時計は、午後八時を回ったところだ。
「今年も残り四時間か」
耕平は鍋に箸を伸ばす。土鍋にはなくなった具に代わり、蕎麦が煮えていた。ダシ汁を濃い目に味付けして、柚子胡椒で食べるのが森野家の年越し蕎麦だった。
「美味しい」
僕は東京暮らしが長い。関東風の濃いしょう油味に慣れ親しんだ身には、これは上品で程よい味付けだ。
「これなら側室三号さんにしてもいい?」
「まだその話題続いていたの?」
「嘘だよー」
早苗が口元を隠して笑った。
耕平と瑞穂ちゃんは、無言で蕎麦をすすっている。柚子胡椒に手を伸ばすタイミングが完璧にシンクロしていて、僕はちょっと笑ってしまった。やっぱし、兄妹なんだなー。
「また来年もやろうね」
「来年・・・」
僕は早苗の言葉をなぞった。来年、瑞穂ちゃんを除く僕たちは高校三年生だ。嫌が応にも人生の分岐点に立たされる。進学、あるいは就職か。
僕は、間違いなく進学するだろう。大学のない多紙町を出て、東京に戻る。家族で戻るのか、僕だけ戻るのか、それは分からない。でも、出て行くことだけは確かなことだ。
耕平は、早苗はどうだろう?
そして、美雪は?
僕と、美雪。
僕と、しろ様。
どこにいる?
何をしている?
僕たちは、このままで、この場所にいられるだろうか? 問いは、僕の呼吸を止める。
「柾木くん?」
「えっ?」
我に返る。
「むーって顔、してた」
早苗が心配そうに、僕の顔を覗き込む。息と息が触れ合う距離だ。
「えっと・・・」
僕の問いは、ややこしく絡み合った解けないパズルのようなものだ。
「だいじょうぶ」
「えっ?」
「わたしたちは、だいじょうぶ」
早苗は、迷いなく言い切った。それは、僕の不安を打ち消すのに十分な説得力を持つ。
「わたしたちなら、だいじょうぶ」
「そっか」
穏やかに告げられる早苗の確信は、未来への希望に満ち満ちて、とても心地良い。それをただの楽観だと否定するのは簡単だ。だけどー――
僕は、僕に問いかける。一年後、僕たちはこの場所にいるのか?
来年も、僕たちはここにいる。僕は、そう決めた。それは揺るぎのない決意だ。
僕は、無言で早苗に頷いた。
「そうだね」
早苗も満足げに頷いた。
「さぁ、そろそろビールに行くよ!」
瑞穂ちゃんが勢いよく立ち上がり、そのまま入り口の格子扉を開けると、雪混じりの風が吹き込んできた。
「うひゃう!」
そして、
「手伝って!」
瑞穂ちゃんは、手ぶらで帰ってきた。
「どうした」
「雪に埋もれちゃってる」
「何やってんだか」
「いいから早く! ビールが凍っちゃうよ!」
「しかたねーな」
「私も手伝う」
立ち上がった耕平に、早苗もついていく。
「なら僕も行くよ」
「お前は待ってろ」
「でも」
「お姫様を起こすわけにはいくまいがよ」
僕の肩への重みは増している。うつらうつらし始めた美雪が、身体を完全に預けていたからだ。
「いってくら」
三人が出て行った。
「すぅ・・・すぅ・・・」
部屋に残った音は、鍋の煮える音と、耳元で聞こえる美雪の微かな寝息だけだ。
「まいったな」
手持ちぶさたな僕は、苦労して片手だけで鍋の残りを小鉢に移してゆく。食べ残しがあると、余計なゴミを持ち帰らないといけないからだ。綺麗に平らげ、鍋の中はダシ汁だけとなった。
「遅いな」
十五分は過ぎていた。軒先に置いたビールを取りに行ったにしては時間がかかりすぎる。
「美雪」
ほほを軽く叩く。
