舞風は野分を襲う透明な軍勢を撃退する。機関部だけを残した、無惨な姿になりながらも。
横須賀鎮守府内之浦分所に所属する艦娘たちは排斥する。あの透明な軍勢を呼び寄せる、舞風と野分を。
ガンスリンガー・コミュニケーション、第六話。
私は最初から野分が大嫌いで、最初から野分が大好きだった。
だから本当の戦友になりたかった。あの弾幕を越えて。
野分を、ヒトリジメにしたい。
■
川内は防波堤を飛び降り、横須賀鎮守府内之浦分所の
僚艦として由良を従えていた。由良はいつものぼんやりとした顔で、隣の川内に話しかけた。
「ねえ、なに? どうしたの?」
「敵襲よ!」
川内は端的に答えた。
「嘘。だって司令官はなにも――」
「深海棲艦とは違う奴らなの!」
「え……じゃあ艦娘? カチコミ?」
「そんなことしたら督戦飛行隊がかっ飛んでくるでしょ。艦娘でも深海棲艦でもないモノよ」
川内は砂浜に乗り上げ、走った。由良はのんきについてきた。
「それじゃあ……台風とか?」
「そんなところ!」
フェンスに設えられた扉を蹴り開け、グラウンドを走った。用務員室は、校舎から最も遠い隅に建てられている。
川内は用務員室の引き戸を蹴破った。入って右手、執務机の椅子に座ってぼんやりとピースをふかしていた痩せぎすの男に詰め寄った。薄汚れたワイシャツ姿の男は、扉が蹴破られたというのに、微動だにしていなかった。
「司令! 全艦に出撃命令を出して! 理由はあと!」
水雷戦隊の司令官、相生洋一司令官はピースの煙をたっぷりと吸いこんだ。それから、煙を吐き出しながら、携帯端末を操作した。分所に所属する艦娘全員に出撃命令が下された。
川内にもその指示は下された。旗艦として、すべての艦娘に対する指揮権も与えられた。
「旗艦はお前でいいんだよな」
「さっすが、話が分かる!」
「念のため聞いておくが、目的地はどこだ」
「津代! 東にある岬!」
もうここに用はない。川内は海へと取って返した。
残された相生司令はただひとこと、ぼやいた。
「……無電使えよ」
そうすれば、わざわざ用務員室に顔を出す必要もなかっただろうし、なにより引き戸は蹴破られずに済んだだろうに。
一方、事態は相変わらず
川内は分所に所属するすべての艦娘に対して無電のチャンネルを開いた。
かつて第三水雷戦隊を率いていた叢雲のように、冷静に指示を飛ばした。
『全艦娘は津代の先、東の岬に集合。敵は深海棲艦でも艦娘でもないもの。見ればすぐ分かる。私たちの任務は、そこにいる野分ちゃんを分所まで連れて帰ること』
即座に返答があった。
『黒潮や。川内はん、敵さんとは戦わんでええの?』
『私たちの敵う相手じゃない。あれは舞風ちゃんじゃないと倒せない。でも、舞風ちゃんも、野分ちゃんをかばいながらじゃ戦えない』
川内は直感していた。
きっと、舞風は窮地に立たされている。
『五十鈴、由良、時雨ちゃん、夕立ちゃん、雪風ちゃんは、わたしと一緒に時間かせぎ。舞風ちゃんの前に出て、敵の攻撃を引きつけるのが役目。迎撃しようなんて考えないで。適当に砲弾をばらまいて、之字運動で切り抜けるよ』
『了解』
と四隻が同時に返答した。
『雷ちゃん、電ちゃん、高速修復材は持ってる?』
『もっちろん』
『なのです!』
『野分ちゃんと舞風ちゃんは、たぶん動けなくなってる。だから直してあげて。ふたりを修復したら、残りの駆逐艦全員で野分ちゃんを護りながら撤退して。あとは舞風ちゃんがなんとかしてくれるから』
『了解よ!』
『なのです!』
三日月から入電があった。
『川内さん、響さんが見当たりません』
『あー……響ちゃんはたぶん、別のお仕事ね。気にしなくていいよ。三日月ちゃん、黒潮ちゃん、不知火ちゃん、雷ちゃんと電ちゃんを守ってあげて』
『はいな』
『了解しました』
五十鈴と雪風が、真っ先に川内と由良に合流した。岬の先まで、あと一分。
川内は雪風をちらと見やった。
「雪風ちゃん、ごめんね。被害担当艦、よろしく」
「いいんです。雪風は、そういう役目ですから。それに、沈みませんから大丈夫です!」
雪風モデルは、どの艦も健気で勇敢だ。
川内の良心に傷が入り、熱を持ってうずいた。
五十鈴が怒り、川内を非難した。
「川内、あんたね、雪風が最初から被弾する前提でいないでくれる? 随伴艦に被害を出さないのが旗艦の役目でしょ!」
川内は苦笑した。
「そうも言ってられないんだよねえ」
『こちら時雨と夕立。川内を視認したよ。ほんの少し待ってくれないかな。輪形陣で一気に飛び出した方が良いと思う。他の駆逐はあと二分くらい遅れそうだよ』
『おっけー。三十秒だけ待つから追いついて!』
川内は足首を捻り、舵を一気に左へ切った。五十鈴、由良、雪風もそれらに追従し、輪形陣の外郭に時雨と夕立を迎えるべく、陣形を整えた。
(お願い、間に合って……!)
