新訳 収穫の十二月 [完結]   作:井上そんこう

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2 星のデジャブー

「くっくっくっ」

 柾木を美雪の下に捨て置いて退散したのは、正解じゃったな。どのような惨劇が行われたか、後日聞くのが楽しみではないか。もちろん、本人の口から聞くのがよい。

 今が楽しい。

 柾木に懸想し、悪戯し・・・

 今が楽しい。

 美雪と競うて、取り合う・・・

 今が楽しい。

 ハーゲンダッツを食し、名著を読みふける・・・

 楽しい、楽しい。

「されど・・・」

 いずれ、わが身だけが取り残される。それが神たる者の宿命。人は老い、神たる自分は普遍。

 だが、精神はどうだ? 少女の姿をしていても、すでにその心は老婆のもの。

 五百年前、人を喰うてから、心は磨耗する一方でないか。それは神の姿ではない。

「ワシは愛を知る必要があったのか。知らぬほうが幸せだったかもしれぬぞ。のう、家持・・・」

 懐かしい名前が浮かんだ。

 ふと、遠い眼で思い出してみる。

 自分がまだ完全な神だったころ、あの懐かしい時代を・・・

 

 

 

 

燕来る

時になりぬと

雁がねは

本郷偲ひつつ

雲隠り鳴く

(訳:燕が来るころになると、雁は故郷を思い出して鳴くものだ)

 

 

「なんじゃ、また鳥ばかりで、ワレが出ておらぬではないか」

 のどかな田園と豊かな越中の山々を背に、のん気に春の歌を歌っている男を見つけた。

 その男とは、見知った仲だ。

「びっくりした、しろ様じゃないですか」

 そう言いつつも、さほど驚きの表情を見せないのが、この男の特徴である。

 従六位の官位を示す右胸合わせの深緑の朝服に、鳥革靴。山高な烏帽子に、腰には横刀を携え、手には木製の笏。歳は二十八だが、中央から派遣された国司としての風格は備えている。

 顔立ちは、渡来系のわりには彫りが深く、知的な雰囲気の中にも、大地に足をつけた安定感がある。それは、母の面影であろう。

 大伴家持は、妾の子である。

「越中国はいいところだ。風光明媚、人心も穏やか。税収も安定。となれば歌も自然と湧き出ましょう」

「それは、狼が出てこない理由にはならんだろう」

「やや、それはそうだ」

 家持は頭をかいた。屈託のない笑顔である。

 呆れながらも家持の隣に座った。

 身の丈三尺を越えるワレの身は、座ると家持よりも頭二つ高い。白銀の毛皮が春の日差しに優しく煌めく。

「しろ様のことは、詠めんのですよ。これでも歌人としては名が通ってますからね。下手に詠むとすぐに中央の知るところとなる」

 家持は、田植えに勤しむ小作を眺めながら答えた。のんびりとした口調と裏腹に、まなざしは険しい。

「国内では、都の藤原仲麻呂が不穏な野心を見せ、国外では、本来は属国である新羅が、朝鮮半島を統一した国家意識の高まりから、日本に対等な関係を要求し、強大かと思われた唐は、渤海に連戦連敗。まさに内憂外患。人心は乱れ、国家存亡の危機・・・」

 既知の話だが、おとなしく話を聞いてやることにした。

「大君は、国家安寧のために御仏にすがろうと、大仏建立に熱心ときてる。そんな中、本物の神様であるしろ様を晒すわけにはいきませんって」

「なんじゃ、ワレの身を案じたわけではないのか。大君のためとな」

「いやいや、神様の身を案じるなど恐れ多い」

「大君も現人神であっろう?」

「やっ、まぁ、そうなんですけど・・・。なんというか、人が集団で生きる知恵とい言いますか、国家にとって一つの機関と申しますか・・・」

「フフッ」

 家持の困窮する姿に笑ってしまった。

「みな、この越中国のように穏やかであればよいのですが・・・」

「都に里心が付いたか?」

「妻も残してきましたしね」

「連れて来ればよかろうに」

「あれは、都会でしか生きれん女です」

 春の日差しに暖められた風が、ゆるやかになびいた。風に乗って、草や土の香りが運ばれ、雪溶け水のせせらぎが田植え歌に交わる。

 

 

春の日に

張れる柳を

取り持ちて

見れば京の

大路思ほゆ

(訳:春の陽光に芽をふくらませた柳を手に取っ

て眺めると、都の大路が思い起こされる)

 

 

「さびしい・・・」

 ポツリと、家持が漏らした。

「さびしいとな?」

 それは知らぬ感情だ。

「僕は都の妻と、大恋愛の末に結婚したんですよ。一方で、越中国も嫌いではない。でも、なぜか自分だけ置いていかれている気がする。充足しているはずなのに、さびしさを抑えきれない」

