『竜王』
それは将棋界最高タイトル、それに俺は16歳という若さで手にいれる寸前まできていた。
あと一勝。あと一勝すれば多額の賞金と名誉、八段までの進級、そして歴史に名を残す。
しかし、そのタイトルはあまりにも重かった。
俺はふらつく足を懸命に前に動かして対局上へと赴く。
不意にバランスを崩した。
膝をつき、苦しく吐き出される息を俺は眺めることしかできなかった。
「どうぞ」
近くにいた女の子が水を差し出してくれた、それを飲み干すと俺の呼吸が少しだけ落ち着いた気がした。
「ありがとう」
俺は立ち上がり、しっかりと前を見て進み出す。
その日、俺は『竜王』になった。
*
俺の名前は九頭竜八一、職業プロ棋士。
中学生でプロになりそのまま高校には行かずに将棋指しとして生きている。
竜王を勢いと幸運で取ったもののそこからは不調の真っ只中、現在11連敗中。今日も将棋会館で何か掴めると思ったのだが何もわからず仕舞いだった。
公園のベンチに座り、携帯の画面を眺める。そこには俺のことをクズ竜王と罵り、祭り状態であるスレがあった。無論、その通りであるためため息しかでない。
「皆はっと…」
携帯でほかの棋士についての情報を眺める。
『浪速の白雪姫、現在無敗』
といった見出しと共にずらーっと書いてある。
「皆調子いいなぁ…」
画面をスクロールし、最後の二つの記事に目を奪われる。
『史上最強名人、またもやマジック炸裂!』
『新戦法爆誕!僅か76手で決着!!』
画像が張ってありその記事の紹介がされていた。
俺はそれをただ読むことしかできない。
俺は竜王なんだ…。その称号にふさわしい将棋を指さなければいけない…。あの史上最強と呼ばれる名人のようにーーーそして兄弟子のように。
家に帰る途中そんなこと思う。住んでいるアパートの扉を開ける。
「ただいまー。って誰もいないんだけど」
そう俺は一人暮らし、目の前にJSがいる以外は普通の暮らし………女子小学生……?
「ええええっっっ!!!」
「お、お帰りなさいませ!お、おししょーさま!」
て ん し が い る。まてまてまて!落ち着け、可愛いからって気を許すな!まずはなんでここにいるか聞くべきだ。
「えっと……君はどうして俺の部屋にいるの?」
「は、はいっ!やづっッ!」
噛んだ!けど、それも可愛いいいいっ!……はっ!いかんいかん。
「い、いたいでしゅー……」
「だ、大丈夫?凄まじい勢いで下を噛んだけど」
「く、くじゅ…先生でいらっしゃいますよね!約束通り弟子にしてもらいに来ました!」
「…………弟子?」
「はい!」
「君を?」
「はい!」
「……約束っていつ?」
「この前の竜王戦で…覚えていませんか?」
話を聞くにどうやら俺は竜王になったらなんでも約束を聞いてあげると言ったらしい。
なんということだろうか。
結局その子ーーー雛鶴あいという女の子と一局指すことになった。
俺はこの子を弟子にとるつもりはない、ましてや俺は16歳、ほかの事に気を回すほど余裕がない。
その約束はまた別のことで我慢してもらおう。
俺の得意分野である相掛かりから始まった対局は俺の優勢で終わるーーーはずだった。
あいは盤面を覗き込むようにし、体を前後にゆらゆらと揺らす。
「こう、こう、こう、こう、こう、こう、こう、こう、こう、こう、ーーーうんっ!」
あいが5五桂馬と打つ。
その一手はまさしく逆転の一手。俺は実感した。この子には才能があると。
そう思うと喜びに体が震えた。その一手を潜り抜け俺はあいになんとか勝利した。
「うぅ……どうでしたか?」
「んー、よくわかんなかったからもう一局指そう!」
「はいっ!」
俺がもう一局指そうと言ったら笑顔で答える。
その日は朝まで将棋を指した。
*
そして、俺は今自分の家で正座させられている。
事の発端は数分前、あいがお風呂に入っていると姉弟子がやってきた。
女子小学生が家にいるとバレたら只ではすまないと思い、用事を聞くとVSという所謂練習対局の日だということに気がついた。
そのあと裸のあいが浴場から出てきて、間違って押し倒してしまい、姉弟子にみつかり今に至るというわけだ。
「だからさっきから言ってるじゃないですか、あれは不幸の事故だって」
「で?」
「この子が押し掛けて来たんです!勝手に石川県から一人で!!」
「で?」
「で?ってちゃんと聞いてくれてます?」
「まぁ、大人しく斬首されなさい」
「冗談ですよね?」
「台所に包丁あったわよね?」
「冗談っていってよおおおおおっっ!!」
まずい!!このままでは姉弟子にひどい目に会わされてしまう!!
