僕らのメッセージ
ゆらゆらと、ゆらゆらと。
僕の体が、水にただよう浮き草のように揺れている。
『あぁ、これがうわさに聞く三途の川か・・・』
そんなに信仰心の厚い方じゃないけど、はじめに浮かんだのは、三途の川の渡し船に横たわっているイメージ。なぜか衣服は剥ぎとられ、ワラで編んだ小汚いむしろを被せられている。
そのくせ、ぼーっとする頭の片隅で、『そういえば深夜のラジオ番組、オールナイトニッポンで稲川淳二ってパーソナリティーがやった怪談はめっちゃ怖かったな』と、妙に現実的な自分もいる。
自由の利かない体で、首だけ横に向ける。
「美雪・・・」
涼やかな顔の彼女がいた。まだ意識がないままなのだろう、人形のような端正な顔がより一層と白い。
僕と同じように、素っ裸の上に小汚いむしろが被せられているが、わずかに上下しているのが見えて、僕は安堵した。。
「二人一緒なら、落ちるのも悪くない・・・」
なぜか僕はうれしくなり、微笑もうとした。だけど、さっきから目の前が赤く点滅し続けて、いしきがどんどんと薄れていく。そして、そのまま意識が途絶えた。
「でも、これでよかったんだ・・・」
『これでよかったのか?』
巨大な白狼が、かたわらに立つワシに問うた。
眼下では、赤いライトを回転させ、救急車が走り去っていく。
『助けないのではなかったのか?』
巨大な白狼、シロウが問いを繰り返す。
「今だけじゃ」
『ずいぶんと弱腰ではないか』
フンッ
ワシは鼻息で否定すると、シロウにまたがる。シロウが短く吠え、多紙神社に踵を返した。
「今度って・・・」
『なんだって?』
「また今度って、あやつは言ったのだ」
『手ごろな女をつなぎ止めておくための方便ではないか?』
「あやつはそんな器用な男ではあるまいよ」
『たしかにな、あれはバカだ』
クックックッ
雪中を駆けながら、シロウが器用に笑った。
『だが、あいつは複雑であったり単純だったり、理解できない男でもある』
「であろうな」
ワシは肯定する。
初めて会ったあの『告白』から、多紙神社での『別れ』まで、柾木との思い出が走馬灯のように脳裏によぎった。
『なぁ、神様よ』
「なんじゃ? 言うがよい」
『完敗であったな』
「言うでない」
十和田美雪の眼光は、柾木に口づけをしながらも、ワシを射抜いていた。
ワシは、神の力を使って対抗すべきであった。けれど、出来なかった。
あの時、あの瞬間だけ、ワシは美雪に制圧されていたのだ。
その結果、ワシは柾木を失い、美雪は永続的な王権を手に入れた。
十和田美雪。さすがはワシの子孫である。
「柾木なぞ、くれてやるわ」
『泣いているのか?』
「泣いてなぞ、おらんわ」
ワレは、両目からしたたり落ちる涙をぬぐう。顔はとうに泣き崩れ、鼻がしらも赤い。
『未練がましく男を助けたヤツにしては、良い強がりだ』
「フンッ。言わせておいてやる」
『ハハハッ』
「だが、このままでは終わらんよ」
『どうするのだ?』
「待つのさ」
『そうだな。俺たちには、時間だけはいくらでもある』
「それにな、両家の血が交われば、楽しみも増えるというものじゃ」
『いいのか、それで?』
「あぁ」
その返事に、ポツリつと付け加えた。
「ワシは神じゃからの」
「くちゅん」
僕は眼を覚ました。
真っ白い天井に、真っ白な壁。
味気ない部屋に、かすかなアルコール臭。
「動かないで」
真上から白衣の女性がのぞきこみ、有無を言わせず両目をこじ開けると、ペンライトで瞳孔の動きを確認する。
まぎれもなく、ここは病院だ。眩しすぎるペンライトの光に当てられ、僕の意識は急速に覚醒していく。
「君の名前は?」
「紺野柾木」
「今、自分はどこにいると思う?」
「病院のベッドに寝かされています」
「リスペクトアダルトグッズは?」
「『着物を脱がさないで』」
「意識は正常。ただし、性癖に心理的抑圧を観察」
「や、ブルマと体操服も好きです」
「訂正、性癖に『若干の』心理的抑圧を観測、と」
少し評価を上方修正してくれたみたいだ。恐るべし、ブルマと体操服。
「生きているんですね?」
「死にそうなほど衰弱していたがね」
