実験室のフラスコ(2L)   作:にえる

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鬼滅2

 

 

 --3

 

 俺が生まれたのは森の奥深くに住む、猟師の家だった。

 物心つく前に母は他界し、慣れないながらも父が一人で育ててくれた。

 父は山の知識が殆どない人で、狩猟もまた下手だった。

 十日の間で、運が良ければ小さな鳥か兎を一羽捕まえられる程だった。

 山に分け入ってくたくたになるまで練り歩いて、酸っぱい木の実か山菜を僅かに持って帰るだけだった。

 

 貧しい暮らしだった。

 何もない、他人と出会うことも全くなかった。

 娯楽と言えば父との話だけ。

 よく話をせがんだ。

 父も俺を憐れに思ったのか、母の話を色々と教えてくれた。

 

 父が家を出て逃げていた時だったという話だ。

 途中で山を越えようとして道に迷い、助けられた事が母との出会いだったらしい。

 その時、父は熊に襲われていた。

 熊の身の丈は大人を縦に二人並べても優に超えるほどの巨体を誇った。

 母は、そんな熊を軽々と鉈一本で仕留めて見せたという。

 命を助けられた父は、母のその姿に惚れ、紆余曲折あって二人は夫婦になった。

 それから数年、父は何よりも幸せだったと話した。

 母は口数少なく、表情もいつも沈んでいたが、俺が生まれた時は笑顔を見せたのだとも。

 少しずつ父が教えを受けて山に慣れつつあった矢先、母が亡くなった。

 朝起きた時、眠る様に息を引き取っていたらしい。

 そこから父は一人で俺を育てた。

 時には間違った山菜を摘んで苦しんだこともあった。

 山を下りることも考えなかったわけではないが、母の遺言に従って今も山にいる。

 いつも母の話はここで終わる。

 出会いだったり、教えだったり、そういった思い出を詳しく話してくれる。

 俺が何度聞いても、遺言については教えて貰えなかった。

 ただ、俺の額を撫でて「お前は母さんに似なかった。父さんに似た」とだけ呟いた。

 

 

 

 俺が数えで十の年頃、父は病気を繰り返すようになった。

 それまでもよく体調を崩していた。

 いつまでも慣れることのない山での過酷な生活は、それほど体の丈夫ではない父には厳しかったようだった。

 床に臥すことが多くなった父は、負い目からか俺に人の暮らしやちょっとした勉学を教えてくれた。

 俺もそれに応えるように、一層励んだ。

 弱っていく父とは反対に、俺の身体は丈夫だった。

 父に代わって山へと入るようになっていた。

 能力は母に似たのか、独学でも難なく狩猟して暮らせた。

 山を下りようと何度も言うが、父は頑なに拒んだ。

 無理やり連れようとすると、病人とは思えない力で床や壁を掴んで離れず、俺のほうが根を上げるばかりだった。

 

 次第に悪化し、父の咳が止まらなくなり、自力で起き上がることも出来なくなっていた。

 今日こそは山を下りるのだと背負った。

 珍しく拒まなかった。

 しんしんと雪の降る中、父を背負って歩いた。

 川を辿れば人里に付くと、昔聞いたことがあった。

 俺の背で、父が咳混じりに呟いていた。

 意識が定かではないのか、よくせがんだ話だった。

 いつもなら母が亡くなった下りで終わるのだが、止まらなかった。

 父が家出する際に持ち寄った道具が床下にあること、母の亡骸を埋めた場所、父の家の場所。

 初めて聞く話ばかりだった。

 

「俺にはわからないが、お前の母さんは先祖が理由で山に隠れ住むことになったらしい。『過去の罪と恥が赦されるまで、人々を襲う獣を狩って生きる』、そうも言っていた。どんな罪と恥なのか、聞いても知らないと言っていた。もう随分と昔のことなのだろう。忘れられているか、赦されているに違いない。父さんに似たお前の額には、母さんのように薄い痣がない」

 

 父がそう言った。

 咳は止まっていた。

 呂律が回っていなかったような喋りだったのに、その時ばかりははっきりしていた。

 

