新訳 収穫の十二月 [完結]   作:井上そんこう

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2 輝く瞳

 体中に無数の薄皮一枚の刀傷。

 もちろん、秋山小兵衛・大治郎親子に根性の特訓を受けたわけではない。

 頬に大きなバッテンの刀傷。

 もちろん、飛天御剣流の使い手の証でもない。

「どうした、それ?」

 弁当箱を開きつつ、耕平が傷の由来を聞いてくる。答えなくても分かりそうなものを・・・

「美雪にやられた」

「あー」

 簡単に納得しました。

「どう考えても柾木くんが悪いんだけどねー」

「不潔。レイプ魔。実刑直前」

 早苗はともかく、瑞穂ちゃんは敵意むき出しで僕を睨んでいる。

「僕の味方は耕平だけか」

「柾木・・・」

 バッ

 いきなり目の前で大きなバッテンのポーズ。僕は、頭からバケツで水をかけられたような感覚を味わった。

 そうか、味方はいないのか。神様・・・

「ロリコンは病気だぞ」

 シスコンのお前に言われたくない。

「お前らみんな敵だ!」

「んー、ヤることヤっといて味方が欲しいなんて、虫が良すぎると思うんだなー。早苗ってば」

「僕から手を出したわけではない」

「コトを済ませた男は、みんな同じこと言うのよねー。最低。死んじゃえ」

「全否定出来ないのが、男の悲しさだよな」

「だからぁ!」

 声を荒げて反論しようとすれば

「あっ、その森野の卵焼き旨そうなのな」

「耕平くんも食べるかい? 昨日の残り物を混ぜただけだよー」

「あっ、わたしも、わたしも」

 軽く全員からスルーされれるし。

「聞いてよ、ねぇ、みんな!」

「えー」×3

 何も声を合わせんでも・・・

 

 

