実験室のフラスコ(2L)   作:にえる

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生きるとは変わりつづけること_午前1

 

 

 志島大地――ダイチは一言で言ってしまえば臆病だ。

 深く物を考えず、知識は浅く、確固たる自己もない。

 重大な選択を背負えるほど、ダイチは強くない。

 

 短所から目を背ければ、明るい性格だという長所が見えてくる。

 が、それすらも欠点を隠すためのものでしかない。

 自分にとって、または相手にとって不都合なことを言いたくないから、見たくないから、聞きたくないから、明るく振る舞う。

 そして、最後に逸らす。

 逸らそうと努力する。

 衝突を避け、流れに身を任せようとする。

 

 ダイチは現代っ子で、一般人だった。

 その感性のまま生きてきた。

 それが許される環境で生きてきたからだ。

 だが、今は違う。

 それがダイチを苦しめていた。

 

 

 

 

 

 ――23:00 ジプス東京支局――

 

 東京のジプス支局の一角、そこでダイチは頭を抱えていた。

 ダイチだけでは無い。

 新田維緒――イオ、九条緋那子――ヒナコ、鳥居純吾――ジュンゴの姿もあった。

 これで全員だ。

 今まで過ごしてきた仲間たちの姿は他にない。

 それがまたダイチたちを悩ませる。

 

 災厄とともに訪れた『セプテントリオン』と呼ばれる侵略者との戦いで集まった仲間は十四人いた。

 性格は様々で衝突も多々あったが、協力することで今日まで生きてきた。

 一週間という短い期間の苦楽を供にした仲だった。

 それも昨日までのこと。

 「侵略者を全て下し、『ポラリス』という世界の管理者に望んだ世界に作り変えてもらう」という話が協力を瓦解させた。

 仲間たちは「完全な実力主義」と「完全な平等主義」、このどちらかの世界を目指すために離れていった。

 

 ダイチには着いて行けなかった。

 どちらもあまりに極端で、互いを否定し合う思想を理解することができなかった。

 仲間同士が争う事に疑問を抱き、回避しようとした。

 賛同を得られたのは自らを除けば三人。

 つまるところ、残りは仲間と戦うことを良しとしていることになる。

 このことが頭を抱えさせていた。

 

 現状で最も早く決着をつけることができるのは戦うことだ。

 そんなことはわかっている。

 話し合う時期も過ぎているし、以前は平行線のままだった。

 今まで思いつかなかった他の方法が今更思いつくわけも無い。

 結局、他の勢力と同様の手段で協力者を募ることに決めた。

 勝った勢力に従う、そういったルールを予め決めていたので則ることにしたのだ。

 仲間と戦う思想を否定しながら自分の考えを通すために仲間と戦うという矛盾を孕んだ考えしか思い浮かばなかった。

 他と変わりないじゃないか、それがダイチを悩ませた。

 

 頼っていた親友は隣にいない。

 いつもの如く助けてくれるのではないかと強く期待していた反面、ショックは大きい。

 彼とは親友では無かったのか。

 それがまた、ダイチを悩ませた。

 

 方針は決めた。

 それでも決意が揺らぐ。

 ここ数日で強くなったと、自信が持てるようになったと胸を張って親友に話した。

 だが、揺れていた。

 相も変わらず自分は臆病なのだと理解した。

 「そんな簡単に変わることができたら誰も苦労なんてしない」、友人である陣内弥栄――ヤサカの言葉が思い起こされた。

 

 ヤサカはこの数日で別人のように力を得ていた。

 その代償も大きかった。

 もう、眠ることも必要ないのだと笑っていた。

 空虚な笑みだった。

 どのような覚悟があったのか、ダイチにはわからない。

 ただ、自分よりも強い覚悟があったということだけはわかった。

 それがまた、ダイチを苛む。

 今の弱い自分と比べ、より小ささを理解できて。

 もっと早く考えることはできなかったのか、もっと強い意志を持てないのか。

 そう考え、劣等感ばかりが強まるのだ。

 この気持ちが邪魔をして、ヤサカを誘うことができなかった。

 景山紘――ヒロがいれば、彼を親友だと言い張っている間はダイチに劣等感を抱く事はない。

 ヒロと親友である自分は同等だと、そうやって自分に言い聞かせることができた。

 だが、ダイチ個人となるとそうはいかない。

 劣等感が自分の小ささを囁く気がして、それが堪らなかった。

 言わなくても来てくれたらとほんのわずかに期待もしていた。

 ヒロを置いて自分の元に来てくれたのだと、自尊心を満たしてくれるから。

 この考えが醜くいのだとダイチは強く恥じ、後悔していた。

 

 峰津院大和――ヤマトがダイチに放った「仲良しごっこ」という言葉を思い出した。

 悔しいが確かにそうだ。

 結局、流れに身を任せることしか出来なかった。

 嫌な事や重大な決断は他人任せだ。

 親友だから全てを任せても構わない、頼っても構わない。

 それが当然だと思っていた。

 支えてもらうのが当然なのだと。

 本当に「仲良しごっこ」でしかなかった。

 それも自分に都合の良い、と付くような。

 考えてみれば、親友と信じていたヒロに頼られた記憶はあまりない。

 ただ、自分を肯定してくれるだけだった。

 それに満足していたのは自分で、変えようと思ったことも無かった。

 親友と、そう呼んでいた相手が本当に頼っていたのはヤサカだった。

 ここで変わる努力を続けないときっと自分は……。

 

 

 

 「ダイチ、どうしたん? そんな難しい顔して」

 「いやいや、明日の事を考えてて」

 

 自分たちの勢力に、戦いを率いてきたリーダー格がいないので戦い方も限られてくる。

 そう伝えると明るいと言い難かった雰囲気が輪をかけて沈んでしまった。

 ダイチは士気を落としてしまったことに内心で焦る。

 このまま明日を迎えるわけにはいかない。

 

 「だから!!」

 

 盛り上げるために態と声を明るく、大きくする。

 苦も無く出来た。

 今までやってきたことだから。

 自分に視線が集中したことに少しだけ緊張したが、言い切る。

 咄嗟の思い付きを。

 

 「最初にリーダーを倒して味方にしよう!!」

 

 

 

 

 ――00:00 ジプス東京支局――

 

 ダイチは慣れてきた寝床で天井を眺めながら、先ほどの話し合いを思い出す。

 諜報の結果、都合のいいことにヒロとヤサカは組んでいるが勢力としてはフリーだという。

 ならばこそ、皆がリーダーだと認めるヒロを最初に仲間にするというものだ。

 次いでヤサカがセットでついて来ることも考えれば、頼もしいことこの上ない。

 消耗が少ないうちに味方に出来れば、と勢いのまま話し合いはとんとん拍子で進んだ。

 有効そうな作戦と手順、各々が出来ることをやるだけ。

 重要なのは、ヒナコがシヴァに、イオがルーグに力を借りる。

 それで全部だ。

 決めることは決めて、流れを話した辺りでジュンゴが半分以上眠ってしまったので解散となった。

 

 布団に包まりながら失敗したら、と考えると不安を感じる。

 昨日まで不安を微塵も感じさせずに仲間を引っ張ってきたヒロに通用するのか。

 確認できている限りでは超高位の悪魔を三体、実際にはそれ以上を屠ったとされるヤサカを倒せるのか。

 そう考えると酷く心細くなってきた。

 成功するのか、失敗して当然ではないか。

 ネガティブな考えが止まらない。

 セプテントリオンとの戦いで決断を迫られたヒロも、悪魔の力を取り込み続けたヤサカも、こんな気持ちだったのだろうか。

 重圧に一人で耐える。

 なんと苦しいことだろうか。

 それでもやらなければならない。

 努力し続けると、そう決めたから。

 

 逃げたらきっと後悔する。

 胸を張って親友だと言えなくなってしまう。

 それが一番怖い。

 そう考えると少しだけ安心してきた。

 自分にとって逃げる事よりも、親友と名乗ることの方が優先順位が高いことに気付けた。

 

 そして、ゆっくりと自分が変わっていけるのだと実感できたから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――各々の土曜日・東京(前)――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――07:00 SL広場――

 

 敵を自分たちの陣地に誘い込み、強力な悪魔を利用して倒し切る。

 それがダイチら東京を本拠地としたメンバーの考えた作戦だった。

 大阪や名古屋に散ったかつての仲間たちが攻めてくることは考えていないし、期待していない。

 誰しも有利な陣地で戦うことを望むから。

 この作戦の要は、拠点を持たないヒロたちを取り込むことのみに焦点を置いている。

 それだけの利があると誰しもが考えている。

 

 これまで侵略者であるセプテントリオンとの戦いで常に指揮を執り続けたヒロ。

 彼が先頭に立つことで、精神的な強みを得ることができる。

 また、ヒロの従弟であるヤサカは悪魔の力を身に宿しており、厳しい戦いを独りで勝ち残ってきた。

 その強さは仲間内でも抜きん出ており、侵略者や悪魔といった未知の恐怖に相対したときも見守るように背を押してくれる力強さがあった。

 上記の二人と、ティコやアプリの産みの親である憂う者が組んでいる。

 

 精一杯繕っているが、結局のところダイチたち東京組が最も弱い。

 引き付ける理念がない、確固たる目的も未だに定まっていない。

 賛同者を募ったが、思うように人では増えない。

 数は力だ。

 このままだと、ただ力に物を言わせて狩られる未来しか待ち受けていない。

 それでもなおこの争いに参加しているのは、有力な二つの指針に賛同ができなかったから。

 他と争い合えるような代案は無い。

 いや、やり直すという案もあったが、ヤサカが拒否したことで無いも同じだった。

 先行きと責任が浮いたまま、そんな状態だ。

 だからこそ、仲間内でも輝くような強さを持った者を引き入れたかった。

 

 

 

 

 

 ――07:10 SL広場――

 

 有利な陣地におびき寄せ、狩られる前に狩る。

 ダイチの頭に浮かび続けるイメージだ。

 東京組の強みは非常に少ない。

 しかし、イオがその身にルーグを宿すこと、ヒナコが破壊神シヴァに気に入られていること、この二つは他にない最強の鬼札であるとも考えている。

 その唯一を作戦の主軸とした。

 

 作戦は、シヴァによってヤサカを釘付けにしつつ消耗を狙い、イオのブリューナクで勝負をかける。

 作戦と呼ぶにはあまりにシンプル過ぎた。

 有効な作戦は、それしか選ぶことができなかったとも言い換えられる。

 だが、シンプルゆえに強い。

 人数が増えることで、シヴァから逃れられることやブリューナクで勝負を決めきれないことも憂慮していたが、互いが東京にいるためにヒロたちの行動もある程度わかるために事前に予測を立てることで立ち回る。

 高位悪魔を呼ぶという時間のかかる作業だが、成功すれば勝つ可能性が見えてくる。

 東京組が、ダイチが、あの二人に勝てる可能性が。

 すでに作戦の準備は整いつつあり、あとは実行するだけ。

 

 ヒロたちの潜伏先は突き止めた。

 どうやら野宿したらしく、仲間を募るような大きな動きも見せていなかった。

 呑気だと呆れるような気持ちと助かったという安心感が押し寄せる。

 人手が増えるだけで取ることのできる作戦の幅が狭まり、予測も大きく変化する。

 そもそもヒロたちはたった三人で動いているが、それでも勝ち目が薄いと何度も感じさせられた。

 想定外なことが少しでも起きれば、勝率は霞の如く消えゆくだろう。

 今ばかりは順調に進んでいるとダイチはゆっくりと息を吐いた。

 

