実験室のフラスコ(2L)   作:にえる

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いくせい、もんすたー!0

--1

 

私が気付いたときにはすでに噂は学校中に広がっていた。

友人のコルトから聞かなければ私が噂を知るのはもっと遅くなっていたに違いなかった。

それくらい私には友人が少なかった。

 

コルトは明るい性格で友達も多い娘だ。

少し前までなぜ私と仲が良いのかと疑問に思ったほどだった。

少しばかり背が小さいことを気にしているがブリーダーを目指して勉強に励んでいる姿は好感が持てた。

 

「ねぇ、聞いてる?」

 

「え? きゃっ!!」

 

突然、コルトが目の前まで迫ってきていたので驚いてしまった。

考え込んで気付かないんだもん、とくすくすと笑いながら声をかけるコルトに少し睨んでから何の話だったか聞き直す。

 

「……ホントに聴いてなかったんだね」

 

「う……ごめん」

 

話を無視していた私にコルトが拗ねた口調で呟く。

睨んだことの罪悪感もあっていたたまれずに謝る私にまたもくすくすと笑いながらコルトは冗談だと言った。

 

「でも考えすぎる癖は直した方がいいと思うよ。来年の研修で先輩ブリーダーの助手をするでしょ? ちゃんと話を聞かないと、ね」

 

コルトの正論に対して私が出来たのは普段の小さい声を殊更小さくして呟くように気を付けます、と言うことだけだった。

 

 

 

 

 

「なんてね」

「え?」

 

「リオをイジるのはおしまい。反応が面白いからからかっただけだよ? ごめんね」

 

笑顔でそうのたまうコルトにさきほどの事を忘れて怒ろうとしたのだが、ニコニコと笑いながら謝るコルトに言いたいことを飲み込んだ。

 

「それで、何の話だっけ。またレディア先輩のこと? もう100回以上は聞いたんだけどな」

 

「ち、違うよ。まだ100回も先輩の話なんてしてないんだからね!!」

 

「まだってことはそのうちするつもりだったんだ……」

 

「し、しないって!! 今ガッコウで噂になっていることだってば……」

 

レディア先輩とは私たちの一つ上の先輩だ。

成績優秀で容姿端麗、まるで絵に描いたような万能の人。

人気が高く、憧れている生徒は2桁じゃ足りないのだとか、なんとか。

コルトも例に漏れず、先輩のファンであったが私にはよくわからなかった。

 

その憧れの先輩を引き合いに出してコルトをからかう。

先ほどの意趣返しとしては趣味が悪いとは自分でも思うが少ながらず溜飲が下がったようだった。

 

「あはは、冗談だよ。で、噂って?」

 

もう、と頬を膨らませていたコルトだったがその噂を私に話す方が重大だったのかすぐに口を開いた。

 

「バンダナの悪魔がまたやらかしたらしいよ。謹慎だってさ」

 

「バンダナノアクマ?」

 

バンダナノアクマとはなんだろうか。

私が知らないモンスターかアイテムか、判断が付かないところだ。

首を少し傾げながら聞き返す。

 

「リオ……まさかバンダナの悪魔を知らないの?」

 

驚いた、とばかりに目を大きく開きながら聞いてくるコルト。

うん、と何処か気恥ずかしく思いながらも正直に頷いておく。

まさかこの学校にあの悪魔を知らない生徒がいたなんて……と呟いて俯いたのだが、2、3秒ほどで気を取り直したのか一度頷いた。

 

「バンダナの悪。彼はとても我が校では有名です」

 

真剣な表情で話し始めたコルトは少し背伸びをしているようで可愛かったのだが、本人に伝えるとムクれて話が進まないので口を閉じたまま聞く。

清聴、というまさに聴くものの姿を体現しているのではないかと思う程に姿勢を正す。

 

「彼は我々の一年先輩であり、様々な事件を引き起こしました」

 

「そして、謹慎」

 

言葉とともに小さな手を広げて指を交差させてバツを作る。

 

