実験室のフラスコ(2L)   作:にえる

63 / 134
虹鱒2章

 

 

 プロデューサーとして働くようになってから、十と余年。

 テレビを通して見た、あの華やかな世界に生きることができるのは優れた者のみだと知った。

 金、権力、そして才能。

 スポットライトは万人の物では無い。

 ステージは選ばれた人間にのみ立つことを許される。

 ファンが選ぶのは心奪われた一人だけ。

 絢爛豪華なあのステージも、あの煌びやかなスポットライトも、一握りのためだけに用意されている。

 幻想に栄えるような、眩いステージへと続く栄光の道を歩める者は、才能持つ一握りのみ。

 

 アイドルを輝かしいステージに連れて行く、そんな美しい夢は現実の苛烈さを前にして儚く消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 ―― 1

 

 

 

 

 

 

 

 初めは我武者羅に進めば報われる、そんな希望があった。幼く熱い夢を語る自分がいた。苦楽を分かち合える友がいた。志を共にする仲間がいた。才能あるアイドルがいた。理解ある協力者がいた。

 

 無かったのは、知識と覚悟だった。

 

 登るには時間がかかる。傾斜によっては遠くを見渡すには難しい。それでも必死に登った。仲間たちがいたから、登ることが出来た。苦労して得られた仕事のやりがいと感動は、誇らしさすら覚えることができた。この先に輝かしい世界が待っている。

 期待に膨らんだ夢は、留まるところを知らなかった。

 

 最初は他のアイドルの踏み台として利用された。次は都合のいい道具として。その次は、ただの見世物。自らが望んだアイドル像が、離れていく、穢れていく。

 隙を見せれば、背中を刺された。心を見せれば、踏みにじられた。

 何時かきっと。それでも、何時かきっと……。

 

 そう言い聞かせるように、走り続けた。それでも走り続けて、走り続けて、走り続けて……。

 わき目も振らず、走り続けた。

 その結果が、友は去り、仲間たちを失って、アイドルの心は折れ、プロダクションは潰れた。全てが無くなって、やっと気づいた。居場所は自分で得なければならないと。

 自分の心を亡くし、膨らんだ夢を潰して、気づいてしまった。潰えた夢の残骸に残る一握りの絶望に、生きる術を見つけてしまった。

 おぞましい世界で生きるためには、おぞましさに身を委ねるしかないのだと。

 

 だから真似をした。やられたから、やり返す。

 簡単だった。

 嫌なことをされていれば、覚えていれば、それだけ選択肢は増えていく。

 友情は肥え太るための餌だった。信頼は互いの足を繋ぎとめる鎖。約束は背中を刺すまでの時間稼ぎ。隙を見せた者から喰らった。

 おぞましい世界に生きる己、やはり屍人の如き浅ましさを身に付けた。

 少ない仕事を得るために、互いを蹴り落としながら、汚らしく生きることに執着する。仲間だと勝手に油断した奴等は衆愚に混ざって、ひっそりと怨嗟を呟いているだろう。

 蛆と蠅の湧く腐った肉を啜り喰らうことを知った今、夢は語れない。死肉を食べて生きながらえる身体に、輝きなど一切見えない。

 

 目が眩むような栄華を誇るアイドル業界。強い輝きを放つその世界から離れることができずに蔓延る者たちは、炎に飛び込む虫のようなものだろう。愚かで、無知で、脆弱だ。

 何故こんなにも執着しているのか。生きるためだったら、他にも仕事はある。自他が積み上げた夢の残骸の上に立って、誰かのためとは思えない。そんな疑問を抱くも、すぐに忘れた。真っ黒に染まった心に、ほんの一滴だけ白を垂らしても、黒であることに変わりは無い。

 

 

 

 

 

 

 

 ―― 2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 送られてきたプロフィールに目を通し、男が次々と没箱に入れていく。男は東北地域でも有数、秋田ではトップでアイドル業を牽引しているプロダクションに所属しているプロデューサーだった。