 

 

 偵察に向かっていた仲間が帰ってきた。

 今日まで悪魔が潜む東京を生き抜いたというだけあって、彼の仲魔は強く鍛えられている。

 機動性に重きを置いていたため、彼が偵察に出ていたのだ。

 彼の報告を最後に作戦を開始しよう、仲間内で決めていたことだ。

 イオはすぐにでもルーグを降ろせるように集中力を高めている。

 ここよりも離れた地点、ヒロたちをおびき寄せる位置で同様にヒナコもシヴァを呼び出せるように準備しているだろう。

 

 偵察の男が報告する。

 これからの作戦がどう推移するかで勝率が変わる。

 最初の誘引ですべてが決まる。

 胸が高鳴る。

 まだ始まっていない作戦、なのに緊張してどうする。

 己を律しようとしたダイチの耳に嘘のような報告が流れ込んだ。

 

 「景山紘たち三人の姿は確認できなかった! また、野宿したと思われる地点には小さな穴が形成されていた!」

 

 手から零れ落ちる砂のように、勝率がなくなっていくようにダイチには感じられた。

 嫌なイメージを払拭するように頭を左右に振る。

 まだ何も始まっていない。

 これからだ。

 ダイチが試されるのは、これからのはずだ。

 始まる前から終わるなど、あり得るはずがない。

 そうなってしまったら、自分の、俺たちの努力した意味が無いじゃないか。

 

 『シジマっち! 地面の深いところからなんかヤバいのが来るっぽいよ!』

 

 活火山が噴火を起こすが如く、地面から白く輝く光と灼熱の炎が噴き出した。

 膨大な魔力による暴力だった。

 ダイチの持つ携帯電話のアプリに宿るナビゲーター、ティコが叫んだ。

 茫然としながらも、ティコの言葉で咄嗟に体が動いたのはこれまでの経験によるものか。

 普段のお茶らけたティコとは懸け離れた言葉だったからか。

 もしくは、その両方か。

 半ば転げるように元いた場所から飛び退き、なんとか直撃を避けることに成功した。

 噴き出した灼熱が、ダイチの肌を撫でるように焼いた。

 

 だが、ダイチには熱など果てしなくどうでもよかった。

 必死に体勢を立て直すことだけに専念した。

 すぐにでも動けるようにと仲魔を召喚し、ハーモナイザーを起動する。

 有利な陣地に誘い込む作戦は失敗だと、自分たちがすでに狩られる側だと理解した。

 あの灼熱の中で無表情に佇むヤサカの姿が見えたから。

 

 『あれの元が人間……? ぜったい嘘っしょ……?』

 

 困惑したティコの声が遠くに聞こえた。

 直後、一週間の始まりを告げたあの災害、その時に起きた地震を思い起こさせる揺れがダイチを、イオを、仲間たちを襲った。

 地面が破裂したかのように爆ぜ、空に蓋をしたかのように周囲が薄暗くなった。

 そして、少しだけ遅れて瓦礫が雨のように降り注いだ。

 体格の大きな仲魔や物理に耐性を持つ仲魔でなんとか凌ぐ。

 大小さまざまな瓦礫が瞬く間に建造物や道路を破壊していった。

 何かの倒壊していく音や破裂音が聞こえ、それらが生じさせる衝撃が音として体の芯を揺らした。

 十数秒、そんな短い時間で一帯を破壊しつくした破滅の雨が止んだ。

 だが……。

 

 

 

 

 

 ――07:11 SL広場――

 

 ――何も見えない。

 舞い上がる土煙や砂ぼこり、副次的に生み出された破片がダイチの視界のほとんどを塞いでいるかのようだった。

 この場にいる仲間も同様だろう。

 器官に入って噎せたのか、傷ついたのか、何度も咳をしている声が微かに聞こえた。

 その音の方へとダイチは駆ける。

 足音には気を付け、それでもなるべく迅速に。

 合流しなければ、静かに狩られると恐怖を抱いた。

 だから、ダイチがそれを避けることができたのは偶然だった。

 

 最初は眩いばかりの白い光だった。

 銀色のようでもあった。

 劣悪な視界でもわかるほどに輝く光。

 ダイチ自身や視界を妨げていた粉塵、転がっていた瓦礫、それらすべてを遅れて生じた熱風が吹き飛ばした。

 

 小さな破砕音がそれらが転がった際に生じたものだろうか。

 ダイチが立ちあがったころには視界を塞いでいた粉塵などが消し飛び、数十メートルの範囲に亘って見渡しがよくなった。

 身体に響く痛みを忘れ、背筋に冷や汗が流れた。

 そして心臓が強く胸を叩き始めた。

 ダイチが数秒前まで立っていた場所を中心に大きく陥没しており、そこには俯いて表情が見えないヤサカが立っていた。

 周りには余波で転がった大型車や傾いた建造物が見えた。

 手加減の感じられない攻撃、ハーモナイザーを起動していなかったら肉片と化していただろう。

 その事実に吐き気すら催した。

 

 俯いたままヤサカが気だるげに歩き出す。

 ゆっくりとした歩みとは裏腹に、その一歩はかなりの重量を持っているようにダイチは感じた。

 牛歩とも呼べる歩みが、ひどく速いように思えた。

 ヤサカの歩いた軌跡には、まるで元から無かったかのように瓦礫や粉塵の何もかもが消え去り、砂塵が広がっている。

 あの歩みの跡には死んだ物しか残っていない、そうとしか思えなかった。

 

 徐にヤサカが顔を上げた。

 互いの視線が絡み合った。

 圧力を感じさせる視線がダイチを射抜いたようだった。

 だが、そう感じたのはダイチだけで、ヤサカは普段と変わらない。

 能面を貼り付けたようなあの無表情。

 悪魔と戦うときもセプテントリオンと戦うときも、もちろん人間と戦うときも同様だった。

 何も感じていないかのように感情の一切が抜け切っていた。

 ダイチには心臓が暴れまわっているようで、そのうち口から飛び出す可能性すらも感じられた。

 

 敵と戦うのも仲間と戦うのもヤサカには同じなのか。

 違う、そうじゃない。

 ヤサカの進路に立った自分は敵と看做された。

 そんな確信があった。

 周囲には隠れられる場所はなく、頼ることのできる人は確認できない。

 それでも作戦の大きな流れが滞った今、零れ落ちた勝率を少しでも救い上げるために凌がなければならない。

 孤独な戦い、その事実にダイチの胸中ではセプテントリオンとの戦いですら感じたことのない恐怖が渦巻き始めた。

 

 

 

 

 

 ――07:15 新橋駅――

 

 ハーモナイザーは肉体を強化し、悪魔と渡り合うことができるアプリケーションだ。

 戦うことで悪魔などから奪い取って溜め込んだマグネタイトと呼ばれる物質を纏うことで脆弱な人間の身体能力を強化してくれる。

 目に見えないが成長する鎧を着ること、それが一番わかりやすいイメージだろうか。

 ダイチはハーモナイザーの強化を力と速さに割り振っており、速度においてはかつての仲間内でも最上位に位置する。

 受けることなどあまり考えていない、一撃必殺を念頭に置いたパラメータ配分。

 ――それらはすべて、通用する人間相手との話だが。

 

 

 「当てれば勝てる。絶対に勝てる。絶対に……」

 

 ダイチは必死に自分に言い聞かせるように何度も繰り返し呟いた。

 そうでもしなければ、飲み込もうと迫ってくる影の恐怖に心が砕けそうだった。

 また影が迫った。

 あれは、仲魔を一撃で食い破るほどの必殺を纏った影だった。

 

 ゆっくりと歩いて近づいてくるヤサカの足元から伸びた一つの影が何度も何度も、執拗にダイチを追い立てる。

 全力で動いているのはダイチだけ、まるで遊ばれている玩具のようだった。

 悪魔は感情を煽ってマグネタイトを絞るという。

 もしかしてヤサカは……。

 そんなことを考えて気が抜け、ハーモナイザーで強化しているはずの腕が容易く傷つけられた。

 ガチガチと硬質な金属音を響かせながら、鈍く銀色に輝く牙が迫る。

 影とヤサカは別の意識があるのではないかと思わせるほどの殺意だった。

 

 影には数多の目がダイチを見据え、肉体を食いちぎろうと鋭い歯で切り裂こうとしている。

 生きるために今日まで走り続けたヤサカと、嫌だからと逃げ続ることが多かったダイチ。

 狩る者と狩られる者、今日までの生きた結果のようですらあった。

 だが、それだってたった数日の違いのはずだ、俺だって頑張ったのだと内心でダイチは叫ぶ。

 方向の違いはあれど、努力は同じだろうと。

 相手の積み上げたものは見ないように、自分の積み上げた結果で慰める。

 それほど差が大きいわけがないだろうと。

 孤独の時間、乗り越えた危機、死に瀕した回数……。

 すべて意識の外に追いやった、追いやろうとした。

 そうでもしなければ潰れそうだった。

 今日まで自分が生きた意味など無かったと、言外に思わされるから。

 

 「頼む! ツィツィミトル、アンズー!」

 

 叫ぶように名を呼ぶ。

 悪魔召喚アプリが起動し、燐光を放ちながら、文様の刻まれた円陣が宙に奔る。

 そして、二体の仲魔が姿を現した。

 悪魔の中でも能力の高い種族である魔王、ツィツィミトル。

 機動力に富んでいる霊鳥、アンズー。

 不意を討たれて影によって切り刻まれたトウコツの二の舞にならないよう、指示を飛ばす。

 そして大きく跳躍することで距離を取って……。

 

 「え……? なんで……?」

 

 思わず呆けた声が漏れた。

 ダイチが意図した声ではなかったが自然と漏れていた。

 淡い緑の光を残して仲魔は消えていた。

 魔法の形跡はなく、攻撃された記憶もない。

 それに、最大の隘路となっていた影は自分に引き付けていたはずだった。

 まさかアプリの誤作動かと焦る。

 

 「アプリ、バグった?」

 

 『あの方が作ったのにそんなわけないじゃん。んっとね、なぜかわかんないけどね、コマンドが上書きされて送還されたっぽいよ~?』

 

 ダイチの呟きに答えるようにティコが返事を返す。

 必死に動き続けて流れの速くなった血液が凍ったように思えた。

 ティコの言葉が事実だとすれば、仲魔の召喚が不可能になってしまう。

 ヤサカを相手に、ハーモナイザーだけで戦えというのか。

 あの影を掻い潜って、悪魔の力を宿したアイツと。

 

 『ちなみにね~、あの悪魔人間っぽいやつ? もう魔人の領域に足を踏み出してるから逃げた方がいいと思うよ?』

 

 ダイチはイオのように悪魔を身に宿すことのできる適正を持っている人間がいることを知っている。

 自らを依り代として憑依させることで悪魔の力を引き出すそうだ。

 短時間の力の行使でも負担が強く、高い適性を持つイオでも死に掛けたほどだ。

 では、宿すどころか悪魔と混ざりあった悪魔人間とはどのようなものか。

 ジプス局長である峰津院大和――ヤマトが混ざることで生じる魂の苦痛や至るまでの苦悩は想像も絶すると話していたのを思い出した。

 また、完璧に行使することができれば能力はハーモナイザーで強化していようとただの人間など足元に及ばないとも。

 それが悪魔人間だと聞いたことがあった。

 だが、それすらも凌駕する域に魔人がいるとも聞いた。

 その域に踏み込んでいるという。

 彼我の差が、目に見えぬほどに広いということを理解した。

 

