実験室のフラスコ(2L)   作:にえる

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FGOで1.5章の新宿が公開されるんですって。


Fate/Grand Order2

 

姉「よくやりましたね」

 

姉「貴方は満足できなかったかもしれませんが、私は本当に満足しているのですよ」

 

姉「私に相談もせず、貴方は必死に英雄と戦って、聖杯戦争を生き抜いた」

 

姉「怒ってなんかいませんよ。本当です、嘘じゃありません」

 

姉「確かに最後は負けたかもしれないけれど、私は貴方が生きていることが嬉しかった」

 

姉「貴方と食べるケーキは絶品です。麗らかな日差しの下で笑い合いたかった」

 

姉「苦しむのが貴方でなくてもいいのにと何度も思ったこともありました」

 

姉「ばらばらにされて、火に放り込まれ、燃やされた私達」

 

姉「涙を流しながらやり直しを望んだ貴方」

 

姉「私たち皆のためだと泥を飲み、アストラルの彼方へと消えそうになった貴方」

 

姉「殺されて消えてしまった貴方」

 

姉「たくさんのことを識ったでしょう」

 

姉「遡った先でひたすら試し続けるでしょう」

 

姉「貴方には力があるから」

 

姉「貴方の夢に失敗は付き物です」

 

姉「死んでしまった一族(私達)の事は忘れましょう」

 

姉「消えてしまった家族(私達)の事は忘れましょう」

 

姉「過去から続く呪いは、蝶が羽ばたくように私達の存在ごと消してしまいました」

 

■「誰も覚えていなくても、■が貴方を覚えています」

 

■「誰も褒めてくれなくても、■が貴方を褒めましょう」

 

■「よくやりました。そしてさよならです」

 

■「■は此処に残ります」

 

■「怒ってなんかいませんよ。本当です、嘘じゃありません。だって貴方が生きているから」

 

■「さあお行きなさい。よくやりましたね」

 

■「まだ貴方は生きています。素晴らしい気分です」

 

■「最後にケーキを一緒に食べられなかったのが心残りです」

 

■「貴方には力があるから、すべきことをやらねばならないのです」

 

■「貴方には力があるから、夢から目覚めなければならないのです」

 

■「怒ってなんかいませんよ。寂しいだけです」

 

■「誰か貴方の力になってくれる人が現れるでしょう」

 

■「それが寂しいだけです。本当です、嘘じゃありません」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 --1

 

 目覚めというのは意外と大事だ。質の悪い睡眠を取った時は、気だるさで体が泥のように重く感じることがある。しかし、満足な睡眠を十分に取れた時は、爽快な気分にさせてくれる。

 今回の目覚めは、悪い物では無かった。不本意ながら。

 瞼を開く。薄暗い部屋だ。片目の奥に熱を少し感じながら、ぎょろぎょろと音を立てそうな程に動かす。室内はあの爆発が起きる前に、従弟とロマンとやらが居座ってた部屋に似ている気がした。

 少しの締め付けを感じた。手を額に当てると、幾本ものコードが連なったバンドが付けられていた。

 

 

 

「目が覚めたか。身体を編んだ(・・・)が存外悪くなさそうだ」

 

 部屋の電気が点き、不意に白の眩さに目を細める。細く薄くなった視界の先に、あの奇怪なペストマスクが浮いていた。ペストマスクのちょうど下、手と胴体の辺りにはどす黒い手袋と血に染まった白衣があった。

 直前の記憶が蘇る。これは自身が呼んだサーヴァントだ。身体の隅々に意識を行き亘らせ、確かめる。痛みは無く、下半身には熱が籠ったような独特な違和感を覚えた。欠損部位があるかもしれないが、現状でわからない。

 

「状況は」

 

 喉にも違和感を感じるが、声を出すには不都合はない。問題は無さそうだ。熱もほんの僅かなペースだが、引いている気がする。

 