 昔も今も、地域の人々に名前が知られるような、ちょっとしたローカルアイドルを生み出してきた男だ。幾つかのプロダクションを転々と渡り歩き、今のプロダクションにその手腕を買われて腰を落ち着けた。

 能力は己の贔屓を抜いたとしても抜群だと自負しているし、これから更に高まっていくだろう。

 その年季の入った顔は自信と覇気に満ち溢れていた。

 

「十時愛梨、15歳……。全く無いな」

 

 送られてきたプロフィールを見る。そして写真を見て没、項目を流し見て没、何を見ても没。没箱へ放り投げた。

 平均よりも若干整ったスタイルだったが、それだけだ。目に留まったのはそれだけ。顔の造詣も、一般人にとっては可愛いのだろうが、数多のアイドルを見て目の肥えた男には特別さを感じられない。

 無いと呟いたのは、才能か魅力か、それともその両方か。

 成功するアイドルは目を惹きつける輝きを持っている。強い苦みと仄かな甘みの織り交ざった経験から、本物を男は知っていた。後に強い輝きを持つようになる者もいるが、それでも最初から弱い輝きを持っている。

 例えばクラスでも人気者になる人間は、輝きによって有象無象を率いていることがある。そういった者は天性の輝きから大成することが多い。

 逆に虐められている者が輝きを放つこともある。仄かな明かりが、害虫を呼び寄せ、集られてしまう。害虫のせいで腐ってしまうことも多いが、成長しきれば、やはり大成することが多い。

 先ほどの少女には、いや、応募してきた少女たちにはそういった物が一切ない。

 普通に生きて、普通に過ごし、普通に注目されている。プロデュースしても浪費にしかならない。間違いなく成功しない。意味がない。石炭をどれだけ磨こうとも黒く、輝くことはない。

 かなり昔なら体を使って仕事を取る、いわゆる枕営業というやつでも生きていけるアイドルもいた。だが、今はいない。そんな隙を見せれば、他の同業者に叩かれて、無能のレッテルを貼られて藻屑と化す。

 テレビ業界でも同様だった。アイドルの需要が増え、そういった仕事が増えた代わりに、逆に業界は清潔さを極めていった。地方でこれだ。力を至上とする黒井プロダクションが幅を利かせている東京なぞ魔窟だろう。

 そして、アイドルが増えに増えた結果が、本物の天才たちによる実力主義だ。木っ端プロダクションや無名のアイドルには笑えない現実だろう。力なき者は生きる術を持たない、持てない。息を潜めて陰ひなたに存在することすら、許されなくない。夢を語る権利は、天賦の才に付随した。

 弱く才能のないアイドルと共倒れ等、決して嫌だった。情に絆された馬鹿から朽ちていったし、己もそうなるところだった。

 能力のあるアイドルを使い捨てて、残って澄んだ上澄みだけを使うべきだ。可哀そうなどは許されない。

 成功とは無慈悲なものだ。

 生きるためには誰もが必死だ。

 

「次も無し。次も次も次も……。今日も収穫なし、と」

 

 一目で輝きがわかる、成功するアイドルを求めている。こんな地方など踏み台でしかない、自分はここで終わるタマではない。

 東京で成功を納め、喝采を浴びるのだ。その足掛かりは、長い時間をかけて作りあげている。あとはアイドルだ。才能があれば、駆け上がるだけ。

 焦りはない。

 急いてもいない。

 事を逸った愚か者から潰れるから。

 

 自分は踏み台となるべく愚か者どもとは違うのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 ―― 3

 

 

 

 

 

 

 

 努力では届かない領域がある。才能のみが切り開ける道がある。それを知るまでに男は幾度も挫折を味わい、何度も裏切りの応酬を重ねた。今ではその過程も、千金に値する経験と知識を培うための土壌だと納得できた。

