まいのわ嵐   作:神原傘

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舞風は野分に一対一の隊内演習を申し出る。
拒否権を持たない相生洋一司令官はこれを承認。

舞風と野分の、最初の決闘が始まる。
苦もなく野分をあしらい、まるでからかうかのように圧倒する舞風。

川内は告げる。嵐が、透明な嵐が来ると。

ガンスリンガー・コミュニケーション、第二話。



嵐の二「弾が尽きても許さない」

 横須賀鎮守府内之浦分所、相生洋一司令官いわく。

 

 二十年ほど前、地球に接近した小惑星が、なんの前触れもなく爆発した。

 粉々になった小惑星は無数の流星群になって地球に降り注いだ。

 流星群によって衛星の幾つかが破壊され、ケスラーシンドロームが引き起こされ、地球は宇宙への道を絶たれた。海上での測位は星に頼らざるを得なくなった。

 そして、その直後から、地球上のあらゆる海は、後に深海棲艦と名づけられる生命体の支配下に置かれた。

 深海棲艦にも通常の兵器は有用だったが、ヒト程度の大きさでありながら軍艦並みの火力を持ち、数百万規模の数からなる深海棲艦の軍勢は、大戦序盤において圧倒的優位に立った。

 まったく天地崩壊ってな具合だ。

 一方、同じ頃、艦娘の存在が確認され、深海棲艦と同等程度の能力を有する兵器であることが認められた。政府と妖精さん(なぜか公式にさん付けとなっている)との間に約定が結ばれ、妖精さんはヒトと協力して艦娘を建造し、装備の開発を行うようになった。

 人類は深海棲艦に対する力を得た。誰も彼もが、それこそ女までもが提督になり、階級章が濫発された。

 人類は着実に反攻を開始した。

 

 それから十五年。

 つまり五年前。

 俺は十年勤めた海軍をクビになった。

 理由は簡単だ。

 人類が海の半分を取り戻した。

 戦線は縮小に転じ、増えすぎた提督は不要となったのだ。

 俺は捨て扶持を食みながら、無為に日々を過ごしていた。

 だが、ある秋の日、煙草と酒を買いに出た俺の前に舞風モデルの駆逐艦が突然現れ――

 

 

 ■

 

 

 横須賀鎮守府内之浦分所、川内いわく。

 

 わたしたちは艦娘!

 艦娘は、戦う!

 そういう機械!

 そしてぇ――

 

 

 ■

 

 

 野分は最初から舞風が大嫌いで、最初から舞風が大好きだった。

 だから、本当の戦友になりたかった。

 あの弾幕を越えて。

 

 

 ■

 

 

 野分が主機をぶっ壊した日から三日が過ぎた。

 時刻ヒトヒトマルマル。

 俺が吸い殻の山を作りながら用務員室で事務仕事をしていたところに、舞風が突然訪れてこう言った。

 

「演習命令を出して。時刻は今日のヒトヨンマルマル。相手は野分。一騎討ち形式で」

 

 俺はため息をついた。ペンを置いて携帯端末を取り、ヒトヨンマルマルにて舞風と野分の隊内演習を行う旨を予定に記録した。舞風へ振り返ってその画面を見せた。

 舞風は「それでいい」とでも言うかのように首をいちどきり傾げた。短いポニーテールの尾が揺れた。

 

「で。異議を申し立てるつもりはないんだが」

 

 なにしろ爪が剥がされる。

 

「理由くらいは聞いてもいいか。うちは仮にも水雷戦隊だ。一騎討ちなんてやってどうする」

「あんたには関係ない」

「野分を手に入れるために俺をここに拉致軟禁しておいて、関係ないはねえだろう」

 

 道理の通じない相手だが、このくらいの抗弁では爪は剥がされない。情けない話だが、こいつとのコミュニケーションの程度は心得ている。

 

「野分を撃つため。それだけよ」

 

 答えになっていない気がするが、舞風の理由はそうなのだろう。

 

「……沈めるなよ」

 

 機関部は壊すなよ、という意味。

 

「沈めるわけないじゃない」

 

 言い捨てて、舞風は姿を消した。

 

「やれやれ……」

 

 書類仕事にも飽き飽きしていたので、散歩に出ることにした。

 用務員室を出てグラウンドを過ぎ、校舎の裏手にある中庭に入った。夕立がスカートをまくりあげ、しゃがんだ時雨に小便をひっかけていた。

 

「はぁあ~~~」

 

 夕立は開放感にうち震えて頬を染め、小便を浴びる時雨の顔には恍惚と書いてあった。

 いつものことなので無視して歩き去ろうとしたら、時雨が声をかけてきた。

 