「これは自慢だが、父さんは素晴らしい家に生まれた。人の命を助け続けた一族だ。才能が無いから逃げたが、それでもこの血は誇らしいものだ。お前にも当然流れている血だ」

 

 どんどんと背中の父が軽くなっていった気がする。

 熱も失われていた。

 父の身体から目に見えない、しかし人として生きるための致命的な何かが抜け出ているようだった。

 

「ずっと考えていた。両方の血が合わさったお前は山を下りていい。ここに残る俺が赦す。今まで引き留めてすまなかったな。そろそろ俺は眠るよ。心配しなくていい、夫婦だから一緒に寝るだけだ。隣り合って、寝るだけ」

 

 俺の体は力に満ち溢れていた。

 それなのに、ぞっとするほど体の芯まで冷えていた。

 父の負担になるかもしれないのに、震えが止まらなかった。

 人を背負っているのに、命があるはずなのに、あまりにも軽すぎた。

 

 

 

 

 

「決心できなかった……。俺はずっと弱い……。意気地が無く、臆病だっだ……お前に、おにの……」

 

 

 

 

 

 --4

 

 叔父上と兄上、新しい家族が二人増えた。

 二人は俺に、刀を使う技術と勉学を教えてくれた。

 刀を用いて鬼を狩る、それが俺に求められる生き方だった。

 これまでも獣を狩って生きてきた。

 何も変わらない。

 それ以外の生き方を考えたこともない。

 だからちょうどよかった。

 

 『風の呼吸』と、それに連なる剣技を学ぶ。

 刀を振る事で風を操り、また風を読む技術だった。

 目に見える物だけでなく、髪の毛の先まで神経を通して感じ取る。

 実際は空気の流動などを肌や毛先で感じ取り、状況の把握に活かすのだという。

 あまりにも難しく、叔父上と兄上の根気が無ければ俺は根を上げていたに違いないほどだった。

 兄上はこの技術に優れていて、透けているかのように壁を越えた先の様子を当てることができた。

 

 呼吸に併せて、『羽織』の着方も学ぶこととなった。

 日光によってきらきらと僅かに輝くそれは、鬼狩りの装備である日輪刀を縫い付けていると教わった。

 担い手を失った一族の日輪刀を細く断ち、骨子として徹していることも。

 また、細かい破片も表面に刺してあったり、袖口などに溜めてあり、鬼へと目つぶしが可能だとも教えられた。

 何も知らぬ者が袖を通すと、僅かに動くだけでも自身を切り刻むほどに危険でもあった。

 羽織は代々一族の当主が着ることになっており、兄上が着ることになるだろう。

 俺が学ぶ必要もない技術だったので呼吸も儘ならない身だと遠慮しようとしたが、二人から熱心に勧められたので修めることとなった。

 兄上に至っては、鬼狩りの仕事で忙しい身でありながら、暇が出来たらと付きっきりで俺の面倒を見てくれた。

 

 

 

 口に名号を唱え、心に相好を観じ、書を書き写し、目で先人を(なぞら)え、行住坐臥、暫しも忘れず。

 白い着物の上に、袖口などに乾いた炭が塗られた羽織を着て過ごした。

 この乾いた炭が塗られているのは、骨子として日輪刀が縫い止められている箇所だという。

 羽織を脱いだ時に、着物が汚れていれば自らを傷つけたのと同じこと。

 俺の着物は何度も炭を落とした後で汚れきっていたが、兄上の着物は不思議なことに一切の汚れが無かった。

 首を傾げる俺を可笑しそうに見た兄上は「私は子供の頃からやっているからうまく言えないが、常に意識を全身に向けて保ち続ける必要がある」と助言してくれた。

 

 

 

 歩く、走る、座す、立つ、剣を振る。

 呼吸が苦しい。

 着物が汚れた。

 剣技が難しい。

 着物が汚れた。

 ふとした瞬間に気が抜けた。

 着物が汚れた。

 模擬戦闘で打ちのめされた。

 着物が汚れた。

 叔父上は「風の呼吸が合っていないのかもしれない。他の呼吸も調べる必要があるやもしれない。とはいえ、これは剣技に通ずる動きだ。羽織を着て動く技術を身に付けたほうが強くなれる」と言いながら、落ち込む俺の頭を撫でた。