 『で、シジマっちはどうする? 戦っちゃう?』

 

 「逃げるに決まってるでしょうが!」

 

 叫んで反転、駆け出す。

 矮小な意地など強大な敵の前では無いも同じ。

 ダイチの身で抑えられる範囲を完全に超え、他に丸投げするしかない。

 大した時間稼ぎはできなかったがそれでもなんとか粘ったが、イオが現れる気配はない。

 ならばもう、シヴァの元に誘導するしかない。

 幸運なことにダイチのハーモナイザーは速度に特化した物理型、体力切れの心配は無いだろう。

 相手のほうが遅ければ、逃げの一手で走り抜けることもできる。

 

 「なんで、前にいるんだっつうの……」

 

 真後ろにいたヤサカが目の前、十メートル先に立っていて、影を操り始めた。

 ダイチは混乱の極みにあった。

 混乱を醸した疑問の答えは単純、ヤサカのほうが圧倒的に能力が高く、高位の悪魔すらも置き去りにするトップスピードは言うに及ばず。

 ダイチの不幸は圧倒的な相手を前にしている、それに尽きた。

 ヤサカからは逃げれれない、そんな言葉が脳内で囁いた。

 

 『で、どうする? 死んじゃう?』

 

 「マ……マジで死んじゃうかもね。どうしたらいいんだよ……」

 

 ティコの軽口を返す余裕など枯渇した。

 疲労など目の前の恐怖に比べればどうってことない。

 問題は、完全に勝ち目がないことだ。

 噴き出す様に次から次へと流れ出る汗が地面を濡らす。

 また一滴、ぽたりと地面に落ちた。

 それを合図に影が襲い掛かった。

 ダイチは仲魔を呼べないというペナルティを課せられ、単騎で半魔人との戦闘に強制的に突入した。

 

 

 

 

 ――07:20 日比谷通り――

 

 ダイチは死の舞踏を踊っていた。

 望んでいるわけでは全くない。

 踊らされていた、というのが正しいだろう。

 影が一つ、蛇行しながら襲い掛かってくるのを必死に避け続ける。

 その動きが傍から見れば下手なステップを踏んでいるかのようだった。

 音楽は牙が噛みあう金属音とステップの度になる足音、そして暴れ出しそうなほど荒れ狂う心音。

 観客はヤサカただ一人。

 

 遊ばれている、そんな思いがダイチに苦みを感じさせた。

 玩具のように乱雑に。

 道化の如く振り回されて。

 それでも小さな希望があった。

 避け続けたことで、影が一定の動作を繰り返していることに気付いた。

 何度も繰り返せば馬鹿でもわかることだ。

 侮っている証拠だろう、ダイチはそう判断した。

 さらにどんなに強くなろうとも、ヤサカだって元は人間だったので影を操るにも種があるのは当然という考えもあった。

 

 (俺を侮っている今しかチャンスはない! 一点突破ぁ!)

 

 当たれば勝てる。

 戦いが始まる前の思いが浮上する。

 全ては刹那の交差で決まる。

 ヤサカの隙をつくことができる今しかない。

 予測だったがほとんど確信でもあった。

 

 当たれば勝てる。

 全力で地面を踏み込んだ。

 ヤサカに向けた初めての前進だった。

 ハーモナイザーによって強化された脚力が、爆発的な推進力を発揮する。

 まるで地面を滑るように走り抜け、読んだ通りのルーチンで動く影をぎりぎりの所で回避する。

 ばっくりと頬が大きく切れ、ずっと後ろに引っ張られるように血液が流れて行った。

 それすらも無視して走り抜ける。

 

 当たれば勝てる。

 零れ落ちた勝ち目が見えてきた。

 ヤサカは身動き一つしない。

 隙を狙ったこの行動に対応ができないのだろう。

 防御の要である影は置き去りにしている。

 

 当たれば勝てる。

 あと数メートル。

 強化された脚力ならば距離は無いも同然、刹那の時間すら必要ない。

 アプリのコマンドスキルを発動、ダイチが肉体が誘導に従って動き出す。

 セットしたスキルは『千烈突き』、目にも止まらぬ速さで何度も殴るスキルだ。

 

 勝った!

 その瞬間、勝利を確信した。

 ヤサカの慢心、距離、スキルの発動、すべてが噛みあっていたからだ。

 今日まで戦い抜いたが、経験がないほどの会心の一撃。

 ……そうなるはずだった。

 

 

 

 「あぇ?」

 

 仲魔の送還、あのときと同じように呆けた声が出た。

 いや、あのときよりも酷い間抜けな声だった。

 それもそのはず、超速で働いていた自分の体が突然、緩慢な動作になったからだ。

 魂消るのも当然だった。

 ハーモナイザーの強化も、コマンドスキルのアシストも、すべてが切れていた。

 半魔人を前にして、ダイチは力のない一般人に戻された。

 高速移動を支えていた強化が途切れたことによって脚力は戻された。

 足が縺れ、前のめりに無様に転がっていく。

 確信したはずの勝利は幻となり。

 同時に救い上げていた勝率も当然のことながら、また幻だった。

 

 茫然したダイチが手足をばたつかせながら立ち上がる。

 ハーモナイザーの強化がない肉体は、急に重力の鎖を感じた。

 急いで、だが、強化のない今では緩慢な動作で携帯電話を操作する。

 充電に問題は無く、動作もしている。

 ただ、アプリが沈黙を保ったままだ。

 ティコの返事すらない。

 それを観察しているのか、ヤサカは動かない。

 影も時が止まったように動かない。

 それが恐怖を煽る。

 まるで手を出す必要などないと、言外に言われているようだったから。

 

 「なんでだ……。何が起きてんの……?」

 

 信じられないことが起きたとでも言うように呟く。

 今日まで過不足なく動いていたアプリ。

 それがヤサカと戦った途端、不具合に見舞われた。

 まるですべてヤサカの手の上で踊っているようだった。

 ぞっとする。

 そして、アプリ一つに支えられている自分の身の危険を感じた。

 原因はヤサカにあるというのか。

 思い至って必死に離れる。

 先ほどまであんなに近づくことに執心したのに。

 ヤサカは追いかけなかった。

 やはり観察しているのか、ただ見ているだけだった。

 

 

 

 

 ――07:22 日比谷公園――

 

 影を過不足なく避けられる位置まで離れると、止まっていた時が動かしたかのようにアプリが起動した。

 それが、ダイチが近寄ることのできる資格を持っていないように感じられた。

 

 『シジマっち、まずいよ? あっちのティコが侵入してアプリの妨害したっぽい』

 

 ダイチは瞠目した。

 そんなこと、見たことも聞いたこともなかったから。

 なぜこんなにも不運に見舞われているのか。

 

 「なんとか、できないの?」

 

 喘ぐような、絞り出したような、小さな声。

 ダイチには自分が発しているとは思えなかった。

 それほど期待はしていない。

 相手が相手だから。

 

 『無理かな~★ あっちのティコは元を捨てて高位の電霊になっちゃってるっぽいから、ティコりんには防ぎようがないんだよね~』

 

 そして次いで、防げるとした「あの方」とやらしか対応できないだろうとの話だ。

 だが、「あの方」はヒロやヤサカと組んでいるという。

 ティコからの答えに、失望は無かった。

 当然のことだとすら思った。

 自分のティコも相手と同じようになれないのかと聞いたが、強い拒絶で返された。

 「あの方」にもらった身体を捨てるほど、ダイチに興味はないのだと。

 

 「なんつう、チートだよ。ほんと……」

 

 仲魔は使えない。

 強化も使えない。

 同じはずのナビゲーターの質まで見せつけられた。

 戦う力をすべて剥ぎ取られたダイチに残っているのは、弱い肉体と芯のない精神だけ。

 

 「何か間違ってたっけな……」

 

 迫る影に身を委ねるように呟いた。

 大口を開いたそれによって、ダイチに影が差した。

 何が間違っていたか、何が合っていたか。

 全てがわからない。

 固く閉じた眼尻から思わず涙が零れた。

 

 

 

 

 ――07:22 日比谷公園――

 

 待っていても痛みは襲ってこない。

 苦しませるのは辞めてくれと祈ったが、何も起きない。

 怯えながら目を開くと、先には光の槍で胴体を貫かれて地面に縫いとめられた影があった。

 

 「志島くん、遅れてごめんね。遠く離れてたから見つけるのに手間取っちゃった」

 

 声の先には、淡い光を纏ったイオの姿。

 逸らすことのない力強さを感じさせる瞳の先には、ヤサカが立っていた。

 ダイチの時間稼ぎは成功したのだ。

 だが、勝機が見えなかった。

 イオから力強さはもちろん感じることができた、ダイチよりも遥かに強いだろう。

 ただ、直接相対したヤサカの禍々しさと比べれば酷く小さなものだ。

 

 この戦いでダイチができることはほとんどない。

 ちょっとした回復程度が関の山。

 仲魔も呼べず、近づけばハーモナイザーの起動すらできなくなる。

 能力を鍛えていない魔法など陽動にすらならない。

 そう告げるダイチの暗い表情にイオは頷いて返す。

 その強い意志を感じさせる顔から一切の不安は無い。

 

 「頼っているだけじゃダメだから」

 

 そう言い残してイオは走り去った。

 仲魔を連れず、ハーモナイザーも起動していない。

 互いの地力の差が勝敗を分ける戦いに身を投じたのだ。

 イオは魔神ルーグ、破格の悪魔だが完全な状態ではないうえに、依り代自身にも限界がある。

 ヤサカは決まった悪魔が混ざっているわけではないが、掌握しきっているのが強みだ。

 戦いの行く末はわからない。

 わからないはずなのに、ダイチには不安しかない。

 

 イオとヤサカが衝突し、生じた余波が小さな揺れを起こした。

 ダイチにまで届いた魔力を含んだ風が、肌を刺激した。

 ヤサカの足元から伸びていた影が、幾重にも重なっていた。

 それらを刈り取るように、イオの投じた銀色の槍が、光を纏って影を切り裂いた。

 それに反撃するように周囲を覆っていた影が、夜の帳が広がるように槍を包み込んだ。

 たったの一つに追い詰められていたのはなんだったのか呆け、次いで相手を侮っていたのは自分だったとダイチは思い至った。

 むしろ十分な玩具にすらなっていなかった。

 

 拮抗している、ように見えた。

 戦いにはなっているが、イオの限界を考えれば時間はこちらの味方ではないだろう。

 もう一手欲しい。

 ヤサカを抑えられる力が。

 どうにかならないかと思考を回転させていると、空の彼方から赤い光が飛来した。

 尾を引いたそれは、彗星を思わせた。

 そして、彗星は影の中心部に突き刺さり、膨大な熱量をまき散らしながら煉獄の炎を空に灯した。

 かつて見たパスパタ、シヴァの怒りが形となった炎だった。

 木曜日に『アリオト』を撃墜した際に放たれた炎、あの輝きと強さを見間違うはずがない。

 遅れてシヴァが空から落下し、影を上書きするように炎の海が作られていた。

 

 ヒナコたち仲間の支援だ。

 うまくいっているのか、こちらに誘導したようだ。

 何度も頷くように頭を振って、汗ばんだ手を見つめる。

 自分には何ができるのか、真剣に考える。

 勝つための渾身の一手を。

 

