code;brew ~ただの宇宙商人だったはずが、この地球ではウルトラマンってことになってる~   作:竹内緋色

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 私の幼なじみが宇宙人なはずがない。

 そう思いたかった。

「ねえ、あんた、なにしてるのよ。」

 私は目の前に広がる惨状を前に言った。

「何って、物売ってるに決まってんだろ。」

 男はビニールシートを路上に広げて、何やら使い方さえよく分からないガラクタを並べていた。男の顔は私の幼なじみとそっくり。でも、中身は全然違う。

「学校に行きなさいよ。」

「はあ?あんなところ、一回行っただけで行くの嫌になったわ。一日中檻の中なんて、俺には合わないね。」

 ふう、とため息をつく。このナニカに何を言っても仕方がない。心が痛むが、きっぱりと言ってやらなければならない。

「あなたね、居候のくせして、私たちに心配かけさせないでよ。」

「誰が居候させてくれなんて頼んだ?」

「あんたねえ――」

 私は怒りよりも悲しみの方が強くなり、涙をぐっとこらえる。こんな下衆の前で泣いてなるものか。女が廃る。

 

 あれは、大きな地震が起こった日のことだった。その震源近くにいた私の幼なじみ、久我翔一とその父母三人はその地震に巻き込まれ、翔一以外は助からなかった。

 瀕死の重傷にも関わらず、翔一は一命をとりとめ、驚くべき回復力ですぐに日常生活へ戻れるようになった。

 しかし、その代償は大きかった。

 翔一は記憶を無くしたのだった。そして、性格も大きく変わってしまった。

 大人しい性格だった翔一は学校に行くのを嫌がり、こうしてよく分からないガラクタを売っている。私にはこの現実が受け入れられなかった。子犬のように可愛かった幼なじみの少年が別人に生まれ変わったようになるなんて。

 だから私は、幼なじみは宇宙人とすり替わったのだとすることにした。

「なあ、お前、何か買っていかないか?ほら、これなんてな、既定の大きさまでの物体を亜光速の領域までボルテージアップさせてだな――」

「そんなことより、家に帰りなさいよ。みんな心配してるんだから。」

 翔一と一緒に住めると知った時に私はどれだけうれしかったか。

「だってあそこ、俺の家じゃねえだろ。」

 この宇宙人はいちいち私の傷付くことを言う。もう、嫌だった。

「みっともないからこんなことやめてよ!」

 そう怒鳴って私は去っていく。私はあいつを絶対に翔一だと呼ばない。あいつはあいつだ。宇宙人だ。

 

 

 

「ことに十年。十年ぶりなのだぞ、諸君ら!」

 少しじめっとしていて、薄暗くて、人が4人もいるには少し狭い部屋で一人の男が声を張り上げていた。窓がない代わりに薄っぺらい壁が震える。壁を震わせている男以外の3人の男女は鼓膜が震えないように実は耳栓をしている。

「怪獣が現れなくなってから十年間、我々地球防衛隊は日夜税金の無駄遣いのように罵られ、存続が危ぶまれてきた。しかし、とうとう、我らの出番がやってきたのだ。」

 嬉々として、ミュージカルの俳優のような語り口調で男は言っている。

「でも、ウルトラマンがやっつけちゃったじゃないですか。」

 女が言った。ショートのボブの髪を茶色く染め、雑誌をめくりながら興味なさそうに言う。その身はレーサーが着るようなやぼったいジャケットに包まれている。色が白と赤なのがよりダサい。

「何を言うか。これまでの歴史から見ても、人間の力だけで怪獣に勝てた例など十本の指で足りるわ。」

「全然自慢にもなってませんよね。」

 少し気弱そうな男がぼそっと漏らす。その身は茶髪の女性と同じくダサいジャケットを纏っている。

「何か言ったかね、クラブ。」

「その呼び方止めません?」

 髪を短く刈りあげた男があんまり興味なく言った。視線は決して合わせない。

「スペード。私はジョーカーだぞ。」

「上官でしょう。」

 スペードと呼ばれた男はあまり話す気がないと言った風に述べる。

「ところで、諸君ら、ハートはどこへ行ったかね?」

「心ですか?」

 この部屋唯一の女が言った。

「女でも口説いているのでしょう。」

 気弱そうな男、クラブが言った。

「誰が女を口説いてるって?」

 少し立て付けの悪い引き戸を力づくで引いて、一人の人物が入ってきた。背が高く、凛々しく、長い髪で、やぼったいジャケットも彼女が着るときちんとした戦闘服のように見えた。クラブはそんな彼女を真っ向から見れず、俯く。