「分からぬな」

 ハハハッ

 力弱く笑うと、家持はワレの喉を撫でた。猫ではないので、気持ちが良くなるわけではないが、家持の気持ちが伝わる。

「しろ様が人間の女子なら、とうの昔に歌を贈って口説いております」

「ワレが雌だと知っておったか?」

「気品と女心は、匂い立つものですよ」

「そうやって、真田の娘を口説いたか?」

「あっ、やっ・・・」

「知らぬと思うておったか」

 クックックッと笑ってしまう。

「真田の家は、今でこそ射水川周辺を束ねておるが、家持の家系と同じく胡地の出であったな。同郷のよしみに加え、歌を読む教養もあり、器量もよいとくる。貴様がつがいに望むのも無理もなかろうよ」

「やっ、そうはっきりと申されると、こちらも恥ずかしい」

 恥ずかしいか・・・、それも知らぬ感情じゃな。

 家持は、ワレの知らぬ感情を数多に見せてくれる。他の者は、敬い、恐れ、ワレと距離を置く。だからこそ、家持をからかうのは楽しい。

 家持は、恐れというよりも、禁忌に対する警戒心が欠如してるようで、ワレのような巨大な狼の風体に対しても、なんら臆することがない。

 聞くところによれば、父親もそうだというので、遺伝だろう。こやつの子孫が心配じゃ。

「で、どのような歌を送ったのじゃ? どう口説いたのだ? まさか貴様ともあろうものが、押し倒したわけではあるまいよ?」

「そこは、ほら、いずれ、ね。歌集でも作った際には載せますから」

「教えぬと?」

「今は、ご容赦を」

 顔を赤らめて、家持が抵抗する。そんなか細い神経なぞしておらんくせに。生意気じゃわ。

「しかたがない・・・」

 スクッと、立ち上がり背伸びをする。春の日差しと風が心地よい。

「んー。乗るがよい」

「しろ様?」

 不審に思いながらも、家持がワレの背に乗った。献身的に越中国を巡回する家持は筋肉質で、人間の男として好ましい。

 バッ!

 大地を蹴り、一気に走り出す。家持を乗せたワレは、山間に走る一陣の疾風となった。風景が流れていく。

「しろ様、どこに!」

「家持の口から聞けんとなれば、もう一人の当事者から聞くしかなかろうて!」

「えっえぇーっ!」

 家持が、背中で仰け反りおった。ジタバタ暴れるな、痴れ者が。神の背中の上じゃぞ。

「待った。しろ様、待ったっ!」

「待てと言われて待つ阿呆がおるかよ」

 ハハハッツ

「やーめーてぇ~」

 家持の鳴き声が木霊した。

 

 

 真田の里は、射水川(現:小矢部川)の上流に位置し、やや春は遅い。田植えもまだ始まっておらず、ようやく田んぼに水を張ったところだ。

 陽光が暖かく差し込み、村はずれの寺院からは、村娘たちの明るい笑い声が聞こえる。

 

 

物部の

八十乙女らが

汲みまがふ

寺井のうへの

堅香子の花

(訳:大勢の少女たちが入り乱れて水を汲む寺院の井戸。その側に咲き乱れている堅香子の花)

 

 