「半身が潰れていたので、身体の欠損部位を魂を元に架空元素で編み直して代替させた。元からあった霊基を……いや、今はいいか。時間をかければ肉と混ざり合って元通りになるだろう」

 

 無駄な贅肉は無くなったかもしれない、とアサシンが笑いを噛み殺した様子で言った。

 

「そう……。私が起きるまでにどのくらいの時間が?」

 

「二時間と少しを要した。あの傷にしては随分と早かったな」

 

 それを聞いて、身体を即座に起こす。悠長に寝すぎていた。頭に血が上り、何故途中で起こさなかったのかと叫ぼうとして、くらりとベッドに倒れる。血が足りない、体力も。

 無理に起き上がったせいか、下腹部から鈍い痛みを感じる。目の奥や喉、下半身から感じる違和感とは異なる、身体に悪いと分かる痛みと気持ちの悪さだ。

 

「起きるのはまだ早い。あまり派手に動くと中身が千切れる」

 

 臍の辺りに手袋が置かれると、痛みが消え、代わりにほのかな温かみを感じた。

 

「千切れてもいいから。早く私も行かないと」

 

 アニムスフィアの女が言っていたファーストオーダー、その場所に。従弟とマシュは既に飛ばされたはずだ。何もせずに寝ているのは違う。

 それなのに体が動いてくれない。

 

「意識を取り戻したのは知られただろうし暫し待て」

 

 現代はやはり便利だな、とアサシンが呟く。

 わかりにくいが、その視線の先は額のバンドだろう。コードの先、枕元には小さな機械が置いてあり、モニタには波形が映し出されていた。

 

「無理って言ったら?」

 

 睨みつける。逸る気持ちに対して付いて行かない身体のジレンマが苛立ちを感じさせる。

 医者なのだろう、英雄なのだろう、すぐにでも治してみせろ。それが出来ないのなら、せめて麻酔や薬で誤魔化すくらいしてみせろ。

 

「今無理すると消化器系が不順を起こす」

 

「その程度……」

 

「詳しく言うと、今後垂れ流し人生になる」

 

 流石に垂れ流しで駆けつけてはかっこが付かない。そもそも体力も魔力も失われ続け、今後が立ち行かなくなる。

 だが、それで納得できるかどうかは別だ。

 

「……貴方はサーヴァントになるくらいの英雄なんでしょ。奇跡で治したりできないの? 無能なの?」

 

「そうさ、俺は奇跡を起こせない無能だとも。誰も知らない有り触れた唯人で、苦難は歩んだが英雄ですらない。英霊でもない。悲しいことに国で囁かれる怖い話に出てくる幽霊のほうがずっと知名度もあるし力もある。そんな無能で一般人な憐れな使い魔を無理やり呼んだのはマスターだ。俺の言いたいことがわかるかな? わかるんだったら諦めて寝てなさい」

 

 サーヴァントの質はマスターである自身によるもので、奇跡を望むには力が足りていないと言い切られてしまった。コンディションが良ければもっと良いサーヴァントが呼べただろうか。もっと魔術が研鑽できる家系だったらこんなことにはならなかっただろうか。受け入れていた魔術の特性に、今は憎しみすら覚えそうだった。

 今無理をして全てが上手くいったとして二人を助けられたら、その後下半身を切り離してまた作ってもらうのは……。無理か。相手は無能で雑魚で英雄ではないが、腐っても医者だ。そんな患者を助ける医者などいないだろう。そんなことしたら何らかの手段で眠らされ続ける予感がする。

 不満もあるが、大人しく横になっていることにした。

 

 

 

「……暇なら本でも読むか? 俺は読み終わったから好きなだけ読んでも構わないとも」

 

 落ち着かないので、腹部に置かれている手袋を抓っていると、呆れた様子でアサシンが提案してきた。

 置かれている手袋とは異なる、宙に浮いていた手袋が指を指す。その先には、備え付けられている小さな机と一冊の本。

 体に違和感を感じない程度で手に取る。医療を嗜むサーヴァントなのだろうから現代の医学書かと題目を見ればナイチンゲールの伝記。

 