 

 

 

 そんな毎日が続いたある日、兄上の挙動がどうもおかしかった。

 そわそわというか、きょときょとというか。

 奇妙に思い、叔父上に尋ねると曖昧に笑みを浮かべるだけだった。

 兄上のおかしさは挙動だけに留まらなかった。

 宙を見上げたかと思えば、ふらふらと歩き回り。

 玄関と自室を行ったり来たりの繰り返し。

 終いには模擬戦闘で、掠ったことすら無かった木刀の先が兄上の羽織に当たったほどだ。

 そのことで反射的に兄上の力が入ったようで、普段とは全く違う威力で反撃されたため、回避しきれずに木刀の切っ先で額を裂かれてしまった。

 しきりに謝ろうとする兄上にそんな必要はないと言い続けた。

 むしろ懸絶した実力に、更なる尊敬を抱いた。

 

 叔父上に許可を貰い、裏にある井戸へと傷口を洗いに向かう。

 風を纏った一撃は広い範囲で額の皮膚を引き裂いたが、そう深いわけではない。

 数日もすれば乾いて気にならなくなるだろう。

 頭から井戸水を被っていると、鈴の音を聞いた。

 少しずつ近づいてきている。

 気になって、音の元へと向かう。

 玄関から聞こえる音だった。

 気配は、華奢な体格をした人だろうか。

 「ごめんください」と、鈴の音に良く似た高い声が戸の向こう側から聞こえた。

 返事とともに戸を開ける。

 艶のある黒髪を鈴の付いた髪飾りで纏め上げている、透き通るような白い肌が特徴的な女性が立っていた。

 こんなにも美しい人を見たのは初めてで、俺はその時惚けて固まってしまった。

 女性は俺の様子に僅かばかり首を傾け、そして遅れて額の傷に気が付いたようだった。

 柔らかで繊細な小さな手が傷口の近くに触れて「無理して来てくれたのかしら?」と呟いた。

 兄上が駆け付けて来るまで、俺は固まったままだった。

 

 美しい人だった。

 憧れだった。

 初恋でもあった。

 

 

 

 女性が、兄上の許嫁だと紹介された。

 二人は弟が欲しかったのだと俺を可愛がってくれるが、それが申し訳なく感じた。

 近くに居ていいのか、二人が話している間に割って入っていいのか悩むほどだった。

 それくらい俺にも、二人が仲睦まじいことがわかった。

 幸せだとわかった。

 

 

 

 

 

 --5

 

 義姉上が好きだった。

 話せば胸が高鳴るし、緊張して素直になれなかった。

 義姉上が歩くと髪飾りの鈴が鳴り、何処にいるかすぐにわかった。

 音が近づくだけでも嬉しかった。

 何でも差し出せてしまうくらい夢中だった。

 だが、それ以上に兄上と一緒に居て、朗らかに笑う義姉上が尊い物に感じた。

 同じくらい、義姉上と一緒に居て、緊張しながらも笑みを隠し切れない少しだらしない兄上が好きだった。

 

 俺は二人が好きだった。

 叔父上と兄上と暮らすのも好きだった、そして兄上と義姉上と一緒にいるのも好きだった。

 どちらも気持ちが豊かになるし、気持ちが高揚した。

 全身がふわふわしてほんのりと温かかった。

 

 呼吸や羽織のことで少しばかり気持ちに焦りを抱えていた。

 それも、二人が俺の相手をしてくれるだけで霧散した。

 お礼に山で摘んで作った花輪を二人に渡した。

 祝言が迫っていたということもあった。

 所詮は子供の遊びに違いなかったが、二人は喜んでくれた。

 

