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平均よりも背の小さな、そしてこのことを誰よりも気にしている張本人である少女はイライラしていた。
少女の名前はコルティア、親しい人物はコルトと呼んでいた。
母譲りのサラサラと流れるような柔らかい茶髪が自慢だった。
天真爛漫を絵に描いたような彼女であったが、イライラの原因がすぐそばにあることで普段とはかけ離れた心理状態だった。
悪魔がいることへの恐怖や苛立ちが余裕のない心を苛んでいた。
灰色に近い雑草のようにパサついた白い髪の毛。元から白ではなくまるで黒かったモノが色落ちしてくすんだような濁った白。灰を被っているような印象を受けるほどだった。
普段は顔や髪を隠しているトレードマークといっても差し支えない大きな黒いバンダナは右の二の腕に巻かれていた。
人を殺せそうな、というか殺すのを気を付けているような鋭い視線。まるでこちらの考えをすべて読んでいるかのように錯覚する黒い瞳。
そこにいるだけで空気が重くなるほどの重圧を感じる存在感。
莫大な勇気を振り絞って目を合わせた者に恐怖と絶望を味あわせるために用意されている額を引き裂かれたような大きな傷跡。
読み取ったかのように心を鷲掴みにし、頭に直接語りかけてくるような声を発する口。
その強大な雰囲気とは引き換えに、奇妙なアンバランスさを感じさせる身長が高い以外は普通の体躯。
普段着ている色褪せてボロボロになっている服(リオや先輩が作業服と呼んでいる物)とは違う、悪魔を彷彿とさせる真っ黒な正装に今は身を包んでいる。
魔王にしか見えない。
彼女の嫌いな悪魔がそばにいるが普段通りならば、特になんの問題も生じていなければまだ我慢できた。
そいつがバンダナを外していること、ただそれだけの事だが彼女にとっては重要なことで、そんなことが抑えていた怒りが限界に達しようとしていた。
必死に体の内側から溢れそうになるその感情を抑えるように無言で耐えていた。
視界に入れないように、そして考えないように。
ここまで必死になるほどその悪魔が初めから嫌いだったかといえば、そんなことは無かった。
ただ、トラウマを餌に悪感情が育った。
それだけだった。
憧れのレディア先輩の助手を務められることになり、一点の曇り以外は夢見心地といっても過言では無い日々を過ごした。
親友のリオがバンダナの悪魔の助手となり、時たま手紙を交わすだけになっていたのが彼女の持つ唯一の心配だった。
大丈夫なのだろうか、リオを思い出すたびにその考えは抱くがどうすることもできなかった。
憧れの先輩に相談しようとも、彼なら大丈夫だからと言われ続けなんとか納得していた。
公式戦で出会ったリオの様子はどこも可笑しくなかったが、悪魔に信頼を向けているのは一目でわかった。
思えば在学中からリオはあの悪魔に傾倒していた節があったのだが。
長い時間をかけて仲良くなった親友と短時間で信頼を築いていたことによる嫉妬だったのかもしれないが、コルトは段々と不満を露わにするようになっていた。
リオがなんとか助手を辞めても大丈夫なように掛け合ってもらえないか、と先輩に相談したが怒られるだけだった。
より悪魔を嫌いになったのはその時だったし、嫌悪の気持ちが加速し出すのもその頃だった。
バンダナの悪魔。
それは彼女が入学したときから耳にしていた言葉である。
友好的で明るい彼女は自然と友人が多くなり、またそうなるように努力もしていた。
そして、増えた友人たちからその悪魔の噂を聞く回数が多くなっていた。
耳馴染みになるのもそう時間を置くことはなかった。
何度も聞いていれば親近感が湧く。
それが噂に聞く悪魔に対してだったので好意といったものは無かったが興味はあった。
校舎の何処を破壊した、また謹慎になった、睨むだけでドラゴンがひれ伏した、空を飛んでいた、炎を吐く、空を凍らせた、人を引き裂いて血を飲んでいたなど。
どれもこれも眉唾モノで信じることはなかった。
所詮は噂であったし、性格もあってか悪感情を抱くはずが無かった。
本人と出会い、話すまでのことだったが。
コルトはモンスターが好きだった。
大好きである、と薄い胸を張って公言するほどだった。
親友の制止を振り切って朝まで語っていたいくらい大好きだ。
なぜかと問われれば心辺りはいくつも思いつくくらい好きになる理由に溢れていた。
父がブリーダーだった事も一因だったのだろう。