「美雪・・・、僕と一緒にいた女の子は?」
「十和田のお姫様なら、君より軽症だよ。そして、ここよりも豪華な病室でお休み中だ」
「良かった」
僕は安堵した。
美雪が無事だったことと、ここが十和田の力が及ぶ現実の世界だってことに。どうやら死後の世界ではないらしい。
僕は現実的でないものを好む。だけど、大霊界を訪問するのはまだ先でいい。
「今日は何日ですか?」
「一月三日の午前十時だ」
「ということは、僕は三日三晩寝ていたと?」
「そうなるな」
「ふぅ・・・」
僕は嘆息した。
「だが、そのおかげで体調は良かろう?」
「はい」
「念のため精密検査はするが・・・」
女医先生が、言葉を区切ると病室の扉を見やった。
扉の向こうに、複数の人の気配がする。
僕は苦笑した。
「どうぞ」
バンッ
待ちわびたとばかりに、勢いよく扉が開く。
「すまなんだー!」
「すまなんだー!」
「すまなんだー!」
ドザザザザザー
三人が、両手を上にしたまま頭から床に突っ込んできた。言わずもがな、耕平と瑞穂ちゃんと早苗だ。
「な、何をしているので?」
「五体投地だよー」
「こうでもしないと許してくれないって、お兄ちゃんが」
「俺たちの誠意だがな」
「最高の礼法なんだよー」
早苗が涙をたたえて訴える。
「まだ上様はお怒りだぞ! 総員、構え!」
「「いえっさー!」」
三人がまた両手を上に構える。
「クスッ」
女医先生が「検査は午後からね」と言い残し、病室を去って行った。
「すまなんだー!」
「すまなんだー!」
「すまなんだー!」
実に大人な対応を見せる女医先生の後ろ姿と、三人を交互に見比べる。
「怒る気力もなくなったよ」
「皆のもの、お許しが出たぞー!」
「「ははっー」」
「もういいから」
苦笑して、三人を制止する。
「やー、とにかく無事でほっとした」
「はじめからそう言えばいいのに」
「でもー、一歩間違ってたら、わたしたちずっと後悔することになってた思うし、耕平のやりすぎを許してほしいの」
「まぁね。死にそうになったのは事実だし」
だけど、僕は別に怒ってなどいない。
「でも、柾木さんってば、どうして神社で助けを待ってなかったの? あたしたち、絶対救助を待っていると思ってたのに」
「いろいろあってね」
僕の言葉に、真意を読み取ることが出来るのは誰もいないはずだ。
置き去りに絶望し、秘蔵のエロ本がさらされ絶望し、美雪が迫ってきて、しろの望みを受け入れようとして、美雪が僕に―――
「柾木さん、顔」
「へっ?」
追憶から我に返ると瑞穂ちゃんがコンパクトを差し出していた。そして、その小さな鏡に映るのは、なんともしまりのない僕の顔だった。
「うわぉ」
「ほほぅ。マイフレンド。ずいぶんと嬉しそうななお顔じゃ、あ~りませんか」
「ありゃりゃ、柾木さん、ぶっちゃけ、昨日はお楽しみでしたね~」
耕平と瑞穂ちゃんがチャーリー浜のマネをしながら、にやにやと笑みを浮かべていた。まったくもって、似たもの兄妹だ。
「あー痛かったなー、寒かったなー、あとちょっとで死にそうだったなー、誰のせいだったかなー、のど元まで名前が出てきそうなんだがなー」
「あわわ、ごめんなさーい」
「すまん、調子に乗りすぎた!」
うん。当分このネタで引っぱれそうだ。
「ところで、美雪には会った?」
「いんにゃ。家族以外は面会謝絶ってことになってる」
「でも、意識は戻ってて、検査も問題なかったって真白おばさんが言ってた」
女医先生も、僕より軽症だと言っていた。
「じゃあ、行ってくるよ」
病室は、VIP室だろう。だいたいの場所は分かる。
「なら、俺たちも・・・って、瑞穂?」
「柾木さんは、一人で会うの」
耕平の袖を引っ張って、瑞穂ちゃんが止めてくれた。
「そうだよ、耕平。順番ってあると思うよ」
「早苗の言うとおりだな」
耕平はうなずくと、ベッドの脇の丸イスに腰を下ろした。
「俺たち、ここで待ってるでぇよ」
「面会の許可が出たら呼びに戻るよ」
僕は病室に備え付けられているスリッパを履くと、ベッドから立ち上がった。
「それはそうと」
「なんだ?」
