トントン、と小気味良く包丁を動かしトマトを切る。
水の入ったボウルからレタスを取りだし、皿の上に乗せた耳の無い食パンに被せる。その上からさらに、切ったトマトを乗せる。
作るのは簡単なサンドイッチだ。
冷蔵庫から新たにベーコンを取り出す。三分ほど前から熱せられ、ぱちぱち、と音を立てる薄く敷かれた油にそれを入れる。
油が跳ねる。
油の音が一際、凄まじく鳴る。ベーコンをこんがりと揚げていくそれに胡椒と塩を振りかけ、一度手を休める。
……カリカリになるまで後数分、か。
別に強火で一気に熱しても良いのだが、それだと焦げてしまう。だから、弱火でしっかりとベーコンを油で揚げていく。
そんな自分なりのこだわりから思考を打ち切り、壁に掛けられた時計に目を向けた。
時間としては、タカミチが姫巫女──アスナを追ってきた魔法使い達を迎撃しに行ってから、三分ほど経過している。
タカミチの言う通りなら、後二分で片がつくそうなのだが、森に意識を向ける限りそうでもないらしい。
それ自体が霊装の一つとも呼べる『ドルイドの森』。
その全てが同じオークの木で構築されたこの森は、クレアが師であるケルトの魔女から譲り受けた物だ。
今、その師は訳あって不在だが問題ない。受け継ぐべき技能は既に受け継いだ。
伊達にケルトの魔女と地元の魔術師から恐れられる訳では無い。
ドルイドと呼ばれるケルトの神官の秘術を、八年前にこちらに帰ってきてから教え込まれたクレアは、それを完全に修得するまでに五年もかけたのだ、魔術師としては短くともクレアとしては長い方だ、森の中を把握する程度の事は容易に出来る。
ケルト魔術。
オークの木に着いたヤドリギを信仰し、その力を奮う古来の秘術だ。
その強大な力は、やろうと思えば今すぐにでも、森の中にいる魔法使い達を始末することが出来るが、礼を示した相手に非礼を持って接する程、クレアは落ちぶれたつもりは無い。
タカミチ自身が頼んでくれば、それをする事も無いでは無いが、
男の子、だもんなぁ…………。
元と言うより、前世が男の身としては、十五年がたった今となっても男の子のそういった心境に理解はある程度とは言え、ある。
だから、見るだけに済ます。
自分の城であり領土である森の内部を、劇でも見るような気分で見ながら、ベーコンをひっくり返す。ついでに塩と胡椒を適量振りかけるのも忘れない。
それと野菜の乗ったパンに薄い四角のチーズを乗せる。
ベーコンが揚がるのも後少し、この様子だとタカミチは間に合いそうに無い。どうやら追手に魔術師がいたらしい、予想以上に苦戦している。
十年前、タカミチに乞われて教えたルーンを活用しているみたいだが、所詮見習いが教えた魔術だ。
あれから八年の年月がたったとは言え、その腕は本物の魔術師を凌駕するものでは無い。あの時教えた五つのルーンを上手く霊装にした様だが、タカミチの本領はそれではない。
そもそもタカミチにとって魔術は補完と言うか、補助の様な物だった筈。その研鑽の大半は別の所に使われている筈なのだ。
だが、それをしないと言うことは、
「あいつ、手でも抜いているのか……? 相手の魔術師の技量を見る限り、そんな余裕無いだろうに」
いや、それとも。出来ないのか。
真実は定かでは無いが、取り敢えずタカミチが戻ってくるのはもう少し後になりそうだ。
それなら先にアスナに食べさせるか。
だから、
「アスナー、幾つ食べるかー?」
と、顔をテーブルの方に向けて。寝ている少女を見つけた。
机に凭れかかる様にして寝ているそれに、ぬ、と声を一つ。
これは、あいつが戻ってきてから起こすか…………。
取り敢えず、と毛布を暖炉の正面にあるソファから持ってきてアスナに掛けた。
そしてカリカリに揚げ終わったフライパンの火を止めて、コーヒーを持ってアスナの正面の席に座る。
コーヒーを一口飲んで冷えきってる事に気付くが温めるのも面倒だ、とばかりに一気に飲み干す。
飲み終わったカップをソーサラーの上に乗せて、そのまま上体をテーブルに凭れかけた。