「心、お帰り。」

「光、ただいま。」

 女同士、仲良くハイタッチをする。

「ハート。一体どこへ行っていたのかね。」

 腕を組んでジョーカーが言った。

「ちゃんと整備班が仕事してるのか見張ってたんですよ。というか、その呼び方、妹尾さんしかしてませんよ。」

 ジョーカーの苗字は妹尾らしい。

「まあ、いい。ところで、あれからというもの、とても平和だな。」

 不満そうに妹尾は言った。

「葉。現場の周辺はどうなってんの?」

 心が言った。

「砕け散った破片からは何もわかりません。少なくとも、怪獣は生物ではなく、機械に近い存在ではなかったかという結果は来てます。」

 クラブと呼ばれていた男、葉が言った。

「光、あの子は?」

 ボブの女に光は聞いた。

「それは剣の方が詳しいのでは?」

「どういうことだ?」

 心は刈りあげの男に目を向ける。

「剣はずっと彼をストーキングしているのです。」

「人聞きの悪いことを言うな。」

 光の言葉に刈りあげの男は無愛想に言った。

「宇宙人が乗り移っていたらどうするんだ。それが心配だっただけだ。」

 剣はそっぽを向いた。相変わらず可愛い奴だと心は思った。

「で、剣。その可能性は?」

「半々、だな。」

「どういうことだ?」

 もう話すつもりはなさそうなので、光に向かって心は聞いた。

「彼の治癒能力はあり得ないほどではないですが、驚くべきものです。破損した臓器の修復の速さは人体で最も速い速度です。」

「つまり、むちゃくちゃ治るのが速いって可能性もあるわけか。」

「そう。だから、半々。そして、頭部に損傷を受けたせいか、記憶障害がみられる。」

「具体的には?」

「事故に遭ったとき以前の記憶が全くないらしいのよ。だから――」

「乗り移りの可能性もある、と。」

 そう聞いて、心は頭を悩ませる。

「なあ、妹尾さん。宇宙人の乗り移りについてのデータとかないの?」

 心は妹尾に聞いた。

「うん。まあ、全然ないね。」

「嘘だろ?」

「まあ、あることには無数にあるんだ。」

「どっちなんだよ。」

「たださ、結局国家機密とかになってたりするし。」

「俺たち、地球防衛隊だろう?なんとかしろよ。」

「いや、言いたいことも分かるよ。多分、請求すれば多少はいただけるよ、データ。でも、それも無駄足なんだよね。」

 どういうことだ、と心が言う前に妹尾が言った。

「今の人類の計測器では計測できないんだよ。何もかもが。特に宇宙から来たものは。」

 どうにかならないのか、と聞こうとして、葉が先に言う。

「今の科学の理論では到底解析できないんです。相対性理論の限界とでもいえる領域です。」

 妹尾が続ける。

「まあ、それを認めたくない輩とかが無理矢理に情報を消して回ってるってのもあるよね。メン・イン・ブラック的な?」

 なんだよそれ、と心は吐き捨てる。

「その例の少年は今、どうなってるんだ?」

 心の問いに、剣が珍しく答える。

「近所の幼なじみの家に居候している。どうも両親が駆け落ちして家を出たせいで、ほとんど失踪状態だったらしい。そこからあいつの将来を推し量るのは簡単だろう。だから、家族同然に接してきた幼なじみの家族と居候だ。」

「そうか。じゃあ、後には――」

「何もなければ、養子縁組でもしてただろうな。」

「どういうことだ?」

 何故か心の中からおぞましい気配、嫌な予感が湧き上がってくるのを心は感じていた。

「記憶を無くすどころじゃねえ。あいつは完全に人格まで変容してやがる。幼なじみを泣かすほどにな。そして、奇行も目立つ。」

 乗っ取りの可能性が半々どころではないじゃないか、と心は戦慄した。

「それでも、半々か?」

「わからねえよ。でも、人間という存在の範疇としては普通だ。ちょっと変わった人間だ。」

「能力は人間の領域だと?」

「はあ。自分で見て来いよ。こいつは誰にだって判断できそうにねえんだ。それに、たった一人の人間に構っていられるほど暇じゃねえ、かもしれない。」

 一か月前の怪獣出現以降、怪獣もウルトラマンも出現していない。今後出てくるのかさえ、不明だ。

「分かったよ。ちょっと、出てくる。」

「これ、心くん。勝手な行動は困るねえ。」

 妹尾が言った。

「タバコ吸いに行くだけっすよ。」

 そう言って引き戸を開けて出て行った。

「そう言ってさっきも全然戻ってこなかったじゃないか。」

 元気がない声でも、妹尾の声は壁を震わせた。

 

