「ミッシング」という殺し屋を警察に引き渡したのは、朝の六時半だった。屋敷の主にもわざわざ起きてもらって事情説明も終わらせている。
因みに、主は二度寝しに行った。人が良く忙しい、貴族の鑑である主の休日が今日だ。
世間一般的には平日だが。
主が部屋へ向かうのを見送り、執事とメイドの朝礼に参列。本来はしなくてもよい。
そしてそれらの仕事を終わらせた朝七時――――護衛は、お嬢様の寝室に来ていた。
本来これは執事やメイドの仕事だ。護衛がやるべき事ではない。が、彼はお嬢様の我儘に付き合わされていた。黒手袋に包まれた右手でノックを三回。案外、返事は直ぐに来た。
「おはよう、護衛。私の下着が見たければ入ってきなさい。そうでなければ入ってきなさい」
「選択肢が実質ゼロなのはどういう事でしょうか。……たかだか16歳の下着なんて見たくありません。お着替えを終えましたら、食堂に来てください。お願いいたします」
「なによ。貴方だって18歳でしょう? お酒だって飲めない子供の癖に」
「二歳、と言うのは大きい差ですよ。東国の将棋を調べてみては?」
「将棋、ねえ。私はチェスしか嗜まないの。わかっていらして?」
「ええ。勿論。超弱いですもんね」
「は? ふーん、あくまでも主である私にそういう事を言うのね。ふーん?」
「……お嬢様。あの、タイピングの音が聞こえるんですが。お嬢様!?」
衣擦れの音が突然止んだ。お嬢様は着替えをしつつ話していたらしい。
着替え終わったと考えるべきか、しかしタイピングの音はまさか新しい――――。
「殺し屋ランクさ57位「ホワイトスタブ」、依頼完了、っと」
「お嬢様あああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」
護衛の悪い予感は的中していた。
ドアを開けた向こうには、豪華な椅子に座り最高級のノートパソコンを膝に乗せている少女が一人。
満足げな表情を浮かべているお嬢様は、焦っている護衛を見つめて告げる。
「私をしっかり守るのよ、護衛」
ざけんな。
護衛は口には出さず、しかし顔には思いっきりその思いを出していた。
朝から豪華な朝食を摂り、その後にお嬢様と護衛は馬車に揺られるのが日課である。お嬢様のバッグは護衛が抱えていた。お嬢様は足を組んでいた。
そんな二人を乗せた馬車は、豪華な石畳の大通りの真ん中を進んでいる。
貴族が多く住むこの地域の街には、馬車が通れるように大通りが幾つもある。馬車はその真ん中を通って移動していた。現に人々はど真ん中を往く馬車に驚きはしない。完全な、日常風景の一部と化していた。
朝の活気溢れる街並み。車窓から風景をを退屈そうに眺めるお嬢様は、ふと護衛に語り掛ける。
「ねえ護衛。「ミッシング」はどうだったの?」
「……はあ。全く、殺し屋の話を貴族の娘がするだなんて。趣味が悪いですよ」
「あら? 貴方は現実から目を反らすのね?」
「はい?」
「貴族とは民を守るもの。民なくして貴族はあり得ない。故に貴族は常に世界を見つめ続けなければならないの。殺し屋だって世界の一部よ。なら見たっていいじゃない」
「そういう事ではありませんよ、お嬢様」
「煩いわね。で、どうだったのよ」
長い黒髪に、ルビーの如く赤い瞳。16歳にして高等学校一年生、目麗しい顔と少々貧相な体を持つ貴族の娘。それが「お嬢様」である。身長は小さめで、性格はよく言えば個性的である。学校の成績はトップ。他の追随を許さず、人間関係を苦手としていた。
護衛は、彼女専属の護衛だ。
雇い主が彼女であり、命令には不本意ながら逆らえない。それを忘れている節はあるが。
「弱かったですよ。バタフライナイフのみで無力化出来ました」
「そう。……サード階級じゃ弱いのかしら」
「戦わないのが一番です」
「ダメ。つまらないもの。……今回の相手の情報よ、護衛」
「「ホワイトスタブ」ですか。聞いたことないですね。白い、貫く?」
「槍でも持ってるんじゃない?」
「目立ちますねえ、その殺し屋。……ふむ。お嬢様、今日は私の傍を離れないでください」
「今日”から”、ではなくて?」
「貴族の娘と俺が恋人関係になれるわけないでしょう。多少、相手が掴めましたから」
「ふーん。あっそう。まあ好きにするといいわ。私、今日は女子更衣室に引きこもりたい気分なの」
「話聞いてました?」
護衛が少しの怒りも込めて尋ねる。が、何故かふて腐れているお嬢様は何も答えない。