「事件を起こしては、謹慎。事件と謹慎の交差。なぜ退学にならないのかと思うくらいの問題児。むしろ退学にすべきです。私はあの目が嫌いなのです。そもそも……」

 

うんうんと頷きながら独り言に走るコルトを横目に初めて聞いた噂を解釈していく。

謹慎するということはきっと悪い事をしたのだろう。

そもそもこの学校に謹慎なんて制度があったのか。

むしろこんな学校で謹慎するなんて何をすればいいのだろうか。

というかコルトが嫌うなんて一体どんな怖い人なのだろう。

 

最終的にレディア先輩とお昼ご飯を食べるシミュレートをし始めたコルトに疑問をぶつける。

レディア先輩に対してのみ起こるこの態度は、少し……いや、かなりやめて欲しい。

 

「事件ってどんなことを起こしたの?」

 

「私のカララギマンゴーと先輩の……はっ、え、あ、うん?」

 

「聞いてた?」

 

「……ごめんね。ええと、なんだっけ?」

 

「コルトもその癖を直すべきだね」

 

「……返す言葉もありません」

 

先ほど言われたことをコルトに皮肉として言い返す。

小さいコルトが縮こまって居た堪れなそうにする姿は私の心をくすぐる。

妹に対する気持ちに近いのかもしれないが生憎私には姉妹がいないのだ。

心地いいので時々やっているこの癖も意地悪いので辞めた方がいいのかもしれないが、文字通りクセになる。

 

「で、バンダナの悪魔って先輩はどんな事件を起こしたの?」

 

「知らない」

 

「え?」

 

「知らないけど見たことはあるの。あの雰囲気は悪魔そのもので何をするかわからないくらい怖かった。リオも危ないから近寄らない方がいいよ」

 

雰囲気が怖かっただけでコルトが嫌いになるのだろうか。

それとも言葉通り、悪魔のような人間なのだろうか。

でも悪魔なんて見たことがない私には想像がつかなかった。

 

「鋭い目をバンダナで隠しているのはやましい事がある証拠だよ、きっと。あの凶暴なドラゴンや性格の悪いスエゾーを睨んだだけど屈服させたとか。まるで悪魔の所業ね」

 

「……他には?」

 

「あとね、レディア先輩とかシルフィーユ先輩と仲がいいらしいんだけどね。ああ、悪魔に憑りつかれた先輩をどうやって救えばいいのかな……」

 

今、悪魔と呼ばれている一番の理由を知った気がしたのだけれど私の気のせいなのだろうか。

まあ、それでも謹慎を起こしているってことは問題があったからだと考えるのが普通なのだろうけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

バンダナの悪魔の話を聞いてからちょうど一週間がたったある日の夜。

私はテスト勉強で鬱屈していた気分を晴らそうと寮を抜け出した。

門限は疾うの昔に過ぎていたけれども構わなかった。

 

学校の中心、その広場にある時計台に背を付けて座り込む。

まだ冷え込むには早い季節だ。

呆けながら夜空が綺麗だな、と雲一つない空を眺めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よう、少女。もう門限は過ぎてると思ったのだが、俺の勘違いだったかな」

 

「ふひゃぁ!!」

 

誰もいないと思っていた場所で声を聞くなんて思わなかったので奇声を発してしまったが突然聞こえてきたら誰だってそうなると思う。

きょろきょろと周りを見渡しても人影はなく、探していない時計台のてっぺんに目を凝らす。

そこには一人の男が空を眺めていた。

 

頭に過ったのはバンダナの悪魔の話。

奇妙なことにコルトの話に聞いた通りバンダナを頭に巻いていたがそれ以外は普通の青年だった。

これが噂になるほどの悪魔なのだろうか。

ずっと月を眺めていた青年はこちらを見ることは無かったが私の無遠慮な視線に気づいたのだろう。

口元を歪ませながら聞いてきた。

歪ませた、と表現したが不快になるようなモノではなく、苦笑いをしていたのだろう。

が、バンダナで目元が隠れているために歪んでいるように見えた。

 