 

 

 キーンコーンカーンコーン。

 鬱陶しい。

 私は思わず腕を横に薙ぎ払う。しかし、体が動かない。そして、覚醒する。

 はっと気が付いたときにはすでに授業は終わっていた。寝ていたのだ。

「なあ、佳澄。」

 寝起きの機嫌が悪い時に、それも今朝のことがあった日に話しかけてくるヤツ、殺す。

「なに?」

 私は思いっきり不機嫌に聞き返す。相手がそんなことで遠慮するやつではないのが残念だ。

「翔一、どうなってんの?」

 もとよりそれほど仲が良かったわけでもないのに聞いてくるヤツ、嫌い。

「知らないわよ。」

 あんなやつ、知らない。そもそも翔一でさえないんだ。あの野郎は。宇宙人なんだよ、宇宙人。

「知らないってことないでしょう?」

 うわ。嫌な声。その言葉を発しているのはあだ名が委員長と付けられている女の子。目つきが怖い。

「久我くんと佳澄さんが同棲しているはみんな知っているの。」

 同居だよ、同居。

「家にも帰ってないもん。」

 私は少ししょぼくれる。

「久我くん大丈夫なの?」

 本気で心配そうな声で聞いてくる女の子。もちろん、委員長なわけがない。

「大丈夫だと思うよ。心配してくれてありがとう。沙耶。」

 親友の沙耶に私は言った。でも、なんで私がお礼を言っている?

「とにかく、久我くんを学校に連れて来なさい。良くないわ。不登校に加えて、家に帰ってないなんて。」

 お前に何が分かる。何を偉そうに。私は心の中だけで委員長に向かって舌を出す。

「佳澄んちに居づらいんじゃねえの?」

 おい、お前、本気で殺すぞ。

「大丈夫だよ、ミレイ。」

 沙耶が心配そうに私を励ましてくれる。ほんと、癒されるわあ。

「次は体育だから、早く急ぎなさいね。」

 委員長はそう言って姿を消す。更衣室へ行ったのだろう。

「私たちも行こう。」

「うん。」

 私と沙耶は女子更衣室へ向かうこととした。

 

 

 心はバイクを走らせていた。地球防衛軍特注の時速300キロは余裕で出せる代物である。やはり税金の無駄遣いだ。きちんと指定された速度を守って運転している。

 徐々に速度を落とし、慣性で滑らかに止まる。目的地に着いた。

 市立山岳中学校。

 グラウンドには走っている生徒が垣間見える。

 もう自分が満足に走れないことを思うと心は心が軋むような気がした。そして、自分と同じ目に子どもたちを遭わせないように、と決意を固める。

 走っている生徒の中に目的の子を見つける。別に足が速いわけでも遅いわけでもない。特に特徴と呼べるものはない子。ただ、誰よりも仏頂面なのが特徴かもしれない。

 大分機嫌が悪そうだな、と心は頭を掻いた。彼女自身、あまり交渉事は得意ではないのだ。

 ただ、デザートは最後である。それまでにやらねばならぬことがある。

 

 心は校長室で面会をしていた。相手はもちろん、校長先生である。

 そこだけが明らかに造りが違うと思わせる木製の扉を開き、心は扉の向こうの校長に頭を下げる。すると、校長も恭しく頭を下げた。それが心には新鮮だった。校長の仕事の主たるものは外からの来客に対して接することというのは知識として知っていたものの、朝礼で威張ったように演説する姿を目の当たりにしてきた光には少し目の前の現実が信じられなかった。

「地球防衛隊の円香心と申します。」

「校長の筒居です。」

 タケノコのような姿の校長はまさに校長という感じの人物だった。

「おかけください。」

 校長の言葉に合わせて心は椅子に座る。思った以上に椅子がフカフカで心は一瞬前後不覚になる。普段座っている本部の椅子は安い備品であるし、戦闘機のコクピットは決して柔らかくはない。