 その結果が繋がった。

 数多の夢の残骸を積み上げて見つけた、輝きだった。

 一目でわかるほどの才能を持つアイドルを得ることができた。それも七人も、だ。

 男にとって、それは有り余るほどの幸運だった。大手プロダクションでもこうはいかないだろう。

 東京での活躍、自分に送られるべく喝采、凡人たちの羨望の眼差し。男の妄想は膨らみ、欲が際限なく湧き出す。それほどまでに期待を持つことのできるアイドルたちだ。

 そのアイドルたちは個性豊かで、手綱を握るのも一苦労だ。素性を調べればいじめる側、いじめられる側、常に注目される側、日陰でひっそりと過ごす側。纏まりなんて一部も無く、見事にばらばらで、たったの七人しかいないグループで派閥まで作り、ちょっとしたことで争いを始める。

 成功しかしていない人間と失敗しかしてこなかった人間が鬩ぎ合い、モチベーションの維持に難儀する。ミーティングの調整すらも難しいくらいだ。

 だが、その輝きを存分に発揮するためだと思えば男は我慢できた。いや、必要なことだとすら思っている。

 レッスンとボイストレーニング、トーク技術、etc。必要な技術を身に付ける数か月の期間を課した。その間、絶え間なく文句を吐き続けている。仕事がやりたい、待遇が悪い、グループの誰それが気持ち悪い、もっといいスタッフを……。しかし、愚痴のほとんどを男は許した。増長しきって役に立たなくならない程度までは甘やかす。そして、男は言葉で弄し、文句を宥めすかし、レッスンを続けさせる。世に披露するには、もっと練度を高める必要がある。

 逃してはならないとプロダクションの誰もが思う程の才能だ。逃してしまえば男が築いてきたプロデューサーとしての地位すら危うくなるだろう。

 こいつらも恐らく理解している。才能があるから許されている、男にプロデューサーの能力があるから我が儘が言える、地方でも大手のプロダクションだから留まっている。

 小賢しい小娘たちと利益を追求する男の、損得によって成された関係だ。アイドルとプロデューサーなど、冷え切っていようとも成功すれば問題ない。互いを利用し、利用されるだけの、協力者だ。男はそれでいいと思っている。小娘どもも同様だろう。

 

 

 

 

 

「おっさーん、あたしもう飽きたー」

 

「私もー」

 

「いや、君たちね……。初めてまだ5分も経ってないでしょ。頼むから頑張ってよ」

 

「えー? あたしもう完璧だし、ね?」

 

「ねー。ま、覚えの悪いのもいるみたいだけど」

 

 幾ら才能があろうとも、小賢しいといっても、十五から二十歳の年頃の娘たちの集まりだ。このように、ただステップを覚えただけで調子に乗る。それでも何とか言い聞かせてレッスンに戻す。男は不満を心の裏側に抑え込む。確かに覚えはいいだろう、覚えだけは。丁寧に繰り返しているからか、技術面ではステップの覚えが悪い娘のほうが良い。

 虐げて満足する。虐げられないように必死になる。循環としては悪くない、はずだ。

 互いに距離が離れている今は放っておいても問題ないだろう。だが、精神ケアも何れは必要になる。こいつらは、勝手に喧嘩して、勝手に傷ついて、勝手に迷惑をかける。面倒が面倒を呼び寄せる。

 こいつらの我が儘を七年だけ我慢すればいい、と男は自分に言い聞かせた。七年で、アイドルアルティメイト(IU)の予選を突破できるほどに成長する。いや、この才能なら五年ほどかもしれない。

 そうなれば、アイドルアカデミー(IA)の部門賞も夢ではなくなる。男のホームであるIA北東地域の部門賞である『SNOW WHITE』、一度たりとも手が届いた試しはない。ホームだから推薦を得ることはできる、だが、それだけだ。能力が、才能が、力が、何もかもが何時だって足りなかった。男のプロデューサーとしての能力を疑問視する声もある。

 だが、IUとIAが届く位置にさえ立てれば、男のプロデューサーとしての能力を疑う者はいなくなる。小娘どもは、男にとって誰もが傅く未来のための道具だった。

 ローカルアイドルで成功できた者はほどんどいない。裏を返せば、成功したアイドルを輩出できれば誰しもが注目するようになる。男のプロデュース能力を飾りたてる装飾品へと変わるのだ。

