実験室のフラスコ(2L)   作:にえる

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原作:とある魔術の禁書目録、とある科学の超電磁砲 とある科学1

 

 擦れた記憶をこじ開ければ、少しだけ両親の面影を思い出す。

 水面に映るぼやけた輪郭、夏場に揺らぐ蜃気楼。

 そんな思い出の残照程度。

 それが全てだった。

 優しかったか厳しかったか、人間を形成するような要素は一切憶えていない。

 ただ、強く手を引かれたことだけは憶えている。

 引かれた手が離れ、加護を失った自分の行き先は学園都市、記憶の扉をこじ開ける必要がないほどに真新しいモノが今尚重なり続けている場所だった。

 

 学園都市は人口の多くが学生で占められている奇妙な都市だ。

 アメリカと合同で研究を行っていたという『超能力』の開発が盛んで、外部よりも数十年は進んでいる科学技術が魅力らしい。

 両親がそれらに惹かれて自分をこの都市に連れてきた、そう考えていた時期もあった。

 そして月日を、年月を重ねるごとに、自分はただ本当に手離されただけなのだと気付いた。

 

 

 

 学園都市、その中の施設で過ごすようになってから、ひたすら何かに耐える日々が続いた。

 どうしようもなく腹の空く日もあれば、傷が我慢できないほどに痛む日も、嘔吐が止まらない日もあった。

 それでも生きていられたのは同じ境遇の仲間たちがいたからだろう。

 年上、年下、同い年、いずれも異なる境遇だった。

 中にはやっと両の足でいくらか立てるようになった子や目が空いて間もない赤子がいた。

 家族だと支え合って生きていた。

 薬品に囲まれた日々が、幸せなモノだと信じて。

 そうでもしなければ生きるには難しいのだと漠然と理解していた。

 

 仲間が、子供が増えるにしたがって、自分たちを眺める大人の数が比例するように増えていった。

 大人が口を開くのは、白衣を纏った同様の相手か、質問のときだけだった。

 血を撒き散らして苦しいのだと訴えても、無機質な瞳で手元の紙へとペンを走らせるだけだった。

 白衣の大人が増え、子供が増え、供に過ごしていた仲間が減っていった。

 疑問に思って大人に問うてみても何も答えないばかりだった。

 中には返事をする者もいたが、笑みを浮かべながら遠い場所へいったのだとか、紙に書かれた小難しい数字の検証に役立っているとか、わけのわからない答えばかりだった。

 日に1度の食事が2度ある日があった。

 空腹で呻いていた者もいた、誰もが喜んでいた。

 そして、そんな自分たちを無機質な瞳で眺める白衣を着た大人たち。

 喜んで食べたそれに味は無かった。

 それでも飢えを癒すことができると食べた。

 自分を含めた年長の中には、空腹で弱っている子供に自らの分を与える者もいた。

 

 そして、後悔することになる。

 

 食後に大人が集まってきた。

 普段よりもずっと多い。

 ガラス越しに何時ものように紙とにらみ合うだけの彼らは、その日だけは笑みを浮かべて自分たちを眺めていた。

 そして、室内が赤に染められた。

 染めたのは自分たちだった。

 困惑と苦痛が綯い交ぜになりながら、口から鼻から、ひたすら赤い液体を吐き出した。

 無理矢理飲まされた赤い錠剤よりも、無理矢理刺された赤い液体の詰まった注射器よりも、頭部に貼り付けられて灼熱を生じるシールよりも、突然耳に突き刺された針金が引き抜いた時よりも、ずっとずっと赤い液体だった。

 ずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっと……。

 

 自分が吐き、仲の良かった友達だった物が吐き、よく面倒を見ていた弟のような物が吐き、面倒を見てくれた兄のような物が吐き、新しく入ってきた子供が吐き……。

 周りにいた者だった物が吐き出したモノと自分のモノが混ざりあった赤い液体に体を沈めていた。

 夥しい量だった。

 温い液体から這い出して見渡せば、白目を剥いて口から未だに赤い液が流れている仲間たちが周りにいて、新しく入ってきて居心地の悪そうだった少年少女たちは集まっていた隅に折り重なっていた。

 床は液体で満たされ、壁を赤黒く汚され、それでもガラスは透明で、憎らしいほどに綺麗で、大人の笑いが透けて見えた。

 

 「成功だ」「おめでとう」「やったな」、口々にそう言いながら大人たちが現れた。

 いつもなら汚れるからと自分たちに触れることさえしない、近づくことさえしない彼らは今日だけ赤に塗れても気にしない。

 折り重なった仲間を蹴り飛ばして近づいてくる者も平然と乗り越えてくる者もいる。

 満たされている赤黒い液体のように、濁った瞳を向けてきた。傷ついた身体が、弱った思考が悲鳴をあげた。

 ひどい瞳で自分を見るなと。

 これならばいつものように物を、塵を見るような何も映っていない目を向けられたほうがマシだった。

 仲間たちの澄んだ瞳が見たいと必死に首を回し、視線を移す。

 光のない濁った、大人よりも濁った瞳ばかりが見えた。

 大人に無理矢理異臭のする液体を飲まされた友人が次の日には起きてこなかったときを思い出した。

 濁った瞳は何も映していなかった、映せていなかった。

 助けを求める気が一瞬で失せるほど、汚い瞳。

 死んでいた。

 

 意識があるのは自分だけだった。

 動けたのは自分だけだった。

 生きているのは自分だけだった。

 みんなみんな死んでいた。

 

 

 

