実験室のフラスコ(2L)   作:にえる

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原作:ワンピース わんぴーす1

 

 物心つく前から施設で訓練の毎日だった。

 夏は焼けるように暑く冬は凍るように冷たい独房のような空間で寝起きし、効率だけを追求したヘドロのような食事を流し込み、灰色の壁で塞がれた広い部屋で修練に費やす。

 それがすべてだったから疑問を抱かずにただひたすらに課された厳しい訓練を繰り返した。

 他人といえば自分たちを機械か何かのようにひたすら厳しく扱う教官と時間とともに減っていく幾人かの仲間、それだけだった。

 狭い世界だった。

 

 鉄格子から覗くことのできる未知の世界に少しだけ心揺さぶれたこともあった。

 仲間の一人が外へと出ていく姿を見たこともあった。

 その時は言い様のない気持ちが燻り、鉄格子の前から離れることができなくなった。

 そして、教官に見つかり腫れ上がる部分がないという程に殴られた。

 それ以来、近寄ることもなくなった。

 

 そういった生活を繰り返したある日、外に出ることを許された。

 白くもたついたような雪の降る極寒の中、初めて世界が広がったような気がした。

 振り向けば、昔の俺と同じように独房の中から鉄格子を通して外を覗き見ている仲間の姿。

 そこで俺は世界が広がったのではなく、世界は繋がっていることに気付いた。

 繋がっていてこんなにも世界は広いのに、そこに押し込められているだけだったのだ。

 望んでいないのに、俺の世界は閉じていた。

 この世界には圧迫するような壁はなく、空は鈍色だろうと何処までも高く、地面は凍えるように冷えていようとも柔らかさを持っていた。

 世界は広く、俺を受け入れて余りあるほどだった。

 

 俺の世界は切り取られていた。

 俺の世界は狭かった。

 俺には誰も教えてくれなかった。

 ……。

 

 

 

 

 

 俺は帆に大きくMを象ったカモメマークとMARINEの文字が描かれている軍艦に揺られていた。

 この船は海軍という組織のものらしく、施設(独房)を出た俺自身も海兵として戦うように義務付けられた。

 やっていることは施設にいた頃と少しだけ変化したが、ほとんど同じようなものだった。

 上官の下で訓練するか、一般知識や教養を学ぶだけ。

 もしくは実践経験を積むために海賊を発見すれば前線に放り出され、新しい傷が古傷を隠す。

 陸か海か、天井は低く壁が近い。

 何処までも続く空などは存在せず、硝煙で空気が澱んで鈍色に染まるばかりだった。

 結局、俺の世界は切り取られたままだった。

 

 「天上金」と呼ばれる財貨の輸送任務に携わることになった。

 輸送船を護衛する仕事で、ほかの海兵は楽な仕事だから気負う必要はないと笑っていた。

 「天上金」は天竜人という偉人に送られる価値のあるさまざまな物品で、いろいろな国から送られているらしい。

 俺には難しいことはわからないが、これに手を付けると大将という上官よりももっと怖くて強い人物が殺しに来るという話だ。

 昼食を食べていてもそんな話がちらほら耳に舞い込んできた。

 どうやら実践訓練は無さそうだ。

 この航海が終われば次はCPとやらで世話になるらしい。

 

 上官に終わりはあるのかと問うた。

 いつか自由に暮らす日は来るのかと。

 肯定は無かった。

 誰かのために力を行使するのが俺の義務なのだと、まだ見ぬ戦火を防ぐことが俺の使命なのだと、訥々と語られた。

 俺には何もないのですかと呟く。

 上官は首を横に振っていた。

 正義を守ることが、無垢な人々を救うことが至上だと呟いた。

 何も知らないのに、守ることも救うことも出来ないじゃないかと涙を流した。

 返事は無かった。

 上官の悲痛な顔を見たのは最初で最後だった。

 訓練は初めて休みになった。

 

 

 

 その夜、上官が死んだ。

 喧噪から海賊に襲われたのだとわかった。

 よく話した海兵も、まったく話したことのない海兵も、みんな死んでいた。

 死ぬのだろうか、ぬるかった上官の血が冷えていく。

 俺を隠すように上官にかけられた正義と書かれていたコートは血のせいでどす黒く、影響のない袖や裾が風ではためいていた。

 

 燃え盛る船は幾度も見たことがあったし、そういった甲板で戦闘を繰り広げたこともあったが、自らが乗る軍艦が焼け落ちる姿は初めて見た。

 一人の男が起こしたその現象はとても奇妙な光景を生み出していた。

 男が手を振ると鋭利な刃物のようなもので切り裂かれたかのように、船の至る所に切り傷が奔った。

 舵を取る者がいなかったのか、追従していた他の軍艦と激突した。

 船が傾いていく。

 小さく甲板が揺れているのを、沈んでいく様を感じ取った。

 海水が流れ込んでいるのか響くような低い音がする。

 

 船を襲った海賊の男が空を飛んで何処かへ向かった。

 俺はどうする。

 どうしたらいい。

 誰も教えてくれない。

 誰もしゃべられない。

 上官の今際の言葉を思い出した。

 「これから少しだけ自由になれるだろう、誰にも邪魔されない。選ぶんだ。血に沈む仲間を見て、お前がどう思うのか。」

 血を流した者や傷に喘ぐ者、火を必死で消そうとする者、脱出を試みる者が視界に写る。

 よく話した海兵たちは死んだ、一番近しい上官は死んだ。

 誰も上官の死など、仲間の死など、俺のことなど、目に入っていなかった。

 

 「助けたいなら海兵を、それ以外なら外へ行くがいい」

 躊躇いは無かった。

 背に穴が開き、正義の消えた血染めのコートを羽織って海へと飛び出した。

 誰も俺に関心が無かった。

 ここは俺の世界を狭めるだけだ、そう理解した。

 

 着水する前に宙を蹴る。

 白い体毛の生えた四肢で空を走る。

 疎ましく思っていた悪魔を宿したこの肉体が今だけは心強く、頼もしい。

 体力が尽きる、天候が変わる、海王類に襲われる、ほかにも色々あるが失敗すれば死ぬ。

 だが、走り切れば生きられる。

 真っ黒の海に映る自らの背に宿る陽炎が小さな燈火のようだった。

 

 

 

