第一話
いつか。
七人の魔術師の七騎の英雄達による殺し合いに呼び出された、いつか。
あれから赤い騎士は、在り方が変わったのだと強く実感する。
『───お前には負けない。誰かに負けるのはいい。けど、自分には負けられないッッ!!』
彼が対峙したのは理想に裏切られ、夢破れた己。なんの思いも持たず、救うべき者も持たなかった偽善者の成れの果て。
しかし、
『この夢は、決して。例え俺が偽物であっても、決して。間違いなんかじゃないんだから───』
その少年は進む道が地獄だと理解して尚、その理想を曲げなかった。勝てないと知って、そのまま突き進むその姿こそが過ちだとした
抑止力として存在する中で、過去の記憶などはとうに薄れた。自身が体験したはずの聖杯戦争の事も、もうほとんど覚えていない。
だが、今なお夢を追い続ける衛宮士郎に敗れたこと以外に、もう一つだけ強くそして鮮やかに焼き付いた記憶がある。
それは、聖杯戦争が終結したあの日。自分を斬り伏せた少年が、
『───私、頑張るから』
その光景は何度も思い出す。その言葉は、今だって覚えている。
『あいつが、あんたみたいにひねくれた奴にならないよう、頑張るから』
衛宮士郎の側に遠坂凛という少女がいるのなら。若しかすると、エミヤは生まれないかもしれない───そんな希望が込められた、遠い遠い未来の話。
ただ、この頭の良い少女は分かっていた。
赤い騎士は英雄───否。守護者として居続ける他、無いだろうという事を。赤い騎士には救いの物語が用意されていないという事を。
例え、衛宮士郎がエミヤという未来に到達しないとしても、目の前の赤い騎士は既に存在してしまっているのだから。
しかし、彼女はその一切合切を承知した上で、
『───だから、今からでも自分を許してあげなさい』
本来、この赤い騎士に救済など用意されてはいなかったはずだ。しかしその言葉は、一体どれほどの救いになったのか。少女の言葉は、間違いなく彼を救った。
あの日からどれほどの時間が過ぎたかわからない。守護者は時間の環から外れた存在として扱われるため、そも時間という概念そのものが、彼にとって無いかもしれない。
長く、無限に感じる時の中で、何度叶うことの無いやり直しを求めたことか。幾度かつての選択を後悔したことか。「世界」と契約した時のことを、エミヤは永劫呪い続けることだろう。
───だが、答えは得た。万人に笑顔でいてほしい。そんな理想を叶えようと走り抜けたこの道は───決して間違ってなど、いなかった。
「ふむ」
気付けば、草原に赤い外套を着た男が立っていた。
何、いつもの事だ。気になどはしていない。
守護者として存在する彼は、様々な時間軸の世界各地に飛ばされ、世界の調和のために動く。
「ここは」
だが驚きの重点は別のところにあった。
普通ならばアラヤから指令、或いは命令のようなもの───あくまで具体的に言語化はできないような代物ではあるのだが、便宜的にそう呼ぶことにする───が言い渡される。しかし今のアーチャーには何の情報も渡されていないのだ。
何度も世界の各所へ飛ばされた経験の中で、そんなことは無かった。
しかし、守護者である自分が飛ばされたのだ。恐らく
それでまた座に戻され、いずれ別の所に再び送られる。───それが抑止力としての在り方だ。かつての戦争で、騎士が自身のことを「ただの掃除屋」であると皮肉ったのも納得がいく。
そんなことを考えながら、前方はあまりに広大な草原。ならば後ろは?
そう気軽に振り向けば───
「───」
圧巻の光景が広がっていた。自身の目の前に聳え立つ、ありえない高さの大樹。その豪壮さは、守護者として各地に送られたその男ですら絶句するほどだった。
───いや、待て。
草原の中に一つ立つ樹。まだ世界の意思と契約する以前は、世界中を旅したこの男が、そんな絶景を見知らぬはずはない。送り込まれた様々な時間軸の中でも、見たこともなかった。
「ならば、どこだ?ここは」
それを根拠に新たに湧く疑問がこれだ。 今、自分はどこに飛ばされたのか、と。守護者として新たな場所に送り込まれたことは、恐らく確定事項。だが、地球では無いどこか。
「───投影開始」
ならば確認せねばなるまい。アーチャーを英雄足らしめた固有結界から、無限の剣の一端を取り出すことが出来る魔術の行使が可能かどうかを。
詠唱を口にすると───手には一対の夫婦剣が握られている。
「魔術回路の方もなんの問題も───ッッ!」
そしてもう一つ。驚愕の事実に、たった今気づく。
「……受肉しているだと?」
英霊として存在していたはずなのに───受肉していることを今の今まで分からなかった。それほどまでに違和感無く、今までの感覚との齟齬が無かったのだ。現にアーチャーには、この世界に来てから肉体を得ているという事実がしっくりきていた。
英霊の受肉。霊体化が自由にできないデメリットがある反面、顕現している際に魔力を一切消費しないというメリットがある。いや、その前になぜ肉体を得られたのか。