川内は、後頭部が禿げていると揶揄される勝利の女神に祈った。
■
フィルタの寸前までピースが灰になって、ようやく俺は腰を上げた。
川内に蹴破られた哀れな引き戸と、すりガラスの破片を片づける。艦娘の疑似脳は、人間よりも非合理的にできている。あるいは別の理屈で動いている。だから、この破壊行為を非難しても無意義だし、叱りつけても時間を浪費するだけだ。
「やれやれ……」
幸い、冬は当分先だ。網なりなんなり、適当に張っておけば虫は入るまい。寝るときは
二重にしたビニル袋にガラスの破片を入れ、引き戸の残骸と共に焼却炉の横へ置いた。
やたら開放的になった執務室へ戻ると、畳んだ布団に誰かが腰かけていた。
「やあ、司令官」
暁型駆逐艦の二番艦、響だった。
「やあ、じゃねえだろ」
俺は取り除き損ねたガラス片が無いか、慎重に床を見ながら、執務机の椅子へ座った。
「なにやってんだお前。出撃命令、出てただろ」
「私には別の役目があるんだよ」
響は言いつつ、スカートの裾を丁寧に正し、銀髪に被った帽子のつばを改めて斜めに傾けた。その仕草にどういう意味があるのか、俺には分からん。
「さて、司令官。司令官は、『風の娘と風の娘』という物語を知っているかい?」
「知らん」
そのタイトル、二人の風の娘、でよかったんじゃないのか。
「そうだろうね。だからいまから司令官にそれを語ろうと思うんだ」
「……そいつがお前の役目か」
「まあね」
ここ、横須賀鎮守府内之浦分所におけるヒエラルキーは、艦娘、フナムシ、司令官、イソメの順となっている。俺は、艦娘が正規の手続きで軍事行動を取るための紙っぺらにすぎない。
川内が響へ命令したのなら、俺はそれを受け入れざるを得ない。
響の行動はまったくわけがわからんが、艦娘にヒトの道理を求めても無意味だ。
「まあ、肩の力を抜いて、煙草でも吸いながら聞いておくれ」
言われるまでもなく、俺は缶からピースを一本抜き、ジッポを擦って火を点した。
■
むかし、戦場は弾幕によって、二つに分けられていました。
生の世界と死の世界です。
ある日のこと。生の世界にいた風の娘は、もうひとりの大切な風の娘を失ってしまいました。
死んでしまった風の娘は、死の世界の恐ろしさをまのあたりにして思わず、弾幕の向こうをあおぎ見ました。
死んでしまった風の娘は叫びました。あの弾幕の向こうに戻りたい。あの娘に会いたい。
その頃、生きている風の娘も同じように、弾幕の向こうを睨んでいました。あの娘はどこ? 連れ戻さなくてはならないわ。
こうして、風の娘と風の娘は、来る日も来る日も、弾幕に挑み続けました。
そして、ついに二人は、戦場を司る女神である、アカツキ様にお願いをしました。
風の娘は祈ります。
「アカツキ様。私はどうしても弾幕の向こうへ行って、死んでしまったあの娘を連れ戻したいのです」
風の娘も祈ります。
「アカツキ様。私はどうしても弾幕の向こうへ行って、まだ生きているあの娘に会いたいのです」
アカツキ様は言いました。
「いけません。二つの世界は断絶されているのです。それを越えようとするのは傲慢。大きな罪ですよ」
なおも二人は祈ります。
「それでも、私は弾幕の向こうへ行きたいのです」
やむなく、アカツキ様はこう答えました。
「ひとつだけ、願いを叶える方法があります。
戦場の奥深くに、約束された勝利の海域があります。
もし、あなたの戦いが本物なら、その場所に、戦友が待っています。
その娘に、あなたの砲弾を与えなさい。そうすれば、願いは叶うでしょう」