 世界が本当に広いことを知った。

 背負う炎の、個人の光の矮小なことを知った。

 光のない空も闇の広がる地平線も暗い海も、限りないほどに近く、そして深かった。

 金色の光に照らされ始めたとき、世界はどこまでも拡がっていき、雄大だった。

 今なら眼下に或るこの美しい水面に揺られながら死んでも良いとすら思えた。

 

 

 

 

 

 疲労の末にたどり着いた島の波打ち際で倒れるように身を丸めた。

 整備された港も見える、村か町があって住人がいるのだろう。

 今の姿は白い狼、しかも体長は成人男性ほどはある。

 人が集まってくる可能性を考慮して姿を人型に……。

 

 少女と目が合ってしまった。

 

 

 

 叫ばれたら逃げ出そうかと四肢に力を入れたが静かなままだった。

 穏やかな波の音が聞こえた。

 少女に目を向ける。

 肌は陶器のように白く、黄色に近い鮮やかな金色の髪の毛は肩を超えるくらいに長く、青いリボンスカーフを巻いた緑色のワンピースを着ていた。

 見たところ、10歳前後だろうか。

 アウイナイトを思わせる繊細な青く大きな瞳が、俺を捉えていた。

 間近で見つめられたら瞳に映った自分を確認できるのではないだろうか、それくらいに綺麗な瞳だ。

 そんなことを考えていると少女がゆっくりとこちらに近寄ってきた。

 少女の形の良い唇が、俺が海軍かどうかを尋ねた。

 

 かなり驚いたが、思い返してみるとかなり海軍的な恰好をしている。

 制服と制帽を着ていて、穴が開いているが正義のコートを羽織っている。

 立場的にちぐはぐではあるが、知っている人からすれば海軍に見えるかもしれない。

 ……飼われている大型犬と勘違いされている可能性もあるが。

 

 違うと答える。

 少女には驚かれなかった。

 ゾオン系の能力者を見たことがあるのだろうか、それとも海軍の動物は喋ると思っているのか。

 すぐに海賊かと聞かれたが、それも違う。

 海軍は辞めたのだと告げた。

 何をしたらいいかもわからないとも。

 

 ふうん、と頷きながら近寄ってきた少女は興味深げに俺の背に手を近づけた。

 篝火の様な炎が揺らめいていた。

 熱くないことに、その大きな青い瞳を丸くしていた。

 火力は俺が調整できる事実を教えた。

 少女は火が好きじゃないが、これは悪くないと小さく笑い、俺の背をもふもふした。

 どうやらメアリーという名の少女らしい。

 俺は名乗ったがアマ公というあだ名を付けられてしまった。

 

 

 

 呆けたまま海を眺めるだけで一日を終え、いつの間にか寝て、日が昇ったらそのうち起きる。

 そんな日々を繰り返していたら様子見に現れたメアリーに叱られてしまった。

 耳をぱたりと閉じて聞こえないフリをしたら笑顔のまま青筋を浮かべたメアリーが手をかざしてきた。

 すると、俺の体がふわりと浮いた。

 能力者かと驚いていると徐々に海へと近づいていく。

 やめてくれメアリー、海は俺に効くと謝ると溜息をついて下された。

 

 「にーとはどの世界でも許されないのよ」とよくわからない説教を受けたが、こじらせると面倒に繋がりそうなので殊勝な態度でやり過ごした。

 寝てるだけじゃなくてやることないのかと問われ、パンとシチューを渡された。

 少し冷えたそれらを食べながら何をしたらいいのかわからないと返答、メアリーが形のいい唇を三日月状に変化させた。

 

 「じゃあ、海賊しかないね!」

 

 え?

 

 

 

 

 

 メアリーはほしいものがあってそれは海賊になる必要があるのだと、青い瞳を輝かせながら訴えてきた。

 確かにそういった手段に手を染める者も少なくないと聞いた。

 が、メアリーはどう見ても10歳前後である。

 人生を決めるのは早過ぎるというのが俺の考えだ。

 メアリーとしては俺が仲間になるから幸先いい、という感じだ。

 10歳の少女を連れ回す海賊とか最低の下種じゃないか……。

 

 そういったことは15歳を超えてからにしなさいと伝えると、驚いたことにメアリーが18歳だという事実が発覚した。

 疑った俺に、弟分だというエースが現れ、いい感じに挨拶した。

 どうやらメアリーは本当に18歳のようだ。

 悪魔の実が関係しているのだろうかと聞くと、半々くらいだと曖昧に答えられた。

 半々とはいったい……。

 

 俺らの様子を見守っていたエースは姉をよろしくと言って海へと旅立っていった。

 よろしくされてしまった……。

 メアリーは話は決まったと俺の背に跨った。

 俺は行くとは言っていないと言葉を濁すと、シチューが入っていた器を指差して「一宿一飯の恩義くらい返すものよ」と笑っていた。

 一宿は恩を受けてないんだが……。

 

 どうせここにいても何もしないのだ。

 隣の島でどうするか考えることにしよう。

 ふわりと宙をかける。

 能力者2人が海を走って渡るとか、自殺行為な気がしないでもない。

 「やるじゃないアマ公。期待通りね」と気分よく笑っているメアリーはどうせ何も考えていないのだろう。

 

 

 

 

 ――tips

 

オリ主

サイファーポールの補充メンバーとして育成されたが脱走した。

イヌイヌの実 モデル「シラヌイ」の能力者で犬になって走り回ることができるぞ!

 

メアリー

芸術家ワイズ・ゲルテナによって描かれた少女の絵がヒトヒトの実 モデル「ポルターガイスト」によって世に生を受けた。

ゲルテナ作品を回収することが目的である。

中身は現実から絵へと憑依し、ワンピースの世界で海賊をやるというワイルドな女性。

 

――

 

 

 

 

 --1

 

 

 

 

 

 その少女はその小さな体に世界そのものを宿しているような少女だ。太陽のように鮮やかに輝く金色の髪、青い空のような大きな目に宿る夜の深い海を思わせる暗い瞳、不気味なほどに形よく整っている顔、月のように静かに照らすように白い肌、十歳前後の幼い体躯は雄大な自然を凝縮した野を表すような緑色のワンピースに隠されている。首元に巻かれた青いリボンスカーフが持つ柔らかな雰囲気が、少女が持つ精巧な人形が醸し出す人工的な違和感を和らげていた。目利きの効く者、敏感な者でもすぐには違和感を抱かないほどに。

 