「……」

 

 サーヴァントの言葉を無視し、伝記を読み始める。安静にしておけと言ったのはこの藪医者だ、返事しないだけで横になってやるのだから感謝の言葉くらい逆に告げるべきだ。

 

「大変よろしい」

 

 表情はわからないが、勘で笑っているのは分かった。このサーヴァントとは相性が悪い、絶対悪い。

 

 

 

 

 

 --2

 

「目が覚めたんだって!?」

 

 飛び込んできたロマンの第一声だった。あまりの大声に、腹部に置かれた手袋の温かさに委ね、心地よく微睡んでいた意識が一気に引き戻された。

 優しくノックして、小鳥のさえずりで起こすべきだ。もちろん小腹を満たせる軽食を添えて。

 心配かけたのは申し訳ないと思う。だが、納得できるか、許せるかというと、それは決してない。着替えの最中だったらアサシンで抹殺させていたところだった。

 

「乙女の部屋に叫びながら入って来るとかセクハラです」

 

「げ、元気そうで良かったよ……」

 

 絶対零度の視線でセクハラだと訴えれば、ロマンは目を逸らしながら良かったと呟いた。善人だが頼りなく、何処か怪しい男だ。

 

「アサシンもセクハラだけど?」

 

「こんな被り物と汚れた白衣の無機物で構成された存在に性差別がどうとか言い出すのか。発想が逞しいのだろうな」

 

 ベッド脇に、ペストマスクと血糊で汚れた白衣が浮かび上がった。その様に驚いたのかロマンが目を大きく開き、緊張で体を強張らせていた。目に見えない邪悪なオーラとか放っているのかもしれない。それともペストマスクの不気味さや血糊で染まった白衣が嫌悪を抱くか。サーヴァントの汚らしさ、禍々しさはマスターである自身の美しさとは似ても似つかないが、不快だとは思わない。私は心が広く深いのだろう。

 サーヴァントを召喚する際に、生前に関わりのある道具を触媒とする場合がある。が、アサシンの場合は何も用意しない状態で召喚された。縁召喚というマスターの特徴を擬え、似たサーヴァントが呼ばれる場合がある。もちろん、触媒がない召喚は何も関係のないサーヴァントが引き寄せられるランダム性も孕んでいる。おそらく、というか確定的にアサシンはランダムで呼ばれたのであろう。

 

「サーヴァントなのにセクハラがわかるの? もしかして現代の人?」

 

「い、いや、サーヴァントは知識のバックアップを受けることになってるよ。……と、ところで、こちらの方は?」

 

 徐々に近づくペストマスクに凝視され、挙動不審になるロマンが問う。実はこのアサシンのペストマスク、目の部分にはガラスらしき半透明の物質が嵌めこまれていて、中を覗き込むことが出来る。目と目が合う瞬間、ぎょろぎょろ血走った黄色い目と出会える親切設計だ。いや、心折設計かもしれない。目元も見えるがどろどろと腐敗していてよくわからない。

 

「爆発の時に怪我を負ったので、治せる英雄を呼ぼうとして勝手に出て来ました。片目と喉、下半身が潰れたり無くなっていた私を治したので、多分医者です」

 

「そ、そっか。通りで爆発の被害が特に酷かったコフィン内に居たマスター適性者や他のセクタに居た職員の応急処置が行われていたわけだ。原因究明する余裕もないから妖精が現れたってことで済ましていたけど、解決して良かったよ」

 

 色々と苦労の連続に見舞われたのか、緊張しっぱなしだったのだろう。凄い良いサーヴァントが来てくれたんだね、やっとの朗報に一息つけるとロマンはほにゃりとした笑みを浮かべた。その後、「え? 潰れたのを? え?」と混乱もしていた。