アカツキ様は、娘たちに問いました。
「あなたの戦いは、本物?」
アカツキ様は、娘たちのために、世界を結ぶ海域を設けてやりました。
そして、とうとう二隻が戦場の奥深くにやってきたとき。
そこには、一枚の大きな鏡が、壁のように立ちはだかっていました。
鏡には、自分自身の姿が映っています。
アカツキ様の声がしました。
「さあ、その鏡の向こうに、あなたの戦友が待っています。
鏡に映る己が身を、千に砕き、万に撃ち抜けば、彼女に砲弾を与えられるでしょう。
ただし、あなたは沈んでしまうかもしれません。
最後にもういちど問います。
あなたの戦いは、本物?」
二隻は、鏡に映る、自分の姿を見つめます。
■
響はそれきり、一分ほど黙りこくってしまった。
「……おう。続きはどうした」
「実はね、この話は、まだ終わっていないんだ」
なんだ。響の創作か。アカツキ様ってなんだ、アカツキ様って。
「ねえ、司令官。司令官ならどうする?」
「ああ?」
「物語の最後、命を懸けて鏡を割るかい?」
「なんで俺に訊くんだ。そいつは娘っ子の話だろ。俺ぁ三十半ばのオッサンだぞ」
「それもそうだね」
響は喉の奥を鳴らして、クツクツと笑った。
「私はね、司令官。舞風は撃つと思うんだ。間違いなく。でも、野分はまだ撃てないと思う。だから、この話はまだ先に進まないんだよ」
「あん? 舞風? 野分? なんの話だ。お前の創作じゃなかったのか」
「違うよ、司令官。これは
わざわざ物語仕立てにした理由が分からん。
「どうして物語みたいに語るのか、っていう顔だね」
「いや、訊いてねえ。訊いてねえから話さなくていい」
「物語はあくまで虚構だ。起こらなかったこと、起こりえないこと……つまり奇跡を想像して書き起こしたものだ」
話すのかよ。穴でも掘ってそこに言えよ。あるいはチラシの裏にでも書いとけよ。それで不満足なら穴を掘ってチラシの裏に書いた物語を投げ捨てて埋めろ。
「つまり、どういうわけかアカツキ様は物語を書いてしまったんだ」
アカツキ様って誰だよ。もう俺は置いてけぼりだよ。
「あー、つまり、なんだ。舞風と野分に奇跡が起こったと。どんな奇跡か知らねえが」
「なんだい司令官、聞いていなかったのかい? さっき話したとおりだよ」
「すまん半分くらい聞いてなかった」
「残念だったね。この物語は一回きりしか話せないんだ。平等のためにね」
「平等? 誰のだよ」
「戦い殺しあう者すべて」
えらく抽象的だな。
「司令は含まれていないよ」
「そりゃ、ありがてえ話だ」
「というよりも、ほとんどの艦娘……例えばここの鎮守府でいうなら、舞風と川内以外の艦娘は含まれていないんだけどね。舞風と川内だけが、本物の戦いを知っているから」
舞風と川内。変な奴ばかり集まるうちの水雷戦隊でも一等と二等に位置する変な奴。
「……舞風と川内だけが、本物の戦いをしていると?」
舞風は去年の冬、提一号作戦において野分との再開を果たせなかったとき、「自分の戦いが本物じゃなかった」と言った。それがいまは本物の戦いをしていると、響は言いたいのか。
「そうとも。だからこうしている場合じゃないんだよ、司令官。そろそろ君も、身の振りを考えないといけない」
「あん?」
話が繋がってねえぞ。
「分からないかな、司令官。透明な軍勢がやって来たんだよ。野分を沈めるために。それも今回は、舞風だけじゃない。他の艦娘も巻きこんでしまった。誰も彼も、あんなでたらめな暴力になんて巻きこまれたくない。いちどあの軍勢を目にしたら、考えることはひとつだよ」