「やめてください!」
「何、このアリクイみたいな生き物」
「誰がアリクイですか!」
「私のこと知らないの?将棋やってて」
「知りません!」
「このお方は空銀子女流二冠、俺の姉弟子、つまり姉貴同然の人なんだ。俺たち二人とも清滝鋼介九段の弟子なんだよ。年は俺より下の14なんだけど入門したのはこちらが先、だから姉弟子なんだよ」
「そういうことよ、わかった?」
「わかりません!」
「あっそ、じゃあ煩いから黙っててくれる?」
こら銀子、小学生になんて言い方だ。
「……だらぶち」
「は?なんか言った?こわっぱ」
「こわっぱじゃないですぅー、私には雛鶴あいという名前があーるーんーでーすー」
こらこら煽るな!しかし、煽る姿も可愛いな……って違う違う!どうにかこの場を乗り切らなければ!!
そう思うと険悪に包まれた室内の一つの音が鳴り響いた。
ドアの向こうから聞きなれた声が響く。
「八一君、いるー?」
その声はまさに救世主だった。銀子は驚きの表情を浮かべる。俺だって驚いている。
あの人が、兄弟子が久しぶりに会いに来てくれたのだから。
竜王就任式のときに少しだけ顔を会わせたがそれっきりだ。
俺は駆け足で扉を開ける。
「お久しぶりです!兄弟子!!」
「ーーー」
あれ、なんで無言なんですか。兄弟子。
視線の先は奥の方、まさしくあいと姉弟子がいるところ。
何かを察して手に持っていた袋を玄関に置くと同時に踵を返して走り出した。
この人!面倒ごとに巻き込まれると思って逃げる気だな!!確かにいろいろお世話になったがここは巻き込ませてもらう!!
「兄弟子!逃げないでください!!」
「やめ、やめろおおおおおっ!」
*
弟弟子が竜王を取ったということでお祝いの御寿司を買ってきたのだが、これはどういう状況だろうか。
奥には苛立っているように見える銀子ちゃんと……あれは小学生か?
なんだろう……すごい面倒くさい目に合いそうと思って寿司をおいて逃げようとしたら捕まってしまった。
「銀子ちゃん、久しぶり」
「お久しぶりです、兄弟子」
うううううっ!昔のように「おにいちゃん!」と呼んでくれないのが辛い!!まぁ、今は桂香さんと合同で作った銀子ちゃんアルバムがあるので孫を見る目でそれを眺めてなんとか保ててる。
というか、興味津々な目で見ているこの女の子は一体誰?
「八一君、これどういうこと?」
「実は……」
ふむ、成る程。どうやらあのときの竜王戦に魅せられて弟子になりに来たと……。いやいやいや、あんたら二人も似たような感じだよね、なんであんな険悪な雰囲気に……。
「ししょー、その人は?」
「んなっ!この人も知らないわけ!?」
銀子ちゃん、ええんやで、別に。
「この人は俺と姉弟子の兄貴分、兄弟子の八柳太一二冠!俺が竜王戦最終局で使った『地下鉄飛車』を教えてくれた人物!!」
竜王戦で『地下鉄飛車』を使ったのはびっくりした。まぁ、あのときの竜王の慌てっぷりは面白かったな。
しかし、とうとう八一君も弟子か……。16歳で弟子をとるなんてすごいな……。いや、まだ決めかねているのかも。だが、これで内弟子になったら桂香さんと銀子ちゃんは叔母になって俺はお爺ちゃんか。
お爺ちゃん……お爺ちゃん……お爺ちゃん……。
エコーのように響き渡るその魅力の言葉に俺はすぐに行動に移した。
「師匠の家にいこう」
銀子ちゃんもそれには賛成らしい。よし、行くぞ!すぐ行くぞおおおおおおおっ!!
「兄弟子、なんか気合い入っていませんか?」
「家にいくのが久しぶりだからじゃない?」
「?」
あいはよくわからず首を傾けるだけだった。
早く天ちゃんを出してあげたい……。