 後日、義姉上が俺に「可愛い義弟へのお返しです。修行の手助けになれば幸いです」と二個一対となる鈴の飾りをくれた。

 それを見た兄上も「お古になるのだけれど」と、自室から少し古くなった同じ鈴の飾りを持ってきてくれた。

 兄上もかつては手か足に巻いて使ったのだと教えてくれた。

 二人から貰った飾りを有難く巻くと、未熟な俺は両手足から鈴の音を絶えず鳴らし続けるようになってしまった。

 それを見て、二人はおかしそうに笑ってくれた。

 俺はそれが嬉しくて、同じように笑った。

 その日は二人と一緒に、手を伸ばせば届くほど近くに布団を並べて眠った。

 それがまた俺は嬉しかった。

 

 

 

 数日後、二人は夫婦になった。

 二人は笑顔だったし、叔父上も笑顔だった。

 俺も、もちろん笑顔だった。

 幸せな人を見ると、一緒にいると、自分も幸せな気持ちになれる。

 俺は素晴らしいことを知った。

 

 

 

 

 

 --6

 

「失礼ですが貴方は……父に鍛錬を? ……そんな遠方から! 父は厳しいが熱心に教えてくれますよ! 俺も将来は父のような強い柱となるから一緒に頑張ろう! 継子? 泣きながら出て行ってしまいました! ! でも今日はさつまいもの日! 母が味噌汁を作ってくれます! 千寿郎とも一緒にわっしょいしよう! ……千寿郎? 千寿郎は弟です!」

 

 

 

「母が夕餉は何が食べたいかと……いやいや、遠慮しなくていい! 今日はさつまいもの日! 母が味噌汁を作ってくれる! 千寿郎とも一緒にわっしょいしよう! 同じ釜の飯を食べたのならもっと仲良くなれる!」

 

 

 

「鯛だ! 塩焼き? 朝飯前の鍛錬で走って買いに? つまり塩焼きだな! 母に頼んで弁当に入れてもらおう! さつまいもご飯も! 今日出発だな! 途中まで一緒に行こう! 弁当も食べよう!」

 

 

 

 鈴の音が鳴らなくなり、風の呼吸を修めた頃、叔父上が交流のある炎の呼吸の家を紹介してくれた。

 適正があるとは言えなかったが、それでも身に付くまでお世話になってしまった。

 指導してくれた炎柱の先生には頭が上がらないし、叔父上には感謝しかなかった。

 また、年の近い相手との修行は気持ちを新たにできた。

 別れる間際、先生は神妙な表情で「君の呼吸の適正には少し心当たりがある。こちらで調べてみる」と言ってくれた。

 

 

 

 

 

 帰宅すると叔父上は無事を喜んでくれた。

 そして、これまでの話を掻い摘んで伝えると、もしかすると俺が『日の呼吸』の使い手なのかもしれないと教えてくれた。

 力になれればと蔵に残っている先祖の手記を読み直してくれたようだった。

 

 僅かに残る資料に書かれていたそれは、『始まりの呼吸の剣士』が使っていたとされる呼吸だという。

 詳細な記録は残っておらず、僅かばかりの情報を得られた程度。

 分家や、交流のある家々へと、叔父上が連絡を取ってくれた。

 数少ないそれらは故意に消された様相を呈しており、虫に食われたように焼かれて穴が空いているか、黒く塗り潰された物が大半であった。

 それでも、繋ぎ合わせた記録から、途絶えたつつあったその足跡と功績を僅かではあるが辿ることが出来た。

 

 復元して手繰り寄せた結果として、『始まりの呼吸の剣士』が素晴らしい人柄であったことは間違いない。

 彼に助けられた人々の日記から素朴で優しい人だったと推察できた。

 美しいものや素晴らしいもの、幸せを知っている人だった。

 その人柄には俺も感銘を受けた。

 

 また、その強さも歴代の鬼狩りをして随一なのだろうとも思わされた。

 呼吸や型を探れば、ほとんど人柄に触れられることは無く、畏怖ばかりが綴られていた。

 余りにも強すぎたためだろうか、その能力が苛烈すぎて、人となりを記録する余裕がなかったのかもしれない。

 『日の呼吸』は最強の呼吸であり、他の『呼吸』はそれから分派した物だと綴られた手記も幾つか見かけた。

 だが、指南書の類は見つからなかった。

 過去に何があって今へと繋がらないのか、途絶えてしまったのか。

 

