新訳 収穫の十二月 [完結]   作:井上そんこう

8 / 18
第三章 栽培の季節
1 不思議色ハピネス


 

「ごちそうさまでした」

 手を合わせて感謝の言葉を述べる。

 広い和室に、和服姿の親子三人。樫の木の大きな食卓。その食卓の上には、奉公人が作った食事が、ほとんど手付かずで残っている。

「もういいのか?」

 今日の夕餉は、私の好物である天ぷらだった。この時期の食材では、富山湾で獲れた白エビの掻き揚げが絶品である。

 しかし、その白エビの掻き揚げに、申し訳程度にしか箸をつけていない。父様が心配になるのは無理もない。

 いつもならば、呆れられるほど食べるのだが、今日はどうしても食欲がわかないのだ。

「これで三日続けて。具合が悪いの?」

 母様の表情が微かに曇った。表情の起伏の少ない女性だが、感情の起伏は、人並み以上に持ち合わせている。

 今も、表情の変化こそ小さいが、心から心配してくれているのが分かる。

「申し訳ありません。十和田の娘がお百姓や漁師に顔向けできないことをするなど、許されることではないのは重々承知しております」

「そうですね」

 母様が頷いた。一つ一つの動作に気品がある。当代の当主である十和田真白は、優雅さにおいて歴代に並ぶものがないと称されている。娘として誇りに思うし、目標の一つでもある。

