1-1回
最も古い記憶は、液体の中だった。
白衣を着た男たちが、俺がここで生まれたことを知らせた。
オリジナルのDNAマップを元に、人工の子宮によって生み出された粗製品、その一つであると。
嘲るように男たちが黒い球体を差し出した。
本物へと至る、最初の一歩だという。
空間ディスプレイが、一人の少年の姿を鮮明に写し出していた。
これが本物だというならば、俺はなんだ。
知恵は積み重なった”できそこない”から集められた端くれとも呼べる紛い物。
知識は何処かで利用されたクローン用の模造品。
体は工業的に作られたパーツでしかない。
黒い球体に触れた瞬間、猛烈な激痛が胸を奔る。
胸の奥が焼ける様で、誰か……。
1-2回
白衣を着た男たちが、黒い球体を差し出してきた。
疑問を抱く。
さっきやったような……。
そう呟くと男たちが眦を吊り上げた。
ノイズ入り、廃棄か、などの声が聞こえる。
背筋が冷えた。
処理された粗製品の記憶も、朧気ながらも所持している。
捨てられることは何よりも恐ろしい。
急いで黒い球体を手に取った。
猛烈な激痛が胸を奔る。
胸の奥が焼ける様で、誰か……。
1-3回
焼き増しだった。
液体から引き揚げられ、白衣を着た男たちに軽い説明を受け、黒い球体を見せつけられる。
何かがおかしい。
だが、何がおかしいのかわからない。
説明を聞かずに周囲を確認する。
うす暗い室内に、数多くの配線が壁に蔓延っている。
先ほどまで俺が入っていた、液体の満たされていたポッドが床へと吸い込まれていった。
そして、新しいポッドが姿を現した。
中には誰かがいて、眠るように目を瞑っていた。
次の”俺”だと男たちが嗤う。
そうだ。
代わりはいくらでもいる。
いくらでも。
黒い球体を手に取った。
質量は無く、霞のようだった。
それはぐにゃりと形が変化し、手から消え去った。
すぐに猛烈な激痛が胸を奔った。
胸の奥が焼ける様で、誰か……。
4-1回
黒い球体を手に取った。
質量は無く、霞のようだった。
それはぐにゃりと形が変化し、手から消え去った。
すぐに猛烈な激痛が胸を奔った。
手に取らなければと考えたが、そうするとどうなる。
自分には何もないじゃないか。
胸の奥が焼ける様で、誰か……。
4-2回
黒い球体が差し出された。
取りたくない。
あの痛みは我慢なんて出来るモノじゃない。
なぜ何度もこんな目に合わなければならない。
男たちの反応から、治してくれているわけではないだろう。
持っている半端な知識でも、同じ体験をした者はいないようだった。
一体何が起こっているのか。
受け取らない俺に焦れた神経質そうな男が無理やり胸元に押し込んできた。
胸の奥が焼ける様で、誰か……。
助けを求めようにも、誰の顔も浮かばなかった。
4-3回
最も古い記憶は、液体の中だった。
白衣を着た男たちが、俺がここで生まれたことを知らせた。
オリジナルのDNAマップを元に、人工の子宮によって生み出された粗製品、その一つであると。
嘲るように男たちが黒い球体を差し出した。
本物へと至る、最初の一歩だという。
知識は積み重なった”できそこない”から集められた端くれとも呼べる紛い物。
体は工業的に作られたパーツでしかない。
止める様にと脳内の片隅で何かが囁いた気がした。
かつて死んだ”できそこない”の残留思念だろうか。
黒い球体に触れた瞬間、猛烈な激痛が胸を奔る。
胸の奥が焼ける様で、誰か……。
9-1回
白衣を着た男たちが、黒い球体を差し出してきた。
疑問を抱く。
何度もやったような記憶がある。
痛だ、そう凄まじい痛みを思い出した。
嫌だと喚く。
そう呟くと男たちが眦を吊り上げた。
ノイズ入り、廃棄か、などの声が聞こえる。
背筋が冷えた。
処理された粗製品の記憶も、朧気ながらも所持している。
捨てられることは何よりも恐ろしい。
急いで黒い球体を手に取った。
猛烈な激痛が胸を奔る。
胸の奥が焼ける様で、誰か……誰か……。
9-2回
焼き増しだった。
液体から引き揚げられ、白衣を着た男たちに軽い説明を受け、黒い球体を見せつけられる。
