新訳 収穫の十二月 [完結]   作:井上そんこう

14 / 18
3 不完全燃焼

 

 

 時計は、午後八時を回ったところだ。

「今年も残り四時間か」

 耕平は鍋に箸を伸ばす。土鍋にはなくなった具に代わり、蕎麦が煮えていた。ダシ汁を濃い目に味付けして、柚子胡椒で食べるのが森野家の年越し蕎麦だった。

「美味しい」

 僕は東京暮らしが長い。関東風の濃いしょう油味に慣れ親しんだ身には、これは上品で程よい味付けだ。

「これなら側室三号さんにしてもいい?」

「まだその話題続いていたの?」

「嘘だよー」

 早苗が口元を隠して笑った。

 耕平と瑞穂ちゃんは、無言で蕎麦をすすっている。柚子胡椒に手を伸ばすタイミングが完璧にシンクロしていて、僕はちょっと笑ってしまった。やっぱし、兄妹なんだなー。

「また来年もやろうね」

「来年・・・」

 僕は早苗の言葉をなぞった。来年、瑞穂ちゃんを除く僕たちは高校三年生だ。嫌が応にも人生の分岐点に立たされる。進学、あるいは就職か。

 僕は、間違いなく進学するだろう。大学のない多紙町を出て、東京に戻る。家族で戻るのか、僕だけ戻るのか、それは分からない。でも、出て行くことだけは確かなことだ。

 耕平は、早苗はどうだろう?

 そして、美雪は?

 僕と、美雪。

 僕と、しろ様。

 どこにいる?

 何をしている?

 僕たちは、このままで、この場所にいられるだろうか? 問いは、僕の呼吸を止める。

「柾木くん?」

「えっ?」

 我に返る。

「むーって顔、してた」

 早苗が心配そうに、僕の顔を覗き込む。息と息が触れ合う距離だ。

「えっと・・・」

 僕の問いは、ややこしく絡み合った解けないパズルのようなものだ。

「だいじょうぶ」

「えっ?」

「わたしたちは、だいじょうぶ」

 早苗は、迷いなく言い切った。それは、僕の不安を打ち消すのに十分な説得力を持つ。

「わたしたちなら、だいじょうぶ」

「そっか」

 穏やかに告げられる早苗の確信は、未来への希望に満ち満ちて、とても心地良い。それをただの楽観だと否定するのは簡単だ。だけどー――

 僕は、僕に問いかける。一年後、僕たちはこの場所にいるのか?

 来年も、僕たちはここにいる。僕は、そう決めた。それは揺るぎのない決意だ。

 僕は、無言で早苗に頷いた。

「そうだね」

 早苗も満足げに頷いた。

「さぁ、そろそろビールに行くよ!」

 瑞穂ちゃんが勢いよく立ち上がり、そのまま入り口の格子扉を開けると、雪混じりの風が吹き込んできた。

「うひゃう!」

 そして、

「手伝って!」

 瑞穂ちゃんは、手ぶらで帰ってきた。

「どうした」

「雪に埋もれちゃってる」

「何やってんだか」

「いいから早く! ビールが凍っちゃうよ!」

「しかたねーな」

「私も手伝う」

 立ち上がった耕平に、早苗もついていく。

「なら僕も行くよ」

「お前は待ってろ」

「でも」

「お姫様を起こすわけにはいくまいがよ」

 僕の肩への重みは増している。うつらうつらし始めた美雪が、身体を完全に預けていたからだ。

「いってくら」

 三人が出て行った。

「すぅ・・・すぅ・・・」

 部屋に残った音は、鍋の煮える音と、耳元で聞こえる美雪の微かな寝息だけだ。

「まいったな」

 手持ちぶさたな僕は、苦労して片手だけで鍋の残りを小鉢に移してゆく。食べ残しがあると、余計なゴミを持ち帰らないといけないからだ。綺麗に平らげ、鍋の中はダシ汁だけとなった。