その体勢から肘を立て少し休憩、髪が長くてうっとおしいが動く気にもならない。
疲れた、と正面に顔を向け、
「──忘れてる、のか」
それを寂しいとは思わない。
先程のタカミチの言葉を聞いた後では、とてもでは無いがそんな風には言えない。
一緒にいたのは約二年間だ。それを目の前の少女が忘れてしまっている事に、寂しさを感じずとも、どこか物悲しさを感じてしまうのは仕方の無いことだろう。
だが、生きてる。まだ生きてるのだ。
生きてるのなら、また思い出を重ねられるし、作っていける。だから、それも耐えられる。
問題はもう一人の方だ。
何を考えているのか、ナギ達でも苦労したソレを一人で背負おうとしているのだ。そりゃあ昔から、そういう傾向が無かった訳では無いが、それでもこんなにでは無かった筈だ。
いつの間にか声変わりもしているし。
「なんなんだ…………会って早々」
どこか自分の知ってるタカミチが居ないことに、苛つきとも言える何かを感じ、言葉が漏れる。
それがわからない事に、さらに苛つきながら頭を掻き毟る。しばらく、あー、だの、うー、だの言葉にならない声を出した後、
「何をしているんだ私は……」
先程までの自分の行動に落ち込む。
なんでこんな訳のわからない事で自己嫌悪に陥らなきゃいけないんだ……!
そうだ、全部あいつが悪い。そうに違いない、生意気だ。だから戻ってきたら呪いの一発でもかましてやる。
上手く回らない頭でそう考えて。
そう言えば、
「あいつ、背…………伸びてたな」
本当に、生意気だ。タカミチの癖に。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
タカミチは見た、確かに目の前の魔術師が何も障壁を張っていなかった事を、この目で見た。
だから目の前のローブの男が吹き飛ぶのを目にした時、確かに手応えを感じたのだ。
同時に後は魔法使いだけだ、と安堵感も感じていた。
対魔術師戦を展開しなくともよいのだ、と。そこに確かな期待をとも呼べぬ何かを抱いたのだ、
────しかし、現実は常に人の想像を越える。
雪の降り積もる、森の空き地。未だ降りそぞぐ雪が光に照らされ輝く中、二つの影が高速で入れ替わる。
「これ、は…………! 予想以上に、手強い──!」
方や、その鈍い銀の髪を靡かせ。
「──は、ははは! いいなぁ……! いいぞ少年!」
方や、闇より深い、暗闇の様な色のローブを着込んだ男。
否、男かどうかはわからない。背格好、目の鋭さ、男としては長いが女としては短い青の髪。それらを判断基準にしているだけで性別はわからない、と言った方が正しい。生憎となぜかもう一人はそれを男と確信しているが。
影は、次から次へと動き回り、その立ち位置を互いの攻撃と共に、変えていく。その全てが強化された動き特有の高速機動だ。
瞬動は使われない。速さこそ格段に上がるが、その本質は高速の長距離での
故に使ったが最後、単直なその軌道に合わせるかのように、自身の体を高威力の攻撃が襲うと言うことを互いに理解しているからだ。
そこに相違は無い、だからこそと言うように、複雑な軌道を描きながら影は立ち回る。
「ほうら、避けろよ少年ッ……!」
ローブの魔術師が腕を振るう。それと同時に、その腕を追随するかの様にして空間がたわみ、もう一人の影をうち据える。
グオンッ! 、と言う轟音が辺りに響く。
それを前傾姿勢に入ることで避けながら、影は同時に前へと踏み込む。そのままがら空きの胴体に、大きく腕を振りかぶった渾身の一撃。
「────!!」
魔術師がその身をくの字に曲げ、苦痛に表情を歪めるが、そのダメージはトラックも容易に打ち砕く、タカミチの全力の一撃を受けたにしては軽すぎるものだ。
「──これでも駄目なのかっ!?」
大威力の一撃が効かないと判断するや否や、攻撃の内容を変える。
質から量に。
威力から手数に。
続ける様にして打ち込まれた、超至近距離での連続した拳打。コンパクトに畳んだ、しかしそれでも直高威力のそれを繋げるようにして放つ。
魔術師の体が拳打を受ける度に、中空に浮く。