 赤い液体に染められた日から待遇は、目を見張るほどによくなった。

 毎日湯気の出ているような温かい食べ物で舌を火傷することもあるが、飢えに苦しむ思いなどせず、腹が満たされるようになった。

 温かく柔らかい布団が与えられ、毛布の数が少なくて震えるために仲間と寄り添う必要もなくなった。

 無理矢理打ち込まれる薬品による痛い思いもしない。

 乱雑だった髪も、折れてぼろぼろだった爪も、丁寧に整えられた。

 月に一度、よくて二度、勢いよく冷水をかけられるだけだった風呂も、今では温かいシャワーで体を洗って温かい湯を張った浴槽に浸かることができる。

 

 濁った瞳に囲まれる地獄の代わりに、仲間が望んだモノを得た。

 仲間の命を糧に、全てを得たかのようだった。

 仲間の屍を踏みにじって歩き、嫌悪していた濁った瞳の大人に与えられた物に囲まれ、のうのうと生きていると思うと自分の在り方が気持ち悪くて、夜も眠れなかった。

 そして、眠れないことに気付いた大人によって無理矢理眠らされるようになった。

 怒りや憎しみといった感情を抱くと、すぐに眠らされるようになった。

 何もかもが与えられたが、精神の自由は取り上げられていた。

 周囲には物が満たされ、心には虚無が占めていった。

 考える事すら放棄して、与えられる物すべてを享受して生きていた。

 大嫌いな濁った瞳に晒されることにも心が動かなくなっていた。

 

 

 

 大人たちの言葉に耳を塞ぎ、実験の提案を拒む。

 無理矢理流し込まれるようになった流動食も吐き出すようになった。

 濁った瞳を見ることも、瞳に見られることも耐えられない。

 言葉による甘い言葉や恫喝も、与えられる痛みも、投薬による幻覚も、すべてが空虚にしか感じない。

 日に日に弱っていく自分の身体。

 都合がいいと思ってしまうのは、仲間を思い出したからか、それとも大人から逃れたいからか、或いは……。

 

 注射器によって薬品が流し込まれた。

 一日の投薬回数が徐々に増えていっている。

 それに比例するように意識や記憶、思考が薄れている様に感じた。

 ああ、都合がいい。

 勇気のない自分ができる最期の逃避だから。

 そう思うと思考が溶け、白んでいく視界がとても甘美な物に思えた。

 

 

 

 

 

 

 

 目覚めると俺は機械に囲まれた部屋で横になっていた。

 普通に部屋で寝たはずなのに起きたら見知らぬ場所とか怖い。

 心境はなぜなにwhyである。

 金属の机の上に眠っていたのかなんだかひんやりとしていた。

 あまりの驚きに何度も目をぱちくりしつつ、少しして持ち直したので、上半身を起こす。

 そして、情報を集めるために周りを見渡す。

 部屋の内部には超凄そうで超高そうな機械ばかりで全く見覚えが無い。

 人も結構いるようで、年若い少女から壮年の男まで皆同様に白衣に袖を通しており、誰もが研究者のようだ。

 おおうと呟くと声が高いように感じた。

 手を見る、小さい。

 銀色に反射している機械に顔を映してみると、鏡のように俺の顔が見える。

 ショタになっていた。

 前々から精神年齢が低いと思っていたが、やはりそうか。

 どうやら身体が精神に引っ張られたようだ。

 冗談だ。

 

 とりあえず周りの研究者たちに物腰を柔らかく、かつ少年のような愛らしさで話しかけてみると、戸惑いの表情を浮かべながら答えてくれた。

 その結果、この身体は『学習装置(テスタメント)』と呼ばれていることがわかった。

 能力名から付けられている愛称らしい。

 能力ってなんだ。

 とりあえず、本名はないから当分の間は『学習装置』と呼ばれるらしい。

 ムズ痒くなるものがある。

 

 なんだかんだあって、実験は成功したが記憶が喪失している的な結果で終わった。

 それから新しく名前が与えられるってことで期待していたら「千川 幾千(ちかわ いくせん)」と付けられた。

 ざ、斬新ですよね。

 そんな記憶が喪失してDQNな名前の俺だが、待遇は良い。

 頗る良い。

 個室が提供され、飯の味も良いし、寝床も完璧、部屋は清潔で室温も文句なし、望めば大抵の物なら支給される。

 あとバストイレ付き。

 不満は研究者ばかりで日常会話に飢えていることカナー☆

 とりあえず頼まれた実験とやらを手伝っておけば問題ないらしい。

 手伝うのに否はない。

 圧倒的に情報が足りないので集められるときに集めようってことだ。

 

 

 

 学校も行かずに実験の日々である。

 研究者曰く、俺は実験しておけば問題ないとか。

 実験は何をしているのかというと、いわゆる超能力を解明しているとかなんとか。

 超能力とか凄い世の中だ。

 で、俺はなかなか貴重な能力なので協力してほしいってことらしい。

 

 そんなわけで実験に費やす日々が続くわけである。

 とりあえず研究について話を聞いた後、テキトーに手伝っていく。

 よくわからんし。

 ちなみに俺の能力は「AIM拡散力場の分析」ができるのだ。

 よくわからないって人はググって欲しい。

 まあ、他の超能力を超細かく分析するのと能力行使を手伝ったり最適解に導いたりできるよってことだ。

 完全に補助型だし、超能力にしか使えないという。

 微妙じゃねってのが本音。

 

 

 