「やあ、司令官」

「うるせえアンモニア中毒」

「まあ待ってよ、司令官。話があるんだ」

 

 足を止めた。野分、あるいは舞風に関する話だろうか。

 夕立はポケットティッシュで股間を拭き、ポリ袋に包んで手提げの巾着袋に入れた。続いてパンティを取り出して穿いた。手際が良すぎる。

 

「この通り、夕立のおしっこが終わったんだけど、今日はなんだか物足りなくてね」

「夕立、今日はあんまりお水飲んでないっぽい……」

 

 そうかそうか。

 

「もうちょっとお水のんでくるっぽい!」

 

 夕立は水飲み場へと走って行った。じゃあパンティ穿かなくてもよくね?

 

「いってらっしゃい。というわけで、司令官のおしっこを僕にかけてくれないかな」

 

 どうしてそうなる。

 

「汚ねえ奴だなお前は……」

「失敬な!」

 

 時雨は小便でびしょぬれのまま立ちあがった。拳を振りあげると夕立の小便がしぶきとなって散った。身を引いてよける。汚え。

 

「おしっこは腎臓で生成されるときは無菌なんだよ! だいたい、アンモニアは尿素が分解されて生まれるものであって、できたてのおしっこは岩清水のように綺麗なものなんだよ!」

 

 力説どうも。岩清水ってのが気になるが。

 

「というわけで、僕の生きがいに付きあってくれないかな、司令官」

「なんでそんなもんが生きがいなんだお前は……」

「僕たちが艦娘だからじゃないか。そんなことも知らないのかい、司令官は」

「艦娘がみんな小便をかぶるのが好きだと?」

「そうじゃないよ。分かっていないなあ、司令官は。まさか、司令官はヒトがなんのために生きているのかも知らないのかい? ヒトなのに?」

 

 やけに哲学的な問いだ。

 

「個人それぞれだろ」

 

 チチチ、と時雨が指を振った。

 

「司令官には失望したよ。答えはね、愛だよ、愛。ヒトは愛し愛されるために生きるんだ」

「陳腐な答えだな。少女漫画でも書いたらどうだ」

「陳腐ということは普遍的ということだよ。ヒトは生き物だ。だから子孫を残すために生きる。子孫を残すためには男女の愛が必要だ」

「政略結婚とかあるだろ」

「少数派だよ。今も昔も、ヒトがこの世に存在する限り、愛は不滅だ。だって愛しあわないと子孫を残せないんだから」

 

 高尚なことを言っているようだが、要するに時雨は、ヒトはセックスするために生きていると言っている。勘違いしてはいけない。

 

「でもね、僕たちは艦娘なんだ。子孫は残せない。そんな僕たちは、生きるための目的を自分たちで発見しなきゃいけないんだよ。僕にとっては、それが偶然にもおしっこだったというわけ」

 

 どんな偶然が重なれば、日がなトイレにこもってアンモニアを嗅ぐ艦娘になるんだろうな。

 

「だから、司令官。僕におしっこを――」

「じゃあな」

「あれ?」

 

 付きあってられるか。なぜ力説すれば理解が得られると思ったんだ時雨は。

 時雨をその場に捨て置いて中庭を抜け、駆逐寮となっている校舎を回りこんでグラウンドに出た。グラウンドを挟んでフェンスの向こうを見やると、浜と海が見えた。

 

「そういやピース、少なくなってたな……」

 

 最寄りの店まで四キロの僻地だ。しかも海辺の住民はすべて内陸に疎開したもんだから、登り坂を行かなきゃならん。不知火が車で出払っていたらチャリで行くしかない。ピースで痛んだ肺に、肝属(きもつき)の山登りはこたえる。

 

「不知火に買いにやらせるか……あ」

 

 そういえば、野分に隊内演習があることを伝え忘れていた。

 俺は携帯端末を取りだし、野分への通信チャンネルを開いた。

 あいつはいま、山の中で鹿を撃っている。

 念のため言っておくと、野分は時雨ではないので撃っているのは雉ではない。

 

「おう。戦果はどうだ」

 

 

 ■

 

 

 横須賀鎮守府内之浦分所は、普段は長崎鼻付近の対潜哨戒と、離島への物資輸送を主な任務としている。

 だが、それでは野分は満足できなかった。

 だから野分は、朝早くから山に分け入っていた。山の麓までは不知火にジープで送ってもらった。

 肝属の山は深い。木々がみっしりと折り重なり、冷たい空気と水分をはらんでいる。山嶺が幾重にも絡み合い、重なり合っている。

 野分は北岳を目指すように進んでいた。

 獣道を走り、地形を読み、糞便を拾い、獣を追っていた。

 自律的に行動するものを撃ちたかった。

 できれば熊がよかった。だが九州に熊はいない。

 

