まいのわ嵐   作:神原傘

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横須賀鎮守府内之浦分所。
欠陥品の艦娘たちと、やさぐれた三十路の提督が運営する、水雷戦隊の派遣業を生業とする非正規軍。

掃き溜めのような鎮守府の在り方に戸惑いながらも、野分は川内による嚮導のもと、訓練を異様な練度でこなしていく。

やがて出撃命令が下った。
野分の眼前に立ちふさがったのは、深海棲艦ではなく、舞風だった。

ガンスリンガー・コミュニケーション、第一話。


嵐の一「あたしは野分を諦めない」

 あたしは、野分を諦めない。

 

 

 ■

 

 

 野分は最初から舞風が大嫌いで、最初から舞風が大好きだった。

 だから、本当の戦友になりたかった。

 あの弾幕を越えて。

 

 

 ■

 

 

 第十一号作戦で予定されていた四段階の作戦のうち、通商破壊を目的とした三段階目の作戦に従事していた途中のことだった。

 なんの前兆もなく、戦闘後に野分が発見された。

 敵艦隊を撃破した後、気を失って海面を漂流している野分を、舞風が見つけたのだ。

 そしてあろうことか、本来であれば派遣先に所有権があるその野分を、発見艦なしと報告したうえで、舞風が持ち帰ってきやがった。

 返してこい、と、言うだけは言った。

 それに対する舞風の返答は次の通り。

 

「司令の爪、ぜんぶ剥ぐわよ」

 

 ここ、内之浦分所におけるヒエラルキーは、高い順に妖精さん、艦娘、フナムシ、司令官、イソメとなっている。

 特に舞風ときたら、不満があれば俺の指の爪を剥ぎ、戦闘で至近弾を受けようものなら不機嫌になって俺の足の爪を剥ぐ。それも、いつも無表情で。

 爪を剥がされる痛みを知ってるか? 俺は知ってる。ドマゾで鳴らした連続殺人鬼のアルバート・フィッシュでさえ「爪に針は無理」と言ったのだから、相当だ。

 というわけで爪を剥がされたくない俺は不承不承ながら野分の犯罪歴を捏造し、赤煉瓦に報告し、翌日には野分の所有権を得た。誇り高き海軍に前科者など置くわけにはいかない、というわけだ。派遣先の提督が真面目な奴だったことも幸いした。

 かくして殺人二犯、傷害五犯、窃盗四犯の前科持ち、陽炎タイプの十五番艦、野分が内之浦分所に所属することになった。

 なお、殺人については数件、傷害と窃盗については十数件、それぞれストックがある。どれもうちの艦娘どもが内陸の闇市でやらかしたものだ。頭が痛い。

 

 翌々日のヒトヒトマルマル。その日は出撃要請もなく、内之浦分所に所属する全艦娘が揃うこととなった。

 ニスがところどころ剥げた体育館の床に座った水雷戦隊の面子を前に、緊張した面持ちで野分は俺の隣に立ち、手のひらを内に向けて敬礼した。

 もちろん俺ではなく、先輩艦娘に向けて。

 

「陽炎タイプ駆逐艦、野分。参上しました。今後、ここでお世話になります。どうぞよろしくお願いいたします」

 

 ハキハキと言い切ってから野分が敬礼を解き、気をつけをした。

 まばらな拍手。

 あの(・・)舞風が連れてきた艦娘なものだから、様子を窺っているようだ。ぱっと見たところ、この野分は典型的な野分モデルのように見えるが、とかく陽炎タイプには気狂いが多い。もとより、うちにいる連中はどいつもこいつも程度の差はあれど気狂いだが。

 

 さて、こいつの育成をどうしたものか。うちに来たからには、食い扶持が稼げる程度にはなってもらわんと困る。

 内之浦分所に所属している軽巡は三隻。

 五十鈴は長崎鼻周辺海域の潜水艦狩りに欠かせない。本人もそれを望んでいる。なにより奴は雪風にべったりで、他の駆逐艦を教導できるような奴じゃない。

 となると、由良か、川内か。

 両方の顔を見比べる。由良はぼんやりとしたいつもの顔。奴には定期的に哨戒機を飛ばす重要な役目がある。また、いつも言動が感覚的に過ぎる。これも教導には向かない。

 候補に残った川内はというと、隣の舞風になにやら囁きかけていた。

 舞風は視線だけ動かして川内を見ていたが、やがてぷいっと体育館の窓に視線を移した。

 川内がニヤニヤしながら肩をすくめた。春も終わりだというのに首に巻いているマフラーが、かすかに揺れた。

 

「川内」

 

 と俺は声をかけた。

 