「これが人様の前なら折檻しているところです」

「真白さん・・・」

 聞きとがめて、父様が険しい顔になる。髭面の強面で迫力があるが、母様には通用しない。

 母様と父様の馴れ初めを知る裕美さんに言わせれば、『強面だけど心はウサギさんな歩君が、かわいい顔してるけど心がオオカミな真白に、パクッて食べられたのよ♪』らしい。

 その力関係は、今もなお継続中だ。母様が父様を一瞥して黙らせる。父様、弱すぎます・・・。

「―――ですが、ここにいるのは私たち親子だけ。理由があるのでしょう。お言いなさい、美雪」

 母様の言葉には、有無を言わせない力がある。私は正座のまま、母様に向き直った。

 母様が、御仏のような微かな笑みを浮かべている。しかしそれは、意思によって制御された笑みだ。ちょっと、いや、かなり怖い。

 実の娘なのに、向き合うだけで胆力が磨り減っていく・・・

 それを思えば、こんな母様の後頭部に、『このスカポンタンっ!』と、激しい突込みを入れる裕美さんは、本当にスゴイと思う。

「美雪」

 母の一言で、現実に呼び戻された。覚悟を決めて、柾木のことを告白するしかない。大きく深呼吸をし、切り出した。

「ややこを造りたいのです」

「なっ!」

 父様が口を大きく開けたまま固まると、その手から箸がスローモーションで落ちていった。

 しまった。舌足らずなのは、私の欠点の一つだ。

 でも、

「あらあら」

 母様は、動じた様子がない。

「美雪は子供が好きでしたね」

「はい」

「自分のややことなるとね、それはもう愛らしいもの。私のときもそうでした」

 ふと慈愛のこもった視線で見つめられた。

「そうですか、美雪もややこを欲しがる年頃になってしまったのね」

「私は十和田の家で育ったことを誇りにしております。母様」

 母様には、多くを語る必要がないようだった。母様は分かってくれている。

「ちょっと待ったっ!」

「父様?」

「美雪、ややこなんて言い出すものじゃない! だっ、だっ、だいたい、あっ、相手が、おらんと、ややこは・・・」

「歩さん、眼が泳いでますよ」

 くすくすと、母様が小さく笑う。この笑い方は、上品というより可愛らしい。とても参考になる。柾木に使う表情リストに加えておこう。

「だってだな、早すぎる。早すぎるだろ。まだ美雪は高校生。やることが他にもあるだろう。とにかくワシは許さん。許さんぞぉっ!」

「女にとって、ややこを抱くこと以上に大切なことはありません」

「言い切らんでも・・・。ほっ、ほら、真白さん、子供を育てるっていうのは、とても大変だ。美雪にはまだ人生経験が・・・」

「そんな軟弱な教育をしてきた覚えはありません」

「しっ、しかしだな・・・」

「父様は、孫の顔を見たくはないのですか?」

「珠のようなややこを産むのですよ」

「二人とも、どうしてそんなに結託する・・・」

「むっ」

 母様に睨まれて、父様が小さく丸まる。それでも今日の父様、まだ抵抗を諦めない。あら、めずらしい・・・

「父様こそ、どうしてそのように頑ななのですか」

「それは・・・、世間体とか・・・」

 声が尻切れに小さくなる。

「本気で言ってるのですか、歩さん」

 母様、怖い顔。

「そのようなことで、十和田の家名に傷が付くなどと考えていると?」

「やっ、それは、その・・・」

 入り婿である父様は、この話題になると戦力が半減。変わって母様は戦力倍増。都合、四倍の戦力差となる。

「そもそも家に傷など付きません。傷つくのは、いつだって人間だけです。それに・・・」

 言葉を切り、母様が口元を小さく皮肉めいて曲げてみせた。

「私たちには、美雪を説教する資格はありません」

「ワシらのときは、ちゃんと高校を卒業するのを待ってだな」

「それは対戦相手が逃げたからです。それとも、あの時、私を口説いた言葉に、嘘偽りがあったとでも?」

「なっ、ないですとも、そんな」

「もしくは、こんな鉄面皮で貧乳な女よりも、天真爛漫で牛乳のあの女に未練があると?」

「まっ、真白さん。そっ、そんなことはありませんよ。ありませんですとも。そっ、それに、こ、子供の前でそういうこと言うのは、どうなのかな? ど、どう・・・」

 父様の声が裏返った。

「では、いいですね」

「だがなぁ・・・」

 まだ何か言いたげな父様を捨て置き、母様が私に向き直る。残念。もう少し、二人のなりそめを聞いていたかったのに・・・

「それで、意中の殿方はどのような方です?」

「それが問題なのです」

「おや?」

 少しだけ母様が身を乗り出した。内心は好奇心が疼いてしょうがない様だ。

「ややこの作り方を、どうしても教えてもらえないのです」

「作り方? そのようなもの、とりあえず裸にひん剥いて」

「どかーんっ! どかーんっ! どかーんっ!」

「と、父様?」

「なんですか、歩さん。騒々しい。桜島でも爆発したような」

 母様が冷たい視線を送ると、父様は無言になったけど、手をバタつかせ妙なジェスチャーで何かを訴え続ける。

 しかし・・・。父様、その動き、私には分かりかねます。特に、屈伸しながら股間部分をⅤの字で切り上げるのは・・・コマネチ? 未来言語ですか?

「それでね、美雪」

 そんな父を完全に無視した母様。

「四の五の言う前に、無理やりパンツと皮を」

「どかーんっ!」

 父様の理性が切れた。血の涙を流している。

 そうか、父様は包茎か・・・

 でも大丈夫。たとえ柾木が真性であろうと仮性であろうと、私の愛は揺るがない。

 きっと母様も、そうに違いなかったはずだ・・・、たぶん。

「母様。父様が可愛そうなので、このあたりで」

「仕方がないわね」

 ぜぇぜぇと息を切らす父様を振り返り、母様がニンマリと笑った。やっぱり、母様は怖い。

「私も行為そのものは知っているのです。ただ、どうしたらその行為に及んでくれるのか・・・」

「歩さんと同じ意見なのでしょう。世間体やら何やらと、取るに足りないことを気にして」

「私自身に魅力がないのかと・・・」

「シチュエーションで迫るという手もあります。歩さんの場合は、まだ当時高価だったアツギの黒ストッキングをセーラー服に合わせたら、とたんにね・・・」

「いえ、私も体操服とブルマの組み合わせを試みたのですが・・・」

「すでに黄金率を!」

 母様が、一瞬たじろいだ。

「それは難敵ですね。けれど、若い男の子が、そんなに下半身を切り離して生きているとは、とうてい思えません」

「きっと私が・・・、愛されていないことが原因なのです」

「お付き合いしているのでしょう?」

「はい。しかし、私だけではありません」

「なにっ! 二股だとぉ! 許さんっ! 許さんぞっ! ワシの娘を何と考えるかっ!」

「歩さん、うるさい」

 バッ

 怒りで立ち上がった父様の両足を、母様が片手で払った。一閃である。

「十和田の娘が、二股をかけられていると?」

 倒れる父様を見向きもせず、母様が冷めた目線を送ってきた。

 ゴンッ

 父様が頭から床に落ちる音がしたが、母様に習って私もそれを無視する。

「しろ様とも付き合っております」

「神と?」

 本当に珍しく、母様が言葉に詰まった顔をした。

「しろ様にも発情期みたいなものがあって、百年に一度ぐらいの周期で子を成すそうです。だとしても、前回から四十年も経っていないのに・・・」

「しかし、しろ様も私と同様に愛されてはいない様なのです」

「―――なんてこと」

「母様。私はどうすればよいのでしょう?」

「正しい答えは思いつきません。しかし、言えることは一つあります」

「はい」

 母様が、私の返事に頷くように一度眼を閉じてうつむいた。少しの溜めの後、見得を切るように顔を上げ、口を開いた。

「十和田の女であり続けなさい」

 それは、幼い頃より幾度となく言い聞かされて来た言葉だ。

 怖れてもいい、ただし退くことはなかれ。

「ありがとうございます」

 畳に指を付き、深々と頭を下げた。

 そうだ、母様の言う通り、悩むことなどないのだ。私は十和田の女なのだ。

「それにしても―――」

 母様が、決意のこもった眼をした私を見て、安堵したようだ。

「その美雪の想い人って、どんな子なの? 名前は?」

「柾木」

 ビクッ

 父様と母様が、一瞬で緊張したように見えた。だが、なぜかは分からない。

「柾木は苗字ではなく名前で、紺野柾木。東京から引っ越して―――」

「―――面白い」

 ガタッ

 母様が、急に立ち上がった。冷たく光る視線は赤みがかっている。

「フッフッフッ」

「母様?」

「意趣返しというならば、それもよいでしょう」

「えっ?」

「なんでもありません。それより美雪―――」

 母様が私を見下ろす。身長は、私よりも低いはずなのに、、こういうときの母様は、異常に大きく見える。

「この戦、勝ちなさい」

 真っ赤になった瞳で命じられた。

 もとより負けるつもりはない。柾木は私のものだ。私は十和田の女だ。

「是非もなく」

 私は立ち上がると、同じように真っ赤に燃える瞳で母様に答えた。

 

 

「なんてこった」

 父様が、畳に倒れたまま、顔を右手で覆って嘆いたが、蚊帳の外の出来事である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。