(どうして熊本県は熊本県っていうんだろう……)

 

 さておき、野分の獲物は、鹿、猪、あるいは兎といったものに限られた。

 電探は鬱蒼と生い茂る広葉樹のせいで使えない。

 息をひそめて音を探る。藪をかき分ける音、枯葉や枯れ枝を踏む音、あるいは鼻息……生命の息吹を察知したその瞬間に12.7mm連装砲を向け、すかさず撃つ。

 射程距離はせいぜい百メートル程度となるように装薬を調整してある。

 撃った方角に走り、確認した。

 太いクヌギの樹にべっとりと血が塗りたくられていた。よくよく調べると茶色の剛毛がクヌギの樹の隙間に挟まっており、砲弾は猪に当たったのだと知れた。着弾し、内蔵で炸薬が破裂したのだ。

 マルロクマルマルから五時間ほど、野分はひたすら獣を狩っていた。

 撃った砲弾の数は四十七。ことごとく、獣を爆発四散させた。

 特に鹿を見かけたときには石を投げて当て、逃げさせてから追った。鹿の逃げ道を読み、谷の対岸から撃って当てた。

 当たる。当てられる。

 

「……でも、違う」

 

 野分は違和感を覚えていた。

 鹿や猪や兎は逃げるばかりだ。野分は狩りをしたいのではなくて、戦闘をしたいのだ。

 やはり熊が良い。特に子連れの母熊。子を撃てば野分を襲ってくるに違いない。鹿児島に熊がいないことを野分は呪った。

 そんなときだった。

 野分の通信チャンネルに、着信があったのは。

 ツーツーツー、トントントン、ツーツーツー、という野分にだけ聞こえる電子音。

 野分は耳に手を当て、応答の意思を示した。

 通信が成立した。

 

「……もしもし?」

『君の戦いは本物かい?』

「っ……」

『これは、弾幕の壁からの挑戦だよ、野分。君の戦いが本物なら、浜辺へ行くがいい。舞風が君を待っている』

「響さん? 響さんなんですか?」

『その身を舞風に委ねれば、君の戦いは承認される』

「どういうことですか、答えてください!」

 

 ガザッ、とノイズがして、通信は一方的に遮断された。

 野分は泥と汗にまみれた頬を肩でぬぐった。

 

「野分の、戦い……?」

 

 そんなもの、決まり切っている。

 舞風を破壊することだ。それ以外に野分の戦いは存在しない。

 野分が己の戦闘教義(ドクトリン)を確認したその時、相生洋一司令官からの通信が入った。

 野分はすぐに耳に手を当てて応答した。

 

「野分です」

『おう。戦果はどうだ』

「すみません。撃つと粉々になってしまうので、可食部は残ってません」

『そりゃ砲弾なんぞ使ってりゃな……まあいい、帰投しろ。ヒトヨンマルマルから隊内演習だ』

「演習、ですか?」

『舞風がお前と一騎討ちしたいんだとよ。俺に拒否権はねえから承認したが、お前が乗り気じゃないなら適当に負けてこい』

 

 適当に? 負ける? 冗談ではない。願ってもない機会だ。

 

「いいえ。たとえ、ご命令がなくても野分は()ります」

『いや、それは困るんだが……不知火を迎えによこす。現在位置はどこだ』

 

 野分は手近な樹に登り、懐から地図を取り出して自身の位置を確認した。GPSは使えない。二十年前に地球へ降り注いだ隕石群とケスラーシンドロームによって、人工衛星がことごとく破壊されたためだ。

 

「ええと……小田川が近いと思います。かなり奥です」

『どこまで行ってんだお前は……峠道に下りて山を下ってろ。そのうち不知火と出くわすだろ』

「了解しました」

 

 通信はそれで切れた。

 帰ったら艤装の整備をしなければ、と野分は思った。泥を落とし、油を引き、試射をして、あとは61mm酸素魚雷に仕掛けを組みこんで、電探の感を調整して……。

 風呂に入ることなど、野分はまったく考えなかった。

 戦い。舞風との戦いなのだ。

 そのことだけを考えていればいい。

 そのことしか考えられない。

 腹が煮えるように熱い。

 心臓が早鐘を打つ。

 足の裏がむずむずする。

 背筋がぞくぞくと粟立つ。

 まるで、恋をしているかのように。

 

 

 ■

 

 

 舞風いわく。

 

「裁きの時が来たよ」

 