「ん・・・、二人目は男の子がいいのか」
「僕は女の子派だよ。そうじゃなくて、起きて」
ぺちぺち
「どうした」
ぼうっとした眼差しの美雪。それでも口調がはっきりしているのは、さすがは十和田の女というところだ。
「三人が遅い」
「ゆこう」
美雪の表情が険しくなる。素早く身を起こした。
雪国の冬をなめてはいけない。ちょっと庭先に出たつもりが、屋根から落ちてきた雪に埋もれて死亡とか、道を歩いているのに、雪の下でマンホールが外れており、下水に落ちて死亡など、東京じゃ考えられないようなことが簡単に起こる。
バッ
勢いよく扉を開くと、温まっていた身体が急激に冷めていく。
「耕平っ!」
「早苗、瑞穂っ! どこか!」
僕も美雪も、あらん限り声を張り上げる。
どさっ
雪の重みに耐えかねた枝が、身震いするように雪のかたまりをふるい落とした。やはり、頭上からの雪に、生き埋めになっているのだろうか? 僕は耳を澄ませる。
「柾木」
美雪が中腰の姿勢で手招きする。
「これって」
拝殿に上る階段の裏側で、僕はまばたきをした。
「ビールだな」
ビール瓶の入った赤いプラスチックケースが二つ、重なって鎮座していた。瑞穂ちゃんは『雪に埋もれてる』と叫んだが、階段が屋根と風よけになって、雪一つかぶっていない。キツネにつままれた気分だ。
「これは?」
瓶と瓶の間に、スーパーのレジ袋が挟まっていた。僕は引き抜き、中身を確かめる。
一枚のメモ用紙が入っていた。
「あいつら・・・」
「何が書いてあった?」
僕は、美雪にメモ用紙を押し付けるように手渡した。
「・・・私たちは、置き去りにされたのか?」
うなずく気力もなくなっていた。
胸ポケットからペンライト取り出し、鳥居の方を照らしてみる。真新しい三つの足跡が、下山コースを取っているのが分かった。
「やられたな・・・」
それしか言葉が浮かばない。
『何もなかったら、お前は友達じゃない 耕平』
『据え膳って知ってる? 瑞穂』
『紺野ケダモノ柾木だと信じてるよ 早苗』
『財布にアレを仕込んだから使うがいい。穴あけてるけどな! マミちゃん』
『別の意味で娘を鳴かせることを期待します。本来の意味で娘を泣かせた場合、十和田の全権をもってして貴方を生き地獄に落とします。あぁそうそう、ちなみに娘は背中と耳元が弱(以下、裏面まで続く) 十和田真白』
ぐしゃり
僕はメモ用紙を握りつぶす。完全にハメられた。耕平たちだけでなく、ご両家の母親までグルだ。
ボッボッボッボッ
カセットコンロの火が不安定になりだした。ガスが無くなりつつあるのだろう。その音が耳障りで、僕は火を落とした。
この炎を飛び越えてって、三島由紀夫の『潮騒』を演じる気もないしね。
「冷えるな」
火が消えるのを見ながら、美雪がつぶやいた。
室温だけではない。狭い板間で五人が鍋を囲っていたのだ。それが今や二人だけ。
頭を抱えたい。逃げ道をほぼ塞がれたも同然だ。
僕は、美雪を盗み見る。お猪口に一升瓶から直接中身を注いでいるところだった。自然と美雪の振る舞いすべてに視線が吸い付く。
僕と美雪だけがいる。バリケードとしていた障害は、すべて耕平たちによって取り除かれてしまった。
この状況では、あの不条理なまでの性欲が湧き上がるのは必死だ。その時、僕は獣のように美雪を抱くだろう。
抱くという『結果』も『行為』もいい。それらはすべて僕のものだ。
だが、僕の『意思』はどこにある?