 実験ばかりだが飽きが来ない。

 最近のお気に入りはAIM拡散力場への干渉実験だ。

 AIM拡散力場とは能力者が無意識に周囲へと垂れ流している力、みたいなものだったはず。

 束ねて増幅、指定したAIM拡散力場の誘導に成功した。

 発展として束ねたら能力が再現できるんじゃねってことで試してみたが、絶対量が少なすぎて無理だった。

 対象能力者の『自分だけの現実(パーソナルリアリティ)』を再現してみようとしたが、ノイズが入りまくりだった。

 そこらに漂っているAIM拡散力場の系統を併せ、干渉して増幅、『自分だけの現実(パーソナルリアリティ)』を系統別で組み、最適化を行うことで能力の劣化版が仕上がったがノイズ混じりでコレジャナイ感が半端ない。

 なんかキモい。

 能力者の絶対数が増えるか、能力の強度が高まるか、俺の干渉精度が上がれば自ずと再現度が上がると思うのだけれど。

 

 上記と比べると並列して行っていたAIM拡散力場から色々な情報を割り出す実験の方が発展があった。

 能力の強度感知、能力者の探索、能力行使の攪乱、能力行使の阻害、などなど。

 あとはAIM拡散力場を憶えていれば、少し離れた強度の低い能力者の能力をいくらか増幅ができるとかそんな程度か。

 ……あんまり使い道ねえな。

 

 特に何も意識せずに全力で能力を行使するとAIM拡散力場を集めた元気玉もどきが撃てる程度が今の全力だろうか。

 見た目が真っ黒な球で、AIM拡散力場に惹かれるのか能力を取り込む性質があるっぽい。

 威力も結構ある。

 人体に直撃すれば力場の集合にミキサーされて死ぬ。

 

 

 

 そんな感じで何年か過ごしていたのだが、ぽつぽつと実験が減り始めた。

 俺の実験データをもとに同系統の能力者を増やしたからとかなんとか。

 実験も俺ならばできるが同系統なら可能な実験には呼ばれなくなった。

 暇すぎて超微妙な実験に参加してしまった。

 たしかこの学園都市で一番凄い超能力者の演算を植え付けて能力開発どうたら、とかいう実験だったはず。

 そこで俺が補助することで演算が最適化されて最強に見える、というわけだ。

 うむ、よくわからん!

 

 この実験はどうも世間体がよろしくないようで人が近寄らないような場所でひっそりと行われている。

 その影響か知らないが、研究者も頭の螺旋が外れて日常会話ができない。

 人間として失格ですな。

 俺ですら劣等生ではあったが学生として先生と会話できていたというのに……まあ、宿題やらなかったことをひたすら謝るだけだったが。

 この実験で俺が会話できる相手は会話不成立な研究員どもと被検体の子供たちだけなのだ。

 会話する相手が餓鬼どもばかりという悲しい現実である。

 が、俺は会話に飢えているのだ。

 しょうがないのでお土産として食い物を持って行ってコミュニケーションを取り続ける保育士状態である。

 会話しなければいいじゃないかって思うかもしれんが、閉鎖空間でささくれた俺を癒してくれるのはこいつらしかいない。

 だから優しくする。

 実験、断ろうかと思ったが懐かれてきて満更でもないと思い始めた俺は末期かもしれん。

 

 実験してみたが結構いい感じなような、ダメなような。

 徐々に植え付けつつ、俺がAIM拡散力場でアシストしているので廃人とかには至っていないが、適性がない人間には難しいようだ。

 限界は超えられないから限界、みたいな感じだろう。

 人格とか思考が変わるかもしれないので、なんとかそうならないように調整している。

 かつてないほど頑張りすぎてヤバい。

 愛着が湧いてきたからしょうがないね。

 

 

 

 憔悴して廃人一歩間近に迫った少年少女を実験から弾いていく。

 俺だって可愛がった少年少女を殺すほど残忍な性格はしていないのだ。

 研究者は死ぬまでやりたいらしいが俺は嫌だ。

 どうしてもとせがまれたので研究者に植え付けてやった。

 電子化した演算を植える付ける程度ならちょちょいのちょいだ、補助特化は伊達じゃない。

 泡吹いて死んだ。

 困ったやつである。

 他の研究員が何か言ってきたのでアンコールに答えて三人ほどカニの仲間入りにしてやったら静かになった。

 まあ、全部植え付けたから能力の無い人間には負荷が大きかったかもしれんね。

 

 

 

 実験開始から……どんくらいだっけか。

 半年から一年くらいだと思う。

 初めは結構な人数がいたのだが、負荷が厳しいので今は数人しか残っていない。

 どこまで伸びるかはわからんが、終わるまではゆっくり面倒を見ればいいってことだろう。

 他の研究もあんまりしてないので終わると寂しい(本音)

 

 俺自身の実験も何かやろうかな、と呟きながら被験者の少女を眺める。

 茶色の髪を揺らしながら能力を行使しているようだ。

 テキトーにアシストしながら演算の最適化を促していく。

 まあ、俺がアシストして強化した状態を答えとして、それに近づけるだけなのだがこれがなかなか難しい。

 この少女は実験初期から伸び続けているので能力の適性があったようだ。

 昨日よりもほんの僅かに能力向上が見られたので頭を撫でて褒めてやる。

 子供は褒めると伸びると聞いたような気がするのでそうしているのだ。

 俺の手に頭を押し付ける様に撫でられている様は犬のようだ。

 

 もう一人の被験者である黒髪少女は全体的な伸びは悪いが攻撃に関しては凄まじい適性があった。

 攻撃極振りである。

 そんな黒髪少女は茶髪の少女と比べて素直な性格はしていない、きっとツンデレというやつだろう。

 褒めても頭を撫でても嬉しそうにしない、さらに目つきが悪くなる……と見せかけつつ手が離れそうになると名残惜しそうに頭を押し付けてくる。

 この少女はどこか猫のようだった。

 情緒不安定なときがあるのが心配だ。

 植え付ける精神性に問題があるんじゃないだろうか。

 一番凄い能力者の精神が問題ありってどうなんだ……。

 