 少女は絵としてこの世界に生まれた。悪魔の実である『ヒトヒトの実 モデル「ポルターガイスト」』を磨り潰し、絵具として描かれたワイズ・ゲルテナの最期の作品だ。そして、彼女はゲルテナによって生み出された作品たちすべての妹でもある。彼女が絵として生を得た際、この世界についてほんの少しだけ詳しい別世界の女性の魂を元型としていた。知っていたら少しだけ有利になる”かもしれない”程度の知識を有したまま。

 

 メアリーはワイズ・ゲルテナを父として認識している。ワイズ・ゲルテナは残り僅かな命の末期の作品としてメアリーを生み出し、その執念と愛情で描き切った。その姿は、殉教者が死するまで信ずる神に信仰を奉げるように献身的ですらあった。ゲルテナの死後、全ての遺産は強欲に晒され、世界中に散らばった。身体を得たメアリーを除いた全てが。父の遺体を『額縁』に納めることで、初めて『外』に出たメアリーを襲ったのは深い悲しみだった。一つの場所に在るべきだと望まれた兄や姉である作品たちが引き離されているのだ。作品たちと繋がりを感じるメアリーが、可能な限り作品を探そうと心に決めるのは当然のことだった。

 

 メアリー・ゲルテナは生まれたばかりのままでは作品たちを取り返せないことを知っていた。元型となった魂や『外』を歩いて海軍に保護されて得た知識から雌伏の時であると理解した。身を裂くような悲しみが燈した黒い炎が燻るのを感じながら、ただひたすらに自身に生を与えた悪魔を育て続けた。

 

 

 

 

 

 --2

 

 

 

 

 

「だからね、アマ公。私はゲルテナ作品を集めるの。そのためなら海賊にだってなってみせる」

 

 メアリーは自らがアマテラスと名付けた海を駆ける白い狼の背に乗りながら、自身の身の上や目的を伝え終えた。アマテラスの首周りのもふもふとした毛を手で遊ぶ。話は聞いていたのだろう、耳が少しばかり後ろに向いていた。返事は無かった。

 アマテラスは喋るのが苦手だ。獣が無理やり人間の言葉を話そうとしたような、奇怪な声になってしまうからだ。声帯だけが常に獣のままだ。悪魔の実が『覚醒』した後遺症ではないかとメアリーは考えている。

 

「別に全部手伝えというわけじゃないわ。ただ、ほんの少しでもいいから力を貸して欲しい」

 

 海賊を目指すと言ったのは本心だった。ただ、海賊に拘っているわけではない。この世界で一番幅を利かせている盗人が海賊なだけだ。ゲルテナ作品を取り返せるのならば盗賊でもいい、山賊でもいい。下劣な人攫いにだってなる。他人が持ち去った作品たちを奪ってもいいのならば海軍にだって身を置く。矜持など必要ない。だが、力は欲しかった。奪い取るための強大な力が。

 船が沈んだ際に海軍から逃亡してきたとだけ聞いたが、それでもアマテラスは魅力的だった。自然種よりも貴重な幻想種の能力、修練を積んだ研ぎ澄まされた肉体、何処にも囲われていない強い戦力。後ろ暗い背景でもあるのかと新聞を調べてもみたが、何も見つからなかった。浮いたままの戦力をどうしても得たかった。

 

 

 

 

 

「……貴方が海軍としての誇りを持っていたとしても」

 

 海軍という言葉に耳がびくりと震えたように見えた。彼には何かがあった。何かがあって此処に居る。見えない物に縛られている。メアリーが海軍に保護されたときに引き合わされた弟分のように、心の底に澱みを持っている。

 落ち着かせるように優しく撫でる。ほんのりと温かく柔らかだった。

 

「私のやることは見逃してね。でも、せめて5年間分のご飯への恩返しはしてくれてもいいと思わない?」

 

 茶化すように笑いかける。聞こえないとでも言いたいのか、ぱたりと耳を閉じている。覚醒したことで五感が強化されているアマテラスが、そんなことをしても聞こえないわけがない。そもそも聞こえないフリをするには遅すぎる。

 

「働かないで食べるご飯は美味しかった? 少女にたかるヒモニートになっては駄目よ」

 

「……一宿一飯の恩を返ズダゲデいいっデめありー言っダ」

 

 鈍く罅割れた声だった。音を歪めて声という枠に無理やり納めたような低い獣のうなり声だった。その声がメアリーは嫌いじゃなかった。最初は肯定しか示さなかった。それが今では消極的ではあるが自分の意見を言うようにまでなった。人に懐かない猛獣を必死になって懐かせたような達成感だ。誰にも聞かせることのない声だ。メアリーのためだけに発する声。

 

「言ってないわ、『恩を返すものよ』って一般論を言っただけ」

 

 メアリーが笑みを浮かべながら返す。駄々を捏ねる子供の様に、アマテラスはぱたりと耳を閉じた。今度は先ほどよりも力強い。

 海軍についての言葉は気にならなくなっただろうか。メアリーが島を出ると決意し、アマテラスを連れ出すまでの五年もの間でも変わらず白く綺麗な毛だ。体表を燃やすだけで汚れを払うことができるというのだから便利な身体だ。とは言えメアリーもその点は変わらない。彼女の本質は絵だ。変わらずそう在り続ける。飲食もただの嗜好だ。ポーズでしかない。食べることや飲むことといった無駄が好きで、魂の元型となった女性が生きていた時の残骸が求めているから、そうしているだけに過ぎない。

 

 「ヂょっド考える」

 

 「そう。いい子ね、アマテラス。まあ、私が誘っていることは悪いことなんだけど」

 

 メアリーが喉を鳴らすように小さく笑う。大きな瞳を細めて、猫のように。アマテラスとは正反対の、美しい声を挙げながら、目的地の島を眼下に修めて。

 

 

 

 

 

 --3

 

 

 

 

 

 ファストォヴォール村は世間的な悪にも寛容だ。悪を取り締まる機関が村の中心に一つある駐在所がある程度も理由の一つだが、海賊の縄張りとなっていることが大きい。少し離れた島に海軍支部があるため、何か起きれば助けをすぐに求められるのも寛容さに繋がっているのかもしれない。特別な売りの無い村に金銭を落してくれるのならば多少の悪事には目を瞑る傾向にあった。