「ふふふ。なかなかいいソファでしょう。」

 柔和な笑顔を見せながら筒居は言った。流石は年長者である、と心は感じた。立場は心の方が上という態度を見せつつも、さりげなく自分が年上であり経験が豊富であるということを示しているように感じた。しかし、それを感じた所で何かが変わる心ではない。少し笑って見せるも、顔を真剣なものへと変えて、話を切り出す。

「電話で伺った件についてなのですが。」

「はい。通常ならば生徒の個人情報を渡すわけにはいきません。しかし、お国からの御通達とあれば仕方がありません。全面的に協力させていただきます。」

 そう言って校長はおもむろに固定電話をとる。そのさりげなさに心は一瞬何が起きたのか分からなかった。

「筒居です。はい。谷崎先生を手配通りに。はい。よろしくお願いします。」

 受話器を置いた校長は心に笑顔を向けて言った。

「今、二人の担任の教師をここに向かわせております。ただ、誠に申し訳ないのですが、校長室で担任教師と御来客だけがお話するというのはあれですし、会議室をご用意させていただきますので。」

「分かりました。では。」

 そう言って潔く出て行こうと心が柔らかいソファから立ち上がったのと同時に、扉がノックされた。校長は心に目をやり、構わないかと確認をとったあと、「はい。」とだけ言った。

「2―E担任の谷崎です。失礼します。」

 そう言って入ってきたのは、何の当たり障りのない男性教師だった。歳は40代くらいで、どちらかというと文化系には見えない容姿である。しかし、それ以上のものはない。

「では、円香さん。谷崎先生。よろしくお願い致します。」

 そう校長は言った。

「失礼しました。」

 そう言って心が礼をして校長に背を見せると、谷崎がつったったままだった。どうも緊張しているらしい。これが普通の人間の態度である。地球防衛隊などという訳の分からない組織で、それも国の息のかかった存在となるとびびらざるを得ない。改めてこの校長は只者ではない、と心は感じた。昨今、校長は市民から選ばれることもあるというが、この学校が選んだ校長は相当に大物らしい、と心は感じていた。

「行きましょう、谷崎先生。」

 心の言葉によって金縛りが解けたように谷崎の筋肉質な体が緩んだ。そして、挙動不審気味に、「はい。よろしくお願いします。」と言い、会議室へと案内を始めた。

 

 会議室と言われていたのに、連れて行かれたのは教室だった。

「ここが久我翔一と佳澄ミレイが学んでいた教室です。」

 何も言わず谷崎が教卓に座ったので、心は少しためらいつつも机の一つに腰かける。椅子は小さそうなので流石に座りはしなかった。

「私は生徒の個人情報を教えることを快くは思っておりません。それも、あれほど悲しく複雑なことが起こった生徒ですから。」

 心は少し苦い顔をした。面倒臭い、と感じてしまった。教卓の中から谷崎のまとめたであろう書類が出てくる。しかし、心が欲しいのは紙切れのデータではない。

「個人情報の類はけっこうです。私は彼ら二人の様子を担任のあなたの意見を交えて聞きたいのです。」

 そう心が言うと、谷崎は心底面倒くさそうに溜息を吐く。ぼろが出始めたな、と心は思った。

「まず、佳澄さんから言いましょうか?」

「いいえ、彼から。久我くんからお願いします。」

 すると、教師は目を細めた。きっとあまり良い事が起こったわけではないと心は確信した。

「久我くんは、事故に遭う前はよくも悪くも、あまり目立たない子でした。目立たないというよりは印象が薄いという感じであったかもしれません。ですが、事故から復帰した後、初めての登校日、私は彼が全く別の人間とすり替わったのかとさえ思ってしまいました。」

「というと?」

「授業中、いきなり『つまらない』などと言い出し、教室から出ようとするのです。それを諫めようとすると、こんなことやっていたって意味がないなどと言い出すのです。なんとかその日は一日授業を受けさせることができましたが、その後、学校には一日も来ていません。一度保護者に、佳澄さんのご両親にお話しを聞こうかと思いましたが、不慮の事故ということもあり、彼の立ち直りには時間が必要かと。」