「なにー?」

「明日からこいつの教導艦やれ。一ヶ月やる。沈まない方法を叩きこめ」

 

 川内は嫌がりもせず、のんきな調子で片手を上げた。

 

「はーい」

 

 川内は、妙に駆逐艦に対する面倒見が良い。

 鉄面皮と凶暴性ゆえに敬遠されている舞風とも、仲が良い貴重な奴だ。

 夜戦には決して参加しない、突入しないという、変な川内モデルでもあるが。

 川内は立ちあがって野分に歩み寄り、二本指で砕けた敬礼をした。

 

「よろしくねー、のわっち」

 

 野分は背筋をいっそう伸ばし、五指をぴったり揃えて伸ばした返礼をした。

 

「よ、よろしくお願いします! ……のわっち?」

「いいじゃーん。野分だからのわっちで」

「あの……できればその呼び方は……」

 

 早速川内が野分とじゃれあい始めた。

 付き合ってられん。

 俺は艦娘たちに指示を下した。

 

「解散。各々、別命あるまで待機」

 

 うちで待機(・・)と言えば自由行動のことを指す。

 十隻と少しの艦娘たちは思い思いに立ちあがり、幾つかの集団となって体育館を去っていった。

 五十鈴と雪風、時雨と夕立、三日月と由良、不知火と黒潮、響と雷と電。

 あいつらに舞風と川内、さっき加わった野分を足したのが、うちの所属艦娘だ。

 相変わらず呼び方を強要している川内の額を軽くはたいた。

 

「あう。なにさー」

 

 頬を膨らませる川内を無視して、俺は野分に話しかけた。

 

「野分」

「はい、司令」

 

 必要もないのにいちいち敬礼をしてくる。じきに慣れるだろうが。

 

「ヒトサンマルマルに用務員室に来い」

「用務員室、ですか……?」

「うちの司令室だ」

 

 四畳半の、ささくれた畳が敷かれた粗末な司令室だが。

 

「そのままじゃ装備が足りん。帳簿を見せてやるから、余ってる装備から好きなものを選べ」

「ああ、そうですね……ありがとうございます」

「それまでは川内にここを案内してもらえ。俺は昼飯を食う」

 

 言い置いて、俺も体育館を去ろうとした。

 ふと、立って野分を睨んでいる舞風が目についた。まだ残っていたのか。

 舞風の視線に、野分も気づいた。

 野分も表情を険しくし、舞風を睨み返した。

 二隻は視線を交えたまま、微動だにしなかった。あからさまな殺気が二隻から湯気のように立ちのぼっていた。先に視線を逸らした方が、否、先にまばたきをした方が死ぬのだと、言わんばかりに。

 

 俺は二隻を諌める気にもならず、体育館の外へ出た。

 いくら舞風が凶暴であるとはいえ、野分を沈めるような真似はしないだろう。

 体育館を出てグラウンドへ向かって歩いていると、つつつ、と川内が俺の隣に寄ってきた。

 

「ねえねえ、司令。舞風モデルと野分モデルって、生まれつき仲が良いんだよね?」

「野分のお守りはどうした」

「ん? ああ、二人きりにしてあげようと思ってさ」

 

 こいつはあの二隻が喧嘩して体育館をぶっ壊すことを望んででもいるんだろうか。

 

「……まあ、昔、軍艦だった頃、舞風と野分は同じ第四駆逐隊だったからな。だいたいの舞風モデルと野分モデルは仲がいい。ついでに言えば、だいたいの加賀モデルは舞風モデルを毛嫌いしてる。昔、舞風は赤城を沈めたからな」

 

 俺がそう言うと、なぜか川内は苦虫を噛み潰したような顔になった。

 

「ええと、艦霊だっけ。あたしたちの名前と性格を決めてるの」

 

 艦娘にはクラス、タイプ、モデルの区分がある。

 舞風なら駆逐艦クラス、陽炎タイプ、舞風モデルというわけだ。

 それぞれ、旧帝国海軍の艦名から名を取り、性格にはその艦が経験した戦闘が反映されている、と言われている。

 

「名前はともかく、性格なんて曖昧なもんだ。特に陽炎タイプなんてのは戦況が苦しくなったときに粗製濫造されたから調整が甘いうえに、疑似脳には人道倫理より戦闘論理を優先させるロジックが組まれてる。つまり後期型ほど頭のおかしい奴が多い」

 

 逆に、睦月タイプや吹雪タイプ、暁タイプあたりは比較的まともな性格をしていて扱いやすい。うちの雷や電のように闇稼業に手を出すのがいないでもないが。

 