 地方で成功してしまうと、そこで満足してしまう。低い山の頂上、貧しき頂点、貧者の王だ。大海を見ぬまま、井戸の底で踏ん反り返る。競う相手のいない微温湯で、自らを磨くことを忘れるのだ。

 小娘どもにそんなことは許さない。小さな栄光に浸る余裕は与えない。地方でも有数の番組を足掛かりに、東京へと向かう。男の力を認めなかったプロダクションが乱立する、あの忌々しい東京へ。

 地方は保険程度だ。それも万分の一、いや、億分の一にでも失敗したときの保険。東京へ行っても振り返る必要はない。

 ここが拠点で、ホームだ。ほんの少し戻るだけで、力を見せるだけで、才能あるアイドルを欲しがって傅き媚を売る。

 結局、地方なんてそんなものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 ―― 4

 

 

 

 

 

 

 

 七人のアイドルから希望を見出し、レッスンを積ませて半年。地方で人気の番組で顔を売ること、さらに半年。そして、長い年月をかけて作り上げた縁で東京への進出を果たした。まず成功だと言って良かった。

 あたかも東北活動を続け、人気があるかのように演出した。流行好きな人心の掴みは完璧だった。あとは少しずつ結果を出して、東京に根付き、隙を見て喉元に喰らいつく。今は雌伏の時だ。

 

「あんな感じのにはなりたくないよね」

 

「必死に人気とろうとしてみじめだもんね。さっさと諦めたらいいのに」

 

 これからの事を逡巡していると、仕事帰りに伴っていたグループのうちの二人が口を開いて何かを嘲笑していた。見下すのが好きな二人の格好の獲物。想像に難しくない。嗤う先に視線を向かわせれば、野外のライブバトル会場だ。それほど離れていない場所なのに、歓声が聞こえてこない。全くといっていいほど人気のないアイドル志望なのだろう。思った通り観客は疎らだ。

 さらに言えばあの会場は、どこのプロダクションも保有していない空白地帯。維持費のために参加費が取られるので、能力のある者はここに来ない。自ら向かうか、プロダクションが保有する会場に行く。保有されている会場は事前のオーディションに勝ち抜けた者だけ。だから、あそこに居るのは夢を見る権利すらない弱者だけだ。

 

「あれれー、おっさーん。あんなんに興味あんのー? うさぎの耳に、メイド服? きっも!」

 

「えー? マジで? 趣味わるっ!」

 

「ちょっと辞めなさいよ」

 

「あ”?」

 

「出たよー、出た出た。偽善ちゃんがいつも通りで安心しちゃったー」

 

 才能に増長している二人の喋り方は、不思議と人を苛立たせてくる。それに反応して、真面目なメンバーが注意を投げかけたが、逆に火種となったようだった。口うるさい争いが始まった。全員、仲が良いようにテレビ撮影では見事な猫を被っていることに心配すればいいのか、安心すればいいのか。

 声が大きすぎたのか、テレビで見かけるアイドルだと気付かれて囲まれてしまった。当分抜け出すことはできないだろう。人気が出ていることを実感できるが、衆愚に囲まれる面倒は頂けない。

 見事に猫を被っていなす小娘どもや集ってきた野次馬を無視して、ライブバトル会場に目を凝らす。可哀そうに、残り少ない観客もきっといなくなっただろう。夢見る愚者が潰れるところは見どころだと期待したが、変わらずに孤独のままに笑顔を振りまいている。ダンスも歌も目を見張るような部分は無いが、メンタルは強いらしい。一人で頑張る者だと思ったが、一人だけ残っていた。学生服を着た少年が、ステージ前でずっと応援し続けている。ステージで踊っているウサギ耳を付けたメイドに一喜一憂していた。ステージのすぐ傍で、魅力のないアイドル志望を見て何が楽しいのか。どう頑張ってもわからない。こちらには本物があるのに。

 気づいていないのだろうか。そう思っていると、少年が騒ぎに気付いたのか、こちらに視線を向けてきた。すぐにでも駆け寄ってくるだろう。そうなると、ステージの上のアイドル志望は潰れてしまうかもしれない。残っている一人の観客で、必死にモチベーションを保っているはずだから。