彼女の気持ちが外に見える空のように曇っていったのは実技の授業が座学に変更したのを聞いたからだった。
モンスターに触れ合うことの出来る実技を心待ちにしている彼女にとって、どうしても納得のいかないことであった。
我慢できずに担当の赤い髪が目立つレックス先生に抗議するも、口を濁すばかりだった。
ただ、伝え聞いた話ではあの悪魔が何かをやらかしたらしい。
不満は募るばかりで、内心で悪魔を呪っておいた。
中庭のベンチに腰かけて空を眺める。
お昼になっても気持ちは晴れなかった。
なんとなく、それどころか雨が降りそうなほどに真っ黒い雨雲が、ごろごろと雷を鳴らしていることすら不快に思えた。
空が一瞬白んで見えたので、雷が落ちたのだろうか。
音の大きさや光からどうやらかなり近かったらしい。
屋内に避難しなければと立ち上がる。
どうせなら悪魔に当たればいいのに、と毒づきながらも頭の片隅でなぜこんなに引き摺っているのだろうとも考えていた。
大きな砕けるような音が聞こえた。
音は徐々に近づき、そして目の前の校舎の一部が砕けた。
悲鳴や叫び声といった騒音が遠くに感じた。
校舎の瓦礫の真ん中には青年が立っていた。
視線はこちらには向いていなかった。
全身が焦げ付き、額から顔まで真っ赤に染まり、その赤は流れるように滴っていた。
ギラついているその眼光はまるで昔見た野良の悪モンのようで、一目でコルトの背筋を凍らせた。
滴っている赤い液体――血液――に塗れたその顔は同じ人間とは思えなかった。
直視するに堪えない別のナニカ。
これがあの悪魔だろうと確信した。
思わず目を逸らすと悪魔は気絶した純正のドラゴンを背負い、腕には華奢な女性を抱えていた。
意識が無いのだろうか、目は閉ざされたままであった。
噂で確実に耳にすることになっていたバンダナは女性に巻かれていた。
不思議なことだが今の今まで気付かなかった。
悪魔の存在感に充てられていたのだろうか。
「待ってください!」
悪魔はまるで何も見えていないかのように通り過ぎようとしたが、道を閉ざすように彼女が立ち塞がったのは半ば無意識での事だった。
授業中止の鬱憤も相まっていたのだろう。
噂だと聞き流していた悪評が頭を駆け巡り、鬱憤と正義感とが合わさって彼女の足を動かしていた。
「何をするつもりなんですか! その人寝てますよね!?」
一応、先輩だと聞いていたので丁寧語で対応したのは理性が抑えていたからだろうか。
無意識に言葉に棘を含めていた。
悪魔は立ち止まり、血を意に介さないかのようにゆっくりとこちらを、見た。
校舎から聞こえていた悲鳴が消えた、そんな気がするほどの静寂に包まれた。
即座に目線を下にずらしたのはほとんど反射のようなものだった。
本能が警鐘を鳴らしたから勝手に下がったに他ならない。
見てはいけないものだと、知らせてくる。
怖い。
その感情を抱くのと、ひゅっという音とともに肺から息が抜けるのは同時だった。
ぱくぱくと口を動かすが上手く息を吸うことが出来なかった。
頭の中が真っ白だった。
気温が一気に下がったような寒気で肌が小刻みに震えだした。
呼吸が儘ならない。
小さい頃に一人で眠るのがなぜか怖かった。
何も見えない暗闇にいることが我慢できなかった。
そんな恐怖を思い出させるような。
それでいて、そんなものは生易しいのだと嘲笑っているようだった。
「……退け」
極度の吐き気。
自分が立っているのか、それともへたり込んでいるのかわからなかった。
顔は多分……いや、間違いなく青ざめているだろう。
呼吸が不規則でがはがはと自分で出しているのか疑うような音を発しながらなんとか空気を取り込む。
たった一言でこの様だった。
悪意に充ちている呪いの言葉そのものだったように感じた。
「……い、……あ」
私の質問に答えろと発したかったがそれも叶わなかった。
限界だった。
意地で立っているだけでは耐えられなかった。
「……この程度なんだろうよ」
意識が途切れる中で聞いた言葉は嘲りのように感じた。
気負いなく歩く悪魔と背を見つめるだけの自分。
悪魔との出会いは途轍もなく苦かった。
その日から彼女はバンダナの悪魔が嫌いになった。
自分を否定されたように感じたその出来事が彼女のトラウマとして残っている。
気付かないほどひっそりと、少しずつ恐怖によるストレスが蓄積していた。
「ポワゾンがまだ来ていないようだな」
あいつの声が聞こえた。
憎悪が燻る。