朝の陽ざしの中、馬車は貴族学園の中へと入っていく。貴族が多数通うため、この学校では護衛も一人までなら連れていいと言う校則がある。馬車から降りたお嬢様と護衛は、一定の距離を保ちながら教室へと向かった。
☆☆☆
「あっ、おはよう!」
「おはよう」
教室に入り、直ぐにお嬢様に挨拶してきたのは赤髪の少女。彼女はお嬢様の数少ない友人の一人である。
ポニーテールに大きな瞳。無論、貴族の娘だ。
性格は活発。優しい心を持ち、素直だが勉強は弱い。
そんな赤髪の後ろにも、護衛が立っていた。お嬢様の護衛は若々しいが、相手は初老の男性。口元に髭を少し蓄えながら、しかし背筋が伸びきっている当たり衰えは感じない。
基本的に護衛は学校内で会話をしない。する必要がないし、貴族が主な学校で彼らは背景と等しいのだ。
護衛が口を開くのは雇い主に話しかけられたときか―――――戦闘時だけ。
初老と護衛が同時に小さく会釈をする。お嬢様と赤髪が会話を始める中で、護衛は何時もの机に鞄を掛けた。護衛に席は無く、授業時間は全て横で立っているのがデフォルト。立っていなければいざと言う時に動けず、仕事を全うできないから。そしてもう一つの理由は、貴族との扱いの差別化である。
貴族と同じところに居るからと言って、貴族になれるわけではない。
それを護衛に身をもって叩き込み、勘違いを防ぐ。そんな理由があり、護衛はこれから昼食時までを立ちっぱなしで過ごさなければならないのだ。
昼休みを除く休み時間も例外ではない。護衛はお嬢様の席の斜め後ろに立ち、何時でも戦えるように左手を開く。袖から出てきたバタフライナイフを握り、彼はなんてこともないように瞳を閉じた。
初老はそれに気づきつつ、何も言わない。ただ静かに、己も目を閉じた。
成績だけは優秀なお嬢様は、貴族が得意とする外面を取り繕う事も得意である。だからと言っては何だが教師からの信頼も厚く、その信頼もまた利用出来る為お嬢様は積極的に教師の手伝いをしていた。
昼休み。護衛は携帯食料とお嬢様から貰った昼食を食べ終え、お嬢様も白布で口元を拭う。
ランチタイムは終了。この後二人は、教師の手伝いを約束していた。
「お嬢様。重たい物は遠慮なく私に言ってください」
「あら、護衛という役職なのに持ってくれるの?」
「まさか。軽く感じる持ち方と心構えをお教えするだけですよ」
「ねえ。貴方一回赤髪と脳を交換してきてくれないかしら?」
花が咲き乱れる中庭のテラスから、彼らは白塗りの校舎へと足を踏み入れる。
その瞬間、護衛はスイッチを切り替えた。袖口のバタフライナイフを握り、目を鋭く細める。
「…………」
お嬢様も一転した雰囲気に気づくが、何も言わない。階段を上がり、上り、上り。三階の廊下に出たところで、お嬢様は足を止めた。必然的に、護衛も足を止める。
「さて。算術の道具とフェンシングの指導書よね。……そうね、二手に分かれましょうか?」
「いえ。多少の手間は掛かりますが、二人で行きましょう」
「あら? 襲われちゃうのかしら?」
「そうですね。まずはその農業が楽そうな胸をどうにかしてから言って下さい。……そうではなく、人が少なすぎる。不安です」
「農業が楽だなんて良い事じゃない。そうね、三階には二年生の教室もあるものね」
廊下は静まり返っていた。
昼休みといえば、勉学に囚われていた生徒たちが解放される時間だ。確かに外からは話し声が聞こえるが、廊下にも人はいる筈。なのに、この静けさは――――――異常であった。
護衛はお嬢様に気づかれないように、黒手袋を嵌めた右手で胸を叩く。
感じるのは、武骨な堅さ。頼もしさと苦痛を同時に味わいながら、二人は算術用具室へと赴いた。
かつ、かつ、かつと足音が響く。単調なリズムには虚しささえも感じる。
だからこそ。
護衛は、気づく事が出来た。
「……お嬢様」
ふわり、と護衛はお嬢様を自身の胸に抱え込んだ。180の長身。身長差は20cm以上。胸に後頭部を埋め、抜け出せない程に強く彼女は抱きしめられた。
お嬢様とて年頃の乙女である。その赤い大きな瞳を見開き、突然の抱擁に顔を赤らめる姿は紛れもなく可愛らしい少女。それが、例えば花畑での一幕であったのならどれだけ良かったのだろうか。
今、お嬢様の目の前では無数の銀線が駆け抜けていた。
護衛の振るうバタフライナイフが、廊下の奥から飛んでくる白い物体……チョークを弾き飛ばす。粉が段々と視界を埋め尽くす量のチョーク。
(……砕けやすさを重視している? これは、暗殺用ではない……?)