 だが、残念。こいつが善性であるはずもなく。そして落ち着ける暇もない。

 

「これのクラスはアサシンです。真名は……」

 

「ジャック・ザ・リッパー。切り裂きジャックのほうが通りはいいか……おっと道具を落としてしまったようだ」

 

 安心したロマンの気分が地に落とすかのように、棒読みでアサシンの白衣から、道具とやら零れ落ちた。血を吸っているうえに刃零れして切れ味の悪そうなノコギリ、肉のへばり付いたヤスリ、誰の物か不明な眼球に刺さっている極太の針、まだびくびくと痙攣している右手、血の付いた怪しい注射針、蛍光色でケミカルな錠剤……。

 

「失敬、失敬。仲良くなりたいって道具が出て来てしまったぞ。ああ、心配しなくても俺は万を優に超える人体を刻んだことがある。そこらのジャック・ザ・リッパーより優秀だ」

 

 笑いを含ませながらアサシンが告げた。悪いとは全く思っていないのだろう。

 道具がカタカタと震え出し、ロマンの足元で止まった。肉片や血糊がべったりとこびりついた趣味の悪い道具や、その隙間から現れたグロテスクな蟲どもや腐った鼠が這い出る様を間近で見せられたロマンは笑顔のまま固まった。

 

 

 

 

 

「趣味が悪い」

 

「そうなのか。ちょっとしたジョークのつもりなんだが、見た目がちょっと悪かったか」

 

 軽く睨みつけるように目を細めて見やると、道具がロマンの足元から溶けるように消え去った。無菌だから問題ないと誇らしげに言葉を付け加えていた。

 違う、そうじゃない。

 

「というかその趣味の悪い道具、また増えたの?」

 

「あまり言ってくれるな。俺の一部だ」

 

 アサシン自身が想念という人の想いの塊らしい。そして、アサシンはジャック・ザ・リッパーやアサシン本人がこういった道具を持っていたのだろうと噂などで思われていた物を出せるらしい。そして道具はアサシンが構成されている想念と同様の物で、幾分か神秘が内包されているとも。

 使い道はあまり無いが、射出させることで投擲武器として扱える可能性があると言った。

 

「……強いの?」

 

「参考にした英雄は背後のゲートから凄まじい勢いで宝具を射出していたから強かった。反して俺のは衆人が考えた想念だ、超強い武器と妄想の塊を比べるのは止めて欲しい。というか強さに関して、藪医者に期待するのは間違っていると思う」

 

 雑魚らしい。知ってた。

 そして参考にしたのは金ぴかの英雄だとか。同時代の英雄かと聞くと、ペストマスクが左右に振られて否定の言葉が紡がれた。その英雄は召喚されて見ることになったとか。

 背景のわからないサーヴァントだ。今のところ本命はペスト医師だが、召喚されるようなまともな医療行為をした者がいたのだろうかと疑問が生まれる。

 ロマンが止まったままなので、起動するまでに暇つぶしにアサシンの事情を考えてみるとしよう。信頼の構築とは相手を知ることにある。アサシンなら聞けば教えてくれそうだ、いっそのこと聞いてしまおう。さて、何かいい質問は無いだろうか。

 

「アサシンはマスターである私に嘘はつかないと思っていい?」

 

「勿論。まあ、マスターが本当にそう思うかはわからんが」

 

「ちょっとした遊びだからそこら辺はふわっとしいても良いの。ホントに知りたかったら令呪を使うから。そもそも貴方が不甲斐ないから信頼できないの。思うところがあるのなら、信頼されるように励みたまえよ」

 

 手の甲に刻まれた令呪を見せつけながら、もっと頑張れと励ます。令呪とは魔力の塊であり、サーヴァントへの命令権と同義だ。一画を消費することで、強制力のある命令を与えることができる。必殺技である宝具の威力を上げたり、敏捷性を上げて素早くしたり、マスター単独のときに自身のサーヴァントをワープさせたり、自害せよランサーしたり。つまるところ、自身のサーヴァントに対して、小さな奇跡を起こせる物でもある。