 犬と猫に似た二人の少女を中心に相手しながら進められていた実験が滞りを見せた。

 能力強度が大能力者、つまりレベル4へと至ってから目に見えていた進展が翳りを見せたのだ。

 そろそろ限界かと残念に思いながら、茶髪の少女の頭を撫でる。

 俺に褒められるから頑張った、そんなことを笑顔で言う少女はどうしてなかなか健気で、澄んだ瞳はとても綺麗だった。

 不思議と惹かれるほどに綺麗だった。

 

 

 

 少女たちをを可愛がる日々(ロリコンライフ)だったが唐突に終わりを告げた。

 予算が心許ないので俺を切ったらしい。

 表ざたに出来ない実験のクセに予算とか……。

 テンション下がった、めっちゃ下がった。

 長距離間におけるAIM拡散力場の観測実験とかどうでもよくなってきた。

 何に使えるんだ、この糞実験。

 

 苛立ち交じりで少女たちとの実験、『暗闇の五月計画』について調べてみたがあまり芳しくない結果が得られた。

 実験は問題が生じたために凍結。

 有用性はいくらか示したが継続は不明。

 実験は強制終了となり、被験者の少年少女たちの行方は不明となっていた。

 学園都市の裏側に放り込まれたのだろう。

 それがなんとなく不満だった。

 

 忘れようと思うも、頭の片隅で何かが訴えかけてくる。

 不快な気持ちがじわじわと広がり、苛立ちが募る。

 何も感じなかった研究者たちの瞳が気持ち悪い。

 視界が赤に染まった。

 鮮やかでどす黒い血のような赤を幻視した。

 

 

 

 

 気付いたら数えるのも面倒な死体から流れ出た血の河に立っていた。

 幻視した赤よりもずっとずっと赤い液体だった。

 ずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっと……。

 各々が来ていた白衣は濁った赤に染まっていた。

 うめき声を挙げた何かに視線を向ける。

 長くはないだろう。

 だから、蹴って潰して破壊した。

 汚い瞳を向けられて、腹が立ったから。

 屍となった者を蹴って退け、踏み越える。

 何処もかしこも屍だらけだ。

 

 意識があるのは自分だけだった。

 動けたのは自分だけだった。

 生きているのは自分だけだった。

 みんなみんな死んでいた。

 

 

 

 みんなみんな殺せた。

 心を満たしていたのは歓喜だった。

 濁った赤が鮮やかに見えるくらい、気分が良かった。

 自分がやったのだと笑みが浮かぶ。

 死体の山を築いてのうのうと生きている誇らしさといったら、言葉にできないほどだと知った。

 

 

 

 ――情報公開レベル1――

 

能力名:学習装置(テスタメント)

能力:AIM拡散力場の分析

レベル:5

序列:最下位固定

 

 

 

 

 

 

 --2

 

 

 研究員を皆殺しにして外に出たが特に行く宛ても、目的もない。

 どうしたものかとふらふらと歩きはじめる。

 見渡す限り、空へと伸びるビル群ばかり。

 あまり知らなかったことだが、俺が住んでいる学園都市は建築面もかなり発達しているようだ。

 散歩の途中で見上げた空は、建造物と雲に覆われてほとんど隠れていた。

 

 特に何かしたいわけでもないが、暇なのだ。

 血だまりの研究所で次の相手に笑いかけながら実験しようぜ、って提案するのもありっちゃありだが今は無し。

 折角の自由だから好きなようにやってみようかな、と。

 金と拠点がないという欠点はあるけども。

 

 何をしようか……そうだ、『暗闇の五月計画』の教え子を探しに行こう。

 学園都市の闇に葬られかけた幼き少年少女を救う俺。

 正義っぽい。

 いや、間違いなく正義だろう。

 正義なら何をしても許されるよね。

 目標は決まった。

 研究所を片っ端から荒らし回ろうじゃないか。

 

 

 

 

 

 捜索から三日、前の研究所と提携していた場所を潰し切って飽きてきたところだ。

 提携の提携、提携の提携の提携、提携の提携の提携の提携……みたいに繰り返したがすぐに終わりが見えてしまった。

 ニッチな研究だしなぁ。

 他は食品加工だとか機械技術だとか、そういう普通のものばかりだ。

 まあ、当然ですよね。

 荒らし回るって宣言したのだから、もう普通の研究所で妥協しようかしらん。

 きっと教え子も『窒素装甲』でお菓子とか袋詰めしているかもしれん。

 それに、普通の研究所に所属する研究員を一人一人洗っていけば、やましい研究にたどり着けるかもわからんし。

 やましい研究って卑猥な響きだよね。

 

 そんなことを考えていたら六枚の白い翼を生やしたメルヘンな男が現れた。

 宙に浮いているのは翼の力だろう。

 見た目はチャラそうな茶髪の少年だが、中身が極悪だ。

 俺の能力で観測したが、強度も精度も今まで見た中で一番高い。

 流石はレベル5、『未元物質』である。

 データでしか知らんが、こいつのAIM拡散力場は面白いな。

 複合というか、単一から派生しているというか。

 とりあえず定まっていない感じがする。

 