抑えていたために朧気になっていた意識がはっきりしていく。
不意に会ってしまった目。
必死に勇気を振り絞って止めようとした自分に興味が無さそうな表情。
先輩を慕っていたから。
悪魔を嫌っていたから。
崇拝に近い感情を持つ先輩の家名を聞いたから。
嫌悪する悪魔の顔を見てしまったから。
そんな理由が引き金となって、彼女の気持ちが流れ出た。
「貴方はなんなんですか!!」
あの時と比べれば児戯としか呼べない軽い威圧感。
悪魔は聞こえていないかのように虚空に視線を向けている。
「突然現れて失望したなんて言って!!」
いきなり空から降りてきて、好きなだけ言って帰って。
憧れの先輩がこんなやつの言葉で落ち込む姿を見て。
「期待しないなんて言って!!」
慰めようとしてもコイツが正しいって自分を責めて。
何もできない無力感を味わって、先輩の信頼を見せつけられて。
「貴方がいたから、貴方のせいで……貴方に先輩の何がわかるって、言うんですか……」
先輩の苦しみも知らないこいつが酷く憎くて。
それでも睨みつけることしかできない自分が不甲斐無くて。
先輩にどうしても謝って欲しい。
その言葉がどうしても出てこなくて。
睨み返されるだけで泣き出す自分の弱さが悔しくて。
流れる涙が鬱陶しく感じた。
「これを渡せ」
無様に泣いている姿を見つめながら悪魔が差し出したのはカララギマンゴーだった。
「あなたは、どれだけ私を馬鹿にすれば……。そんなもので先輩の気が晴れるとでも思っているんですか!?」
カララギマンゴーが自分を虚仮にしているように感じて頭に血が昇った。
自分でも八つ当たりだってわかっているけど、止め処なく流れる気持ちに歯止めが効かなかった。
「なら、十分だろうよ」
「何が十分なんですか、こんなもので!!」
「いいから早く行け、あいつの好物だ」
普段の無表情と違い、ときどき嬉しそうにカララギマンゴーを齧る先輩を思い出して頭が冷える。
だから、どうしたのだという思いもある。
「だから、なんなんですか」
「いいから行け 俺からだってことも告げろよ」
だから、謝る必要はないのだと。
心のどこかでこの人は先輩を信頼しているのだろうと理解して。
先輩のことを何でも知っていることを羨ましく思って。
「ついでだ。レッドらしく歩けばいいって言ってやれ」
何も言い返さずに持っていくのは先輩のためだと自分に言い聞かせて。
振り返って持っていこうと歩き出して。
昔よりも悪魔に慣れたのだろうかと思いながら。
「早く行け、チビ」
やっぱり悪魔は嫌いだ。
大嫌いだ。
--2
彼はピクシー族が好きだった。
そして育てている人間が嫌いだった。
理由ははっきりと聞いたことが無いけれど、彼との付き合いは長いつもりだ。
意識してしまうくらいには世話を焼かれたこともあった。
予想は簡単についた。
彼の深い部分にいる妹のことが関係しているのだろう。
それが羨ましく思いながら、内面を出さない不器用な彼のことをこれだけ理解しているのだと誇らしくも思った。
その事が今は煩わしかった。
理解していながら自分が行うことは最低で、最低だとわかっていながらもポワゾンを使わなければならなかった。
知らなかったと言い訳もできないことが更に拍車をかけた。
学校を卒業して、ファームで助手のコルトと一緒にモンスターを育てていた。
設備が綺麗すぎるのは家紋があるからだろう。
逃げた家がこんなところにまで影響するなんて、なんだか滑稽に思えた。
家に帰らない意思を文で送って、それだけで解決したとは思っていなかったが当面は大丈夫だろうと楽観視していた。
公式戦を優勝したことが間違いだった。
もしかしたら出場したことが間違いだったのかもしれない。
静かにひっそりと目立たないブリーダーとして生きるべきだった。
サクラモチの力を示そうなどと思うべきではなかった。
選抜戦の招待状を渡すために、と協会から呼び出しを受けた。
迎えのドラゴンは僕一人で乗るようにとの指示もあった。
おかしいと思いながらもサクラモチが認められたことで、舞い上がっていたのだろう。
協会で一度は見たことのある家紋を持っているブリーダーたちと一言二言の祝いを貰い、招待状を受けとって帰ると泣きながら謝っているコルトがいた。
家からの呼び出しと、サクラモチが連れて行かれたこと。
見通しが甘かったのだと、気付くには遅すぎた。
急いで向かった家で父から告げられたのは一方的な宣告だった。