「や、さっきから早苗と耕平がファーストネームで呼び合ってるのが気になってね」
「おっ!」
「はうっ!」
耕平と早苗の顔が、スイッチが入ったように赤くなる。
「なんだ、それは、まぁ、なんというかだな」
「はうー! はうー! はわわー!」
「さてさて、大人の階段を先に上ったのはどっちなんだか」
喜ばしいことだよ、わが友よ。とりあえずシスコン卒業おめでとう。
「さて、僕も負けてられないな」
「グッドラック」
「何に対しての幸運なのかわからないけど・・・、まぁ、いいや。行ってくる」
僕は病室を出た。
多紙町で数少ない鉄筋コンクリートの高層建築物(と言っても4階建だけど)である多紙病院。その最上階、静謐な通路を奥に奥にと進む。
美雪の個室はVIP室だろうと見当をつけていたのだが、やはり正しかったようだ。病室前の長椅子に、意外な組み合わせの人物たちが陣取っていた。
「母さん、それに真白さん」
「あー、マーくん目を覚ましたんだ。まみちゃん超絶心配したんだぞー。それはもう、夜はぐっすり眠れる程度になー」
なんとも母さんらしくて、逆説的に生きていると実感する。
「ベッドの使い心地はいかが?」
「家の硬いマットレスの方が落ち着きます」
「用意させましょうか?」
「いえ、それには及びません」
このひとは、冗談を真に受けかねない。
「ところで・・・、あの病室の入院費のことなんですが」
「おぉっと、その点なら心配いらねぃってもんよ! このまみちゃん様が、百年分の入院費をマッシーからせしめてやんよ!」
二人の座る場所には一人分の空間が開けており、そこには花札が散らばっていた。
ダメな大人たちである。
「と、言っておりますが、すでにむこう一年分の借金が出来ておりますのよ」
「か、貸しにしといて! まみちゃん、すぐに勝って倍返し、いや十倍返しにするから!」
表情の分かりやすい母さんは、絶好のカモだろう。実際、、母さんは父以外からババ抜きで勝ったことが無い。父の無限の愛を感じるエピソードの一つだ。
「はぁ・・・。すぐには無理ですが、バイトしてでもお返しします」
「その必要はありません」
「でも」
「もとより妹からお金を取るつもりはありませんよ。そんなことを言ったら、幼少のころからの累計金額は天文学的な数字になります」
「えっ?」
「それに、美雪を助けてくれた命の恩人から、どうしてお金が取れますか? 子供がそんなことを気にするのは、大人として気分がよくありませんよ」
「は、はい。ありがとうございます・・・。じゃなくて、えっ、えっ、えぇ?」
「どうしました?」
聞き間違いじゃないよな?
もの凄くおかしなこと言いいましたよね?
「今、妹って・・・」
「戸籍上の話です」
「たしかに母さんは多紙町の出身だと言っていたけど、真白さんの妹って・・・?」
「ん? もしかして知らないのですか?」
「な、何をです?」
もはや問いただすのが恐ろしい。嫌な予感しかしない。
「あぁ、なるほど、それで合点がいきました」
真白がうなずいた。
それに対し、母さんは、なにかタイミングを計るようにうずうずしている。
「しろ様が四十年ほど前に子供を産んだのは知っていますね?」
「ま、まさか・・・」
「正確には三十八年前のことです」
「いえいえ、もういいです。もうそれ以上は遠慮します」
「真美は、しろ様の子供です」
「そう! まみちゃんは半分神様なのだぁ!」
えっへん。と、母さんが大きく胸をそらして威張って見せる。
低い身長はともかく、無駄に大きな胸はしろにも、その子孫である十和田の女性たちにもないものだ。さらに、しろや十和田の女性たちが持っている神々しい雰囲気も母さんにはない。
共通点と言えば、実年齢を感じさせない若さと精神力ぐらいだ。
「しろ様の子供たちは、成人すると皆、この多紙の土地から離れていきます。最初の子供、私たち十和田を除けば。だけど、真美は帰ってきた。おそらく、初めて帰ってきた子供です」
「だってぇ、タッくんがお仕事だって言うんだもん。なんか、帰ってきちゃダメ? みたいな気分もあったけど、タッくんのためだもん」
父よ、あなたは愛されてます。少々普通と違いますが。