 

 ■

 

 

 野分いわく。

 

 野分は舞風を許さない。

 野分は舞風を、破壊する。

 

 

 ■

 

 

 赤く黒い追憶。

 ドォン、と腹に響く、重々しい戦艦の砲撃音。

 パパパパパパ、とまばらに耳朶を打つ対空射撃音。

 ギギギ、と鉄がねじ曲がる音。

 硝煙の匂いは濃密すぎて、もはや鼻が麻痺していた。

 遠くの海面で、重油が燃えている。重油の燃える匂いだけはやたら鮮明で、野分はそれを覚えていた。

 艦娘として目覚めたそのときから、野分は山中を逃げ回っていた。

 なにかに追われていた。戦いながら逃げた。

 

 雷巡に出くわせば、雷撃の暇も与えずに肉薄し、砲身を口に突き刺して撃った。

 重巡に出くわせば、鼻先が海面を擦るほどに身を伏せ、肉薄して魚雷を腹に蹴りこんだ。

 砲弾が尽きれば、波打ち際に流れ着いた、名も知らない艦娘の弾薬を奪った。砲が過熱して使い物にならなくなったときも、同じようにした。

 ときには断崖から飛び降り、鹵獲した魚雷を走らせてから直角方向へ逃げることもした。

 またあるときは、島から島へ逃げた。迷路のように複雑に入り組んだ海と島は、野分の逃走をかろうじて助けてくれた。

 その小さな島々が、パラオ諸島のひとつ、ペリリュー島と呼ばれていることを、野分は知らなかった。

 野分は目覚めたその瞬間から、なにも分からずに逃げ続けていたのだ。

 

「助けて……誰か、助けて……!」

 

 野分は孤独だった。深海棲艦の他に、生きているものは野分だけだった。

 顔面が半壊した艦娘。腹から下を失ってワイヤーやチューブが覗いている艦娘。右半身をパックリと割られて、驚きに見開かれた瞼から眼球がこぼれおちている艦娘。

 どの艦娘も死んでいた。機関部を破壊されていた。

 死が満ちる赤黒い空の下、野分は、生き残るために必死だった。

 

「舞風……嵐……萩風!」

 

 かつて野分と呼ばれていた艦艇が所属していた第四駆逐隊の面々の名を、無意識に呼んでいた。南方作戦では勝利の美酒に酔った。ミッドウェイ海戦では苦杯を舐めた。

 

「助けて……助けてよ……!」

 

 このとき、なぜこんなにも砲撃の音が入り乱れているのか、野分には分からなかった。

 戦闘機が飛び交って機銃の音を鳴らし、急降下する爆撃機から鋭い翼音が発せられているのか、分からなかった。

 艦娘がそこかしこに流れ着いている理由に、考えが及ばなかった。

 それこそが、野分の罪なのだった。

 

 

 ■

 

 

 演習の直前、野分が艤装の整備を見て欲しいと言うので付き合った。

 用務員室で艤装をすべて分解して並べ、手早く油を引き、素早く組み立てた。

 俺が煙草を取り出すと野分が泡を食ったように立ちあがったが、机上のマッチを示して火を点ける意図がないことを示すと、野分は呆れたように座って艤装の組み立てを再開した。俺もこんなときに火を点けたりしない。

 磨きあげた12.7mm連装砲に命数五百五十発。機関部には魚雷発射管を取りつけ、腰から伸びるマニピュレータには三三号水上電探を把持させた。

 

「魚雷、使うんだな」

「ええ。でも、舞風用じゃありませんから」

 

 ということは、魚雷を扇状に発射して逃げ道を塞いだ上で、両手で連装砲を操作、電探による精密射撃、といったところか。

 61mm酸素魚雷二十発を慎重に並べると、野分は俺を見あげた。

 

「司令。魚雷の爆発を時限式にすることはできますか。五発だけでいいんですが」

 

 魚雷を時限式に? 魚雷は相手に確実に当てて爆発させるものだろうに。

 

「変なこと考えるんだな、お前は」

「変じゃありません。必要なんです」

 

 野分はいたって真面目なようだった。なにか企んでいるという意味では不真面目だが。

 

「そうだな……爆雷の信管、使えばいいんじゃねえか。針金かなにかで魚雷発射管と信管の安全装置を結んでだな。発射したときに、こう、抜けるようにしときゃいい」

 

 俺は左の指で作った輪を、右の指でピンと弾いて見せた。

 うちの爆雷の信管は、艦娘たちの要望により感圧式ではなく時限式を採用している。

 

「なるほど。ではそのように」

 