「遅いな」

 十五分は過ぎていた。軒先に置いたビールを取りに行ったにしては時間がかかりすぎる。

「美雪」

 ほほを軽く叩く。

「ん・・・、二人目は男の子がいいのか」

「僕は女の子派だよ。そうじゃなくて、起きて」

 ぺちぺち

「どうした」

 ぼうっとした眼差しの美雪。それでも口調がはっきりしているのは、さすがは十和田の女というところだ。

「三人が遅い」

「ゆこう」

 美雪の表情が険しくなる。素早く身を起こした。

 雪国の冬をなめてはいけない。ちょっと庭先に出たつもりが、屋根から落ちてきた雪に埋もれて死亡とか、道を歩いているのに、雪の下でマンホールが外れており、下水に落ちて死亡など、東京じゃ考えられないようなことが簡単に起こる。

 バッ

 勢いよく扉を開くと、温まっていた身体が急激に冷めていく。

「耕平っ!」

「早苗、瑞穂っ! どこか!」

 僕も美雪も、あらん限り声を張り上げる。

 どさっ

 雪の重みに耐えかねた枝が、身震いするように雪のかたまりをふるい落とした。やはり、頭上からの雪に、生き埋めになっているのだろうか? 僕は耳を澄ませる。

「柾木」

 美雪が中腰の姿勢で手招きする。

「これって」

 拝殿に上る階段の裏側で、僕はまばたきをした。

「ビールだな」

 ビール瓶の入った赤いプラスチックケースが二つ、重なって鎮座していた。瑞穂ちゃんは『雪に埋もれてる』と叫んだが、階段が屋根と風よけになって、雪一つかぶっていない。キツネにつままれた気分だ。

「これは?」

 瓶と瓶の間に、スーパーのレジ袋が挟まっていた。僕は引き抜き、中身を確かめる。

 一枚のメモ用紙が入っていた。

「あいつら・・・」

「何が書いてあった?」

 僕は、美雪にメモ用紙を押し付けるように手渡した。

「・・・私たちは、置き去りにされたのか?」

 うなずく気力もなくなっていた。

 胸ポケットからペンライト取り出し、鳥居の方を照らしてみる。真新しい三つの足跡が、下山コースを取っているのが分かった。

「やられたな・・・」

 それしか言葉が浮かばない。

 

 

『何もなかったら、お前は友達じゃない 耕平』

『据え膳って知ってる? 瑞穂』

『紺野ケダモノ柾木だと信じてるよ 早苗』

『財布にアレを仕込んだから使うがいい。穴あけてるけどな! マミちゃん』

『別の意味で娘を鳴かせることを期待します。本来の意味で娘を泣かせた場合、十和田の全権をもってして貴方を生き地獄に落とします。あぁそうそう、ちなみに娘は背中と耳元が弱(以下、裏面まで続く) 十和田真白』

 ぐしゃり

 僕はメモ用紙を握りつぶす。完全にハメられた。耕平たちだけでなく、ご両家の母親までグルだ。

 ボッボッボッボッ

 カセットコンロの火が不安定になりだした。ガスが無くなりつつあるのだろう。その音が耳障りで、僕は火を落とした。

 この炎を飛び越えてって、三島由紀夫の『潮騒』を演じる気もないしね。

「冷えるな」

 火が消えるのを見ながら、美雪がつぶやいた。

 室温だけではない。狭い板間で五人が鍋を囲っていたのだ。それが今や二人だけ。

 頭を抱えたい。逃げ道をほぼ塞がれたも同然だ。

 僕は、美雪を盗み見る。お猪口に一升瓶から直接中身を注いでいるところだった。自然と美雪の振る舞いすべてに視線が吸い付く。

 僕と美雪だけがいる。バリケードとしていた障害は、すべて耕平たちによって取り除かれてしまった。

 この状況では、あの不条理なまでの性欲が湧き上がるのは必死だ。その時、僕は獣のように美雪を抱くだろう。

 抱くという『結果』も『行為』もいい。それらはすべて僕のものだ。

 だが、僕の『意思』はどこにある?

