サクッ サクッ
足下の一転を見つめながら、僕は歩き続ける。
分厚く積もった雪には、踏み固められた足跡がそのままの形で残る。雪が汚れないまま白く残るなんて、東京では考えられないことだ。
「夜は少し吹雪くだろうな」
すぐ横で、耕平が上を向く。頭上は、灰色に煙った風で濁っていた。
「・・・・」
それっきり、僕らは黙った。二人の足音だけが時を刻む。
放課後になると同時に、
「女の子同士のお話がありますからっ!」
疾風のように現れた瑞穂ちゃんが、美雪と早苗を引っ張って行ってしまった。
まぁ、分からんでもないね。僕もその方が助かる。考える時間が欲しかったからだ。
サクッ サクッ
無言で歩きながら、僕は考えを再開した。五時限目の授業中もずっと考えていたが、美雪の出した難問に答えが出ない。
そう、これはまさしく難問だ。
考え、予想し、想像する。最善の解を得ようと思い描く。だが、しかし・・・
「決められない」
結局、思考を放棄した。
「何を悩んでいたんだ?」
この場で悩むことなんて、一つしかないだろうに、耕平はあえて問うてきた。
「キャベツ畑人形」
「はっ?」
「キャベツ畑人形と、コウノトリさんのどっちで説明したら、美雪さんは納得してくれると思いますでしょうか?」
やることは一つ。どうやって美雪の追及をかわすかだけである。
「どうして俺に敬語かね」
「かわいそうなモノを見る眼で見るなよ」
「どっちかと言えば、頭のかわいそうな方だがな」
「他にたとえが思いつかないんだ」
「あのなぁ」
耕平は、立ち止まり、ポケットから両手を出すと、僕の肩を強く掴んだ。耕平の上着は、米軍払い下げのフライトジャケット。氷点下15℃まで対応というインターミディエット仕様のG1タイプだ。
対する僕は、バーバリーのトレンチコート。ツイードのシンプルなやつだ。マフラーもバーバリーで、ちょっと都会的なコーディネート。
「美雪は、『医学的なことは知っている』と言ったろうが。十和田の箱入りお嬢様は、世間知らずかもしれんが、馬鹿じゃないでよ」
耕平といい、早苗といい、美雪をよく理解している。僕には知らないことばかりだ。それなのに、僕は理解しようともしていない。
「もういいだろうよ。分かってんだろ?」
バンッバンッと、両手で僕の肩を叩く。
「美雪が必要としてるのは、座学じゃなくて実技なんよ! もういいじゃん、ズビっとキメちゃえば! バッコン、バッコンやっちゃえよ!」
ビシッと僕を指差し、嬉しそうに吼えた。そのポーズは、教室での瑞穂ちゃんとそっくりだ。血は争えないね。まったく。
「相談するんじゃなかった」
「なんだよ、俺に体験談を告白しろよ」
「煽るなよ。こっちは真剣なんだ」
「真面目に考えて、キャベツ畑人形だかよ」
「ふんっ」
僕はむくれて、足早に距離を引き離す。今日はもう、布団を被って眠ってしまいたかった。
高校生で父親なんて、とんでもない。
それに僕は、美雪を・・・
そう、美雪のことを・・・
「待った」
強い口調で、耕平が呼び止めた。いぶかしげに振り向く。少し嫌な予感。
耕平は、道端の古ぼけた社に視線を送った。腰の高さまでしかなく、半分雪に埋まった、今にも崩れ落ちそうな小さな社だ。
「だったら、神様に相談しようぜ」
「いやだ」
僕は反射的に首を振ると、歩みを再開した。
しかし、
「柾木っ!」
時はすでに遅かった。
僕を呼ぶ声と同時に、狼の吼える声が木霊する。
社の観音開きが、吹き飛ぶ勢いで開く。刹那、淡い光と共に、何かが飛び出した。
一直線に向かってくる速度は、僕の思考速度をはるかに超えている。避ける時間なんてありゃしない。
「げぶっ!」
僕の体は盛大に吹っ飛んだ。アイ・キャン・フライってやつだ。
「愛ゆえの激しさかね」
耕平の発言は、実にいい加減で、他人事だった。
ドスッ ゴロゴロゴロッ ドン!
