新訳 収穫の十二月 [完結]   作:井上そんこう

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3 愛の輪舞曲

「―――飲もう」

「乾杯」

「貴様、この娘は人体の柔軟性の限界に挑戦しておるのか?」

 ちんっ、と耕平とコップを合わせて乾杯する。もちろん、しろ様の発言は流した。

「どうして同じ乾杯でも、男同士だと情けなくなるんだろうな」

 日本酒で満たされていたはずの耕平のコップは、あっという間に空になった。石油ストーブの前に置かれた二リットルの紙パックをひったくると、コップに波々と注ぎなおす。

 酒は、いわゆる三倍増醸酒という分類で、醸造した日本酒に、水とアルコールと添加物を足した清酒。ようは安酒だ。銘柄はあえて言わない。

「僕らは秋山好古のようにはなれないさ」

「誰だそれ?」

「坂の上の雲。陸軍大将。日露戦争の英雄」

「あぁ。うちの教師ども、バリバリの全共闘世代だでよ。日教組で38。そりゃ習わねぇばよ」

「38って、遠まわしな・・・。素直に『左派』って言えばいいじゃないか」

「じゃぁ、349」

「左翼かよ」

 適度に文句を加えながら、僕も一気にコップの中身を空にする。冷や酒だが、飲めばとりあえず身体が温まる算段だ。

 汚れ放題な耕平の部屋。床に直接座り込み、僕たちは、部屋が暖まらないうちに飲み始めている。

 酒は強くない。東京にいたころは、正月くらいしか飲んだことがない。けれど・・・

「飲まないと凍え死んじまうでね」

「暖房は?」

 耕平の机、その横に取り付けられている水銀温度計は、零下をわずかに超えたところだ。

 つけたばかりの石油ストーブは、赤々と反射板を照らすが、部屋が暖まるまでは、いま少し時間がかかりそうだった。

「これくらいが、ちょうど良い」

 耕平の背中に、低い声。床に寝そべったしろ様が、エロ雑誌のページをめくりながら声をかけた。

「暑いのは、ワシが嫌いなのだ」

 エロ雑誌を食い入るように見たまま、しろ様が言う。寝そべったまま、足をバタバタと動かしたのは、抗議の印だろうか?

 業務用のアイスクリームボックスを抱きしめるようにして、大振りのスプーンで口に運ぶ。食べているアイスクリームは、輸入品のハーゲンダッツと言う高級品だ。

 ちなみに、タカナシ乳業が、世界で三番目のハーゲンダッツ生産工場として稼動するのは、七年後の話である。今思えば、しろ様は流行の最先端を行っていたわけだ。

「冷たいモノ食べてるじゃないですか」

「人間が神に捧げものをするのは当然じゃ」

「はぁー」

 耕平と目配せすると、自然とため息が出た。

「しろ様は、やっぱ暑いと溶けるの?」

「ワシを雪女ごときと一緒にするではない。いくら暑くなっても死にはせぬよ」

 エロ雑誌から眼を離し、こちらを振り返る。

「貴様ら人間が、ワシを雪にまつわる神だと信じたため、暑さが苦手になったのだ。ワシを奉じる社を見るがよい。収穫の神、多産の神、戦の神。人間が望むならば、なんでもござれだ」