 疑問を抱いたが、それでも指標を得たのは励みになった。

 『日の呼吸』から他の呼吸が分かれたとのことなのだから、逆を言えばそれぞれの呼吸を修め、混ぜ合わせることで遡ることも可能なのではないだろうか。

 無謀な試みだった。

 一朝一夕どころか、年を跨いでもその端にすらたどり着かない試みだった。

 それでも、試してみたい気持ちが強くなりつつあった。

 もしも『日の呼吸』が最強ならば、鬼を滅ぼすことが可能になるはずだ。

 そうなれば兄上も家で暮らすことができるし、義姉上が兄上の身を案じることも無くなるし、叔父上も子を鬼と戦わせる不安から解放される。

 

 俺は居ても立っても居られなくなり、復元させてほしいと叔父上に頼み込んだ。

 先行きが暗く、途轍もない道のりだと心配された。

 それでも俺は『日の呼吸』を復活させたかった。

 叔父上は諦めたときの癖であるため息を一つついて、「つらいとき、かなしいとき、投げだしたいとき、その苦しみを相談しなさい」と言いながら俺の頭を撫でた。

 

 俺は嬉しかった。

 認められたかのようで誇らしかった。

 戦ったことのない鬼を滅ぼせる。

 そして、成功すればずっと幸せでいられるのだと。

 素晴らしい目標に思えた。

 

 

 

 

 

 --7

 

 叔父上と先生、多くの人が手伝ってくれたおかげで『日の呼吸』の型を一つだけ復元できつつあった。

 やっとのことで形に成ったそれを練磨することも忘れない。

 俺の知る限りの『基本の呼吸』を束ねて動きを統一し、『日の呼吸』へと遡る。

 復元して再現できたと思われる型は、確かに有用ではあった。

 しかし、最強と呼べるほどではないとはっきり言えた。

 復元が足りないからなのだろうか、確かめる術はほとんどない。

 学び続け、考え続ける。

 

 机上で組み立てるには限界だった。

 見えない壁の存在を感じ始めていた。

 実践による検証が必要だった。

 俺は鬼との戦いを欲した。

 単独で鬼を狩ることを相談した俺に、ため息とともに叔父上が『鬼殺隊』の試験に推薦してくれた。

 知識だけはあった。

 鬼狩りの組織『鬼殺隊』に入るためには最終選別という試験を突破する必要があった。

 

 叔父上は何も言わなかったが、義姉上が「焦らずとも、もっとゆっくりでもいいのですよ」と気遣ってくれた。

 俺はそれが嬉しかった。

 信頼してくれているし、心配もされている。

 叔父上も、兄上も、義姉上も、俺の家族はみんな優しい。

 先生も、先生の奥さんも、友人も、友人の弟も、みんな優しい。

 素晴らしい人たちだ。

 誇らしかった。

 鬼によって失われることを考えるだけでも怖かった。

 だから、『日の呼吸』を求めた。

 俺の気持ちからすれば遅いくらいだった。

 

 選別に向かう日。

 叔父上と義姉上に挨拶をする。

 義姉上は心配そうだったが、そのまま言葉にはせず飲み込んだようだった。

 代わりに「髪が少し伸びてきましたね。帰ってきたら整えましょう」と言った。

 義姉上は身嗜みに関しては妥協しない、納得するまで続ける人だった。

 唯一の欠点だと思う。

 叔父上も、兄上も、もちろん俺も、身嗜みに無頓着で、義姉上が呆れながら注意したり助言する。

 誰も頭が上がらない。

 曖昧に返事をして、二人と別れた。

 

 

 