 少し神経質気味に谷崎は言った。こいつは見かけによらず精神が弱そうだ、と心は思った。

「ちなみに、おかしなことをお聞きしますが。」

 これを言うのは一体何回目だろう、と在りし日の平和な日常と対比して思った。

「彼が何者かと入れ替わったという可能性は考えられませんか?」

 その言葉を言った瞬間、教師の目が変わった。優位になり勝ち誇った表情をした。牙をむき出しにするように白い歯を見せながら唾を飛ばし言う。

「そんなことあるわけないじゃないですか。」

 心はふつふつと湧きおこる怒りの青い炎を鎮める。深く息を吸い、そして、吐く。

「そうですか。ありがとうございました。」

 なるべく急がないように谷崎に背を向ける。

「佳澄の方はいいんですか。」

 谷崎は困惑したような声で心の背中に言葉をかける。心は首だけを横に向ける。

「はい。構いません。それと、佳澄ミレイさんに直接お話を聞かせていただきます。」

 一方的に言い放った。有無を言わせぬ響き。

「は、はい。」

 谷崎は条件反射的に答えてしまっていた。

 

 

 

体育を終えて少し汗ばんだ髪が乾かないまま、私は呼び出された。ここ最近の動向というやつで分かる。きっとよくないことだ。とはいえ、子どもが大人に抗う術などなにもない。担任が言うには、私に校門近くである人物に会えというのだ。髪の長い女に。その女の特徴を説明している時の担任の顔が苦いものを思わずかみ砕いてしまったときのような顔だったので、私はよりその女に会いたくなくなった。担任の元カノか何かだろう。

だけど、私の予想に反して女は若かった。あまり私たちと歳は変わらないかもしれない。中学生ではないだろうけど、高校生くらいな気がする。だが、纏っている空気は担任よりも大人っぽくて暗い。

なんとなく私が立ち尽くしていると(本当に理由も何もない)女が私を見つけた。私のことを知っているらしい。でも、女がその場から動こうとしないので、私が女の元まで歩いていくしかなかった。

そろそろ止まろうか、と思っていた時のことだった。女が口を開いた。

「あの担任。碌でもないだろう。」

 突然何を言いだすかと思えば、担任の悪口。でも、私は確かに担任は碌でもない男だと思っていた。

「ええ。そう思います。」

 そう答えると女は腹を抱えて笑い出した。

「ははは。お前、面白いな。」

 名前も知らない人間に笑われるのは不快だった。

「悪い。突然笑っちまって。」

 そう言って真剣な目つきを私に向ける。ここまでじっと目を見られたのは初めてかもしれない。

「なんの用ですか。」

 授業をさぼれるのはいいが、あまりこの人と話していたくなかった。嫌悪感とかそういうものは不思議とひとかけらもないのだが、何か自分の中の要素が心苦しさを感じていた。

「まあ、話を聞きたいだけなんだが――俺が誰か知りたいか?」

 俺、なんて女の人が言うのはおかしいはずだけど、私はこの人がそう自分を呼んでいるだろうとさえ思っていた。それだけ俺という言葉が似合う人だった。少し照っている太陽が長袖のワイシャツ越しにも暖かいと感じさせるくらいの陽気なのに、その人は厚手のジャンパーを来ていた。白と赤の目立つデザインであるにもかかわらず、自然と調和してしまっている。きっと、この人がジャンパーを屈服させているのだろう。意味和よく分からないけど、そう思った。

「別にいいです。」

 興味はなかった。

「じゃあ、特別に教えてやろう。俺は地球防衛隊隊員円香心だ。」

 別にいいって言ったはずなんだけどなあ。

 関わり合いになると面倒臭そうなので私は話を進めることにする。

「で、なんの用なんですか?」

「つれねえなあ。もっと話そうぜ。」

 私は教室へ戻りたくなった。あの平和な、でも最近軋み始めている教室がなつかしい。

「ま、冗談はさておき、だ。案外人見知りする質でね。ちいとばかし悪戯が過ぎたな。すまん。」

 さわやかな笑顔だった。きっと男だったらモテていただろう。惜しい。

「久我翔一について聞きたい。」

「なんであんな宇宙人についてみんな聞くんですか?地球なんたらと関係があるんですか?」

 少し苛立って私は言った。

「宇宙人?」

 女が、心と名乗った女性が眉をしかめながらそう言った瞬間、私は失言してしまったと気が付いた。

「それはどういうことだ?」

「どういうことって・・・」

 答えられない私に心は攻寄る。

「あいつの正体はやはり宇宙人なのか?正体を見たのか?」

「は?」

 思わず喉の奥からボールが出てくるかのように声が漏れ出てしまっていた。

「宇宙人なんて信じているんですか?」

 その言葉に心はしまったというような顔をした。きっとさっき私は彼女と同じような顔をしていたのだろう。顔の造りは負けるけど。そのあと、心は急に思案顔になった。何か迷っているみたいに見える。なんだか私がいじめたみたいで嫌な気分だった。