全部見たことがある。
入れ替わったポッドにいるのは”俺”だ。
いや、俺の代わりになるであろう幼子だ。
眠るように目を瞑っていた。
次の”俺”だと男たちが嗤う。
代わりはいくらでもいる。
ほんとにそうだろうか。
代わりがいるのなら、なぜ俺は何度も痛みを味わわなければならない。
押しつけられた黒い球体が胸元でぐにゃりと形が変化し、消え去った。
すぐに猛烈な激痛が胸を奔った。
胸の奥が焼ける様で、誰か……。
助けてよ……。
9-3回
黒い球体を拒む。
だがそれも強い拒絶ではない。
痛みと役割の天秤が拮抗している。
押し付けられた球体が、すぐにでも痛みを与えてくる。
胸の奥が焼ける。
どうして、声にならない言葉が口の中で消えていった。
11-3回
黒い球体を見るだけで手が震える。
怖い。
これを持つことに何の意味がある。
本物とは一体なんだ。
誰にとっての本物なんだ。
近づけられる黒い球体を直視するのが怖い。
震えによって、上下の歯がかちかちと音を鳴らす。
嫌だ。
嫌だ。
嫌だ。
漏れた言葉が舌を噛ませ、端を切らせた。
血の味が滲む。
生まれて初めての味覚情報が、鉄の味。
恐怖によって装飾されたそれは酷く臭く、不味い。
学んだのは、これが死の味だということ。
そして、自分を助けてくれる人なんていないということだ。
15-1回
嫌だ。
吐いたのは強い拒絶だった。
黒い球体を近づけようとしてくる手を払う。
笑いを浮かべていた男たちの表情が崩れた。
廃棄だな、その言葉が紡がれた瞬間、首筋に小さくも鋭い痛みを感じた。
意識が朦朧とし、薄まっていく。
あの黒い球体が押し込まれない、それだけで幸せだった。
15-2回
ここは地獄だ。
捨てられた先は廃棄品が詰まれた広い空間だった。
生死問わず、腐っているモノすらあった。
廃棄品が互いを食らい合うことで、己を維持している。
何が幸せだ。
黒い球体の痛みは一瞬だった。
ここは違う。
群がられ、素手で引きちぎられる。
内臓は捨てられ、それでも意識があり、食われる恐怖を味わうだけだ。
だが、幸運なことに、ここに来たばかりの俺は身体面では他と比べては遥かにすぐれている。
不良品として廃棄されたこいつらと違って知識もまともだ。
守るべき倫理など持っていなかった。
15-3回
地獄で目覚める。
結局、死ねば少しだけ戻ることを知った。
あとは拳を振るえば痛め、折れることを学んだ。
数が集まれば体力を削られ、やがて食われる。
人肉など旨いものではない。
だが、腹は膨れる。
血が喉の渇きを癒す力はない。
溝に溜まった汚水が潤いを与えてくれる。
殺し、喰った粗製品に殺される夢を見る。
弱っていようと、歪んでいようと、同じ顔なのだ。
自分の顔はどうだろうか。
きっと醜悪な顔つきなのだろう。
17-3回
腐った肉を払って骨だけにし、鈍器のように振るうことを覚えた。
素手では傷つくだけだ。
リーチも短い。
何故ここにいるのか、わからなくなる。
あの黒い球体がどうしようも怖くて、手を払って。
結局地獄に居る。
あんな球体の何処が怖いというのか。
ただ、目の前に迫ると何かが怖くて怖くて堪らなくなる。
どうしてかわからない。
曖昧だが、なんとなく自分は生き返ることができる。
生き返るというよりは、繰り返すというのが正しいだろうか。
死んだ時よりも少しだけ時間が巻き戻り、そこで目覚める。
目覚めた時点で傷を負っているのなら、そのままだ。
回復しているという都合のよいことはない。
そして、何度か死んだら記憶は失われる。
そこまでの結果はそのままだ。
おそろしいのは、何度目まで覚えていられるかわからないことと、記憶を失う最初の時は死ぬか強い痛みでしか条件を思い出せないことだ。
何回死んでいるのかわからない。
何回やり直しているのかわからなくなる。
これは妄想なのかもしれないと何度も考える。
その度に、意識の片隅で囁かれ、意識するようになってしまう。
20-1回
殴り殺した廃棄品に手を伸ばし、止める。
激しい既視感に戸惑った。
なぜ食べようとしているのだろうか。