炸裂した拳打は計13発。
「こッ、れで! どうだあぁぁあ────!!」
それに加えて、止めとばかりに放たれた回し蹴りが魔術師を吹き飛ばした。
普通の魔法使いならば優に死んでいる筈の強化された身体能力は、辺りに倒れ伏す16もの魔法使いが、その威力を物語っている。
はぁ、はぁ、と荒くなった息が白く口から漏れる。それを気を循環させることで体力回復させる。魔力を霊装に常時流しながらの作業だ、魔力と気の同時運用。技術としては難しいが魔力と気の
「────Congratulations! 素晴らしい! 魔術、魔法も放たず、純粋な肉体技術でそれとは! ズルをしている身としては少しばかり来るものがあるな!」
煙舞う前方、その中から声が来た。先程打ちのめされた人間の声とは思えないほど喜色に富んだ声だ。
どうやらアレを受けても倒れてはくれないらしい。
ゴウッ! と言う音と共に、煙を晴らして魔術師が出てくる。
「──少年、君はどうやらルーンを使っていることから、魔術師だと思ったんだが、…………ゴーレムと言うのを知っているかい?」
「いいや、…………生憎と僕は純粋なキチンとした魔術師では無いし、そもそも魔術師と戦うのすらそんなに無いんだよ」
「そうか! では説明しよう。勘違いするなよ? これは魔術を使った私に、曲がりなりともついてきた君への…………褒美、そう褒美だ」
「……あぁ、それは有り難いね。余りに対処の方法が、わからないもんで困っていたんだ」
教えても直勝てる。言葉にせずとも伝わってくる、それに若干の苛つきを覚えながらも答える。
いい加減に、この不可解な現象の解説が欲しかった所なのだ。殴る度に感じる、肉ではなく、障壁でもなく、別の何かを打つような感覚。
それが目の前の魔術師が立っている理由に繋がるのだろうが、何分魔術の事など、十年前に二年間の間クレアから学んだ五つのルーン以外に知らない。
出来ることならクレアに相手の魔術について尋ねたかったのだが、それも出来そうにない。そして、敵が説明してくれると言うのだ、若干の苛つき位は我慢して見せよう。
「──ゴーレムと言うのはだね、神の人類の創成を模倣したものなのだよ。神は土から人の形を作り、そこに命を吹き込みたもうた。聖書では有名な話だ。その人類の創成を、人の手で成し遂げようと言うのがゴーレムだ、だからゴーレムは神話と同じように土や泥、金属で造られる。ただ材料の関係から自然と巨大化してしまうし、いくら命令通りに動くとは言え、誓約を守らないとすぐに暴走してしまうんだよ」
これがまた厳しくてね。
茶飲み話でもするかの様に、そう魔術師は言った。
「それは、つまりお前に誓約とやらを破らせれば僕の勝ちってことか?」
「ほう、出来るのか? 誓約が何かも知らないのに?」
問題ない。これだけのヒントがあれば十分だ。
様は相手の行動から共通して、一貫して行っている事見つけて、それを出来ない様にすればいい。それだけ、と言うことだ。
ルーン文字。古来のザクセン人が使用した力ある言葉。
タカミチがクレアから学んだ五つのルーンは、『
それらのルーンを彫り込んだ指輪を霊装として運用している訳だが、それぞれに親指から小指にかけてに番号を振り起用しているのだ。先に並べた順に親指から。
その意味は順に説明すると、『恐怖のルーン』『力のルーン』『防御のルーン』『生命のルーン』『認識のルーン』だ。それぞれが対応するアルファベットは、『TH』『U』『EO』『S』『D』となる。
それを『恐怖のルーン』は人払いに、『力のルーン』と『防御のルーン』は戦闘の補助に、『生命のルーン』は怪我の回復に、『認識のルーン』は魔術の認識に、とそれぞれ役割を決める事で霊装『
ルーン特有の万能性は発揮出来ないが、文字自体が力を持つルーン魔術は、精霊に
だから、
「ありがとう、タメになったよ。──だから」
吹き飛べ。
相手の気の弛みをついた一瞬での瞬動。相手が他の魔法使いの様にガチガチ、の戦闘者であったら出来ない事だが。
──やはり!