 ダイチがここから何を成すのか、成せるのか。

 

 

 

 

 

 

 

 ――07:23 日比谷公園――

 

 「うん、予定通りだね。彼も上手くやっているようだ」

 

 もちろん、大凡にして何も成せない人間が多いのも事実だ。

 そしてこの場合、自らが何も成せない人間だとダイチは確信した。

 成すための困難を乗り越えるほどの力が無いから。

 確信するにあたって、ティコたちが「あの方」と呼ぶ人物の声が空から聞こえてきたことも強く関係しているだろう。

 いるはずがない、いないでくれと振り返る。

 

 「ヒ……ロ……?」

 

 視界に、今見たくない人物を捉えた。

 見上げる必要がある位置に浮く、「あの方」と呼ばれる人物。

 そして、目を見張るようなリーダーシップを取り続けた、かつての仲間がそこにいた。

 ダイチは改めてヒロに視線を送り、驚愕した。

 ヒロの足元にヒナコとジュンゴの姿を確認したためだ。

 気絶しているのか、二人の胸部は上下している。

 シヴァを支援で送ってくれていると思ったが、もしかしたら暴走している可能性もある。

 何もかもが失敗しているのではないか、浮かんだ疑念は肥大していく。

 

 ヤサカとも「あの方」とも違う、人間味溢れる笑みを浮かべたヒロが携帯電話を翳した。

 ヒロはアプリを起動するのだろう。

 ダイチも応じる様に携帯電話を取り出し、操作する。

 それを見て、相手がアプリを使うから自分も使う。

 今日まで生きてきたことが証明できるほど染みついた動きだった。

 そして、仲間内で戦うことを否定したとは思えないほど自然な動きで戦闘態勢に入る。

 同じように仲魔を呼び、ハーモナイザーを起動した。

 

 話し合いを望んだ、だが戦いを止めるために戦いを始めた。

 今は勝つための力を得るために、戦っていた。

 成功しない作戦を必死に練った。

 勝てない相手に挑んで、また目前に強い敵が現れた。

 なんでこんなに苦しいのか、なんで自分はこんなことをしているのか、ダイチにはわからなくなってきた。

 何も正しいと思えることが無い。

 終わりが何処にあるのかすらわからなくなった。

 誰も声をかけてくれない。

 

 今まで目が眩む輝きを追い続け、暗闇を歩くことがなかった。

 光ばかり見続けた目に、足元は映らない、覆われた暗闇に慣れることができない。

 この時ばかりはヒロという光が照らしてくれることはない。

 ダイチは今、一人ぼっちだ。

 

 

 

 

 

―― Tips ――

 

 

 

オリ主

半魔人。人外になりすぎてダイチのティコに人間だったことを否定された。

『地母の晩餐』→『マグマ・アクシス』のコンボでダイチを抹殺……戦闘不能にしようとした。

対ダイチ戦では、相手が死なないようにかなり頑張って手抜きしている。

内心で、正義の味方っぽい演出で登場できて満足している(登場シーンを意識した魔法による背後の爆発など)。

ティコによるバックアップで、アプリによる悪魔の召喚への完全メタである『強制送還』や『アプリ強制終了』が備わったので、人間絶対殺すマンと化した。

 

オリ主のティコ

他のティコと比べてロリってる。

オリ主の悪魔化に付き合うようにひっそりとマグネタイトを溜め続け、高位の電霊的なサムシングにクラスチェンジしてた。

オリ主の魔力に触れた携帯電話をハッキング(物理)できる。

初撃で『地母の晩餐』を放ったので、実は周囲一帯のアプリを強制終了できた。

 

シジマっち

初日から悪魔が蔓延る東京の裏路地で殺伐を友として生きてきたオリ主と自分を比べて落ち込んだりした。

なかなか頑張っているが、ヒロインと化して助け出され、逃亡先でラスボスとエンカウントした。

あまりのレベル差のため、オリ主の魔法攻撃が知覚できず、ただの光としか理解できなかった。

能力が低かったので、オリ主に触れる権利はおろか近づく権利すら得られなかった。

 

イオ

おっぱいが大きくてかわいい。

が、私はフミやアイリ、オトメさんのほうが好き。

できれば今度はお尻とか太ももをじっくりと見せてほしい。

主人公っぽい演出で現れた。

悪魔を宿したのでオリ主に近づく権利は得たが触れられるかは不明。

 

ヒロ

強い。

相手は死ぬ。

というか死ぬまで殺す。

 

あの方

カヲルと名乗り出した。

アル・サダクなんて名前は無かった。

浮いている。

現実とか物理的にとか、いろんな意味で。

 

――――

 

 

 

 

 

 ――07:23 日比谷公園――

 

 各々が持てる力を発揮して今日まで生き残ってきた。

 互いの力量はわかりきっている。

 積み重ねた道程に違いはあれど、各々の実力はほとんど拮抗しているはずだ。

 その積み重ねですらたったの一週間、長いとは決していえない。

 むしろ戦いに赴くには短いとすら感じてしまう。

 積み重ねる土台は、全員が同じ人間である。

 ハーモナイザーによる強化が無ければ悪魔の蹂躙に抗う術のない脆弱な人間だ。

 強化の差異、それだけが各々に生じた個性であり、強さでもある。

 ヤマトのように切り札を持っている者やフミのように技術を極めている者が本気を出した場合でも、予測に幾らかの修正を行う程度だろう。

 そんな話は議論の必要なくダイチにはわかりきっている。

 かつての仲間も同様だろう。

 

 大きく差を開くように先を歩くのはヤサカくらいか。

 それだって、奇妙に歪んだ道筋を辿ったことで、姿のみ人間としての形を残して異形と化した結果だ。

 仲魔を不要と判断して単独のまま最前線を駆け抜け続けている。

 誰の目にも止まるほど、ひどく目立つ存在だ。

 燃え続けなければ消えてしまうのではないか、そんな思いすら抱けてしまうほどに苛烈で己を顧みていないほどに。

 絶対に敵わないと思わされる能力だった。

 実際に戦ったダイチに、一生追い付くことができないと確信させた。

 どれだけ時間をかけようとも、影すら踏めない印象しか抱けなかった。

 人間と悪魔の根本的な違いによるものかもしれなかった。

 

 同じように最前線を駆け抜け続けたヒロはどうだろうか。

 指揮の腕は誰もが認めるほどだが、本人の強さはよくよく考えても記憶に残るほどのことは無い。

 単体での強さが目立つ存在が仲間内にいるためだろうか、ヒロが強いという印象をダイチは受けたことがない。

 それでも最初に取り込むことに決めたのは、ダイチが所属する東京組が弱かったこともあるが、信頼できるからという一点に尽きた。

 言ってしまえば責任という重石を明け渡すために、狙い目にしたという表現もできてしまうが。

 ヒロが先頭に立てば、自分たちの考えが絶対的に肯定されるように感じられ、それだけで安心する。

 だから戦力としてはあまり期待していなかったのが本音だった。

 ついでに言ってしまえば、戦力としてよりも陣頭に立ち続けるカリスマとヤサカが付いてくるという点だけで必要十分だった。

 セプテントリオンとの戦いでも、ダイチたちと同じように傷つきながら戦い抜いてきた。

 ただ、人間同士との争いでは傷ついた姿を見たことがなかったが、ダイチだって同じようなモノだった。

 

 実力は拮抗している、そう思っている。

 だって今日まで一緒に戦い抜いたのだから。

 ほんの少しだけ起きる変化、それだって結果としては自分と同じになる、そんなモノを詳細に確認するわけがない。

 すべて同じだと思っていた。

 最初は同じ人間だった、最後だって同じものなのだと。

 辿る道程の違いによる少しだけ異なった結果になるのだと。

 ヤサカやイオのような特殊な才能の無いヒロは、ほとんどダイチ自身と同じ結果だと信じていた。

 だから、ダイチはヒロを侮ったことはない。

 

 理解できなかった、それだけのことだ。

 

 

 

 

 

 ――07:28 日比谷公園――

 

 十メートル、それがヒロとダイチの距離だ。

 ハーモナイザーによる肉体強化の恩恵があれば、全力で走ることで一瞬で届く。

 その短い距離が、今のダイチには永遠に感じられる。

 まるで深く暗い溝があるようだった。

 ヤサカの影を掻い潜るときも同じ距離だったが、あれは近づけば近づくほど遠ざかるような奇妙な感覚だったようにダイチは思えた。

 だが、今は違う。

 ヒロとダイチの間には何もない、そう感じさせられた。

 何もないということは、ダイチが歩くことができる地面が、走ることができる足場がない。

 つまるところ、ヒロへと近づく道が一切ない。

 全てはダイチのイメージの話だ。

 だが、それが現実としか思えなかった。

 

 ティコたちが「あの方」と呼ぶ人物は、離れた位置で見守っているだけだった。

 友人同士の戦いに水を差すつもりはないのか、作戦前にわかっていればダイチは喜んでいただろう。

 ヒロと一対一で戦える可能性とやらに。

 吊り下げられた勝ち目という餌に眩んだ畜生のように、浅ましく。

 今は違う。

 理解させられている。

 彼我の力量差を。

 ダイチ自身にできることが何も無いということを。

 

 

 

 

 ――07:32 日比谷公園――

 

 「ツィツィミトル、マハジオダイン!」

 

 アプリによって仲魔を召喚したダイチは思わず叫んでいた。

 それほどまでに力が入っていた。

 そうでもしなければ挫けてしまいそうだった。

 イオが、仲間たちがいなかったら容易く戦うことを放棄していただろう。

 自分だけではない、それがダイチが戦う理由であった。

 同時に追い込まれている原因でもあったが。

 

 仲魔のツィツィミトルから白い雷光が放たれた。

 広範囲に広がる魔法の雷撃。

 しかし、ヒロに届く前に消え去った。

 ダイチの仲魔が魔法を発動させる瞬間、ヒロによって呼び出されたズェラロンズ、その雷を吸収する能力のせいで魔法がかき消されていた。

 

 「また……。くそっ」

 

 自身が気づかないうちにダイチは吐き捨ているような言葉が零れた。

 防がれたことへの苛立ちも含まれていたが、自分への不甲斐なさへの顕れでもあった。

 召喚する仲魔を読まれ、魔法が無効化された。

 だが、それだけではない。

 それだけでは広域魔法のマハジオダインは防げない。

 人間を簡単に壊せる威力の伴った雷の魔法、その中を冷静に見極めることで弱所を見出し、非常に耐性の高い悪魔で堰き止める。

 そして、確実に魔法の影響がない位置にヒロは移動することで無効にした。

 類稀なる判断力や決断力の証明であった。

 

 ダイチには決して出来ないだろう。

 これまでは一気に近づき、攻撃される前に殴って倒してきた。

 それで倒せたのだから、そんな必要は無かった。

 そんな発想は一切無かった。

 みんな同じだと思っていた。

 なぜヒロがこんなことができるのか、わからなかった。

 

 

 

 ダイチは魔法が吸収されたのを見て、すぐにツィツィミトルを送還した。

 ヒロも同じように仲魔を送還する。

 同じ行動、生じる差異はヒロが少しだけ遅く送還していることくらいだ。

 それからヒロは動かない。

 ダイチが行動を起こすのを待っているのだ。

 あの柔らかい笑みを浮かべながら、俯瞰している。

 ダイチの様子を見てから判断を下すために。

 