「……何か気になることでもあるのか?」

 

「いえ、別に。……先輩も門限を過ぎてるように思いますけど」

 

「ああ、なるほど。確かに俺もだな」

 

くくく、なんて愉快そうに笑っている先輩は噂に聞く悪魔の要素など一欠けらも感じさせなかった。

ただ、バンダナのせいで不審者には見えるかもしれないが。

 

「ところで、俺が先輩だとなんでわかったんだ?」

 

「先輩は……有名ですから」

 

確かにな、と納得したのか先輩は口を閉じた。

視線をこちらに向けることは無かったし、会話はここで終わりなのだろうと自然に思った。

 

「一人で女の子が出歩くと襲われるかもしれんが」

 

幾らかの時間が経った頃、先輩が不意に口を開いて発した言葉がそれだった。

悪魔と呼ばれる男がなんて平凡なのだろうか。

思わず笑いがこぼれてしまった。

 

「あはは、先輩面白いですね」

 

「面白かったのか……?」

 

視線は空に固定したままなのだが先輩は私の言葉が理解できなかったのか首を傾げて。

その行動すらもツボに入ってしまい、平静に戻るまで時間がかかったのだが先輩が悪い。

悪いのだとしておこう。

 

「ふぅ、で?」

 

「何が『で』なんだ?」

 

「だから、先輩は私を襲うんですかってことですよ」

 

何を馬鹿な、と先輩言った。

 

「人畜無害であると、俺は思っている」

 

「……事件起こしたり、謹慎したりって話を聞きましたけど」

 

「なら、理解が足りないんだな」

 

「事情は知りませんけど、理解するには難しかったのでは?」

 

くくく、と先輩は笑っていた。

口元を歪めて、悪役の様に。

まさにその姿は悪魔だと思いながら、頭の片隅ではよっぽど人間らしい悪魔なのだとも考えていた。

 

「それでも、理解しろ」

 

本当にこの人はあくま、なのだろうか……?

まるで理解されないことに駄々を捏ねて、自分本位でモノを考える子供のように。

それとも考えすぎて周りからおいて行かれた大人の様に。

もしかしたら、この人は私にはわからない何かを知っているのかもしれない。

でも

 

「……先輩」

 

「なんだ」

 

「ちょっとかわいいですね」

 

「何故だし」

 

少しだけ拗ねたような表情をするこの人と話せて良かったと思った。

噂に踊らされていたらきっと自分では会話する機会も無かっただろう。

ちょっとだけ良かったと、人と話せて良かったとホントに思えた。

……ホントにちょっとだけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「先輩は何を見てるんですか」

 

「空と月」

 

「面白いんですか」

 

「そうだな。まあ、普通だ」

 

「なら、なぜ」

 

「いつもだったら妖精が空を飛んでるんだが今日も見れないみたいだな」

 

「妖精ってピクシーですか?」

 

「知ってるのか、後輩」

 

「……男の子なんですね、先輩」

 

「……何故だし」

 

「だって、ねえ……?」

 

「何が『ねえ』なのか問い詰めたいんだが」

 

「幼気(いたいけ)な後輩をいじめるんですか。悪魔め」

 

「悪魔でいいよ。悪魔らしいやり方で話を聞くから」

 

「……冗談ですよ」

 

「ならば良しとしてやろう」

 

「命の危険を感じたんですけど」

 

「悪魔と話して無事でいられるわけがなかろう、若人」

 

にやりと笑う先輩はやはり悪魔なのかもしれない。

 

 

 

 

--2

 

先輩と話した夜は先週のこと。

今はすでにテストも終わり、結果が廊下に張り出されていた。

優越感や勝利感。

劣等感や敗北感。

心の流れ渦巻くその一角は私が立ち入るのを拒んでいるようだった。

 

一人で行く気にもならず、見ていないという私の言葉に何を思ったのか。

コルトは放課後に一緒に見に行こうと誘ってきた。

断ろうかと思ったが人の少ない時間帯ならと大丈夫だろうと頷いた。

興味があったのも確かだった。

 