吹っ飛ばされて、転がって、街路樹に背を打ち付けて止まった。
「う、くっ・・・」
頭がくらくらする。
「まったくもって、軟弱よのぉ」
僕の胸に抱きついた何かが、不満げに言葉を漏らした。
ブレていた視野が定まっていき、僕の胸に抱きつく『しろ様』を確認した。
「それでも貴様、ワシの夫を名乗るつもりかえ」
「東京人はひ弱なんですよ。それに、体当たりは止めてくれって、頼んだはずでしょ・・・」
「人間なんぞとの約束など、いちいち覚えておられるか。そもそも、人間風情の柾木が、神であるワシの胸をたかぶらせたことが罪だと知れ」
現実的でないものを僕は好む。
しろ様は、社と社をつないで自由に行き来することが出来る。まさに神出鬼没だ。
だが、それさえも、僕はすでに受け入れていた。量子力学的になら、いずれ説明できるだろうとね。
だが、今すぐに説明を受けたくない事例である。今はまだ、謎のままでいい。
それが、僕の現実的ではないものだ。
がふっ
狼の唸り声が真横からすると、しろ様は僕の胸から立ち上がった。そのまま、傍らに寄った巨大な白狼にまたがる。
「さぁ、立つがよい。貴様の学友も胸を痛めておるではないか」
「しろ様・・・」
抗議の声を上げようとしたが、途中で止めざるをえなかった。
僕に注がれたしろ様の視線は、畏怖を押し付けることに慣れた、ひどく一方的で、暴力を内包するものだったからだ。
「どうせ、この学友の家に留まるのであろう? いざ行かん。さぁ、早よう乗れ」
「しろ様、俺は?」
「供をせいっ」
耕平は、白狼に乗りたがるそぶりを見せたが、当然のごとく拒絶された。
「せめて、名前で呼んで欲しい」
仕方なさそうに、耕平は白狼の横に並んだ。
「しっかし、この男にもまいったもんだ」
「がう」
耕平と白狼は、目配せをすると頷いた。
「俺たちを守る神様のお相手なんだぞ」
「がふがふ」
白狼が、すまなそうに首を振る。
べろり。白狼は僕の頬を舐めて、騎乗を促した。
『まったくもって、すまないとしか言いようがない。我が主も悪気はないのだ。我には、平に謝るよりすべがない』
白狼の言葉が、僕の中に伝わる。
「いいってことさ、シロウ。君が謝ることではないさ」
僕は、神の使いである白狼、シロウの頭を撫でると立ち上がった。シロウは頭を撫でられ、眼を細める。
「早よう、早よう。学友よ、貢物は用意してあるであろうな?」
「はいはい」
僕と耕平は、それぞれ答える。僕はそのまま、シロウに跨った。
巨大な白狼といえど、タンデムするにはやや物足りない。僕はしろ様を抱くように密着し、席を確保した。
しろ様の温もりが、体に伝わる。それは、とても女性的な温かさだ。やばい。この温もりは、とてもやばい。美雪に子作りをせがまれた直後でもあり、体が反応しそうになる。
「なんじゃ。今日の柾木は、やさしいの。なんぞあったか?」
ニヒヒッ
しろ様が意地悪げに笑ったが、僕は肩をすくませ、おどけて見せた。
だが―――
逃げ切れないだろうなー。
「―――しろ様が、すべての元凶に決まってんのっ!」
ちょっと先行する瑞穂が振り返り、大きく腕を振り回す。自身の遠心力でよろける姿は、愛嬌があって好ましい。
瑞穂に、早苗と私を加えた三人が、いつもの通学路とは違う道を歩いている。
はたから見れば、不思議な取り合わせだ。
元気ハツラツ、小さな体にオーバーアクションの瑞穂。ピンクのウールシャギーのポンチョコートが、ちょっと都会っぽくて可愛らしい。
そんな瑞穂を、私の横で楽しげに見るのが早苗。高い身長に、眠そうな糸目。ゆっくりとした口調だが、なかなか鋭いし、ちょっぴり毒舌だ。服装は、セーラー服もPコートも、全部学校指定のもの。野暮ったいはずなのに、そう見えないのは、きっとそのスタイルの良さからだろう。
そして、私。十和田家の一人娘にして、跡取り。茜色の加賀友禅の上には、カシミアの和服コート。首元には、白きつねのストール。体型は、とても和服が似合いますわよと言わせてほしい。
