まいのわ嵐   作:神原傘

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「夜戦を諦めた女王様」

むかしむかし。
まだ深海棲艦が地球の海を支配していた頃のことです。
ある艦隊の中に、勇猛果敢な水雷戦隊がありました。
その水雷戦隊の中でも、とりわけ強い軽巡洋艦がおりました。
艦名を、川内といいます。
川内は第三水雷戦隊の旗艦。
夜戦の女王様だったのです。

ガンスリンガー・コミュニケーション、第四話。




嵐の四「私は夜戦ができない」

 わたしは、最初からあなたたちが大嫌いで、最初からあなたたちが大好きだった。

 だから、本当の戦友になりたかった。

 あの弾幕を越えて。

 

 

 ■

 

 

 海底の軍法会議所。

 その被告艦席に、川内はいた。

 

「それじゃ、被告艦、川内に問おう。君は戦いを諦めるかい。それとも、夜戦を諦めるかい」

 

 川内は焦りを帯びた声音で答えた。

 

「わたしは戦いを諦めない。夜戦を諦める」

 

 暁型駆逐艦の三隻は目を見開いた。

 

「ふぇ……?」

「へ……?」

「ふうん……」

 

 川内は被告艦席を囲う柵を片手で殴りつけ、裁判艦・響に、叫ぶように訴えた。

 

「わたしはどうしても、舞風ちゃんと一緒に、弾幕の向こうへ行きたいの!」

 

 

 ■

 

 

 その軍法会議所は、半球の透明なドームに包まれていた。透明な壁の先、海の青色の中で、様々な魚が泳いでいた。ところどころに構造をなす黒い塊は、艦娘、あるいは深海棲艦だったもの。鉄の塊。勝利を求める者たちの、果てなき戦闘の残滓。

 水族館のような軍法会議所は、鉄底海峡の底にあるのだった。

 軍法会議所には三つの席が設けられていた。

 

 裁判艦は暁型駆逐艦、響。

 検察艦は暁型駆逐艦、電。

 弁護艦は暁型駆逐艦、雷。

 

 三隻ともそれぞれ艤装を外し、セーラー服姿だった。

 裁判艦席は、響にはやや大きすぎた。響はテーブルの上にだらしなく寝転がっていた。

 響はジャッジ・ガベルを、いちど、打ち鳴らした。芯を外したため、コカン、と間抜けな音がした。

 

「ようこそ。弾幕の海域(コート)へ……さあ、扉は開かれた……戦い殺しあうものすべて。そう、艦娘と艦娘の彼岸もここだよ」

 

 ごろりと響が寝返りを打った。

 

「響だよ」

 と裁判艦・響が言った。

 

「電です」

 と検察艦・電が言った。

 

「雷よ!」

 と弁護艦・雷が言った。

 

 ごろり、とまた響が寝返りを打った。

 

「さて……今日は軍法会議はお休みだよ。そこで皆さんに、ためになる話をひとつしようと思う。面倒くさいけど……」

「響ちゃん! そう軽々と第四の壁を破るものじゃないのです! というかはたから見たら怪しい電波ちゃんなのです!」

「いいんじゃない? 毎度毎度、撃ち合ってばかりの話じゃつまらないじゃない」

「はわわわわ……雷ちゃんまで……」

「あなたも本性あらわしてみたら? ぷらずまちゃん♪」

「あれは電とは違うなにかなのです!」

 

 ダン、ダン、とジャッジ・ガベルが二度鳴らされた。

 

「はい、静粛に」

 

 ウィーン、とウィンチがワイヤーを送る音が軍法会議所に響き渡った。

 どこに仕掛けがあったのか、水族館めいた半球の天井から、大きな額縁が降りてきた。

 収められた絵には、赤黒い闇の中で深海棲艦の首級を高々と掲げる、川内タイプのネームシップが描かれていた。

 

「夜戦を諦めた――」

「女王様?」

 

 ガタン、と額縁が静止した。

 

「それでは、始めようか。それが戦闘教義(ドクトリン)。ハラショー」

 

 

 ■

 

 

 むかしむかし。

 まだ深海棲艦が地球の海を支配していた頃のことです。

 ある艦隊の中に、勇猛果敢な水雷戦隊がありました。

 その水雷戦隊の中でも、とりわけ強い軽巡洋艦がおりました。

 艦名を、川内といいます。

 川内は第三水雷戦隊の旗艦。

 夜戦の女王様だったのです。

 

 艦娘として改造手術を受けた直後から、彼女は夜戦が大好きでした。

 艦隊のすべての艦娘が、彼女の夜戦好きを揶揄しない日はありません。

 

「なにか騒いでる軽巡がいますね、なにかしら?」

「そろそろ夜戦の時間か……騒がしくなるね」

「チッ……まーた軽巡が一隻騒いでるわね。提督、私、ちょっと文句言ってきていい?」

「さぁて、夜戦ね。どこかの夜戦バカには負けないから!」

「夜戦……どこかのバカが好きでしたわね……」

「かわう……川内うるさい!」

 

 そう。川内はこの艦隊で一番の夜戦好きだったのです。

 

「やったあ! 待ちに待った夜戦だあ!」

 

 そんなある日のこと。

 深海棲艦がこれまで観測されたことのない異形の艦艇を前線に投入してきました。

 反攻を始めた人類の出鼻をくじきにきたのです。

 ようやく始まった人類の反攻も、芽を摘み取られてはたまりません。全国津々浦々の艦隊は統廃合を繰り返し、まるでモザイク模様のようになりました。

 たくさんの戦艦が沈みました。たくさん沈んだ戦艦よりも、より多くの巡洋艦が沈みました。そして、たくさんたくさん沈んだ巡洋艦よりも、もっともっと多くの駆逐艦が沈みました。

 

 川内は、楽しくて仕方ありませんでした。

 ねっとりとした夜の闇を切り裂いて海面を疾駆し、大軍勢を目の前に、一番槍を取ることのなんと楽しいことか。混乱した雑魚を蹴散らして敵陣の奥深くに侵入し、大将首を斬獲することのなんと心地よいことか。

 川内は次々と深海棲艦を血祭りに上げました。

 けれど、川内が沈めた深海棲艦と同じ数だけ、彼女の背後で駆逐艦が沈みました。

 そんなある日のこと。

 

「川内さん、提督から通達だって」

「叢雲が限界突破の改造を受けたんだって」

「だから、旗艦、川内さんじゃなくて叢雲になるんだって」

「すごいよねー。駆逐艦が旗艦だなんて」

 