 

 

 

 

張り出されているテストの結果は三種類に分かれる。

筆記、実技、総合。

更に細かく分かれていくのだが大きくはこの三つで表される。

 

総合は筆記と実技、授業態度から点数が決まる。

授業態度は教師からの点数。

確か筆記よりも実技が、実技よりも授業態度が大きく評価されるはずだ。

知識よりもモンスターとどのように付き合えるかが重要視されるのはブリーダーを育成するためだろうか。

文字と数字がギッシリと書かれている。

 

新入生向けの説明会でこの表の見方を説明していたのを思い出した。

上から順に優秀な生徒の名前が、その右隣のマス目には各科目の点数が並んでいる。

 

私は筆記でコルトに勝っていた。

普段は僅差で競っているのだが初の快勝である。

嬉しいようで、なんとなく複雑な気持ちだった。

 

複雑な言い知れない気持ちに悩んでいると先輩と会話した夜を思い出したが、きっと私の実力だろう。

そう言い切りたくなった。

だが、そう言い切れるほど私は自惚れているわけでは無い。

それでもただ会話しただけだとも思う。

良い気分転換になったわけだが、それが全部なわけでもないのだろう。

認めるのが悔しいという気持ちもある。

だから、先輩が半分。

私が半分。

そういうことにしておこう。

ここにいない人物のせいで悩む私はなんなのだろうか。

あの先輩を少しだけ恨めしく思った。

 

実技はコルトに負けていたが、総合では勝っていた。

可愛らしく悔しがるコルトの頭を撫でたくなったが触らぬコルトになんとやら。

わざわざ怒らせる意味も無いのだ。

 

コルトがレディル先輩の結果を見に行ったので着いて行くことにする。

筆記の結果。

一番上は空白で、マス目に数字だけが書かれている。

100がずっと続いてときどき50を見かける。

その下にはレディア先輩の名前。

そしてずらずらと並んでいるが同級生とすら親交の浅い自分が知っている名前は無かった。

そして時々見かける空白。

……下の方にあったシルフィーユという名前については何も言うまい。

 

「あれ、おかしいな?」

 

コルトがレディア先輩の名前を見ては満足し、見ては満足し、を繰り返しながら実技と総合を見終わってこちらに歩いてきたのはそんな言葉とともにだった。

 

「ん、何か気になることでもあったの?」

 

「だって筆記には取れる最高点が書かれてるでしょ、一番上の名前が空白のところ。でも実技と総合には書かれてないもん。といか私たちのところにはどこにもそういうの無いけど……。なんで先輩の筆記だけ最高点が書かれてるのかなって」

 

コルトは空白のところが気になったようだ。

確かこの空白は配慮のために名前が書かれていないだけだって話を聞いたことがある。

さて、コルトにどう伝えようか。

 

「ええとね、これは……」

 

「これは家名が無い生徒なのよ」

 

「あ……っ! こんにちは!」

 

言葉に詰まっている私の後ろから声が聞こえた。

コルトが突然、礼をし出したからあわてて振り返った。

私の後ろには学長が立っていた。

 

「あ……。こ、こんにちは」

 

「はい、こんにちは」

 

驚いて詰まってしまった私の挨拶にもにこやかに学長は挨拶を返した。

この人が怒っているところを見たことが無いと言われるくらい、いつも微笑んでいる。

男子生徒にもファンが多く、人気も高い。

 

「あの、さっきの話ですけど……」

 

コルトが恐る恐る、といった体で話し始める。

学長など学校にトップであり、凄く偉い人というイメージしかない。

もちろん、私たちとは接点が全くないので緊張してしまう。

 

「ああ、この空白でしょう これはね、一種の配慮なの」

 

学長の説明では実際には生徒の名前があるのだが、書くことは出来ないのだそうだ。

この学校はどのような人であろうとも試験に合格すれば入学できるが生徒の大半はブリーダーやその他の職種の子供だ。

なぜなら、学費が高いから。

この一点に限る。

そんな理由から家柄がお世辞にも良いとは言えない生徒は少数だ。

 

