正義の味方の異世界生活   作:N瓦

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第四話

 

 

 

 星々が夜空から見守る中───。

 静かな風が吹く野で、スバルの携帯(ミーティア)の音だけが静かに響く。

 

 それは『白鯨』出現の合図に他ならない。その音が鳴ってから一分以内にかの魔獣が姿を現すとクルシュらに説明していたのだが、

 

「……どこだ」

 

 未だその姿見えず。

 クルシュは部隊の指揮を執る為に一番後ろに控えている。最も俯瞰的に戦場を見れるはずだが───。

 

 まさか嵌められたか。そんな考えがよぎるも、しかしその場合スバルには何のメリットも無い。寧ろエミリア陣営の立場が悪くなるのみである。

 やはり、魔獣は姿を見せるはずだ。あと数秒で。いや、いつ現れても何らおかしくは無い。

 ───最も緊張が高ぶる瞬間だ。別段、この討伐に限る話ではないのは当たり前だろう。人生何事も大きな事を成そうと始める直前と、そして終局へ届く直前を緊張無しでは語れない。

 同時にそれは心地よく感じる。気分を害する緊張では無く、自分が生きていると実感できる胸の高まりである。今はまさにその時である。

 だが。魔獣攻略開始を目の前に他の兵とは違い、精神状態が平時に近い者が二人いる。

 スバルに全てを預けているレムと───そしてクルシュの少し前に立つこの男。

 

「何か聞こえないだろうか」

 

 赤い外套を身に纏う、得体の知れない男だ。実力の底は未だ見えないが───この場の誰よりも強い。少なくともクルシュはそう見ている。かの剣鬼をすら、この男は容易く凌駕しているだろう。

 

「なんだと?…いや、私は聞こえないが。フェリス、何か聞こえるか」

「……特に聞こえにゃいですよ?」

 

 隣に立つフェリスも耳を澄ますが、彼は知覚できなかったと言う。フェリスは耳は先祖返りによるものではあるが、それは決して飾りではない。

 が、そのフェリスを一刀両断するかのように否定する。

 

「───いや違う」

 

 一向に現れない魔獣。一団も騒めき始めるが───その時。

 

「確かに、にゃにか聞こえ───」

「上かッ!」

 

 フェリスの耳も、その何かを捉える。同時にアーチャーは天を仰ぐと───

 

「ーーーー」

「あれが……!」

 

 討伐隊の皆がアーチャーの声に反応して上を見る。その瞬間、誰もが息を()()()。恐れ慄くあまり呼吸を忘れるとはまさにこの事なのだろう。傑物たるクルシュ・カルステンですらそうだったのだから。

 

 ───白鯨が天を泳ぐ魔獣と言われていることは、決して比喩ではない。その鯨は水ではなく空を掻き、体から霧を吹き出しそれを泳ぐ。

 そしてその霧は只の霧に非ず。触れようものなら、存在ごとこの世から掻き消える。恐ろしいことに、他者の記憶にも残らない。

 故に『霧の魔獣』。この四百年で幾人も忘れ去られ、存在を呑み込まれ、消されたのだ。

 

「ーーーー」

 

 夜の野に響く嫌悪感に溢れた鳴き声。精神そして頭に直接影響を与えるかのようだった。

 月明かりを遮り、映し出された白鯨の射影は彼らの足を竦ませる。

影の大きさだけで理解出来た。───これが、先代・剣聖すら屠った魔獣なのだと。

 

「ーーーー」

 

 白鯨はまだこちらに気付いていないようだった。ゆっくりと天を游泳する魔獣に奇襲するなら今がベストだ。

 にも関わらず、討伐隊の誰もが足を動かしていない。それは致命的な差と言える。

 彼らが足を止めている理由が何であれ───例え命令を待っているのだとしても───白鯨に攻撃を察知されようものなら、それは確実に生死の境目となる。

 それを分かっていて尚。白鯨がこの場に現れることを事前に把握していて尚。誰も───

 

「───ぶちかませぇぇええええ!」

「《アル・ヒューマ》───っっ!」

 

 だがそれは違う。クルシュが声を発するよりも早く、スバルが叫んだ。それに合わせる様に白鯨の下腹へ飛ぶ巨大な氷の柱と───遅れて射出された一本の剣。しかしそれ()は、光となって見えない速度で氷の柱を追い越した。

 

「ーーーー」

「ふん。聞くに堪えない鳴き声だ」

 

 直後、氷柱は腹に突き刺さり。そして(つるぎ)は白鯨の体を貫通する。

 ───この魔獣は四百年の中で、異物が体の中を通り抜けられる痛みを味わったことがあるだろうか。例えあったとしてもそれは少ない。魔獣は痛みからか、体を大きく畝らせ、絶叫する。

 一人はこの時に合わせて事前に魔力を練り、一人は魔獣の姿を確認するや否や即座に弓矢を投影した。

 

 クルシュが前を見れば地竜に相乗りするスバルとレムが既に駆け出している。レムの腰に抱きついているスバルがこちらを見ながらガッツポーズをしていた。

 

「───」

 