「艦娘の思考は、俺には分からん」
「嘘だね。司令官は艦娘の思考をよく分かっているはずだよ。野分が透明な軍勢の餌なら、そんな厄介者は放逐してしまえばいい」
「放逐か」
軍隊は集団行動を基本とする。集団に馴染めない者、馴染まない者は排除される。
「そう。舞風と川内、それに野分は排除される。なにせ彼女たちは、罪深い異常な存在だからね」
■
舞風は海面に突っ伏していた。ゆらゆらと漂いながら、遠くの音を聞いていた。
砲撃音。なぜか、どれも遠い。死線の気配、殺気もどこか遠くに行ってしまった。
舞風は、自分が戦いを諦めてしまったのだろうかと懸念した。死線が遠ざかっているということは、舞風は戦っていないということだ。戦場にいないということだ。
ぶくぶくと水中に泡を吐きながら、舞風は呟いた。
「あたしは野分を……諦めない……」
そんな時だった。
裁判艦・響の声が届いた。
『君の戦いは本物かい?』
間髪を入れず、検察艦・電が左の耳元で囁いた。
「これは弾幕の壁からの挑戦なのです。舞風さん。あなたの戦いが本物なら、もういちど立ちあがるのです。風の娘が待っているのです」
(風の娘……?)
弁護艦・雷が右の耳元で囁いた。
「その身を砲弾に委ねれば、あなたの戦いは承認されるわ」
胸の中心に、雷印の高速修復材、そのアンプルが突き立てられた。
どくん、ポンプが稼働し、薬剤を全身へ行き渡らせた。
質量保存則を無視し、異次元の
魚雷の炸裂によって吹きとんだ脛から先も、ひしゃげてしまった機関部も、まるで金属が生きているかのように波打ち、伸び、元の姿へと戻っていった。
艦娘の機関部が記憶している『あるべき姿』が再構築された。
どこにでもいる舞風モデルの駆逐艦が、十全の姿で、再び海面に立った。
この舞風は、特別な艦ではない。ただの陽炎タイプの十八番、舞風モデルのいち駆逐艦だ。
運命を背負っているから、戦いを忘れないでいるから、彼女は強くなれる。強く在れる。
舞風は背後を確認した。野分はいなかった。周囲を飛び交う無電によれば、三日月が野分を確保し、不知火と黒潮が援護しつつ退却しているらしい。
舞風は顔から滴る海水を腕でぬぐい、頭を振った。結った金髪の先から海水が飛び散った。
舞風は両手に12.7mm連装砲を持った。しっかりと
機関部に接続された四連装の魚雷発射管もすべて正常。いつでも発射できる。
舞風はまだ戦える。
「戦いを忘れない限り、透明にはならない」
あんなみっともない連中に、舞風は負けたりしない。
見れば、五〇〇メートルほどの沖合に、川内、五十鈴、由良、そして雪風がいた。でたらめに砲弾や魚雷をまきちらしながら、必死で砲弾や爆弾、魚雷をかわし続けていた。
「お前たちの相手は、あたしよ」
舞風は天空に一発、砲弾を発射した。
「かかってこい、相手になってやる」
舞風が宣言した。
透明な軍勢は戦意に敏感だった。一斉に砲塔を旋回させ、舞風へと照準した。
水平線のかなたから、まったく同時に砲煙が立ちのぼった。
一瞬にして、舞風は無数の死線に絡め取られた。
着弾は約十秒後。逃げ場はない。避けられない。
透明な軍勢は勝利を確信してか、足を止めていた。
舞風に、避ける気はさらさらなかった。
手持ちにあるすべての酸素魚雷をたてつづけに発射し、それらを戦艦や空母に向かわせた。酸素魚雷は静かに海中を突き進んだ。
並行して毎秒一〇発の発射速度で12.7mm連装砲を撃った。標的は駆逐艦、軽巡洋艦、重巡洋艦。どの弾も、すべての艦の急所へ、精密に。