それに反して、私の様に神官の家系やコルトの様にブリーダーの家系、大商人の家系などは家名を持っている。

しかし、少数の生徒は家名がない。

それが大きく関係している。

 

簡単に言ってしまえばプライドの問題、それだけだ。

家名が無い人間を見下している選民主義の人間が自分よりも順位が高ければどう思うだろうか。

好意を抱くことは決して無く、逆に疎ましく思うのではないか。

 

なんとか自分を満たそうと、原因を駆逐するために陰湿な手段や過激な手段を取る生徒がいたために今のようになっているのだとか。

昔と比べれば激減したのだけれど、それでも執拗に狙う生徒が後を絶たないのは悩みところなのよ……努力している子が報われないのはホントに残念ね、と苦笑いする学長に何時もの朗らかな雰囲気はなかった。

 

 

 

 

 

 

「……なんか、ごめんね」

 

「え?」

 

気まずい雰囲気になってしまったのを察したコルトが学長に帰る旨を伝え、跋(ばつ)が悪そうにしていた学長も先ほどの雰囲気とは打って変わって微笑みながら見送った。

学長もこんな雰囲気にするつもりは無かったのだろうが、つい零してしまったのだろう。

 

そんな微妙な空気の中、二人で肩を並べて――コルトは少しばかり背が低いので少し目線が低いのだが――コルトが呟いた。

 

「ほら、リオってテストの張り出し表を見に行かないでしょ? だから興味ないのに気を使わせちゃったかなって。変な空気になっちゃうし、謝っておこうかなって……」

 

「そんなこと無いよ」

 

落ち込んでいるコルトは可愛かったが今以上に気がめいると間違いなく泣いてしまうだろう予想が経験から導き出された。

慰めるのが多分、一番だろう。

 

「興味はあったけどね。人がいっぱいいたから近寄れなかったの、人ごみは苦手だし。それに……」

 

言葉を溜める。

コルトが聞き返すまで溜めるのが大事。

 

 

 

 

 

「それに?」

 

ここで一言。

 

「総合でコルトに勝ってたしね」

 

爽やかな笑いはおまけである。

目的は空気を変えることとコルトを弄ること。

気分的には7:3くらいの割合。

 

「あ、ひどーい! 次は私が勝つんだからね!」

 

ほら、上手くいった。

負けず嫌いのコルトはすぐに引っ掛かる。

ビシッと指を私に向けて指すコルトの様子は気を取り直したようだ。

 

「ならば、早く来い。私の元に追いつくべきだ」

 

くくく、なんて私らしくない歪んだ笑いを見せる。

う、となぜか一歩引いたコルトは顔色を悪くしていた。

 

「……何か悪い物でも食べた?」

 

「ううん、別に。ただ、コルトには負ける気がしないから強気で言ってみただけ」

 

歪んだ笑いをすぐに消して微笑みかける。

慈愛に満ちている表情は優しげな反面、これでもかと言うくらいの高みからコルトを見下ろしているかのような余裕を演出。

先ほどの落ち込みはどこへやら、むぅとムクれるコルト。

 

「リオの悪魔め」

 

「悪魔でいいよ。悪魔らしいやり方でコルトをイジメるから」

 

やっぱり3:7に変更である。

にやりと笑う私は少しばかり先輩に毒されたのかもしれない。

 

 

 

 

 

「……リオのいじわる」

 

ムクれたコルトを無視してテストの結果を思い出す。

実技がすべて0点と総合が圧倒的に悪いビリの空白があった。

なんとなくだがバンダナの悪魔な先輩を思い出した。

たぶん、気のせいだろう。

 

 

 

 

 

 

 

--3

 

 

私は実技が苦手だ。

実技が、というよりも運動全般が苦手だ。

それでも実技が得意なコルトに引き離されないように相応の努力はしてきた。

してきたのだが、超えられない壁があるらしい。

 

その壁とは、モンスターの騎乗訓練だ。

騎乗は得意では無いが構わない。

ただ、ロードランナーが苦手なのだ。

 