 野分は器用だった。さっそく五発の酸素魚雷の装薬と酸素カートリッジを抜き、信管を爆雷のものに差し替えた。爆雷の信管はやや小さかったが、器用なことに野分は蝋付けまでやってのけた。

 改めて装薬と酸素カートリッジを五発の酸素魚雷に詰めると、野分は針金で信管の安全装置と魚雷発射管を繋いだ。魚雷発射管は四連装だから、酸素魚雷は一本余る。野分はなにを思ったか、その一発をベルトに吊るした。

 準備が整った。

 

「野分は、野分の戦いを証明します」

「証明? なんのことだ」

「野分は舞風を許しません。野分は舞風を、破壊します」

 

 いや、だからそれは困るんだが……いや、そうでもないか。

 

 

 ■

 

 

 春の薄曇り。

 晩春から秋にかけての太平洋は、濃い。黒潮と呼ばれるゆえんだ。いや、艦娘のほうでなく。

 砂浜の縁より五十メートルほど先、消波ブロックが重ねられているところにゴムボートを横付けして、エンジンを切った。消波ブロックをよじ登る。

 

「よっこら、せっと」

 

 既に舞風、野分の両艦は対峙して、沖合百メートルの位置にいる。

 首からかけた双眼鏡を覗き、二人の姿を認めた。

 野分は先ほど整備した装備のまま、両手をだらりと下げ、膝を軽く曲げている。

 俺が合図した瞬間に、細工をした魚雷をばらまくのだろう。

 一方の舞風に双眼鏡を転じると、いつものように両手に12.7mm連装砲、魚雷発射管は機関部の左方に固定し、両の腰には匕首、という装備だった。水面を踵でパシャパシャ言わせ、タップダンスを踊っていた。

 踊っているのに、舞風の表情は、石膏で固めたかのように無表情だった。これもいつものこと。うちの舞風は、他所(よそ)の舞風モデルのようには、笑わない。

 もういちど、野分に双眼鏡を転じた。

 口元がなにやら動いていた。

 そういえば、演習中は艦娘たちの状態を把握しなければならないのだった。俺は携帯端末をポケットから取りだし、野分と舞風に対して通話チャンネルを開いた。

 

 

 殺ってやる。殺ってやる。殺ってやる。殺ってやる。殺ってやる。殺ってやる。殺ってやる。殺ってやる。殺ってやる。殺ってやる。殺ってやる。殺ってやる。殺ってやる。殺ってやる。殺ってやる。殺ってやる。殺ってやる。殺ってやる。殺ってや――

 

 

 野分の声だった。

 げんなりした。忘れたふりして繋がなければ良かった。まるで呪詛だった。

 やっぱりあいつも陽炎タイプだ。頭のネジがいくらか吹っ飛んでいる。

 俺が指笛をヒュウイと鳴らすと、二隻ともこちらを見ずに片手を軽く上げた。

 

 

 敵艦隊見ゆ。

 砲雷撃戦、用意。

 

 

 俺は尻ポケットからダイナマイトめいた形状の信号筒を取り、導火線を消波ブロックで擦って火を点けた。少し離れた位置に置き、とっととその場所から離れた。そういえば、昔は2B弾とかいう手榴弾と同じ仕組みのおもちゃがあったらしいが、俺は見たことがない。

 導火線が炸薬に届いた。

 信号弾が筒の突端を覆う油紙を破り、ヒュルルルという甲高い音と共に、赤い尾を引いて、薄く広く伸びた雲めがけてすっ飛んでいった。火薬の匂いが届く前に、状況が開始された。

 

 

 砲雷撃戦、開始。

 

 

 野分は機関部の左側に装着した魚雷発射管から二本を射出した。

 わずかな間隙を置いてもう二本を射出。

 それぞれ、舞風には向かわず、挟みこむような雷跡を描いた。雷跡が残らないとされる酸素魚雷でも、発射してしばらくは空気と混燃させるため、窒素による雷跡が残るのだ。

 野分はすかさず腰に吊しておいた魚雷を足下に投下した。なにを、と俺が考える間もなく魚雷は水面下で早発。文字通り爆発的な推進力を得た野分は、己が至近弾によるかすり傷を負いながらも仰角三十度の空中へと躍り出た。

 とっさに俺は、舞風を双眼鏡のレンズにおさめた。

 開始の合図から三秒、奴は未だに無体。両手に12.7mm連装砲を提げたまま、開始位置から動いてすらいない。

 ただ、両の碧眼が素早く走り、迫りくる雷跡の一本一本を丁寧に確かめていた。そしてようやく、ひどく愉しげに、口角を歪めた。

 四本放たれた酸素魚雷は、舞風を囲む正方形の点で信管が起動し、爆発。四本の水柱が高々と天を衝いた。

 

