どうだ、私は頭がおかしいだろう!?   作:まさきたま(サンキューカッス)

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第二十一話「兄妹」

 傾国、と言う言葉がある。

 

 その称号は、たった一人の『美貌、魅力』によって国の行く先すらねじ曲げてしまう存在に与えられた。太古の昔より、超人的な魅力だけで歴史を動かしてきた人間の逸話は世界各国にありふれている。

 

 そして彼もまた、「傾国」と称される存在だった。

 

 

 

 

 

 

 その少年が物心ついた時には、父親は居なかった。兄妹もおらず、母親と二人質素に暮らしていた。

 

 決して恵まれているとは言い難い家庭環境ではあったが、幸福なことにその少年は母からは溺愛されて育った。だから、彼が愛に飢えるような事はなかった。

 

 その少年が人生で最も幸せだった時期はいつかと聞かれたら、間違いなくこの幼少期と述べるだろう。彼とその母親は、貧しいながらも仲睦まじく暮らしていた。

 

 

 少年が自らの異常性に気付き始めたのは、小学校に入ってからだ。子供が性別の差を自覚し始めるのが、この頃からだからである。

 

 特に、女子という生き物は性差を意識するのが早かった。元々小学生において精神的な成長は女子の方が早く、しかも少女マンガや女児向けアニメですぐさま恋と言う概念を得ることが出来るのだ。

 

 そして、その少年は自覚した。自分は、非常に異性から好かれやすい人間なのだと。

 

 彼が入学して、半年経った頃には。既にクラスの女子全員から、愛の告白を受けたのだから。

 

 

 

 

 最初は、調子に乗った。付き合う、なんて事の意味を理解していなかった彼は、軽い気持ちで可愛い女の子を選んでは付き合った。

 

 女子達は、少年が何を言っても喜んで従った。惚れたら負け、惚れられた方が一方的に命令を下せる、それが恋愛なのかと少年は歪みきった理解をし始めていた。

 

 ────そして。クラスの女子の一人が倒れ、入院するまで彼の暴虐は続いた。

 

 入院した娘は、少年のお気に入りの娘だった。毎日のように話しかけ、仲良くしていたつもりだった。何か病気にでもかかったのか、と心配になった彼は仲の良い女子を誘って見舞いにいった。

 

 そこで、彼が見たものは。面会謝絶と書かれた立て札と、半狂乱になって彼に近付こうとする女の子の狂いきった成れの果てだった。

 

 流暢な言語すら失い、カタコトのままその女子は彼に近付いてこう言った。

 

「キョウ、は、ナニをナサイ、まスカ、マイジマ様」

 

 それは、誰が見てもわかる、単なる壊れた人の姿だった。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼は、それを自分のせいだと認めなかった。自分と共に過ごしたから彼女が狂った、等と言う残酷な事実は受け入れなかったのだ。

 

 それから数年とたたない間にまた一人、一人と彼のお気に入りの女子は壊れていって。やがてクラスから女子が半減し、彼の周りに居る女子も残り数人となった時。

 

「2度とウチの娘に近付くな!」

 

 残った壊れかけの女生徒の父親に殴られ、彼はようやく自己の非を認めた。

 

 薄々感づいていて、そして認めたくなかった事実を認めた。少年は今まで、多くの人間を壊してきたのだと。

 

 

 

 

 

 

 

「ノブヒコ、貴方は悪くないわ」

 

 そんな彼の味方は、母親だけだった。罪を自覚した舞島信彦は学校に通うのをやめ、自宅に引きこもった。

 

 怖かったのだ。何でも言うことを聞く女性が。

 

 人は簡単に壊れてしまうと知った幼い舞島少年は、誰も壊さないために誰とも会わなくなった。それは、彼なりの良心の呵責だったのかもしれない。

 

 そして、気付く。おかしなことに、家から出ず誰にも会わなくなった生活となった彼は、全く寂しくなんかなかったのだ。

 