周りでは悠々と私を無視するかのようにロードランナーに乗り、走り回っている。

コルトなんて得意な運動と好きなモンスターとの触れ合いが合体しているようなこの授業で高揚しているのだろう。

笑顔ではしゃいでいる。

 

それに比べて私は傷だらけの、土まみれ。

騎乗する(予定の)ロードランナーからは呆れたような気持ちが伝わってくる。

恐怖を押し殺して何度も行うがその度に恐怖で足が竦む。

手が震えて、まともにつかむことが出来ない。

 

諦めようか、こんなに必死になって出来ないなんて恥ずかしい……。

そんな事を思い始め、油断した隙にロードランナーは走り去ってしまった。

 

気持ちを読み取ったのだろうか。

モンスターは殊更そういったことに敏感だと聞く。

 

ロードランナーの後ろ姿を見ながら感じるのは憐みだった。

ときどき嘲笑われている感じもする。

もう辞めてしまおうなんて気分だった。

そんなとき、授業の終わりを知らせる鐘が鳴り響くのを聴いた。

 

コルトが私に気付いて声をかけてきたがそれを無視して走り去った。

穴があったら入りたいくらい恥ずかしく、コルトの優しさを無視した自分を消し去りたいくらいだった。

それでも、あのときコルトに応えて普通にいられる余裕が無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夕ご飯に顔を出さず、門限を超えても部屋に戻らない私をきっと心配しているだろうコルトに内心で謝りながら腰を下ろす。

疲れたからか、それともここが目的だったのか。

いつか先輩と話をした時計台に来ていたのだ。

奇しくも座っている場所も同じであった。

 

先輩も今日はいないだろう、と考えながら闇夜を眺める。

私の心と同じくどんよりと曇って、更に闇を深くしているようで身体をぶるりと震わせる。

そういえば前と違って寒いなどと思っていると空からコートが落ちてきた。

 

半分驚愕、半分納得しながら見上げると前と同じように空を眺めるバンダナ男。

怪人アックマバンダナーこと先輩が時計台のてっぺんに座っていた。

 

「……なぜ先輩がここにいるんですか」

 

落ちてきたコートは先輩のだろうと当たりをつけて羽織ることにする。

断りはいらないだろう。

……偶然、落としたのなら別なのだが。

 

「今学期の俺は毎日空を見上げているのだよ、後輩」

 

「はあ、そうですか」

 

やはり変わった先輩なのだが、彼らしいと思った。

暗かった気分もどこへやら。

こんな単純な自分も悪くないと思ってしまうのは悪魔の力か、人徳か。

不思議な人物だ。

 

「それよりも」

 

「なんですか」

 

「何を世紀末の中、消毒されそうになった顔をしているんだ」

 

「それってどんな顔ですか……」

 

げんなりとしながら言い返すも先輩は変わらない。

変わらないのか変えないのか、付き合いの浅い私にはわからなかった。

 

「まあ、なんだ。落ち込んでるというか、そういう感じの顔だ」

 

「最初から言ってくださいよ。というかよくわかりましたね」

 

「見ただけでわかるのは確定的に明らか」

 

変わった物言いをしながらも先輩は私の心配をしているようだ。

本当に噂とは……私は何度噂と先輩を比べているのだろうか。

それぐらい聞くのと見るのでは大違いな先輩が悪いのだ。

先輩が完全に悪い。

 

「冗談だよ。俺には沢山の弟と妹がいる。つまり、そういうことだ」

 

「……妄想?」

 

「……まあ、なんでもいいけどな。俺の弟と妹たちは我慢強くて自分で何も言わないから表情から察する必要だから、なんとなくわかる」

 

「はあ、そうなんですか」

 

悪魔の弟と妹ってどんなのだろうか。

人を食べる?

火を吹く?