「軍艦の戦い方じゃねえな……」と俺はぼやいた。

 

 魚雷は舞風の選択肢を奪うためのものだったのだ。

 水柱より高く跳躍した野分は、砲塔をどこへ向けるも自在。舞風がいかなる方向へ逃げようと、たとえ水しぶきで視界が覆われていようと、右のマニピュレータに把持した電探の感をもとに、精密な射撃を加えることができる。

 砲弾は確信と共に撃ちこまれた。

 秒間十発のサイクルで発射される砲弾の反発力は、野分を宙に留めておくほどだった。

 きっかり三秒。三十発の砲弾が、電探が示す点へと炸裂した。

 野分は慣性のまま放物線を描き、海面へ着地した。

 ようやく水柱が崩れた。

 海面には、野分と。

 

 舞風が、立っていた。

 海風を受けて、上着の裾がはためいた。まったくの無傷だった。

 舞風は首をかしげた。

 それでおしまい? とでも言いたげに。

 野分は歯を剥いた。舌打ちの音が携帯端末から聞こえた。

 二隻は砲口を互いに向けた。

 ヒュウ、と互いに息を吸った。

 ドルン、と互いの背の機関が唸りを上げ、黒煙が立ちのぼった。

 転瞬、互いの爪先が水面を蹴った。

 野分は舞風の側面へ回りこむために。

 舞風はその場でタップダンスを踊るために。

 野分は撃った。

 川内が言ったように、野分の照準は正確無比であるかのように見えた。しかし砲弾は、海面に、あるいは海岸に着弾した。射線は間違いなく舞風を貫いているというのに。

 だが、舞風はくるくるとその場で舞い踊り、ステップを踏み続けていた。

 

「当たらない……!? どうして……!」

 

 携帯端末から野分のうめき声がした。

 舞風は、わずかに半身を捻るだけで砲弾をかわしているのだった。

 いっこうに攻撃する気配を見せない舞風に業を煮やしたのか、野分はもはや足を止め、舞風にひたすら鉄量を叩きつけるべく砲撃を繰り返した。空薬莢がばらばらと海面に落ちた。

「沈め、舞風!」

 俺は野分の呪詛を携帯端末から聞くはめになった。

 踊る舞風は野分の言葉を聞いて、うっとりとした顔になった。

 正直に言って、気持ち悪かった。なんだあいつ。

 

「沈め! 沈め! 沈めえ!」

 

 どれだけ撃っても、砲弾は舞風に届かなかった。

 ならば、と野分は射撃を止め、舞風に向かって突進した。

 簡単な理屈だ。近い方が当たりやすい。

 ここで舞風がようやく動いた。奴もまた、野分に向かって突進したのだ。

 12.7mm連装砲が猛烈な勢いで激突し、交錯し、絡み合った。

 すかさず野分が撃った。舞風が砲塔をひねり、わずかに弾道を逸らした。

 舞風の金髪がわずかにちぎれ、ちりちりに焼け焦げて海上に散った。

 

 

 舞風は嬉しそうに、とても嬉しそうに、笑った。

 

 

 二隻は巴になって踊り始めた。

 相手の放つ死線を避け、己の死線を相手に届けんと試みる。

 言葉にすればたったこれだけのことが、幾度も繰り返された。水面を激しく踏み、砲塔を振り回して激突させ、魚雷を落としては爆発させて体制を崩す。

 野分は熟達した技巧を、ことごとく披露していた。

 

 双眼鏡から一旦目を離す。ガン=カタめいた演武が、それほど遠くない海面で繰り広げられている。ひとときも動きを止めず、跳んだり跳ねたりしては砲撃と雷撃を繰り返している。

 まったく珍奇な光景だった。発見されたばかりの艦娘が、どうしてあそこまで戦える。海戦は多対多を基本とするというのに、どうして野分は一対一の戦いに長じている。

 思い返せば、艤装の選択からして変だった。野分は舞風を相手にすること、そのことのみを考えていたのだ。

 野分、あいつは何者だ。なにが目的でああなった。

 

「舞風ェ!」

 

 怒号が携帯端末を震わせた。

 再び双眼鏡を覗く。

 野分にとって、舞風ははるかに遠かった。

 なにせ、舞風は未だに一発も撃っていないのだ。

 撃たないが、時折、砲身がピタリと静止する。はい、いま死んだ。というわけだ。

 野分が耳まで赤くして激高した。反面、砲塔と砲身は冷静かつ緻密に動き、舞風のいた(・・)ところへ正確に照準した。

 しかし、そこには舞風は既にいない(・・・・・)のだ。舞風は野分の砲身の動きに先回りして身を捻り、水面を滑り、宙に体を躍らせて、野分の腹や機関部へ砲口をコツリと当てる。