 『東の海(イーストブルー)』にはこういった村は少なくない。時々何処かで縄張り争いの小競り合いが起きる程度だ。海賊や山賊の質が最も低い最弱の海とも呼ばれている。つまるところ一般大衆にとって世界で一番平和な海なのだ。特産を持たない島が外貨を得ようとすれば自ずと海賊を商売相手に選ぶようになる。海賊は補給と慰安を兼ねた休憩を取れる安全な縄張りとすることができる。代わりに有事の際に侵略者から村を守ることが求められるが、海賊は戦いが本職だ。相手の船から奪える金品も鑑みれば、守る意味も出てくると言う物で。さらにその結果、村に恩を売れて安定的な供給を得ることができるようになるのだから、利益の面からも見ても重要な拠点であるのは間違いない。

 

 「で、カモシカの旦那は『偉大なる航路(グランドライン)』への準備はできたのかい?」

 

 村外れに建つ年季の入った酒場の店主が、店同様に年季ある低い声を唸らせながら、カウンターに座る男に声をかけた。話しかけられた男はカモシカ海賊団の船長であるカモシカだった。カモシカは十にもならない年のころから下っ端として船で働き始め、船を率いるまでに二十年余りの月日を海賊として生きてきた。荒くれ者どもに揉まれる日々で培った力は、カモシカの如くしなやかな筋肉から繰り出される蹴りに凝縮されているようだった。岩を容易く砕くほどの豪脚が畏れられ、平均賞金額三百万ベリーの『東の海(イーストブルー)』では破格の八百万ベリーの値がその首に懸けられている。数十隻の船と数千人の船員から構成される海賊艦隊を率いる首領・クリークと一戦をして、逃げ延びた経験すらあった。カモシカにとっても、船員たちにとっても今が海賊として力がある絶頂の時期だった。

 絶頂期であるカモシカは、その調子とは打って変わって海図を指先で弄びながらため息を吐いた。古い海図だ。古すぎると言っても過言ではないほどに。

 

 「いや、まだまだだな。情報が足りやしない」

 

 海風に晒され、保存すらも儘ならない状態で管理された海図は全体的に黄ばみ、端は擦り切れていた。穴は開いていないが、所々に掠れている部分も見て取れた。

 こんな海図を当てにして船旅をしようなど、自殺行為でしかない。だからこそのため息だ。

 

 「旦那。なんならずっと留まっていてくれていいんだぜ。アンタなら村の連中も歓迎してるからな」

 

 曇った硝子を布で磨きながら店主が告げる。カモシカが率いている仲間たちによる喧騒が店内を賑わせているが、カウンター付近は関係ないとばかりに陰鬱だ。

 

 「ここは縄張りとしてなかなかよかった。だが、駄目だ。俺たちはグランドラインに行って本物の海賊になるんだ」

 

 そう言いながらカモシカはグラスの酒を飲み干した。少しだけ辛い酒だ。残念そうに「そうかい」とだけ店主が呟くように返し、カモシカのグラスに酒を注ぎ足した。

 カモシカ海賊団の前身は、『東の海(イーストブルー)』でも弱い海賊団だった。周りの海賊たちの間を縫うように島を渡り歩き、住人たちを脅かして小金を巻き上げる。せこい商売だ。カモシカはそんな海賊団の姿に劣等感を抱いていた。そんな海賊団にしか入れない己にも。

 『偉大なる航路(グランドライン)』に拘るのはカモシカのプライドがそうさせるからだ。いくら懸賞金を上げようにも最弱の海だと侮られ、何時まで経っても海賊になれた気がしない。ゴールドロジャーの死後、潰えると思われた海賊の時代が再燃した。あれこそが海賊だ。幼き日に見た、あそこに集まった猛者どもが海賊なのだ。海賊の楽園と呼ばれる『偉大なる航路(グランドライン)』で戦い抜くことが出来て初めて本物の海賊と胸を張れる、そう考えている。そうしないと己は一歩も前に進めない。

 『偉大なる航路(グランドライン)』で戦える仲間を集め、戦えない仲間は置いてきた。もう戻れない、先に進むことしか許されない。戻ることになったらどの面を下げて切り捨てた仲間に許しを乞うのか。圧迫感にも似た使命感が、カモシカの背を押している。

 

 だが、足りないのだ。『偉大なる航路(グランドライン)』でもやっていける自信がある。あの海賊艦隊に包囲されても生き残った自分たちなら乗り越えていける確信がある。足りないのは情報だった。海図だって偶然に戦闘で手に入った物だ、楽園から這う這うの体で逃れた負け犬から奪ったとも言えた。生きる望みを失った幽鬼のような連中から、戦いで奪い取った物。『偉大なる航路(グランドライン)』の海賊とも戦っていける自信が付いたのもその時だし、本物の海賊への憧れが再燃したのもその時だ。仲間たちも息巻いている。

 

 「あの時の連中に聞いておくべきだった……」

 

 劣勢になると命乞いをし始めた海賊たちを思い出す。こいつらが本物だとは思えない、そんな侮蔑にも似た感情を抱いたカモシカは見逃してやっていた。それが今になって後悔に繋がるとは思わなかったのが本音だった。

 

 

 

 

 

 悔恨を胸に、あの時の戦闘を思い返す。仲間が数人やられたが、それでも逃げ帰った連中に負ける道理は無かった。弱いとすら思ったほどだ。

 ただ、相手の傷を思い返すと『偉大なる航路(グランドライン)』から逃げ帰った直後の戦闘だったのかもしれない。『偉大なる航路(グランドライン)』は『凪の帯(カームベルト)』に挟まれているという話だ。風もなく、海王類が跋扈する海から逃げ帰った海賊。ともすればそれほど弱くないのか、それとも自分たちがそれでも尚強かったのか。

 

 「アマ公、酒場は初めて?」

 

 鈴の音のような、そんな言葉が似合う少女然とした声音がカモシカの耳に入った。白い犬を連れた少女が、いつの間にかカモシカの隣に座っていたのだ。少女の問いに答えたのか、白い尾が一度だけ揺れた。

 この場に不釣り合いな一人と一匹だった。狼にも似た巨大な白い犬と、未熟ながら美しいと形容できる少女。思考を巡らせていたから気付かなかったのか、酒場の喧噪で扉の開く音に気付かなかったのか。

 

 「食べたり飲んだりできるお店なのよ。もちろんお金が必要だけど」

 