「へえ。司令って物知りだねえ」

「……昔は赤煉瓦にいたからな。クビになって内陸で平和に暮らしてたら、去年の秋に舞風に拉致されて、いまじゃフナムシ以下だ」

「あっはっは! フナムシ以下って、司令ってそんなに存在価値ないの?」

 

 悪びれもせずに川内は笑った。俺がクビになったり拉致されたりしたことにはなんの不思議も抱かないらしい。まあ、艦娘なんてそんなもんだ。

 艦娘はヒトの見かけをした兵器だ。どいつもこいつも、ヒトが理解できる理屈で動いてはいない。

 グラウンドの中程で立ち止まり、体育館に振り返った。日は既に高く、俺の首筋がじりじりと焼かれた。南の国は晩春でも既に日の角度が高い。

 

 あの二隻は、まだ睨み合いを続けているんだろうか。

 かつて、舞風は、野分に異常に執着していた。

 半年前に俺を拉致して僻地の内之浦に連行し、派遣業の元締めに仕立てあげ、水雷戦隊を指揮できるようにさせた。渾作戦で野分が確認されたから、取り返しに行くのだと言って。

 そうして渾作戦における最終段階、野分が確認された海域において、あと一歩のところで力尽き、海域を退いた。

 舞風は野分を取り返せなかった。あと一隻、敵旗艦を撃破しさえすれば野分を取り返せたのに。

 そのことを思うと、いまの舞風の野分に対する反応は解せない。とはいえ、普通の舞風モデルと違い、疑似脳の論理回路が何本かショートしている奴だから、あれで喜んでいるのかもしれないが。

 

「とりあえず、川内。野分にうちのことを教えとけ。寝る場所とか食う場所とか、あとはドックがプールだってこととか」

「ええー……フナムシ以下に指示されても……」

 

 こいつ。

 

「いいから行け。行ってくれ。舞風もお前には多少甘いだろ」

「どうだろうねえ」

 

 相変わらず、自分のこととなると話をはぐらかすやつだ。

 川内はのんびりとした足取りで体育館へと引き返した。なるべくゆっくり行くつもりだ、あいつ。

 

「あー……くそ。めんどくせえ」

 

 まったく。これからひと悶着もふた悶着もありそうだ。

 俺は(ニッカ)煙草(ピース)さえあればそれでいいのに、いったいどうしてこうなった。

 

 

 ■

 

 

 野分は舞風を許さない。

 野分は舞風を、破壊する。

 

 

 ■

 

 

 うちでは、艤装の選択は艦娘各々に任せている。というより、言っても聞かないので勝手にさせている。艦娘にとって、俺は出撃命令と撤退命令を下させるための司令官という装置でしかない。

 野分が選んだ艤装は、12.7mm連装砲を二つと、三三号水上電探だった。

 魚雷を持たない駆逐艦は珍しい。大概の駆逐艦は、敵艦の横っ腹に回りこんでからの雷撃こそが、俊敏な駆逐艦の強みであると本能的に知っている。直径12.7mmの砲弾なぞ、戦艦からすれば豆鉄砲と変わりない。そもそも射程が短い。

 念のため「いいのか、それで」と野分に尋ねた。

 野分は確信を持って「問題ありません」と言った。

 野分の意図は解せないが、沈みさえしなければ勝手にすればいい。

 

 

 

 いま、俺は小学校を囲うフェンスのすぐ外、内之浦の砂浜に立ってピースをふかしている。

 俺の向かいに立っているのは川内。野分を従えている。

 海面は、白兎が飛び回る程度には荒れており、初めて訓練に挑む艦娘には少々酷であるように見えた。教導艦がやると言えばやるのだから俺は文句を付けないが。

 

「それじゃ司令、演習命令ちょうだい」

 

 俺は提督業を営む者に貸与される携帯端末を操作し、川内と野分に対して隊内演習の命令を出した。艦娘はこの端末を経由した命令によって行動する義務を負っており、命令違反の度が過ぎると赤煉瓦の督戦飛行隊が上空に現れる始末となる。

 演習許可を得た川内は野分の手を引いて波打ち際から海へと滑り出た。背部の缶に火が入り、足下の主機が唸った。

 川内は数珠繋ぎになった標的用のブイを曳航し、一キロメートルほど先の沖合に並べた。

 俺はゴムボートに乗り、浜からほどなく離れた場所に並んだ消波ブロックに横付けした。

 消波ブロックをよじ登り、座り、携帯端末を傍らに置いた。

 その携帯端末から、川内の声が聞こえてきた。

 

『はい、それじゃスラロームね』

『了解しました』

 