 携帯電話を凄まじい速さで操作しながら、ヒロの読みを外すために仲魔の召喚と送還を何度も繰り返す。

 宙に浮かんだ文様が、描かれては消え去り、また描かれては消えた。

 アプリを使い慣れた者がこの光景を傍から見れば、仲魔を出し入れして忙しない上に無駄な行動に見えるだろう。

 だが、この戦いで絶対に必要だった。

 先読みするかのごとくヒロは、ダイチの仲魔が放つ魔法の全てを無効または反射し、弱点を的確に当ててくる。

 一度や二度ではない。

 これまでに繰り返した攻防全てにおいてであった。

 仲魔の構成、覚えているスキル、相性……全てを先読みしているのだ。

 同じ仲魔を出したままでは相性が最悪なヒロの悪魔によって蹂躙される未来しか待っていない。

 

 現状では、ヒロの悪魔はただ只管に魔法を跳ね返す以外の行動は取っていない。

 ヒロと悪魔に与えた損害は皆無であり、ダメージはおろか魔力すら削ることができていない。

 反してダイチは満身創痍だ。

 反射された魔法によって徐々に、そして確実に肉体が削られていた。

 

 遊ばれているかのような繰り返しだが、隙を見せたら後には何も残らないほど鋭利で深い刃を突きたてられてしまう。

 事実、蹂躙されて修復中の仲魔がいる。

 痛みによって学んだ、無理やり学ばされた。

 当たれば勝てるという思い込みは甘えでしかなかった。

 相手よりも優位に立ち、隙を付き続けることが当たり前であるとも。

 だから慎重になる、緊張を抱く。

 

 致命傷は一度も受けなかった。

 単にヒロが攻撃していないとも言えるが。

 それでも、直撃を受けていない結果が、これである。

 ヒロが攻勢に転じたらと考えるとぞっとした。

 同時に、この重圧から解放されるのではないかとも。

 

 

 

 

 ――07:33 日比谷公園――

 

 召喚と送還を何度も繰り返し、ついにダイチが他の仲魔を呼んだ。

 それに呼応するかのように、召喚と同時にヒロも仲魔を召喚する。

 フェイントを織り交ぜ、召喚すると見せかけ送還したが、それらには目もくれず、淡々と。

 またもダイチの仲魔と完全に相性の悪い悪魔だった。

 何度やっても同じ結果だった。

 全てが読まれている。

 理解させられた。

 ダイチは自分の思考が聞かれているのではないかと何度も疑問を持ったほどに。

 

 それでも何度も繰り返した。

 ダイチは駄々を捏ねる子供のように、いつか叶うと信じて、何度も打ち破られた。

 ヒロも馬鹿でもわかるほどに、幼子に言い聞かせるように、何度も打ち破った。

 初めは六体いたダイチの仲魔はすでに半数、それだって体力は二割を下回っている。

 予備は二体。

 対して、ヒロはすでに十体近くの悪魔を従えているが、それでも今なお初見となる悪魔の姿を見せてくる。

 勝てる見込みを億尾にも見出すことができない。

 

 ダイチの仲魔が少ないわけではない、ヒロの悪魔が多すぎるのだ。。

 処理能力の関係などにより、アプリの仕様では二体の悪魔まで同時に召喚することができる。

 つまり主力として運用する悪魔はその二体のみ。

 相性なども考慮して予備に二体、多くて三体程度を用意するのが限度だ。

 仲魔にする程度なら簡単だが、戦える強さ、命を預けることができる悪魔となると限られる。

 だが、ヒロは違う。

 全てが前線に投入できるレベルだった。

 妥協せずに揃えるとなると必要なマッカや時間はダイチに想像も付かない。

 さらにいえば昨日今日で準備するには間に合わないだろう。

 もっと前から備えている必要があった。

 それらの集大成が今なのだろう。

 もしくは、未だ途中なのかもしれない。

 それでもダイチより遥か先に進んでいた。

 随分と前から、もしかしたら日常が崩壊した初日から、ダイチが迷い続けている間にも、ヒロとヤサカは進み続けていたのかもしれない。

 先行きの暗い日々を、己の信じる指針に向かって。

 

 今日の戦いは、どちらも玩具のようにダイチを弄んでいたのではなかった。

 覚えの悪い幼子を相手にするようにゆっくり伝えていただけだ。

 ヒロもヤサカも、歩き続けた答えをダイチ自身に示していた。

 人間や悪魔との戦い方、最終地点への準備、自己の在り方、今日までの全て……。

 

 ティコについてもそうだ。

 ヒロはこの一週間が始まった日にティコをインストールしていた。

 ダイチも少しの差はあれど同じ時期だったし、ヤサカも詳しくは知らないが同じくらいだろう。

 もしかしたらヤサカは悪魔召喚を使わないので、もっと遅れたのかもしれない。

 だが、今は出来ること、やっていることが違う。

 ヤサカなど、ナビゲーターが勝手にアプリを動かしていた。

 さっきまでのヒロは、呟くだけでアプリを起動しているようだった。

 しかし、ダイチは必死に携帯電話を操作してアプリを起動している。

 同じ始まり、全く違う結果。

 

 やっとダイチは理解した。

 断片だけでも、解ることが出来た。

 逸らすことのできない現実として、結果を見せつけられて。

 誰かの背を追い続けるダイチと同じ事など、何一つ無かった。

 

 ヒロに縋ったことを思い出した。

 不安で押しつぶされそうだと相談したとき、珍しく暗い表情を浮かべながらも彼は同意していた。

 きっと本心だったに違いない。

 ヤサカに愚痴ったことを思い出した。

 凡人の自分は悪魔の力が羨ましいと才能を羨んで妬んだとき、彼は小さくダイチが羨ましいと言っていた。

 きっと本心だったに違いない。

 それでも見えない明日を見据えて只管に努力していたのだろう。

 

 初めから仲間になるはずが無かった。

 明日を求めて歩き続ける二人に、戻ることを呼びかけるなんて無意味だったのだ。

 戻ることを望み続けて後ろを見続けた自分が、二人に追いつけるわけがない。

 ダイチは自らが歩みを止めていることに、漸く気付いた。

 

 

 

 

 

 ――07:37 日比谷公園――

 

 それからのダイチは我武者羅だった。

 捨て身に近い戦い方。

 何かが変わるわけでもない。

 ただ、後ろ向きで立ち止まっているのが怖くなったのだ。

 置いて行かれるかのように、不安が胸を疼かせる。

 

 変化した今の日常も、最後には元に戻ると期待していた。

 何時までも変わらないで居られると笑っていられた。

 それはただの夢だった。

 誰もが変わっている。

 変わっていないのは自分だけではないか。

 ダイチが気付いたのは、そして動かしているのは、甘く泥臭い希望に縋りつく情けない己の姿による恐怖だった。

 

 

 

 仲魔を犠牲にして、自分の体に魔法が掠ろうとも、ヒロに近づこうとした。

 それを見たヒロは反射で防ぐことは変わらなかったが、魔法のスキルを織り交ぜ始めた。

 ダイチに対して現実は無常で、戦いが始まった位置から一歩として進むことができない。

 どれだけ必死に攻撃しても、傷を負っても変わらない。

 ヒロとダイチの間にあるたったの十メートルが、苛烈な魔法に曝されている。

 反射されたやヒロによる魔法スキルによって、見えない壁が生じたようでもあった。

 それでもダイチは進もうとした。

 それだけでは、何も変わらなかった。

 当然だとも思えた。

 今まで散々進むことを拒んでいたのだ、ダイチは進む方法など知らない。

 

 普段、使い続けてきた仲魔が倒れた。

 これで主力として使役している悪魔は全て修復中となった。

 ダイチに残された力はハーモナイザーによる肉体強化、そして予備悪魔である二体。

 戦力差など考える必要が無いほどだ。

 勝てるという幻想はすでに捨てた。

 何時もなら逃亡するか降参していても可笑しくない、それくらいに限界だった。

 それでも向かおうとするのは集まってくれた仲間たちのためか、親友と自負した意地を抱えているためか、変わろうとする自分のためか……。

 

 

 

 

 ――07:39 日比谷公園――

 

 ダイチの体力は限界だった。

 傷だって全身にある。

 頼れる仲間はいない、頼れない仲魔しかいない。

 走ることしかできない、それでも前に進みたい。

 当てれば勝てるなどと見当はずれな思いなど彼方に消えた。

 代わりに、当てなければ止まったままだという思いは芽生えていた。

 その思いに突き動かされるように、ダイチは二体の仲魔が放った広範囲の炎魔法に紛れた。

 炎を推進力に、突進をかけることしか思いつかなかった。

 

 恐怖は無かった。

 影に追われるほうがずっと怖い。

 そして、ヒロと同じだと思い込んでい自分が、ヤサカの力を羨んだ自分が、この程度の魔法に怯えてしまう程度だと認めたくなかった。

 

 「あああああああ!!!」

 

 炎に紛れたが、叫ぶことしかできなかった。

 推進力を得ることが出来なかった。

 前後の炎に潰されるようにただ、全身を焼かれただけだった。

 身を投げ出す覚悟を抱いた結果、ヒロに一歩も近づくことはできなかった。

 立っているのが精いっぱいだ。

 

 『完全反射のむらさきカガミ!? シジマっち!!』

 

 炎が消え去れば、それは当然のことだったと理解できた。

 ヒロが反射持ちの悪魔を呼び出していたからだ。

 ティコの叫びから推測すれば、全ての魔法に反射能力を持っているのだろう。

 今まで出さなかったのはきっと自分のためだった、そうダイチは思った。

 自惚れではない。

 彼らは親友だから。

 

 予備の仲魔はすでに帰還を果たしており、アプリをのぞき見れば修復中の文字が見えた。

 ダイチは限界だった。

 ハーモナイザーによって守られた肉体は限界を超えていたが、死ぬような傷は追っていない。

 それでも立っているのが精いっぱいだ。

 あと数秒もすれば倒れるだろう。

 せめて、ヒロの側に倒れようとして……。

 

 「メギド」

 

 ヒロが呟くように唱えた。

 白い光が頭上で輝く。

 ああ、そうか。

 これが、互いの差なのだろう。

 ヒロとの間にある、純然たる境。

 詰めることの出来ないほどに広く深い溝。

 

 破壊を秘めた純白の光がダイチを飲み込んだ。

 

 

 

 

 ――07:40 日比谷公園――

 

 ダイチが目覚めたのは数秒後のこととは、ナビゲーターであるティコの言。

 仰向けの状態で見える空は鈍色に淀んでいた。

 身を少しだけ起こせばわかってしまった、一歩も近づけなかった自分に。

 確認してみればヒロが回復させてくれたのか、すでに傷は一切ない。

 再び戦おうと思えば戦える。

 だが、そんな意思など何処にもない。

 立ち止まったままの自分に、それを成す価値など無いのだ。

 糸が切れた人形のように、緊張感の切れた肉体が倒れ込んだ。

 

 才能が無いとヤサカを羨んだ。

 有ったとしても、悪魔を宿す勇気など一切なかっただろう。

 努力を続けるヒロを同じだと見誤った。

 考えることも、歩き続ける意思も一切なかったのに。

 今、ダイチが倒れている結果に、才能など言い訳にも成りはしない。

 努力の積み重ねなど、口が裂けても言うことは出来ない。

 