 口々に川内へ告げる水雷戦隊の駆逐艦たち。

 その旗艦である川内は、ぽかんと口を開けたまま呆けていました。

 空っぽの頭の中には「夜戦主義」の四文字だけ。

 

「……じゃあ、夜戦の一番槍は?」

「「「「叢雲です!」」」」

 

 夜戦主義の四文字が粉々に打ち砕かれました。

 

「はあああああああああああああぁ!?」

 

 

 ハラショー♪ ダスヴィダーニャー♪ (トッカータとフーガ ニ短調)

 

 

 その日から川内は、彼女が望む夜戦ができなくなったのです。

 叢雲は今晩も長柄の槍を片手に宵闇の敵へ切りこんでいきます。川内は、後塵を拝する日々が続きました。

 叢雲は、めっぽう夜戦に強い艦娘でした。

 昼間は役立たずの槍も、近接が許される夜戦では絶大な威力を発揮したのです。さらに、叢雲の耳のアレは高精度な三次元測位レーダなのでした(だから二つ付いています)。夜、雲に覆われたまったくの暗闇であっても、叢雲は迷うことなく大槍を深海棲艦の首根へと突き立て、次々と海底へと葬り去りました。照明弾や探照灯を使わなければならない他の艦とは一線を画していました。

 

 当然、川内は面白くありませんでした。

 叢雲が活躍することそのものには、不満はありませんでした。

 ただ、叢雲が止めを刺し損ねた、瀕死の深海棲艦の息の根を確実に絶つことだけが彼女の仕事になりました。そのことが、とてもつまらなかったのです。

 

「……あいつ、いなくなればいいのに」

 

 川内が腐りに腐っていた、ある夜のこと。

 その日の晩も、川内は未練がましく防波堤の突端、明かりのない灯台の下に座っていました。はぐれた深海棲艦が間抜けにも鎮守府近海へ現れやしないかと考えて、墨汁を張ったかのような水面を眺めていました。

 だから、背後からざりざりと防波堤を歩く音がしても、川内は振り返りませんでした。

 足音の主が、若干しゃがれた声で言いました。

 

「いつまでふて腐れてんのよ」

「んあ……?」

 

 振り仰ぐと、銀髪の少女が立っていました。右手には大きな槍を持っています。

 少女は、艦名を叢雲といいます。

 川内に変わって三水戦の旗艦を務めている駆逐艦です。冷静沈着、なれど勇猛果敢。

 

「あんたにはあんたの仕事がある。そうでしょ」

「えっ! じゃあ、わたしがまた旗艦になれるの!?」

「んなわけないじゃない。私が旗艦になった理由、あんたの猪突猛進の度が過ぎたからよ? 知らないの?」

 

 川内は後半の言葉を聞いていませんでした。ただ、旗艦を任ぜられたわけではないことを嘆くのでした。

 

「なあんだ……あたしが一番槍じゃなかったのかあ……」

「どういう思考回路してればそうなるのよ……」

「だって夜戦だよ? 夜は良いよね、夜はさあ」

「……夜は、あまり好きではないわ。私は青空が好き」

「どうして? 夜戦、楽しいじゃん」

「あんたみたいな考えなしの馬鹿がいるから、私たち駆逐艦がどんどん沈むのよ」

 

 叢雲の口調は怒ったふうではなく、どこか諦念を帯びていました。

 川内はきょとんとして、首を傾げました。

 

「駆逐艦だから? なに言ってんの? 沈んじゃうのは仕方ないじゃん。夜戦になれば駆逐も軽巡も、戦艦でも変わらないでしょ。先に魚雷を一発当てたら勝ち、それだけでしょ?」

「先に一発って……外したらどうするのよ」

「さぱっと沈めばいいじゃん。それが夜戦でしょ」

 

 川内はさも自明のこと(アプリオリ)であるかのように言いました。

 叢雲はしばらく言葉を失いました。

 

「……あんた、どうしてそんなに夜戦が好きなの?」

「本物の戦いができるから」

「昼間だって、本物の戦いじゃない?」

「違うよ。あんなのは本物の戦いじゃない。夜戦に突入するときのための前準備。第一ラウンド。癖とか速さとか、そういうことを頭に入れておくための探り合いだよ」

「……あんた、本当に夜戦馬鹿なのね」

「私は逆に、みんながどうして夜戦が好きじゃないのか分からないなあ。私たちは艦娘だよ? 知らないの?」

「知ってるわよ」

「艦娘は戦う。そういう機械でしょ。そして軽巡も駆逐も、本当の戦いができるのは夜だけ。なのに戦わなくて平気でいられるなんて、頭がどうかしてるんじゃない?」

「……」

 

 叢雲は川内の言葉をじっくりと吟味しました。

 

「……艦娘は、戦う」

「戦う! 死線を通して相手を屠る! 命をベットし(かけて)命を奪う!」

 

 川内はぴょんと跳ねて立ちあがりました。マフラーを夜風にたなびかせてくるくると廻り、防波堤の縁でステップを踏みました。

 

「……そういう、機械」

「機械! 疲れ知らずの艦本式缶(かんボイラー)! 終わり知らずの反復運動(ポンピング)! 怖れ知らずの戦闘機動(ぼんおどり)!」

 

 川内は灯台の左右に、現れは消え、現れは消え、朗々と歌いあげながら踊りました。

 

「本当の戦いができるのは、夜だけ」

「夜だけ! さあ、闇に紛れて夜に殺せ! 鉄火を降らせて夜を殺せ! 三千世界のカラスを殺せ!」

 

 ぱっと手を広げて運動を止めた川内の瞳には、夜空の星が爛々と映りこんでいました。

 川内の顔は、叢雲の鼻先にありました。

 叢雲はしばらく黙り、川内の瞳をじっと見つめていました。

 やがて、川内の頬を両手で挟み、遠ざけました。

 

「むぎゅ」

「はあ……なんであんたが廃棄処分されないのか、分かった気がするわ」

「ん?」

「報われないわね、あの子たち。当の本人はぜんぜん気づいていないんだから」

「んん?」

 

 川内は、叢雲がなんのことを言っているのか分かりませんでした。

 

「いいわ。私があんたと一緒に戦ってあげる」

「んんん? ねえ、なに言ってるの? 頭おかしくなっちゃった?」

 

 叢雲は口の端を引きつらせました。

 

「……あんたに言われると、えらく腹が立つわね」

 

 叢雲は立ちあがり、槍を軽々と担ぎました。

 

「仕方ないわね。指揮権は譲らないけれど、あんたに夜戦の一番槍、譲ってあげる」

「いいの!?」

 

 子供のような、ぱっと輝く笑顔を見せた川内に向けて、叢雲は意地悪く微笑み返しました。

 

「あたしに近接戦で勝てたら、だけどね」

 

 

 ■

 

 

 野分は目覚めた。

 身を起こすと、頭がガンガンと痛んだ。

 目覚めた野分の脳裏をまずよぎったのは、まいかぜ、という音韻だった。

 ザッ、と雑音のような空耳がして、舞風の姿が想起された。

 野分は額に手を当てて目を伏せた。

 

(あれは……夢?)