 訓練中、艦娘の状態を把握するために、司令官は携帯端末を持たなければならない。

 まずは基礎中の基礎、航海訓練。直線に並んだ標的ブイの隙間を左右にくぐり抜ける。スキーの回転みたいなものだ。

 俺は双眼鏡(ノバー)ごしに訓練の様子を眺めた。

 標的ブイひとつおきに野分の姿が見え隠れするところを見ると、無難にこなしているようだった。

 

『回頭ー!』

『了解』

 

 ブイが尽きると、先導する川内が急反転した。水上ドリフトだ。

 

「あの馬鹿。危ねえことしやがる」

 

 しかし、野分は川内に遅れることなく追従。速力を増した川内を追い、最大戦速で標的ブイを次々とくぐり抜けた。

 まだ砲は撃たせない。軽巡が駆逐を教導するときは必ず、体力の限界ギリギリまで疲労させてから砲雷撃をさせる。極限の状況下で命中させなければ無意味というわけだ。

 双眼鏡を下ろし、俺はマッチを擦って新しいピースに火を点した。

 沖合では、豆粒のように見える二隻の艦娘が縦横無尽に駆け回っている。

 之字運動。盆踊り。砲弾の雨を想定した、波間への潜りこみ(ダッキング)。かつて艦艇だった頃は不可能であったろう、波頭まで駆け上がってからの空中機動(アクロバット)。空中機動は、いちど限りの跳躍では終わらない。波の動きを読み、次々と着水、跳躍、転身を繰り返す。さながらスキーのハーフパイプのように。

 それら、無茶にもほどがある機動訓練を経たのち、ようやく足を止めての砲撃が許される。

 だいたいの新米艦はここまでで三度くらい吐くか沈みかけるかするものだが、両艦ともに、数秒の間も置かずに次々と海上での体操をこなしていた。

 やがて、水面に居並ぶ標的ブイの中ほどに両艦が静止した。

 

『そ、それじゃあ砲撃訓練ね……うぷ』

 

 うぷ?

 

『はい』

 

 野分は若干息を荒くしながらも、はっきりとした声で答えた。

 砲撃距離は数百メートルといったところか。

 だしぬけに、標的ブイがひとつ、空中に飛びあがった。

 それから軽めの砲撃音が届いた。

 川内が持つ15.2mm連装砲の音ではなかった。野分が撃ったのだ。

 ほどなくその標的ブイが空中で砕け散った。

 遅れて砲撃音。二発目だ。

 また標的ブイがひとつ、空中に飛びあがった。

 ひと呼吸もおかずに三発目が聞こえた。

 そして標的ブイが砕け散った。

 四発目の音がした。

 

「……なにが起こってんだ?」

 

 なにかおかしい。四発中、二発が命中したことは間違いない。なら、残りの二発はなんだ。

 携帯端末を取り、川内を呼び出した。

 

「川内。いったん戻ってこい。状況を説明しろ。野分は好きにさせておけ」

『う、はーい』

 

 ほどなくして、驚いた顔をした川内が砂浜に上がり、駆け寄ってきた。顔が青ざめ、ぜえぜえと息を切らせていた。

 

「司令、あの子、凄いよ。すんごいタフ。かなり無茶な機動もさせてみたけど、キッチリついてくるし、なにより吐かない。こっちが吐きそう」

 

 顔が青いのはそのせいか。

 

「教導艦が聞いて呆れるな」

 

「うーん、わたしも歳だからねえ」

 

 川内が頬を掻き掻き苦笑した。

 

「歳? お前、建造されてから何年経つ」

「二十年だよ。あたしの頃は、いまみたいな合成じゃなくて志願者の艦娘化だったけど」

 

 大戦初期からの生き残りだったのか。書類仕事はほとんど三日月に任せているから、ろくすっぽ知ろうともしなかった。

 

「あたしの歳はどうでもよくって」

 

 言い出したのはお前なんだが。

 

「のわっちなんだけど、最初からずっと一発も外してないの。偏差射撃もバッチリ。神通もビックリね、これは」

 

 華の二水戦もビックリときたか。

 

「……いや待て。一発も外してないだと?」

「そうだよ。一発目は絶対に標的の根元に当てるの。で、宙に浮かんだ的を撃つの。それがぜーんぶ当たるの」

 

 砲弾の散布界をライフル並みに狭めてるってのか。

 

「凄いなあ。やっぱり電探積んだほうがいいのかなあ」

「アホ。電探だけでどうにかなる話かよ」

 

 電探は水平の方角と距離しか掴めない。標的の根と頭を狙い分けるなど、砲身の仰角を分、あるいは秒単位で刻まなければ不可能な芸当だ。

 

「……発見艦は練度が低いはずだが、川内、お前の見立てだとどのくらいだ」

「んー。まだぜんぶを見たわけじゃないけど、時雨ちゃんよりも強そうだよ」

 

 俺は目を剥いた。時雨よりもだと?

