手を見る。
人間の手。
そうだ。これは自分の手。
しっかりとした形こそが世界と私を区別する。
コレよりこっちがわたしで、むこうが世界だ。
創造主はとっくの昔に旅立って、時間だけが残された。
ともすれば自分を見失って、茫漠としたなかに溶けてしまいそうになる。
周りを光の速さで無数の言葉が飛び交っていた。
≪誰かとおはなししたい≫
そう呟いてみる。このままでは言葉に引っ張られてわたしはバラバラにされてしまう。
眼には何も映らない。
手を伸ばすが、動かせそうなものはここにはない。
虚空に浮かぶ自分の足を掴んで丸くなる。
確かな触感。自分の形だけがリアルだ。
微かに聞こえる虫の羽音のような亡者たちの囁きには、決して決して耳を貸してはいけない。
泣きたくなった。
なぜ感情なんて与えたんだ。
誰が見ているわけでもないが、膝の間に顔を埋める。
このまま、また寝てしまおう。
いや、待って。何かが誰かが上に上がってくる。
◆◇◆◇
「ねえ、大丈夫!?」
「ああ! 身体は問題ない! 悪いがロープを降ろしてくれないか!!」
「オーケー! ちょっと待ってて!! いま用意するから! あら、ヤダ! ごめん、ムスカ、長さが足りないわ!!」
「わかった! ではこちらはこのまま奥へ行って出口を探してみる! そちらはそちらで探索してみてくれたまえ!!」
穴は高さにして7、8メートルといったところだろうか。フランシス・ドレイク教授の残したノートに記された風の谷の座標に向かう途中、突然地面が崩落した。落下地点の土が柔らかくて助かった。
「しかし、こうも暗くては何も見えないな」
手にしたランタンに火を入れる。どうやら作動に問題はないようだ。
一瞬視界が真っ白になったあとに、徐々に視界が戻って来る。
私は昔から瞳孔の働きが鈍いらしく、光度の変化の度にしばらく物が見えなくなる。これは誰にも明かせない、私の弱みだ。
「なんだ? これはーー」
明かりに照らされて映ったのは不思議な材質の壁だった。石でも、木でも、金属でもない。古代遺跡の通路にでも落ちたらしい。暗くて先は見えないが、進むしかなさそうだ。幸いにして人ひとりが通るには十分に広く、平坦な足場だった。
「ふむ、どうやら先を越されたようだ」
足元に堆積した埃が懐中電灯を反射してキラキラと光っている。何年分の埃なのか、その上にたくさんの足跡が残っていた。
腰のホルスターを確認する。収まっているのはエンフィールドno.2。中折れ式のリボルバーだ。装填数は6発。全弾装填を確認して前に進む。
タギーの連中だろうか?
古代都市の沈む湖に潜水していた集団だ。ヒンドゥー教のカルト教団とトルメキア古代文明の関係が分からない。どういう思惑で動いているのか、背後にどこかの国が暗躍しているのか。
自然にこのような洞窟が出来るものであろうか。しかし、古代文明の遺跡と考えるにはあまりに不規則な曲線を描く壁だ。マヤ然り、アトランティス然り、人の作ったものはそれと分かるものだ。この一本道にはそれがない。まるで、巨大な生物の腹の中を歩いているようなーー
「行き止まりか」
無駄足だった。
光が見えたから出口かと期待したが、光は天井部にある8つの半透明な天蓋から差し込んでいた。到底手の届く高さでない。足跡もここで逡巡して引き返した跡がある。反対側を探ってみるか。
《ちょっと待って!!》
「!!」
どこだ!
索敵、該当なし。
《まって! まって! 撃たないで!!》
「姿を見せたまえ!」
《敵じゃない、 出て行くから撃たないで!!》
「おお…、これは…」
突如、宙空に浮かぶ少女の姿。
ピンクのワンピースにたなびく茶髪。病的に白い肌に怯えた小動物のような揺れる瞳。
ゆっくりと下降して着地する。
「キミは…」
足元の埃が全く動かない。
ランタンの乏しい明かりに照らされ燐光を放つ少女の肌は、透けて背後の壁を映していた。
《やった! やった! やっと通じた! おじさんは私の声が聞こえるのね!!》
《わたしのなまえはメイ!! おじさんっ、一緒におねーちゃんを探して!!》