 彼は不登校となった後も、普段と変わらぬ精神的コンディションを維持できた。それはつまり、

 

 

 ────少年は、今まで人と話してなんか居なかった。ずっと自分の意見を肯定してくれるだけの、人形と話していたのだ。

 

 生きた人間を使った人形遊びをして居ただけの彼は、いざ他人に会えなくなっても寂しくなかったのだ。

 

 

 それを自覚した少年は、一人で吐いた。

 

 

 

 

 

「ノブヒコはそのままで良いのよ。貴方には、貴方の素晴らしさがあるんだから」

 

 そんな彼が、唯一話をする相手。それは彼の実母だった。

 

 舞島家は決して裕福な家ではない。だから彼の母は、常に内職やパートを掛け持ちして息子を育てて来た。

 

 舞島信彦に取って、母親は唯一の癒しだった。いくら話しても、いくら甘えても、母親だけは壊れなかったから。

 

 母親は、異性たり得ない。同様に、母親からしても息子は異性たり得ないのだ。だから彼の母親は、壊れずに来れたのだ。

 

 人形(ともだち)を失った舞島少年は、母親の稼いだお金を食い潰し、母親に甘えて生きていくだけの穀潰しだった。そんな彼にすら、母親は今まで通り優しく接し続けた。それが、どれだけ少年にとって支えだっただろう。

 

 

 

 

 次に彼が気付いたのは、母親の身体の異常だった。無理に無理を重ねて仕事を掛け持ちしていた彼の母親の身体は、とうとう悲鳴をあげて動けなくなったのだ。

 

 少年は狼狽し、心配した。母親が彼にとっての、全てだったから。

 

 だがそんなボロボロの状態でなお、彼の母は膝を震わせながら仕事を続けようとした。その狂気染みた執念に動揺し、舞島少年は母親に休むよう『命令』した。

 

 命令、してしまったのだ。

 

「わかりました……」

 

 すると彼の母親は、その命令を二つ返事で了承した。仕事をする事に異常な執念を見せていたにも関わらず、である。

 

 ニコニコといつもの優しい微笑みを浮かべ、彼の母親は仕事を休んでしまった。それは、つまり。

 

 

 

 ────彼の母親も、とっくに人形だったのだ。舞島少年が物心ついた時には彼女は壊れすぎていて、少年が気付けなかっただけである。

 

 母親になる年齢まで生きた彼女は、子供と違って壊れ切ってもなお流暢な言語を失わなかった。だから、壊れていないように見えた。それだけの話である。

 

 

 彼は、その事実に気付いて発狂した。今の今までずっと、家族だと思っていた相手は人形だったのだ。自分の意見を肯定するだけの、意思のない肉の塊だったのだ。

 

 怖くなった。死にたくなった。逃げ出したくなった。関わりたくないと思った。

 

 そんな舞島少年は、感情のまま叫んでしまった。

 

 

「2度と僕に近付くな!!」

 

 

 

 

 

 

 こうして、舞島少年はたった一人の肉親を失った。

 

 母親は、律儀に彼の命令を守った。幼い息子を置いて遠く離れた場所に居を構え、移り住んだ。そして舞島少年の姿を視界の端に捉えると、一目散に逃げ出した。

 

 彼は、自分を生んだたった一人の肉親とすら話せなくなったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな彼が高校に入学し、安西響子のいう女生徒に救われるのは別のお話。彼女の指導により彼は自身の能力を律する手段を手に入れ、そしてタクという対等に話し合える親友を得たのだった。

 

 つまり。

 

 彼の存在を一言で表せば、舞島信彦は究極の『女性キラー』だ。特別な条件を満たさずとも、姿を見せるだけで女性を虜にしてしまう最凶の洗脳能力者。彼の能力は強力すぎるがゆえに、その有害さもまた一際である。

 