「どうしたものか」
明らかにイレギュラーな現状に考え込んでいると───木の向こう側から話し声が聞こえてくる。
野の真ん中に立つ樹の根元で会話する者などいるのだろうか。
いや、だが可能性は幾らでも考えつく。例えばここが神が祀られた樹としての役割があるとしたら。多くの人が、参拝に訪れてもおかしくない。他にも色々思い浮かぶ。
しかし、確認してみないことには事実は分からない。
気付かれないように、そっと樹の向こう側を覗いてみれば───
『───だって、ずっとスバルくんのことを見ているんですから』
……なんだか恋人のような二人組が話してた。彼としても流石に邪魔できる雰囲気では無い。
どうしたものかとそのまま周りも見れば、星空の元で一団がキャンプをしている。テントを張り、火を焚いていた。この二人は一団から離れて、木の下で話しているのだろうか。
後ろ姿しか見えない男と、優しい笑みを浮かべるメイドと思われる少女。二人の話はまだ続く。
『スバルくんが白鯨の現れる場所を知っていると言うなら信じます。魔女教がエミリア様たちを狙っていると言うのならそれも信じます』
男の名前はスバルというらしい。少女の口から、「白鯨」「魔女教」と知らない単語がいくつか出てくる。
それから、少女はメイド服のスカートの端を両手で摘まんでお辞儀すると、
『この身、この心は全て、スバルくんに心酔しております』
彼らに介入するのは無粋も無粋だ。ここがどこか、話を聞こうと様子を窺ってみたが、思ったより話しかけづらかった。
困ったものだ。ここに送り込まれたということは、先程も言ったが、近いうちにここでなにか起きるはずだ。あまり遠くに離れる事はできないだろう。
樹の周りにはキャンプする彼らしかいない。街や集落といった人の営みを感じられる所も、ない。故に彼らから話を聞くのがベストだと判断したのだが───
ガサリ。
どうすべきかと、一度木の陰に身を隠した時、落ちている細い枝を踏みつけていた。
しまった、そう思った頃にはもう遅い。
『スバルくん、下がって!』
『え?え?』
少女はいつの間にか持った鉄球を片手に、あからさまにこちらを警戒している。
些末な音でバレるなんてドジを踏んだものだ、と思いながらかつての主の姿が脳裏に映った。彼女もドジをやらかすことが多かった。そもそも、自分が呼び出された時、記憶が無かったのは彼女がトチったからだった。
そんなことを考えていると、
「姿を見せなさい!」
少女に先手を取られてしまった。
いや、バレた時点で先手は取られていたか。と言うよりも自滅だが。事後には姿を消すとしても、最低限友好的に関わりたかったものだ。
「いや失敬。君たちが何やら取り込み中だったようなので、割って入るのも無粋なものだと思ったのだよ」
こちらに攻撃する意思がないことを両手を挙げて伝える。紛れもない本心だ。
相手は呆気に取られたのか、質問を継がない。こちらから先に話していいものか。そう考えて先に質問することにした。
「すまない。ひとつ聞きたいのだが、いいだろうか?ここがどこか教えてくれないか?」
「ふざけた質問はしないでください」
一言で返されてしまった。
まぁ怒るのも仕方が無い。現状を掴めていない自分も悪いが、文句は世界の意志に言ってくれ。そんな悪態もつきたくなった。
「……質問したいのはこちらの方です」
それもそうだ。仮に、私が逆の立場で恋人と話してる時に謎の男がやってきたら、頭に来る……かもしれない。彼女に怒りを買われ、そして警戒されるのも当然だろう。
「別に私はふざけて等いないが……不審がられているのは紛れもなく私のようだ。その警戒を解けるならば、どんな質問でも答えよう」
「……あなた、
「ふむ。何と言うべきか」
何者か、と。そう聞かれれば答え方は数パターン考えられる。エミヤという本名を答えるか、守護者としての自分を名乗るか。
───だが、ふと頭に浮かんだのはかつての主に何度も呼ばれた名。理由はよくわからないが、そう名乗りたくなった。
ここに飛ばされる前に、自分が呼び出されたあの聖杯戦争を思い返していたからだろうか。
「そうだな…アーチャー、とでも名乗っておこう」
決して間違った回答では無い。自身は確かに弓兵なのだ。事を果たしたら消える身としては、結局名乗ろうが名乗らまいがあまり関係は無い事だったが。
「……アーチャー?それがあなたの名前ですか?」
否定しようと口を開こうとしたが───それより早くスバルと呼ばれた少年が答えた。
「いや……多分違う」
アーチャーとは即ち弓兵のことではあるが、この世には名前が多様にある。アーチャーという名も有り得なくはない、と思ったのだろう。恐らく。
「君が聞きたいことがあれば、なんでも聞くといい」
私は、話しかけるのを躊躇っている彼にそう言った。未だ警戒されているのはこちらだ。円滑にことを運ぶには、それは無いほうがいい。