「翔一は事故に遭った後から急に変わりました。でも、きっと人間です。ただ、私が宇宙人だと思い込みたいだけ――」

 言いながら私は心苦しくなった。自分の暗示を自分で解くのはこんなに辛いんだと身に染みて感じた。自業自得なんだけど。いや、違うな。あいつが悪いんだな。

「本当にそうなのか?」

 私は何度も視線が外れそうになったけど、なんとか心を見つめ返す。まるで、目の前の真剣な目つきの女性が私が目を背けてきた世界そのもので、私が目を逸らせば負けるような感じ。

 でも、どうして私は現実から目を逸らそうとしないように頑張っているんだろう?

「そうか。」

 先に視線を逸らしたのは心だった。口元には軽く笑みがある。嘲笑ではなく微笑みだと私は思いたい。

「時間とらせて悪かったな。あばよ。」

 そう言って校門から心は出ようとする。そして、校門から学校の敷地内に出た時、私の方にくるりと振り向いて言った。

「授業さぼるなよ。」

 捨て台詞が本当に似あう人だと思った。いい意味で。

 

 

 心は再びバイクを走らせていた。最近になって支給されたものだが、心は愛車だと思っている。

 そう言えば名前をつけていなかったな、と心は思い出す。

「名無しでいいか。」

 どこの掲示板のハンドルネームだよ、と思いながらも道路を滑るように駆けていく。

 宇宙人の存在を今の子どもは知らない。

 かつて世界に起こっていた不思議な出来事、多くの犠牲を払わなければならなかったことはだんだんと風化していく。何年も前の災害を毎日報道わけもなく、十年ほど前起きたばかりの宗教団体のテロでさえ忘れている人がいる。

 覚えているのは被害者ばかりだ。

 

 数年前まで心は将来有望とされていた陸上選手だった。とはいえ、彼女はそんなことなどあまり気にも留めていなかった。自分には走る以外にもいっぱいやりたいこともあるし、陸上選手だけを目指すにはまだ幼く、可能性に満ち溢れていた。

 まだ、佳澄ミレイと同じ年の頃であった。

 

 大抵こういう物語は親の言いつけを守らなかった愚者がひどい目に遭うというものである。

 心は常日頃から一人で夜道を歩くなと親から言われていた。中学生になった心は気が付いたときにはすっかり大人の体になっていた。しかし、精神ははまだ男子たちと野原を駆け巡ったころと変わっていなかった。

 その日は雨が降ったあと曇りが続いていたせいで地面がまだ濡れていた。グラウンドを駆け巡れないことを心は残念に思っていた。

 校舎内での筋トレだけで終わり、心は帰路につく。その頃にはもう辺りは暗くなっていた。

 電灯が暗い道を照らしていた。周りに人はいない。遅くまで部活をしているのは全体の半分くらいで、雨という理由から早くに部活動を切り上げた所も多かったのだ。

 暗い道を一人で歩くなと親にも教師にも言われていた。心はそれを数年前に起きた宗教団体のテロを危惧しているものだと思っていた。

 濡れたアスファルトがくゆらした煙草の煙のように心の鼻腔をくすぐる。ナメクジがでそうだな、と顔をしかめた時、ぴしゃん、と心の背後で音がした。誰かが水たまりを踏んだのだろう。しかし、誰が?心の中で、一人夜道を歩いてはいけない、という訓戒がリピートされる。落ち着こうと心は努めた。しかし、心の歩幅は大きくなり、歩く速さが増す。

 後ろの足音が激しくなる。心の速さに合わせて後ろの誰かも歩くのを速くしたのだ。

 心の頭を何かが何度も何度も渦巻く。そうして何も考えられなくなる。ひときわ大きな水音とともに心は走り出した。

 心臓が運動後とは比べほどにならないくらい奇妙な脈動を行っている。何故か耳から自分の脈動を聞くことができた。思わず足がもつれそうになりながら、それでも足を前に前に出す。すると、どんどんと加速していく。それは心が走っている時に感じている快感を呼び起こさせた。自分に追いつける男子はいない。だから、きっと後ろの誰かも振り切れているだろう。