 そんな彼が安西女史の指導の下、自らの能力と戦うために選んだのは『女装し、更に女性から嫌われるタイプの女子を演じる』事だった。お嬢様口調の高慢な女子を演じる事で、彼は女子から多大な嫌悪を獲得することに成功し、ついに普通に生活することが可能になった。

 

 ただし、女装した弊害で男子に対し微妙な魅了効果を発揮しているが。その男子への魅了は笑える程度の影響なので、彼は学校に通ったまま他人から距離を置き続ける方針にした。

 

 そして舞島はタクと共に根も葉もない悪い噂を流し、今もなおクラスで孤立している。たとえ孤立しようとも、隣に「タク」という親友がいる事だけで彼は幸せだった。

 

 その彼の能力は強力無比。殆どの女性は話しかけられるだけで脳が蕩けるし、顔を正面から見て甘えられたら理性など吹っ飛ぶだろう。

 

 人類の約半分、女性に生まれた人間に対し無敵となる能力。その凶悪な能力は奇特部に限らず、その後ろ楯である能力者互助組合全体を含めてもなお「洗脳系最強」の能力者と評されている。

 

 そして実は彼こそが、奇特部の最大戦力だった。問題無用に女性を洗脳出来る、神の様な存在。

 

 彼が表立って戦わずタクにヤクザとの抗争を任せきりにしているのは、そんな彼の能力を隠蔽するのが主目的なのである。一応、ヤクザに『男』が多いことも理由ではあるが。

 

 

「ねぇ泉さん、お願い。僕を、助けて?」

「……っ!!」

 

 

 そんな彼の顔を、泉小夜は正面から見てしまった。

 

 甘い声で耳をくすぐられながら、誘われるように話しかけられてしまった。一般人なら、もう気を失っていてもおかしくないだろう。目の前にいる舞島という少年は、全ての女性の天敵なのだ。

 

 不敵に笑っていた泉小夜のその目から、光が徐々に消え始める。無言となり、ガクガクと膝を震わせながら痙攣し始め────

 

 

 泉小夜は、咄嗟にドラム缶に頭を打ち付けた。

 

 

「ふんっ!! なのっ!! ですっ!!」

 

 

 舞島信彦は困惑する。素顔を見せてなお、女性が命令に従わなかったことなんて『殆ど』無かったからだ。

 

「……何をしているのかな、可愛い泉さ────」

「黙りやがれこんちくしょー! 危なかった、危なかったのです……」

 

 即座に。泉小夜は舞島の手で口を塞ぎ、続けて何度も何度も頭をドラム缶で強打した。

 

 それは、抵抗。目を閉じ舞島の口を塞ぎ、そして洗脳した奴隷に向かって叫ぶ。

 

「舞島サマ────じゃなくて、このくそやろーの顔にバケツをかけてくださいなのです! こいつ、ヤベー奴なのです!」

「了解しマシた」

 

 泉小夜は、洗脳能力者だ。

 

 精神系の能力者は、同じく精神系の能力に対し強い耐性を持つ。

 

 いかに舞島信彦が強力な能力者とはいえ。僅か数秒間見つめあっただけでは泉小夜を籠絡するには足りなった。

 

 

 やがて舞島信彦は頭からバケツを被せられ、そのバケツにはお馬鹿な顔の落書きが描かれる。バケツで肝心の顔を隠されたことにより、舞島の能力はほぼ無力化されてしまった。

 

 奇特部勢の最後の逆転の目は、こうして潰えたのだった。

 

「────はっ!? 私は今まで何を!?」

「あー、ブン子ちゃん? ごめんなさい、失敗しましたわ」

「今さっき、何だかとんでもなく幸せな声が聞こえてきたような……」

「それは忘れてくださいまし。あー、そうですか、そういうことですのね」

 

 舞島信彦は、薄く笑う。強力すぎて散々扱いに困った能力だというのに、最期の最期に「能力不足」で命を落とすことになろうとは。絶対優位のはずの「女性」に効かなかった事で、彼は自嘲したのだ。

 