「そして、十和田が女系であることも知っていますね?」
「はい」
「ですが、それは十和田の家だけではありません。しろ様の子孫は3代までみな女性なのです」
「つまり、僕が初めての男の子孫だと」
「やはり頭の回転はいいようですね」
くらくらする話だ。
「しろの奴は、自分の孫に懸想したあげく、肉体関係を求めていたのか・・・」
「古今東西、神様は、近親婚がお好きですからね」
さらに真白は付け加えた。
「それだけ、しろ様にとって、あなたは特別なのです」
「特別だったのは母さんで、僕はその結果でしかありませんよ、たぶん」
「それでも―――」
「いえ、ここからは、僕と美雪で決めさせてください」
僕は、病室のドアノブに手をかける。
「マーくん」
母さんの声に、僕は振り返った。
「帰ったら、マーくんが大好物のまみちゃんハンバーグを作ってあげるかんね!」
「ありがと」
母さんの最大限の声援を背に、僕は扉を開け、病室に一歩を踏み出した。
「さわがしいな」
「聞こえていたかい?」
「あぁ、全てだ」
「そうか、全てか・・・」
ベッドの上で、美雪が苦笑いしている。
「よもや、きみに生きて出会えるとは思わなかった」
「そうだね」
「それも、しろ様に助けられるとは」
「僕も助からないと思ってたよ」
「ウソだな」
「うん」
さすが、美雪は僕のことを分かっている。
だから僕は素直に肯定した。
僕は『また今度』としろに言った。きっと美雪は、その時は理解できなかったはずだ。
だけど、このベッドの上で、ずっとその言葉を反芻し続けて、答えにたどり着いた。
それは、明確な答えだ。僕が何となく描いていた答えよりも、よりシャープな輪郭を持った答えだ。
「きみは、本当に残酷な男だ」
「美雪ほどじゃないよ」
「なぜ、そう思う? きみは一人の女の愛を弄んだのだぞ? しろ様に未練を持たせ、それを利用したのだ」
「そうだね。たぶんこうなるだろうと、おぼろげに考えたのは事実だよ」
僕は言葉を区切って、もったいぶってみる。
「でも、やっぱり美雪ほどじゃない」
「言い切るね」
「僕は美雪を選んだ。あの暖かい社を捨て、雪山に飛び出した」
それは三島由紀夫の潮騒だ。僕は『その火を飛び越した』のだ。
そうさせたのは美雪で、それを選んだのは僕だ。それは、とてもとても残酷な話だ。
「うん。わたしは果報者だ。柾木はわたしを選んだ。わたしは柾木を手に入れた。もう手放すことはない」
「それは僕もだよ」
「そうであったな」
美雪がベッドから上半身を起こした。それに合わせて、僕はベッドの端に腰を下ろす。
「世間では、そういうのを相思相愛っていうらしいね」
「ラブラブだな」
僕は手を伸ばして、美雪の髪をすく。指の隙間を流れる黒髪は、シルクのように柔らかい。
美雪が、僕の手に自分の手を添え、自らのほほにいざなった。
まっすぐに、見つめ合う。二人の瞳がうっすらと赤みを帯びる。だが、今までのような自意識をつぶし、暴力的で強制的に交じり合おうとするものではない。
「美雪・・・」
「うん・・・」
きっとあれは、二人に流れる『しろ様の血』が引きあったのだろう。いや、二つの分け御霊が、もとの一つに戻ろうとしていたのかもしれない。どちらにせよ、人知の及ばない超常の力だ。
「不思議だったんだ」
「僕もだ」
「なんども考えを巡らせた」
「そうだね」
「でも、どうして君を好きになったのか、この狂おしい胸の内が分からなかった」
「それが、神様の血族が理由だなんてね」
「柾木は不満なのか?」
「いや、もうそういうことは気にしていないよ」
「ふふっ、わたしも同じだ」
そう、今の僕には関係ない。
もはや、それはきっかけに過ぎない。
僕は、僕の意思で美雪を引き寄せる。
神ならざる僕が、神の力を圧倒する。
美雪も同じだと言ってくれた。
十和田の血なんか関係ない。
美雪には僕が必要で、僕には美雪が必要だ。
二人の意思が、二人を繋ぐ。
そこには何物の介入も許されない。
僕と美雪の唇が、重なり合う。
僕が、
わたしが、
君を求めている。
きっとそれが、愛というものなんだ。