 野次馬が集まりすぎて、そろそろ煩わしくなってきた。彼が駆け寄ってきたら注意して散らそう。物好きな観客があのステージの前に戻って、本物と偽物の違いに失望の視線を浴びせたらどうなるか。その前にみんな満足して帰ってしまうか。もしかしたら、あからさまにがっかりした表情を浮かべるかもしれない。ステージの上のあの笑顔がどのように歪むのだろうか。悪いことをした。いや、夢を見る無意味さを教えると考えたら良い事をしてしまった。思わぬ善行に、頬が吊り上がる。

 だが、望んだ結果にはならなかった。少年がこちらに向けたのは、まるで汚物を見たかのような表情だった。そして、煩わしそうに睨み、溜息を吐いた。その顔の不機嫌さを表現する術はこの世には無いと思わせるほどだ。無理に表現すれば、肥溜めで泳ぐゴキブリの死にゆく様見送ったかのような、そんな表情をこちらに向け続けた後、応援に戻った。不機嫌など無かったかのように、メイドに笑顔で手を振られただけで、少年は子供のようにはしゃいでいる。

 あの少年の両極端な反応が気になって、自分のアイドルと向こうのアイドル志望を見比べる。改めて検分する必要すらないほどの差が、歴然と存在している。それくらい一目でわかる。集まって来た野次馬にだって理解できているだろう。

 気にする必要なんて無かった。向こうのアイドル志望に才能なんて一分とないだろうし、観客の学生も見る目がない。可哀そうなほど、才能の無い集まりだ。あちらとこちら、その隔たりには、ちょっとした才能が存在している者だけが選ばれる溝が出来たかのようだ。二人の道化、そんなタイトルすら付きそうだった。

 ああ、なるほど。

 わかってしまった。

 有る者と無い者の差だ。

 きっと、才能の無い者同士で通じる物があるのだろう。

 

 富める者に、貧者の気持ちはわからない。

 

 

 

 

 

 

 

 ―― 5

 

 

 

 

 

 

 

 仕事は順調だった。細心の注意を払う、前のようなヘマはしない。現場入りしてから限られた時間の中で、番組を作っているスタッフへの挨拶周りを行う。優先順位はカーストでいう、上位から順々に。相手が偉ければ偉いほど、時間をかける。覚えが良ければそれだけで仕事が増えるから。

 今回はディレクターにも何とか挨拶できたが、毎度上手くいくことはない。相手が機嫌の悪い時など、言葉を間違えたら無視するよりも酷い結果になる。一人一人の機嫌を丁寧に取っていくと、立場が下のスタッフとは何とか顔合わせするのが精いっぱいの時のほうが多い。アシスタントディレクターとは軽く挨拶するだけだ。どうせ仕事の辛さに辞める。更に言えば、あと数か月もすれば頭を下げる立場が入れ替わると確信しているのも関係していた。それだけのアイドルとしての能力を持つ小娘たちだ。人気さえ出てしまえば何をしても許される。挨拶周りだって、もっと楽になるはずだ。だからこそ、なるべく時間の浪費は抑え、効率よく進めなくてはならない。

 小娘どもの機嫌だって取る必要がある。プロダクションから連れてきたマネージャーたちは、モチベーションの維持ひとつ熟せない。いや、機嫌取り以外の能力も足りておらず、全く役にすら立っていない。役割は、一人一人を追って歩くだけのタイマー機能付きスケジュール帳程度だ。こんな無能を曝すマネージャーに、重要な仕事を任せられるはずが無い。仕事が増え、それに比例して時間が必要になる。

 これからの仕事などを、メモ帳を眺めながら改めて整理しているとエレベーターが止まった。扉が開いたので、乗り込む。先客は三人。346プロの俳優とそのマネージャー、そして学ランの少年だった。

 

 「お世話になっております。今日はご一緒させていただけるという話なので、うちの子たちも喜んでいまして」

 