 

 そんなはずはなかった。手には、密着して撃ったときの重く、粘つくような感触が残っていた。肩には、舞風の体温と、オイルのぬめりが残っていた。

 

(野分が……この手で舞風を……?)

 

 皮膚の感触をトリガーに、徐々に記憶が鮮明になる。浜辺にたたずむ、幽霊のように灰色な舞風。

 褒めろ、もっと怒れ、忘れた戦いを思い出せ。

 そう口にする舞風が怖くて仕方がなく、野分は無我夢中で12.7mm連装砲を撃ったのだ。

 

(でも、なぜ……どうして……)

 

 舞風はなぜあんなことをしたのか。

 野分は舞風を憎んでいる。舞風も、野分を憎んでいるはずだ。

 あんなことをしたら、野分が激高することなど分かっていたはずだ。野分が舞風を撃つことだって分かっていたはずだ。

 野分は周囲を見回した。

 教室を改装した自室だった。教室を半分に間仕切りし、ベッドと学習机を設えている。

 ルームメイトの三日月は、いない。図書室で書類仕事でもやっているのだろうか。

 突然、ノックもなしに引き戸が開け放たれた。ポリ袋を片手に提げた川内がずかずかと入ってきた。

 

「おー、のわっち。起きた?」

「川内……さん?」

 

 川内は野分の額に手を当て、自分の体温と比較した。

「うん、熱はないね。あ、私のことはお姉ちゃんって呼んでいいよ、のわっち」

「いえ……お姉ちゃんものわっちも遠慮したいです」

「そんなこと言わないでさー」

 

 すり寄ってくる川内を野分は押し剥がした。

 

「それより! 舞風は……」

「ん? 舞風ちゃん?」

 

 言いかけて、野分は怖くなった。

 もしあのとき、舞風の機関部を自分が撃ち抜いてしまったのだとしたら。

 野分の憂患(ゆうかん)をよそに、川内はあっけらかんとした調子で告げた。

 

「だーいじょうぶ。ただの大破だよ。お腹が半分くらい抉れちゃって、破片が機関部に食いこんだだけ。いまはプールに沈めてあるよ」

「そ、そうですか……」

 

 野分は安堵と落胆を同時に覚えた。

 川内がニマニマと笑顔を浮かべて、野分の顔を下から覗きこんだ。

 

「んふ。心配?」

「し、心配なんかじゃありません! 野分は、舞風を仕留め損なったことが悔しいだけです!」

「まあまあ、そう恥ずかしがることないって」

 

 川内は肘にかけていたポリ袋に手を突っこみ、カップアイスとスプーンを取りだした。

 

「私は舞風ちゃんとのわっちのこと、応援してるからさ」

「応援……」

「そう。応援。ほら、白くま。食べよ」

 

 川内はプラカップに入ったかき氷をスプーンですくい、野分に差しだした。練乳が染みた砕氷の中に、パインが入っていた。

 差しのべられた優しさ。

 独り相撲だ、という相生司令官の声が、なぜか野分の耳元でリフレインした。

 急に覚える吐き気のように、やるせなさが野分の胃からこみ上げ、野分は判断を失った。

 

「やめてください! 野分の戦いに、あなたなんかが首を突っこまないで!」

 

 野分は衝動に駆られて腕を振った。

 

「あっ……」

 

 声を上げた川内の手から白くまのカップが弾かれ、床に落ちた。ほどよく溶けて食べ頃になっていた白くまは無残にこぼれ、床を汚した。

 川内は怒りもせず落胆もせず、ただ、ぶちまけられたかき氷を呆然として見ていた。

 

 

 ■

 

 

 それから数年の月日が経ちました。

 夜な夜な、叢雲と川内は単艦演習を繰り返していました。夕暮れに短い昼戦を行い、直後に夜戦へ突入するのです。

 叢雲と川内との力量の差は、歴然としていました。

 詳細をここで書くのは差し控えますが、川内はただのいちども勝てませんでした。叢雲の槍はまるで命が宿っているかのように巧みに操られ、川内の攻撃はことごとくかわされました。穂先は、覆いが付けられているとはいえ、容赦なく川内を打ちのめしました。石突きが川内の脇腹を文字通り抉りました。

 数年間、毎日負け続けてもへこたれなかったのは、ひとえに夜戦へ一番乗りしたいがためでした。川内の存在意義はそこにしかありませんでした。

 だから、どうしても、たったいちどだけでもいいから勝たなければなりませんでした。

 

 川内は考えました。

 どうして叢雲は、あんなに強いのだろう、と。

 最大速力こそ叢雲に比べて2.5ノット遅いとはいえ、他の性能諸元は明らかに川内が勝っています。耐久、装甲、火力、雷装、どれをとっても。

 限界突破の改造、いわゆる改二となっている点も同じ。

 昼の砲雷撃戦では、叢雲よりも川内の方が優勢です。つまり、戦いのセンスに差があるというわけでもないようです。夜戦だって、川内は自身のセンスに自身を持っていました。ただ、どういうわけか叢雲にはあと一歩が届かないのです。

 考えていてもらちがあきませんでした。元々、川内の疑似脳は夜戦のことだけを考えるようにできているのです。難しいことはわかりません。

 ですから川内は、食堂で見かけた叢雲の隣に座り、理由を尋ねることにしました。

 嫌いな相手であろうと、夜戦に優先することなんて川内にはないのです。

 

「ねえ、叢雲ちゃん」

「あら、川内。食膳も持たずに、なにか用?」

「叢雲ちゃんは、なんでそんなに夜戦が強いの?」

 

 叢雲はやや太めの眉の根を寄せました。

 

「なによ藪からスティックに……特別、私が強いと思ったことはないわ。あんたのほうがよっぽど上手くやるじゃない」

「でもわたし、叢雲ちゃんに勝てないじゃん」

「そりゃ、あんたに旗艦を任せるわけにはいかないからよ。こっちも必死なの。私はね、あんた専用の対策をいくつも用意しているのよ。そうでもしないとあんたみたいな夜戦の申し子に勝てるもんですか」

