「あかり、ジュースは飲みきったか?」
「うん。ありがとうヒカル、心配してくれて」
蔵の中で急に倒れたら誰だって心配すると思うが、それには答えるべきだと素っ気ないものの返答はした。別に普通のことをしただけだし、実際の所ただ抱きしめていただけだ。
「そうだじーちゃん。あかりがここに来てる事って、母さんとかあかりの家に伝えてる?」
「問題ないぞぉ。そう言うと思って、ヒカルたちが蔵に入ってる間に電話しておいたぞ」
ただ、何も言わずにあかりまで連れてきた事に関してはかなり怒っていたようで、しっかり言うようじーちゃんは母に言われていた見たい。
「ところで、ヒカルはなんで蔵なんぞに? たいして良い物でもないだろうに」
「まあ、それはそうだったんだけどさぁ……。けどいっか。どうせいつかバレるし、それに、母さんに口利いて貰わないといけないし」
「ん? どういうことだ?」
「いや、単純なことでさ、実は父さんと母さんに隠れて囲碁の勉強をしてたんだよ。ただ、一人でするのにも飽きてきたから、じーちゃんと対局しようかなぁ? って」
なんてもっともらしい嘘をつけるようになったのか。どれもこれもマスコミの所為。すぐに顔に出るタイプの俺が……と心の中で、自虐的に笑っていると、自分の部屋から持ってきたのか、彼が普段使っている物であろう碁盤と碁笥と碁石のセットを持ってきた。妙に顔がにやついているのは気のせいだろう。
「けどお前、前に誘ったときはつまらなさそうにして結局は一度もしてなかったじゃないか」
「あの時は確かに興味なんかこれっぽっちも湧かなかったけど、たまたま棋譜? だっけ、本因坊秀策のやつを見てさ」
あかりには分からないだろうが、今この場にいる――目には映らないものの――碁打ちには分かるキーワードを爆弾的に投げ入れる。
「なんて言うんだっけ、『耳赤の一手』だっけ、あれ見て、何が凄いかは分からなかったけど、コレをやりたいって思ってさ。あんまりと言うより、一度も対局したことがないんだよ。秀策の棋譜とか調べれるだけ調べて頭ン中で考えることしか出来ないけど」
さり気なく、人と対局したことがないことを伝えると、じーちゃんからは予想通り、『一局打とう』と誘われる。孫と囲碁が出来る。しかも、初対局の相手になれる事が嬉しいのか、先程から破顔寸前の表情をしてしまっている。
「よしよし、わしとやろうか」
「うん。そのつもりだったんだ」
【ずいぶん、お祖父様を唆すのですね。もう、あなたのやりたい放題じゃあありませんか?】
(なんだよ人聞きの悪い言い方して。別に何か貢がせるわけじゃないだろ? まあ、碁盤とか買って貰うけど、それは囲碁続けるために必要なんだからノーカン。別に悪いことじゃない)
それに、何か目的を達成するには、時に嘘が必要になる。決して長くはないがなんだかんだで20年弱は生きていたし、本因坊戦以外にも、タイトル戦に出たことはあった。これぐらいのことはしないと何も出来ない。
「じーちゃん。俺出来れば囲碁続けたいからさぁ……」
「囲碁のセットが欲しいんじゃろ?」
そう言うことだと肯定さえすれば、対局が始まる。条件はじーちゃんに勝つこと。それさえクリアすればどうにかなる。考慮時間は無制限。先手はヒカルが持ち、置き石はなし。とにかく最後まで諦めないこと。そうじーちゃんがルールを説明し、まあ、遊びだから気楽にな。なんて言っているが、飽き性の自分が本当に続けられるのか試す気なのだろう。
(虎次郎はどれぐらい打てるの?)
