新訳 収穫の十二月 [完結]   作:井上そんこう

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2 漂流

 サクッ サクッ

 足下の一転を見つめながら、僕は歩き続ける。

 分厚く積もった雪には、踏み固められた足跡がそのままの形で残る。雪が汚れないまま白く残るなんて、東京では考えられないことだ。

「夜は少し吹雪くだろうな」

 すぐ横で、耕平が上を向く。頭上は、灰色に煙った風で濁っていた。

「・・・・」

 それっきり、僕らは黙った。二人の足音だけが時を刻む。

 放課後になると同時に、

「女の子同士のお話がありますからっ!」

 疾風のように現れた瑞穂ちゃんが、美雪と早苗を引っ張って行ってしまった。

 まぁ、分からんでもないね。僕もその方が助かる。考える時間が欲しかったからだ。

 サクッ サクッ

 無言で歩きながら、僕は考えを再開した。五時限目の授業中もずっと考えていたが、美雪の出した難問に答えが出ない。

 そう、これはまさしく難問だ。

 考え、予想し、想像する。最善の解を得ようと思い描く。だが、しかし・・・

「決められない」

 結局、思考を放棄した。

「何を悩んでいたんだ?」

 この場で悩むことなんて、一つしかないだろうに、耕平はあえて問うてきた。

「キャベツ畑人形」

「はっ?」

「キャベツ畑人形と、コウノトリさんのどっちで説明したら、美雪さんは納得してくれると思いますでしょうか?」

 やることは一つ。どうやって美雪の追及をかわすかだけである。

「どうして俺に敬語かね」

「かわいそうなモノを見る眼で見るなよ」

「どっちかと言えば、頭のかわいそうな方だがな」

「他にたとえが思いつかないんだ」

「あのなぁ」

 耕平は、立ち止まり、ポケットから両手を出すと、僕の肩を強く掴んだ。耕平の上着は、米軍払い下げのフライトジャケット。氷点下15℃まで対応というインターミディエット仕様のG1タイプだ。

 対する僕は、バーバリーのトレンチコート。ツイードのシンプルなやつだ。マフラーもバーバリーで、ちょっと都会的なコーディネート。

「美雪は、『医学的なことは知っている』と言ったろうが。十和田の箱入りお嬢様は、世間知らずかもしれんが、馬鹿じゃないでよ」

 耕平といい、早苗といい、美雪をよく理解している。僕には知らないことばかりだ。それなのに、僕は理解しようともしていない。

「もういいだろうよ。分かってんだろ?」

 バンッバンッと、両手で僕の肩を叩く。

「美雪が必要としてるのは、座学じゃなくて実技なんよ! もういいじゃん、ズビっとキメちゃえば! バッコン、バッコンやっちゃえよ!」

 ビシッと僕を指差し、嬉しそうに吼えた。そのポーズは、教室での瑞穂ちゃんとそっくりだ。血は争えないね。まったく。

「相談するんじゃなかった」

「なんだよ、俺に体験談を告白しろよ」

「煽るなよ。こっちは真剣なんだ」

「真面目に考えて、キャベツ畑人形だかよ」

「ふんっ」

 僕はむくれて、足早に距離を引き離す。今日はもう、布団を被って眠ってしまいたかった。

 高校生で父親なんて、とんでもない。

 それに僕は、美雪を・・・

 そう、美雪のことを・・・

 

 

「待った」

 強い口調で、耕平が呼び止めた。いぶかしげに振り向く。少し嫌な予感。

 耕平は、道端の古ぼけた社に視線を送った。腰の高さまでしかなく、半分雪に埋まった、今にも崩れ落ちそうな小さな社だ。

「だったら、神様に相談しようぜ」

「いやだ」

 僕は反射的に首を振ると、歩みを再開した。

 しかし、

「柾木っ!」

 時はすでに遅かった。

 僕を呼ぶ声と同時に、狼の吼える声が木霊する。

 社の観音開きが、吹き飛ぶ勢いで開く。刹那、淡い光と共に、何かが飛び出した。

 一直線に向かってくる速度は、僕の思考速度をはるかに超えている。避ける時間なんてありゃしない。

「げぶっ!」

 僕の体は盛大に吹っ飛んだ。アイ・キャン・フライってやつだ。

「愛ゆえの激しさかね」

 耕平の発言は、実にいい加減で、他人事だった。

 ドスッ ゴロゴロゴロッ ドン!