「えー! どういうこと! わたしのこと嫌いなの?」

「そうじゃないけれど、そもそもあんたは私のこと嫌いでしょうが……」

「そりゃあ、そうだけど」

 

 叢雲はコツコツと頭を指で叩き、少し考えました。

 川内は叢雲の言葉を待ちました。

 叢雲はじきに口を開きました。

「ねえ、あんた。これから言う二人のうち、どっちが強いと思う?」

「ん?」

「ひとつ。自分を捨てて戦える者。ひとつ。純粋に戦いを愉しむ者」

 

 川内は即答しました。

 

「そんなの、純粋に戦いを愉しむ者に決まってるじゃん」

 

 叢雲は頬杖をつき、哀れむかのような目つきで川内を見やりました。

 

「不正解よ。そんなんじゃ、この戦争が終わるまであんたは私に勝てないわ」

「なんで!」

「いまの、古いアニメのセリフなんだけどね。あんたが言った方の人間、純粋に戦いを愉しもうとした者。とても強かったけれど、自分を捨てて戦う者に、負けたのよ」

「そんなのアニメの話じゃん」

「そうかしら。私は、あの言葉は正しいと思うわ」

「どうしてさ」

「戦いはね、目的ではなくて手段なの。自分を捨てて戦うということは、なにかのために戦うということよ。勝つために戦うということ。だから、戦いのために戦うのではないの。それが本物の戦いなのよ。そうでないと、約束された勝利の海域には至れないわ」

 

 川内には、叢雲の言っていることが、硝煙の残り香ほども分かりませんでした。

 

「なに言ってんの? わたしたちは艦娘だよ。戦うために生まれてきたんじゃん。戦うことが、わたしたちの目的だよ。戦うことは戦うことだよ。勝つことは勝つことだよ。別物だよ」

 

 叢雲は嘆息しました。

 川内には、いくら言って聞かせても無駄なのだと悟ったのです。

 疑似脳どころかチタン合金骨格にまで染みついている思考論理を変えるためには、文字通り、骨身に叩きこんで分からせないといけません。

 

「……そうね。話は変わるけれど、近々、大規模な反攻作戦が始まるわ。夜陰に乗じて敵の中枢へ浸透して、一気に叩くの。陽動は戦艦や空母。快速の水雷戦隊が本命なのよ」

「ほんとに?」

「秘書艦の大淀から直に聞いたから本当よ」

 

 でも、どうせ叢雲が切りこんでいって、自分は後処理に回るのだろう、と思っていました。

 叢雲は一拍おいて、切り出しました。

 

「ねえ、川内。私のために戦ってくれない? 私と肩を並べて、一緒に一番槍を取るの」

「えー……わたしは単艦が良いなあ」

「私もあんたのために戦うわ。私一隻では、とても無理な作戦だから」

 

 事実、通告された作戦はまさに乾坤一擲。成功すれば人類は体制を立て直す余裕を得ることができると目されていました。失敗すれば、人類は海から閉め出されることになると、考えられていました。

 

「だから、私のために戦って、川内。そうしたら、あんたは私に勝てるようになるかもしれないわ」

 

 叢雲の声は透き通るようで、その真摯さは川内にも伝わりました。

 

「……わかった。いいよ。わたしは叢雲のために戦う」

 

 叢雲が川内へ片手を差しのべました。細く、小さな手です。あの長槍を軽々と振り回している手とは思えません。まるで、幼い少女のような手でした。

 川内はそっとその手を握りました。

 あまり強く握ってしまったら、壊れてしまう気がして。

 手が離れると、叢雲が言いました。

 

「ああ、そうだ。デザートにアイスクリームがあるのだけど、食べる? お腹いっぱいになっちゃって。白くまっていう、南国の銘菓だそうよ」

 

 川内は席を立ち、叢雲に言いました。

 

「いらない」

 

 川内はやっぱり叢雲が嫌いでしたから、戦い以外のことで施しを受けたり、優しくされたりするのは嫌でした。

 

 

 

 作戦の決行は、その翌日からでした。

 当時の敵の中枢はソロモン諸島、ガダルカナルにありました。ガダルカナルの北にはフロリダ諸島およびマライタ島があり、またガダルカナルの北西には小さなサボ島があります。

 侵入できる海峡は二つ。

 サボ島のある北西か。

 あるいは、その反対側の南東か。

 

 戦艦、空母、重巡洋艦がありったけかき集められて、北西、サボ島側の海峡から払暁と共に突入しました。もちろん、駆逐艦もそれらと同じ数だけ同伴していました。

 彼女らが陽動部隊であることは、彼女たちには知らされていませんでした。夕暮れまで、自軍の戦力が全滅、つまり三割減するまで、ガダルカナル奪還を試みることだけを命じられていました。

 

 一方、第一から第三までの水雷戦隊は、陽動打撃部隊に先んじて出撃していました。深夜に出撃した彼女たちはフロリダ諸島およびマライタ島を東から大きく迂回し、待機。薄暮より南東側に存在する海峡、すなわちネグロ海峡、シーリーク海峡、レンゴ海峡から敵地へ浸透、ガダルカナルに群生地を営んでいる深海棲艦の親玉を叩くよう命じられていました。

 本命の、浸透急襲部隊です。

 三つの水雷戦隊が待機地点に揃ってから半日。

 

 命令通り、薄暮となった頃。

 司令部より、陽動打撃部隊は刻限のため撤退す、との無電が入りました。

 幸いなことに、彼女たちは全滅しなかったようです。

 

「さあ、私たちの出番ね」

 

 総指揮を執る叢雲が、三つの水雷戦隊に対して、無電を通じて檄を飛ばしました。

 

『戦艦、空母、重巡の皆さんが、あの憎き深海棲艦たちにありったけの鉄量を叩きつけ、引きつけてくれたわ!』

 

 応! と勇ましい返電がなされました。

 

『これからは夜。私たちの時間。私たちは自認しているはずよ。誰もが一等の水雷屋だって。だからここで活躍しなければ、私たちじゃない(・・・・・・)!』

 

 応! 応! 応! と次々に威勢の良い返電がなされました。

 

「夜は嫌いだとか言ってたくせに」

 

 川内は一瞬だけ無電を切ってぼそりと呟きました。

 聞こえていない叢雲は続けました。

 

『目標はただひとつ! 敵陣最奥部に居座る司令艦(あたま)を討ち取ることよ!』

『目的じゃなくてー?』

 

 一水戦の深雪が茶化しました。

 

