬愛する私の兄に圧勝したあの棋士に。
あの人になりたい。あの人に近づきたい。 どうすればあの領域に辿り着けるか兄と兄の師匠に聞いたことがある。
二人して返した答えは同じだった。
憧れてはならない、彼を参考にしてはいけない。
何故か悔しかった。それはつまり彼には届かないと私は思ったからだ。
でも、この思いに拍車をかける出来事があった。
あるタイトル戦で彼の弟弟子―――竜王九頭竜八一がその人が指導対局していると言っていた。
あの人の傍にいたい。たとえ届かなくても、違うレイヤーにとどまることになったとしても。騎士のような自身の誇り高いところを見せてみたい。
マントを翻し、幼き騎士は高々と目の前にいる棋士に告げる。
「わらわは神鍋馬莉愛!貴様を穿つただ一人の女性棋士なのじゃ!!」
☗始まりに告げる駒音。
朝の来訪者に俺は困惑する。
だってそうだろう。玄関開けたら獣耳少女がいるんだもん。しかものじゃっ子だと?高校の友達の山西君が言っていた奴か。
「それで、えっと何のご用で?」
「ふむ、ドラゲキンが汝が指導対局していると言っておったからな。きてやったのだ」
「は?指導対局?何それ」
「え?」
「え?」
まず、事情を聴くために家に上げた。話を聞くに何でも俺が指導対局していることになっているらしい。
件の動画を見せてもらったがこれは誤解せざる得ない。どうりで最近将棋指しませんか?という問いがご近所さんから多いわけだ。
「そういえば汝は祖父母と生活していると聞いておったんだが姿が見えんな。かの名人に会えると思って少しばかり浮ついておったんだが」
「……」
「何を黙っておるんのじゃ!」
「爺ちゃんは倒れた。もう長くないからと無理したツケが来たらしい。婆ちゃんは付きっきりで看護してる」
俺の発言に今まで凛々しさがあった馬莉愛ちゃんの顔が崩れ、慌てた表情を浮かべる。
安易に触れてはいけない案件だったのかと後悔しているのかもしれない。
「す、すまんのじゃ…」
「別にいいさ、古戦場からは逃げていけない。これは宿命みたいなもんだからね」
「ちょっとまつのじゃ」
「待つのじゃ」
「真似するでない!…つまり、貴様の爺様というのは…」
「古戦場からは逃げてはいけない」
「ただのゲームのやりすぎ!?心配して損だったのじゃ…」
ほう、グ○ブルとすぐにわかる辺り君も騎空士か。仲良くできそうだ。
さて、そろそろ本題に移るか。馬莉愛ちゃんは俺からの指導対局を望んでいない。本命は別だろう。
目を見ればわかる。目は脳と直結する器官だ。俺は目を見ればその人の考えていることが大体5~6%わかる。八一君に自慢したらそれなら俺もできそうと言われた。嘘つけ鈍感男。
「それで、本当の要件は?まさか兄の敵討ちとか?」
「ふん、そこまで愚かなことを考えるわらわではないわ。一つ、聞きたいことがあるのじゃ」
「ほう、聞きたいこと」
俺が訊き返すと馬莉愛ちゃんは正座を正して、畳の上に三本指で頭を下げた。
そして、絞り出すように
「わらわを…いえ、私を弟子にしてくださいませんか…?」
そう言った。
「…馬莉愛ちゃん。わかっていると思うけど僕はねタイトルホルダーで永世称号をもってる棋士だよ」
「知っています」
「もし、もし仮に僕が君を弟子にしたとき君はその重圧に耐えきれる?」
俺の問いに馬莉愛ちゃんが口から苦しそうな返事をあげる。
そう、中学生で棋士になった人に弟子入りするときやタイトルホルダーの弟子になるとき、永世称号保持者の弟子になるとき。
これらは周囲から期待の眼差しを向けられることになる。
あいちゃんや天ちゃんは好成績を残しているから大丈夫だがこの子も大丈夫とは言えない。
だが…だがもし仮にこの子が最大の才能を引き出す才能を持っていたとしたら。
「まず、一局指してみようか」
「…!そうこなくては面白くないのじゃ!!」
俺は、弟子を持ってみたい。
八一君のように弟子と切磋琢磨をしてみたいと今では心の奥底ではそう思う。
「じゃあ、僕が飛車角落ちで。持ち時間は一人10分。終わったら一手10秒未満ってことで」
「ふん!わらわをそこらへんの『雑草』と一緒にするではないわ!やるなら平手、なのじゃ!!」
…あれなんかデジャブ。
「ぅうう……ぐすっ…」
「えっと…」
「まけ、ました…」
「あっ、ありがとうございました」
泣いてしまった。
なんで俺と対局したら泣いてしまうん?なんもかんも政治が悪い。そういうことにしよう。
「なんなのじゃ!この△2五桂馬は!!なんで秒読みでこんな手を指せるのじゃ!!」
「どやさー」
「むかつくのじゃああああ!!のじゃじゃじゃじゃじゃじゃじゃじゃ!!!!」
悔しそうに頭をかきむしる馬莉愛ちゃん。あとで髪を梳かしておかねば(使命感)