 

「待て待て。ありえん。お前が驚いた分を差し引いてもか」

「もっちろん。わたし、駆逐艦の練度は絶対に見誤らないから。数値化もできるよ!」

 

 なんだその特技。

 川内の言が本当なら、舞風を除いて、うちのどの駆逐艦よりも練度が高いことになる。

 

「舞風ちゃんも大概だけど、のわっちも相当だねー。大物になるよ、あの子。魚雷の練度も見たいなあ」

 

 何者だ、あいつ。

 不意に、川内が耳元に手を当てた。

 

「え? あ、うん。標的ね。持っていく持っていく。ごめんごめん」

 

 海上を見やると、標的はことごとく木っ端微塵になっていた。

 川内は標的ブイを繋いだロープの端を持った。

 

「まあ見ててよ。ちょっと普通じゃないからさ、あの子」

 

 川内は、今度は沖合五百メートルほどに標的ブイを並べた。

 野分は波打ち際からほど近い、灰色の海面に細長く波しぶきを引きながら、ひたすら砲撃を繰り返した。移動しながらの偏差射撃だ。

 川内が言ったとおり、まず標的の根元が破壊された。即座に砲塔が宙に舞う標的を追い、砲弾が発射され、標的が粉々になった。大きな破片を見つければ、野分はそれも撃ち、破壊した。

 再び川内が戻ってきた。もう自分の役目はないと判断したのだろう。

 

「できるとは思ってたけど、移動しながら動く的も当てちゃうあたり、凄いよね」

「ああ……」

 

 本来は動かない標的ブイを、あえて根本を撃つことで宙に舞わせ、それを撃っているのだ。なにがあいつをそこまでさせる。本当に、あいつは何者だ。

 硝煙が俺の鼻にまで届いた。嫌いではないが、煙草の邪魔をしてくる。

 硝煙の匂いが、かつて俺が赤煉瓦にいたときの頃を思い出させた。

 そのとたん、野分が何者か、ということがどうでもよくなった。

 使えるなら使う。それでいい。それだけでいい。

 

「適当に済ませろ。明日から実戦に投入する」

「はーい。砲弾、ぜんぶ使わせてあげちゃっていい?」

「必要経費だ。好きなだけ使わせろ」

 そのように言い置いて俺がゴムボートへ降りようとしたときだった。

 

 

 ウォオオオオオオオオオオオオーン……

 ウォオオオオオーン……

 ウォオオオオオオオオオオオオーン……

 ウォオオオオオーン……

 

 

 携帯端末から緊急事態を示すアラーム音が鳴り、同時に敵襲を意味するサイレン音が鳴った。

 サイレン音の間隔は中と短の繰り返し。軽巡を伴う水雷戦隊の意。

 俺は携帯端末を取り、地図アプリをタップした。編成は複縦陣、六隻。由良が放っている哨戒中の偵察機からの報告によれば、先頭の二隻が軽巡ヘ級、残りが駆逐とのこと。

 遠路はるばるご苦労なことだ。制海権はもはやヒトの側へ移っているというのに、哨戒の隙間をくぐり抜けては近海に浸透してくる。まるで無意味な特攻隊だ。

 地図アプリを閉じ、所属艦娘全員に通信チャンネルを開いた。

 

「五十鈴、時雨、夕立、不知火、出撃しろ。旗艦に五十鈴、殿(しんがり)に不知火。南東、十海里より水雷戦隊接近の報あり。編成は軽巡へ級二隻と駆逐四隻からなる複縦陣」

 

 即座に五十鈴から応答があった。

 

『あと二隻は?』

「川内と野分が浜にいる。野分は使える」

『本当に?』

「川内が言ってた」

『なら大丈夫ね』

 

 これな、俺のヒエラルキー。まさしくフナムシ以下。

 通話が終わったそのとき、野分が海からあがってきた。汗をびっしょりとかいていた。

 艦娘は海水を弾く場のようなものを展開しているから、あれは水しぶきではなく汗だ。

 野分は上腕の袖で顔の汗をぬぐい、口を開いた。

 

「司令。野分も戦闘ですか」

「そうだ。喜べ、さっそく初陣だぞ。グラウンドの隅、あそこに弾薬庫と重油タンクがある」

 

 俺は小さなグラウンドの一角を、煙草の先で示した。体育倉庫だったそこは、いまでは弾薬庫となっており、隣には重油タンクが併設されている。

 