 そして次に、剣の発射地点である隣の男をフェリスと二人して驚きの表情で見ると、

 

「ん?…ああ、すまない。君の号令があまりに遅いものでな。手始めに一発撃たせてもらったよ」

 

 いつの間にか持っていた彼の体程の弓を片手に、アーチャーが薄い笑みをこちらに向けていた。

 

 ───この男はなんという。

 

 先陣を切った二人と弓兵(アーチャー)の放った一閃に討伐隊が動揺。

 

 対してクルシュはというと───笑っていた。極めて好戦的な笑みを浮かべながら。

 

「総員、あの馬鹿どもに続け───ッッッ!」

 彼らに後れを取らない為に先程の自分を振り払い、息を大きく吸って叫んだ。白鯨を狩るには先手を打つ必要がある。

 

「オオオオォォォオオオォオ!!」

 

 『霧の魔獣』を地に落としにかかるべく討伐隊の誰もが、号令に応じて攻撃を開始。大量の土埃が巻き上がり、その向こうで白鯨の絶叫が再度高らかにリーファウス街道の夜空へ木霊する。

 

 今ここに、白鯨討伐の火蓋が切られた───。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 闇払い、もとい"夜払い"の効力によって既に、空は昼と遜色無いほどに明るい。

 闇払いと呼ばれる結晶石の効果は、本来なら周囲を明るく照らす程度だが、金と人員にものを言わせた結果がこの"夜払い"だ。

 結晶石による擬似太陽を用意した目的は、単純に視界確保にあった。霧で視界を潰してくる魔獣相手に夜というコンディション。月明かりと星々のみでは、あまりに心許なく。暗さは確実に敵となる。

 故に夜払いを使用したのだが───それは同時に、白鯨の全貌が明るみに出ることを意味していた。

 その風貌はあまりに凶悪で、あまりに不快で、あまりに醜悪。肌の白さは、美しいものでな決して無い。恐らくそのでかい図体も虚仮威(こけおど)しでは無く。

 その証左に、誇り高き地竜が怯むほどであった。

 

 

 だがそんなものは関係無い。───直後から始まる、連合軍による総攻撃。

 剣で肉を裂き、矢で腹を穿ち、炎で肌を焼き。単純な総ダメージ量を考えると、スバルが百回死に戻りしてもお釣りが来る程だ。

 『百人一太刀』で有名なクルシュの剣技や、彼女が用意した軍隊が放つ強力な魔術。アナスタシア・ホーシンが誇る傭兵団『鉄の牙』の働きもある。

 その中で最たる活躍をしたのは───『剣鬼』ヴィルヘルム・ヴァン・アストレアだ。

 十四年に亘る因縁の敵との念願叶い、対峙した鬼は、間違いなくこの場で最も戦いに没頭していた。鯨に乗り、その背全てを掻き斬らんとした。流石にそれは叶わずとも、彼一人で相当なダメージを蓄積させられたに違いない。空飛ぶ魔獣から零れ落ちてきた血の雨が大地を染め上げ、白鯨は痛みから空で荒れ狂っていたのがその証拠。

 

 総攻撃の立役者に地竜であるパトラッシュ、そしてレムとスバルがいるのを忘れてはならない。

 スバルは白鯨に奇襲をかけた後、そのまま白鯨を引き寄せる囮役を買って出た。その身から放つ『魔女の残り香』を存分に活用し、白鯨の意識を彼に向け───そしてクルシュらや『鉄の牙』の面々が白鯨へ最高の奇襲を加えたのだ。

 

 

 

 

 それが戦端が開かれてから今までの戦闘経過。完璧に近い奇襲の成功に、白鯨は反撃すらままならなかった。

 

「かなり効いた感じがするぜ! このままいけるんじゃねぇか!?」

 

 スバルは未だ爆炎吹き荒れる野の中で、レムと地竜に跨り、戦況を見ていた。勿論、彼にそれを見分ける力は無く───何となくではあるが、勝利は近いところにあるような気がしてきた。事実ここまで白鯨を完全に押さえ込み、決して少なくないダメージを与えている。

しかしそんなスバルに対して、レムは悔しそうに()()()()()()()を見ながら言った。

 

「いいえ。本当なら───この奇襲で地に落としてしまいたかった」

 

 彼女の言葉につられて顔を上げると───

 

「白鯨の高度が……下がってねぇ」

 

 幾つもの箇所から血を流し、放たれた炎の魔術により炙られた体は見ていて痛々しいものがある。それで尚、魔獣は高度を維持している。

 

「あんなに攻撃ぶち込んだってのに───」

「初っ端に切れる手札はぜぇんぶ切ったんやが……それでも落ちんかったわ。こら、ワイらより向こうのタフさが一枚上手やっちゅう話やな」

 

 血濡れの大ナタを肩に担いだリカードが、ライガーに乗って隣にやって来た。

 白鯨の防御力が予想以上だったため、リカードは不満そうに鼻を鳴らす。

 

「あのカタさは相当やねんな。岩盤叩いとる感じやな。

当たって見た感じ、物理的な攻撃はワイくらいの馬鹿力かヴィルヘルムさんの剣技───或いは」

 