これは、クレアを見て立てた仮説だが。魔術師は魔法使いに比べて、その深い魔法体系からか近接戦闘をするように鍛えていない。
事実、先程の戦闘も威力こそ洒落にならないとは言え、動きは素人であった。
だからと言うように、そのままの勢いを乗せられた飛び蹴りは魔術師を打ち据え、
「硬い────!?」
異様な硬質感にぶち当たった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
きゅくー、と寝息を立てる幼女を、ちらり、ちらり、と見て、手を出しては引っ込めてを繰り返す。
何を隠そう、クレア・ティアーヌ。絶賛、奮闘中であった。
何と、と聞かれれば己の欲望と、である。
椅子に座ってから一分が経ってからだろうか、それから五分もの間、どこか落ち着かない様子で手を動かしていた。
最早タカミチの戦闘など見てなかった。
しかし、しかしだ。この、目の前の、ぷっくらとした血色の良い桜色のほっぺたがいけないのだ。
あぁ、魔性のほっぺ……!
等と一人呟く様は不気味を通り越して、何処か滑稽だ。
そして、ついに手が頬に届き、
「柔らかい────!?」
マシュマロみたいな柔らかさにぶち当たった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
今度は、吹き飛びすらしなかった。
山でも蹴るような重量感。ビル一つならば倒壊さしめるほどの威力を持った蹴撃が欠片も効いちゃいなかった。
「──少年、君はいきなりと言うのがそんなに好きなのか?」
威力の一つも伝えきれていない。魔術師の目の前約十メートルの虚空にぶつかりながら、タカミチはそう思った。
何も無い虚空……否、タカミチの極彩色の視界はそれを確かにそれを見ていた。
魔術師の上から被せる様にして巨人の上半身がそこにあったのを。強化された視界でさえ、わずかに空間が歪んでいる様にしか見えないと言うことは、強化しなければ視認すら出来ない事を表している。
余談だが、魔術師は魔術師に比べて術式よりも視界に重点を置く。なぜならば魔術とは厄介な物で、不可視で障壁突破、不可避で障壁突破、不可解で障壁突破とタチが悪いのである。
幼年のクレアのガンドが良い例だろう。とにかく厄介と言うか、全体的に嫌らしいのだ。
「『
これか、これなのだ。
先程までの不可解な攻撃の正体は。何故今の今まで気付かなかったのか…………。
いや、こうして直接触れたからこそ見えているのか。
それにある程度とは言え余裕があったのも理由だろう、今ですらうっすらとなのだ、戦闘中の加熱した思考では無理だったろう。
しかし、今こうして受け止められるまで気付かなかった、…………それが意味するのは、
「──本気ではなかった、と言うわけかい?」
「あぁ! いいな、戦士であるのに、その事実を事実として受け取れる魔術師向けの精神……! ハイネの奴に教えたらどんな反応をするのか…………!」
とどの詰まり。
「くくっ、改めて名乗ろうじゃないか、──錬金術師『マリナ・エルクエル』だ。覚えておくといい」
まだこの魔術師は本気では無かったのだ。
しかし、タカミチは何も言わなかった。怒りも、絶望も、喜色も、何もだ。
ただ、はぁ、と溜め息を吐き
「おや? どうしたんだい? もう諦め──」
その動作に魔術師改め、錬金術師は首をかしげ、
──吹き飛んだ。
文字通り、不可視の巨人と共に吹き飛びながらマリナは考えた、
何、が起きた──?
脳裏に浮かぶのは一つの光景、魔法使い達が森の陰から一斉に攻め込んだ時だ。
あの時も目の前の男はポケットに片手をいれていた、つまり、繋がっている……?
錬金術師の賢い頭脳は解答を導き出さんと回転する。
だが、事はそう複雑でも無い。錬金術師が本気では無かった様に、タカミチ、
「──あぁ、そういえば名乗ってなかったね。僕の名前は『高畑・T・タカミチ』、──冥土の土産に覚えとくといい」
彼もまた、本気では無かったのだ。
基本的に書いてる時のBGMは彩音さんのendless tearsです
今日と明日はもしかしたら更新無いかも。