『目的は、他にあるでしょう』

 

 叢雲は長台詞に疲れたのか、ひといき、ふたいき、と息をつきました。

 

『みんな、死ぬには悪くない日だけれど、せっかくだから生きて帰りましょ』

 

 水雷戦隊の面々は、ここで苦笑しました。

 彼女は、いつもは無愛想だけれど、僚艦に優しすぎるのです。

 だからこそ、駆逐艦であるにもかかわらず旗艦を務めているのでありますが。

 

『総員単縦陣、最大戦速で突撃! 阿武隈さん率いる第一水雷戦隊はネグロ海峡へ!』

『はい!』

『神通さん率いる第二水雷戦隊はレンゴ海峡へ!』

『承知しました』

『そして私率いる第三水雷戦隊はシーリーク海峡へ突撃します!』

『おー』

 

 川内が気の抜けた返答をしました。

 

「ちょっと川内。アテにしてるんだからね。あたしがあんたの背中を守るんだから、あんたはあたしの背中を守ってよね」

『はーい』

 

 三水戦は八隻。叢雲、川内、吹雪、白雪、初雪、磯波、敷波、綾波の順に単縦陣を組みました。三十五ノットという、ほとんど最大戦速で、薄墨色に暗みつつある敵陣、シーリーク海峡へと突入しました。

 両脇の波間には、暗紫色の空を背景に、島嶼の島影がはっきりと見えました。

 さすがに背後からの急襲はある程度警戒されていたようで、すぐに軽巡洋艦のホ級と駆逐艦のロ級からなる水雷戦隊が、二分した単縦陣で突撃してきました。すれ違いざまに挟撃を加え、そして反転して出口を塞ぎ、深部へ追いこもうという腹づもりだったのです。

 

 しかし。

 叢雲が左舷の敵群へ肉薄し、槍を一閃させました。

 すれ違いざまに一隻、返す穂先で二隻、間髪を入れぬ石突きで三隻、縦に槍を回転させて四隻。呼吸を四つしただけで、左舷の敵は消滅しました。

 右舷の敵軍は、そんな叢雲に狙いを付けていました。

 しかし、敵の柔らかい横腹は、61mm酸素魚雷の格好の餌食でした。

 

 叢雲が槍を振るっている間に、川内もまた、絶対に外さない角度で一発ずつ、魚雷を静かに落としていました。

 背後ががら空きの、叢雲のために。

 なにせ敵の目的は叢雲です。叢雲がどのように動くのか、何度も何度も模擬戦を重ねた川内には分かりきっていました。だから、敵艦がどのように動くのか、川内には三秒先の未来が見えていました。

 現実が未来に追いつきました。

 四連装魚雷発射管から落とされた魚雷が右舷の敵艦四隻の足下に至り、爆裂しました。

 川内の電気系統に、強烈なインパルスがほとばしりました。

 

「なに、これ……」

 

 楽しい、ではありませんでした。

 川内がその時に感じたのは、言葉にするのであれば、面白い、ということでした。

 あまりに強烈すぎて、面白いという言葉さえ川内は思いつきませんでした。

 全身を巡るオイルが沸騰し、疑似脳が焼き切れんばかりにヒートアップし、人工筋肉が痙攣めいて引きつりました。武者震いというものを、川内は初めて経験しました。

 叢雲が鋭く叫びました。

 

「次、来るわよ!」

 

 新手は重巡二隻、軽巡四隻、駆逐八隻からなる大編成の打撃部隊でした。横一列。単横陣で待ち構えていたのです。

 背後を警戒しているどころか、後備えは万全のようでした。

 川内は機関を過熱し、姿勢を制御することも忘れて踵の主機を駆動させました。三分も保たない無茶な加速でしたが、二十分の一の時間も必要ありませんでした。

 川内は迷うことなく重巡へと突撃。15.2mm連装砲を流れるように滑らせて砲弾を発し、艦橋、すなわち眼を正確に狙い撃ちました。

 普段なら、すかさず止めを刺すべきところです。重巡にはレーダも砲塔も残っていました。ですが、川内は重巡を捨て置きました。軽巡すら素通りし、回りこもうとしていた四隻の駆逐艦のうち、中央の二隻に接触。魚雷を足裏で突きこみました。

 

 なぜなら、続く叢雲が重巡を切り捨ててくれることが分かっていたからです。

 叢雲が川内のために槍を振るってくれることが分かっていたからです。

 足を止めた吹雪、白雪、初雪が、軽巡の片方に。同じく足を止めた磯波、敷波、綾波が、軽巡のもう片方に、精密かつ猛烈な射撃と雷撃を加えることが、分かっていたからです。

 またもや現実が未来に追いつきました。

 残った軽巡二隻と駆逐二隻については、もう言及することもないでしょう。

 分断され、散り散りになった深海棲艦になすすべはありませんでした。

 海面には重油が濃く厚く浮き、燃えていました。

 川内には、新たな世界が見えていました。

 

「お……面白い……」

 

 激烈な感情をなんとか言葉に変換できた川内は、感激にうち震えていました。

 そう。艦隊戦は、団体戦なのです。

 一隻ではできることは限られています。戦闘参加艦が増加するに従って、選択肢は指数関数的に増加するのです。

 一隻なら二つ。二隻なら四つ。三隻なら八つ。それが四隻なら、五隻なら、六隻なら?

 やれることが増える。戦いの選択肢が増える。もっともっと夜戦が面白くなる。

 そのことに、川内はいま、初めて気づいたのです。

 

「おもしろーい!」

 

 川内はぴょんぴょんと飛び回り、海面で何度も何度も宙返りをしました。

 叢雲が即座に川内を叱り飛ばしました。

 

「うるさい川内! とっとと行くわよ! 敵の主力はまだ、本陣に帰還していないわ!」

 

 陽動部隊の報告から推測するに、水雷戦隊の速力は敵の帰還に先んじるはずでした。

 まさか薄暮から突入してくるとは想定していなかったのか、深海棲艦は数こそ揃ってはいましたが、統制がまるで取れていませんでした。

 八条の航跡と、敵艦の残骸が、彼女らの背後に残されました。

 けれど。

 戦場には、甘い果実ばかり生っているわけではありません。

 

 吹雪が潜水艦の待ち伏せを受けて沈みました。

「吹雪! 吹雪!」と叢雲が絶叫しました。

 

 潜水艦の迎撃に向かった敷波、初雪が、急降下爆撃の餌食になりました。

「敷波! 敷波! 初雪! 初雪!」と叢雲が絶叫しました。

 