 マスターたちはカルデアの電力によって魔力がサポートされている。しかし、他のマスター候補が沈黙している現状は、どうやら一画分の魔力が溜まるのに一日で問題ないようだ。サーヴァントが増えればこの限りではないが、特異点とやらに行った場合は惜しみなく使っても良いのかもしれない。

 

「はあ、善処はしよう」

 

 何か腑に落ちないとばかりに、ペストマスクが傾く。何となくふくろうに似ている気がした。鳥に似ているマスクだからか、寝ている間にずっと近くに佇んでいた様子だからか。

 

 

 

 

 

「クリミア戦争に参加したことある?」

 

 治療されたときの会話を元に伝記を掲げてみせると、頷いて肯定の意を示した。流石にこれで違ったらどうにもならなかった。

 先ほどまで見ていた夢に出てきたフローレンスという名前の少女と合わせると、完全にナイチンゲールの関係者かと思えたが伝記にそれらしい人物はいない。関わっている人物が似た名前なだけなのか、そもそも国が違うのか。

 無茶振りで過労死した軍人の可能性もあったが、軍人らしさというものが一切感じられない。ペストマスクから何を感じ取れるのかと聞かれれば閉口するしかないのだが。国が異なるのならば、夢で呼ばれた「アルフレッド」はノーベルの可能性が高い。いや、高いと信じたい。期待くらいさせてくれ。

 

「……ダイナマイトを作ったとか」

 

 直球である。手札を見せながらポーカーやるよりも直球。頷け……頷け……と悪魔が囁く。なお勘は腐っているのかというくらいなんの導きも与えてくれない。

 

「そんな偉大な有名人と間違われては困る。完全公開されている恋文どころか日常の手紙一枚だって残っていない」

 

 わかっていたことだが、無名へと天秤が傾いた。きっとどうすることもできないくらい名前のない人物なのだろう。認めたくないので食い下がるけど。

 

「……貴方についての記述とか、何処かに無いの? 個人のでもいいから記念館とか」

 

「絶対に無い。町や村を警邏していた見廻りのほうが有名だろう。もういっそ未開の部族の族長よりも無名ってくらい無名なのが断言できる。一般家庭に時々いる近所の知恵袋よりも名もなき一般人だ」

 

 それは胸を張って言うことではない。逆に潔くて凄いのではないかと勘違いしそうだ。

 

「……闇に情報とか活躍を葬られたなんか凄い人物とか」

 

「無いな。どれだけ期待しても何も無いとしか。そもそも唯人だと言ったはずだが」

 

「なんで召喚されたのよ」

 

 憤慨する。英霊召喚システムがぶっ壊れたとしか思えない。彷徨っていた亡霊に肉付けして用意しました、というほうがまだ納得ができる。

 よく考えると召喚はまともに行われたのか怪しいので、システムがバグったのかもしれない。

 

「縁だな。巡り巡った運命というのだろうか。本来は有り得ないことなので俺も驚いている」

 

「え、縁……」

 

 否定するために散々食い下がった結果、聞きたくもない縁とか言い出した。絶対に認めたくはないが、見えなくて意味のない味の無いケーキのような要因があるのだろう。腹は立つしストレスも溜まるが、少しだけ認めるしかない。しかし、有り得ない召喚という凄そうなことが起きて、こんな名も無き藪医者である。あまりにも雑魚過ぎて有り得ないのだろうか。

 英雄の医者が呼べていたら、どれだけ凄かったのだろうか。まず潰れた臓器や筋肉などを一瞬で再生するのが最低ラインとして。治療してすぐに痛みも無くなるのは当然。おそらく世界中の何処に居ても快復させるのだろう。やはり英雄って凄い。