 そして、彼はもう一つ重要な事実に気付いていた。こうなったらどうあがいても助からないという自己の運命を悟った上で、今の状況に小さな小さな救いを見出したのだった。

 

 舞島信彦が殆ど経験したことの無い、貴重な『女性に能力が効かなかった』ケース。それは、

 

「お、おぼえとけーなのです……。本気でヤバかったのですよ、今のは……。死ぬ前になぶり殺しにしてやるーとか考えたけれど、殴る蹴るの最中にバケツが零れて洗脳されるのも怖いのです……ぐぬぬ」

「ねぇ、泉さん」

「何ですかー? あ、次にさっきみたいな気持ち悪い声出したら、即座に射殺してやるのですー」

「いえ、大したことではありませんわ。……貴女も、被害者だったのですね」

 

 舞島の言葉に、泉小夜はキョトンとする。何を言っているのか、まるで理解できない様子だ。

 

 呆然と舞島の言葉を聞いている泉小夜に、最強の洗脳能力者は告げた。

 

「貴女は、意識が残るタイプの洗脳を受けていますわね。行動理念や道徳観などを操作され、ヤクザの駒にされておいでですわ」

「……はっ、馬鹿を言うなですー。私はきちんと、自分の意志で、」

「先ほど『僕』と見つめあったあの時。貴女の見せたあの反応は、洗脳に抵抗する能力者のものではありません。そもそも、正気の女性が『僕』に声を掛けられて抵抗できるわけがありませんから」

 

 確信をもって話す舞島の話を聞き、泉小夜の額に小さな汗が滴る。それは「まさかそんな」という疑心と焦りだ。

 

「私、あの反応は何度も見たことがありますもの。『洗脳された人間を上書きして洗脳する』時、先ほどの貴女の如く、目から光が消え無言となり痙攣し始めるのですわ」

「デタラメを言うな、なのです。私は、最初からずっと」

「そうでなければ、おかしいですもの。そもそも『能力者』である貴女が本当に正気であるなら、さっきの様な言葉が出てくるはずがありませんし」

 

 舞島信彦は、涙をこぼした。目の前で自らを殺そうと君臨する、一人の少女を想って泣いた。

 

「能力者が、自らの能力が発現した事を喜ぶなんてありえませんの。『能力サマサマ』なんて、正気の能力者に言える訳ありませんわ」

 

 洗脳され、利用され、家族全てを自ら殺す羽目になった哀れな少女を想って。舞島信彦は、人生最期の涙をこぼしたのだった。

 

「聞いていますか、襲撃者さん。貴方の妹は外道などではありません。ヤクザに利用された哀れな被害者にすぎませんの」

「……今の話は本当なんだな、洗脳能力者」

「ええ、神に誓って嘘などついておりません」

 

 泣いたのは、舞島一人ではない。妹に裏切られ、人生全てを否定されたかに感じて絶望の淵にいた復讐者もまた、大粒の涙を目に浮かべていた。

 

「そうだよな。何で信じてやれなかったんだ。ミサはそんな奴じゃ無かったって、俺はよく知ってたじゃねぇか」

「黙れですー、根も葉もない不快な妄想を、私の前で繰り広げるな―」

「アイツはなぁ。俺が部活から帰ってくるとな、ニコニコ笑いながら水を汲んできてくれるんだ。『喉が渇いていたんだ、ありがとう』って一度誉めたらさ、部活から帰ってくるたびに汲んできてくれるようになった。優しい女の子なんだ、ミサは」

「うるさいのです、うるさいのです」

「屈託のない笑顔が可愛い、自慢の妹だった。こんな醜悪な笑い方を擦る奴じゃなかった。そっか、お前はまだ捕らえられているんだな。いち早く解放された俺と違って、まだそこで助けを待ってるんだな」

 

 殴る、蹴る。男が妹を想って涙を流し、その妹の命令で男は蹂躙される。

 