「あぁ、そういえば・・・」

 しろ様の社に祈願された願いは、どれもこれも統一感がない。

「まぁ。一番得意なのは豊穣の神じゃな。西洋では『麦』の化身として、わっちを崇めておるが、ここでは『米』じゃな」

 なぜかしろ様は、自分のことを『わっち』と廓言葉で言い表すと、クックックッと小さく笑った。

「ほれ、ワシは狼じゃ。多紙の狼じゃ」

「あっ!」

 僕は気がついた。

「狼とは、大神。そして多神。そこから多紙の地名となった。でも多紙(おおかみ)は、多紙(たがみ)とも読める。転じて田神。田んぼの神、豊穣の神様か」

「そういうことじゃ」

「そんなに、俺たちの影響を受けるのか?」

 神様なのにという、耕平の問いはもっともだ。

「今はな・・・」

 しろ様は、少し寂しそうに、『今は』と答えた。

 では・・・

「昔は?」

「人間よ。この娘は、何故もったいないことをしておる? 腹でも減っておるのか?」

 しろ様は、僕の問いを避けるように、手にしていたエロ雑誌を耕平に突き出した。

「あっ、しろ様、乱暴に扱わないでほしいでな」

 耕平が、哀れな声を上げる。

「ビニ本だろ?」

「違う。裏本だっ!」

 耕平は、力強く訂正した。

 しろ様が広げたページは、素人っぽい女性が、男性のナニを咥えているものだ。もちろん、無修正である。

 ビニ本にせよ、裏本にせよ、多紙町のような田舎では、手に入れるのは困難を極める一品である。耕平のエロへの執念を見た気がする。別に褒めてないけど。

「で、なぜじゃ?」

「それをしてもらうと、嬉しいと言いますかですね。特に男性が」

「耕平の性癖は、理解に苦しむ」

「こんな時だけ、名前を呼ばんでください・・・。というか、俺の性癖はまともだでよ」

 そこで耕平は、俺を指差した。耕平め、僕へと話題を振るつもりだな。汚ぇー。

「こいつの方が特殊だでよって!」

「聞かせるが良い」

 しろ様も、ノリノリで身を起こした。

「着物の女の子オンリー本『着物を脱がさないで』とか持ってるんですよ、この男は。美雪に影響されて。なんでも、重ね着を脱がせる過程が興奮するって証言も取れてますさ」

「柾木も、なかなかに厄介な病気を抱えておるのだな。しかし、安心しろ。ワシは神であるから、平等に目をかけてやる。悲しむことはない」

「性癖は病気じゃありません」

 それに、着物だけじゃなくて、体操服とブルマの組み合わせも大好きです。

「で、柾木はどうなのだ? コレをされると嬉しいのかえ?」

 聞こえなかったふりをする。耕平は涼しい顔だ。僕を巻き込んで、すっかり満足しやがったな。

 悔しいので、冷や酒をもう一杯あおる。アルコールは身体を温める効果があるが、頭にも効く。石油ストーブが部屋を暖め始めたおかげもあり、ボーっとしてくる。

 僕の返事がないことに不満を持ったのか、しろ様が、写真の片隅にあるエロ小説を音読し始めた。

 女の子のしろ様が、甘い声でエロ小説を音読する。しかも、困ったことに上手い。すごく無駄なスキルだ。

 僕らは、なんともいたたまれなくなる。

『まだ産毛も生えてこないの』

『変かな?』

『そんなにじろじろ見ないで』

『ダメ、お兄ちゃん!』

 しろ様は、読むのを一度止めた。

「耕平よ。お前は妹に興奮するのか?」

 神様は、次のページをめくって音読を再開した。

「乾杯」

 あまりにも耕平が哀れで、僕はコップを合わせた。耕平は、死にそうな顔で乾杯に応じる。

『お兄ちゃん、お兄ちゃん!』

『あっ、いや。そこ』

 背後では、しろ様の熱演が続いている。時々読むのを止めては「この娘と男は血縁ではないのに、どうして兄妹と呼び合うのだ」などと、耕平に質問を浴びせる。

 律儀に答える耕平の顔は、すでに土左衛門のようだ。バカだなぁ。適当に流せば良いのに。

「飲まずにやってけるかぁ!」

 耕平が、泣きながら酒を注ぐので、付き合ってやることにした。だって、かわいそうじゃん。

 

 

 二リットルの紙パック酒も空になり、カップ酒に切り替わったころ、しろ様が放り投げたエロ本の一ページが、僕の心を捕らえた。

 しろ様は、エロ本に飽きて、股を広げてしっぽの毛づくろいに勤しんでいた。

「美雪に似てる」

 僕は、ポツリと言葉を漏らす。写真の女の子は、エプロンドレス姿でこちら側に微笑んでいる。

「酔ってるのか?」

「美雪に似てる・・・」

 繰り返す僕に、ザルの耕平は苦笑した。

「着てくれって言えば、柾木だけなら着てくれるでねーの」

「美雪は、洋服が嫌いだ」

 写真の少女の頭を撫でる。

「それに悪いだろう」

「悪いって?」

 僕は頷いた。

 周囲が理解していない、僕と美雪の関係。

 それでいて、僕と美雪だけが正しく理解している二人の関係。

 僕と美雪の間に横たわる線引き。

 だから僕は、美雪の求めには応じられない。

 だから僕は、美雪の求めに・・・

 だから僕は・・・

 だから・・・

「問題は、僕が美雪を愛していないってことなんだ―――」

 

 

「―――私は、柾木に愛されていない」

 飲み干した徳利の数が、十本を超えた。いつもより飲むペースが速い。でも、この悩みを打ち明けるには、必要な量だ。

「聞いているのか?」

「考えさせてよ」

 いきなりの爆弾発言に、瑞穂は顔をゆがめた。

 顔が真っ赤になった私と違って、同じ量を飲んでるはずの瑞穂は涼しげですらある。こういうところも兄妹そっくりだ。もっとも、私も顔に出るだけで、意識ははっきりしている。