 それに比べてこの藪医者は千切れるかもしれない治療を施すとは。本物の英雄の前で謝らせたいくらいだ。

 

 

 

 

 縁とほんの少しでも認めなくてはならなくて落ち込んで、当然の如く不快なので、腹に置かれた手袋を抓る。触れた感じだと本当の手が中にあるようだ。そして、かなりいい感じにぬくい。冬場は懐に忍ばせておきたいくらいに。

 

「……マスターは日本人なのだろう。東北には詳しいか」

 

「逃げ場は無いぞ、観念しろー。……え? うん、地元なら程々に」

 

 手袋を両手で抑え込んで追い詰めて遊んでいると、アサシンが聞いてきたので応える。あまり離れるとわからないが、近所なら得意だ。芋煮ポイントなどは完全に網羅している。許可なき河川敷での芋煮は、従弟の強制味付け具材変更の手によって地獄へと変わる。友だちや恋人、家族でルール違反して芋煮を楽しもうとした暁には、気付いた時には友情破壊芋煮会へと変貌するのだ。

 

「桐谷という魔術師の一族に知り合いはいないだろうか」

 

 聞いたことのない名前だ。一応、東北は『件』の支配域として魔術師の名前は把握している。思い出そうとするも、掠る名前はやはり無い。滅ぼした相手の名前にも無い。過去に遡りつづければ何時か辿り着くかもしれないが、それだと実家に帰って勘が腐った老人に聞かなければならない。勘が腐った連中は基本的にボケているので面倒なのだが。

 

「東北なら魔術師の全体を把握しているけど聞いたことないよ。知り合いなの?」

 

「ん……多分そんなものだと思う。あまり覚えてない(・・・・・)が」

 

 交友関係かと興味を持ったが、どうにも少し違う感じがした。珍しく濁した様子だ、突っついてもあまり良いことにはならないだろう。

 雑魚の藪医者とは言えどもサーヴァント。内包している神秘を顧みれば虎の尾を踏むのは控えるべきだ。

 しかし、全盛期の状態で呼ばれるというサーヴァントが覚えていないとは、随分と旧い記憶なのかもしれない。頭を叩いたら直ったりしないだろうか。

 

「どうやらマスターは俺の素性を知りたいと察するが」

 

「うーん、戻って来るまでの暇つぶし程度には知っておきたいかな」

 

 もう二分ほどは機能が停止しているロマンを見ながら頷く。肉が削げてぐじゅぐじゅと腐った鼠やギチギチと奇怪な音を立てた蟲が群がりながら足元を這ったら、確かに気絶するのも無理はないだろう。

 ベッドから見ていた私でも少しばかり肝が冷えたのだ、本人にはどれだけ衝撃的だったか。

 

「曖昧な部分が多くてはっきりと言うのは難しいのだけれど」

 

 アサシンが言うには、英霊の召喚は常識を無視するらしい。確かに過去の英雄を呼び出すのだから無視するのもわかる気がする。そして、その無視するというのは可能性も兼ねているとか。未来や枝別れした世界の英雄も含まれているという。

 

「つまり、未来の英雄……」

 

「違うんだなこれが。そろそろ英雄から離れてくれないと期待という闇に身を焼かれてしまう可哀そうなヤブ医者が現れるぞ」

 

 縁召喚と言い出すのが悪い。悪くない?

 しかし、未来の英雄という可能性が潰えた今、残ったのは……。

 

「俺はおそらく」

 

「異世界の英雄……!」

 

「英雄じゃないです」

 

 あまりのしつこさと期待の圧力に、宙に浮く手袋でアイアンクローで反撃された。

 英雄に期待したっていいじゃないですかぁ! 縁がこんな雑魚とか悲しいじゃないですかぁ! 何が縁だ! 誰もが傅く大英雄との御縁を寄越せオラァ!