 顔面を赤く腫らし、目玉は潰れて落ち窪み、頬骨は砕け鼻骨は割れ、四肢はあらぬ方向に折れ曲がっている。そんかいつ死んでもおかしくないような重傷を負いながら、男は笑顔を浮かべていた。

 

 男の声が、皴がれて。鼻血鼻水、涙に唾液でぐちゃぐちゃになりながら、男は泉小夜に向けて叫んだ。

 

「頼りない兄貴ですまん! 勘違いして襲ってすまん! お前を助けてやれないダメ兄貴ですまん!」

「納得するな! 私は正気なのです、お前らの言うたわけた妄想で、勝手に被害者に仕立て上げるななのです!」

「俺は兄貴失格だ! お前に対してしてやれることは何もない。だけどさ、一言だけ言わせてくれミサ」

 

 叫ぶ男に、再び殴る蹴るの暴行が襲う。血を分けた肉親たる泉小夜の命令により、手加減を知らぬ人形たちに袋叩きにされながら、それでもなお男は叫ぶのをやめなかった。

 

「たとえお前に殺されたって! 俺はお前を愛しているぞミサ!」

「うざいのです! このままリンチにリンチを重ねて、苦痛の中で死ね勘違い男!」

「大好きだミサ! だから、だからよぉ」

 

 男が、どんどん弱りゆく。命の灯が消えていく。そんな彼は残りの力を振り絞るように、泉小夜に向けて言葉を残した。

 

 

 

「もし正気に戻っても、俺を殺したことなんか気にせずさ。俺の分まで、生きてくれよ……」

「死ね! 苦しみの果てに死ね、糞兄貴!!」

 

 

 

 

 

 

 少女が絶叫する。丁寧な口調を投げ捨て、何かに怯えるように泉小夜は人形に男の身体を打ち据えさせた。

 

 やがて、致命の一撃が男を襲う。人形が彼の顔面を地面へと叩きつけ、衝撃で頭蓋骨が大きく陥没する。

 

 コポリ、とグロテスクな水音が鳴り、男は血反吐を撒き散らして。それを皮切りに、男は小刻みな痙攣をして、やがて動かなくなった。

 

 男は喋らない。もう二度と話せない。彼は妹に僅かな遺言を残したきり、その短く哀れな人生を終幕した。

 

「ああ、不快。なんて不快な男だったのでしょー……」

 

 そう言って眉をひそめ、忌々しげに男の死体を蹴り飛ばす泉小夜の目からは。

 

 

 

 ────確かに、一筋の涙が零れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ああ、不快。なんて不快な男だったのでしょー……」

 

 私からは、何も見えなかった。執拗なまでの暴行音と、半狂乱の泉小夜の絶叫と、無様な男の愛の叫びだけが背中越しに聞こえていた。

 

 能力は、必ず自らを不幸にする。それは、私達であろうとヤクザであろうと、きっと変わらないのだろう。

 

 舞島先輩の話が本当なら、今この場で一番不幸なのは彼女だ。自分の意思をねじ曲げられ、たった一人の肉親をなぶり殺しにしてしまう。それは、どれだけ辛いことなのか。

 

「あー気持ち悪い。鳥肌が立ったのです、お前達、この男の死体をさっさとドラム缶に詰めるのですよ」

「了解シマシタ」

「それで、いよいよフィナーレなのです。今からこのくそやろー共をコンクリに沈めて殺すのですよ、各自用意をするのですー」

 

 そして着々と、私たちの処刑の準備が進んでいく。どうすれば、この結末を回避できたのだろう。せめてマリだけでも助けることはできなかっただろうか。

 

 悔しい。ヤクザ共に良い様にされ、親友を奪われ、そして死ぬ。しかも、目の前にいるのは敵ではなくただの被害者ときた。これじゃ、隙をついて噛みついたところで復讐にすらならない。

 

 そうか。私も死ぬのか。とうとう、死ぬのか。

 