 白雪が沈みかけた重巡の放った砲弾を機関部に受け、停止しました。

「白雪! 白雪!」と叢雲が絶叫しました。

 

 磯波が、隘路に仕掛けられたワイヤートラップに首を落とされてひっくり返り、集中砲火を浴びました。

「磯波! 磯波!」と叢雲が絶叫しました。

 

 綾波は最後の最後まで奮戦しましたが、主機が過負荷に耐えきれずに折れてしまい、姿勢を崩した一瞬の隙を戦艦のレーダ射撃によって全身を爆裂させられました。

「綾波! 綾波ィ……!」と叢雲が絶叫しました。

 

 彼女らが機能を停止するたびに、叢雲は僚艦の名を腹の底から叫びました。お前が海に浮いていたことは私が覚えているのだと、もはや夜となった空へ記録するように。

 ガダルカナルが、見えました。

 

「なに……これ……」

 

 予測通り、海面に、敵はいませんでした。

 けれど、敵はいました。

 後に飛行場姫と名づけられ、甲指定種とされる巨大な深海棲艦は、海岸に、つまり陸の上に鎮座していました。

 両脇には滑走路を備え、右肩には大口径の単装砲を備えていました。

 そして海岸の果てまでをびっしりと埋め尽くす、球形の護衛要塞。半球がぱっくりと割れ、そこに並ぶ大ぶりな歯列の奥には、三連装砲が暗い口を開けていました。

 叢雲がうめきました。

 

「ヘンダーソン飛行場……!」

 

 古い、無意味な記憶が喚起されただけでした。

 しかし、現状を如実に表現してもいました。

 叢雲と川内の意思は、このとき明らかに融合していました。

 陸に上がらなければ、私たちではこいつは倒せない、と。

 言葉もなく、目配せもなく、無電もなく、しかしまったく同時に機関から黒煙を噴き上げ、主機を全速で回転させました。

 二隻は蛇行しながら敵の砲弾を避けて海面を疾駆し、座礁するギリギリの位置から跳躍しました。

 赤い月明かりの下、二隻の艦娘が放物線を描きました。

 二隻は踵から飛行場姫に取りつき、砲弾をゼロ距離で撃ちこみ、ありったけの魚雷を突き刺しました。飛行場姫はあまり俊敏ではありませんでしたから、攻撃すること自体は容易でした。

 魚雷の爆発を、川内と叢雲は体の前面で受けてむりやり推進力を得ました。

 前面を大やけどしながら、二隻は波打ち際へ着地しました。

 けれど。

 

「硬い……!」

 

 飛行場鬼は損傷こそ受けていたものの、元気に動いていました。

 叢雲も、川内も、気づいていませんでした。あの飛行場姫を無力化するためには、まず飛行場を破壊しなければいけないことに。そして、彼女たちには飛行場を破壊するために必要な装備が皆無であることに。

 機関部を破壊すれば、いかなる深海棲艦も艦娘も機能を停止する。

 当事の常識であり、先入観でした。

 その先入観が、彼女たちを敗北へと導いたのでした。

 

 いくら砲弾を放っても、魚雷を撃っても、飛行場姫はぐずぐずの肉塊になるだけ(・・・・)で、両脇の飛行場は無傷でした。

 飛行場姫より放たれる陸上攻撃機は、夜間攻撃も可能な最新鋭の機体でした。

 普通の艦娘は砲弾をよけることはできても、雨をよけることまではできません。

 二隻は爆撃の雨に晒されました。さらには、海岸線上の護衛要塞から十字射撃が加えられました。

 まず、叢雲が両足を吹きとばされました。

 川内をかばったのです。

 

「叢雲ちゃん!?」

 

 海面に倒れ伏しました。

 

「倒れてなさい! 死んだふりを――」

 

 急降下爆撃による爆弾が、折り重なった両艦の背と腹を貫きました。

 爆弾は海中に没してから爆発しましたが、叢雲は機関部を粉々にされてしまいました。川内はかろうじて機関部の破壊こそ免れましたが、腹の右半分がえぐれ、右腕がちぎれとびました。

 赤い夜空をさらに赤く染めるほどの十字砲火が海面へ浴びせられ、二人は蜂の巣になりました。川内の顔の右半分が消しとびました。

 

 

 結局、川内は、叢雲に勝つことはできませんでした。

 なにせ、叢雲の戦争は終わってしまったのですから。

 

 

 ■

 

 

 川内は内之浦分所の食堂、とは名ばかりの、家庭科室を改造した食事場所にいた。

 後付けの流し台、その三角コーナーにはカップの白くまの中身が捨てられていて、溶けた白い汁がぽたぽたと滴っていた。

 川内は理科室から持ってきた無駄に重い長机に頬杖をつき、ぼんやりとその様子を見ていた。方形の木の椅子はやたらと座り心地が悪かったが、川内は尻の痛みを受け容れるかのように、じっとしていた。

 川内の目の前には、開封していないもうひとつの白くまがあった。

 カップはびっしりと汗をかいていて、ほとんど溶けてしまっていることは瞭然としていた。

 そんな川内の背中に、舞風の声がかかった。

 

「もったいないわね」

 

 川内は振り向かなかった。

 

「白くま、美味しいのに」

 

 白くまは鹿児島の銘菓だ。平和な時代の夏には、天文館のむじゃきという店に行列ができるほどの人気を誇っていた。いまでもセイカ食品が白くまを細々と生産し続けており、闇市では高値で取引されている。

 

「わたしが、怒らせちゃったから。舞風ちゃんとのわっちを応援してるよって言ったの。そしたら、のわっち……」

 

 ぽた、ぽた、と、溶けた白くまが流しに落ちる音だけがしていた。潮騒も、窓を閉めきった教室までは届かない。

 舞風は川内の隣に座った。

 寄り沿うでもなく、舞風は川内の眼前にある白くまのカップを取り、蓋を開け、黙々と溶けたかき氷を口へ運んだ。

 川内は舞風の横顔を見て、それから目を伏せた。

 

「舞風ちゃんのために戦うことが、私の戦い」

 

 川内は、舞風ではなく、自分自身に言い聞かせた。

 

「そうしたら、もういちど逢えるような気がするの。そして、今度こそ勝てる気がするの。あの娘に、今度こそ」

 

 あのとき初めて、川内は誰かと背を合わせて戦った。

 単艦では味わえない興奮があった。充実があった。二隻が共に戦えば、できることが二倍どころではなく、数十倍にまで増える、そんなイメージがいくらでも湧いた。

 あのとき、すべてを試すことができなかった。

 すべてを試してみたかった。

 そして、叢雲に勝ち、叢雲に認めてもらいたかった。

 あの、冷静沈着、なれど勇猛果敢な、気高く優しい機械と同じようになりたかった。

 