 吹っ飛ばされて、転がって、街路樹に背を打ち付けて止まった。

「う、くっ・・・」

 頭がくらくらする。

「まったくもって、軟弱よのぉ」

 僕の胸に抱きついた何かが、不満げに言葉を漏らした。

ブレていた視野が定まっていき、僕の胸に抱きつく『しろ様』を確認した。

「それでも貴様、ワシの夫を名乗るつもりかえ」

「東京人はひ弱なんですよ。それに、体当たりは止めてくれって、頼んだはずでしょ・・・」

「人間なんぞとの約束など、いちいち覚えておられるか。そもそも、人間風情の柾木が、神であるワシの胸をたかぶらせたことが罪だと知れ」

 現実的でないものを僕は好む。

 しろ様は、社と社をつないで自由に行き来することが出来る。まさに神出鬼没だ。

 だが、それさえも、僕はすでに受け入れていた。量子力学的になら、いずれ説明できるだろうとね。

 だが、今すぐに説明を受けたくない事例である。今はまだ、謎のままでいい。

 それが、僕の現実的ではないものだ。

 がふっ

 狼の唸り声が真横からすると、しろ様は僕の胸から立ち上がった。そのまま、傍らに寄った巨大な白狼にまたがる。

「さぁ、立つがよい。貴様の学友も胸を痛めておるではないか」

「しろ様・・・」

 抗議の声を上げようとしたが、途中で止めざるをえなかった。

 僕に注がれたしろ様の視線は、畏怖を押し付けることに慣れた、ひどく一方的で、暴力を内包するものだったからだ。

「どうせ、この学友の家に留まるのであろう? いざ行かん。さぁ、早よう乗れ」

「しろ様、俺は?」

「供をせいっ」

 耕平は、白狼に乗りたがるそぶりを見せたが、当然のごとく拒絶された。

「せめて、名前で呼んで欲しい」

 仕方なさそうに、耕平は白狼の横に並んだ。

「しっかし、この男にもまいったもんだ」

「がう」

 耕平と白狼は、目配せをすると頷いた。

「俺たちを守る神様のお相手なんだぞ」

「がふがふ」

 白狼が、すまなそうに首を振る。

 べろり。白狼は僕の頬を舐めて、騎乗を促した。

『まったくもって、すまないとしか言いようがない。我が主も悪気はないのだ。我には、平に謝るよりすべがない』

 白狼の言葉が、僕の中に伝わる。

「いいってことさ、シロウ。君が謝ることではないさ」

 僕は、神の使いである白狼、シロウの頭を撫でると立ち上がった。シロウは頭を撫でられ、眼を細める。

「早よう、早よう。学友よ、貢物は用意してあるであろうな?」

「はいはい」

 僕と耕平は、それぞれ答える。僕はそのまま、シロウに跨った。

 巨大な白狼といえど、タンデムするにはやや物足りない。僕はしろ様を抱くように密着し、席を確保した。

 しろ様の温もりが、体に伝わる。それは、とても女性的な温かさだ。やばい。この温もりは、とてもやばい。美雪に子作りをせがまれた直後でもあり、体が反応しそうになる。

「なんじゃ。今日の柾木は、やさしいの。なんぞあったか?」

 ニヒヒッ

 しろ様が意地悪げに笑ったが、僕は肩をすくませ、おどけて見せた。

 だが―――

 逃げ切れないだろうなー。

 

 

「―――しろ様が、すべての元凶に決まってんのっ!」

 ちょっと先行する瑞穂が振り返り、大きく腕を振り回す。自身の遠心力でよろける姿は、愛嬌があって好ましい。

 瑞穂に、早苗と私を加えた三人が、いつもの通学路とは違う道を歩いている。

 はたから見れば、不思議な取り合わせだ。

 元気ハツラツ、小さな体にオーバーアクションの瑞穂。ピンクのウールシャギーのポンチョコートが、ちょっと都会っぽくて可愛らしい。

 そんな瑞穂を、私の横で楽しげに見るのが早苗。高い身長に、眠そうな糸目。ゆっくりとした口調だが、なかなか鋭いし、ちょっぴり毒舌だ。服装は、セーラー服もPコートも、全部学校指定のもの。野暮ったいはずなのに、そう見えないのは、きっとそのスタイルの良さからだろう。