 僕の理性を簡単に吹き飛ばし、内なるところから、ドス黒い何かに身体を支配される感覚。

 僕は美雪を愛しかけている。いや、もはや愛しているのかもしれない。

 だから、だからこそ―――

 僕は・・・、嫌だ。

 

 

 バンッ ガガガッ

 思考の迷宮を打ち破る大音響。同時に、

 ゴォォォォォ

 強烈な突風が吹き込んできた。

「なっ!」

「扉がっ!」

 格子に張っていたサランラップが宙を舞う。それだけじゃない、格子そのものが吹き飛び、へし折れた。

「吹雪かっ!」

「こんなのは見たことがない」

 山の天気は変わりやすいと言うが、横殴りの吹雪で、視界は限りなくゼロに近い。美雪が顔を蒼白くして驚くほどだ。

「まずは扉だ! 直すぞ!」

 吹き飛んだ格子を持ち上げるが、蝶番がひん曲がり、角材も折れてしまい、すでに使い物にならない状態だ。

「ちっ!」

 僕は格子をうち捨てた。

 とっさに部屋の中を見渡し、扉代わりになるものを探す。しかし、神社という建物は、もとより装飾品を極端に排除したものである。

 その中でも、とりわけこの多紙神社は何もない。

 ゴォォォォ

 待ったなしで雪が吹き込んでくる。これでは雪山で遭難しているのと換わらない。生命の危機だ。

 何がある?

 何が出来る?

 危機的な状況に、僕の思考は高速で回転する。

 ドクンッ、ドクンッ

 血流が、疾風のごとく体内を駆け巡る。薄っすらと眼光が赤く光りだす。

「そうか!」

 僕は外に飛び出した。

「美雪っ! 手伝え!」

「えっ! 何を?」

「雪だ! 雪しかないんだ!」

 僕は、開け放たれた扉の部分に雪を盛りながら叫んだ。

「だったら、雪で雪から身を護るしかないだろ!」

 

 