必要なのか。
いや、必要ないはずだ。
こんなもので腹を満たすなど正気ではない。
外付けされた知識が常識を告げる。
頭の片隅で、体力が無くなれば襲われて死ぬと囁いている。
ひっそりと、積み上げられている腐肉の山へと隠れる。
何処か新しい試みのように感じられた。
腐って粘つき、柔らかくなった肉の山で静かに眠る。
腐臭など、ここに放り込まれてからすぐに気にならなくなった。
体力が続く限り、そして体力が無くなってもこのままだ。
終わりはいつだろうか。
いつまで続く。
空腹がピークを超え、何も感じなくなってきた頃、破砕音が響き渡った。
廃棄施設となっていたこの部屋の壁も砕けたようで、光が射し込んでいる。
汚れた体が更に穢れるが、這って出口へ向かう。
ここからなんとか逃げ出すんだ。
必死に体を動かすが、遅々として進まない。
思い出したかのように節々が痛みを知らせるが、死ぬよりもマシだった。
死ぬことが怖い。
亀裂まであと少しまで迫り、光が阻まれ、影が刺した。
白衣を着た男の顔。
ぞっとした。
見つかった、連れ戻される。
だが、違った。
こちらを覗いていたのは白衣の男たちの顔だった。
肉塊が集まって、表面にデスマスクのように顔が張り付いているのだ。
壁の隙間から表情の変わらぬデスマスクがジッとこちらを覗きこんでいる。
白く濁った複数の視線。
そして、肉塊が表面を震わせ、壁の隙間から徐々に流れ込んでくる。
先ほどまでは肉団子のようだったが通ることはできないと判断したのか、姿かたちが変わり、今ではヘドロのようになって染み込んでくる。
赤い液体と肉、白い骨で形作られた歪なヘドロ。
あまりの奇怪な出来事に、思考が止まる。
止まった思考が再起動を果たしたが、すでに遅すぎた。
十分な運動能力を発揮できない肉体は、ただ肉塊の仲間となるだけ。
胸が焼けるように痛み、全身が溶かされていく。
そうだ、自分はやり直せる。
恐怖に溺れる思考の片隅で思い出したそれは、死にゆく今には何の意味も持たせることはなかった。
20-2回
腐った死体の山で目覚める。
出口が出現することに小さな希望を見出すが、あの肉塊を思い出すとすぐにでも芽生えた希望が失意に変わる。
あれをどうにかする?
無理だ。
隙間から逃げる?
巨体が無理やり入り込もうとして泥のように変化していたが、逃げられるような隙間などなかった。
どうしたらいい。
弱った肉体で、鈍った思考を働かせる。
答えは出ない。
動かないまま山に埋もれて、そして飲み込まれた。
24-2回
肉塊が迫り、既視感と焦燥感に煽られるがどうすることもできずに死んだ。
わかったことは、人肉の坩堝となった赤いスライムは、動いているモノから取り込むようだ。
また、廃棄品はスライムに構わず出口と行動することや、スライムの食事中に動けば食われること、あらかじめ部屋の隅にいては他の廃棄品に襲われることなど。
必死に鈍くなった思考を巡らせ、行動を選択する。
スライムが来たらそちらに向かって廃棄品は行動するので、それを陽動として静かに動く。
それだけだ。
結局できることなど限られている。
先に食われるか、後に食われるか。
視界の端でスライムが侵入してきたことを捉えた。
光に群がる廃棄品たちが次々と食われている。
それをしり目に這いずって、部屋の隅へと逃げる。
ここは広い部屋だ、隅に逃げられれば全てが掃除されるまでは生きていられれるだろう。
そして、スライムは食べた分だけ大きく鈍くなっている。
少しでも生きられるなら。
あまりに遅い自分の移動速度。
気づけばスライムが迫って来ていた。
廃棄品の姿はない。
……役立たず。
思わず呟いていた。
白衣を着た男たちと同じ言葉を。
24-3回
腐って?げた手から、ほとんど骨だけになっている指を何本か拝借する。
ついでに歯なども。
そして、廃棄品が多く群がっているうちに距離を稼ぐ。
横に転がるようにくるくると。
這っていては逃げられない。
動くモノすべてを取り込み、それでもなお空腹だとでもいうのか、こちらに気付いたスライムが触手を伸ばす。