 時計の針は、午後七時を回っていた。

 時間と共に入り始めたお客をさばくため、早苗は店の手伝いに回っている。

「あわわー」とか、

「はうー」だの

 奇妙な声を上げながら店を駆け回る姿は、ちっとも忙しそうに見えないから不思議だ。

「美雪はそれでいいの? 好きじゃないのに付き合ってるなんて、許せるの?」

 わたしは嫌だと付け加えると、瑞穂はお猪口の中身を飲み干した。

「問題は、何があっても柾木への愛が揺るがないということなんだ」

「なんで? 美雪らしいっちゃ、美雪らしいけど」

「私もそれは考えた。なぜ、柾木なのだろうかと。なぜ、柾木でなくてはならないのかと」

 私も、お猪口の中身を飲み干した。すぐに瑞穂が、自分の分も合わせて注ぎ足してくれた。

「初めてだったのだ。何もかもが」

 私は、柾木との出会いを思い出していた。職員室の扉でぶつかった、あの瞬間を。

「出会いと言う出会いではない。ほんの少し、触れ合った。ただそれだけだ」

「本当に?」

「そう、それだけなのに、私の身体に電気が走った。稲光に打たれたのだ。体中を駆け巡り、鼓動は脈打ち。血という血が熱を持ち、全身全霊が柾木を求めた」

 空になった徳利を振り、早苗を呼んで追加を頼む。

「気がつけば私は、クビキリ丸を柾木の喉元に突き出し、脅すように告白をしていた」

「一目惚れにしては激しいわね」

「あの感情は、運命としか言い表せない」

 瑞穂が早苗から追加の徳利を受け取り、私のお猪口に注いでくれた。

「どうすればいい?」

 そのお猪口を受け取ると、私は空いている手で顔を覆った。自分ではどうすることも出来ない。前髪が、指の隙間からこぼれ落ちた。

「・・・」

「・・・」

 微かな沈黙。

「あー、瑞穂ちゃんが、泣かせたー。いーけないんだ、いけないんだ。先生に言ったろ」

 般若柄のエプロンをつけたまま、早苗が席に戻ってきた。店内を見回すと、注文は一段落したらしい。

「言えばいいじゃない。十和田の女を泣かせたなんて、誰も信じないもん」

「そりゃそうだね」

「だいたい、泣かせてるのって、柾木さんじゃないのさ! 考えてみれば二股じゃないよ! もういいよ、ちょん切っちゃえば!」

「普通ならそうだけどねー」

 早苗はウーロン茶に切り替えている。小料理屋の娘が一番酒に弱い。

「普通だと、雪っちじゃなくなるからねー」

 むくっと、身体を起こし、私は一息でお猪口を空にする。少し口を尖らせて拗ねて見せる。

 早苗は私をよく理解している。私以上に。でも、けっして答えを提示することはない。自分で解決しろと促す。まったくドSなんだから。

「柾木を罰しても、許しても、何も変えられない」

「柾木くんの気持ちを、美雪に向けるしかないんだよね」

 瑞穂は、『ごり』のから揚げを頭から口にした。ごりは地元で良く獲れる淡水魚で、なかなか愛嬌のある容姿をしている。そのごりのから揚げが、歯並びのよい瑞穂の口に消えていく。

「私の気持ちは一方的だ。柾木には何一つ届かない。どうして―――」

 

 

「―――わざとなんだ」

 毛づくろいの終わったしろ様は、満足したように床で丸くなって寝ていた。

 暖かいのは嫌だと言いながら、ストーブで暖められた室温に気持ち良くなったのだろう。

 部屋の片隅には、食べ終えたハーゲンダッツの空箱が転がっている。

「彼女を―――」

 僕は、しろ様の寝顔を見つめた。たぶん、彼女を見つめる瞳は、限りなく優しかったはずだ。

「―――受け入れたとき、心のどこかで均衡を求めたんだ。非現実的に対する現実。しろ様と対になる存在を」

「お前は、それだけのために、美雪と付き合うことにしたのか?」

「現実離れしたものが、僕は好きなんだ」

「美雪も、十分に現実離れしとるがな。なんせ、十和田の女だ」

「少なくとも、美雪は人間だし、それに、十和田の女ってのは知らなかったんだ」

「けったくそ悪いが。それは置いとくでよ」

 耕平は、素直に感情を表した。とてもいい奴だ。こいつを友人としたことは、自分で褒めていい。

「んで、そのシーソーは、釣り合いが取れてんのか?」

「よくわからない。でも、この状況は悪くない」

「ってことは、しろ様が好きなのか?」

「好きではないよ」

「わけわからん」

 耕平が匙を投げた。

 そらそうだ。自分自身でも分からないんだから、しょうがない。

 僕は、コップに口を付ける。

 ぐるぐると、思考が同じ場所を回っては、バターのように溶けていく。

 好きではない。嫌いではない。僕らは接続された関係のみによって成立している。

 何をしている?