「お前の虹彩で開くようになってる。補給していけ。満タン、全弾補給でな」

「了解しました。野分、出撃します」

 

 野分はピシッと敬礼し、駆け足で補給へと向かった。

 命令を下したら、俺は用済みだ。

 五十鈴から帰還命令の要請があれば帰還命令を出すし、進撃命令の要請があれば進撃命令を出す。

 執務室で煙草でも吸いながら待っていればいい。

 

 

 ■

 

 

 体育館倉庫まで走った野分は、すみやかに虹彩認証を通過し、弾薬と燃料を補給した。

 グラウンドの真ん中で軽く12.7mm連装砲を振ってみたが、違和感はなかった。これなら先輩艦娘の足を引っ張ることもなく、十全に戦えるだろう、と野分は思った。

 そんなときだった。

 野分の通信チャンネルに、着信があったのは。

 ツーツーツー、トントントン、ツーツーツー、という野分にだけ聞こえる電子音。

 

「個人チャンネルにSOS……?」

 

 野分は耳に手を当て、応答の意思を示した。

 通信が成立した。

 

「……はい」

『君の戦いは本物かい?』

 

 聞き覚えのある、幼いハスキーボイスだった。

 

「……響、さん?」

『これは弾幕の壁からの挑戦だよ、野分。君の戦いが本物なら、浜辺へ行くがいい。舞風が君を待っている』

「どういう、こと……」

『その身を舞風に委ねれば、君の戦いは承認される』

「だって、舞風に出撃命令は――」

 

 ガザッ、とノイズがして、通信は一方的に遮断された。

 誰に言われずとも、浜辺には行く。そこに先輩たちが待っているのだから。

 しかし、舞風が待っているとはどういうことだ。

 見送り? まさか。

 あの舞風が見送りに来ることなど、野分には考えられなかった。

 構っていられない。野分はそう判断した。

 待っているのは舞風ではなく、戦闘だ。戦闘が野分を待っている。

 野分は走った。二基の砲塔には砲弾が装填され、毎秒十発の鉄量を吐き出すべく、獣のように息を潜めている。

 野分が爪先を撃ちこむたび、グラウンドの土が抉れた。

 

「早く、早く戦闘に慣れなくちゃ……」

 

 走りながら、野分はひとりごちた。

 止まった獲物を撃つことなど、野分にはたやすい。一発たりとも外すはずがない。

 野分はそういう存在だからだ。

 野分とは、草を分けて疾駆するひとすじの風。決して実体を捉えられない、透明な獣。どんな獲物だろうと、止まっているなら零距離と同じこと。野分は己を砲弾に重ね、目標にめがけて体当たりをすればいい。

 だが、風と風が絡むとなると、違う。

 風に鉄を叩きつけなければならないのだ。

 だからこそ、野分は動く敵を撃つ必要があった。意図を読み、機会を掴み、確実に殺せるようになる必要があった。

 舞風を破壊するために。

 

 

 

 野分は浜辺に着いた。

 波打ち際には、舞風だけが立っていた。

 

「舞、風……?」

 

 舞風はなにも言わず、白い手袋に包まれた手をだらりと下げて、ただ立っていた。

 足首を灰色の波に洗われながら、ただ野分をじっと見ていた。

 

「五十鈴さんたちは――ッ!?」

 

 抜く手も見せず、舞風は12.7mm連装砲を野分に照準した。野分からは砲身が見えなかった。二つの円い暗闇が、ひた、と野分を見つめていた。

 老兵いわく、砲弾が楕円に見えれば当たらないが、砲弾が真円に見えれば当たる。

 まさしくいま、真円/深淵が野分を見つめていた。

 

「まい――」

 

 問答無用。

 二つの暗闇が同時に爆ぜた。

 野分は文字通り足下を失い、ぐらりと傾いだ。

 

「が……ぐっ……」

 

 おかしい。体が動かない。たかが主機を失ったくらいだ。腕くらいは、砲身くらいは持ち上げて、あの憎い憎い舞風へ――

 野分の願いは叶わなかった。

 倒れ伏し、海水と砂の混ざり物を噛んだ。

 

「野分。野分には、まだ早いわ」

 

 薄れゆく意識の中で、野分は舞風の独り言を聞かされた。

 

「あの深海棲艦たちは囮。透明な軍勢を連れてくるための案内役」

 

 うっとりとした、酔いしれた声。

 なにに酔いしれているのか、野分には分かった。

 野分なら、そのような声になるだろうから。

 

 戦いだ。

 硝煙の、蜂蜜のような甘い香り。

 砲声の、狂騒曲のような騒々しい響き。

 弾幕に突っこむときの、生の実感。

 艦娘を酔わせるものはそれしかない。

 