僕の理性を簡単に吹き飛ばし、内なるところから、ドス黒い何かに身体を支配される感覚。
僕は美雪を愛しかけている。いや、もはや愛しているのかもしれない。
だから、だからこそ―――
僕は・・・、嫌だ。
バンッ ガガガッ
思考の迷宮を打ち破る大音響。同時に、
ゴォォォォォ
強烈な突風が吹き込んできた。
「なっ!」
「扉がっ!」
格子に張っていたサランラップが宙を舞う。それだけじゃない、格子そのものが吹き飛び、へし折れた。
「吹雪かっ!」
「こんなのは見たことがない」
山の天気は変わりやすいと言うが、横殴りの吹雪で、視界は限りなくゼロに近い。美雪が顔を蒼白くして驚くほどだ。
「まずは扉だ! 直すぞ!」
吹き飛んだ格子を持ち上げるが、蝶番がひん曲がり、角材も折れてしまい、すでに使い物にならない状態だ。
「ちっ!」
僕は格子をうち捨てた。
とっさに部屋の中を見渡し、扉代わりになるものを探す。しかし、神社という建物は、もとより装飾品を極端に排除したものである。
その中でも、とりわけこの多紙神社は何もない。
ゴォォォォ
待ったなしで雪が吹き込んでくる。これでは雪山で遭難しているのと換わらない。生命の危機だ。
何がある?
何が出来る?
危機的な状況に、僕の思考は高速で回転する。
ドクンッ、ドクンッ
血流が、疾風のごとく体内を駆け巡る。薄っすらと眼光が赤く光りだす。
「そうか!」
僕は外に飛び出した。
「美雪っ! 手伝え!」
「えっ! 何を?」
「雪だ! 雪しかないんだ!」
僕は、開け放たれた扉の部分に雪を盛りながら叫んだ。
「だったら、雪で雪から身を護るしかないだろ!」
二十分後、入り口を雪壁で塞いだ僕らは、肩を寄せ合って寒さをしのいでいた。
「ビニールハウスから『かまくら』にクラスチェンジだね」
「レベルが上がったわけではないのだな」
美雪は、小さく笑うと寒さから身震いをした。土鍋の下に敷いていた断熱マットを引き剥がし、毛布代わりにしているが、防寒用具としては貧相なことこの上ない。
「失敗したな。毛布の一つでも持ってくるんだった」
「宵越しの酒宴だ。誰もが酔いつぶれるつもりはなかった。仕方あるまい」
そう。酒に弱い僕ですら、そう思っていたのだ。毛布一枚荷物が増えるなら、ビールでもカニでもいい。酒や食材を積み込んだ。実際、去年まではそれで十分だった。
「この冬一番の寒波を甘く見たな」
「フッフッ。だが、おかげで私は、君のぬくもりを感じることが出来る」
そう言うと美雪は、僕の腕に一層しなだれてきた。嬉しそうなセリフとは裏腹に、美雪の唇は青みを増していた。
「早苗たちは無事だろうか・・・」
「大丈夫、耕平が付いている」
「そうか、そうだな」
生徒会を私物化して生徒会長を解任されてしまい、あまつさえ一年生の妹にその地位を奪われてしまうような男だが、不思議とこういう時には絶対の信頼感がある。
「寒い・・・」
美雪がか細い声を漏らす。カシミヤの和服コートに、首にはストールを巻いているとはいえ、そもそも和服は寒さに弱い衣装だ。
「美雪、足を出して」
「んっ?」
「これを足に巻くんだよ」
僕は、傍らに落ちていたサランラップの箱を持ち上げた。カラコロっと、軽い音がした。格子に貼り付けるのに使った後だ。残量は心もとない。
素直に出された両足に、それぞれ地下足袋の上からサランラップを巻いていく。
「本当は、素肌の上から巻きつけた方がいいらしいんだけどね。地下足袋を脱いで失われる体温がもったいない」
「柾木が優しい・・・」
「僕はいつだって、ジェントルマンで、フェミニストだよ」
「ふふっ・・・」
美雪が笑うが、あまりにも力のない笑い声だ。
「眠らないで」
「私は眠いんだ」
ぺちぺちと、美雪の頬を強めに叩く。その頬は、手のひらと同じぐらい冷え切っていた。危険な水準だ。
「今、暖めるから」
ガスコンロの燃料は、あとわずか。それ単体では暖を取ることは出来ないだろう。だが、種火にすることは出来る。