 立ち止まっていたダイチが、何を言っても虚しいだけだ。

 自分が一番わかっている。

 

 『……シジマっち、泣いてるの?』

 

 「泣いてなんてない。泣いてなんか……」

 

 じんわりとした痛みすら伴い、目の奥が熱くなっていた。

 目に溜まる水が、視界を歪ませる。

 次から次へと溢れるようだった。

 流れないように必死に留める。

 

 勝てなくても仕方ない、そんな思いも最初はあった。

 勝てたらきっとうれしいだろうとも。

 だが今は違う。

 勝つ努力を積まなかった自分が恥ずかしかった。

 変わることのできない自分が悔しかった。

 

 そして、ただひたすらにダイチは自分が情けなかった。

 

 

 

 『シジマっち、絶対泣いてるって★』

 

 「泣いてないよ! もう黙ってろ!」

 

 乱暴に携帯電話を閉じてしまう。

 気が少しだけ、ほんの少しだけ紛れていた。

 周りにはヒロも憂う者もいない。

 それが少しだけ嬉しかった。

 

 濡れていた目元を拭い、横向きに寝るために姿勢を変える。

 視界に入ったのは天を覆うほどの巨大な黒いドームだった。

 戦い始めたときには無かった物だ。

 あそこは確かヤサカが立っていた……。

 

 『シジマっち、泣いてたの認めた~?』

 

 「それはもういいから。ティコ、あれってヤサカのやつ?」

 

 折りたたんでいた携帯電話を開き、ティコへと問う。

 ダイチには黒いドームの表面が流動しているように見えた。

 

 『近くでアナライズしないと詳細はわからないけど、あれはあの悪魔人間っぽいやつだね~★ で、見える全部が核っぽいとか、あいつってなんなんだろね~★ 元人間とかやっぱり絶対嘘でしょ~?』

 

 ティコの話ではあの黒いドームはやはりヤサカによる物らしい。

 中ではイオとシヴァが戦っているのだろう。

 まるで逃げ出さないように閉じ込める鳥かごのようではないか。

 ヤサカから逃げ出した自分は、自他の違い、そして己が矮小であることを理解させられた。

 

 

 

 鳥かごに捕らわれたイオはどうなったのか。

 羽が折れたか、狭い空で妥協したか、それとも尚も高い空を目指すのか。

 今日までの自分が試されただろう。

 自分はどうだったか逡巡するように、ダイチは目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――各々の土曜日・東京(後)――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――07:35 日比谷公園――

 

 人間を含めた全生物やそれらを遥かに上回る能力を持つ悪魔ですら瞬時に消滅させるほどの煉獄にイオは立っていた。

 魔神ルーグを身体に降ろしたことによって与えられた、ハーモナイザーの強化を凌駕する恩恵によるものだった。

 それでも強い熱を感じ、不快さは消えない。

 イオの周りには紅蓮色に轟々と燃える炎が広がり、地を焦土と化し天すらも燃やし尽くしていた。

 

 これほどまでの災害、いや、天災が起きて周囲は問題ないのか。

 そんなイオの疑問は一瞬で氷解した。

 空まで聳え立つような影が壁のように覆い、炎が漏れることを防いでいる。

 周りに被害が及ばないようにとヤサカが形成した、影のドームだろう。

 その中心部では、シヴァとヤサカが激しい激突を繰り返していた。

 

 初めはカーマの因子に誘われたというシヴァの炎が飛び交い、それをヤサカが影に取り込むことを繰り返していた。

 時折、イオも魔法でヤサカを狙い打ったが有効打は無かった。

 今の状況へと推移したのは、痺れを切らしたシヴァが広範囲に渡る火炎魔法を放ち、逃げることなくヤサカが完全に受け切ったためだ。

 『ヤサカ様は炎魔法への絶対的な耐性を有しているようです』、それがイオのナビゲーターであるティコの言葉だった。

 シヴァの炎がある今はヤサカのティコによる強制停止は行われることはないようだが、ハーモナイザーや魔法を起動すればその限りでは無い。

 魔法による削り合いでの相性はヤサカに軍配が上がることにシヴァも気付いたのだろう、すぐに近接戦闘に移った。

 シヴァが打撃を振るう度に、ヤサカが魔力を放つ度に、爆ぜた魔力が煉獄をまき散らし宵闇を思わせる影がそれらを覆う。

 イオにとってそれほど長い時間ではなかったが、一柱と一人が織り成した苛烈な争いを鑑みれば、周囲を汚し切るには短すぎた。

 そこからずっと繰り返す様に、近接戦闘が繰り返されている。

 違うのはシヴァが炎をまき散らし始めた頃に徐々に影が壁を造っていったこと。

 今では空を覆うほどだ。

 ひっそりと何も言わず、街に、残った人々に、燃え尽きないようにヤサカが壁を造っていた。

 

 

 

 ルーグの恩恵によってイオの瞳は強化されてる。

 その意味は、視力のみならず『視る』ことすべてにおいてが強化されているということであった。

 普段のイオだったら見ることが叶わなかった随分と離れた位置からも、シヴァとヤサカの争っている姿をはっきりと捉えることができた。

 シヴァの四つある腕、それぞれに握られた武器が巧みに操られ、ヤサカを傷つけていた。

 しかし、それも一瞬のこと。

 ほんの瞬きする時間が経つ頃には、牙と瞳が幾重にもある影によっていなしていた。

 手数はシヴァのほうが多く、一撃の威力も高い。

 それに比べ、ヤサカは何度も手足が吹き飛んでおり、影は引きちぎれ、それでも尚のこと防御に専念しているように感じた。

 シヴァのマグネタイトの枯渇が狙いだろうか、確かにそれも不安要素の一つだ。

 ただ、それだけではない。

 他に何か理由があるはずだとイオには思えた。

 

 四腕から流れるように繰り出された攻撃を、ヤサカはすべて防いだ。

 束ねていた影が幾本か吹き飛び、身体にも若干のダメージを負っているが、それでも防ぐことに成功したのだ。

 繰り返すごとに傷は減り、浅くなっている。

 そして、無傷で凌いだ。

 

 それを見てヤサカが急速に学習していることをイオは理解した。

 あれはただ、練習しているだけだ。

 破壊神を前にして、繰り返し自分の動きを確かめているだけなのだ。

 遠くから観察している場合ではなかった。

 せっかく、シヴァという仲間が送ってくれた援軍を無駄にするところだった。

 早期の決着を臨むしかない。

 凄まじい速度で成長を続けているヤサカに勝つには、シヴァが完全に破られる前の今しかない。

 そう判断したイオは全力で駆け抜けた。

 強靭な脚力によって踏み抜いた地面は柔らかく感じられた。

 

 全力で跳躍する。

 半ば飛んでいるような、そんな勢いでイオは宙に体を投げ出した。

 狙いを定めるのを少し阻害する自らの胸を疎ましく思いながら、右腕に魔力を集めブリューナクを顕現させる。

 イオの適正では、ルーグを制御することが精々の身では、拳を交えて戦うことも魔法で援護することも難しい。

 限界までルーグをその身に宿したブリューナクを使うのが精一杯だった。

 そこまで無理を強いられなければ、破壊神と半魔人の織り成す地獄に近寄ることすら許されない。

 何もできないまま逃げ出すことなど今のイオにはできなかった。

 

 アプリの有無に関わらず、イオが使える技の中で最も威力があるブリューナクで一帯を消し飛ばす。

 無限に再生しているヤサカもブリューナクの威力なら削れるはずだし、効かなかったとしてもシヴァのために隙を作り出す。

 時間は敵だ。

 すでにシヴァとヤサカの戦いは拮抗し始めていた。

 

 ルーグの名を表すような、閃光を発するという投擲武器『ブリューナク』。

 槍とも矛とも石とも言われる伝承があるそれを、投げ飛ばした。

 腕が伸びかのように、白い稲妻が奔った。

 そして、初めから決まっていたかのように、ヤサカを貫いた。

 閃光が大輪の花を咲かせるように炸裂した。

 

 

 

 

 

 ――07:36 日比谷公園――

 

 死んでいないことは確信していた。

 だが、持てる全てを放った。

 少なくないダメージは与えているだろうという考えもある。

 

 「えっと、こういう場合は……そうだ!」

 

 イオは逡巡し、ヒロが言っていたことを思い出す。

 近づけるように頑張っているイオとしては真似だけでも、少しだけ近づいたように感じる。

 好意による憧れも多分にあるが。

 そして口にした。

 

 「や、やったか!?」

 

 『やっていませんね、全然、全く、一切。アナライズの結果、損傷は一厘未満。それもすでに回復したようですが。さすが「あの方」が選んだ陣内様です』

 

 アプリのナビゲーターであるティコが返す。

 ダイチのそれとは違い、性別は男性で丁寧な言葉を返してくれるが態度は慇懃無礼。

 イオなど知ったものかと平然と相手を褒めていた。

 ヒロのティコはかなり協力的であるし、ヤサカのティコなど丁寧な言葉と隙の無いサポートで甲斐甲斐しく尽くしているという。

 能力の高さとナビゲーターの質が比例しているのではないかと考えてしまうほどだった。

 

 そして、当初の狙いであった損害を与える手筈は失敗した。

 ならば隙は作れたかというと、それも叶っていない。

 影が変わらずシヴァの相手をしている。

 むしろ狙いやすかった人型が槍によって爆ぜて無くなったため、平面的に襲い掛かる影の対処に困惑しているほどだった。

 人型は本体では無かった事実のみが確認できた。

 

 悪魔との融合が進み過ぎて、本当に人間ではなくなっていると一目でわかる光景。

 心の何処かでヤサカはまだ人間であると信じていただけにショックは大きい。

 そして、人を辞めるということがどんなことか、理解させられた。

 悪魔を身に宿すリスクが命を落とすだけではなく、進み過ぎて戻れなくなることもある。

 覚悟が必要なのは死ぬことだけではない。

 悪魔となることもまた覚悟しなければならない。

 その事実がイオの心を揺さぶった。

 

 

 

 

 

 ――07:22 日比谷公園――

 

 シヴァは始め、カーマへの激情に駆られ、戦場へと飛び込んだ。

 パスパタで消し飛ばしたはずの因子が感じられたためだった。

 今は違う。

 今あるのは歓びにも感動だ。

 矛を交えている矮小な人間が、命を削ることで神話さながらの力を発揮している。

 悪魔に身を売りながら、魂を呪いで縛り上げながら、シヴァ神と同等以上の力を見せてくれている。

 神秘が薄れ、信仰は利用されるだけ、神の存在などまさに泡沫のごときこの弛んだ時代で、己の全てを対価として力を得ているのだ。

 

 踊りのみならず、争いにおいても満足できるほどの歓迎!

 喜ばないはずがない!

 感動しないはずがない!