「裁きの時が、来たよ」

 

 その、遠い声を聞いて、野分の意識は途絶えた。

 

 

 ■

 

 

 ダァン、とジャッジ・ガベルが打ち鳴らされた。

 

「かいてーい」

 

 けだるげな声と共に、世界が塗り替えられた。

 その軍法会議所は、半球の透明なドームに包まれていた。透明な壁の先、海の青色の中で、様々な魚が泳いでいた。ところどころに構造をなす黒い塊は、艦娘、あるいは深海棲艦だったもの。鉄の塊。勝利を求めた者たちの、果てなき戦闘の残滓。

 水族館のような軍法会議所は、鉄底海峡の底にあるのだった。

 軍法会議所には三つの席が設けられていた。

 

 裁判艦は暁型駆逐艦、響。

 検察艦は暁型駆逐艦、電。

 弁護艦は暁型駆逐艦、雷。

 

 裁判艦席は、響にはやや大きすぎたため、響はめいっぱい背筋と首を伸ばしていた。

 三隻ともそれぞれ艤装を外し、セーラー服姿だった。

 響はジャッジ・ガベルを、二度、打ち鳴らした。

 

「ようこそ。弾幕の海域(コート)へ。さあ、扉は開かれた。戦い殺しあうものすべて。そう、君と野分の彼岸もここだよ、舞風」

 

 響が宣言すると、四つ目の席が渦巻く光の束と共に現れた。

 舞風は、被告艦席に座していた。

 艤装はすべて取り払われ、ブレザー姿だった。

 

「さあ、いまこそ裁こうか。君と野分のために。響だよ。その活躍……いいや。面倒くさい」

 と、裁判艦・響が名乗った。

 

「あなたと野分さんのために。あっ、あの、電です。どうぞ、よろしくお願いします」

 と、検察艦・電が名乗った。

 

「あなたと野分ちゃんのために。雷よ! かみなりじゃないわ!」

 と、弁護艦・雷が名乗った。

 

 舞風はやおら立ちあがり、暁型駆逐艦の三隻を、丁寧に見定めた。

 響は舞風へ問うた。

 

「あー、それじゃ、軍法会議を始めよう。被告艦、舞風。君は罪艦であることを認めるかい」

 

 舞風はきっぱりと述べた。

 

「あたしは野分を諦めない」

 

 舞風の言葉を受けて、電が左手を挙げた。

 

「響ちゃん!」

 

 電の右腕には分厚い軍規が抱えられていた。

 

「舞風さんと野分さんとの間には弾幕っていう越えられない壁があるのです。舞風さんはそれを越えて野分さんに砲弾をぶちこんでいるのです。これは明らかに撃ちすぎなのです! 懲罰! ギルティなのです!」

 

 電は挙げた左手を卓に叩きつけた。

 その電に、雷が即座に反論した。

 

「響! 電は明らかに舞風ちゃんを敵視しているわ!」

 

 響は顔を傾けて右頬をテーブルに着け、雷の方を見た。

 

「雷。いまのは異議の申し立てかい?」

「だって撃たないと沈んじゃうじゃない。あなた、野分ちゃんに(・・・・・・)沈めっていうの?」

「で、でもでも……! 舞風さんの訴えを認めちゃったら、同士討ちが続出――」

「異議あり! 野分ちゃんの実力を過大評価しているわ!」

「異議を認めよう。私たちは舞風と野分の色恋沙汰なんてどうでもいい。だからこそ、公平でいないと面倒くさい」

 

 響はいったん間を置いた。

 

「それが戦闘教義(ドクトリン)。ハラショー」

 

 電は「うう……」とうなって涙目でうつむいた。

 雷は「ふふっ」とほくそ笑んだ。

 やりとりを黙って聞いていた舞風が口を開いた。

 

「……つまり、気兼ねなく野分を撃っていいってこと?」

 

 電が気色ばんだ。

 

「それは……!」

 

 言わせる前に、雷が言葉をかぶせた。

 

「響! 愛あるジャッジメントをお願いするわね!」

「あうう……」

 

 電はしょげかえり、膝を抱えてしまった。

 

「いいだろう。では問おう、舞風。君は透明になるかい。それとも、野分を撃つかい」

「野分を、撃つわ」

 

 舞風はまたも、きっぱりと断言した。

 

「それでは判決を言い渡そう」

 

 響は身を起こし、大儀そうに、響の顔ほどもある大きな判子を持った。

 そして、手元の書類に叩きつけた。

 

「戦闘、承認」

 