 

「マスターが知りたがっていた俺の素性は、異世界の藪医者ということになる。悲しいことに知名度ゼロ」

 

「わかるわけない……。そして英霊召喚で呼ばれたくせにホントにしょうもない……」

 

「そう肩を落としてくれるなよマスター。真っ当な魔術師だったら異世界の可能性に興奮するし、涼宮ハルヒだったら泣いて喜ぶ」

 

 真っ当な魔術師じゃないからどうでもいい。せめて誰もが知っている超有名な大英雄が良かった。というか縁召喚なら世界を指先ひとつで救える英雄が来るべきじゃないだろうか。

 そもそもスズミヤハルヒって誰だ。異世界の有名人か。わかるわけないのだが。

 私の落ち込んでいる様子に、表情はわからないが、勘で笑っているのは分かった。このサーヴァントとは相性が悪い、絶対悪い。

 

 

 

 

 

 --3

 

 もう慣れて久しいが、何処までも昏い場所だと思ってしまう。流れ出る血の鉄の臭い、死した人々の腐った臭い、衛生の悪さによる悪臭。何もかもが暗闇に隠れている中で、敏感に感じ取れてしまう。

 死屍累々と表現できるほどに、この場所の病床には怪我人が溢れているのだろう。地面にもきっと置かれているのだろう。

 その積み重なった半死人の山を切り刻む。この半年でどれだけ刻んだか、数えていないのだからわかるはずもない。その代わり、睡眠時間は小さな砂時計を一日に一度だけ返すので分かり易い。

 呻き声を挙げた者を見つけて切り刻む。生きているのなら、この先も生きられるように切り刻む。

 ほんの僅かな助けすら呼べない死人なら切り刻む。

 未来へと歩めるために用意された人数は残酷なほどに少ない。意味のない者を助けることほど無意味なことはない。

 まだ体力のある怪我人が、『俺』の持つ僅かな明かりに灯された。その瞳には恐怖が宿っている。彼は、この空間が怖いのか。それとも、『俺』のマスクが怖いのか。どちらでもいい。銃に撃たれて内臓が傷ついた程度なら、すぐにでも治してやれる。その先に地獄が待っているかもしれないが、残念ながら『俺』にはどうすることも出来ない。一度だって望んだように出来た試しが無い。

 

 夜は長い。何度も死人を担いで捨てに行く。こいつらは在るだけで有害だ。士気は下がり、病気の苗床となり、恐怖が伝播する。感情とはそれだけで力になる。負であろうとも、いやむしろ、負の感情こそが溜まりやすい。光の灯っていないランプを模した礼装に、第六の架空要素を取り込む。悪魔に至るかもしれない感情、死に切れずに留まろうとする魂、それらのエネルギーを取り込む。足りない。まだ足りない。

 冗談で作ったペストマスクだが、思った以上に恐怖を我が身に集められた。戦場で語られる噂に乗って、恐怖を束ねられる。万が一にでも悪魔が現れたら精神病の患者が増えて面倒だった。だが足りない。まだ足りない。やはりそうだ。

 

 生身の躰が邪魔になる。

 

 

 

「先生」

 

「やあ婦長殿。また起きていたのか。人よりも動いているのだから休みなさいと言っているのに」

 

 新たな怪我人の元へ向うために歩いていると、美しい女性がランプの明かりを片手に声をかけてきた。小さな頃から見ていたが、まっすぐに育ってくれた。だが、戦場にまで出てくるのは『俺』を何とも言い難い気分にさせた。

 

「先生こそ。それに、夜は急変しやすく重要だと先生も仰っていたと思いますが」

 

 怪我人への治療とその後の統計を見せてくれる。素晴らしいほどに賢い女性だ。忙しなく人体を切っている俺ではどうすることもできない。出来たとしても、対処する暇がない。

 

「やはり殺菌こそが重要かと。あと消毒も」

 