 「いえいえ、こちらこそお世話になってます。最近では一番有望株のアイドルとのことで、こちらとしても有り難い話です」

 

 控室に挨拶に行く予定の俳優には会釈だけで済ませた。そして、相手のマネージャーと軽い挨拶を交わす。小娘どもが喜んでいるなど嘘だ、すぐに下に見る相手だと侮っている。相手だってただの社交辞令だろう。東京を本拠に置く大手の346プロダクションからすれば、掃いて捨てる程度の木っ端にしか見えていない筈だ。

 細々と表面だけの会話を続ける。なんとなくエレベーターの進みが遅いように感じる。

 ちらりと視線を目の前のマネージャーから逸らす。見えるのは俳優と少年がA4サイズの紙を前に、真剣に話し合っている姿だった。老眼用なのか、紙に書かれている文字は大きく、ちょっとした写真や絵もあった。中には小娘どもの写真も貼ってあり、細々としたメモが記載されている。

 目的の階よりも下でエレベーターが止まり、俳優と少年が出ていった。控室へと向かったのだろう。ならば少年はマネージャー見習いだろうか。

 

「そういえば今出て行った彼は?」

 

「ああ、夏芽くんですか。社長の知り合いらしくて、今はアルバイトとして働いてくれてましてね。いや、まだ半月足らずなので仕事もできないのだろうと全然期待していなかったのですが。どうしてなかなか上手くやってくれまして。最近なんて……」

 

 346プロのマネージャーの話が入ってこない、右から左へと通り抜けていく。先ほどの少年は、どうやら美城社長の知り合いの子らしい。金持ちのボンボンか。アルバイト感覚で346プロで仕事できるとはいい気なものだ。

 自分を必要としなかった大手プロダクションの一つ、そこで遊び半分で仕事をする少年。必死に駆けずり回って地方のプロダクションで働く自分。忌々しさに、我を忘れて舌打ちしそうになるのを、力強く拳を握りこんで抑え込んだ。

 再びエレベーターが止まった。

 

「……さんも気難しいんですけど、機嫌が良くて有り難い話ですよ。夏芽くんが作った資料を読むと他番組の特徴とかもわかりやすいらしくて他の演者さんとの会話の幅が……。あ、私はここで降りますんで。また後で」

 

「え、ええ。また後でよろしくお願いします」

 

 346プロのマネージャーが去っていく。あのマネージャーだって、自分より遥かに若く、能力があるようには見えない。少年と同様、コネクションによって働いているのだろう。そんな人間たちを、手厚く管理すべき商品の近くに置いているという事実に苛立った。

 無機質な音が響き我に返る。手から強い痛みを感じた。思ったよりも強く握りこんでいた。何を感情的になっているのだ。美城の底が見えて、なんて様だ笑えるだろうと。ゆっくりと開いた掌には血が滲んでいた。

 エレベーターの扉がゆっくりと開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―― 6

 

 

 

 

 

 

 

 月に一度、連携している連中と酒を呑む。表面上だけの信頼を深めるのと情報交換を兼ねた集まりだ。才能の溢れるアイドルたちが鎬を削る東京での仕事を単独でこなすのは不可能だった。自分たちと同じように出てきた、地方のプロダクション自慢のプロデューサーと連携を取る。決して綿密な連携ではない。互いに協力し合って隙を探す、それだけの関係だ。

 注文を待っている間に、中年の男が遅れて入ってきた。最も視聴率の高い局に勤めているプロデューサーで、構想している番組の数字も高い。各々が挨拶を告げると、男は面倒そうに手を振って適当に挨拶を返し、ゆっくりと席についた。

 それから数分と経たずに頼んでいた酒が配膳され、それを手に取って乾杯する。酒に毒は入っていないが、一人一人の心根には毒が深く隠れているだろう。この集まりでは杯を酌み交わすことだけでは、信頼足りえる証明にはならない。

 番組プロデューサーによる統制がぎりぎりとれている、腐肉を漁るハイエナやジャッカルのようなもの。群れのような関係を維持できているのだって、縄張りを荒らさないからだ。