「ビニールはまずいよな・・・」
食材をくるんでいた包装紙や紙袋などをかき寄せる。少しでも燃えそうな物には、全て手を伸ばした。だが、哀しいまでにその数は少ない。
出来るなら床板を剥がして焚き火にしたいところだが、頑丈すぎて素手でどうにかなりそうもなかった。
「ちくしょう」
時間だけが過ぎていく。
そのたびに、僕たちの生存確率と選択肢は確実に失われていく。
「何を探している」
「紙を」
「どうして」
「燃やす」
切れ切れの、単語だけの会話。
美雪だけじゃない、僕も同じく消耗している。頭の中が、少しずつ霞がかっていく。
「紙・・・。そうか」
「美雪?」
「紙ならある」
美雪は体を傾け、床の上から何かたぐり寄せた。
「早苗がくれたんだ」
書店の紙袋だ。
「恨まれるかもしれないが、燃やしてしまおう」
「貸して」
僕はセロファンテープをはがし、中身を取り出そうとし、半分ぐらい出したところで手を止めた。
そして、そのまま本を紙袋に入れなおす。
「・・・」
「柾木?」
「紙袋に入れたまま燃やそう」
「待て」
ガシッ
どこにそんな体力が残っていたのか、美雪が僕の腕をつかむ。
「なな、何をするのですかな、お嬢さん」
「うむ。中身を確認しようとだな」
「本は本ではありませんか」
「だが命と引き換えても構わないような稀少本の可能性もある」
「いえいえ、普通の雑誌が二冊でありますよ」
なぜか言葉がおかしくなっていく僕。NHKのキャスター上がりの大臣が、国会で小学生の作文のような原稿を読み上げる感じだ。
「君がそのような口調になるときは、私にとって都合のいいことが起きている証左だ。なんなら、ずっと私のターンでいいぞ」
やめて、死んでしまう。
「えいっ」
美雪が小さく手首をひねると、あっけなく僕の手から紙袋が落ちた。合気道で言うところの『転換』という技だ。
バサバサっと、紙袋の中身が床に広がる。
そこには着物姿の少女がいっぱいで・・・
「ああああああぁぁぁぁ」
僕の秘蔵のアイテム『着物を脱がさないで』がここにあった。いや、それだけではなく、耕平の部屋で見た、美雪に似ている少女が裸エプロン姿の裏本まである。
記憶がよみがえる。どうして早苗と瑞穂ちゃんは、僕の家にわざわざやって来たのか。大した理由ではなかったはずだ。
そして、あっさりと帰っていったのはなぜか。すでに目的を達していたからではないか。
本を持っていることは、耕平が知っている。裸エプロンの裏本が紛れている時点で、共犯は確定だろう。
隠し場所は・・・。母よ、知っていたのか。裏庭の物置のさらに奥に隠していたのに・・・
「ふむ」
気がつけば、美雪が本を拾い上げてページをめくっている。
「あの、そのですね、美雪さん」
「コレコレコレコレコレ、コレッ!」
ぱしぱしぱしぱしぱしぱしぱしと、美雪は手の甲で何度も紙面を叩く。
「これはダメだ。とにかくこれは許せない!」
僕は、何百回と読んだページを覗き込む。
ページには、脱ぎ捨てられた着物が広がり、その上で少女が仰向けに寝そべっている。
「私というものがありながら、こんなもので自慰行為をしていたのか」
美雪に似ているからとは、口がさけても言えない。言えば状況に流される。流されれば、また理不尽な根源的な何かに支配される。
「私は君を想い、毎夜毎夜身体を火照らせているのだぞ。それなの柾木はこんなもので満足している」
「毎夜毎夜?」
「やっ、そんなにではないぞ」
ぱたぱたと、美雪が顔を赤らめながら、両手を振って否定する。
「そこまでは、はしたなくない。うむ。私は柾木好みの清純な淑女だ。ふ、二日に一回とか・・・」
「二日に一回?」
「や、三日に一回・・・」
「ホントは?」
「七日に六回ぐらい・・・」
それは、ほぼ毎日というのでは・・・
「ともかく、こんな写真に負けたなど屈辱だ」
両手で紙面を広げ、僕の鼻先に突きつける。何度も使用したベストショットだ。