三者三様の足跡が、真っ白な道の上に描かれていく。
「えっと、たとえるならファッキン・ゴッド?」
「瑞穂ちゃん、バチ当たりなこと言っちゃだめだよ、もー。ナンマイダー、ナンマイダー」
「瑞穂、歩くの早い。私が和服であることを考慮して欲しい」
「あーっ、もう。みんなバラバラなこと言ってるしー。それに、ナンマイダーって仏教。あの腐れヤマノカミは神道だよ」
ナンマイダーとは、南無阿弥陀仏。ちゃんと言わなければ、仏様に失礼だ。それと、しろ様は、神道というより、もっと原始的なアニミズムに近い存在だと思う。
どちらにしろ、
「神様を悪く言うのは感心しない」
「でも、あのトリッキーな言動が、柾木さんの心を捉えているのよ」
それは困る。いや、腹立たしい。
「瑞穂。神殺しというのは、歴史上に類例はあるのか?」
「わっ! そんなヒトを辞めましたみたいな眼で睨まれても!」
「私のクビキリ丸なら、あの雌狼の乳房の一つや二つ、切り落とすことは容易い」
私は、コートの内側に隠し持った薙刀を手に身構えた。薙刀の刃をまっすぐ前方に見据えたまま振りかぶる。いわゆる八相の構え。防御を捨てた一撃必殺の型である。
「だからぁっ!」
「そうだよ、雪っちー。どうせやるなら完全犯罪にしないとー」
「早苗の意見も間違ってるし!」
「ラスコオリニコフみたく『うぉーのー』とか、苦悩するんじゃなくて、『私☆最高』くらいに、良心の痛まない、おまけに爽やかかつ、ド汚いやり口が理想だよねー」
「私は、現在も未来も地に足が着いている。自意識だけが空転することはない。神を殺す実感も、神を殺した実感も持って生きていける。私は、十和田の女だ」
「もうっ! わけわかんないこと言い合うなよ! せめてヒントくれよぉ!」
ドストエフスキーの『罪と罰』なのだけど・・・
「大丈夫。私は妹を殺すようなミスはしない」
「こえぇーよーっ!」
頭を抱える瑞穂を尻目に、私は灰色の空を見上げた。今夜は軽く吹雪くかもしれない。肩のストールを襟元でかき合わせた。
「どうした、瑞穂? 肩を落として」
「もういい、もういいです・・・。このままじゃ、わたしの夢淑女ロードから外れてゆく一方だし」
「ふむ。良くは分からないが、夢は簡単に捨てるものではないぞ」
「はぁー」
瑞穂は大きく嘆息したが、私と早苗は、それを不思議なものを見るような眼でいた。
今年の降雪量は、例年を上回っている。学校を出てから数度、町役場の除雪作業に出くわした。
私が会釈をすると、ロータリー除雪車の運転手は手を止め深々と頭を下げ、凍結防止用に砂をまいている職員は何度もお辞儀を返してきた。
「雪っち、顔だねー」
「私にではない。十和田の家に頭を下げているのだ」
「でも、十和田家の後継者は美雪なんだから、結局同じコトじゃない?」
「違うぞ」
「何が?」
「十和田家の棟梁になるのは私ではない。柾木だ」
私は、胸を張って答えた。
「んー、柾木くんの将来は、確定済みなんだねー」
「揺るがない。私は何か間違っているのか?」
「雪っちだし」
「美雪だし」
二人から同じタイミングで答えが帰ってきた。
「むむっ。その言い方には、何やら毒を感じる」
「気のせい」「気のせい」
今度は声をそろえた答えだ。
「むう」
釈然としないが仕方がない。私は、自分が世間一般の常識に疎いことを自覚している。だから、追求を口にしない。
「着いたー」
「またここー?」
「他に行くあてもなかろう?」
私たちは、町の中心街にある小料理屋の前で足を止めた。家庭的な味付けと、良心的な値段。そして、美人女将の店として人気のあるお店だ。
小料理屋の名前は『さなえ』という。
「ただいまー」
早苗は、帰りの挨拶をしながら暖簾をくぐっていく。店の名前は、彼女の名前に由来する。
引き戸を開くと同時に、煮物と日本酒の香りが漂ってくる。