 追跡者としては破格かもしれないが、いきなり過ぎると思う。

 もっと弱いの連れて来いよ。

 研究者とともに折り重なって血だまりに沈むへっぽこ共のような奴らを、さ。

 AIM拡散力場から演算を逆探知し、ジャミングを流しまくって嫌がらせしつつ、未元物質に視線を合わせる。

 そして、口上……を言おうとしたが、思いつかねえ。

 学習装置ってなんかかっこいいのないんですかね。

 

 「ここから先はお勉強時間だァッ!」

 ……お勉強時間とかどこのガリ勉だ。

 「俺の学習装置に常識は通用しねぇ」

 ……非常識とか学習装置として間違っているだろ。

 「これが私の学習装置っ!」

 ……だからどうした。

 「お・べ・ん・きょ・う・か・く・て・い・ね」

 ……教育ママである。

 

 ううむ、センスなさ過ぎてビビる。

 

 もうおまえの演算を見せてみろ、とかでいいかな。

 迷う。

 めっちゃ迷う。

 結局思いつかねぇし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「テメエ、『学習装置(テスタメント)』だろ」

 「この強度と翼は……『未元物質(ダークマター)』か」

 

 垣根帝督(かきねていとく)が空から見下ろしながら『学習装置』の名を持つ少年に声をかける。

 それに応えた少年の声音には年老いた老人のような疲れが含まれていた。

 他の研究施設で破壊と殺戮を繰り返し、逃亡したのは実験の過酷さが招いた結果だろうかと垣根帝督は学園都市の暗い背景を思い浮かべる。

 それなら目的は研究者への復讐か。

 乱雑に切られた頭髪から黒い瞳を覗かせている『学習装置』の様に反旗を翻す能力者を何人も見てきた。

 人としての尊厳など無い、実験動物宛らの能力者ばかりだった。

 そして、皆同様に元の真っ暗な巣へと放り込んできた。

 どうせ逃げたとしても心休まることのない逃亡で心身が疲れ果て、他の追跡者に追い詰められ、以前よりも過酷な環境に葬られる。

 ならばここで捕えて元の場所に戻したほうが最悪よりは良い。

 どちらにしても悪いが、物を扱うように生きて切り刻まれるよりは動物扱いの方がマシ、そういうことだ。

 

 「大人しく捕まるなら能力は使わないでやる」

 「もちろん断るとも。俺には目的があるのでね」

 

 そんな思いから垣根帝督は提案してみせたが、あっさりと断られた。

 半ば予想していたことだ。

 だから手心は加えない。

 同情などする気はない。

 キリが無いから。

 そして、いつかどこかで手が鈍る、そんな可能性が出てくるから。

 

 「オーケー、後悔すんなよ」

 

 投降を促すのは終わりだと、垣根帝督の背に存在する輝くような純白の翼がゆっくりと羽ばたいた。

 6枚がそれぞれ異なった動きを示した。

 ただのモーションで、そう見せただけのこと。

 翼が羽ばたいたからと言って、風が吹くことも、羽根が舞い散ることも、上空に向かうこともない。

 垣根帝督は変わらず、一定の位置で宙に浮いている。

 その代わりとでも言うかのように、垣根帝督の見下ろしていた周囲一帯が蒼に染まった。

 

 

 

 世界に存在しない物質を生み出す、それが垣根帝督の能力『未元物質』だ。

 生み出された物質は独自の相互作用を持っており、世界の常識とは異なった物理法則が適応される。

 より強く、より熱く、より長く、そして簡単に燃える。

 そんな程度の認識で生み出した物質によって起こされた結果が青く燃え盛る炎だった。

 能力や肉体が弱ければ火傷や熱によって体力を削ることができる、捕縛によく利用する手加減の一つだ。

 

 「これだけか、程度が知れるぞ」

 「冗談抜かすなよ。挨拶だ、アイサツ」

 

 その返答を聞いて笑っているのか、青い炎の中で『学習装置』は喉を鳴らした。

 言葉通り垣根帝督にとってはお遊びのような、そんな攻撃。

 牽制にもなりはしない。

 受諾した任務は同格の『学習装置』の捕縛もしくは撃破だ。

 同格、つまるところ超能力者(レベル5)と定義されている。

 超能力者は学園都市に住む能力者の中で最高位に位置しており、戦力としては単体で軍隊と戦える力を持つ。

 むしろ、どんな能力であろうともこの程度で死ぬのならば偽物と断定するところだ。

 証拠に標的である『学習装置』は健在、全てを飲み込んで猛っていた青い炎はほとんどが消え去っていた。

 残っているのは青い炎の熱によって残骸が燃えて灯った小さな赤い炎だけだ。

 

 「ああ、挨拶か」

 

 笑っている『学習装置』の手を目指して灯っていた炎が意思を持っているかのように飛んで行き、触れた炎が黒く染まっていく。

 炎が集まるにつれて手に灯っている黒い炎が徐々に大きくなっていく。

 垣根帝督に届くほどに巨大になったそれは影で出来た炎のようだった。

 軽く手を振ると黒い炎が投げ出され、縮んでいく。

 そして、1メートルほどの大きさの球体を成した。

 

 「なら返すのが常識だろうよ。起きろ」

 

 『学習装置』の言葉に反応したのか、黒い球体が罅割れた。

 元が炎だったとは思えない、卵のような振る舞い。

 殻を破って中から現れたのは赤子を醜く歪めたのようなナニカの姿。

 濁った瞳、縫い付けられた口、固まったような無表情、赤子の愛らしさなど皆無だ。

 黒い赤子は吊り下げられているかのような猫背で『学習装置』のすぐ傍の宙に留まった。

 所々に虫食いの生じた黒い全身、頭部と思われる位置の少し上には歪な輪っかが回転しており、背には朽ちた襤褸のような翼が1対。

 赤子というよりも悪魔と表現したほうが正しいと感じられる形状をしていた。

 

