その日将棋界に激震が走った。
齢11歳、初の小学生プロ棋士誕生。今まで中学生までが最年少だった記録を大幅に塗り替える歴史的偉業。
その子の名前は八柳太一、清滝鋼介九段の門下生だ。
彼はインタビューで大人顔負けの冷静さで記者の質問にこう答えた。
『なぜプロを目指したんですか?』
『対局したい人がいるから』
その発言は誰を指すのか終始わからず仕舞いだったが彼の今後には目を離せないだろう。
そして、彼はある異名が付いている。奨励会からプロになるまでの試合で8つの新しい戦法を生み出した。それだけで凄いことなのだが誰かが畏怖の念を込めてこう言った。
『八岐大蛇』と。
*
桂香さんは笑いを堪えながらそう書かれている雑誌に顔を埋めている。
八一君も銀子ちゃんも同じような反応だ、唯一の救いは師匠が酒に酔っぱらって泥酔していることだろうか。
今日は師匠宅でプロになった記念ということでパーティを開いてもらっている。爺ちゃんと婆ちゃんは昨日お祝いしてくれた。
「桂香さん、そんな笑わなくても…」
「ごめんな、さい…!ふふっ、八岐大蛇…さん…!」
あっ、これずっと弄られる奴ですね。
というか、八一君と銀子ちゃんもそろそろ笑うのをやめてほしい。当の本人である俺が一番恥ずかしいんだから。
「兄弟子、どんまいです」
「お兄ちゃん、どんまい…」
二人にこうやって慰められるのは如何せんよろしくない。俺なんて二人を甘やかしたいこの心を押さえているのだ。そんなことをやられてしまってはいつかは枷が外れてしまう…!
そういえば、八一君からは兄弟子、銀子ちゃんからはお兄ちゃん呼びが定着した。
しかし、プロになったのはいいが今後八一君と銀子ちゃんと顔を合わせる機会というものは少なくなるのが若干寂しいな…。二人ともプロを目指して頑張っている。あと数年すればプロにさえなれるだろう。
少しばかりの辛抱だ。
「ねぇ、八一君。今から一局指さない?」
「いいですけど…。もう夜遅いですし帰らなくてもいいんですか?」
「今日泊まることにした」
このやりとりも何回したかわからない。
たまに師匠の家に泊まって将棋を指すのもいまではいい思い出だ。
盤を挟んで対峙する。余談だが1年ぐらい前から桂香さんも将棋を始めた。いいことだ。
銀子ちゃんはもう眠いのかウトウトし始めて桂香さんにお布団に連れて行かれた。可愛い。
「よし、僕が先手番か。手加減なしで行くよ」
「よろしくお願いします」
お互いが頭を下げるとそれは対局が始まった合図。九頭竜八一、彼も将棋に愛されているといっても過言ではない。彼の読みはたまに俺の読みの一歩先をいくことさえある。
今回は得意戦法の一つ居飛車穴熊で行こう、と思ったがやはりやめる。この試合で俺は八一君に一つの戦法を託すことにした。
「兄弟子、それは…!」
八一君が盤面を睨みつける。そこには自陣の下段には何もない状態での俺の駒達あった。
初めて見る戦法だろうな、
その名前を『地下鉄飛車』。主に穴熊や右玉に対しての戦法。下段に道を作り、飛車の道を開通させる。
八一君は初めてみる戦法で恐る恐る駒を伸ばす。俺はノータイムで最善手を指す。
86手目、九頭竜八一投了。俺の勝ちだ。
「兄弟子、また新しい戦法作ったんですか?」
「まぁね。けど、これは八一君。君に使ってほしい」
「俺に?」
「うん、今この戦法を知るのは僕と八一君だけ。八一君、君は将来いいプロ棋士になって弟子をとるかもしれない。その時にこの戦法を使って弟子を導いてほしいんだ。無論、対局でも力になってくれる」
「俺で…いいんですか?」
八一の疑問はもっともだ。太一が生み出したと言われている八つの戦法は全てがクオリティが高く汎用性もある。
その太一が作った戦法を託すと言われたのだ。
「あぁ、君に使ってほしい。ただ銀子ちゃんにも一つ戦法を教えるよ、八一君だけだと銀子ちゃん拗ねちゃうだろうし」
「姉弟子は俺にだけ当たりキツイですもんね…」
八一君、それは違うぞと言ってやりたかった。長年生きている俺だからわかる。銀子ちゃんは八一君のことが―――好きなんだろう。今はそう知らなくても将来必ずその感情を知ることになる。
だが、ここで俺が口を挟むのもお門違い。年上はただ可愛い子供たちのやりとりを眺めるだけでいいのだ。
「そして、僕は今日からここに来なくなるだろう。偶には来るだろうけど八一君と銀子ちゃんも奨励会で将棋の対局があるからね、顔も合わせなくなる、だから次会ってまともに話すのは二人がプロになってからだ」
「そう、ですね…」
二人は静かに駒を並べ始めた。俺は八一君に地下鉄飛車の定跡を叩き込む。それが終わるとお風呂に入り、布団へと身を潜らせた。
次の日、銀子ちゃんにもある戦法を叩き込み俺は師匠の家の前に立っていた。
「今までお世話になりました。師匠」
「ああ、だが偶には帰ってこい。ここはもうお前の『家』なんだから」
―――やはり師匠には敵わない。
この人から得れたものはたくさんあった。
だから、俺は深々とお辞儀をして将棋会館へと歩を進めた。
それから一年後、最年少タイトルホルダーが生まれた。
『帝位』『玉将』二冠を保持した最年少タイトルホルダー八柳太一二冠はある日自宅で広げた新聞の記事に目を釘付けにされた。
中学生プロ棋士九頭竜八一、誕生。
その文字に太一は笑って、今では懐かしくなった師匠の家へ走った。
久しぶりに来た家に俺は「ただいま」と言って、扉を開ける。
そこには、出会った時のように、あの時とは違った笑顔で師匠が出迎えてくれた。
俺は桂香さんに挨拶し、あの二人が対局しているという部屋に向けて静かに歩いていくのだった。
次話から原作に突入します!!
ちなみに八岐大蛇って言われているのは8つの戦法を生み出しただけだはなく八柳→八龍→八の龍→オロチ?みたいな裏話があったりなかったり。