 アマ公と呼ばれた犬は、少女の言葉に興味深そうに聞き入っていた。森に住む獣や海に栄える海獣とは異なる明確な知性が、その黒い瞳から見て取れた。だがすぐにでも犬は飽きたのかすぐに少女の足元で丸くなった。

 犬は少女の親が与えた護衛だろう。その立派な毛並みや体躯を自慢のつもりだろうか、治安の悪い酒場に来るなど何を考えているのか。蝶よ花よと育てられた箱入り娘か。確かに体格の良い犬だが、己の蹴りに敵うはずもないとカモシカは考えた。脅かして今後の為にでもしてやろうか、そんな思いも抱いたが、それは本物の海賊がやることではないのだと頭を振って阿呆な考えを追い出した。

 

 「あー、嬢ちゃん。ここは一応酒場だから犬を入れるのは止してくれると嬉しいんだが……」

 

 「大丈夫よ。それにアマテラスは犬じゃないわ」

 

 言外に出ていくように店主が告げる。ここには海賊が屯っている、長居していいことなど無いし、食事なら別の場所で摂るべきだ。老けたことで絶望的に顔が怖くなっている店主も、年端のいかない少女には優しいようだ。それに怯えることも引くことも無く、それどころか少女は上機嫌に「オレンジジュースと何か食べ物を二人分くれると嬉しいわ」と店主に注文した。

 店主は言葉を濁してカモシカへと視線を向けた。肯定を問うている。カモシカの返事は無視だった。何が起きても責任は取らないという意思表示。それを見た店主は困った顔をしたが、直に諦めてオレンジジュースを注いで少女の前に出した。

 カモシカはどうするべきか考えた。故郷には同じくらいの娘がいる。ここで見逃してもいいが、調子に乗ってこの少女が問題を起こして野垂れ死ぬとなると夢見が悪い。海賊の怖さを見せて、こういった場に来ないようにする。それが本物の海賊を目指し、海賊になった男の出した答えだった。

 

 自慢の脚に力を入れ、ぞっと背筋が凍った。白い犬が少しだけ牙を剥きだし、唸っていた。それだけで死を彷彿した。たったそれだけでさせられた。

 過去に演じた死闘を思い出した、よく自分は生きていたと褒めたいくらいだ。前の船長に下剋上を起こし、成功したときは本物への一歩を抱いていた。海賊艦隊に囲まれたときも、本隊に狙われなかったために生きていられたがそれが実力だと誇った。今日まで海賊として生きてきた、両手では数えきれないほどに死ぬ思いだってしてきた。それを何故今になって思い出す。カモシカの頭にはやり残した後悔ばかりが再生されていく。

 まるで今日がすべての終わりで、それを認めたくない魂が騒いでいるようじゃないか……。

 

 「アマ公……そう、いい子ね。この人の善意だから気にしなくていいの」

 

 少女の声が合図だったのか、剥いていた牙を仕舞い、興味が失せたとばかりに丸くなった。その様に脚の力が抜けていく。脚だけじゃなく、全身が弛緩したかのように。目の前が白くなり、頭が少しばかりくらくらとしていた。

 

 

 

 

 

 「店主のおじさん、実はお願いがあってここに来たのよ」

 

 少女が料理を食べながら、店主と話している。足元で丸くなっている犬も静かに皿に盛られた料理を食べていた。何時の間に料理が出来たのだろうかと意識すれば、まるで今カモシカに全てが追いついたかのように店内の喧噪が聞こえてきた。冷えていた酒は温くなっている。手元の海図はカモシカから滴った汗でふやけていた。

 

 「店に飾ってある絵を譲ってほしいの」

 

 「ああ、あれか……」

 

 少女の言葉に、船員たちが騒いでいる壁際に飾られている絵を思い出す。少女の言葉に店主は無視するようにグラスを磨いている。少女が機嫌を損ねれば白い犬がまた牙を剥くのではないか、そう思い少女の横顔を盗み見る。カモシカは絶句した。店主の態度が気に入らなかったのか、少女が器物のような生気のない目でグラスを磨く手を見ている。ぎょろりとでも音が付きそうなほどに、気持ちの悪い目だった。作り物のような精巧な目。

 足元で丸くなっていた白い犬が観察していたが、カモシカにはそれすらも気にならなかった。白い犬は生きていて、知性を感じられた。だが、少女はどうだ。生きているようには思えない。知性すらも測れない。作業のように何か、恐ろしいことを仕出かしそうな気持ち悪さが感じられた。

 カモシカは心臓の鼓動が速まっていく気持ち悪さを必死に抑えた。壁際、絵の前で騒ぐ船員たちを怒鳴りつけて鎮めたい気分だ。ただ、話をこのままにでもして店主が断りでもしたら取り返しが付かないことになりそうな予感があった。

 

 「い、いいじゃねえか。あんな絵ぐらい。な、なあ俺からも頼むぜ……?」

 

 カモシカが横から口を出したのは自分の勘を信じてであった。”あんな絵”と言葉に出した瞬間、少女の無機質な目に晒されたが何とか次の言葉を口にできた。カモシカが自らの要望を後押ししていることに気付いたのか、少女の目は普通の物に戻っていた。年端のいかない少女が持つ特有の煌めくような青い目に。それがカモシカには怖かった。

 まるで何か別の物が擬態しているようだった。化け物とか悪魔とか、そんなような何かが。とろけるような笑みを浮かべ、白い犬を撫でているが、やはりそこに可愛らしさは感じられない。

 

 「旦那がそう言うなら考えないこともないけどよ……。じゃあ、あれだ」

 

 「近海に出没する海王類、それを捕まえて来てくれたら譲る」と意地の笑みを浮かべた。さらにおまけとばかりに「どうですか旦那」みたいな顔をカモシカに向けてきた。カモシカは顔の血の気が引いていくのを感じた。なんて馬鹿なんだ。鈍いにもほどがある。遊びじゃないんだ。店主への罵詈雑言がカモシカの頭を駆け巡った。

 カモシカは今日まで戦いの中で生きてきた。本能とでも言うべき勘に頼ったのも一度や二度ではない。その勘が囁いているのだ、この少女には関わっていけないと。

 

 「そう、それでいいならいいわ。ご馳走様でした」

 

 少女にとって絵が欲しいというのは気まぐれだったのか、あっさりと身を引いたように思えた。カウンターに食事代を置くと、ふわりと浮くように少女が椅子から降りた。それに合わせて白い犬も立ち上がる。