 「AIMハンター、レベル1ってところか。よし、行け」

 「gqCCoIKggqCCoIKggqCCoIKggqCCoIKggqA=!!!」

 

 『学習装置』の声に呼応するように黒い赤子が、小さな悪魔が縫い合わせられていた口を開き、叫ぶ。

 世界に満ちる雑音のような、学園都市の裏に潜む悲痛な嘆きのような、音が鳴り響く。

 垣根帝督には何よりも不快な酷く醜い鳴き声に感じられた。

 黒い光の軌跡を尾のように引きながらAIMハンターが移動を開始した。

 

 

 

 黒い塊が見た目に反した高速機動で空を飛ぶ。

 その様は黒い弾丸のようだった。

 旋回やターンを織り交ぜながら、垣根帝督へと迫る。

 空を黒の軌跡で切り裂きながら。

 

 「はっ、これだけかよ」

 

 AIMハンターの高速接近にも垣根帝督に焦りはない。

 むしろ嘲る余裕すらある。

 迫ってくるのならば対処すればいい、逆にこちらから追う面倒さが省けるくらいだ。

 翼が盾のように垣根帝督の身体を覆うが、防御ではない。

 『未元物質』で構成された翼は凶器と変わらず、ともすれば構えているだけで最高の矛となる。

 盾と矛の特性を持ちながら矛盾しない純白の翼は、黒く濁った弾丸を受け止めた。

 

 「程度が知れるぜ、『学習装置』」

 

 AIMハンターが脆く砕け散り、醜く汚れた泥のようなモノが宙へと飛び散った。

 こびり付いた汚れを払う様に垣根帝督は翼を広げた。

 

 「まさか。俺には挨拶でも」

 

 『学習装置』が垣根帝督を見上げながら肩を竦め、指である一点を指し示す。

 『未元物質』の翼が1枚、黒い沁みのようなものへばり付いていた。

 

 「能力者には必殺だろうよ」

 

 遅々として黒い沁みが広がり、翼の1枚が黒く染まった。

 そして、

 

 「gqCCoIKggqCCoIKggqCCoIKggqCCoIKggqA=!!!」

 

 醜く悍ましいナニカが再び産声を挙げた。

 成長としか言い表せない様子の変化だった。

 先ほどまでのAIMハンターは短い手足と大きすぎる頭部のために体当たりを繰り返していた。

 嬰児にしか見えなかったAIMハンターは、より人間に近づいた容姿を示していた。

 頭部に合わせたのか、手足が幾分か伸びている。

 猫背は変わらず、輪っかは頭上で回り、背には少しだけ伸びた襤褸の翼。

 人間でいえば幼児くらいだろうか。

 縫い付けられていた口は歪んだ笑みを浮かべながら雑音を垂れ流していた。

 そして、成長したAIMハンターが翼を掴んで引っ張り、その勢いで引き寄せた垣根帝督を殴り飛ばした。

 

 醜い悪魔が光り輝く翼を持つ天使を引き摺り落とす、そんな光景だった。

 

 

 

 強かに廃墟へと投げつけられ、瓦礫を増やした垣根帝督は無傷だったが、背にあった6枚の翼の内2枚が失われていた。

 埃を払う様に軽く衣服を叩きゆっくりと外を目指す。

 翼は『未元物質』がより強い状態のために出現しているだけで有無などあまり気にならない。

 垣根帝督が気になるのはAIMハンターと呼ばれた醜いナニカが自らの翼を掴み、引っ張ったことだ。

 

 (おそらく、演算のほんの一部を奪ったことによるのだろう。それも能力そのものではなく、力の表層。そうでなければ既に俺の『未元物質』になんらか制限が出て来るはずだ。となれば……)

 

 垣根帝督にAIM拡散力場の知識はほとんどない。

 正しい答えを導くことはできないが、それでも概ね正しい方向に推測していた。

 事前に集めていた情報が繋がってきていたからだ。

 情報と言っても機密レベルが高く、得られた物は少なかったのだが。

 

 『学習装置』は学園都市の研究者が生み出した超能力者だ。

 AIM拡散力場、つまるところ能力者が持つ力場に対して特化しているらしい。

 能力者に依存する反面、能力者への影響も莫大だ。

 おそらく、先ほどAIMハンターが『未元物質』に干渉してきたのだろう。

 どうやったのかはわからないが、’ああなるように’逆算したのかもしれない。

 成長もそうだ。

 能力を取り込むことでより強固に増大していく、そんなバカげた性質を持っている可能性がある。

 そうなると単に『未元物質』をエネルギーにしただけだということだ。

 

 冷静に思考を巡らせる。

 無様を晒したが、ただ地面に落とされただけのこと。

 怒りも少しは抱いたが、『学習装置』への興味が相殺した。

 AIM拡散力場は研究されているが日の目を見ることはほどんどなく、それに関した能力者は更に珍しいというよりも見たことが無い。

 どこか珍妙な生物を眺めている気分すら覚えていた。

 そして、その能力を対峙することで能力者には必死とは言い得て妙だ、と垣根帝督は思う。

 だが、と続けて呟く。

 

 「俺に届かせるには足りねぇな」

 

 

 

 垣根帝督も『学習装置』も地に足を付けて立っている。

 2人に動きはない。

 代わりに、自身の能力が猛威を奮っていた。

 舞い散る羽根が、黒い軌跡を描いて飛びまわる塊を迎撃する。

 音は無い。

 ただ、弾かれる白と黒の残骸が互いの間を染めていく。

 浸食するかのように、一進一退を繰り返しながら。

 