ポワゾンで勝て、負ければモッチーは消す。
それだけだった。
厳重に警備された冬眠装置の一つにはサクラモチが眠っていた。
どうしようもなかった。
逆らうことができるほど僕は幼いわけではなかったし、自分の家の影響力もわかっていた。
彼に頼れたらいいのにと考えてしまう。
頼ってばかりだったから同等に見てもらうんだって決めてそれほど経っていないのに。
愛くるしく僕の周りを飛ぶポワゾンが憎かった。
家紋は命よりも重い。
父の口癖を思い出した。
家名・家紋の両方を象徴するポワゾン。
大陸対抗戦ほどポワゾンを世に知らしめる威光は無いのだろう。
過去の対抗戦に出場した者もポワゾンを連れて勝利していた。
十分なほどのポワゾン家の地位をさらに強固に、さらに盤石にするためか。
僕には興味のない話だったが関係はしているのだ。
僕の意思は無いものとして、家の誇りが鎖のように巻きついた。
昔から嫌いだった家が今でも僕を縛っていた。
ポワゾンに情を注がず、厳しくトレーニングを積ませる日々。
不真面目ならばさらに厳しく指導した。
いつも感じていたモンスターの気持ちもわからなくなっていた。
ただ、何も考えないようにしていた。
自分が育てたモンスターを失い、家が受け継いだ優秀なモンスターの特権で選抜戦に出場する自分が浅ましく思えた。
呆気ないくらい簡単に優勝した。
サクラモチのように苦戦することも、僕の指示を必要とすることも無かった。
何も考えないようにしていたはずなのに、それが疎ましくて手をあげそうになったとき、彼は現れた。
青い不思議な炎。
ヒノトリ族の特殊派生のはずだが、誰も持っていないモンスター。
ブリーダーの下にいる中ではたった一体しか確認されていない伝説の存在。
火山の守護神でありながらノラモン指定で賞金の掛かっていたフェニックスによく似ている綺麗な羽根。
何処から連れてきたのかは知らないが、一人と一体の姿は様になっていた。
ドミナント。
彼が育成するモンスター。
彼が渇望した、彼を畏れない相棒。
彼の信頼を一身に受ける存在。
それが羨ましかった。
「お前には失望した」
疲れきったポワゾンを一目見て、そう言った。
そして、その言葉に君に何が解るのだと、叫びたくなった。
「もう期待はしない」
彼はそれだけ告げて、ドミナントに乗った。
縋りたかった。
ただ、自分が憎くなった。
彼の思いを真っ向から否定していた自分はなんなのだろうか。
信頼されているのも、期待されているのも知っていた。
自惚れなんかじゃないって自信を持って言える。
だからこその、喪失感だった。
裏切ったのは僕、裏切られたのは彼。
引き止めようとして開いた口からは、何も発することが出来なかった。
言い訳すらできないまま、彼を見送った自分がみじめに思えた。
ファームに戻るまでの記憶が曖昧だった。
コルトが心配そうに声をかけてくれたが、それすらも気にならなかった。
ただ、凄く喉が渇いていた。
水を飲んでも渇いていた。
夜、別の部屋で寝ているコルトを起こさないようにひっそりと外に出た。
カララギマンゴーを右手に持っていたのは渇きによる無意識だったと思う。
空を見上げると僕の気持ちとは裏腹に皮肉なほど澄んでいた。
星空は綺麗な思い出ばかりだった。
きっとこの陰鬱な気持ちも晴れるんじゃないかって期待して、地面に寝転んでジッと見つめる。
マスターの助手になったのも。
彼と霞と天体観測したのも。
ピクシーが飛んでいたのも。
アティ先生とレックス先生の補習を一緒に受けてから、寄り道しながら帰ったときも。
綺麗な星空だった。
少し気分が楽になったように感じて、喉の渇きを思い出してカララギマンゴーをふと見た。
彼にカララギマンゴーを貰ったのも星空だった。
喉がカラカラとさらに渇いていく。
学校が楽しかった。
悩んでもすぐに解決できた。
壁にぶつかってもいつの間にか無くなった。
自分一人の力だと思い込んでいた。
何時も彼は手を差し伸べてくれていた。
気付かないようにこっそりと。
「ねえ、僕は何を間違えたんだろう。教えてよ、ナナシ……」
夜空を眺めながら齧るカララギマンゴーは酸っぱくて、涙が止まらなかった。
残ってたはずのMFの続きとプロットが無くなったんでMFは一回終わりにします。
次は新規のペルソナにします。
たぶんオリジナルにするんで悪魔とか倒して東京が死にます。
時を操る能力にしましょう。
かっこいいなーあこがれちゃうなーせいぎっぽいなー。