 日中は喉が枯れるほどに「殺菌! 消毒!」と指示を出している彼女だ。統計の結果は医療行為が正当で重要だと周知する意味も持つのだろう。

 『俺』は派閥などが面倒なので、指示も出さずに怪我人の間を縫うように歩いて辻斬りの如く治療している。

 

「大変よろしい。医療の進んでいるドイツでも殺菌や消毒は忘れられがちだ。学術的な面でしか進んでいないのだろう。イギリスは外科技術が進んでいるが、そういった面ではドイツ以下とは」

 

 難しい、頗る難しい。呟くと、マスクの中で声が籠った。

 

「そういえば妖精が出ると兵士の間で噂が」

 

「妖精? 恐怖で精神を病んだか。面倒だな、本当に面倒だ」

 

「ええ、鳥のような不気味な顔をした妖精です。夜には死人を切り裂き、昼には怪我が治して歩いているそうです」

 

 不気味とは失敬な。被り慣れた今では、愛嬌すら感じるのだが。

 もっとゆるキャラ寄りにすべきだったか。だが、可愛すぎても良いことはない。怖がらせることに意味があるのだ。

 

「趣味が悪いですよね。……そのマスクは死の迎えが来ると患者たちは怖がっております、お止めになっては如何でしょうか」

 

「いやいや、怖がってくれるのなら良いことだ。もっと怪我に怯えてくれれば君もずっと楽になるだろう。いっそのこと敵味方を治療し続けて死人がいなくなれば争いの無意味さに気付いてくれるとかないだろうか」

 

 笑いながら告げると、形の良い眉根を寄せて女性はため息を吐いた。

 それだけじゃない。この時代で初かもしれない熱心な女性の医療従事者の功績を分かり易くも出来る。不気味な妖精よりも、上層に逆らうが見雌麗しい女性のほうが喧伝しやすい。

 

「それに、このクチバシの部分に香料を詰めているから安らぎの香りを提供できている利点は無視できない」

 

「頭が重傷なようで。切断したほうがよろしいのでは」

 

「やめてください死んでしまいます」

 

 その大きな瞳を細め、睨まれる。小さな頃から見ていて妹のように感じるけれども、美しい女性が怒ると怖いのだ。

 

「切断がお嫌いでしたなら治せばよろしいのです。私のせんせはとても良い医者ですよ、安心して治療されてくださいな」

 

「フロー、どっちも俺なんだが」

 

「存じております」

 

 誇らしげに「痛みも無く一瞬ですよ」と言い出した女性に、患者側も医者側も『俺』であると告げておく。もちろんわかってますよ、何を言ってるんですかとばかりに首を傾げられた。

 間違っているのは『俺』だったのだろうか。

 

「せんせは一日に三十分しか寝ない方をどう思いますか」

 

「そのうち死ぬすごい馬鹿なんだなって」

 

「先生はどれくらい寝てますか。つまりそういうことです」

 

「あー、そうだな。……もう少し寝るようにしよう」

 

 『俺』の言葉に、美しいランプの貴婦人は幼い少女のように微笑んだ。

 

「ね? 私のせんせは凄いでしょ?」

 

 

 

 




マテリアル【オリ主】
・絆レベル1
彼は予備軍医としてクリミア戦争へと従軍した。戦場の前線から兵舎病院まで駆けまわり続け、寝る間も惜しまず治療を施した。彼は常に誰かの身体に薬を打ち込み、臓腑を切り、皮膚を縫い、四肢を切断していた。特徴的なマスクを被ることで怪我人に怪我することを怯えさせた。求められる限り働き続け、夜闇に紛れながら治療を繰り返した。彼が去った後には治療された人間か死体しか残らない様子から、鳥に化けた妖精とも切り裂き魔とも囁かれた。

クラススキル1
正気:彼は常に正気であり続ける。如何なる状況、状態であろうとも、あらゆる精神的な影響を受けない。欠点として狂うことが出来ない。

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