 やっと何処かに行ってくれる。カモシカは体の芯から疲れが滲むようだった。

 

 「おじさんは良い人だったからグランドラインに行きたかったら色々と教えてあげるわ。海図だけじゃわからないことを、私が戻ってくるまで此処にいた場合の話だけど」

 

 囁くように少女が呟いた。無機質な目が絵に向いている。絵だけじゃない。絵と”船員”たちに、向けられている。

 これは忠告だ。絵を前にして阿呆な真似をしないようにとの、少女からの忠告。今の会話で値打ちものだと思った馬鹿が盗まないようにと、釘を刺したのだ。もしくは本当に『偉大なる航路(グランドライン)』について教えてくれるのかもしれない。少女が持っている不気味さ、白い犬の持っている力、その諸々を伴って。本物を魅せつけてくれるのかもしれない。

 

 「店主のおじさん、約束やぶったら酷いんだからね」

 

 上品な笑みを浮かべ、ふわりと少女が浮き上がった。宙に浮く。化け物の所業を平然と見せつけた。

 音も無く、ゆっくりと少女が出口の扉へと飛んで行く。宙を滑って移動していた。その後ろを音もなく白い犬が付いていく。奇妙な光景に、いつの間にか酒場の喧噪は静まっていた。

 木の扉に一切触れることなく、一人と一匹がすり抜けていった。当然の如く古びた蝶番の軋む音は鳴らなかった。まるで白昼夢のようだった。夢であればどれだけ幸せだったか。夢であったのならカモシカという海賊は今も本物の海賊を夢見て、楽園である『偉大なる航路(グランドライン)』にため息をつきつつも幸せに思いを馳せていられたのだから。

 

 

 

 

 

 「あれは、能力者か……」

 

 絞り出すように、掠れた声が漏れ出た。悪魔を身に宿した、常軌を逸する能力を得た人間だ。『偉大なる航路(グランドライン)』にも多くの能力者がいるという。カモシカは己に問いかけた。あんな異常者を相手取って生きていけるのか、本物の海賊になれるのか。『偉大なる航路(グランドライン)』の海図を持っていた海賊を思い出した。襤褸切れのように草臥れて、塵のように光のない瞳で生きて、幽鬼のように歩く連中を。怪我を負って弱っていたとはいえ、かなり強かった。そんな連中を塵芥のように変える海に行って、本物の海賊になれるほどの力があるのか。

 

 「だ、旦那! お、俺はどうしたらいいんだ!?」

 

 悪魔の力を持っている、辺鄙な村の連中だって知っている事実だ。少女が持っている不気味さが悪魔の力だとわかって納得できた。納得できて、そして理解できるのだ。年端もいかない少女にすら敵わない己が『偉大なる航路(グランドライン)』を渡るほどの力が無いことに。カモシカが、海賊としての限界を理解させられたのだ。

 『東の海(イーストブルー)』でも凶悪な海賊として名を馳せる道化のバギーも悪魔の力を持っており、村を一つ簡単に滅ぼせるという。だとするならば、誰にもどうすることも出来ないだろう。ただ、あの悪魔が気まぐれを起こし、本当に絵だけで満足してくれと祈ることしかできなかった。

 

 「つ、次に悪魔が来たら絵を渡すしかないだろ……」

 

 「なんでこんなことになっちまったんだ……。こんな二束三文の絵に、くそぉ!」

 

 店主が嗚咽を抑えながら涙を流していた。文句を言いたいのはカモシカも同じだった。縄張りにしていた村に、悪魔が現れるなど予想できるはずもない。予想できていたならば、すぐにでもこんな村は放棄するほどだ。

 ここにいたら殺されるかもしれない、恐怖がカモシカを動かした。縋るような店主の視線など無視して船員に指示を出そうとして、気付いた。絵の前で酒を呑んでいた船員十五人が倒れたまま動かないことに。

 ひり付くような見えない圧力に耐え、倒れている船員を起こす。潰れた柘榴がそこにあった。悲鳴を挙げそうになるが、海賊団の船長として矜持で抑える。見渡せば倒れている全員の頭部が無くなっていて、床を朱く染め上げていた。

 吐き気を堪えながらなんとか状況を把握しようと死んでいる船員たちを見渡す。絵に命を捧げるように、頭部なき船員たちの遺体が転がっていた。悪魔が求めたあの絵のタイトルは確か『悪意なき地獄』だった。

 

 「地獄だ……」

 

 カモシカが漏らした言葉に、反応する者はいなかった。

 

 

 

 

 

 

 --4

 

 

 

 

 

 遺体を全て置き去りにし、買い出しに出ている船員を捨て置くように、カモシカは自らの船に乗り込んだ。船を動かせるだけの船員が集まれば、見捨てるように出港した。船長としての矜持なんて無い。あそこにいれば、みんなああなってしまう。

 恐怖に駆られた行動だった。生きるための最善だった。

 離れていく島を振り返り、カモシカは己の選択肢が間違いでなかったことを悟った。

 

 首の無い海王類が村へと浮遊しているのが見えたためだ。自身の目を疑い、単眼鏡を使う。白い犬の背に乗った悪魔が猫のような笑みを浮かべていた。そして悪魔と目があった。可愛らしく小さく手を振っているが、カモシカには限界だった。何故この距離で気づくのか、何故海王類の頭が無いのか、何故船員たちを殺したのか。何もわからなかった。何も考えたくなかった。

 

 船員たちが喚くように何かを叫んでいるが、カモシカにはどうでもよかった。以前、戦闘した『偉大なる航路(グランドライン)』から逃げ帰った海賊連中が艦隊を率いていようとも、もうカモシカには興味のないことだった。

 自分も、連中も、結局は偽物だ。ただ、海賊というレッテルに憧れて、粋がってそう名乗って、惨めに死んでいくのだ。それが同業の偽物相手か、悪魔による物か、それだけの違いだ。

 

 

 

 それだけなのだ。それだけを知るための人生だった。

 

 

 

 

 

 

  

 --3

 

 メアリーが旅をする目的は、父が遺したゲルテナ作品という絵とか彫刻などを取り返すことだと聞いた。

 俺に一緒に来てほしい理由は、強い相手から取り戻すときに力になれるからというのもあるけれど、旅立ちの日までずっと浜辺で過ごしていたことに運命を感じたからだとか。

 俺が自由になれたのも運命だろうか。

 メアリーが「貴方が求めたからこそ得られた運命よ」と楽しそうに笑っていた。

 