「だから、私は――」

 

 

 ■

 

 

 ヘンダーソン飛行場からの砲撃と、空爆が止みました。

 川内の腹上に伏す叢雲は、ぴくりとも動きませんでした。

 川内は海面に漂い、ぼんやりと赤い月を見上げていました。

 海水に浸った機関はいずれ浸水を受け、停止することでしょう。

 穴だらけになり、顔面の半分を失った川内には、どうすることもできませんでした。

 川内は、悔しくて仕方ありませんでした。

 せっかく、新しい戦い方を知ったというのに。

 誰かのために戦い、誰かのために戦ってもらうことの面白さを知ったというのに。

 弾幕の向こう側が見えたというのに。

 

「……もーひひほ(もういちど)うらうおひゃんほ(むらくもちゃんと)……」

 

 戦いたかったなあ。

 いまなら、叢雲が言ったとおり、勝てるかも知れない。

 叢雲のために戦って、叢雲を倒すのです。それは矛盾しないのです。

 そのことを叢雲が教えてくれたのに、その叢雲はいま、ただ重く、川内の腹にのしかかっていました。

 もう疲れたわ。一緒に沈みましょう。

 そう言っているかのように。

 そう思うと、叢雲のことが許せませんでした。

 川内は叢雲とまた、一緒に戦いたかったのです。あるときは砲口をお互いに向けて。あるときは砲口を同じ標的に向けて。

 川内は、改めて叢雲が嫌いになりました。

 無遠慮に夜戦を奪って、勝手に夜戦の楽しさを教えて、無責任に沈む、そんな叢雲が大嫌いでした。

 どうして私と戦ってくれないのか。

 自身が沈もうというときでさえ、川内は夜戦と、叢雲のことばかり考えていました。

 そんなときでした。

 爆雷の炸裂音が、飛行場姫が鎮座する方角から聞こえてきたのは。

 そして、初めて飛行場姫が苦悶の絶叫を上げたのは。

 いったい何が起きているのか、川内には分かりませんでした。

 

 

 

 あの(・・)舞風が、海域に現れていました。

 当事、舞風はまだ確認されていませんでした。彼女はアカツキ様の思し召しにより、時間を遡ってこの海域に現れたのです。

 三式爆雷をロープで連結して、腰に結わえて曳航し、敵の哨戒の隙間を縫って飛行場姫のもとへたどり着いたのです。

 片手に、深海棲艦の残骸で作った即席の大槌を持って。

 舞風は全速力で飛行場姫の滑走路へと突入し、三式爆雷を並べました。

 列の最初にある対潜爆雷を前に、片手で持った大槌を軽々と頭上へ振り上げました。

 

「よっこら、せっと」

 

 気軽な掛け声と共に、大槌を叩きこみました。

 三式対潜爆雷は深々と滑走路に打ちこまれ、直後に大槌の衝撃で圧壊、爆発しました。

 爆風で皮膚が焼けただれるのも気にせず、舞風は次々と三式爆雷を飛行場へと打ちこんでいきました。

 まるで、屈強な土木作業員のようでした。

 片方の滑走路がことごとく潰れました。舞風は海面へ戻る駄賃に、海岸線に並ぶ護衛要塞を大槌で叩き潰して回りました。護衛要塞は海面を撃つようにはできていましたが、陸上を撃つようにはできていませんでしたから、この仕事は七面鳥を撃つよりも簡単なことでした。

 海面へ戻ると、残しておいた三式爆雷を曳き、もう片方の滑走路へゴトゴトと並べ、これもまた完膚なきまでに叩き潰してしまいました。

 艦娘の存在価値の根本が機関部であるように、飛行場姫の存在価値の根本は、滑走路でした。つまり、艦娘が轟沈するのと同様にして、飛行場姫は完全に沈黙しました。

 

「ふう」

 

 皮膚がほとんど焼け落ちて、チタン合金の義体を露わにした舞風は、ようやくひと息つきました。

 そしてゆっくりと歩いて海面へと降り、川内の隣にしゃがみました。

 川内は片方だけ残っていた目で、金髪と手袋をわずかに残す駆逐艦を視認しました。手袋の駆逐艦といえば陽炎タイプですが、川内はその駆逐艦を見たことがありませんでした。

 

あああ(あなた)あえ(だれ)?」

 

 舞風は答えました。

 

「あたしは陽炎タイプの舞風」

 

 舞風は、叢雲が固く握りしめていた大槍を、指を一本一本丁寧に解かせて、受け取りました。

 そして川内へ大槍の柄を差し出し、問いかけました。

 

「この戦いは、あなたのもの?」

 

 川内はためらいました。あれを、飛行場姫とのやりとりを、戦いと称してよかったのかどうか。

 川内は自信なさげに小さく頷き、そしてやっぱり違うと思って、首を横に振りました。

 海水がぱしゃぱしゃと鳴りました。

 

「そう。でも、あなたのものよ。あなたに返すことにするわ」

 

 川内はもういちど首を横に振りました。

 形のないものを受け取ることなんて、できっこないと思ったからです。

 それは命であったり、戦いであったりします。

 けれど舞風は言いました。

 

「いちど戦いを失ってしまったら、もう二度と戦えないわ」

 

 川内は片方だけの目を見開きました。

 

「だから」

 

 舞風は槍を川内の左前腕、橈骨(とうこつ)尺骨(しゃっこつ)の間にねじこみました。

 川内には、握るための人工筋肉が残っていなかったからです。

 その槍の感触は冷たくて、でも温かいものでした。ずしりと骨にひびく痛みは、とても頼もしいものでした。

 

 

《自分を捨てて戦うということは、なにかのために戦うということよ》

 

 変幻自在に繰り出される穂先と石突き。

 

《私に勝てるようになるかもね》

 

 回避機動の最中でも針の穴を通すかのような偏差射撃。

 

《ねえ、川内。私のために戦ってくれない?》

 

 心を読まれているかのような幾条もの雷跡。

 

 思い返せば、川内と叢雲の絆は、いつだって戦いの中にありました。

 戦いを失ってしまったら、叢雲との絆まで失ってしまうことに、川内は気づいたのです。

 

 そっか。

 私は、最初から叢雲のことが大嫌いで、最初から、叢雲のことが大好きだったんだ。

 

 

 舞風は反転し、川内に背を向けました。

 

「それじゃあ、私は行くところがあるから」

 