 

 シヴァは今、この祭りを心から楽しんでいた。

 

 

 

 

 ――07:27 日比谷公園――

 

 人間の気を僅かに残している悪魔人間に武を見せつける。

 修練の末に辿り着いた技、その一端を。

 幾ら悪魔に近づこうとも元は人間、脆弱で貧弱。

 だが、シヴァは落胆しない。

 少しずつ、身体が崩れようとも時間をかけて武を模倣する悪魔人間の姿はシヴァの琴線を刺激する。

 人間からすれば永劫に近い永い時間を修練に費やしたシヴァにすればあまりに遅い成長。

 しかし、一度の攻防ですべてを覚えきる腕は失望を抱かせない、期待が次々と湧いて出てくる。

 シヴァからすれば牛歩のごとくゆっくりと、人間にすれば光のごとく、悪魔人間にとっては急速に、成長していく。

 徐々に速く、重く、強い。

 打ち砕かれつつも悪魔人間は着実に成長している。

 人間とはなんと素晴らしいのか、歓喜に促されたシヴァの腕は止まらない。

 

 悪魔人間の成長は本当に早かった。

 怒りの形ともいうべき炎『パスパタ』はすでに破られ、習得した。

 暴力を詰め込んだような弓である『ピナーカ』も、影を巧みに駆使することで食い破っていた。

 互いの距離は目と鼻の先、シヴァは握っている三つ又の鉾『トリシューラ』による近距離の修練に突入していた。

 一戟目で悪魔人間は成す術もなく砕け散った。

 それでも立ち向かってきた。

 二戟目は影を纏うことで防御することを試みたが、やはり砕け散っていた。

 難しすぎたか、シヴァが内心で首を捻るもやはり悪魔人間は引かない。

 三戟、悪魔人間は砕けたが以前よりも殻は残っている。

 四、五、六と続ける。

 重ねる度に悪魔人間は適応していく。

 殻の表面に纏った影を凄まじい速さで流動させることで、トリシューラを弾いたのだ。

 七戟、それだけの攻撃で悪魔人間は終に防ぎ切った。

 その成長にシヴァは喜びを露わにした。

 シヴァは獰猛な笑みを浮かべながら腕に力を込め、トリシューラを振り下ろした。

 殻を砕かれながらも、悪魔人間は健在だった。

 技術の無い暴力そのものとしか思えない一撃を防ぎ切った。

 すでに悪魔人間は、最低限の技術を体得しきった。

 

 まだ足りない。

 もっとだ。

 もっともっと。

 先の領域は険しく遠い。

 その先には、まだ足りない。

 だが、絶対に辿り着けるはずだ。

 何処まで成長するのか、何者になるのか、唯見てみたい。

 

 

 

 

 ――07:30 日比谷公園――

 

 シヴァが本気を出した。

 レベルが上がる訳ではないし、アプリ上に記載される数値に変化が出ることもない。

 シヴァに比べてヤサカの方が遥かにレベルは高い。

 ただ、空気が変わった。

 それに合わせて悪魔人間の挙動が変わるが、全てが遅かった。

 人型としての殻、悪魔としての泥、すべてが切り刻まれていく。

 どれだけのマグネタイトを保有しているのか、シヴァの能力を持ってしても終わりが見えない。

 だが、それが良い。

 余すことなく修練を積ませることができる。

 人間には永劫届かぬ高みから、何処まで付いてこられるのか。

 試してみたくなった。

 

 数百戟。

 振るった後に随分と遅れて結果が付いてくるほどの神速。

 次から次に悪魔人間は裁断されるが、それでも尚も追い縋る。

 再生を速める。

 物理への適応を高める。

 見切りを付ける。

 ただひたすらに。

 見ているだけでも満足できそうな速度で技術が高まっていく。

 始まりは戦で学んだであろう我流の肉体の動かし方、褒めるところなど殆どなかった。

 今は違う。

 無駄の一切が排除された体捌き、流れるような攻防への体幹、武術を修めた者特有の勝負勘。

 全てが備わり始めていた。

 このたったの数分で。

 人間では決して生きることのできない殺戮空間が、悪魔人間の成長を促し続けている。

 

 人間賛歌を謳う悪魔がいた。

 内心で馬鹿にしていた。

 人間など下等で、眼中にすら無いものだと。

 今は違う。

 なんと素晴らしいことか!

 シヴァには何度目かわからない本心からの感動だった。

 視界の隅で輝く槍を投擲した悪魔憑きの女の姿にも、やはり感動した。

 たった数日現界しただけで、命を糧に悪魔を身に宿す覚悟を持った者が二人も祭りに参加しているのだ。

 しかも一人は二度と人間に戻ることは叶わないほど魔人の域に進む覚悟の持ち主。

 もう一人は未熟であるが、着々と悪魔の浸食が進んでいる。

 シヴァは歓びの声を何度も挙げる。

 身も心も歓待してくれているこの信者たちの覚悟に。

 

 もっとだ!

 さあ、もっと!

 血が沸き、肉が踊るようにマグネタイトが高ぶり、猛る!

 人の身を捨てて立ち向かう悪魔人間に更なる修練を!

 

 

 シヴァは最初から最後まで祭りを楽しんだ。

 不満があるとすれば、名だたる英雄か怪物になれた素質のある人間がこの時代に生きていたこと、己の分霊に有るマグネタイトが少ないために全力が出せないことだろうか。

 それでも、愉しめたのは確かだった

 

 

 

 

 

 

 ――07:37 日比谷公園――

 

 苛烈さが増した、イオがわかるのはそれだけだった。

 ブリューナクを放った、だが何も変わっていない。

 シヴァは本気ではなかった。

 ヤサカはさらに学習している。

 互いを高め合うように、何処まで強くなる。

 自分はどうだ。

 ただ、置いて行かれるだけだ。

 鼓動が強く感じられる。

 

 まるで眼中にないとでも言うのか、放置されたままだ。

 戦うに値しない限り、手を出すことは許されない。

 立ち止まったままでは観客と同じ、ただ間近で見られる特等席にいるだけになってしまう。

 見ているだけでも成長に値するのかもしれない。

 だが、それでは遅い。

 自分はもっと進むと決めた。

 両親の死を胸に抱き、自分の死を乗り越えた。

 それでもヒロの隣は遠かった。

 的確な指示を出すことも出来ないし、仲魔の従え方も上手くない。

 ハーモナイザーによる強化を受けたとしても、仲間はみんな同じことができる。

 折角の悪魔とのシンクロも、ヤサカには全てで劣る。

 自分には何もない。

 何処かで特別な能力を、技能を持っていなければ、並んで歩くことはできない。

 あれに追い付かなければ、必死に追いかけなければ、諦めることになる。

 それは嫌だった。

 

 「ティコ、もっとルーグを降ろすから。手伝って」

 

 携帯電話へと呼びかける。

 覚悟は出来ていない。

 だが、思いは強い。

 

 『残念ながら陣内様とあちらのティコにより許可されておりません。それでも行う場合、ルーグの解放となりますが』

 

 「いいよ。わかってる。全部やって、お願い」

 

 ルーグは現在、携帯電話に仲魔として保存されている。

 アプリを起動し、操作することで身に宿している。

 ヤサカのティコがアプリの全てを握っている現状では今のルーグの浸食は見逃されているが、さらに深めれば強制終了のような措置を受けるだろう。

 過保護だと笑いが零れそうになる。

 だが、アプリを無視してヤサカのように身を捧げることで、ティコによる影響は無くなる。

 暴走に似た状態になるだろう。

 魔神の力は、イオという器に納まり切らない力を発揮するはずだ。

 失敗すれば死ぬ、半端に成功しても悪魔となる。

 どれだけ抑制できるか、祈るほかない。

 

 『それでは、悪魔に魂を乗っ取られぬようお気をつけテ……』

 

 それを最後に身を焼くような、魂を汚すような、悪魔による汚染が始まった。

 掠れる意識で辛うじて見えたのはヤサカの影に包み込まれる自身と、アプリが強制終了した様子だった。

 

 

 

 

 ――07:38 日比谷公園――

 

 イオが東京組に混ざって行動しているのは争いが苦手だから……だけでは、もちろん無い。

 今日まで共に戦い抜いた面々で争うのを嫌ったが、ヒロの隣を歩けるようになりたいという理由が大きい。

 ヒロと合流して今日を過ごせば確かに物理的に歩けるだろう。

 しかし、イオが求めているのは精神的に寄り添い合うことだ。

 現状で最もヒロに近いのは、誰か。

 それに近づかない限り、乗り越えない限り、歩める道理は無い。

 そう思っている。

 つまり、自尊心と嫉妬による兼ね合いの問題だ。

 

 ヒロに近づくことは難しいことも理解した。

 最初からわかっていた。

 そもそもの付き合いが違い過ぎる。

 輝きに眩んだ自分では、張りあう権利すら無いのだろう。

 それでも諦めたくはない。

 決意した自分を否定することになる。

 それだけは嫌だった、自分の気持ちに嘘はないのだから。

 地獄の業火に焼かれることになろうとも、それでもあの輝きに憧れている。

 

 

 

 意識が浮上する。

 そんなイメージだった。

 気分は悪くない。

 満たされたような昂揚感すら伴っていた。

 腕を振るだけで、イオを拘束していた影が吹き飛んだ。

 

 影から飛び出したイオが見た世界は、全てが変わっていた。

 大地を焼き尽くす煉獄はまだ存在している。

 だが、それよりもさらに深く深く、イオには見える。

 淡く緑に輝くマグネタイト、その魔力光が今のイオには視えている。

 

 煉獄はシヴァに巡っている魔力の物、同じ色だった。

 空を覆うドームや煉獄の下に這いずる影、ヤサカらしき泥から伸びている物と同じ色だった。

 見えなかったものが見える。

 わからなかったものがわかる。

 色鮮やかで力強い世界、これがきっと悪魔の視界なのだろう。

 

 ヤサカを解析したことがある菅野史――フミが言っていたことをイオは思い出した。

 彼は美しいらしい。

 その時のイオには理解できなかった。

 だってヤサカは怖い、雰囲気やその様が。

 ヒロと違って暴力に満ちている。

 だが、今は違う。

 フミとは違う目線だろう、しかし、イオにも美しいことが理解できた。

 ヤサカを構成するマグネタイト、その光は何よりも流麗だった。

 シヴァと見比べることで輝きが増しているように感じた。

 無駄だった動き、乱雑な力の流れ。

 それが瞬く間に変化する様からイオは目が離せない。

 ルーグの力を抑えておける時間は残り短い。

 それでも、見ていたくなるほどの魔性。

 

 ヤサカの流れを真似するように、イオは繰り返し魔力を練る。

 理想像のように上手くはいかない。

 それでもイオは満足だ。

 近づいていることが実感できた。

 今まで直視することが叶わなかった眩い光、その光源に近づきつつある。

 自分のための輝きであるかのようだ。

 胸の高鳴りとともに、荒れ狂い、それでいて透き通るように流れるマグネタイトに混ざる。

 シヴァもヤサカも、拒みはしなかった。

 

 

 

 

 ――07:40 日比谷公園――

 

 戦いがこんなにも楽しいとは、力に満たされることがこんなにも気持ちいいとは、思わなかった。

 シヴァの笑い声が聞こえる。

 イオも笑いたい気持ちもあるが、それ以上に必死だった。

 手加減されているであろう一撃が、イオには致命傷成り得る。

 凌ぐだけでも精一杯だが、それすらも愉しかった。

 

 力を振るうことが愉悦に繋がる。

 壊すことが、壊されることが、楽しくてしょうがない。

 もっと力が欲しい。

 求める心が迸り、ずくんと頭の奥が疼いた。

 それが隙となった。

 流すこともできず、影が起こした暴力によって弾き飛ばされた。

 

 

 

 頭部が強く揺らされた。

 割られていなかったのが奇跡だった。

 いや、ヤサカが自分を殺すはずがない。

 当然の結果だと思い至る。

 頭の奥が痛む。

 そして、思い出した。

 戦いを楽しむために来たのではないことを。

 必死に理性でつなぎ留めよとするが、戦いの快楽を求めてしまう。

 なんだか魂が乾くようだった。

 