 二十分後、入り口を雪壁で塞いだ僕らは、肩を寄せ合って寒さをしのいでいた。

「ビニールハウスから『かまくら』にクラスチェンジだね」

「レベルが上がったわけではないのだな」

 美雪は、小さく笑うと寒さから身震いをした。土鍋の下に敷いていた断熱マットを引き剥がし、毛布代わりにしているが、防寒用具としては貧相なことこの上ない。

「失敗したな。毛布の一つでも持ってくるんだった」

「宵越しの酒宴だ。誰もが酔いつぶれるつもりはなかった。仕方あるまい」

 そう。酒に弱い僕ですら、そう思っていたのだ。毛布一枚荷物が増えるなら、ビールでもカニでもいい。酒や食材を積み込んだ。実際、去年まではそれで十分だった。

「この冬一番の寒波を甘く見たな」

「フッフッ。だが、おかげで私は、君のぬくもりを感じることが出来る」

 そう言うと美雪は、僕の腕に一層しなだれてきた。嬉しそうなセリフとは裏腹に、美雪の唇は青みを増していた。

「早苗たちは無事だろうか・・・」

「大丈夫、耕平が付いている」

「そうか、そうだな」

 生徒会を私物化して生徒会長を解任されてしまい、あまつさえ一年生の妹にその地位を奪われてしまうような男だが、不思議とこういう時には絶対の信頼感がある。

「寒い・・・」

 美雪がか細い声を漏らす。カシミヤの和服コートに、首にはストールを巻いているとはいえ、そもそも和服は寒さに弱い衣装だ。

「美雪、足を出して」

「んっ?」

「これを足に巻くんだよ」

 僕は、傍らに落ちていたサランラップの箱を持ち上げた。カラコロっと、軽い音がした。格子に貼り付けるのに使った後だ。残量は心もとない。

 素直に出された両足に、それぞれ地下足袋の上からサランラップを巻いていく。

「本当は、素肌の上から巻きつけた方がいいらしいんだけどね。地下足袋を脱いで失われる体温がもったいない」

「柾木が優しい・・・」

「僕はいつだって、ジェントルマンで、フェミニストだよ」

「ふふっ・・・」

 美雪が笑うが、あまりにも力のない笑い声だ。

「眠らないで」

「私は眠いんだ」

 ぺちぺちと、美雪の頬を強めに叩く。その頬は、手のひらと同じぐらい冷え切っていた。危険な水準だ。

「今、暖めるから」

 ガスコンロの燃料は、あとわずか。それ単体では暖を取ることは出来ないだろう。だが、種火にすることは出来る。

「ビニールはまずいよな・・・」

 食材をくるんでいた包装紙や紙袋などをかき寄せる。少しでも燃えそうな物には、全て手を伸ばした。だが、哀しいまでにその数は少ない。

 出来るなら床板を剥がして焚き火にしたいところだが、頑丈すぎて素手でどうにかなりそうもなかった。

「ちくしょう」

 時間だけが過ぎていく。

 そのたびに、僕たちの生存確率と選択肢は確実に失われていく。

「何を探している」

「紙を」

「どうして」

「燃やす」

 切れ切れの、単語だけの会話。

 美雪だけじゃない、僕も同じく消耗している。頭の中が、少しずつ霞がかっていく。

「紙・・・。そうか」

「美雪?」

「紙ならある」

 美雪は体を傾け、床の上から何かたぐり寄せた。

「早苗がくれたんだ」

 書店の紙袋だ。

「恨まれるかもしれないが、燃やしてしまおう」

「貸して」

 僕はセロファンテープをはがし、中身を取り出そうとし、半分ぐらい出したところで手を止めた。

 そして、そのまま本を紙袋に入れなおす。

「・・・」

「柾木?」

「紙袋に入れたまま燃やそう」

「待て」

 ガシッ

 どこにそんな体力が残っていたのか、美雪が僕の腕をつかむ。

「なな、何をするのですかな、お嬢さん」

「うむ。中身を確認しようとだな」

「本は本ではありませんか」

「だが命と引き換えても構わないような稀少本の可能性もある」

「いえいえ、普通の雑誌が二冊でありますよ」

 なぜか言葉がおかしくなっていく僕。NHKのキャスター上がりの大臣が、国会で小学生の作文のような原稿を読み上げる感じだ。

「君がそのような口調になるときは、私にとって都合のいいことが起きている証左だ。なんなら、ずっと私のターンでいいぞ」

 やめて、死んでしまう。

「えいっ」

 美雪が小さく手首をひねると、あっけなく僕の手から紙袋が落ちた。合気道で言うところの『転換』という技だ。

 バサバサっと、紙袋の中身が床に広がる。

 そこには着物姿の少女がいっぱいで・・・

「ああああああぁぁぁぁ」

 僕の秘蔵のアイテム『着物を脱がさないで』がここにあった。いや、それだけではなく、耕平の部屋で見た、美雪に似ている少女が裸エプロン姿の裏本まである。

 記憶がよみがえる。どうして早苗と瑞穂ちゃんは、僕の家にわざわざやって来たのか。大した理由ではなかったはずだ。

 そして、あっさりと帰っていったのはなぜか。すでに目的を達していたからではないか。

 本を持っていることは、耕平が知っている。裸エプロンの裏本が紛れている時点で、共犯は確定だろう。

 隠し場所は・・・。母よ、知っていたのか。裏庭の物置のさらに奥に隠していたのに・・・

「ふむ」

 気がつけば、美雪が本を拾い上げてページをめくっている。

「あの、そのですね、美雪さん」

「コレコレコレコレコレ、コレッ!」

 ぱしぱしぱしぱしぱしぱしぱしと、美雪は手の甲で何度も紙面を叩く。