 利益という餌を上手く得られている今は穏やかなものだ。もっと保持しているアイドルが強くなれば、互いにつぶし合うことになる。来年には何人減っているのか、この会合ではそれも見ものだ。

 

「どうかな、最近の調子は」

 

「まあ、ぼちぼちです」

 

「ははは、その調子でぼちぼちか。なら先はIAかIUだな」

 

「……そうですね」

 

「そうなったらウチももっと贔屓にしてもらおうか」

 

 ははは、と軽い笑みを浮かべながら番組プロデューサーは去っていった。毎回、彼はそうやって一人一人に話しかけて回っている。会合の場を設けているのは自分だと恩を売っているつもりなのだろうか。そうであるなら安く買い叩いてやろうじゃないか。今は精々好きに売って回ればいい。すぐにでも立場は逆転するだろう。

 番組プロデューサーに無理やり絡まれても、暗い表情を浮かべたままの男が気になった。仕事に失敗しても、次があると張り切るような男のはずだった。それが店に入って久しぶりに顔を合わせた時から、番組プロデューサーの挨拶周りが行われている今までずっと沈鬱なままだ。

 

「なあ、どうした?」

 

「なんでもない、なんでも……」

 

 放っておいたら酒が不味くなりそうで、声をかけたのは何となくだった。

 こちらに向けた表情には何時もの生気が感じられない。やられたら相手が消えるまでやり返すようなしつこい性格だが、体育会系を思わせる明るさとウザさが同居している男だった。それが、何年も引きこもっていて人と会話したことが無かったような暗さすら醸し出している。返答の声も小さい。大きかった声も、囁くようなか細い声だ。

 

「そんな様子で何でもないってわけにはいかんだろ。何があった?」

 

 隙を見せたら喰われる、そんな思いがあるのだろうか。いや、あるのだろう。だが、気になった。この男がここまで落ち込む理由が。情けないことだったらネタにすればいいし、貸しにして後で大きく膨らませて返してもらうことだって出来る。

 何度か優しく語りかける。

 

「346プロダクション、あるだろ?」

 

 意を決したように男は口を開いた。小娘どもを労わるのに慣れた成果か、男が弱っていたお蔭か。

 

「ああ……」

 

 346……。聞くだけで顔が歪んだ。今も昔も、こちらを馬鹿にすることしかしない。嫌悪を超え、憎悪を感じるようにすらなってきた。思い出すと胸に澱みが溜まる。それでも思い出さずにはいられない。

 あれは四月のことだった。今まで何処のプロダクションも手を出さなかった空白地帯に346が進出した。理由は、アイドル業界に参加するためのアイドル探し。

 346プロダクションといえば著名な俳優や歌手を多く輩出している大手だ。人が集まらないわけがない。行われるライブバトルには社長自ら審査員として顔を出すこともあった。愚かなことに、門扉を広げるためにオーディションすら行わず、自由参加だという。良い機会だと思った、一も二もなく飛びついたとも言える。自慢のアイドルで、会場を掻き乱す。ついでに美城が悔しがる姿も見れると思うと爽快だった。

 情報を集めまわり、スケジュールを調整し、小娘どもを宥め、何とか社長が現れると言う日を狙って飛び入り参加した。ライブバトル会場は、美城社長の審査と本物のアイドルの飛び込みもあって、興奮は最高潮だった。小娘どものパフォーマンスが始まる、そんな直前で美城は離席した。必死に呼び止めても、逸材がいてティンときたのだと言って何処かに行ってしまった。逸材? 此処に居るじゃないか。

 残ったのは、盛り上がった会場と、敵を盛りあげただけでなく実のない仕事でもあることに苛立つ小娘ども、空虚に満たされた他プロダクションのプロデューサーである男だけだった。

 虚仮にされたあれ以来、346には憎しみしかない。

 

「あそこの岡崎って子役上がりに、どうも仕事が流れていてな……」

 

「あの人形染みたやつか」

 

「ああ……」

 