 ルーグの浸食が深いのだろう、なんとなくそう思えた。

 アプリは止まっている。

 すでにイオが止まることはできない。

 止まる気は無い。

 輝きを手にするために、進み続ける必要があった。

 遠く離れていたはずのヤサカに近づけている。

 だからこそ、追い抜く。

 今日、此処で。

 

 

 

 

 ――07:40 日比谷公園――

 

 延焼を起こしていた炎が消え、シヴァが持つ三つ又の鉾が太陽の如き輝きを放つ。

 イオの強化された肉体ですら、悪魔が混ざった魂ですら、燃え尽きそうな熱を感じる。

 シヴァが一度、ヤサカへと振り下ろした。

 眩く、そして強く輝く。

 鋭利な鉾が、込められた熱が全てを焼き尽くす。

 裁断された焼け焦げた地面は断層が覗いている。

 ヤサカだった影は赤い泥のように飛び散り、蒸発した。

 

 ぐじゅぐじゅと足元が流動する。

 それに連動するように、ドームとして存在していた影が天井から徐々に落下を始めた。

 炎と影の無くなった地面は、全てを吸い取られたかのように砂塵と化していた。

 シヴァは動かない。

 すべての影が集まり、ヤサカを形造った。

 待っていたのだろう。

 イオも待っていた。

 

 ヤサカが金色の輝きを纏った。

 そして、芯から溢れる伊吹のような輝きは、魔力に混ざり、白銀の光となった。

 今までよりもずっと強く、温かい。

 シヴァが笑みを浮かべ、再び鉾を振るう。

 ヤサカもそれに応え、拳を振るった。

 その交差に惹かれるように、イオも飛び込んだ。

 

 

 

 

 

 ――07:41 日比谷公園――

 

 光が晴れる。

 時が止まったような静寂の中でシヴァは崩れ落ち、緑の輝きだけを残して消え去った。

 最初から最期まで豪快に笑い続けていた。

 ヤサカは無傷、イオの放ったフラガラッハを止め、シヴァを倒していた。

 今のイオでは半端なフラガラッハだったが、会心の一撃でもあった。

 

 影のドームはすでに無くなっている。

 強化された感覚と視界でヒロを捉えた。

 ヒロに隣を歩けるように努力する姿を見てほしかった。

 ヤサカに認めてほしかった。

 だから……。

 

 ブリューナクを近距離で投擲する。

 影が貪るように破壊しているが、構わなかった。

 まだ届かない。

 今はまだ。

 それでも進もう、そう決めた。

 

 ヤサカが小さな硬貨を取り出した。

 五百円玉だった。

 親指で弾かれたそれは、強化された目でも捉えきれない。

 回避するにはイオの動きでは遅く、硬貨の弾速はあまりに速い。

 咄嗟の判断で防御に徹した腕が痛みを発する。

 キインという硬貨を弾いた音、そして腕の折れる鈍い音が遅れて聞こえた。

 

 すでに限界までルーグと混ざっている状態で、これだ。

 ヤサカとの果てしない差を感じる。

 それでも戦う。

 諦めるには早いから。

 魔力が収束して傷を治そうとするが、ヤサカはその隙を逃さない。

 

 ヤサカが見せつける様に拳を軽く握る。

 一挙一投足を見逃さないように、嘗てないほどに集中力が高まる。

 拳が霞んだ。

 視えたのは、それだけだった。

 同時にイオは腹部に圧力を感じた。

 距離を無視するほどに速く重い拳圧。

 イオの意識は容易く刈り取られた。

 

 

 

 

 

 ――08:00 日比谷公園――

 

 目覚めたイオを待っていたのは、自分たちの戦いが終わった事実だった。

 悔しさは無い。

 ダイチらには悪いが、納得のいく終わりだった。

 イオは自分がもっと進む必要があることを学んだし、もっと先に行けるとも感じた。

 

 いつかきっと隣を歩くのだと、目標を定める。

 今はまだ小さな歩みだが、着実に近づけているのだと、先ほどまでの戦いで実感できた。

 それまで待っていてくれるだろうか、不安に思ってちらりと視線を向けた。

 ヒロの柔らかな眼差しが、イオへの答えのようだった。

 

 

 

 『戦闘終了、ヤサカの勝利です』

 

 携帯電話の画面にヤサカのティコが映し出され、丁寧な言葉遣いで告げた。

 この映像は全員の元に届いているのか、イオ以外の面々も同様だった。

 ヒロやダイチのティコとは違い、小学生ほどの幼い姿。

 持ち主に似た無表情。

 少女のように幼くて柔らかく、それでいて抑揚のない声に聞こえた。

 

 『お疲れ様でした』

 

 棒読みとも聞こえるはずの声は、少しだけ感情が籠っているようにイオには思えた。

 誇らしげで、甘えるような声。

 イオにわかったのは、対象が違えど同じ気持ちを抱いているからか。

 落ち込んでいる仲間と喜んでいる仲間、対照的な仲間を見比べながらそう思った。

 最期に流れた子供が無邪気に笑っているかのように軽快な電子音を響き渡る。

 その音色は戦いの終わりを告げていた。

 

 

 

 戦いは終わった。

 熾烈を極めた、これまでの自分が試されるような戦いが。

 後悔はない。

 イオが少しだけ気がかりなのは、この場にダイチがいないことだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――08:00 路地裏――

 

 チュールで顔を隠した老婆と、手を引かれる幼い少年。

 彼女らに話しかけられたダイチは困惑していた。

 ただ、ヤサカの後を追いかけて路地裏に来ただけだ。

 それだけなのに……。

 

 「坊ちゃまは貴方に興味を持たれてはおりません。ですが、あの悪魔人間には興味があるとのこと。そこで、哀れな貴方が望むのなら、あの悪魔人間を超える魔人の力を与えようと申しております」

 

 言葉は全て真実だと、なぜか確信できた。

 鼓動が煩い。

 喉がひどく乾く。

 

 「俺は……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――08:00 路地裏――

 

 最初は弱い悪魔が徘徊している程度の、少しだけ汚れている路地裏だった。

 アリスの知らない不思議の始まり。

 今は強い悪魔が縄張りを主張し、人間の体液と悪魔のマグネタイトで染まりきった地獄となっていた。

 そこが無垢な魂を持つ少女の世界だった。

 世界の中心にはアリスだけがいて、絵本だけが彼女を慰める。

 かつて人間だった者が買い与えた、宝物。

 

 最初はアリスがヤサカを引き止めた。

 物珍しさに惹かれて、ティコとの仲の良さに憧れて、拠り所を求めて。

 今はヤサカがアリスを引き止める。

 鏡のように、対照的な図となっていた。

 

 「あら、お兄さん。悪魔になりたくなったのかしら?」

 

 柔らかい笑みを浮かべる。

 少女のように純真な、心からの笑顔を。

 それだけの信頼がある。

 無垢な魂の行方を、アリスは求めている。

 

 ヤサカを首を横に振るう。

 表情は変わらない。

 ティコに見せる笑顔ではない。

 最初に見せてくれた笑顔でもない。

 拒絶を表していることくらい、幼いアリスにもわかった。

 それがアリスの胸に痛みを与えた。

 なぜかわからないが、ひどく寂しい。

 

 「俺は教えにきたんだよ、アリス。人間と友達になることを」

 

 アリスの世界が終わるときがきたのだろう。

 遊んでいた子供部屋から追い出されるように、単純で残酷に。

 風が一陣、吹き抜けていった。

 読みかけの絵本のページが捲られ、閉じることでその物語の終わりを告げた。

 胸元にかけているヒランヤが小さく揺れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ちなみに偵察に出ていた人とかはケータイを破壊されて影に飲み込まれてます。



オリ主
半魔人。人外になりすぎてダイチのティコに人間だったことを否定された。
『地母の晩餐』→『マグマ・アクシス』のコンボでダイチを抹殺……戦闘不能にしようとした。
対ダイチ戦では、相手が死なないようにかなり頑張って手抜きしている。
内心で、正義の味方っぽい演出で登場できて満足している(登場シーンを意識した魔法による背後の爆発など)。
ティコによるバックアップで、アプリによる悪魔の召喚への完全メタである『強制送還』や『アプリ強制終了』が備わったので、人間絶対殺すマンと化した。
一秒間で数十年分くらい濃密な修行をした。
数えるのが億劫になるほど砕かれた。

オリ主のティコ
他のティコと比べてロリってる。
オリ主の悪魔化に付き合うようにひっそりとマグネタイトを溜め続け、高位の電霊的なサムシングにクラスチェンジしてた。
オリ主の魔力に触れた携帯電話をハッキング(物理)できる。
初撃で『地母の晩餐』を放ったので、実は周囲一帯のアプリを強制終了できた。
ヤサカの場合、呼び捨てである。
好感度Max状態の特典に違いない。
自慢するためとアプリの操作は手中であるというアピールにかつての仲間全員を煽るという小技も見せた。


シジマっち
初日から悪魔が蔓延る東京の裏路地で殺伐を友として生きてきたオリ主と自分を比べて落ち込んだりした。
なかなか頑張っているが、ヒロインと化して助け出され、逃亡先でラスボスとエンカウントした。
あまりのレベル差のため、オリ主の魔法攻撃が知覚できず、ただの光としか理解できなかった。
能力が低かったので、オリ主に触れる権利はおろか近づく権利すら得られなかった。
ヒロに一歩として近づけなかったが、まあ、いいやつだったよ。
変遷としては「俺、変わるんだ(キラッ→絶対勝つやでー→おっ勝てそうやん→オリ主こわE→シニタイ→原作主人公にサンドバッグ→俺、何も変わってない……」である。
そして最後に彼は人生の岐路に立った。
坊ちゃまはダイチに興味がないため、贈り物は強制ではないという幸運を噛みしめよう!

イオ
おっぱいが大きくてかわいい。
が、私はフミやアイリ、オトメさんのほうが好き。
できれば今度はお尻とか太ももをじっくりと見せてほしい。
主人公っぽい演出で現れた。
悪魔を宿したのでオリ主に近づく権利は得たが触れられるかは不明。
なんか充実した一時を過ごした。
バーサーカー状態で戦いを楽しんだ変態。
悪魔に乗っ取られかけたので仕方ないね。
戦後処理としてヤサカによってルーグが剥され、アプリにも規制をかけられた。
ハーモナイザーを使えばかなり強くなるので問題ないね。
ちなみにフラガラッハを放とうとしたが実力が足りず、見た目が死亡遊戯に近いパチモンとなった。



ヒロ
強い。
相手は死ぬ。
というか死ぬまで殺す。
ヤサカと作った21体の悪魔を見せびらかしたくてしょうがなかった。
が、叶わず。
ジュンゴとヒナコを2対1でボコッた挙句、ダイチをサンドバッグにするという恐ろしいやつ。
しかも笑みを浮かべたまま。
次はイオにヤサカと作った仲魔を見せびらかそうとした。
が、降参されたので叶わず。
強化状態のイオにじゃんけんで無双できる。

あの方
カヲルと名乗り出した。
アル・サダクなんて名前は無かった。
浮いている。
現実とか物理的にとか、いろんな意味で。

シヴァ
歓待の素晴らしさに感動し、最初から最期まで祭りが楽しめてご満悦だった。
ヤサカとイオが魔人になるということを疑わずに消えていった。

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