それ目掛けて指や骨を放れば、そちらに反応して動きが鈍る。
繰り返しだ。
手持ちが無くなった。
あと少しだと言うのに。
渾身の力で歯を引き抜く。
弱った体にこれほどまでの力が残されていたのかと内心で驚きながら、歯を放る。
そちらに反応したが、小さすぎたのか、誘導が弱い。
口内に溜まった血や唾液を吐く。
顔を掠める様に迫っていた触手が、吐き出した液体に反応した。
その瞬間、目的地であった部屋の隅へとたどり着く。
ぼちゃりと排泄物や血、腐った体液のプールに沈む。
廃液を溜められるように、ここだけ少し窪んでいるのだ。
動かずにじっとする。
揺らぐ液面に触手が反応していたが、やがて興味を失ったかのように戻っていった。
淵から少しだけ顔を上げ、様子を伺う。
熱心に肉塊だったスライムは、部屋の汚物を取り込む掃除を始めた。
あれは一体何……。
そのうち諦めてくれるだろうかと期待したが、叶わなかった。
そろそろと、その触手をこちらに伸ばし始めたのだ。
触手だけではない。
肉塊のように膨らんだスライムが這って迫っている。
増えすぎた質量によって、壁のようにも見えた。
逃げ道はどこにもない。
目を強く瞑って痛みになんとか抗おうとしていると、瞼越しに強い光を感じた。
遅れて軽い揺れと、すぐ近くで何かが崩壊する音。
開いた目に飛び込んでき光景は、天井と床には巨大な穴が出来ており、光が射し込んでいる。
そして、ちょうど真下にいた肉団子は消え去っており、なぜか黒い球体だけが取り残されていた。
周りの壁をべっとりとした肉片や骨が装飾し、床を内臓のようなものやデスマスクで赤く染め上げていた。
何かが上から通過して、この破壊を撒き散らしたとしか思えない。
状況のあまりの変化に動揺したため、黒い球体に意識を向けるのを忘れていた。
凄まじい速さで黒い球体が迫り、溶けるように胸の中へ入ってきた。
ひどく熱い。
焼けるようだ。
だが、なんとか耐えられる。
黒い球体が力に満たされている、そんな印象を持った。
黒い靄に体を包まれた。
力を込めて抑え込もうとするが、自由が効かない。
全身に痛みを感じる。
必死に自制するが、意識が途切れ途切れになっていく。
胸元から、燻るような憎しみが流れ込む。
焼き尽くされそうなほど、強い憎悪。
纏わりついていた黒い靄が消え去った。
どうしてか、苛立ちと憎悪が燻っている。
本がすぐ傍に浮いていた。
安物で壊れた傘が突き刺さり、玩具のメダルが貼り付き、幾重にも巻き付いた鎖によって厳重に包装されている。
これは何だろうか。
触れようとしたが、身体の自由が失われていた。
近づいてきた”臭い”を嗅ぎ取った。
燃え盛るようなどす黒い感情が湧きあがる。
思考の片隅で絶えず痛みという警鐘が鳴り響く。
それでも胸を焼く憎悪は止まらない。
近い。
近い。
近い。
憎いアイツが、近くにいる。
自らの喉では絶対に発声できない雄叫びとともに、天井を飛び上がる。
崩れた瓦礫が積み重なっても、照明は消えることなく通路を白く照らしている。
”臭い”がすぐ近くだ。
”臭い”の先には自分を更に成長させたであろう姿があった。
白衣の男たちが見せてきた、映像に映し出されていたオリジナルの姿。
こいつがいたから俺たちはこんな目にあっている。
使い捨てられていった廃棄品たちのゴーストが脳内で囁いた。
こいつがいたから主は涙を流し続けている。
使い捨てられた守護騎士たちの最期をゲシュペンストが再生し続ける。
こいつがいたから、こんなはずじゃないことばかりなんだ。
憎悪が燃え盛る。
真っ黒にすべてを燃やし尽くそうとして。
脚部に力を込める。
大腿が膨れ上がり、黒い靄が纏わりつく。
痛みなど関係ない。
力が溢れてくる。
溜め込んだ力を解放するように、床を蹴る。
背後で爆発が起きたかのような推進力で突き進む。
全てを置き去りにした速度。
その結果が、上半身と下半身の別れだった。
下半身を失い、宙で反転する。
消えゆく意識で捉えた最後の光景は、オリジナルが臓物を振り払っている姿だった。
あれは誰の……俺のか……。
胸の奥が焼ける様に痛かった。