「堅香子の花で止めるのか? 美しいとか続けんのか?」

「言わなくても、堅香子の花が美しいことは、当たり前じゃないですか。伝わりますよ」

「言わずが花とな」

「あっ。上手いこと言う」

 家持がうれしそうに笑った。

「当たり前のことが、当たり前にあったり出来たりするのは重要なことなんですよ。僕は、この国をそういう国にしたい」

 あぜ道を肩を並べて歩く。家持が時折、たんぽぽの花を摘んだりするものだから、自然と悠々とした歩みになる。

「歌人らしからぬな」

「これでも国司ですからねー」

「中央に帰る気か?」

「望むと望まぬと、任期が終われば戻されますよ。まっ、宮仕えのツライとこです」

 ハッハッハッ・・・

 うつむいて、家持は力なく笑った。

 家持は、いやがおうにも政争に巻き込まれていく自分を知っている。大伴の血族に生まれた宿命なのだと。

 この越中国で過ごす時間が、生涯において最も平穏で、歌人として幸せな時期になると覚悟しておるようじゃった。

 だから、はやし立てられるように歌を歌う。数多くの歌を歌う。歌を歌を、歌を歌う。

「真田の娘よ」

 うつむいてしまった家持より先に、目的である真田の娘を見つけた。

 飾り気のない木綿着だが、黒々とした髪が美しく、田畑仕事に従事する荒れた手をしながらも、切れ長な瞳は聡明さを表している。

「はっ、しっ、しろ様!」

 バサッバサッバサッ

 手にしていた山菜の束を驚いて落とす。

「しっ、失礼しました」

 そして、慌てて拾い集める。

 まぁ、これが普通の人間の反応じゃな。己よりも二周り以上も大きな狼が、犬歯を見せながら人の言葉を話すのだ。いたしかたがあるまいて。

 仮に、家持が昔教えてくれた『ダイラボッチ』という巨人にワレが出会ったら、同じ反応をとるかもしれん。

「あんまし驚かさんでやってくださいよ」

「家持様っ!」

 バサッバサッバサッ

 せっかく拾い集めた山菜を、真田の娘はまた驚いて落とした。ワレの陰になって、家持に気が付いていなかったようだ。

「驚かすなと?」

 少し勝ち誇った眼で家持を見下ろしたが、

「深雪どの、大丈夫ですか!」

 ワレの視線など意に返さずに、家持は真田の娘、深雪の下に駆け寄った。うむ。これだから、相思相愛な特殊空間は嫌なのじゃ。

「家持様、どうしたのです? 突然」

「も、勿論。深雪殿に会いに来たのです」

 家持は、ワレに無理やり連れてこられたとは言わない。ここは男の子の対応を見せおる。

 そして、真田の娘も素直に顔を赤めた。にっこりと笑う顔がうれしそうだ。

 クックックッ

 思わず笑い声が漏れてしまう。愛い奴らよの。

 真田の娘は、名を深雪という。年の頃は十六、七。漆喰のような黒髪が美しい。先祖は胡地の出と聞くが、肌が白く、腰骨の位置が高い特徴から、さらに北の女真や韃靼の血を感じさせる。

「ありがとうございます」

 真田の娘は、家持に手伝ってもらい、山菜を束ね直した。二人は立ち上がる。

「わたしも、家持様に会いとうございました」

「うん。うん」

「その、ご報告することがあって・・・」

「報告?」

 真田の娘が、少し緊張したように、唇を引き締めた。眼差しには、覚悟が含まれている。

「あの・・・、その・・・、ややこが出来たようなのです」

 一瞬、場が静寂に包まれた。

「っ・・・」

 さすがのワシも声を失のうた。真田の娘よ、ちと突然すぎるじゃろ、それは。見てみよ、家持が呆けているではないか。

「や・や・こ?」

 家持が、一文字づつ確かめるように口にした。

 どうにも、現実に頭が付いていっておらんようじゃ。

「ややこ。漢字で書けば稚児。意味はあかご。略してややと言うこともあるのじゃったな」

 しかたなく、助け舟を出す。

「ややこっ!」

 家持が眼を輝かせ大きな声で叫ぶと、真田の娘を抱きかかえた。

「きゃっ」

 バサッバサッバサッ

 山菜の束が、三度落とされる。

「ややこ、ややこ、ややこっ!」

 家持は、真田の娘を抱き上げると、ぐるぐると回って喜びを表した。

「うれしい、うれしいっ!」

 満面の笑みを、真田の娘の顔に擦り付ける。

 真田の娘も、「家持様、家持様」と笑顔で涙声を上げている。妾の子である。迷惑がられるのではないかと、心配していたのだろう。

「やれやれ、先ほどまで『さびしい』など何だのと愚痴をたれておったのに、今度は『うれしい』か・・・。つくづく忙しい男よの」

「しろ様っ!」

家持がぐるぐる回るのをを止めて、ワシに向き直った。真田の娘は抱いたまま離さない。

「寂しいも嬉しいも、すべて愛ですっ!」

「愛とな? 分からんな」

「僕は、しろ様に伝えたいっ! 寂しい、嬉しい、哀しい、愛しい。人間の持つ、すべての感情を! 愛を、愛することを伝えたいっ!」

 家持が、再び真田の娘に頬ずりした。

「そうだっ! 歌だ、歌を捧げよう! 高貴な人も庶民も、老いも若きも、男も女も。恋の歌から嘆きの歌まで、あらゆる人々の、あらゆる感情をまとめて、しろ様に捧げよう! そして、『愛』を知って欲しいっ!」

家持は、一気にまくし立てた。それは、うれしさの表れだ。『愛』という感情の大きさだ。それは、とてもワレの興味を惹きつける。

「森羅万象、万葉の心。そうだ、万葉、万葉の心だっ!」

 家持が、両足を大きく広げ大地を踏みしめると、両手を天高く突き上げる。

「万葉集っ!」

 山々に木霊する大きな声で叫んだ。

「しろ様に捧げる歌集は、万葉集という名前にしようっ!」

 家持は、大地を空を、人を自然を包み込み、万世まで伝える『万葉』という言葉に行き着いた。

「万葉集・・・」

 その言葉の響きは、美しい。

 

 

 

 

 

 

 

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