我慢強いってことは普段は隠れ、夜になると人を襲ったり。

でも、そんな事件なんて無かったし。

などと失礼なことをつらつらと。

 

「もしかして、話を聞いてくれるんですか」

 

「聞くだけならな。だが、悪魔のアドバイスは破滅に向かうかもしれない」

 

「……気にしてるんですか、悪魔」

 

「さて、な」

 

にやり、なんて底意地の悪そうな顔をしている先輩にムッとした。

相変わらず空を見上げたままだがどうやら私の動向はわかるらしい。

にやにやと人の悪い笑みがさらに私の機嫌を悪くさせる。

 

が、なぜだか話してみようと思った。

きっとこの人は私を馬鹿にしない。

そんな確信めいた思いが私の中にはあった。

 

「騎乗訓練の話なんですけどね」

 

「ああ、懐かしいな。モンスターに乗るやつだろ。ロードランナーかライガーか……。今は時期的にロードランナーだな」

 

私の話を聞くだけと言いながらいきなり話し出したこの人はなんなのだろうか……。

 

「騎乗は苦手ってわけではないんです。ライガーには乗れました。でも、ですね……」

 

「ロードランナーが苦手、とかか」

 

「っ!?」

 

くくく、当たりかなんて笑うこの人はホントになんなのだろうか。

心が読めて、私の事を見透かしているんじゃ……などと思えるくらいに笑っている姿が悪魔然としている。

 

「ちょうど似たような状態になったやつがいてな、後輩。おまえによく似た状態かも、な」

 

幼少のころにロードランナーから振り落とされたことがあるから苦手になった。

精神的なトラウマの克服は難しいし、必死になっても改善されなかった。

何度も訓練をしたが結局は挫折。

このままブリーダーになれるとは思っていなかったが案の定、壁にぶつかった。

私の必死に挑戦する素行を顧みて、教官は単位をくれるだろう。

だが、本当にそれでいいのかと思っていた。

逃げることになるんじゃないかと。

また、逃げるのは嫌だった。

 

 

 

 

 

 

「そいつはレース志望でな。バトルを諦めたブリーダーなら多々いるが初めからってのはかなり珍しいそうだ」

 

「……」

 

「空のレースで天を目指しているんだと」

 

レースを知らない私でも知っている、ライダーの憧れ。

過酷な四つのレースを制覇した覇者に送られる称号、エデン・ウォーカーに名を連ねる。

わたしたちで言う、名人のようなもの。

そこにたどり着く事を天を目指すというのだと聞いたことがある。

 

 

 

 

 

 

「昔、といっても俺も聞いた話だがな。そいつは空から落ちたことがあったんだとさ。深くは聞かなかったが、死ぬ可能性もあったんだろう」

 

曇った空を眺めながら、語る。

声量は大きくないのだがはっきりと聞こえる。

先輩は何を見ているのだろう。

 

「それでも諦めずに空を目指して。俺が初めて飛んでいる姿を見たときは思わず感嘆の声を漏らしてしまった」

 

この先輩が声を漏らすほどの飛行。

私では想像もつかない素晴らしさ、ということか。

 

 

 

「今学期の初めくらいかな。天気の悪い空だった」

 

トーンが下がったまま話を進める。

思わず先輩の顔を見てしまったが、変わらず視線は曇った空に固定したままだった。

 

「あいつを無理矢理にでも止めるべきだった ただ俺も心のどこかで見たかったんだろう ここに座って、空を眺めて、心行くまで楽しむつもりだった」

 

雷が昔から怖かったが、そのときほど怖いとは思わなかった。

先輩が呟いた。

 

「あいつが光に包まれて、遠くの方で落ちていくのを見た。まるで鎖に捕まったかのように騎乗していたドラゴンとともに墜ちていたんだ」

 

あとは必死であんまり覚えてない。

気付いたらあいつを担いで医療室に駆け込んでいた。

悪魔なんて呼ばれているが、俺なんて所詮はこんなもんだ。

そう自嘲気味に呟く先輩に私はなんて声をかけたらいいのかわからなかった。

 

 

 

 

 

 

「あー、まあ そういうことだ。どうだ、参考になったか?」

 

「いえ、暗くなりました」

 