まぁ、馬莉愛ちゃんの読み通りに進めてあげて少しの変化で俺が勝ったようなもんだからな。相当悔しいだろう。
だが、よく研究されている。プロ間でも大流行の角換わり4八金型をここまで指しこなせる女の子はそうそういないだろう。
才能で言えば一級品。ただ、特上品の天ちゃんには届かないな。
あいちゃんと銀子ちゃんはまだまだだしな。特にこの間の銀子ちゃん、まさか小さいころ見せた前世の棋譜を覚えていて、見せてくれなんて頼むなんてな。
失望してしまった。
三段リーグに入るためにがむしゃらになるのはいい。けど、将棋星人になろうとしてはだめだ。あれは、別の生命体なんだから。
まぁ、やんわりと断っておいた。
「…それでどうだったのじゃ」
「最後に一つだけ」
「のじゃ?」
「君は…神鍋馬莉愛は何を掛ける?」
俺の剣幕な雰囲気に押されてか、馬莉愛ちゃんは表情を硬くする。
「何を掛けるかじゃと?愚問なのじゃ。わらわは―――神鍋馬莉愛という一人の少女の人生を掛けるのじゃ」
俺は考える。
この子を弟子にする分はいい。才能は一級品。育てればプロ棋士になれる可能性すらある。だが、そうだとしても女の子の人生を一緒に背負うというのはあまりにも重すぎる。
だが、やってみたい。
育ててみたい。
「…今度親御さんの所にいって説明をしなきゃだな」
「それって…!」
「あぁ、これから宜しくね。馬莉愛ちゃん」
「―――ッ!うんっ!!」
うわ。可愛い。
馬莉愛ちゃんを見送り、自室へと戻ろうとする。
すると、何故か右足が動かなかった。
「あれ?」
動かそうとしてもまったく動かない。
結局動き出したのはそれから2分後のことだった。
☖ 新しい家族
「今なんて言いました?」
「弟子が出来ました」
「弟子ぃいいいいぃいい!!?」
あれから一週間後、馬莉愛ちゃんの親御さんともしっかり話し合って正式な弟子になった。内弟子かどうかというついては今後の馬莉愛ちゃんの意見次第。親御さんも馬莉愛ちゃんの意見を尊重しているしとてもいい人たちだった。
そういうことで今は八一君と二人でレストランに来てる。
「でも、なんでいきなり弟子なんて。兄弟子多忙じゃないですか。この前も国民的アイドルグループのテレビ番組のVSなんとかって奴の収録もあって、その前は温泉巡りの番組にも出演してたじゃないですか。あっ、VSなんちゃらでの名人とのコンビネーションが思った以上にグダグダだったのは笑いました」
「まぁ、いろいろとね。僕も挑戦したいなって思って」
「へぇー、一体どういう子なんですか?」
「寝顔の写真あるけど見る?」
「なんであるのか触れませんが、見せてください」
馬莉愛ちゃんの実家は東京、そこから大阪に行くのは小学生にとって長旅だ。だから、この前家に来た時疲れからか黒塗りのソファーに激突し、そのままスヤァしたのだ。
可愛かったので写真を撮った。
「って、うわ!すごい可愛いですね!!というか、この恰好…」
「歩夢君の妹」
「あっ!ほんとだ!!すっごい似てる!!」
頬擦りしそうな勢いで画面を見つめる八一君を他所に俺は薬を飲む。
八一君がそれに気付いたのか指摘する。
「あれ、兄弟子。どこか悪いんですか?」
「その件で少し話がある」
俺は淡々と八一君に病名とこの薬について説明する。
話を聞けば聞くほど八一君の表情はひどくなる一方で聞き終わると、消え入りそうな声で訪ねてきた。
「…大丈夫なんですか?」
「医者が言うに、進行はかなり遅いらしい。3年は必ず持つって」
「ほかにこのことを知ってるのは…?」
「会長とタイトルホルダーのみかなぁ。あっ、あと僕の家族」
まぁ、しょうがない。もう優に100年近く生きているのだ。
「なんというか、なんでそんなに落ち着ているんですか?」
「治るかもしれない病気だし、病は気からともいうしね。…わかってると思うけど他言無用。特に天ちゃんには知らせないように」
「わかりました」
天ちゃんは多分俺に懐いてくれてると思う。そして、両親が既に他界してしまっている天ちゃんに追い打ちをかけるように俺の死が重なったら潰れかねないと俺は考えた。
「兄弟子のことですからここで暗い雰囲気になったら怒りますよね」
「まぁね」
「―――今日、うちに食べに来ませんか?あいがカレーを作るんです」
「そうなんだ、じゃあお言葉に甘えて」
「すごく…おいしいんですよ…。優しい味で…」
「それは楽しみだ」
「ほっぺがおちそうなほで…」
「―――」
「…俺はまだあなたに何も返せてないじゃないですか!!」
八一君がそう言うと大粒の涙を流し始めた。
その時何故か和服姿で俺と向かい合って盤面見つめる九頭竜八一の姿が脳内に移った。
これは限りなく近い未来の話だと俺は悟った。
ひぇ…なんかシリアス…。
察しのいい人は病名がすぐにわかるんごね。
あと馬莉愛ちゃんかわいい。