 とにもかくにも、僕の訴えは誰にも届かない。昼休みの喧騒にかき消されていく。

 どういうわけだか騒がしさのほとんどに、僕と美雪の名前が混じっている。ときどき哀れんだ眼差しが飛んで来るのは、かなり勘弁して欲しいね。

「当たり前のように弁当を始めますか?」

「んー?」

 僕の机に合わせて陣取った耕平たちが、それぞれの弁当を広げて食べ始めた。

 僕の手元だけが空っぽだ。

 向かいの席は空いたまま。

 美雪は例のアレな一件以来、ひどくご立腹である。当然、弁当を美雪の手作りに依存していた僕は、食いっぱぐれることになった。

 だから、僕は朝、母に弁当を作ってくれるように頼んだんだが・・・

『まみちゃんは、昔の女にすがろうなんて弱わ弱わなオトコノコに育てた覚えはありませーん。っていうか、腹を空かせて反省でもしやがっれて、馬鹿―☆』

 家族すら敵に回した僕は、まったくもってどうすればいいんだか。

 というか、昔の女ってなんだ、母よ。

「でもさ、雪っちがお弁当を作ってくれないからって、すぐに代替用意しようとするのって、早苗的には違う気がするなー」

「作ってくるのが当たり前って、自意識過剰。キモ男街道驀進中ですよ、柾木さん」

「反省の色は見えんわな」

「結果的に、弁当持ってきてないじゃん」

「だからダメなんだよー」

「ダメすぎ」

「だな」

 勝ち目のない討論をしても腹が減るだけ。

 ポケットをまさぐれば、家の鍵と小銭が少々。コッペパンならお釣りがくる。

 カタンッと、椅子を鳴らして立ち上がる。

「行ってくる」

「どこにさ?」

「購買」

「まぁ、座れ」

 ぐいっ

 耕平に服のすそを掴まれ、座らされた。

「お姫様のお着きだ」

 同時に、ガラガラッと教室のドアが開き、美雪が入ってくる。表情はいつも通りすぎて、内心が読めない。

 そのまま僕の正面、いつもの指定席に納まる。

 耕平に早苗、瑞穂ちゃんがそれぞれの弁当箱を少しだけ手前に引き寄せる。

「それって」

 そうして机に出来たスペースに、二段重ねの重箱が置かれた。

 体中の刀傷が、チリチリと熱を持って痛む。心より、体のほうが正直だ。

 美雪の細長い指が、風呂敷のちょうちょ結びをほどいていく。僕はただ、馬鹿みたいにそれを見ているだけだ。

 言い訳を重ねればいいのか。

 逃げてしまえばいいのか。

 今までなら、どちらかの選択しかない。

 そう、なかったはずなのに・・・。体中の刀傷が、熱を持ってそれを否定する。

 結局座りなおし、お叱りを受けることにした。

 少しずつ、僕の心の堤防は、水位を増している。

「傷の具合はどうだい?」

「痛いです」

「罰だ」

 クスリと、美雪が笑った。

 その上品で可愛らしい笑い方で、僕は許されたことを悟った。良かった。本当に良かった。色々な意味で良かった。

 カタッ

 重箱のふたが開く。

「ふえ?」

「にゃんと?」

「おっ?」

「えっと・・・?」

 美雪を除く全員が、何度か瞬きをして自分の眼を疑う。

「食べるがよい」

 重箱の中は、一面の黄金色だった。ランララ ランランラン♪と聞こえてきそうなくらいの黄金色オンリーだ。青い服を着て踊りたくなる。

「いやはや、小麦色だな、これ」

「ぱんぱんだね」

「かんぱんだってば」

 耕平、早苗、瑞穂ちゃんが、それぞれボケと突っ込みを入れる。

「まだ怒ってます?」

「怒ってないぞ。君の願いどおり、箸をもう一膳つけるほどに冷静だ」

「そうですか」

 もとより罰を受け入れる気だったのだ。僕はおとなしくかんぱんに箸を伸ばした。箸って、いるのかなー。

「んー、これって不出来な夫に兵糧攻めでお仕置きする妻の構図だねー。ウチのお父さんみたい」

 早苗のお父さんとは、分かり合える気がする。

「ええっと、いただきます・・・って!」

 言葉が途切れた。

「毒は入ってないぞ」

「そうじゃなくて!」

 重箱の二段目、美雪の分のお昼ご飯。

「いただきます」

 美雪は両手を合わせ、お箸を伸ばす。

「僕のコレが罰なのは分かるけど、でも――」

 重箱の一段目と同じく、かんぱんだけ・・・

「君の罰は、私の罰だ」

 ダメだよ、美雪。それは重い。重すぎる。

 赤く火照っていた刀傷から熱が逃げていく。

 僕の心の防波堤は、どうにか守られた。

「悪者だな」

「悪者だねー」

「犯罪者よ」

 僕は無言でかんぱんを口にする。ぼそぼそとして喉が渇くだけで、なんの味もしない。非常食なのだから当然と言えば当然だが、今の僕の心境をよく表している。

 それでもそれは、僕らの関係を日常に戻すのに十分な味だった。

「ごめん・・・」

「・・・わかっている」

 美雪は、今の僕をすべて受け入れてくれているようだった。

 

 

「打ち上げ?」

「そっ、大晦日な」

「宵越しの祭りだよー」

「ホワイトウルフのご加護のおかげ♪ってね」

「ホワイトウルフって・・・。ようは、しろ様だろ?」

 僕は苦笑した。

「うむ。毎年大晦日に、多紙神社でこっそり酒盛りして年越ししているのだ」

 美雪が説明するが、日頃から堂々と酒盛りしているのに、『こっそり』ってなんだかね。この感覚のズレが美雪らしい。

「じゃぁ、僕らとしろ様だけで?」

「いやー。しろ様はいねぇな。たぶん」

「年末年始は、忙しいからねー」

「町の家々を回っているのだ」

「美味しいもの、たかりに出てるだけじゃない」

 フッハハハッ

 簡単に想像できて、笑ってしまった。

 紅白歌合戦を見ながら食べているお菓子や果物、年越し蕎麦におせち料理。それらを腹いっぱいに食べて満面の笑みのしろ様。きっと、小さくゲップしたりしてるんだろうな。可愛らしいね。