【そうですね。それほど強くはありませんよ? 佐為の代打をして、佐為の碁を見ていただけなので】
ですが、と一言付け加えると、
――誰よりも美しく力強い碁を見続けていた自信がありますが。
俺にとっては何よりも羨ましい言葉を臆することなく、躊躇わずはっきりと口にする。今現在、本因坊秀策が打ったと言われている碁は全て、佐為が打っている。その全てを代打していた虎次郎がとても弱いわけでは無いだろう。
(虎次郎。今から見せるのは、虎次郎から見て未来の囲碁だ。そして、この時代でも。俺が佐為から学び、一人で考えて、
【はい。楽しみに見ておきます】
おそらく虎次郎は、ヒカルにとって自分がどう思われているのか理解したのだろう。くわしくは語られていないが、『佐為から学んだ』ということから、自分は佐為の弟子だと言う認識がある。かつては横にいなかった兄弟子がいると思っているのだろう。
【(いやはや、子どもは可愛らしく面白い。ならば見せて下さい。あなたにとって唯一の兄弟子である私に、ヒカルの碁を)】
「よろしく」
「よろしくお願いします」
前のように指の爪はすり減っていない。ツルツルとした、佐為の長髪のようにきれいな黒の石を落とさないよう、真ん中で見守るあかりと同じように注意して見る。
拙い手ではあるものの、俺はいつも通り
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
キレイな物は、花だったり景色だったり。私が思うにその多くは色とりどりの鮮やかな物だと思う。
お花畑なんて特にそう。色んな色を付けたたくさんのお花が辺り一面を。だなんて想像するだけでキレイだなーって思えるから。
けど、白と黒の二色でもキレイと思える物が目の前に広がっていた。
木の盤の上にある二つの色が、黒と白の石たちがまるで踊っているかのように見えたから。
《すごくキレイだね。踊ってるみたい》
『そ、そうですね。綺麗な碁です』
《碁? 碁ってこんなにキレイなの!?》
自分のことを『佐為』って言った白い男の人が、ヒカルとヒカルのおじいちゃんが挟んだ碁盤を見てキレイだと言った。私が知っているものは、おんなじ色を伸ばして、五つつなげるゲーム。
勇ましく陣地を奪い合い、自陣を広げて勝ちを手にする。それが囲碁であり、向かい合うヒカルとお祖父さんは戦い合っていた。善手が見つからない祖父平八に対し、大きくはないが度々ポカを繰り返すヒカル。
『ヒカルは私のことを覚えていない。見えていない。なのにこれは……』
《この囲碁がどうかしたの? 佐為》
『え、えぇ。打ち筋が私のそれと似通っているのです』
《え? 何で?》
『それは分かりません』
佐為の目から見て、盤上の囲碁は素晴らしい物と言っても過言では無い。記憶の中にある平八の棋力はそれほど高くないのに。
その彼をヒカルはバレないように上手く紛らわしながら指導碁を打っている。その証拠に、先程から3手連続で、ヒカルは考えなければ形勢が危ない手を平八に課しているのが、見る人が見ればしっかりと理解できる。そして、陣地を取り過ぎないように失着をする。そんな打ち方。
『おそらくヒカルは勝つつもり』
《え? 勝てるの? ヒカルのおじいちゃん、さっき色んな大会で勝ってるって言ってたのに!?》
パチッパチッと石が碁盤に置かれていく中段々とヒカルのおじいちゃんの表情が険しくなっていくのが分かる。
多分、ヒカルが想像以上に強かったんだと思う。
「ヒカル、いつの間に碁なんて覚えた」
「んっと、小四ぐらい? じーちゃんがやってるの見て、何が面白いのかなぁ。なんて思ってやり始めたら面白くて。俺、強いでしょ」
「なーにを言っとる。ワシが最初にちょろーっと油断してたからこうなっとるんじゃ」
最初から本気で打っておけばおまえなんてちょちょいのちょいじゃ。なんて負け惜しみを、頭をポリポリ掻きながら言う平八は、それでも嬉しそうにしている。
《佐為? うずうずしてる。囲碁したいの?》
『え? いや……』
《だって、佐為は碁打ちなんでしょ?》
『それはそう。なのですが、今は……止めておきます。打ちたいには打ちたいのですが、今はその時じゃない。そのような気がするので』
心の中であかりと佐為がそんな話をする中、ヒカルと平八は終局し、地の整理をしている。
「ひーふーみーよーいつむーっと、ワシが2目足りんかったな」
「ははは。よし、勝ったから、約束通り囲碁のセットを買ってくれよ? そんな桂の足付きとかじゃなくて良いから、ずっと使い続けられるやつ」
「分かった分かったぁ」
へそくりへそくり。と、まるで呪文のようにぶつくさ呟きながら消えていったのを気にせず、ヒカルはパタンと倒れる。理由はもちろん、自分の後にいた虎次郎に話しかけるため。
(どうだった? 俺の碁は)
【はい。とても面白い碁でした。彼はそれほど上手な方ではありませんよね?】
(まあ、佐為とか、俺とか、御城碁で対局してきた人に比べればそりゃじーちゃんは弱いよ)
【そんな彼を、上手にキレイな碁へと導いていましたから、あなたの実力は相当なものでしょう】
前までは存在しなかった兄弟子の言葉に少しばかり喜びの色を隠せずにやついてしまうが気にしない。寝転んだまま両腕を頭の下で組み漆喰の天井を眺める。
((このあと、どうしよう))
一抹の不安を胸に握り締めながら。
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いじょう、欲望でした。続きどうしよ笑