 そして、私。十和田家の一人娘にして、跡取り。茜色の加賀友禅の上には、カシミアの和服コート。首元には、白きつねのストール。体型は、とても和服が似合いますわよと言わせてほしい。

 三者三様の足跡が、真っ白な道の上に描かれていく。

「えっと、たとえるならファッキン・ゴッド?」

「瑞穂ちゃん、バチ当たりなこと言っちゃだめだよ、もー。ナンマイダー、ナンマイダー」

「瑞穂、歩くの早い。私が和服であることを考慮して欲しい」

「あーっ、もう。みんなバラバラなこと言ってるしー。それに、ナンマイダーって仏教。あの腐れヤマノカミは神道だよ」

 ナンマイダーとは、南無阿弥陀仏。ちゃんと言わなければ、仏様に失礼だ。それと、しろ様は、神道というより、もっと原始的なアニミズムに近い存在だと思う。

 どちらにしろ、

「神様を悪く言うのは感心しない」

「でも、あのトリッキーな言動が、柾木さんの心を捉えているのよ」

 それは困る。いや、腹立たしい。

「瑞穂。神殺しというのは、歴史上に類例はあるのか?」

「わっ! そんなヒトを辞めましたみたいな眼で睨まれても!」

「私のクビキリ丸なら、あの雌狼の乳房の一つや二つ、切り落とすことは容易い」

 私は、コートの内側に隠し持った薙刀を手に身構えた。薙刀の刃をまっすぐ前方に見据えたまま振りかぶる。いわゆる八相の構え。防御を捨てた一撃必殺の型である。

「だからぁっ!」

「そうだよ、雪っちー。どうせやるなら完全犯罪にしないとー」

「早苗の意見も間違ってるし!」

「ラスコオリニコフみたく『うぉーのー』とか、苦悩するんじゃなくて、『私☆最高』くらいに、良心の痛まない、おまけに爽やかかつ、ド汚いやり口が理想だよねー」

「私は、現在も未来も地に足が着いている。自意識だけが空転することはない。神を殺す実感も、神を殺した実感も持って生きていける。私は、十和田の女だ」

「もうっ! わけわかんないこと言い合うなよ! せめてヒントくれよぉ!」

 ドストエフスキーの『罪と罰』なのだけど・・・

「大丈夫。私は妹を殺すようなミスはしない」

「こえぇーよーっ!」

 頭を抱える瑞穂を尻目に、私は灰色の空を見上げた。今夜は軽く吹雪くかもしれない。肩のストールを襟元でかき合わせた。

「どうした、瑞穂? 肩を落として」

「もういい、もういいです・・・。このままじゃ、わたしの夢淑女ロードから外れてゆく一方だし」

「ふむ。良くは分からないが、夢は簡単に捨てるものではないぞ」

「はぁー」

 瑞穂は大きく嘆息したが、私と早苗は、それを不思議なものを見るような眼でいた。

 

 