「そうかよ…なら聞くけど、そのアーチャーってのはどんな意味だ?」
「無論、そのままの意味だが?」
不思議な質問をするものだ。「アーチャー」が名前か否かを聞くのではなく、「アーチャー」という言葉の意味を問うてきた。これは、実に奇妙なことだ。アーチャーという言葉に意味がある、そう考えているなら答えは一つしかないだろうに。
だから私は、少年に当たり前の言葉を返した。
「私はアーチャー……ただのしがない弓兵さ」
「まじ、かよ……」
アーチャーと名乗った男の素性は大方、確信できた。彼は、スバルと同郷───つまり地球出身者だ。この場になんの前触れなく突然現れたことも納得が行く。
「……そんなに変な回答だったかね?」
「あ、悪ぃ。もう一つだけ聞いていいか?」
「構わないとも」
「あんたの出身は、どこだ?」
スバルは先程は少し驚いた為、この質問をしなかったが、よく考えればこの質問をすれば一発で分かる。
「出身?私はこのようなナリだが、れっきとした日本生まれの日本育ちだよ」
「……なるほど」
「スバルくん、スバルくん。ニホンって……」
「あぁ。この男は俺と同じ故郷ってことだ」
レムは、スバルの出身が本ですら読んだことのない国「ニホン」だと聞いていた。そしてこの男も同じ国が出身と答えた。
レムの問いかけに頷くと、スバルはアーチャーに向かって数歩踏み出す。
「次は俺が質問に答える番だ。ここがどこか知りたいんだったな」
「すまないな。私も戸惑っているのだ。教えてくれると助かる」
以前、アルから彼も異世界召喚されたという話を聞いたことがある。つまり、
「ここは異世界───魔法も獣耳っ娘も存在する世界だよ!」
日本生まれの者にこの世界のことを紹介するのは、部活の先輩として後輩に教える───そんな興奮がどこかにあった。
また相手の驚愕もそれ相応で、
「魔法が……この世界にはある、のか?」
アーチャーは目を見開いてこちらを見ていた。
「ああ、あるぜ。……けど、あんたはすぐにここから逃げた方がいい。もっと話をしたいんだけどな」
「ほう……?何かわかるのかね。それとも───先程言っていた『白鯨』とやらが関わっているのかね」
スバルとしても、もっと色々言いたいことは多くある。あくまで魔女に心臓を掴まれない程度に、だが。
しかし『霧の魔獣』討伐に向けて危険度は高まる。何分、彼がこの世界のことをあまり知らないのなら、逃げの一手を打つ他無いのだろうから。
「今から、その『白鯨』って魔獣っていうやつと戦うんだよ。だからここは危ねぇ」
「ふむ。ならば、私はどうすれば良い?」
そう言ってアーチャーは討伐隊をチラリと見た。
なるほど。クルシュ達に何も言わずに立ち去れば怪しまれるとアーチャーは考えたのだろうか。スバルはそう推測した。
「スバルくん……」
気付けば、レムにジャージの袖を掴まれていた。レムより何歩か前に出て話していたのだが、いつも間にか彼女が後に立っている。彼を見つめる瞳は、心配さを孕んでいる。
スバルは分からないことだったが、レムはアーチャーの不気味な強さを理解しているのだ。故に不安も大きい。
しかし、スバルは『レムの不安』をならば見て取れた。その根拠は知らないとしても。
だから彼女を安心させるために、
「大丈夫だ。いざとなれば俺がレムを守ってやるよ」
「あ……」
彼女の頭を撫でた。それだけでレムは安心するのだ。この男がレムを不安にさせているとしても、いざとなれば身を挺して守ろう。
クルシュ、ヴィルヘルム、リカード、ミミ姉弟だっている。白鯨を狩ろうっていう一段がいれば、安心できるだろう。
「……はい。わかりました」
「うっし」
「私は君達に危害を加えるつもりは無いのだが……まあ、いい。結局私はどうすべきなのだ?」
「今からクルシュさん……討伐隊のまとめ役の人なんだけど、その人に話をつけよう。俺がなんとか話すから、あんたは逃がしてもらえば良いさ」
アーチャーが何故ここに、突然現れたかの説明(言い訳)は何も考えていなかったが、嘘さえつかなければなんの問題もないだろう。寧ろ、中途半端な説明はしない方が吉だ。
彼が前触れ無く現れたのは事実なのだから。
「話、とは魔獣狩りが危険だから私を逃がしてもらうようにという話かね?」
「ああ。嘘さえつかなきゃクルシュさんは信じてくれるさ。それに、関係の無い人にはなんの危害も加えたくないだろうしな」
クルシュには最低限の説明だけして、後は戦場となるここから逃げて貰えれば良い。
「じゃあ行こうぜ」
「あ、スバルくん。待ってください」
スバルは、アーチャーをクルシュがいるテントまで先導するため、先に一団へと歩き出す。当然、レムも彼の後ろをついていく。
それ故か、二人は気付かなかった。
「魔獣狩り……か」
大樹へと寄り掛かりながら、小さく言葉を発したアーチャー。
「なるほど。面白そうだ」
彼が浮かべた獰猛な笑みを───。