 終わりそうにない戦いに俺が飽き始めたその時、川内の声が俺の背後からかかった。

 

「そこで大きくジャンプ&ターン、ってね」

「あ、お邪魔します」三日月の声もした。

 

 振り返ると、川内と、三日月が消波ブロックに来ていた。

 

「仕事はどうした」

「由良に代わってもらった。遠征、夜までかかるやつじゃん。夜は嫌いだもん」

 

 つまりサボりじゃねえか。お前のその夜嫌いなのなんとかならんのか。

 

「わ、わたしはお昼の休憩です」と三日月。

「お前にサボりは期待してねえよ」

 

 などと益体もない話をしている間も、砲撃の音はむなしく響き続けた。

 すべて野分の砲撃音だ。せいぜい舞風の髪をかすめる程度の。

 ぽつりと、三日月が呟いた。

 

「……あの二人は、どうして喧嘩しているんですか」

 

 こいつも変な奴だった。あれを喧嘩ってんならカンネーの戦いも子猫のじゃれあいになるわ。

 あいつらが殺しあっている理由? 知るか。あいつらが理屈で動いてるんなら、俺はいまでも安アパートの一室でニッカとピースをかっ食らってたろうし、その一室を対潜爆雷で吹っ飛ばされるようなこともなかったろうし、こんな僻地に連れてこられることもなかったろうし、爪を月にいちど剥がされるようなこともなかったろうし。

 

「……ああ、クソ。思い出したら胸が悪くなってきた」

「胸が悪いのは煙草の吸いすぎだと思います」

 

 さすが艦娘。重油を消費して呼吸してる奴は言うことが違う。

 

「あたしは分かる気がするなあ」

 

 と川内。片膝を立て、頬杖をつき、老婆が孫を見るような甘ったるい表情で、二隻の戦闘機動に見惚れていた。こいつも気持ち悪い。

 

「対戦ゲームやってるとさあ、相手のココロが分かるときってあるんだよねえ。お互いがお互いのゾーンに入るっていうかさあ」

 

 うちの川内はゲーム廃人だ。夜は自室でひたすら格ゲーのトレモしてる。

 

「対戦しているうちにさ、言葉にできないなにかが通じて、『あんたはこう動きたいんだね。あたしはこう動きたいんだ。あんたもそれは分かってるよね』って感じになるんだよねぇ」

「わけわからん」

「あー、でも、のわっちはまだビミョーに分かってないんだよねえ。ま、あたしも完全に分かってるわけじゃないけどさあ」

「そういう武道精神めいたなにかの講釈はどこかの武蔵やら菊月やらに垂れてやれ」

 

 などと、俺と川内が筋の逸れた話をしているときだった。

 

「あっ」

 

 と三日月が声を上げた。

 ドン、と一発だけ音がした。

 俺と川内は海面を振り返った。

 舞風が撃ち、野分の左足を吹きとばしていた。

 ぐらりと傾いだ野分の右足が撃たれて消しとんだ。

 野分が仰向けに倒れ、海面に背を浸した。

 アームが打たれた。魚雷発射管が爆裂し、魚雷に誘爆した。酸素を供給された火炎は激しく燃えさかり、野分の左顔が焼けただれた。チタン合金製の頭蓋骨が半分ほど露わになった。

 ひと呼吸を置いて右腕が撃たれ、左腕が撃たれた。

 淡々と、丁寧に、祈るように、舞風は野分を達磨にしていった。

 最後に残った顔へ、舞風は砲身を向けた。

 

 俺は携帯端末をタップし、舞風と野分の通信チャンネルを閉じた。これだけの至近距離で艦娘の頭部が破壊されると、圧の高いノイズが発せられて携帯端末がオシャカになるからだ。

 二人はなにごとか言葉を交わしたようだった。

 野分の顔が撃たれ、炸薬が破裂し、チタン合金の骨格ごと粉々になった。

 舞風は胴体だけになった野分をいとおしそうに抱きかかえて、首から噴出するオイルを舐めた。ぶるり、と舞風が震えた。

 空を仰ぎ、目を閉じ、極上のごちそうを味わったときのような、恍惚とした顔をしていた。

 やがて舞風は顔を下げ、無表情に戻った。そして、野分を抱きかかえたまま静かに浜辺へと帰投した。

 

 

 ■

 

 