 

 

 海王類は島の近くにはいなかった。

 見つかったのは、ちょっとした大きさの海獣くらいだった。

 海王類と俺とは運命が交わらなかっただろうかと首を傾げると、メアリーがくすくすと上品に笑いながら「めぐり合わせが悪かったのね」と言った。

 

 虱潰しに海を探すが、海王類はやはり見つからなかった。

 島同士が近いような浅い海には、海王類はあまりいないのだとメアリーが教えてくれた。

 メアリーは物知りだ。

 俺が空から見下ろしても足りないくらいに世界は広いのだとか、空に浮かぶ星々は物凄く遠くにあって自ら輝く物とその輝きによって光っている物があるのだとか、物が下に落ちるのは重力と呼ばれる力が生じているのだとか、本当に色々と知っていて、わかりやすく俺に教えてくれる。

 

 メアリーが欲しがった絵のために、張り切って遠出して頭を引きちぎって海王類を捕まえた。

 空を駆けるのなら一っ跳びだが、船で移動するにはかなり遠い場所だった。

 海を駆けているが、やはり広い。

 空と合わさって何処までも無限に拡がっているようだ。

 時折、点々と島が見えるが、海の広さからすれば無いも同じだ。

 空に雲があるように、島は海にある雲みたいなものに思えた。

 メアリーが空にも『空島』という島があると教えてくれた。

 「いつか行ってみたい」とメアリーに言うと「一緒に行きましょうね」とほほ笑んでいた。

 空と海は実は同じような物なのだろうか、想像すると尻尾がぱたぱたと揺れた。

 

 

 

 俺とメアリーが態々遠くまで海王類を獲りに行ったのはメアリーと酒場という場所のおじさんの約束のためだ。

 海王類があればゲルテナ作品と交換してくれるという約束だ。

 約束は守った方がいい。

 でも守れないこともある。

 ただ、交わした約束の重さによって、どれだけきちんと対応するべきか変化するようだ。

 今回はメアリーにとって重要な約束だった。

 破ると凄いことになるのは仕方ないらしい。

 あとは立場とか力が強かったら破っても問題ないとか。

 あまり俺には約束というものがよくわからない。

 でも守らないといけないのなら破っていけないのではないだろうか、そうメアリーに伝えると「好きなようにすればいいのよ。よくわからなかったら、嫌われたくない相手の約束を守れば大丈夫よ」と教えてくれた。

 

 頭を引きちぎったために大量の血を流している海王類を視界の端に納めながら、メアリーを背に乗せて村に戻る。

 中型以上の魚は締める、つまり即死させて血を抜くことで鮮度を保てるらしい。

 メアリーが教えてくれた。

 鮮度というのはご飯の美味しさの程度でもあるとか。

 遠くに散っていたはずのゲルテナ作品が、旅を決めた最近になって何点かここら辺の海に集まっているため、メアリーは上機嫌のようだ。

 

 それに眼下に見える海賊の艦隊が作品を持っているのも理由らしい。

 酒場にいた海賊とは違う、ちょっとだけ強そうで数も多い海賊たちだ。

 ゲルテナ作品を持っているからかメアリーは嬉しそうだった。

 運んできてくれたのだから嬉しいのも当然かもしれない。

 メアリーが嬉しそうだと俺も嬉しいように感じる。

 どういうことなのだろうかと聞くと「そういうものよ」とメアリーが答えた。

 そういうものらしい。

 

 

 

 

 --4

 

 海軍にいた時は知らなかったが、海賊を捕まえるとお金を貰えるというのだ。

 お金はご飯や飲み物、服など色々な物と交換できる。

 メアリーが教えてくれた。

 

 リンゴが1個50ベリーから100ベリーくらい。

 お昼に食べたご飯は700ベリー。

 値段が違うのは、沢山の人たちが交換する価値を『ベリー』で決めたかららしい。

 だから、リンゴの無い場所によってはリンゴはもっと高い場合もあるとか。

 メアリーが教えてくれた。

 ちょっとわからないので聞いてみると、お腹が空いてる人にとってりんごはとても価値があるけれど、満腹だとそれほどでもない。そういう『付加価値』がベリーの価値に繋がっているらしい。

 なるほどなー。

 

 で、海賊は数百万ベリーとか数千万ベリー、中には数億ベリーもいる。

 これは強さとか危険度も『ベリー』に含まれているからだ。

 強い相手にそれだけ海軍はお金を出すよって意味もあるとかなんとか。

 海軍で教えてくれた。

 メアリーはさらに、危ないからだとか、馬鹿だからだとか、規則を守らなくて危ないからだとか、そういうことも教えてくれた。

 海軍よりも詳しいメアリーはもしかして海軍の頭脳を超えている……?

 

 つまりメアリーの話だと、足元に転がっている雑魚はリンゴ1万から3万の価値があるらしい。

 リンゴ1個と同じくらい脆いはずなのに、1万から3万個分。

 噛じっても美味しくないのに1個よりも価値がある。

 うーん……?

 

 

 

 

 

 --3

 

 探し回ったが、リンゴ1万から3万個分の副船長しかいなかった。

 船長はもっと価値があるから捕まえたらお金がもらえたのに。

 頭が無くなってない船員に話を聞くと、グランドラインで死んだらしい。

 リンゴの船長なら仕方ない。

 船長なら2個分くらいの強度はありそうだ。

 

 メアリーが船員の頭を片っ端から爆ぜさせていた。

 ぐっとやるとボーンってなると教えてくれた。

 海軍に捕まったら海賊は縛り首で、頭の上が無くなるから効率化だとか。

 リンゴになれないからだとも。

 鮮度維持とはまた違う視点だ。

 色々な立場や方向から見ると様々なことが見えてくるのだ、メアリーが教えてくれた。このままだと俺も天才の領域に入ってしまうかもしれない。素敵!

