時雨は、自身を艦娘とした名も知らぬ少女を恨む。
よくもまあ、この世に産み落としてくれたものだね。
僕は白露タイプ駆逐艦、時雨。
僕は、艦娘に志願した僕を恨む。
晩秋の渾作戦が終結し、新しい年になって何日か経った日のことだった。
しとしとと、細かな雨粒が降る日だった。鹿児島には雪がほとんど降らない。特に内之浦は暖流である黒潮の影響もあって、鹿児島市よりもさらに雪が降らないらしい。
僕と夕立はルームメイトで、その日は任務がなかったので、一緒に居室でぼんやりとしていた。僕たちの居室は教室を改造した一室で、ベッドとロッカーと学習机だけがある。ロッカーには替えの制服と下着だけがあり、学習机には、なにもない。空っぽだ。
夕立も僕も無趣味だったから、ただただ窓の外を、雨の降りしきる校庭を眺めていた。
あまりに暇だったので、僕は他愛もない話をしようと思った。
「ねえ、夕立」
「ぽい?」
「夕立は、どうして戦うんだい?」
夕立は即答した。
「深海棲艦をいっぱい沈めるためっぽい!」
「じゃあ、深海棲艦がいなくなったら?」
僕がそう言うと、夕立は眉根を寄せた。
「えー、そんなことあるっぽい?」
「あるさ。ヒトは五年も前に海の半分以上を取り戻した。いまでは三分の二まで取り返してる。遅かれ早かれ、ヒトはいずれ深海棲艦を廃滅させる。そうしたら、夕立はどうするんだい?」
「うーん……別の戦争があると思うっぽい。そこに行けばいいっぽい」
「つまり夕立は戦うために戦っているんだね」
「そういうことになるっぽい? 夕立、あまり難しいことは分からないっぽい。時雨ちゃんは難しいことばかり考えてるっぽい」
「そうかもしれない。長く生きているとね、考えることが増えるものなんだよ。考えるのに疲れると、おしっこを浴びたくなる」
僕は川内に次ぐ老齢艦だ。僕が艦娘になった頃から、艦娘の製造技術が確立され、志願者の手術は取りやめになった。
一方、夕立は、建造されて日が浅い。無垢で、自分の存在意義に疑いを持つことなく戦う彼女を見ていると、とても羨ましくなる。
「そうそう。時雨ちゃんは、おしっこを浴びるのが好きっぽい。どうして?」
「そう決めたからさ」
「好きなことって、自分で決められるの? 夕立は戦いが好きっぽい。でも、元々好きだったっぽい。時雨ちゃん、なんか変っぽい。普通の時雨モデルは、雨が好きっぽい」
「そうだね。僕はちょっと変だと思うよ……それにしても、いい雨だね」
「雨に良いとか悪いとかあるっぽい?」
「ないさ。雨は、どんな雨でもいいものだよ」
「ふうん。やっぱり時雨ちゃん、変っぽい」
それきり、話は終わってしまった。
僕たちはまた、雨がグラウンドに落ちて泥水を跳ね上げるさまを眺める暇つぶしに戻った。
雨はいつか止む。僕はそのことが悲しい。いつまでも雨が降り続ければいいと思う。
雨は、僕が僕の生きがいを決めたきっかけだから。
ヒトは幸福だ。生まれたときから、なんのために生きるのか、その何かをひとつは用意されている。
ヒトは生物で、繁殖しなければならない。ヒトが繁殖するためには往々にして愛とセックスが必要で、だからヒトは愛し愛されるために生きることができる。特別に使命を持たないのなら、愛し愛されればいいじゃないかと言ってもらえる。
じゃあ、艦娘はなんのために生きているんだろう。
思春期の少年少女にありがちな、哲学の初歩。けれど僕たちは思春期の少女の姿をしているのだから、こんな青臭いことを考えたって構わないだろう? まあ、僕は川内の次に歳を取っているから、中身は三十を超えたおばさんなのだけど。
さて、艦娘はヒトじゃない。兵器だ。敵を殺戮するための道具だ。そのための機能だけ備えていれば良いと、僕は思う。なのに、どうしてヒトは艦娘にヒトの姿を与えて、自我まで与えたんだろう。
戦うために戦っている夕立は、この矛盾にいずれ気づくだろうか。気づかない方が幸せかもしれない。けれど、気づかずに沈むこともまた不幸かもしれない。殺伐とした戦いの中で、潤いを得ることなく沈むのだから。
僕はいま、おしっこを浴びることを生きがいとしている。
自分で生きがいにすると決めた。
誰も思いつかないような、やろうとしないようなことが欲しかった。
きっかけは雨だった。僕も他の時雨モデルと同じように、雨が好きだった。
いま、まさに目の前で降っている、雨。
しばしば空の涙と喩えられる、雨。だったら、空はなにに泣いているんだろう。
昔、ずぶ濡れで歩きながらあれこれ考えた挙句、実は空というのは、僕たちヒトモドキを馬鹿にして、嘲笑って、おしっこをひっかけているのかもしれない、と思い至った。
おしっこ。尿。綺麗で汚いもの。
気に入った。矛盾だらけの艦娘にぴったりじゃないか。
僕はおしっこを浴びることを生きがいにすることにした。
なんだってよかった。なにかのために生きていなければ、僕はとても耐えられなかった。
けれど、間違いなく、この生きがいは偽物だ。
艦娘は、本物の生きがいを得ることなどできないのだと僕は思う。
だから僕は、僕を時雨にした者、艦娘になるべく改造手術に志願した、ヒトだった少女を恨む。
よくもまあ、この世に産み落としてくれたものだね。
最も核心に近づいてしまった時雨チャンス