護衛は思考を巡らせる。
塞がっていく視界。お嬢様に常に気を張りつつ、彼はナイフを振り下ろした。
(ならばこのチョークの役目は煙幕なのか? ……近づいて来るのか? それとも遠距離のままなのか?)
学校内での襲撃。廊下という、一本道での戦闘。
お互いに逃げ道は少ない。そして、この状態であれば投擲物が大抵は当たるのだ。現在視界はあまり良くない。例え見えたとしても、それが見えたらもう避けることは難しい近さだろう。
状況的に考えるのなら、遠距離のまま攻めてくるハズだ。
護衛はそう結論付け、左手のナイフを袖口にしまった。腕の中にいたお嬢様を両手で抱えながら、チョークを回避しながら、彼は廊下の横へと駆ける。そして、跳躍して、
「お嬢様、目を瞑っていてください!!」
廊下の横の窓を、蹴り砕いた。
そのまま二人の体は窓を飛び出す。突如襲う浮遊感。三階の高さからのダイブは、少々刺激が強すぎたらしい。
「ちょっ、ご、護衛!? 何してるのよ!」
「あそこでは分が悪いので。それとお嬢様、そこはかとなく美しくないですよ」
淡々と答えながらも、彼らは地面に近づいている最中である。護衛は地面まで残り2mくらいで、まずお嬢様を上に投げた。
「……ふえっ?」
間抜けな声を上げるお嬢様。その真下で護衛は勢いを殺しつつ着地し、直ぐに立ち上がる。お嬢様は丁度その腕の中に体を収めた。お姫様抱っこは再び訪れる。
「では。お嬢様」
そして。
「申し訳ないのですが―――――、」
上から、殺し屋ランク357位「ホワイトスタブ」が降ってきた。
彼らを追いかける「ホワイトスタブ」の目は血走り、その両手には鋭く鋭く鋭く鋭く尖ったチョークが握りしめられている。恐らく材料は石灰などではなく、もっと硬い何か。当たっても痛い。刺されば言わずもがな、致命傷になりうる。
一手一手が、全てターゲットの首を刈り取るための手段。
一瞬も気を抜けない。抜いたら殺される。
それが、殺し屋。
「三秒ほど、目を閉じていて下さい」
護衛はそう言って、
一瞬の油断さえも許されない殺し屋を相手に、護衛は冷静である。「ホワイトスタブ」がチョークを高速で投げつけるも、それらに全て興味なさげな視線を向け。
「終わらせますから」
刹那。
轟音、爆風が吹き荒れ……お嬢様が目を開けた時、そこには額にコルク跡を付け気絶している殺し屋の姿があった。
「……何をしたのかしら?」
「特に何もしていません。さあ、今の物音で人が来るでしょう。それまで見張っていましょうか」
そよ風が吹く。
草を撫で、優しい風は二人の髪を揺らした。何が起きたのか分かっていないお嬢様の鼻腔を、一瞬とある匂いが刺激して、
「これは……何の匂い、だったっけ……?」
そして、直ぐに空へと運ばれて、消えていった。