Prologue
「ここに───白鯨が、出るんですね」
「ああ。携帯……この
推定樹齢千年を超えるだろう、規格外の大きさとして知られる「フリューゲルの大樹」。その近くで野営をする一団があった。
それは王選の大本命クルシュ・カルステンを筆頭に、王選参加者であるアナスタシア陣営そしてエミリア陣営───最も、二人のみではあるが───によって組まれた魔獣討伐隊だ。討伐対象は四百年に渡り、世界に害をなしてきた『霧の魔獣』白鯨。
その一団と離れた木の根元で向かい合う、一組の男女がいた。
「そのミーティアが魔獣の存在を教えてくれる……ですよね、スバルくん」
「ああ、そゆこと」
一組の男女──エミリア陣営所属のナツキ・スバルとレムである。
そもそも、この大討伐隊が組まれた切っ掛けにはナツキスバルがクルシュに掛け合ったことだ。スバルは、クルシュ陣営が空を泳ぐ巨大な白き鯨の討伐を求めている事を、数度の
そしてクルシュが、「白鯨の出現場所とその時間」というスバルの言葉を信じた一助に、彼が今手に持つミーティア、即ち携帯電話が一役買っていたのだ。
スバルは、クルシュにもレムにも「このミーティアが白鯨出現を知らせる」とだけ伝えている。クルシュ達は携帯電話の役割を「白鯨の接近を感知する特殊なミーティア」なのだと捉えたはずだ。事前情報が無い者が、スバルのその言葉を聞けば誰だってそう思う。
「ぶっちゃけ、これ無しなら俺の価値は───」
「嘘でしょう?」
「え?」
が、彼を愛する少女はその解釈は誤りだと看破した。
「な、何を言ってますのん?これが嘘ならワイはどうやって……」
「ふふっ。スバルくんにカララギ弁は似合いませんよ?」
「い、いや、これが嘘ってどんな疑いだよ」
スバルは数度に渡るループで絶望の淵に叩き落とされるような経験を何度もした。その中でスバルが体験する死に戻り関連の情報を他者へ開示した瞬間───その相手が死んだことだってあった。
レムにそうなって欲しくはなかった。その為の討伐隊でもあるのだ。だからこそ、スバルはシラを切り通す。
「実際、クルシュさん達は納得してくれた訳だし」
「いいえ、それは違います。クルシュ様はスバルくんが嘘をつく必要がないとお考えなだけです」
「それ、は……」
だが反論の余地のないレムの言葉に、スバルは二の句を告げなかった。
あくまでレムのその言葉は、スバルの持つミーティアが白鯨出現を察知することが嘘だと断ずるには至らない。
しかしスバルの態度が答えそのものだろう。狼狽してしまった時点でスバルの負けなのだ。
更に。何度もスバルを打ちのめす現実から逃げようとした彼をどこまでを助け、手を差し伸べ、鼓舞したレム。そんな彼女に嘘をつくというのは、スバルにとって余りに心苦しいものがある。全てを吐き出し、彼女の純愛に甘えそうになるほどに。
───だがそれは出来ない。その行為は、恐らくレムを殺すことにつながるだろうから。
「レム……俺、は…」
彼女を守るため、取り繕うような言葉でその場を逃れようとするが、
「いいんですよ、スバルくん」
「……え?」
しかしそれは、レムからの拒絶で返された。
「スバルくんが嘘を吐いていることくらい、レムには分かります」
そもそも何故、レムはスバルの嘘を見抜けたのか。
それは───
「だって、ずっとスバルくんを見ているんですから」
「───っ」
スバルへの純粋な愛だった。
「なんで嘘をついたのか、その理由を話せないことも分かります。でも別に、それを話せないからといって、レムに気を遣う必要なんて無いんですよ?
だってレムは───スバルくんを丸ごと信じてますから」
照れくさそうに微笑む少女と、無言で彼女を見つめる少年。
二人の間を風が優しく通り抜けた。
「スバルくんが白鯨の現れる場所を知っていると言うなら信じます。魔女教がエミリア様たちを狙っていると言うのならそれも信じます。仮に月が落ちてきて、国が滅ぶとスバルくんが言うのならそれだって信じられます」
「……そこまでは言わねぇよ」
「はい、そうですね」
口元に手を添え一瞬、笑う。そして笑みを消し、
「でも、それだけ本気だってことですよ」
ふと真剣な目に変わる。それから彼女は静かに腰を落とし、スカートの端を両手で摘まんでお辞儀すると、
「この身、この心は全て、スバルくんに心酔しております。───故にレムは今も、これからも。スバルくんを疑うことは絶対にありません」
「───っ」
「だから信じさせようだとか、嘘で丸め込もうだとか。そんな風に自分を追い詰めたりする必要、どこにもないんですよ」
喉が詰まるように、熱いものがこみ上げてくる。スバルはそれを寸前で堪えた。
そして目頭を押さえて顔を天に向けて震える口を大きく開くと、
「あー、やっぱおおきな木を見るとテンション上がるなぁ…!」
「はい、そうですね」
「こりゃしばらく見上げてないと落ち着かないなぁ……っ!」
「はい、そうですね」
レムの信頼に、愛に、心に触れたスバルは、己の馬鹿さ加減にようやく気づいた。
初めから彼女を頼ればよかったのだ。未来に起きる何もかもを打ち明ければ、きっと惨事は防ぐことが出来たのだ。
「───」
涙を誤魔化すために上を見上げ続けるスバル。
しかしこの一時は不意に終わりを告げられた。
「……え?」
「下がって、スバルくん!」
「え?え?」