 俺にとって最終選別はただの通過点に過ぎなかった。

 叔父上に貸して貰った日輪刀は、鮮やかな緑の刀身をしていた。

 斬れない物は無いと強く思えた。

 実際、最終選別で躓く事柄は何も起きなかった。

 ただ七日間過ごすのが面倒だった。

 一緒に選別を受けた狐の面を被った仲間のおかげもあった。

 手隙となれば、互いに剣技を教え合い、高め合った。

 二人で鬼を殺し尽くした。

 初めて戦う鬼が憎くて仕方なかった。

 他と比べて少し丈夫な異能を持つ鬼が居たが、『水の呼吸』も取り入れることでほんの少し精度が高まった『日の呼吸』によって斬り捨てた。

 

 七日が過ぎ、選別を終えると自分の日輪刀を打つ鉱石を選ぶこととなった。

 刀も注文を付けることができるという。

 鬼との戦いで学んだことは、間合いの大切さだった。

 だから長い刀を求めた。

 狐面の仲間と互いの健闘を讃え合い、任務でまた会おうと別れた。

 自分は役に立たなかったと落ち込む連れ合いを背負って去っていく姿が印象的だった。

 俺も同じように、任務があればその内容を知らせてくれる鎹鴉(かすがいがらす)を肩に乗せ、家路を急いだ。

 

 

 

 月が大きな夜だった。

 どこかで宿を取ることも考えたが、兄上が帰る予定日だということを思い出して強行したがためだ。

 俺の鎹鴉は早々に何処かへ飛び去ってしまった。

 だがそのお蔭で帰宅ができたのだから最善だった。

 町が見えた。

 その外れに家がある。

 早く家族に会いたくて仕方がなかった。

 

 誰もが寝静まった町の中を横切っていると、鴉の鳴き声が遠くに聞こえた。

 必死な声だった。

 なんだか心がざわついた。

 あれは兄上の鎹鴉の鳴き声だ。

 全力で建物の上に飛び乗り、駆け抜ける。

 家が見えた。

 人の気配と妙な気配を感じて、庭へ向かう。

 片方は鬼だった。

 嫌な予感がした。

 

 月明かりに照らされた庭先で、袈裟斬りにされた叔父上が事切れていた。

 

 乱雑な鈴の音が家の中から聞こえた。

 言葉を失った俺に、縁側に座していた兄上が語り掛けてきた。

 それは涙と血に塗れた顔だった。

 鬼狩りになればよく聞く話だった。

 聞きたくない話だった。

 鬼になった家族を殺せない者と、せめて自らの手で殺そうとする者の争い。

 

 義姉上が鬼になった。

 叔父上が殺そうとした。

 兄上が止めようとして、叔父上を殺してしまった。

 それだけだ。

 それだけなのに、どうしてこんなにも悲しいのか。

 幸せは何処に行った。

 

 月光で僅かに照らされた室内には、義姉上だった鬼が拘束を解こうと藻掻いていた。

 髪飾りの鈴の音が鳴り続けていた。

 

 

 

 

 

 --8

 

 叔父の返り血に濡れた兄上は、俺に刀を向けていた。

 俺も兄上に刀を向けていた。

 稽古をつけてもらった時と同じ構図だった。

 違うのは、これが命を賭けた決闘であるということだ。

 兄上が鬼を守っていることと、見守っていた叔父上がすでにこの世に居ないこと、それらは許されてはならない事だった。

 殺すはずの鬼を守り、守るはずの家族を殺した兄上を、俺が止めなければならない。

 兄上は自分ではもう止まれない。

 

 決闘は静かに進んだ。

 兄上の心身は襤褸雑巾にも似た状態だった。

 肉体は右肩が無くなっていたし、親を殺した事実は心を痛め付けただろう。

 刀を振れているのも、不思議なほどだった。

 それでも兄上は強かった。

 俺の緑の刀と、兄上の血に染まった黒に似た色の刀がぶつかり合う。

 風が吹き、血が飛び、火花が散った。

 筋力や技量、体格の差は覆し難く、俺が押されていた。

 

 兄上が剣技を放とうとしていた。

 鬼の拘束が外れたようだった。

 俺の身体が咄嗟に反応していた。

 