 今年の降雪量は、例年を上回っている。学校を出てから数度、町役場の除雪作業に出くわした。

 私が会釈をすると、ロータリー除雪車の運転手は手を止め深々と頭を下げ、凍結防止用に砂をまいている職員は何度もお辞儀を返してきた。

「雪っち、顔だねー」

「私にではない。十和田の家に頭を下げているのだ」

「でも、十和田家の後継者は美雪なんだから、結局同じコトじゃない?」

「違うぞ」

「何が?」

「十和田家の棟梁になるのは私ではない。柾木だ」

 私は、胸を張って答えた。

「んー、柾木くんの将来は、確定済みなんだねー」

「揺るがない。私は何か間違っているのか?」

「雪っちだし」

「美雪だし」

 二人から同じタイミングで答えが帰ってきた。

「むむっ。その言い方には、何やら毒を感じる」

「気のせい」「気のせい」

 今度は声をそろえた答えだ。

「むう」

 釈然としないが仕方がない。私は、自分が世間一般の常識に疎いことを自覚している。だから、追求を口にしない。

「着いたー」

「またここー?」

「他に行くあてもなかろう?」

 私たちは、町の中心街にある小料理屋の前で足を止めた。家庭的な味付けと、良心的な値段。そして、美人女将の店として人気のあるお店だ。

 小料理屋の名前は『さなえ』という。

「ただいまー」

 早苗は、帰りの挨拶をしながら暖簾をくぐっていく。店の名前は、彼女の名前に由来する。

 引き戸を開くと同時に、煮物と日本酒の香りが漂ってくる。

「いらっしゃい」

 早苗の母、裕美が顔を上げる。卵肌の色白美人。結い上げた首筋が割烹着との隙間から垣間見え、同性にも色艶を感じさせる。

 仕込みの最中だったのだろう、手には柳刃包丁が見える。

「お母さん、あっち使ってもいい?」

「十和田の娘さんがいるとなれば、断れません」

 早苗は、一番奥の座敷を指差した。この店の一等席である。

 私にとって、早苗は一番の友人だ。十和田家を抜きに付き合いたい気持ちもある。正直、席なんか、どこでも良い。だが、早苗はそれを望まない。

『雪っちは、十和田家を含んだ全部で、雪っちなんだもん』

 うむ。私は良い友人を得た。あとは、良い伴侶だけである。

 奥の座席に向かう途中、カウンター席で見知った者たちの顔を見かけた。

「君たちは・・・」

「お、お嬢様っ」

 カウンター席の男たちの背中が、びくりと跳ねた。

「勤めはどうした?」

「あっ、いやっ、これはですね・・・」

 一番手前の青年が、弁解しようと立ち上がる。全員が十和田家から仕事をもらい、この町で暮らしている。

「まだ日も落ちていないうちに集まって・・・。それも、『さなえ』の仕込みが終わらないうちにだ。裕美さんが優しいのにつけこみ、君たちは居座っているわけだな」

 氷の視線。畳み掛ける言葉。権力者然とした態度。瞳が薄っすらと赤みを増す。十和田家の女が持つ、圧倒的な力が場を支配する。弁解する余地は、塵芥もない。

 眼を細めるだけで、倍ほど体格差のある男たちが体を縮こませた。

「怖いねー」

 他人事の顔で、早苗が脇をすり抜ける。

「十和田の女に勝てる男なんかいないって。あっ、どうもです」

 カウンター越しに煮物を受け取ると、瑞穂も奥の座敷に消えていった。小豆の甘い匂いがした。煮物の中身はおそらく『いとこ煮』だろう。いとこ煮は、さつま芋と小豆を砂糖と醤油で煮込んだ、女子高生好みの煮物である。

 私は、フッと微笑んで、威圧感を消した。

「けれど―――」

 眼をつむり、笑みに慈愛の心を加える。

「ここにやってきた私も、君らと同罪だ。今日は、お互いに口をつぐみ合おう」

「えっと。それでは・・・」

「ここの支払いは、すべて十和田の家につけておいて下さい。いいですね、裕美さん」

「ええ、構いませんよ」

 全てを受け入れる、柔らかな答えが返ってきた。

「今日は、好きなだけ楽しんでください」

 深く、私は頭を下げる。

 完璧だと自負する。

「ありがとうございいます!」

「さすが十和田の姫だ。話せるなぁ!」

 案の定、男たちが現金にも騒がしくなる。

 それを見届けると、私はきびすを返し、奥の座敷へ向かう。長居をしないのも、テクニックの一つだ。

「待たせた」

「貫禄ね」

「容易いことだ。男どもの頭は、常に暖めておく。御しやすいこと、この上ない」

「このカリスマ、柾木さんにはないな」

「尻に敷かれるのは確定だねー」

「二人で、何をこそこそ話している」

「んー、お酒が来たよって話」

 早苗が立ち上がり、慣れた手つきで裕美さんから徳利とお猪口を受け取る。

「男どもを制する、あのやり口。美雪ちゃんも、真白に似てきたわねー」

「やや。裕美さんまで、そういうことを・・・。私は、母様ほど非常識ではない」

 いたずらを見逃してあげるとでも言いたげに、裕美さんは、小粋な笑みを残して厨房に帰っていった。母様の幼馴染である裕美さんには、母様と同様、なぜか私も頭が上がらない。

「裕美さんには、かなわんな」

「はははっ、真白おばさんを怒れるのって、お母さんだけだもの」

「うわぁ、影の番長って感じ」

 言いながら、瑞穂は徳利を引き寄せた。

 酒の銘柄は、菊姫。さすがに一升瓶二万円もする大吟醸ではなく、山廃吟醸。それでも5千円はする。女子高生が飲むには、上等な酒だろう。

 それを菊姫のテーマ曲を口ずさみながら注ぐ。

「さっ、飲もうっ!」

 私たちは、お猪口を重ねて乾杯すると、一口で飲み干した。

 

 

 

 

 

 

 

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