突然、レムに抱き寄せられる。涙するスバルを慰めようと抱きしめたのかと言えば、そうでは無い。
その証拠に彼女の声には焦りと警戒心が混じっている。
「おい、レム。一体……」
「スバルくん、下がっていてください」
レムの手には、いつの間にかモーニング・スターが握られていて、明らかに戦闘態勢に入っているのが見て取れる。
「樹の陰に何か、います。音が聞こえませんでしたか?」
「い、いや。俺はわかんなかったけど…」
レムは根元に生える草を踏む音が聞こえたのだと言う。
先程までの幸せな時間を邪魔した「何か」は一体、なんだと言うのだ。レムは警戒するように、スバルは目付きを活かして半睨みするように、樹の陰をじっと見つめている。
「そこに…誰かいるのか?」
スバルには何も見えていなかった。恐らくレムにもハッキリと見えていないのだろう。もし見えていたら、「何か音がしなかったか」などと問わないだろうから。
一方、そこにいるという確信はあるようで。
「───姿を見せなさい!」
一向にレムは姿を見せない「何者」かへ言った。
それでも直後は陰に変化がなく。そのままレムとスバルが数秒見つめると───
「いや失敬。君たちが何やら取り込み中だったようなので、割って入るのも無粋なものだと思ったのだよ」
樹の陰から一人の男が現れた。まるで降伏していると言わんばかりに両手を上げながら姿を見せたその男。
空には星が輝いているが、その顔はよく見えない。ただ、高い背、白髪と浅黒い肌。そして赤い外套を身にまとっていることといった身体的特徴。そのことだけはスバルにも分かった。
姿を見せた男は、レムが口を開くより早く話しかけてきた。
「ひとつ聞きたいのだが、いいだろうか?ここがどこか教えてくれないか?」
余りに予想外すぎる男の質問にスバルは唖然とし、レムは怒りを隠せないように言葉を返す。突然現れた謎の男が、今いる場所を聞いてきたならば、普通ならば困惑あるいは怒りを覚えるに決まっている。
「……ふざけた質問をしないでください。質問したいのはこちらです」
「別に私はふざけて等いないが……まぁ、不審がられているのは紛れもなく私のようだ」
一度、肩を竦めた後にこちらに向き直る赤い男。
「その警戒を解けるならどんな質問でも答えよう」
どちらの立場が悪いかは客観的に見れば一目瞭然。にも関わらず、彼は尊大な態度をとる。
赤い男は、この樹の傍で夜営を始めた時はいなかった。つまり、夜営開始後にここに現れたということだ。
しかし白鯨討伐にあたって、周辺の街道は全て封鎖しているとリカードが言っていた。例え、街道以外の道を通ってきたとして、クルシュ・ヴィルヘルム・リカードといった実力者から気付かれずにこの大樹に到達するのは、決して容易ではない。限りなく不可能とさえ言っていい。彼らはスバルが呼び出されたこの世界において、かなりの強さを誇るであろう三人なのだから。
故にその疑問を全面に、レムは解消するべく核心を突く質問を投げる。
「あなたは一体何者ですか」
「ふむ……なんと言うべきか」
男は考え込むように口元に手を当てる。
何かあれば即座に対応できるように、レムは身構えていた。それだけこの男に対する警戒レベルが高い。
姿を見せてなお、一団の中にいるクルシュらにバレていないのだ。
はっきり言って───それは異常だ。
本人の実力差が一定以上になると、それを隠すことができるというのは通説。しかしクルシュ・ヴィルヘルム・リカード達に対して、それをやってのけるこの男が何よりも恐ろしい。
現に、レムはこの男から「強さの匂い」はしてこない。それが余りに不気味である。
そんな男が何を言うのか。
その在り方だけで警戒心を抱かせるほどの実力を保有する者だ。その名は大陸に轟いているに違いない。
───しかし。
彼の答えは、この世界をあまり知らないナツキスバルに対してのみ多大な衝撃を与えた。
「そうだな……
「──────ッッッ!!」
「……アーチャー?」
聞いたことのない名をレムは口の中で転がす。
「それがあなたの名前ですか?」
その名前は決して各国の"最強"とされる彼らと一致しないものだ。
しかし先程も言ったように、クルシュや剣鬼を欺くとなると、それに近い実力がないと辻褄が合わない。
だからレムは名前を問い返した。
しかしそれに答えたのは───スバルだった。
「いや……多分違う」
「!」
見るに、自信なさげに口を開いたスバル。しかし引っかかるものはあったようで、そんなスバルの顔をレムが覗き込んだ。
「スバルくん、何か分かるんですか?」
「あぁ。まあ確信はないけどな」
「もし聞きたいことがあれば聞くといい。先程も言ったように、私が可能な範囲でならばなんでも答えよう」
あくまで不遜な態度を貫く男に、スバルが質問を投げかけた。
「そうかよ……なら聞くけど、そのアーチャーってのは……どんな意味だ?」
答えによっては、この男が先ほどした質問の意味も分かるはずだ。もっとも、『アーチャー』というのが本当の名前ならば話は別だが。
しかし彼は、スバルが望んだ答えを返す。
「そのままの意味だが?私はアーチャー……ただのしがない弓兵さ」
───
この意味で「アーチャー」という言葉を使うこの男。
「………まじ、かよ」
地球生まれの地球育ち。英語という言語を知る男。正体不明の赤い男は間違いなく───スバルと同郷の者だったのだ。
この日、