 そのように織り重なった出来事によって、『日の呼吸』で唯一復元できた型を使ってしまった。

 

 打ち合うはずだった日輪刀を容易く切断し、兄上の身体を袈裟斬りにした。

 不完全な『呼吸』の代償と、精神の傷。

 俺は型を出した姿で呆然と固まっていた。

 遅れて、切り取られた日輪刀の刃が落下する音がした。

 兄上の腹からは臓物が零れ落ち、多量の血が噴き出していた。

 

「これでいい。妻と一緒に、私も逝くだけ。私の心が弱いせいで、父には悪いことをした。……大儺が生きていてくれるだけで嬉しい」

 

 血を吐きながら、か細い声で兄上はそう言った。

 それが最後の言葉だった。

 唸りながら駆けつけた鬼が、涙を流しながら自らの顎を砕いた。

 俺はその姿に、ほんの小さな希望を見出した気がした。

 だが、鬼は顎が再生するのを待つことも無く、一心不乱に血を啜り始めていた。

 嗚呼、そういうもの(・・・・・・)なのだなと悲しみを理解した。

 だから鬼の頚を断った。

 義姉上の骨も、灰も、この世には残らない。

 

 小さな音を立てて頚が落ちた先には、鈴の髪飾りだけが在った。

 

 

 

 

 

 亡骸を前に呆然としていると、先生に声を掛けられた。

 そして、弔ってやらねば可哀そうだと言われた。

 言われてやっと、その必要があることに気付いた。

 どうしたいのかがわからなかった。

 どうすればいいのかも。

 母は父が埋めた。

 父は、自分で母の隣に眠ると言った、

 だが、家族は何も言ってくれなかった。

 

 蒼褪めた顔をしている先生に伝える言葉が何もわからなかった。

 ただ、心配をかけたくなかった。

 まだ生きている素晴らしい人だったから。

 「兄上を斬った上での私見ですが、『日の呼吸』は『無駄のない一撃を繰り出す型』でしかないのかもしれません」と、平静を装ってそう言った。

 目を見開いた先生は何も言わず、ただ青を通り越して白としか思えない顔色に変化させただけだった。

 

 先生の顔色を見て、家族の顔を見る。

 死んでいた。

 実感した。

 理解した。

 涙が止まらなかった。

 この時、この場所で作られた全てが彼方に消えたことを知った。

 

 家族がいた、その幸せを心に抱いて生きている。

 

 

 

 

 

 --9

 

「仲間が近くまで来た。今回はここまでにしよう」

 

 過去に思いを馳せ、掻い摘んで話したがそれも終わりのようだ。

 俺が話の終わりを告げると、炭治郎は深く頷いた。

 眠っている禰豆子を大事そうに抱きしめていた。

 俺の話が覚悟に繋がるといいのだが。

 鬼狩りの道は険しいのだから。

 

「話してくれてありがとうございました。……まだ何もできない俺の言葉なんて信じられないし心配かもしれない。だけど、いつか禰豆子を鬼に変えた奴も、人間への戻し方も見つけます。そのとき、守ってくれた命を誇って欲しいんです。多くの幸せを守り抜いたことを」

 

 炭治郎の言葉に、小さく鈴の音が鳴った。

 

 

 

 

 

 --10

 

「お前、妹が人を食った時どうする。……判断が遅い。お前がやるべきは妹を殺す、自分の腹を切る。その二つだ。わかったか」

 

「はい!」

 

「そうならないように強くなれるな」

 

「はい!」

 

「鬼を連れていれば、お前を疑う者も出てくる。鈍い、弱い、未熟、そんなものは男では無い。強くなればお前の言葉や行動も重みを増す」

 

「はい!」

 

 目を離した隙に、炭治郎が錆兎に絡まれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 




 
 おまけ無限城
 


「今宵で……四度目か……」
 
「片腕……両目……両足……脆いその身で……よくぞ生き延びた……」
 
「流石は……我が末裔……」

「同じ呼吸を継ぐ者……」
 
「鬼となれ……あの御方も御許し下さる……」
 

 

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