 走っているうちに誰かの足音が聞こえなくなったので、心は心細くなり、誰かがどうしているのかを確認しようと首を後ろに向けようとした。

 しかし、その必要はなかった。

 心が顔を左に向けて後ろを確認しようとする道すがら、彼女は顔にであった。

 白い歯をむき出しにして唇が裂けんばかりに頬を上げている。そんな不気味な顔。そして、それが自分の顔そっくりだと気が付いた瞬間、心は悲鳴を上げた。

 アスファルトを滑って転がる。体全体がすりむき、アスファルトは赤く染まる。しかし、心に痛みなど感じている余裕はなかった。心臓が奇妙に小刻みに震え、過呼吸を起こしている。奇妙な笑顔のもう一人の心は、立って心を見下ろしている。心と同じ速さで走っていたにもかかわらず、呼吸の乱れがない。その人物は街灯の光を受けて正面が影になり、今は顔さえ確認することができない。

 ほほほほほ。

 そんな上品な笑いとともに、黒いシルエットは一瞬少しと膨らんだあと、ジェルのように柔らかいものとなり、自身の形状を変えた。

 明らかに人ではないシルエット。かろうじて腕のようなものは見つけられるものの、どろっとした何かが垂れている。足に該当する者は見当たらない。体つきは人間のものとはおもえないものだった。

 そんな姿を認識した瞬間、心は意識を失った。

 

 宇宙人ではないかと疑惑の男を目の当たりにして、心は拳銃を抜いていた。精神は済んだ空気のように清く、落ち着いている。

「いきなりなんだよ。」

 男は、久我翔一と呼ばれている少年は拳銃を向けている女に対してそう言った。目を向けただけで翔一は手を挙げようとはしなかった。

「お前は何をしている。一体何者だ。」

「何をしているって、商売だし、商売をする人間は商人に決まっている。」

 あきれたように翔一は言った。

「あんた、ここらを仕切ってる輩――ではなさそうだな。」

「質問しているのは私だ。」

「さっきの答えでは不満か?でも、俺は商人以上でも以下でもないんだが。」

「私はお前が宇宙人ではないか、と聞いている。」

 そう心が言った瞬間、翔一は高らかに笑った。

「そうだったら、どうするよ。」

「今ここで頭を飛ばす。」

 その言葉に鼻で笑って翔一は言う。

「なるほど。そんなものをぶっぱなしゃあ、俺の頭くらいは吹っ飛ぶだろう。」

 そう言った後、心底つまらないという顔をして翔一は言った。

「あんたはなんで俺に銃を向けているんだ?」

「は?」

 翔一はもう銃など見ていなかった。

「俺が宇宙人だったとして、どうして俺に銃を向けているんだ?」

「それは、宇宙人は過去私たちの生活を脅かしてきたからだ。」

 心は何故か自分の中の芯を揺さぶられた気がした。胸が痛い。

 翔一はただ、雲の浮かんだ空を見つめている。

「友好的な宇宙人とかもいたんじゃないか?ETみたいな。」

「だが、そんなものは一握りだ。」

「違うだろ?」

「は?」

「お前たちは宇宙人だったら誰にだって銃を向ける。なぜなら、地球人じゃないからだ。どんな場所でも戦争がなくならないのはそういうことだ。」

 そう言って翔一は品物ごとブルーシートをたたみ、心に背を向け去っていく。

「待て。撃つぞ。」

 そう言う心の手は震えている。撃ったところで当たらないのは目に見えていた。

「お姉さんは何のために武器を使うの?武器を人に向けるのはどういうことで、その意味とお姉さんの中の理由とが一致するのか、考えてみたら?俺は武器とか戦争とかには別に反対はしない。でも、何かを失った時点で、それは戦争じゃなくなる、ってところを俺は何度も見てきた。」

 だんだん翔一の姿が小さくなっていく。それでも威嚇のために撃とうとした時、心の所持している端末が音を出し始める。ちっ、と舌打ちしながら応答する。

「はい。こちら円香。」

「怪獣が出現しました。場所は――」

「いや、いい。目の前にいる。」

 心の目の先に大きな黒い怪獣が姿を現していた。

 

 


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