 ダァン、とジャッジ・ガベルが打ち鳴らされた。

 

「かいてーい」

 

 けだるげな声と共に、世界が塗り替えられた。

 軍法会議所は、やはり半球の透明なドームに包まれていた。透明な壁の先、海の青色の中で、様々な魚が泳いでいた。ところどころに構造をなす黒い塊は、艦娘、あるいは深海棲艦だったもの。鉄の塊。

 水族館のような軍法会議所。

 裁判艦・響はジャッジ・ガベルを、二度、打ち鳴らした。

 

「ようこそ。弾幕の海域(コート)へ。それじゃ、軍法会議を始めるよ」

 

 舞風は最初から被告艦席を立ち、青い瞳で響を見つめていた。

 検察艦・電が真っ先に手を挙げた。

 

「響ちゃん! 前回、舞風さんが野分さんを撃ってからまだ一週間も経ってないのです。これは明らかに撃ちすぎなのです! 懲罰! ギルティなのです!」

 

 弁護艦・雷がすかさず手を挙げた。

 

「異議ありよ! 撃ちたいと思う瞬間は、艦娘それぞれだと思うわ!」

 

 双方の意見を聞いた響は口を開いた。

 

「異議を認めよう」

「ふぇっ!?」

 

 自身の主張が受け容れられるものと思いこんでいた電は、右腕に抱えた分厚い軍規を落として驚いた。

 

「艦娘が艦娘の本能に従う。それが戦闘教義(ドクトリン)。ハラショー」

 

 響は心底めんどうくさそうに言った。

 

「じゃ、舞風。君は透明になるかい。それとも、野分を撃つかい?」

 

 前回の軍法会議と同じく、舞風はきっぱりと断言した。

 

「野分を、撃つわ」

「それでは判決を言い渡そう」

 

 響は大儀そうに、大きな、響の顔ほどもある大きな判子を持った。

 そして手元の書類に叩きつけた。

 

「戦闘、承認」

 

 舞風に光の帯が巻きつき、艤装が次々と取りつけられた。

 舞風の右肩に、そして左肩に、12.7mm連装砲が提げられた。

 背中の機関部には61mm四連装酸素魚雷の発射筒が背負われた。

 舞風は12.7mm連装砲の砲把を握った。使いこんだ武器は、手袋ごしでも舞風の手にしっとりと吸いつき、舞風が意図した通りに、寸分の狂いもなく照準した。

 舞風は照準した先に野分を幻視した。

 かつて失った野分。いまも失われている野分。

 だから。

 

「野分。あたしは野分を撃つ」

 

 

 ■

 

 

 舞風と野分による隊内演習の後。

 俺はゴムボートを浜辺の納屋にしまい、鍵をかけた。

 浜を歩くと、波打ち際に川内が立っていることに気づいた。

 川内は太平洋のかなた、水平線を見つめていた。

 

「まだ戻ってなかったのか、お前。なにやってんだ」

 

 川内が首だけ傾け、斜め後ろに立つ俺を見た。首、痛くならねえのかそれ。

 

「軍勢が来るよ、司令」

「軍勢? なんの」

「透明な軍勢」

 

 聞いたことのない言葉だった。

 

「新種の深海棲艦かなにかか」

「ううん。艦娘でも深海棲艦でもないもの。死と生のあわいにいるもの、戦いを諦めない愚かもの、そういったものを、海の底に引きずりこんで透明にしてしまうもの」

 

 川内はいつものお調子者めいた口調ではなく、静かな緊張をはらんだ、夜戦へ移る直前のような口調をしていた。

 

「なんのために、その透明な軍勢とやらがこんなところに来る」

「のわっちを取り戻すために決まってるじゃん。舞風ちゃんはそのことが分かってたから、のわっちを撃ってるんだよ」

「なんだそりゃ。どういう理屈でそうなる」

「分かってないねえ、提督。わたしたちは艦娘だよ。それが答え」

「分かるか。艦娘なんざヒトモドキの兵器だ。お前たちが哲学的ゾンビだったとしても俺は驚かん」

「なんだ。分かってるじゃん」

 

 分かってないっつーの。

 日はまだ高い。だが薄かった雲はいつしか濃く垂れこめ、風も強さを増し、波頭の兎は鰐に変じていた。空気はたっぷりと湿り気をはらみ、いまにも雷鳴が轟きそうだった。

 

「ひと雨、来そうだな」

 

 と俺は言った。

 

「ひと雨? まさか」

 

 と川内は返した。

 

「嵐だよ、嵐」

 

 

 




内之浦というのは鹿児島県の東部、大隅半島にある実在の……
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