「リベンジだ」
美雪が白狐のストールを外し、カシミアの和服コートを脱ぎ捨てた。
「美雪、何を!」
「この女たちと私。どちらが君に必要か分からせねばなるまい」
「いやいや、俺たち凍え死にしそうなんだよ。そんなことしている場合じゃないってば!」
「人肌は温かいと聞く」
「だから、時と場所をですね」
「吹雪でどこにも逃げられない。邪魔も入らない。聞き耳を立てる者もいない。今がその時だ」
「は、ほら、僕ってシチュエーションとか気にする方だし。 ね?」
「しちゅ、何だ? 横文字なぞ分からないぞ」
「さっき、リベンジって言ってた!」
「うるさい。今、君は私に奪われるのだ。確定事項で、最優先事項だ」
「そんな! もっと雰囲気とか気にしましょうよね、ねぇ!」
「すぐに良くなる。たぶん、きっと」
「非断定形じゃないですか!」
「もう君の分別など意味をなさない。ほら」
僕の手を握ると、腰元に導く。
「帯留めだ。これをほどけば、あとは簡単に脱げる」
「だから―――」
言いながらも、手を振りほどけない僕がいる。
「―――寒いんだ。柾木」
美雪がしだれるように覆いかぶさってくる。
僕は仰向けでそれを受け止めた。いや、押し倒された。
長い黒髪が僕を取り囲むように垂れて、遮られた視界は、美雪の色白な顔だけとなる。まるで、映画のスクリーンに映し出された、主演女優のアップを見ているようだ。
「温かいだけでは足りない・・・」
この状況から逃げ出す手立ては、とうに失われている。とっくの昔に、僕は美雪の支配下にある。
そして・・・、かすかに指を動かせば、それだけで美雪を裸にすることが出来てしまう。
「あぁ・・・」
僕の意志が解けていく。折れるのではなく、何かと混じりあう様に。
美雪を裸にする。いや、裸にむく。僕の意志が新しい形を持ち始める。瞳が、呼応して赤みを帯び始める。
「柾木、熱くして」
美雪の瞳も、いつのまにか薄っすらと赤みを帯びて、陽炎のように怪しく揺れ動く。
覆いかぶさる美雪を強く引き寄せようと、僕は両の腕を突き上げた。
歌舞伎の見得のように、一瞬、時が止まる。
にやりと笑みを浮かべ、抱きしめようとした、その時―――
ガクンッ
美雪が崩れ落ちた。
「えっ?」
力ない動き。
僕は美雪を抱きかかえ、身体を起こした。
美雪が動かない?
美雪が動かない―――
「どうして・・・」
抱き合っていないと聞き取れないほど、か細い声を美雪が漏らす。
「くやしい・・・」
すでに美雪は、自力で身体を支えられない。
「ここまできているのに、柾木がいるのに、体が動かないなんて」
美雪はいつもそうだ。人に弱みを見せない。限界まで隠し通す。ここまで消耗しきっていると、僕に感ずられることを嫌った。
だから僕は、あえて真逆の言葉をかける。
「そうだ、情けないぞ」
美雪がかすかに口元を吊り上げた。意識を失えば、それは永遠の眠りとなる確信があった。
僕はとにかく言葉をかけなくてはいけない。言葉を捜し、美雪の反骨心に訴えて・・・
だが、美雪の瞳から生気が加速度的に失われていく。唇も色をなくし、体温も下がる一方だ。
僕に何が出来る・・・
僕は何をすればいい・・・
僕に、
僕は、
僕が・・・
思考が高速で回転し、あらゆる行動が試みられる。だが、結果はすべて同じだ。たった一つの手を除いて。
それは、たったひとつのくせに、冴えたやり方ではない。そう、もうそれしかないんだ。
「ここを出よう」
「柾木・・・」
美雪は、眼だけを僕に向ける。その瞳には、強い非難の色が見て取れる。
あぁ、なんて聡明なんだ。美雪は僕の一言ですべてを察っしたようだ。
だが、その非難をよそに、僕は後ろを振り向く。
「だめだ」
残された全ての力をつぎ込んで、美雪が僕にしがみつく。
僕は美雪の頭を優しく一なでし、さらに微笑むことで、美雪の抵抗を封じ込めた。
そして、慇懃に言葉をつむぎだす。
「しろ様、おいでください」