奴らの弱点は機関部ではない。眼だ。死者がこちらを覗きこんでいる。あの死線/視線に捕らわれないためには、眼を潰せばよい。
舞風へ飛来する砲弾が、すべて真円に見えた。だが深淵は見えなかった。
「あたしの勝ちよ」
すべての砲弾が視界に入った。
まず、弾を撃ちきった12.7mm連装砲を投げた。宙で何度も砲弾に揉まれ、そのたびに変形し、圧縮され、最後にはバラバラになってしまった。
舞風は、チタン合金の骨格を余すことなく盾にして機関部を守った。
交差して掲げた両腕がめちゃくちゃにへし折れ、ついに消し飛んだ。細い腕の骨格は柔軟だが、潰れやすかった。
素早く跳躍し、両足を中天へ突き出した。砲弾は足の先、脛、膝、そして大腿と、順繰りにチタン合金へめりこみ、砕け散っていった。太く硬い脚の骨格は、よく粘ってくれた。
最後に頭蓋。襲いくる砲弾に対してわずかに頭を傾け、傾斜面で受けた。砲弾は頭髪と人工皮膚を抉り、頭蓋骨を削りながらも機関部から逸れた。
それもやがて限界を迎えた。頭蓋骨に徹甲弾がめりこみ、炸薬が爆裂した。疑似脳は豆腐のように脆い。メイン制御システムが機能不全に陥り、機関部のサブ制御システムへ身体の制御が移行した。
最後は、機関部の側面に取りつけた魚雷発射管。あらかじめ予測しておいた弾道へ、サブ制御システムが発射管を差し出すよう、身体を誘導した。魚雷発射管は砲弾を受け入れ、軌道を強引に変えて次々と海面へ落とした。
それで最後だった。
透明な軍勢はことごとく舞風に討ち取られていた。
機関部だけを残した舞風はゆっくりと海面へ落ちた。
(あたしの、勝ちだ)
■
舞風が倒れたその瞬間からさかのぼること五分。
黒潮が率いる野分救出部隊は窮地に陥っていた。
三日月が野分を抱えた瞬間、透明な軍勢の半分が黒潮たちを攻撃対象とした。
黒潮たちには、死線は見えていなかった。海岸沿いを疾駆する彼女たちの頭上を砲弾がかすめ、海岸沿いの国道を行儀正しく瓦礫に変えていった。
駆逐艦には過ぎた鉄量だった。牛刀で鶏をさばくようなものだった。
「なんや……なんなんあいつら……あんなんアカンやろ、デタラメや!」
「落ち着いてください黒潮。分散して、身を低くして、之字運動でとにかく分所へ。車で内陸へ逃げましょう。幸い、こちらは向こうから角度が悪い」
砲弾は斜め後方から襲いかかっていた。ほぼ反航戦の様相で、照準は合わせづらい。分散し、機関の出力を小刻みに変え、舵をデタラメに切ることで、ようやく
「せ、せやな……三日月はん、野分はん、ついてきとるか!」
黒潮が顔だけ後ろに向けて叫んだ。
しんがりを務める三日月が大声で応えた。
「はい、大丈夫です!」
「あんじょう頼むで。うちらはあいつらの目ェ引きつけるのんで精一杯や!」
野分は状況をよく飲みこめていなかった。無電で三隻へ話しかけた。
『あの……すみません、なにがどうなっているんですか?』
『うちもようわからん! 川内はんに野分はんを連れて帰れ、言われとる!』
『え……じゃあ舞風は?』
『知らん。川内はんは、あのデタラメと戦えるのは舞風はんだけや、舞風はんに任せろ、言うとった』
黒潮の言に、不知火が補足した。
『雷と電が高速修復材で直したはずです。心配は不要かと』
あの軍勢を、ただの一隻で。
野分はつい数分前の光景を思い出した。身動きが取れない中、舞風の戦闘機動を見ていた。
舞風は空間に殴り書きされた黒い線を巧みに避けて、次々と攻撃していた。
なぜ舞風はあの軍勢と戦うのか。
野分は戦力外だった。だから戦えないようにされた。
(野分は、舞風に護られた……?)