暗くなった空気を無理にでも飛ばそうとわざと先輩が明るい声を出す。

はっきり言って似合わなかったがそれを言って台無しにするのもあれなので、乗ることにする。

 

「手厳しいな」

 

「……先輩は話が下手ですよね」

 

落ち込む先輩を見ながら内心で喜ぶ。

日頃から募った怨みを晴らせたような気がして少しばかり気分が良くなった。

 

「まあ、慌てるなよ。話はまだ終わったわけじゃないからな」

 

「……終わったっぽかったんですけど」

 

しかもその人が空を飛べなくなったような感じで。

完全に諦めろと言われているのかと思ってしまった。

 

「なあに、まだ終わらんさ。そいつは空が好きだと言ってたよ、療養中もな。でも怖いとも言ってた」

 

 

震える身体を押しながら、実技に挑む姿。

モンスターに触れることすら恐怖。

 

空が好きで、飛ぼうとして、諦める姿。

憧れに手を伸ばして、伸ばせなくなる恐怖。

 

それでも必死に、自分に言い聞かせる姿。

天を目指すと、天に届くようにと。

 

「片羽の妖精が羽ばたいた。今日、俺の見てる前で妖精は飛ぶ。空を見てろ、目を離すなよ」

 

あれのために今日まで待ったんだ、と笑う。

今までの話が全部うそだったのではないかと思う程楽しそうに。

 

「今、この世で最も綺麗だろう」

 

そして一言呟くと雲が吹き飛び、空が晴れた。

丸い月が、浮かんでいる。

 

「魔法使いの俺が言うんだから間違いない」

 

「……」

 

声が、出なかった。

驚きと、その姿に。

 

月を背に空を飛ぶドラゴン。

空が輝いてるかのようにきらきらと。

 

「どうだ、後輩」

 

きっと何時ものように人を食ったような笑いをしているだろう。

それを見るために振り返るのも惜しい気がした。

 

 

 

 

 

ドラゴンは無骨で、凶暴。

そのイメージを破壊して、美しさのみで象ったような。

 

 

 

 

 

「……先輩、ピクシーってモンスターじゃなかったんですね」

 

「あいつをなんで知ってるのかと思ったが勘違いか」

 

「みたいです」

 

「飛んでる姿が妖精みたいだろ、あれ ピクシーって俺が呼んでるだけだからな」

 

幻想的なほどにあのドラゴンは綺麗だった。

 

 

 

 

 

「帰りますね、先輩」

 

「気を付けろよ、後輩」

 

この光景は先輩のためのモノだろう。

何か月も空を見続けた先輩の、かけがえのない幻想。

小さな悩みから生じたお零れで奇跡を得た私が最後まで見るには、あのライダーに失礼な気がした。

名残惜しく思いながらも俯いて、寮に向かいながら言葉を紡ぐ。

 

「……先輩は話が下手ですよね」

 

「そうか」

 

先輩はきっと笑ってる。

 

「……でも」

 

先輩を見ながら言うのは負けたような、恥ずかしいような。

そんな気持ち。

 

「私も頑張ろうと思います」

 

 

 

 

 

もう離れて声も聞こえないだろうところから不意に聞こえた言葉。

 

「お前なら大丈夫。やればできる。俺が言うんだから間違いなんて無い」

 

 

 

 

 

「魔法使いの俺が、ですよね」

 

クスリと笑いながら返事をした。

聞こえていないだろう私の返事。

でも、きっと聞こえている気がする。

だって悪魔のクセに魔法使いで不思議な先輩だから。

普通の人には欲張りだけど、あの人になら許せる。

 

寮に近づくとざわつく感情の流れ。

気付いたんだ。

先輩の心は静かだから、落ち着くんだって。

本当に不思議な人だ。

 

今の私は笑っているだろう。

寮に戻ったらコルトに謝って。

明日はロードランナーに謝って。

また、やり直すんだと心に決めて。

 

 

 

 

 

今でも忘れない。

その日の空は本当にきれいだった。

 

 

 


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