 表面上は静かな戦闘となった。

 能力で相手に迫る、単純な行動原理。

 しかし、水面下では2人の間に苛烈な争いが起こっていた。

 AIM拡散力場から演算を読み解き、逆算することが求められている『学習装置』。

 読み解かれた演算よりも複雑で異なった演算を瞬時に用意する必要のある『未元物質』。

 劣っている方が食われる、そんな争いだ。

 

 動きを見せなかった『学習装置』が駆け出し、黒い塊であるAIMハンターが追従した。

 演算と逆算を熟す必要がある『学習装置』が拮抗を、もしくは不利を悟ったため、盤面を崩しに行ったのだ。

 彼我の距離は50メートル前後、『学習装置』が凄まじい加速を見せた。

 異様な脚力だった。

 踏み抜いた地面が爆ぜるように舞い上がった。

 それを見た垣根帝督は静かに佇み、淡々と羽根を送り出す。

 進路に出現した羽根やばら撒かれている『未元物質』をAIMハンターが盾となり、羽根を貪り喰らう。

 互いの距離は5メートルにまで迫ったところで『学習装置』が急停止し、ぴたりとその場に止まった。

 そして、追い越すようにAIMハンターが『未元物質』に貼りついた。

 

 「二度も機会があるわけねえだろうが」

 

 垣根帝督の呟きとともに翼を広げ、AIMハンターを振り払う。

 攻防で理解したことだが、AIMハンターは『学習装置』よりも遥かに演算能力が劣っている。

 つまるところ近づけない様にするだけならば複雑な演算によって組まれた『未元物質』を用いれば対処が容易だ。

 容易だが、

 

 「あるんだろうよ、これが」

 

 ほんの僅かな、万が一ほどの隙が生じる。

 『学習装置』は残像を見せるほどの速さで垣根帝督の真後ろへと回り込み、言葉とともに拳を振るった。

 その一撃は『未元物質』の表面全てを弾く斥力で構成されていた。

 踏み込みで砕いた地面と吹っ飛んだ垣根帝督が起こした砂塵が舞う。

 追撃とばかりにAIMハンターが後を追い、途中で爆ぜた。

 白い羽根が舞っていた。

 飛び散った黒いヘドロが瓦礫を汚した。

 

 「なら、これからは無ぇぞ。俺がキレちまったからな」

 

 爛々と白く輝く羽根が空を覆った。

 

 

 

 逆算されるよりも速くより多く、相手を上回って能力を行使する。

 単純な話だ。

 そして、『学習装置』を直接狙えばいい。

 競い合うような上品な戦いの必要などない。

 垣根帝督が導き出した答えは、複雑怪奇に織り交ぜた『未元物質』による飽和攻撃だった。

 

 「あれでキレるとは心が狭い。とはいえ、どうしてなかなか」

 

 降り注ぐ羽根が『学習装置』を避けるように地面へと落ち、消えていく。

 それは雪のようであったが、AIM拡散力場からは悍ましさが読み取れた。

 逆算によって羽根を無効化する。

 手間ではあるが、必要だった。

 溶かさなければ羽根1枚で致死に繋がることは理解できた。

 

 片っ端から絶え間なく降り注ぐ羽根を処理しながら、『学習装置』の胸中にはAIMハンターが破壊されたことへの未練が残っていた。

 構成するには演算の手間がかかり、’成長’にも相応の時間と餌が必要となるが、能力者相手には使い勝手が特に良かった。

 自身の判断で逆算することでAIM拡散力場を読み解き、取り込む性質は攻防で頼ることができた。

 さらに『学習装置』が補助をすることでレベル5を喰い破り、難なく成長できた。

 レベル2程度であったため、油断して自律行動に移行させた際に破壊されてしまったことが悔やまれた。

 生み出す隙が偶然転がり込んでくることはないだろう。

 だとするならば、新しい手駒が必要になる。

 

 「脆弱だが、壁にはなる。贅沢は言ってられないしな」

 

 瓦礫に埋もれていたり、転がっていた死体に黒いヘドロが纏わりついた。

 AIMハンターから飛び散った黒いヘドロだ。

 そのヘドロが皮膚を裂き、肉を抉り、臓腑を取り込み、他のヘドロと結合していく。

 それらが全てを取り込み、結合を終えると巨大な微生物のような塊に変貌していた。

 

 「AIDA、程度はAnna。イマイチだ」

 

 死体に残っていた健常の臓腑を集め、形成された人工能力者。

 生きていると勘違いさせて能力を吐き出させるだけの壊れた木偶人形。

 『学習装置』の作りだした紛い物の体に宿るナニカ。

 Artificially intelligent Data Anomaly(人口知性の異質データ)。

 それがAIDAだ。

 

 ふわりとAIDAが浮かび、宙をゆったりと泳ぐ。

 『学習装置』が強制しない限り、自由に動き回る。

 元の人間とは異なる意思を持つかのように振る舞うのだ。

 いや、実際に意思を持っていると唱えていた研究員がいた。

 生きているとも主張していた気がする。

 その研究員はすでに血の河に沈んだため、どこまで解明されたか『学習装置』の知るところではなかった。

 暇だから研究に手伝っていただけ。

 ただ、「虚数学区」といった単語だけはしっかりと憶えていた。

 

 

 