憤りはなかった。ただ、疑念が渦を巻き、野分の舵を反転させた。
野分の反転に真っ先に気づいたのは、野分の後ろを航行していた三日月だった。
「ちょっと、なにしてるんですか!」
「すみません、野分は戻ります」
いますぐに、舞風に問いただしたかった。
舞風はなにをしたいのかと。なにが目的なのかと。
野分は三日月とすれ違った。
三日月が慌てて黒潮へ無電を打った。
『黒潮さん! 野分さんが戻っちゃいました!』
『なんやて!』
連れ戻すか否か。黒潮は一瞬だけ逡巡した。しかし砲撃はスコールのように間断なく降り注ぎ、執拗に黒潮たちを襲っていた。
「ああ、もう、わやや! もう知らん! うちらだけでも帰るで! いくら命令いうたかて、命の要らんやつにまで構っちゃる義理はあらへん!」
不知火は淡々と答えた。
「了解しました」
三日月は苦りきった顔をしていたが、睦月型の戦闘能力は低い。野分を追っても、沈没艦が一隻増えるだけだ。
「……はい、そうしましょう」
三隻はほうぼうの体で分所近くの砂浜へとたどり着いた。
そのときになって初めて、自分たちへの砲撃が止んでいることに気づいた。
着弾音は遠く、岬の方から聞こえていた。
■
同じく遡ること五分。
川内率いる陽動隊は、さらに困窮を極めていた。
死線が見えるのは川内だけだったから、彼女は五十鈴、由良、雪風、夕立、時雨の、視覚と電探の情報を自身に集約した。過剰な負荷に疑似脳が悲鳴を上げたが、川内は無視した。舞風を助けるためであれば、川内は己の疑似脳が焼き切れることなど厭いはしない。
矢継ぎ早に指示を飛ばし、死線の密度が低い方へと随伴艦を誘導しながら、海面から高々と宙に身を躍らせて宙返りし、次の瞬間には身を伏せ、魚雷をでたらめに落として走らせた。
戦意はあるぞ、と見せかけつつ、回避に専念する。
しかし、川内は老朽艦で、舞風ほど機敏には動けない。
加えて、雪風にいくら適切な指示を与え、雪風が忠実に機動したとしても、どういうわけか雪風は必然的に、砲弾が当たる道筋へと導かれていく。詰め将棋のように。
『あうっ! ……至近弾、です!』
とうとう雪風が大破した。武装はすべて損壊し、機関部の出力も落ちている。
『馬鹿! 強がらないで! 直撃じゃない!』
『五十鈴! 雪風ちゃんを連れて退避して! 艤装は投棄!』
『分かったわ!』
五十鈴が艤装を捨て、雪風を担いで戦線を離脱した。
由良が、いつもより少しだけ焦った声で言った。
『舞風ちゃんはまだなの?』
『わからない。けれど、わたしは舞風ちゃんを信じるよ』
川内が応答した。夕立が抗議の声を上げた。既に右腕を一本吹きとばされている。
『そんな曖昧な指示じゃいつまでも戦えないっぽい! あんなデタラメの相手なんて、いくら夕立でもやってられないっぽい!』
『我慢して。舞風ちゃんが復帰しなければ、どのみちみんな、お陀仏よ』
会話をしながらも、回避機動は一瞬も止まらない。盛んに無電のやりとりをしながら舵を切り、缶の出力を上下させ、主砲を放ち、魚雷を落とす。戦闘では必要最低限、これだけのことはやらなければならないのだ。
時雨が尋ねた。
『川内、あれはいったいなんなんだい?』
こちらはさすがに歴戦の猛者といったところか、あるいは佐世保の時雨と謳われた原型の由縁によるものか、至近弾によるかすり傷しか負っていない。
『透明な軍勢、って舞風ちゃんは、言ってる。台風とか嵐みたいなもの。野分ちゃんを沈めるために、ここに来てるんだって』
『ふうん。おしっこは出してくれなさそうだ。それにしても、むちゃくちゃな連中だね』
だしぬけに、海面に無数に立ちのぼっていた水柱が、ぷっつりと途絶えた。
由良は顔を緩ませて「よかった」と安堵の声を漏らした。
川内は上空を見上げて「まずい」と焦りの声を漏らした。
川内の頭上に、死線が束のようになって描かれていた。
死線の行き着く先は、海岸線。
そこにはぽつんと、小指の爪くらいの大きさに見える、一隻の艦娘が立っていた。
川内は背後を振り返った。水平線上に、まったく同時に砲煙が立ちのぼっていた。