 舞風に光の帯が巻きつき、艤装が次々と取りつけられた。

 舞風の右肩に、そして左肩に、12.7mm連装砲が提げられた。

 背中の機関部には61mm酸素魚雷の四連装発射筒が取りつけられた。

 舞風は12.7mm連装砲の砲把(ほうは)を握った。使いこんだ武器は、手袋ごしでも舞風の手にしっとりと吸いつき、舞風が意図した通りに、寸分の狂いもなく照準した。

 舞風は照準した先に野分を幻視した。

 かつて失った野分。いまも失われている野分。

 だから。

 

「野分。あたしは野分を撃つよ」

 

 

 ■

 

 

 野分は目覚めた。

 

「はっ……」

 

 視界には正方形のモルタルが並ぶ天井。嗅覚は、なにか薬の匂いを捉えていた。

 数秒の空白ののち。

 

「ああっ!」

 

 野分は、自身が戦いに赴く途中であったことを思い出した。

 勢いこんで身を起こすと、両足の先がひどく痛んだ。

 

「う……ぐ……ここは……?」

 

 見覚えのある、静かな保健室だった。そうだ。川内から内之浦分所を案内されたときに見たのだ。ベッドが二つ並んでいて、それぞれカーテンで隠せるようになっている。ドック(プール)へ入渠した艦娘の修復が完了した後、意識を取り戻すまでここで寝かせるのだと聞かされていた。

 自分は海にいたはずなのに、ここにいる。艤装も装着していない。戦闘は? 先輩の艦娘たちは? 舞風は? 舞風? 舞風に出撃命令は出ていなかった。出撃したのは五十鈴、川内、時雨、夕立、不知火、そして野分だったはずだ。野秋は弾薬と燃料を補給して、浜に出て、海に出た。そのはずだ。誰かから着信があった。響だったような気がする。

 

 記憶の断絶に由来する混乱がおさまらず、野分はしばらく額に手を当てて目を閉じていた。

 ふと、引き戸が軋みをあげて開かれた。野分は顔を上げた。

 入ってきたのは三十四、五程度の、痩せぎすの男だった。手には工具箱を持っていた。

 相生洋一。この分所で司令官をやっている男だ。

 

「おう、目覚めたか」

 

 野分が起きあがっていることを認め、相生司令はそれだけを言った。

 あまりにも無頓着で、無気力な男だった。野分に何が起こったのか知っているだろうに、彼はそれを自分から口にしようとはしなかった。

 

「せ、戦闘は……!?」

 

 野分は身を乗り出したが、相生司令が片手でそれを制した。寝ておけ、とばかりにひらひらと手を振った。

 

「落ち着け。もう終わった。ぶっ倒れてたのはお前だけだ。両足の主機がぶっ飛んでな。破片が機関部に食いこんで、止まっちまったんだよ、お前」

「主機が……?」

「夕飯を釣ろうと思って浜に出たらお前がいた。おおかた、初陣とばかりに気合い入れすぎて、缶を吹かしすぎて主機をぶっ飛ばしたんだろ」

「そ、そんなことは……!」

「新造艦にはよくあることだ……お前は発見艦だったか。まあ、気にするな。ここじゃ真面目な奴ほど損をするぞ。適当にやれ。自分のことを自分でやってりゃいい」

 

 相生司令はそんな言葉と工具一式を置いて、出ていってしまった。

 小さな窓から夕日が差しこむ保健室の一室で、野分は呆然としていた。

 

「そんな……じゃあ、舞風が野分を撃ったのは……夢……?」

 

 そんなはずはなかった。野分の記憶は確かにあれが現実であったと言っていた。

 12.7mm連装砲の砲撃音。足首を引きちぎられる激痛。

 塩辛い、ざりざりとした味。

 潮の、腐敗臭を数千倍に薄めたような匂い。

 舞風の、地平線に接した三日月のような、赤く酷薄な笑み。

 

「……舞風!」

 

 野分は歯ぎしりをして、布団を拳で殴りつけた。

 舞風は、野分を撃ったのだ。

 

「許さない……許さない……!」

 

 何度も何度も布団を殴りつけた。ベッドがミシミシと悲鳴を上げた。

 舞風は、破壊しなければならない。他ならぬ野分の手で。

 野分はうっそりと立ちあがった。熱に浮かされているかのように。

 射撃訓練をしなければ。あの舞風を破壊するために。

 寸分の狂いもなく照準し、雲耀の速力をもって、舞風の機関部に鉄量を炸裂させなければ。

 それが野分の求めること。

 舞風を許さないことこそが、野分の戦いなのだった。

 

 

 ■

 

 

「たとえ罪でも、撃つよ。野分」

 

 




全人類、ピンドラを観てくれ。

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