やる気が出たら続きをやります。
今は三千字ないくらいですが、一万から一万五千くらいで収まるかなって。
私は今、船の上にいる。
一昔前に溢れるほどにあった戦準船(戦時標準船)ではない、最新の軍事用船舶だ。今となっては戦準船の評価は散々なものだが、私としては常に磨かれ続けた技術と惜しみない努力の結晶を過小評価することほど愚かなことはないとも思っている。この軍事用船舶の格段に向上した利便性の裏では、戦準船で培った知識が礎となっているのだろう。とはいえ、物資の運搬のみを重視して、快適性を欠いた船のほうが良いとは口が裂けても言えないのだが。それでもあの何も無かった無知で無力な私たちを守ってくれた彼女たちの活躍を無かったことにしたいとも言えない。豊かになって得た癖に不満を抱くのだから人間とは難儀な物である。
補給物資や補充人員、様々な貨物(私や増員の
白波や飛沫が届かない距離にいる護衛の艦娘たちは、私が乗る船を囲むような陣形で水上を走っている。船に乗る際に、私を最も驚かせたのはこの艦娘たちだった。船の発展具合にも十分に驚いたのだが、護衛を担当するという艦娘の豊富な種類と人数を聞いた時には平静を保つことは無理だった。戦艦、空母、軽空母、雷巡、駆逐、そして水中には潜水艦がいるという話で、敵を選ばず柔軟に対応できる。とんだ大盤振る舞いだと度肝を抜かれた私は、ちょうど通りかかった船員に、食ってかかるかの如く一体どんな重要な貨物が乗っているのだと尋ねたものだ。ともすれば答えは呆気ないもので、これが平時の護衛だというのだから、やはり魂消てしまった。実は重要な貨物が載せてあり、秘匿しているという可能性も頭を過ぎったが、実はやんごとなき身分の方でも乗っているのかとも勘ぐった。実際、それならば取材の許可は下りなかっただろう。時代は変わったのか、波に揺れに揺られた乗り心地は決して良いとは言い難い狭く暗い戦準船に詰め込まれて護衛の艦娘が一人か二人といった大よそ安全とは言い難い船旅は、船員の態度から文字通り藻屑と消えたことが読み取れた。
私が一人、多くて二人の傷ついた艦娘に護衛して貰い、情けなさと恐怖に震えながら海を渡るあの頃は何処にも無いのだろう。彼女たちが休憩するために船上に上がるたび、男たちはこぞって心配しながらも歓迎したものだ。船旅に女は凶事をなんとやらと言うが、彼女たちは自分たちが船だと言い、私たちにとって守り神だった。古来より女神を船首に祀る文化だってある。女神なら何の問題も無い。やれ体に大事ないか、やれもっと休むように、などとむさ苦しい男が女々しい言葉で心配するのだから、彼女たちはいつだって苦笑いを浮かべていた。空腹を誤魔化しながら男たち自分の分の糧食や暖かい汁ものを、彼女たちがひもじい思いをしないようにと振舞っていた。貧しく、苦しかった。考えられないほどに発展し、平和になった今もあれをやれというのは耄碌した老害の意見だろうし、そうして欲しいとは思わない。ただ、そう、忘れたくない記憶なのだ。私はあれが好きだったのかもしれない。何もかも失って、それでも彼女たちの前では必死に明るく疲れを癒してもらおうと試行錯誤する不器用な我々と、それに気づきながらも知らない振りをして僅かばかりの歓待を受けてくれた彼女たちとの、鈍色の空の下での思い出を。
船上から艦娘を値踏みするように眺め、目を引く一人に狙いを定めた。ああいや、一隻と言わなければいけなかったか。私の向けたカメラに気づいた彼女は口元に笑みを浮かべていた。美しい長い黒髪、凛とした雰囲気、戦艦『赤城』だ。傷を負っているのか、額や腕に包帯が巻かれている。怪我をしているのは彼女だけではない、護衛している艦娘(潜水艦は見えないので除くが)全員が何処かしらに傷を負っている。重い怪我ではないが、無視できるほどでもない。港では怪我に絆されたのか、他の元気な艦娘と比べても一目でわかるほどに手厚く持て成されていたのを思い出した。人型でありながら軍事用船舶の力を秘める彼女たちを忌避する動きも見られる昨今では珍しい光景だった。同時に、物資や人員に余裕のあると見受けられる今でも怪我、いや、損傷したまま護衛する彼女たちの身辺が少しばかり気になった。
そうして私は、時代の変遷に奇妙な思いを抱きながらも波を掻き分け、進み続ける彼女たちの一瞬をカメラに切り取り続けた。
私が揺られている船の行き先は、本土を遠く離れ、前線近くの島だった。心無い人間には安全で無意味だと囁かれるが、前線近くであるのだから危険であることに違いはない。そんな場所へと取材に向かったのは、艦娘が運用されている姿を見たかったからに他ならない。
二十余年前、異形の敵対艦船群『深海棲艦』が現れ、空は常に黒く、海は赤く濁り、民間人も軍人も平等に沈められた。殆どが人間ほどの体躯ながらも軍事用船舶と同等の脅威を持つ『深海棲艦』が、多くの兵器を鉄の塊に変えて使用することは無価値であると知らしめ、領海が支配された。陸地で生活を営む人々の命を脅かすほどに近づき、それに対する力として艦娘が運用される背景があったことも今は昔というやつだろうか。
国民から、『提督』や『司令』と呼ばれる特殊技能の才能を持つ人材が徴兵された結果、烈火のごとく前線を押し返した。その結果、鉄と血を基礎とした虚構の平穏が積み上げられた。膠着した戦線は『深海棲艦』との間に、仮初の平穏を生み出した。その平穏は甘く、緩やかに留まる毒のようだった。今となっては、虚像だった平和をまるで実像のように語り、盾にして、艦娘の排斥や減員を訴える民間団体も少なくない。絶対的に多いというわけではないが、それでも流される者が年々増えているという。平和だと思い込みたい者が多すぎるのか、そう錯覚してしまったのか、そう誘導されているのか。
危機感を覚える識者が、いっそのこと本土を侵略されていればこれほどまでに緩まなかったのではないかと意見を示した。その反響は大きく、そして捩じれ、行く末として識者は不謹慎者としてのレッテルを張られ、見る影もないほどに追い込まれていた。ともあれ、ここ十数年の時を経てそうなってしまったのは事実だった。
そんな世相の中で、ふと思い出したのだ。前線で戦う艦娘たちの内情はどうなっているのだろうか、と。私は従軍記者として、あの鉄臭く、何処までも暗い海に揺られたことがあり、恥じ入ることだが彼女たちに助けられたことも守られたことも一度や二度では済まされなかった。興味を抱いてしまってからは、気持ちに身を任せて突き進んでいった。再三の要求の末、希望が叶ったのはつい先月のことだった。それから慌ただしい日々を送り、軍上層部による有り難い言葉の羅列の末に語られた指示の下、指定された鎮守府の取材が許可され、今やっと船に揺られていたというわけだ。
オリ主
艦娘を取材しようとしたらブラック鎮守府を取材させられることになった。
しかしそこの司令はかつて彼と戦場を共にした男だった。
貧しさと戦場に鍛えられていた男が今では狸のようにでっぷりと太り、常に煙草を蒸かし、夜遅く、そして朝早くまで酒を飲み続け、艦娘を罵倒し続ける。彼に何があったのか、まだオリ主は知らない。