遅れて聞こえる砲撃音。
砲弾が大気を切り裂く飛翔音。
だめだ。あれは避けられない。川内は直感した。死線は小さな艦娘をがんじがらめにし、さらに、そこから半径一〇〇メートル以内にまんべんなく砲弾が炸裂するよう配置されていた。
川内にはなにもできなかった。呆然として、海面に立っていた。
「舞風ちゃん……!」
川内の叫びに呼応するように、がんじがらめの艦娘が内から金色の光を放った。
金の光芒が、無数に放たれた。太い束になっていた死線を、次々と呑みこんでいった。
ほんの十秒。それだけで、すべての死線が金色に書き換えられた。
着弾。
数百の砲弾が、一瞬にして海岸線へ叩きつけられた。衝撃音はいちどきり。水柱と土煙が混ざって立ちのぼり、爆風と、引き波が川内と由良へ押し寄せた。
「ねえ、川内」
「なによ!?」
舞風のことで疑似脳がいっぱいだった川内は、いらだちを隠せなかった。
由良は気にした様子もなく、ただ不思議そうに言った。
「あの、わけのわからない敵、消えてってる」
水平線を振り返った。
陽炎のように茫漠とした敵が、砲弾のそれとは異なる黒煙を上げて、蝋燭の火のようにちらちらと揺れる炎を上げて、透明になりつつあった。
「透明な、軍勢……」
ふと、ゆるやかに回転していた川内の
脚を引き揚げてみると、人工皮膚に植えられた金髪が、川内の主機に絡みついていた。引き波に流されてきたのだ。
「ま……」
言葉にはせず、川内は着弾地点めがけて疾駆した。金髪を握りしめて。
『戦闘は終了よ。由良、時雨ちゃん、夕立ちゃんは先に帰ってて』
『了解』
川内はほどなく海岸線に着いた。
岩場に、陽炎タイプの駆逐艦に共通して見られる、首から腰まである大きな機関部が打ち上げられていた。
原形を保っているものはなかった。残っていたのは、機関部と腰だけだった。腰からはチタン合金の骨盤と、多種多様のチューブと、人工筋肉が覗いていた。
川内は舞風の機関部を抱え起こした。缶にはまだ熱があり、くすぶりながらも稼働していた。
高速修復材のアンプルが、機関部と生体部との接合部に打たれた。
川内は自分の腹を割いてチューブを引き出し、舞風の大動脈に繋いだ。舞風はポンプさえ失っていたから、代わりの心臓が必要だった。
薬液があちこちから吹き出てこぼれてしまったので、川内は二本目のアンプルを打ちこんだ。
「舞風ちゃん! 舞風ちゃん!」
川内の呼びかけに答えてか、あるいは二本目のアンプルが効いたのか、舞風の肢体はまたたくまに修復されていった。だが、服は無いも同然で、舞風に叩きつけられた鉄量がどれほど凄まじいものだったか如実に物語っていた。
「舞風ちゃんの馬鹿馬鹿! あなたが沈んじゃったらどうするのよ!」
舞風は意識を失ったままだった。
外観は修復されたが、疑似脳の再構成にはいささか時間がかかる。
そこへ、黒潮たちの救助をふいにして反転した野分がたどり着いた。
川内の腕の中でぐったりと横たわる舞風を目にして、野分は震えた。
「舞風……どうして……」
やはり舞風は、野分を護ろうとしていた。こんな無惨な姿になってまで。
川内は舞風を強く抱きしめ、涙を流していた。
涙目で野分を睨み、視線で野分を責めた。
「舞風ちゃんが、野分ちゃんを好きだからだよ!」
「好き……? 野分を……?」
「そうだよ! 舞風ちゃんはのわっちが大好きなんだよ! だから!」
川内は舞風を抱いたまま、もとは舞風だったもの、人工皮膚に植わった金髪のひと房を突き出した。
舞風が
「舞風ちゃんの戦いを、無駄にしないで!」
野分は川内から、金髪のひと房を受け取った。
「野分は……」
野分は、なにも言えなかった。
■
その日の晩。
舞風はその凶暴さを忌避されて、特別に個室をあてがわれている。元職員室に隣接する、教材準備室だ。幅は両手を広げたくらい、奥行きは十メートルほど。
舞風は、その居室で、ようやく目を覚ました。
瞬間、跳ね起きて周囲を見回した。