「いらっしゃい」
早苗の母、裕美が顔を上げる。卵肌の色白美人。結い上げた首筋が割烹着との隙間から垣間見え、同性にも色艶を感じさせる。
仕込みの最中だったのだろう、手には柳刃包丁が見える。
「お母さん、あっち使ってもいい?」
「十和田の娘さんがいるとなれば、断れません」
早苗は、一番奥の座敷を指差した。この店の一等席である。
私にとって、早苗は一番の友人だ。十和田家を抜きに付き合いたい気持ちもある。正直、席なんか、どこでも良い。だが、早苗はそれを望まない。
『雪っちは、十和田家を含んだ全部で、雪っちなんだもん』
うむ。私は良い友人を得た。あとは、良い伴侶だけである。
奥の座席に向かう途中、カウンター席で見知った者たちの顔を見かけた。
「君たちは・・・」
「お、お嬢様っ」
カウンター席の男たちの背中が、びくりと跳ねた。
「勤めはどうした?」
「あっ、いやっ、これはですね・・・」
一番手前の青年が、弁解しようと立ち上がる。全員が十和田家から仕事をもらい、この町で暮らしている。
「まだ日も落ちていないうちに集まって・・・。それも、『さなえ』の仕込みが終わらないうちにだ。裕美さんが優しいのにつけこみ、君たちは居座っているわけだな」
氷の視線。畳み掛ける言葉。権力者然とした態度。瞳が薄っすらと赤みを増す。十和田家の女が持つ、圧倒的な力が場を支配する。弁解する余地は、塵芥もない。
眼を細めるだけで、倍ほど体格差のある男たちが体を縮こませた。
「怖いねー」
他人事の顔で、早苗が脇をすり抜ける。
「十和田の女に勝てる男なんかいないって。あっ、どうもです」
カウンター越しに煮物を受け取ると、瑞穂も奥の座敷に消えていった。小豆の甘い匂いがした。煮物の中身はおそらく『いとこ煮』だろう。いとこ煮は、さつま芋と小豆を砂糖と醤油で煮込んだ、女子高生好みの煮物である。
私は、フッと微笑んで、威圧感を消した。
「けれど―――」
眼をつむり、笑みに慈愛の心を加える。
「ここにやってきた私も、君らと同罪だ。今日は、お互いに口をつぐみ合おう」
「えっと。それでは・・・」
「ここの支払いは、すべて十和田の家につけておいて下さい。いいですね、裕美さん」
「ええ、構いませんよ」
全てを受け入れる、柔らかな答えが返ってきた。
「今日は、好きなだけ楽しんでください」
深く、私は頭を下げる。
完璧だと自負する。
「ありがとうございいます!」
「さすが十和田の姫だ。話せるなぁ!」
案の定、男たちが現金にも騒がしくなる。
それを見届けると、私はきびすを返し、奥の座敷へ向かう。長居をしないのも、テクニックの一つだ。
「待たせた」
「貫禄ね」
「容易いことだ。男どもの頭は、常に暖めておく。御しやすいこと、この上ない」
「このカリスマ、柾木さんにはないな」
「尻に敷かれるのは確定だねー」
「二人で、何をこそこそ話している」
「んー、お酒が来たよって話」
早苗が立ち上がり、慣れた手つきで裕美さんから徳利とお猪口を受け取る。
「男どもを制する、あのやり口。美雪ちゃんも、真白に似てきたわねー」
「やや。裕美さんまで、そういうことを・・・。私は、母様ほど非常識ではない」
いたずらを見逃してあげるとでも言いたげに、裕美さんは、小粋な笑みを残して厨房に帰っていった。母様の幼馴染である裕美さんには、母様と同様、なぜか私も頭が上がらない。
「裕美さんには、かなわんな」
「はははっ、真白おばさんを怒れるのって、お母さんだけだもの」
「うわぁ、影の番長って感じ」
言いながら、瑞穂は徳利を引き寄せた。
酒の銘柄は、菊姫。さすがに一升瓶二万円もする大吟醸ではなく、山廃吟醸。それでも5千円はする。女子高生が飲むには、上等な酒だろう。
それを菊姫のテーマ曲を口ずさみながら注ぐ。
「さっ、飲もうっ!」
私たちは、お猪口を重ねて乾杯すると、一口で飲み干した。