 『未元物質』がAIDAの体表を爆ぜさせた。

 取りこぼしが出てきたと『学習装置』は舌打ちしつつ、AIDAが未だに動いていることに安堵した。

 能力で束ねただけのAIDAは脆い。

 臓腑の3割が傷つけば能力を吐き出すことが困難となり、複数の脳が1つでも欠ければ存在を維持できなくなり、消え去る程に。

 消滅しなかったのは幸運だった。

 それでも『学習装置』がAIDAを作り出した理由は二つ。

 薄くとも壁になること、そして補助すれば火力が高くなることだ。

 

 おおよそではあるが『未元物質』を理解してきたことで面倒が積み重なっていくことも理解している。

 『学習装置』自身は『未元物質』との相性は悪くない、むしろ学園都市の能力者からしたら良いと言える範疇だ。

 勝ち負けにまで持ち込むことができるから。

 ただし、それは相手にも言えることだ。

 劣っているわけでも無いし、勝っているわけでも無い。

 勝機を見出すには何処かで相手を上回る必要がある。

 そのための踏み台がAIDAだ。

 

 羽根が近づくことでAIDAが迎撃態勢に入った。

 攻撃に過剰に反応する個体のようだと『学習装置』は考えたが、真実は違う。

 生きるために敵を排除すると判断したのだ。

 攻撃に反応するという防御思考では無い、元凶を排する攻撃思考のAIDAだった。

 

 そんなことを知らずに『学習装置』はAIDAに内包されている脳が持つ『自分だけの現実』を改竄していく。

 それは奇しくもAIDAの思考と噛み合った『自分だけの現実』だった。

 どうせ死んでいるのだからどれだけ無理をしようとも問題ない、と組まれただけだったが。

 

 問題はかけ離れた能力を使いすぎると負荷に耐え消えれず、長持ちしないことだ。

 さらにAIDAと元となった脳髄の思考が一緒とは限らない。

 それも多大な負荷に繋がっている。

 だとしても、『学習装置』にはどうでもいいことだった。

 換えの効く道具が壊れた程度で心が乱れるほど真面目でも、普通でもない。

 

 「放て、『窒素爆槍(ボンバーランス)』」

 

 『学習装置』も演算に加わり、能力を行使する。

 AIDAが鈍い青に発光し、その体を震わせた。

 窒素で構成された不可視の槍が爆音とともに空へと放たれた。

 『学習装置』はそれを見て溜息をひとつ。

 AIDA特有の『アルゴル・レーザー』が撃てないことによる不満を表したものだった。

 

 

 

 第19学区、廃れた学園都市の一角が瓦礫の山へと生まれ変わっていく。

 数分前の静かな戦いから打って変わって轟音の鳴り響く戦いへと推移した。

 『窒素爆槍』が連続的に放たれる度に生み出される衝撃波が瓦礫を巻き上げ、新たな山を作りだす。

 全てが吹き飛んで行くため、AIDAと『学習装置』の周りには何も無くなっていた。

 所々が欠けたアスファルトと土の地面が広がっているのみだ。

 

 数えるのも億劫なほどの『窒素爆槍』を受けている垣根帝督に傷一つない。

 戦車を貫くほどの莫大な圧力による『窒素爆槍』の直撃を翼が防いでいた。

 仰け反ることも、揺らぐことも無い。

 ただ、『窒素爆槍』が翼に触れ、霧散していた。

 単なる作業を横目に、ゆっくりと確実に垣根帝督は『学習装置』に近づいて行く。

 牛歩と表現できるほどに。

 反して『学習装置』はそれを見ても動かない。

 

 垣根帝督が10メートルまで接近するとAIDAが震え、形状が変質した。

 それは歪な蜘蛛のようであり、その身体中に臓腑が、腹に当たる部分には複数の脳髄が敷き詰められている。

 Oswaldと名付けられた形態だった。

 翼を1枚、蜘蛛型に変化したAIDAへと振るう。

 それだけでAIDAとその後ろにいた『学習装置』を遥か後方へと吹き飛ばした。

 致命的なダメージを与えたような手応えを感じなかった。

 垣根帝督が何らかの方法で防いだのだろうと予想すると、その通りだとでも言うかのようにAIDAが高速で這い寄って来た。

 

 「気持ち悪いな」

 

 それが垣根帝督が抱いた感想であった。

 あとは少しばかり面倒だとも。

 面倒なだけだ、対処が出来ないはずはない。

 先ほどの一撃でAIDAの逆算を終えていた。

 解析してみれば手に取るようにわかるが、AIMハンターよりも遥かに劣っている構成だった。

 生成した『未元物質』がAIDAに触れる。

 窒素を高圧で纏うことで攻撃を防いでいたAIDAだが、許容できずに仰け反る。

 動きの止まったAIDAへ、追撃とばかりに『未元物質』を当てる。

 刹那、風船が割れる様に蜘蛛が破裂し、内臓が汚らしく飛び散る。

 それを至近距離で見せられた垣根帝督は苛立ちを覚えた。

 

 

 

 

 

 ――秘匿情報(「垣根帝督」権限)

 

姓名:千川 幾千(ちかわ いくせん)

性別:男

年齢:未定

名称:学習装置(テスタメント)

能力:AIM拡散力場の多目的応用

強度:超能力

序列:最下位固定

所属:長点上機学園、AIM拡散力場への五感提供による第五実体獲得実験

研究:ガンツフェルト実験、AIM拡散力場への五感提供による第五実体獲得実験、ひこぼし検体、小児用能力教材開発所、暴走能力の法則解析用誘爆実験、暗闇の五月計画、etc

性格:温厚であるが幼児性が垣間見られる。

  ―以下略――

 

 


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