 川内はその背を追おうとして、しかし動くことができませんでした。どうにかしようともがいたあげく、無電が生きていることに気づきました。

 

『待って。どこに行くの?』と川内は問いかけました。

「弾幕の向こうへ」と舞風は肉声で答えました。

 

 あんな無理、無茶、無謀な戦いを、これからも続けるのだと舞風は言っていました。

 

『そんなの、いつか死んじゃうわよ』

「私は平気。野分に、戦いをもらったから」

『戦いをもらう?』

「ええ。それを返しにいくの。逢って、私の砲弾を届ける」

 

 舞風は屹然として赤い月を見上げました。

 

「約束したの。絶対に助けて、一緒に戦うって」

『約束?』

「そう。勝利の約束を」

『勝利の、約束』

 

 川内の脳裏を、叢雲の言葉がよぎりました。

 

 

『そうでもないと、約束された勝利の海域には至れないわ』

 

 

『野分ちゃんっていうのは、弾幕の向こうにいるの?』

「そう。きっとわたしを待ってる」

『でも、未発見なんでしょ』

 

 野分が発見されたという報告は、いまだかつてありません。

 どんな姿なのか、どんな性格なのかも分かりません。

 

『見つけて、逢っても、軍籍だよ。舞風ちゃんを処分しろって命令されるかもしれないよ』

「そうね」

『それでもいいの?』

「いいの。私は、罪艦だから。私は、野分を諦めない」

 

 川内は、舞風の決意に心を打たれました。

 あの叢雲のように、勝つために戦っている、誰かのために戦っている、そんな舞風が、羨ましく思えました。

 自分が生き残りたいからではなく、舞風の役に立ちたいがために、川内は衝動的に無電を発しました。

 

『連れていって』

「え?」

『私も連れていって弾幕の向こうに』

 

 弾幕の向こう。

 精根尽きるまで疾駆し、肉をことごとく失うまで傷つき、それでも戦いを諦めなかった(ふね)だけが到達できる、約束された勝利の海域。

 

『手伝うよ。約束を。舞風ちゃんの戦いを。叶えてほしいの』

「……どうして?」

『私も、罪艦だから』

 

 

 ■

 

 

 そう。

 あなたは、失う前のわたし。

 ううん。違う。

 あなたはきっと、いつかわたしと同じように失う。

 それでも、

 いつか逢うことができるのなら、

 たとえ弾幕の向こうでも!

 

 

 

 ダァン、とジャッジ・ガベルが打ち鳴らされた。

 水族館のような軍法会議所には既に、居るべき者たちが揃っていた。

 川内は、戦闘直後のまま、ぼろぼろの姿のままで、被告艦席を囲う柵に寄りかかっていた。

 

「それじゃ、被告艦、川内に問おう。君は戦いを諦めるかい。それとも、夜戦を諦めるかい」

『わたしは戦いを諦めない。夜戦を諦める』

 

 川内は無電で三隻の駆逐艦へと答えた。

 暁型駆逐艦の三隻は目を見開いた。

 

「ふぇ……?」

「へ……?」

 

 川内は被告艦席を囲う柵を片手で殴りつけ、裁判艦・響に、叫ぶように訴えた。

 

『わたしをもういちど戦えるようにして。わたしはどうしても、舞風ちゃんと一緒に、弾幕の向こうへ行きたいの!』

 

 響はいつものけだるげな表情を改め、表情を引き締めた。

 

「そうすれば君は、夜戦を、永遠に失うことになるよ」

『わたしの夜戦は、既に失われた。もう二度と逢えない』

 

 川内にとって、夜戦とは、叢雲と一緒に戦うものになっていた。

 だから、川内は既に、夜戦を永遠に失っているのだった。

 

『でも、舞風ちゃんは逢えるから。きっとわたしの代わりに、約束された勝利を果たしてくれる』

「つまり、自分の果たせなかった望みを舞風に託す、というわけだ。それで自己実現を図ろうというのは、自己満足に過ぎない」

 

 響は碧い瞳を険しく細めた。

 

「傲慢。罪、だよ」

 

 川内は即答した。

 

『いいの。私は、罪艦なんだから!』

 

 響は心底面倒くさそうに、首を横に振った。

 

「やれやれ……わかったよ。これもきっと、アカツキ様の思し召しだ。それでは、判決を申し渡そう」

 

 響は大きな、響の顔ほどもある大きな判子をするりと持ち上げた。

 そして、手元の書類に叩きつけた。

 

「戦闘、承認」

 

 川内の全身を光の粒子が包みこんだ。

 質量保存則を無視して、骨端から溶融したチタン合金が湧き出て、冷え固まった。

 人工筋肉が超々回復を発揮し、二百五十六ある骨格を隅々まで繋いだ。

 後ろ腰には四連装酸素魚雷発射管が二つ、右腿には探照灯が装着された。

 両手には自然と61mm酸素魚雷が握られていた。冷たくて、頼もしい、長槍(ロングランス)と呼ばれ怖れられた必殺の兵装。これが、川内にとっての、叢雲の槍なのだ。

 普通の川内モデルが帯に提げる根付には、叢雲の衣装から取った編み紐と、大槍の残骸があしらわれた。

 叢雲の、最後の名残だった。

 

 

 

 気づけば、川内は明け方の海面に、万全の姿で立っていた。

 全身に活力がみなぎり、いつでも、どんな敵とでも戦える気がした。

 叢雲の姿はなかったが、舞風が海面を指差して、ここに沈んでいると示した。

 川内にとっては、それで十分だった。

 舞風が、隣に立つ川内をしげしげと見つめ、やがて得心して頷いた。

 

「あたしは、川内と出会うためにここに来たのね」

「え?」

「あたしは未来から来たの。理由が分からなかったけれど、いま分かった。アカツキ様が、あたしと川内を引き合わせるためにあたしを連れてきたのよ」

「そっか……これからよろしくね、舞風ちゃん」

 

 舞風は頷き、踵の主機を駆動させた。

 川内は舞風と並走して、払暁の橙色に染まった海原を航行し始めた。

 彼女たちが向かうのは、弾幕の向こう側。

 次の戦い。

 次の次の戦い。

 

 

 ■

 

 

 こうして、夜戦の女王様、もとい、川内は、舞風とともに、弾幕の向こうへと旅立ったのでした。

 さて、約束された勝利の海域には至れるのか。

 それとも……?

 ふふっ。

 それが、戦闘教義(ドクトリン)

 ハラショー。

 

 




トッカータとフーガ ニ短調 は卑怯だと思うんですよ。

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