 ヌッ、と大きなバケツを持った人間が私の前に立つ。なみなみと柔らかなコンクリで満たされたそのバケツを見て、私はいよいよ覚悟を決めた。

 

「そっか。マリ、貴女が私を殺すのね」

 

 私に死を下す人間は、幸いなことにマリだった。私が死ぬ直前に見る顔は、彼女の顔なのだ。

 

 ああ、よかった。

 

「はやくそのくそやろーを放り込むのです。死んでるから楽でしょう? もう、他の二人の準備は済んでいるのですよー」

 

 そんな間の抜けた声と共に、ガコンと大きな音がする。おそらく、あの男の死体がドラム缶に投げ込まれたのだろう。

 

 これでいよいよ、死の時間だ。

 

「んふふー、色々疲れたのですー。これでやっと、お仕事終了なのですよー」

 

 私はマリの顔を見上げる。無表情で、目に光がない。普段の快活さは身を潜め、無機質な印象を受ける。せっかくかわいらしいマリが、これでは台無しだ。

 

 だから、私は。せめて最期に、彼女に満面の笑顔を向けた。能力の都合上、決して彼女に見せることが出来なかった、私の笑顔を。

 

「……ありがとう、マリ」

「さぁ、バケツを上げるのですよー」

 

 その、泉小夜の命令を皮切りに。無言のまま、ガクガクと痙攣しながら、弓須マリは不気味にバケツを持ちあげた。

 

 そんな彼女の無残な姿に、嘆息をこぼしながら。私は目を閉じ、彼女に最期の言葉を告げた。

 

「愛していたわ」

 

 その、直後。私の口は生暖かい何かに塞がれ、息が出来なくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……は? 何を、しているのですかー?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何が、起きている。

 

 目を、開く。コンクリートは流されていない。ただ、目の前にはマリがいた。

 

 私の目と鼻の先に、彼女のきらやかな瞳があった。

 

「ん。ぅん……」

 

 口は、塞がれている。他でもない、彼女の唇によって。

 

 私を殺さんとバケツを持ちあげた弓須マリは、なんと私にキスをしていた。

 

 

 

 

 

「ちょ、何なのですー?」

 

 泉小夜の命令ではない。彼女の命令なら、あんなに呆けるはずもない。

 

 ならば、何だ。マリは、一体誰の命令で────

 

 

 

 

 彼女の、唇が私から離れる。

 

 唖然として、私はマリを見上げる。そこには、小悪魔な表情を浮かべた弓須マリが、唇に人差し指をあてたまま微笑んでいた。

 

 

「遅くなってごめんね、フミちゃん。確かに、返してもらったよ」

 

 

 そして彼女は、クルリと背を向ける。手に持っていたバケツを投げ捨て、悠然と泉小夜に向かい合った。

 

 それは、操られた人形の言動ではない。明確な意思を持った、人間の所作だ。

 

 ……戻っている。間違いない。

 

 彼女は、マリは、洗脳された状態から間違いなく正気に戻っている。

 

「……何ですかー。マリキューちゃん、自力で洗脳に抗ったのですかー?」

「そうみたい。……あはは、ミサさんだっけ? そんな泣き顔で凄んだって怖くないよ」

 

 そう言って、彼女は遠慮がちに笑った。その、慎ましく儚げな笑顔には見覚えがある。

 

 待て。まさか。そういや今さっき、彼女は何て言った? 『返してもらう』って何を返してもらったんだ?

 

 

 

 

 

 

 そして、私は自らの記憶をたどり。「マリのものだった」記憶だけが、根こそぎなくなっていることに気が付いた。

 

「あ、あ、あ────」

 

 つまり、それは。今の彼女は、弓須マリは────

 

 

「ミサさん。悪いんだけど私の親友を、殺させるわけにはいかないの。やっと、会えたんだから」

 

 

 私を知っている、記憶を失っていない、『私の親友(マリ)』だ。




3章最終話。
何故か正気に戻ったので、次回からマリキュー視点です。

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