「これはダメだ。とにかくこれは許せない!」

 僕は、何百回と読んだページを覗き込む。

ページには、脱ぎ捨てられた着物が広がり、その上で少女が仰向けに寝そべっている。

「私というものがありながら、こんなもので自慰行為をしていたのか」

 美雪に似ているからとは、口がさけても言えない。言えば状況に流される。流されれば、また理不尽な根源的な何かに支配される。

「私は君を想い、毎夜毎夜身体を火照らせているのだぞ。それなの柾木はこんなもので満足している」

「毎夜毎夜?」

「やっ、そんなにではないぞ」

 ぱたぱたと、美雪が顔を赤らめながら、両手を振って否定する。

「そこまでは、はしたなくない。うむ。私は柾木好みの清純な淑女だ。ふ、二日に一回とか・・・」

「二日に一回?」

「や、三日に一回・・・」

「ホントは?」

「七日に六回ぐらい・・・」

 それは、ほぼ毎日というのでは・・・

「ともかく、こんな写真に負けたなど屈辱だ」

 両手で紙面を広げ、僕の鼻先に突きつける。何度も使用したベストショットだ。

「リベンジだ」

 美雪が白狐のストールを外し、カシミアの和服コートを脱ぎ捨てた。

「美雪、何を!」

「この女たちと私。どちらが君に必要か分からせねばなるまい」

「いやいや、俺たち凍え死にしそうなんだよ。そんなことしている場合じゃないってば!」

「人肌は温かいと聞く」

「だから、時と場所をですね」

「吹雪でどこにも逃げられない。邪魔も入らない。聞き耳を立てる者もいない。今がその時だ」

「は、ほら、僕ってシチュエーションとか気にする方だし。 ね?」

「しちゅ、何だ? 横文字なぞ分からないぞ」

「さっき、リベンジって言ってた!」

「うるさい。今、君は私に奪われるのだ。確定事項で、最優先事項だ」

「そんな! もっと雰囲気とか気にしましょうよね、ねぇ!」

「すぐに良くなる。たぶん、きっと」

「非断定形じゃないですか!」

「もう君の分別など意味をなさない。ほら」

 僕の手を握ると、腰元に導く。

「帯留めだ。これをほどけば、あとは簡単に脱げる」

「だから―――」

 言いながらも、手を振りほどけない僕がいる。

「―――寒いんだ。柾木」

 美雪がしだれるように覆いかぶさってくる。

 僕は仰向けでそれを受け止めた。いや、押し倒された。

 長い黒髪が僕を取り囲むように垂れて、遮られた視界は、美雪の色白な顔だけとなる。まるで、映画のスクリーンに映し出された、主演女優のアップを見ているようだ。

「温かいだけでは足りない・・・」

 この状況から逃げ出す手立ては、とうに失われている。とっくの昔に、僕は美雪の支配下にある。

 そして・・・、かすかに指を動かせば、それだけで美雪を裸にすることが出来てしまう。

「あぁ・・・」

 僕の意志が解けていく。折れるのではなく、何かと混じりあう様に。

 美雪を裸にする。いや、裸にむく。僕の意志が新しい形を持ち始める。瞳が、呼応して赤みを帯び始める。

「柾木、熱くして」

 美雪の瞳も、いつのまにか薄っすらと赤みを帯びて、陽炎のように怪しく揺れ動く。

 覆いかぶさる美雪を強く引き寄せようと、僕は両の腕を突き上げた。

 歌舞伎の見得のように、一瞬、時が止まる。

 にやりと笑みを浮かべ、抱きしめようとした、その時―――

 ガクンッ

 美雪が崩れ落ちた。

「えっ?」

 力ない動き。

 僕は美雪を抱きかかえ、身体を起こした。

 美雪が動かない?

 美雪が動かない―――

「どうして・・・」

 抱き合っていないと聞き取れないほど、か細い声を美雪が漏らす。

「くやしい・・・」

 すでに美雪は、自力で身体を支えられない。

「ここまできているのに、柾木がいるのに、体が動かないなんて」

 美雪はいつもそうだ。人に弱みを見せない。限界まで隠し通す。ここまで消耗しきっていると、僕に感ずられることを嫌った。

 だから僕は、あえて真逆の言葉をかける。

「そうだ、情けないぞ」

 美雪がかすかに口元を吊り上げた。意識を失えば、それは永遠の眠りとなる確信があった。

 僕はとにかく言葉をかけなくてはいけない。言葉を捜し、美雪の反骨心に訴えて・・・

 だが、美雪の瞳から生気が加速度的に失われていく。唇も色をなくし、体温も下がる一方だ。

 僕に何が出来る・・・

 僕は何をすればいい・・・

 僕に、

 僕は、

 僕が・・・

 思考が高速で回転し、あらゆる行動が試みられる。だが、結果はすべて同じだ。たった一つの手を除いて。

 それは、たったひとつのくせに、冴えたやり方ではない。そう、もうそれしかないんだ。

「ここを出よう」

「柾木・・・」

 美雪は、眼だけを僕に向ける。その瞳には、強い非難の色が見て取れる。

 あぁ、なんて聡明なんだ。美雪は僕の一言ですべてを察っしたようだ。

 だが、その非難をよそに、僕は後ろを振り向く。

「だめだ」

 残された全ての力をつぎ込んで、美雪が僕にしがみつく。

 僕は美雪の頭を優しく一なでし、さらに微笑むことで、美雪の抵抗を封じ込めた。

 そして、慇懃に言葉をつむぎだす。

「しろ様、おいでください」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。