「町のみんなも、喜んでるからねー。神様が家に来たーって」

 僕らは見慣れすぎてご利益を感じないけど、町の人々にはちゃんと神様で、そして、愛されているんだ。

「まぁ、毎年のことだけどよ、今年は柾木も加わったから、細かい分担とか後でな」

「あぁ、頼むよ」

 僕が返事をするのと同時に、昼休み終了の予鈴がなった。瑞穂ちゃんが慌てて弁当箱をしまうと、僕らの教室からパタパタと出て行き、自分の教室に戻っていく。

「やれやれ」

「可愛いではないか」

 そんな微笑ましい瑞穂ちゃんを、僕と美雪は並んで見送った。

 このときの僕は、こんな状態を受け入れてくれている美雪に甘えていたんだと思う。実際、未来を楽観視していたことは否めないね。

 

 

「―――であるからして、秀吉は大明帝国の征服をもくろみ、李氏朝鮮に挑んだのであるが、見事に失敗したのである」

 言葉の端々に日教組特有の含みがあるが、そんなことはどうでもいい。問題は、高校2年の年末で、いまだに安土・桃山時代をやってるってことだ。

「・・・受験までに昭和に入らないな、こりゃ」

 ポツリとつぶやく。

 大紙町は山村の片田舎だ。当然、予備校や塾なんてものは存在しない。受験勉強を自力でやらなきゃならない身である。この仕打ちは堪える。

 学校があてにならない以上、家でどうにかしなければならないが、旧帝大の出身の父は、僕が必死に勉強している姿を不思議な目で見る。

『それくらい、出来るだろう?』

『いやいや、何をおっしゃるのやら』

『一回読めば、だいたいは』

『言ってる意味が分かりません』

 凡俗たる身としては、努力するしかないのですよ。しかも、いい恰好しいの僕は、努力しているところ見られたくないとくる。

「自分で自分の首を絞めてるね、まったく」

 トホホ。

 