 

 メアリーは色々と知っている、頭がとてもいい。

 海賊は殺すか致命傷を負わせて捕まえることしか知らない俺には新しい発見ばかりで面白い。

 人殺しはいけないことだと、海賊の下っ端っぽいのが叫んだ。

 いけないこと、つまり悪い事らしい。

 が、海軍では推奨されていたし、やらされていた。

 メアリーだってやっている。

 首を傾げると、メアリーが俺の頭を撫でながら「時と場合によるのよ」とほほ笑んだ。

 なるほどなー。

 そういうことで、時と場合によった海賊の残骸が出来上がった。

 そもそも何故悪いことをしてはいけないのだろうか。

 海賊は悪いから海賊だけど、やりたいからやっているのだし。

 そういう矛盾が生じるからこそ、時と場合による、という言葉に繋がるのだろうか。

 やはりメアリーは天才……。

 

 

 

 リンゴ1万から3万個分の副船長と頭無し海賊艦隊を港に残し、海王類を運ぶ。

 メアリーの能力は『霊子』という目に見えないモノを操ると教えてくれた。

 リンゴを半分にし続けると原子という小さな粒になり、それがいくつかくっついて意味を持つと分子、逆に原子をさらに壊すと原子核とか陽子とか電子がどうとかってなるらしく、それらはある意味で見える物質なのだという。で、『霊子』というのは魂の力であり、見えない謎パワーらしい。

 なるほどなー。

 『霊子』は幽霊とかを構成している力で、魂そのものでもあるが、肉体と魂を繋ぐ物でもあるという話だ。

 解明しようがないから不思議エネルギーとでも思っておけばいいのよとメアリーが言っていた。

 

 酒場への道すがら、メアリーがリンゴ副船長の賞金をくれるらしい。

 メアリーはゲルテナで満足だという。

 リンゴ1万から3万個分のお金、何でもできるようだ。

 今は自由だから特に必要ない。

 自由じゃなかったらお金で知らない島に行ったり、知らない話を知るために本などを買うだろう。

 今はメアリーがいるから知らない島に行くし、色々な話を教えてくれる。

 本もいらない、ならお金もいらない。

 つまり色々な教えてくれるメアリーにお金をあげるかな、と告げると首周りに抱き着かれた。

 メアリーは抱き着き癖があるのかもしれない。

 

 

 

 

 

 --5

 

 メアリーの掌に、突然現れた木の枠が現れた。

 これが『額縁』というやつで、メアリーが出てきた場所らしい。

 つまり家ってやつだろうか。

 海賊から貰った作品と酒場で受け取った作品を、メアリーが大事そうに『額縁』に入れた。

 今は何も描かれていない『額縁』だが、メアリーが生まれた場所だという話だ。

 やっぱり家なのだろうか。

 

 ゲルテナ作品を1つ入れると、何か別の物も1つ分入れておける便利な『額縁』だと教えてくれた。

 メアリーはすでに5つのゲルテナ作品を持っているらしい。

 だから今回は2つ手に入ったので、中に7つまで入れておけるようだ。

 メアリーもゲルテナ作品だから自由に中と外を行き来できるし、容量が空いているので俺も入れるらしい。

 やっぱり家じゃないか。

 雨避けに良さそう。

 この額縁が燃えるとメアリーは死ぬらしい。

 暗い海と空を思い出した。

 死ぬのは駄目だ、額縁はあんまり出さないようにと告げると、頭を撫でられた。

 

 ちなみに、お金の場合は1ベリーで1つだが、容器があれば満杯になるまで入れて1つ分なのだとか。

 便利な『額縁』だ。

 子供のときに落とした船に全部詰め込んでるから数なんてどうでもいいけどね、とメアリーが言っていた。

 確かに。

 船も1つ、リンゴも1つ。

 俺の原子は60兆個あるという話なのに入れるらしい。俺も天才だった……?

 

 

 

 リンゴ副船長を入れておける容器を酒場で頼んだら、木箱をくれた。

 ちょっと小さくて副船長を入れるには難しい。

 「そういう時はこうするのよ」と穏やかな笑みを浮かべてメアリーが腕とかを変形させて詰めていた。

 なるほど。

 ちょっと入りきらなかった腕は噛み千切った。

 柔らかさは重要だと思った。思考の話だ。

 

 

 

 

 

 --6

 

 次の作品がある海軍が常駐している島へと降り立った。

 近くから順々に探していくので、船での旅は難しそうだ。

 メアリーは海賊になる予定だと言っていたが、船に乗らなくてもいいのだろうか。

 「私くらいになるとそのうち勝手に海賊って呼ばれるようになるから大丈夫」だと教えてくれた。

 それは凄……え? え?

 

 混乱していると、島を見廻る海兵たちに挨拶されたので、軽く吠えて挨拶を返してすれ違う。

 楽しそうに笑っているし、島民とも仲良く話していた。

 俺の知っている海兵とは全然違った。

 知っているのは、もっとずっと強そうで、表情も笑ったりせず、海賊は皆殺しって感じだった。

 メアリーは俺の様子を見てにこにこと笑いながら「時と場合によるのよ」と言った。

 なるほどなー。

 時と場合って凄い奴等だ。

 

 

 

 ここの海軍は良い海軍らしい。

 悪い海軍もいるのだろうか……いるらしい、メアリーが教えてくれた。

 やっぱりそれも「時と場合によるのよ」ってことらしい。

 真理なのだ。原理は知ってる。

 

 悪い海軍もそのうち会えるらしい。

 俺が居た海軍は悪い海軍なのだろうか……違うらしい、メアリーが教えてくれた。

 真面目すぎる海軍だという話だ。

 また増えた。

 海軍、多人格なやつである。

 俺を見習ってほしい。

 俺は一人だ。まあ、犬っぽい姿にもなれるけど。

 メアリーは一人だし、動物にはなれない。

 ……お得ってやつ?

 

 

 

 一人で海軍の駐屯所ってやつまで副船長が入った箱を持って行って、おつかいは終わり。

 お金も貰ったが、額が大きいので小さい海軍では全額は難しい、もっと大きな海軍で引き換えてくれと言われて、紙も貰った。

 ・良い海軍

 ・悪い海軍

 ・真面目すぎる海軍

 ・小さい海軍←new!

 ・大きい海軍←new!

 海軍また増えた。忙しないやつだ。落ち着いてない、全然。

 

 おつかいできた、とメアリーに伝える。

 「よく頑張ったね」と撫でられたので尻尾を振る。

 まあ、原理は知ってるからよゆーだったけど。

 

 

 




驚愕の事実
・ゲルテナのおっさん、晩年に悪魔の実を絵具にするという発想に至る。
・アマ公、五年ニートだった。
・メアリー、エターナルロリ。


アマテラス
オリ主。様々な原理を知っている。おつかいだって出来るし、海賊だって噛み殺せる。

メアリー
天才。

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