川内がベッドにかじりついており、野分はやや離れたところ、ベッドの隣に設えられた学習机の椅子に座って気まずそうにしていた。
舞風はそれだけでなにが起こったのかを察し、緊張を解いた。
「……そう。よかった」と言った。
沈黙が三隻の間に落ちた。舞風は身を起こしたまま目を閉じて、瞑想していた。
川内は舞風の手を握って、声もなく泣きじゃくっていた。
野分はこの二隻のことが分からなくなった。
以前も分からなかったが、もっと分からなくなった。
「まい、かぜ」
野分が口を開いた。
「教えて。いったいなにが――」
野分の言葉は、引き戸を勢いよく開ける音で遮られた。
ぞろぞろと艦娘たちが入ってきた。
五十鈴、由良、黒潮、不知火、雪風、夕立、時雨、そして三日月。
皆が皆、乾いた顔をしていた。
手にはなぜか、めいめいに適した主砲を持っていた。
「なんや。もう目ェ覚ましたんか。相変わらず丈夫やなあ、舞風はんは。あやかりたいもんや。神サマ仏サマ舞風サマやな」
黒潮が冗談めいた口調で言った。目も顔も笑っていなかった。
五十鈴が続く言葉を引き取った。
「悪いけど、あんたたちには沈んでもらうわ」
川内が真っ先に反応した。
「どういうこと! 司令はなにも――」
不知火が、みなまで聞くこともないと川内の言葉を遮った。
「ええ、そうです。これは不知火たちの独断です。皆で話し合って決めました。司令は
顔を青くした野分が割りこんだ。
「どうして……どうしてですか」
由良が困ったように首を傾げた。
「どうしてって言われても……そうした方がいいと思うから」
三日月が補足した。
「その……あの変な敵は、野分さんが目当てなんですよね。だったら、ここから野分さんを追い出せばいいと思うんです。でもそんなことをしたら舞風さんも川内さんも黙っていない、そうですよね?」
川内は憎々しげに三日月を睨んだ。
「決まってるじゃない」
「ひっ……」三日月は青くなって息を詰まらせた。
時雨が三日月の言葉を引き取った。
「つまりその、なんだ。僕たちにはここが必要なんだよ。司令官はフナムシ以下だし、僕たちも控えめに言って、落ちこぼれの中の落ちこぼれだ。だけど、沈みたくはないんだよ。だから、君たちがあの変な軍団を呼んでいるというなら、追い出すか――」
「沈めちゃうか」
と夕立が引き継いだ。
雪風が五十鈴のスカートに掴まって縮こまりながら、言った。
「ごめんなさい、舞風さん。あなたがここを――」
その言葉を遮るかのように、めいめいが手持ちの主砲を持ち上げた。ガチャガチャガチャと耳障りな音が鳴り、丸腰の三隻にぴたりと照準が合わせられた。
五十鈴が言った。
「舞風。あんたがどれだけ強いか十分に知ってるつもりだけど、いまのあんたに勝ち目はないわ。だから諦めなさい。抵抗しなければ、楽に壊してあげる」
川内は、己の失態を呪って奥歯を噛みしめた。あの軍勢が野分を狙っているなどと言わなければ良かった。
野分は呆然としていた。あの軍勢が自分を狙っているなどと思いもしなかった。舞風が野分を護っていてくれたことを実感して、違和感に苛まれた。そしてちょっと前までは仲良くしていた艦娘たちがこうも態度を翻すことに、悲しみを覚えた。
舞風はベッドで身を起こしたまま嘆息し、取り巻く敵意をじろりとねめつけた。
「戦いを諦めろ。あたしにそう言ったの?」
五十鈴は眉をひそめた。ただ確認することに、いったいなんの意味があるのか。
「そういうことよ」とだけ五十鈴は答えた。
舞風だけは変わらずに、無表情で、冷徹だった。
だが、舞風は確かに怒っていた。
野分は舞風のものだ。舞風だけが撃っていいものだ。
「そう。あなたたちも、透明になったのね」
透明になった
艦娘も、深海棲艦も、本物の戦いを失った連中に価値などない。一刻も早く沈めるべきだ。
わずかに身じろぎひとつ。
舞風の重苦しい殺気が、敵味方の区別なく槍のように放たれた。
誰も彼もが
その隙に、舞風はいつも枕元に忍ばせてある三式爆雷をひそかに手に取った。数年前に比べて、はるかに小型化されたそれを。
丸腰の舞風が、ただ一隻で状況を開始した。