 岡崎泰葉。346の中でも子供用のモデルや子役として売れていた娘だ。冷静な役には定評がある。冷静な役というか感情の起伏が少ない役しか出来ないとも言えた。あまりに早い時期から子役をやらせたせいなのか、人形染みた演技が問題視されていたはずだ。演じられる幅が狭く、子役の売りであるはずの明るい役など以ての外。その影響でテレビでも徐々に見なくなったというのに、仕事が流れるとはどういうことだ。何か失敗でもしたのかと視線で問いかけるが、首を横に振っただけだった。

 

「大きな仕事は問題ないんだが、ちょっとした仕事が気付いたら回されて無くなってきた。どうも、もやもやして嫌な気分になる」

 

 管理を怠っただけなのではないか、そんな思いに駆られる。得られる仕事に胡坐を掻いて、見放されるなどよく聞く話だ。実際、何度か味わったことがある。そういうものは、気づいた時には全てが遅い。だが、何も助言しないでおく。勝手に潰れてくれるのなら面倒な手間が省かれるというもの。残ったパイを掻っ攫う準備をしておくべきだろうか。

 

「ここ数か月で岡崎に張り付いているマネージャーのせいかとも疑っているんだが……」

 

「マネージャー? マネージャー……。いたか、そんなの?」

 

「あれだ、前まで学生服でうろちょろしてた餓鬼だ。確か、前までは346の有名どころに張り付いてて今は岡崎の付き人みたいなことをやってるはずだ」

 

 言われて思い出した。確か、痩躯で背が百七十から百八十センチほどと高めの少年だった。長い髪を後ろで一纏めにしており、伸びた前髪の奥には絶えず笑みを浮かべていた。気質はひどく穏やかな少年だと聞いたが、その目は何処かこちらを見下しているようにも見えて、至極不快な気分にさせられた。最近はこちらが冷たいお偉い方の機嫌取りに駆けずり回っている傍で、アシスタントディレクターやディレクターどもとよく遊んでいていい気な物だと呆れたのを思い出した。アシスタントプロデューサーに苦いドリンクを飲ませて噴霧させても笑って許されていたし、アシスタントディレクターに罰ゲームの予行をやらせていた記憶がある。注意ができない、それほど丁重に扱われるのは……。

 

「あのボンボンか」

 

 思い出して、呟いた。確か遊びでアルバイトをしているという、美城社長の知り合いの子だったはずだ。何処かの御曹司なのだろう。この業界は金持ちの遊び場では無いという気持ちが芽生え、苛立ちが募った。つい語気も荒くなってしまった。

 

「何?」

 

「どうも美城の知り合いの子らしい。遊び半分のアルバイトだと向こうのマネージャーから昔聞いた。あっちの俳優も、ボンボンの話は無視できない感じだったし、役員あたりの孫じゃないか」

 

「そうか、お偉いさんの孫か……。そうだよな。あんな餓鬼に何ができるって話だよな」

 

 少年についての話を伝えると、男は暗い雰囲気を消しさり、豪快に笑い出した。飽きたらいなくなるだろうし、居座ってもいずれ仕事が無くなって不満に思って会社に逃げるだろう。金や権力を使って遊べるのも今の内だ。そこら中から不満が出て、346の信頼とともに消えてなくなるだろう。やはり美城も耄碌したに違いない。笑いが浮かぶ。不安がっていた男と一緒に酒を呑む。不味さなど感じなかった。

 この借りが、後で大きくなって返ってくると思うと、笑みが止まらない。御曹司の無能に乾杯したい気分だった。

 気分を盛り返した男が盛り上げ、珍しく会合に笑いが溢れる。今ばかりは背中を刺される心配は必要なかった。

 次の会合の約束を取り付け、解散する。久方ぶりに、いい気分だった。

 

 

 

 そして、次の会合に、男は現れなかった。借りは返されることなく、男は業界を去った。御曹司は未だに業界で遊んでいる。

 一体何が起きたというのだ……。

 

 

 

 

 





フライドチキンとなる予定の中堅プロデューサー。
4章で不死鳥のごとく甦るであろう・・・。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。