 何を望む?

 何を?

 何を?

「結局、お前は・・・」

 耕平が、憐眉の眼で僕を見た。

「大人になりたくないだけだ」

「セックスしたら大人と言うのは、安易だと思うけど」

「ちげーよ。ピーターパンに憧れてるんだ。永遠の子供。いや、それも違うな」

 耕平は、考える素振りを見せた。

「お前は、『停滞』してたいんだ。身体も心も成長しない。外のことも見たくないし、聞きたくない。昏睡状態で夢を見たい」

「なんだそれ。そんな病気は聞いたことない。あったとしたら最優先事項で美人の宇宙人が治しにくるね」

 言わんとすることは分かるが、認めるわけにはいかなかった。大人の事情も含めてね。

「なぁ」

 親指を立てたまま、耕平が握り拳を突き出した。

「なんだ、そのペコちゃんみたいな笑顔は?」

「もういいから、とにかく美雪とやっちゃえ。そんでもって、学生結婚と洒落込んじまいな」

 にゅっ、と親指を人差し指と中指の間に突っ込む。

 僕、赤面。いや~ん。

「照れるような人間かっての。まぁ、多分、コレで解決するでよ」

「バランスを崩せと?」

「お前の言う均衡ってのが、トチ狂ってんだよ」

「今のところ理由がない」

 耕平は、不満そうに口元を歪めた。

「俺は、お前を支持できん―――」

 

 

「―――私は、雪っちを支持するよ」

 早苗が、ごりの佃煮を頬張りながら、私の背中を押してくれた。

「んー、冷静なタイプっぽいけど、柾木くんはすぐにボロを出すからねー。押し切っちゃうのは、いいと思うよ」

「既成事実ね」

 瑞穂は、うれしそうに眼を輝かせる。

「しかし、ややこが欲しいとまで迫ったが、今回も逃げられてしまった」

 私は、早苗の前にある大皿から、ごりの佃煮を自分の小鉢に移した。『ごり』のブサかわいい顔から想像がつきにくいが、味はとても上品な魚だ。私の好物である。

「常識的に考えて、高校生で父親になりたくなかっただけじゃないの?」

「それは違う」

「違うねー」

 瑞穂の感想に、私と早苗は即答した。

「逆に雪っちは、このタイミングだから切り出したんだよー」

 コクリ

 私は頷いた。

「卒業してからでは、現実的過ぎる。あれは、しろ様のような現実的ではないものを好む」

「策を打ったってこと?」

 もちろん、純粋に女として、愛する男の子供が欲しいと言う気持ちもある。

「ぎゃー。柾木さんって、ただの妄想癖じゃない」

「それも違う。柾木は、現実的ではないものを好むくせに、いつだって現実に縛られている。母の国に行けない、折口信夫のように」

「美雪の例えは、いつも難しすぎる」

 瑞穂は、民族学の巨頭を一蹴した。折口信夫。幼き日のトラウマから、自分には本当の母がいる、海の向こうに母の国があると妄想し、それを確かめるために民俗学を選んだ男。

 ならば柾木は、なんの原因があって現実的でないものに憧れるのか?

 そして私は、なんの原因があって柾木にここまで恋焦がれるのだろうか?

 心の深遠から、身体の細胞一つ一つから、私を成す本質的なものが、私の思考を支配する。

「雪っちて、たまに眼が赤くなるねー」

「やっ、考えすぎて充血してしまったか?」

「違う違う。瞳の色。緋色かな。綺麗な色だよー」

 懐から手鏡を出して確かめるが、黒々とした日本人形のような瞳が映っているだけだ。

「光の加減じゃない?」

 瑞穂が、ごりのから揚げに箸を伸ばしながら答えた。

 たぶん、そうだと思う。

 でも、そんなことより・・・

 ごりのから揚げ。最後の一尾だったのに、瑞穂に獲られてしまった。ちょっと悔しい。

 

 

 

 

 

 

 

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