 僕はノートを取る行為を放棄し、黒板の上の時計を見上げた。時計の長針が三十分を指したところだった。

「あと十五分かぁ・・・」

 ため息混じりに、自習のために教科書を読み進める。

 コンッ コンッ

 不意に、教室のドアがノックされた。

 熱弁をふるっていた教師が、ピタリと動きを止める。一度、黒縁メガネを慇懃に持ち上げ、「どうぞ」と入室を促した。

 カラカラカラ

 作りが古く、建てつけも悪い木造の引き戸なのに、開かれた扉の音はいつもと違い軽やかだった。

 開けられた扉から、颯爽とした着物姿の女性に続き、ハゲデブ、またの名を校長が、ハンカチで汗をぬぐいながら教室に足を踏み入れた。

「かっ、母様っ!」

 ガタンッと激しい音を立てて、美雪が椅子から立ち上がった。

 あぁ、なるほど。このクソ寒い中で、あのハゲデブに大量の汗をかかせているのだ。只者であるはずもないが、そうか、美雪の母親か。さもありなんだ。

 言われてみればよく似ている。切れ長な瞳に、通った鼻筋、口元に微笑。結い上げた黒髪と対照的な白い肌。凛とした立ち振る舞いは、意志の強さと気品を表す。

 呆然と立ちすくむ美雪と見比べてみる。おそらく十年、二十年後の美雪の姿がそこにある。美雪の完成形と言ってもいい。

 日本史の教師が、怖気づくように一歩引いて、教壇を譲った。

「紺野柾木という子はどなた?」

 美雪の母親が教壇に両手を着き、僕を探す。教壇の上から左右に視線を向ける所作は、上からものを見るのに慣れきった証だ。

 それは、反骨心を覚える。

 誰もが黙りこくっている。ただし、それは状況に思考が追いついていないだけだ。

「誰か?」

 美雪の母親の表情が、微かに緩んだ。

「えっと・・・」

 それだけで我に返った生徒たちが、視線をさまよわせるが、一転して集約していく。

「貴方ですね」

 集約された視線の先。すなわち僕に、美雪の母親が微笑みかけてきた。

 身震いするような圧力だが、あえて平然とした顔でその視線を受け止める。

「ふぅん」

 何かを納得したように、美雪の母親は面白そうに眼を細めた。

 ますます僕の中の反骨心が大きくなる。

「都会の者は、礼儀をわきまえないのですか?」

「名乗りもしないような女性に、応える義務があるとでも?」

 僕は、十和田家の支配に慣れきった多紙の住民ではない。東京から来た、いわば外様だ。無知だからこそ出来る抵抗というものもある。

 青臭いことを言っているのかもしれない。でも、僕は高校二年生だ。青臭いガキで十分だろ。

 ざわざわ

 静まり返っていた教室がざわめく。「十和田の女に逆らうなんて」そんな声も聞こえるが、知ったことではない。

「私のことをお嫌い?」

「本能が敵だと言ってます」

「正しい状況把握です」

「でも、きっと敵いません」

「それでも手向かうと?」

 僕は頷いた。

「よろしい。貴方が、紺野柾木ですね?」

「はい」

 今度は返事を返した。これ以上、こんなところで意地を張るものではない。

「状況から察せられるでしょうが、私は美雪の母親の十和田真白」

 真白も名乗り返す。

「では―――」

「お断りします」

「まだ、何も言ってないでしょうに」

 真白は、少しおどけてみせた。

「何かあるから来たのでしょう?」

「それもそうね」

 真白の視線が、僕の頭の先からつま先まで、二度ほど往復した。二度目は、若干敵意が含まれているように感じた。

「値踏みは済みましたか?」

「やはりね」

「はい?」

「付いて来なさい」

 それだけだった。

 真白が背を向け、教室から出て行く。

 真白の視線が外れると同時に、巨大な圧力から解き放たれた。力が抜けていくのが分かる。

 真白は一度も振り返らない。その背中には従うことを確信した傲慢があった。

 くやしかった。

 だから、従うつもりはなかった。

 けれど―――

「紺野くん・・・」

 ハゲデブが、今にも泣きそうな情けない顔を向けていた。高校の校長という、退官時には受勲されるような身分の大人が、一介の高校生の僕に、何度も頭を下げて懇願する。

 これが、十和田の家の力だ。

「南無三―――」

 気に入らないが、僕は席を立った。

 僕だって、残りの高校生活をよろしく過ごしたいのだ。校長の顔ぐらい立ててやるさ。

 おおっ

 クラスの連中から声が上がる。遊園地のヒーローショーか何かとでも思っているのか。人間、他人事だと、どこまでも無責任になれる。

 机の脇にかけている鞄を引ったくり、ハンガー掛けからバーバリーのコートをむしり取る。

 そのまま、立ったまま固まっている美雪の前を通り過ぎ、廊下に出た。それだけで、身体が一気に冷えていき、感情が研ぎ澄まさられる。

 学校の外には、いけ好かない黒塗りの大型車が待っていた。

 近づくと中からドアが開き、そのまま後部座席に乗り込む。隣には、真白がいた。

「強情な子。でも、嫌いではないのよ。あなたも、彼女も」

 真白が笑った。含むところがあるらしい。

「出して頂戴」

 でも、それが何を指すのか考える間もなく、車が動き出した。

 

 

 授業どころではなくなった教室は、喧騒に包まれていた。

「「先生! これからお腹が痛くなる予定なので早退します!」」

 教室の二箇所から声が上がる。

 そして―――

 バンッ!

 後頭部を容赦なく強打された。

「もうっ! 何やってるのよ、雪っち!」

「えっ? えぇぇ!」

 我に返るとはこういうことか。

「母様は? 柾木は?」

「何、寝ぼけたこと言ってんだ。行くぞ!」

「ほらっ!」

 遠野に腕を引っ張られ、勢いよく廊下に跳び出る。早苗が私の荷物とコートを両手に抱えて、私たちに続いた。

「ちょっ、ちょっと、君たち!」

 日本史の教師の制止は無視された。もちろん、罪悪感などない。

 今は、柾木が心配なだけだ。

 

 

 数分後、校庭を駆け抜ける私たちの背に、瑞穂の怒声が重なる。

「お兄ちゃんっ! 授業中に何やってるのっ!」

 一年生の教室は二階だ。窓から身を乗り出した瑞穂が叫んでいる。

「あのバカッ。授業中だろうが」

 いや、よく似た兄妹だと思う。

 振り返ると、瑞穂のおでこから普段はない『アホ毛』がピンッと真っ直ぐに突き出ていた。

「妖怪アンテナ?」

「さ、三人でって、まさか柾木さんにっ!」

 クワッと、瑞穂の眼が大きく見開かれた。

 さすがに生徒会長。頭の回転は速い。

「イくイくすぐイくから、先に行かないでぇーっ!」

 また一つ、遠山瑞穂は、ダメ生徒会長伝説を作った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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