 リカードがそこで言葉を区切ると、未だ白鯨の背で奮戦するヴィルヘルム───では無く。

 ちょうど今、白鯨に剣を撃ち込み、青い爆発を引き起こした男を見た。彼は戦場を縦横無尽に走り回り、魔獣を狙撃する弓兵(アーチャー)としての役割を十全に果たしていた。

 

「あの兄ちゃんがどう立ち回るか、にかかっとるな」

 

 彼は戦場において、常に最適な位置から白鯨の体を的確に射抜いている。

 

「アーさん、『弓兵』としてそんなにすげえのか?」

「高々弓であの皮膚を貫くて、馬鹿げとるわ」

 

 そもそもそれは、白鯨の硬さを考えれば異常なことであり。

 

「それに、どうやったら()()()()()()()ワイらの事が見えんねん」

 

 アーチャーは討伐戦が開始してから、何本もの剣を矢として放っている。その剣は時には体を貫き、時には蒼い炎を上げて肌を焦がす。

 もちろんリカードやヴィルヘルムが白鯨の背中に立っている時も同様に、だ。

 その時は即座に立ち位置を変え、矢が貫通した先に彼らが居ないような位置に調整しながら射っていた。───それが異常なのだ。その空間把握能力は、目の善し悪しという次元を超えている。

 無論、それは彼が『千里眼』或いは『鷹の目』と呼ばれる射撃に特化した技能を保持しているから出来る芸当である。

 

「あれはさすがにバケモンすぎんで、流石に」

「しかも地竜とかに乗ってるわけじゃねぇしな……」

 

 加えて、アーチャーの移動手段は地竜やライガーでなく自らの脚だった。

 疲れを避けるためか、そもそも彼も人の身だからなのか。地竜やライガーよりも機動力は落ちるが───その運動量はあくまで人外クラス。

 しかし広大なフィールドで、それはどれほど疲れるものなのか。そんな戦い方を続けていたら、パンクする未来はスバルでも見える。

 

「それにしてもアーさんの矢が偶に爆発してるんだけど、あれって魔法なのか?」

「いえ…少なくともあれはゴーア系の魔法ではありません」

 

 先程の攻撃で燃え盛る蒼炎を見た。

 レムの見解通り、アーチャーの扱う火炎はゴーアの延長線上には無いものだ。魔力の使い方も放出の仕方も、そして火炎の色つまり温度も何もかもが異なる。

 ───それは『壊れた(ブロークン)幻想(ファンタズム)』と呼ばれる魔力の暴発だ。ヘラクレス級の英霊ならまだしも、並の英霊ならば相当量のダメージを与えられる。その威力は凄まじいものだが───白鯨は未だ尚耐えきっている。

 その理由はアーチャーの投影した宝具のランクにあった。アーチャーは生前、魔術使いではあったがその根幹はあくまで多彩な芸に通じた凡夫。

 B~Aランク相当の宝具を矢継ぎ早に投影することは、彼の魔力量を考えても厳しいものがある上───常に鯨の背にて力闘しているヴィルヘルムや、戦場の人々をその爆発に巻き込む可能性が大きかった。故に、E~Dランク相当の宝具を使い、範囲を小さめにしていたことで白鯨に致命傷には至っておらず。

 

「なーにが、魔法……いや魔術だっけ?の才能が無いのか教えて欲しいぜ」

 

 しかし威力をかなり抑えているとはいえ、彼等にとっては未知なるもの。驚きも大きいが、リカードは

 

「ま。あれが何なんか、分からんもんは考えても分からんやろ!」

 

 そう言って思考を切り替えた。

 今重要なのは、アーチャーの技についての考察では無く白鯨を地に落とす戦術だ。

 

「けどな、あの兄ちゃんの一撃は()()()()()()重要やな」

「どっちにしてもってのはどういうことだ?」

「ああ、そりゃ白鯨のタフさ考えたらわかることやな」

「さっき言ってた、物理攻撃があんまし効かないとか何とかってのと関係があるのか?」

 

 彼らの攻撃に耐え、剣が体の中まで貫いているというのに未だ地に落ちないのだから。白鯨の物理耐性は確かに埒外だろう。

 

「せやな。あの白い皮膚ごと斬ったりすんのはワイらしか無理やろうけど───」

「あ、その下の皮膚なら行けるってわけか」

 

 リカードの言葉を聞き、空を浮かぶ鯨を見ると。

 

「……確かにその通りっぽいな」

 

 彼の言う通り、白鯨の焼かれた皮膚は黒ずんでいる。

 一発目にぶち込んだレムの氷塊はあくまで物理的な攻撃の要素が強かった。魔法が関与しているのはマナからそれを生成し、発射する所まで。加えて氷は魔法で作られたものなので白鯨の皮膚では魔力を散らされ、そして氷自体は厚い皮膚に防がれる。

 一方、アーチャーが放つ蒼炎や火属性の魔法は、白鯨の肌を直接焦がす。マナを散らす白い肌を焼き飛ばし、下皮を露出させられれば───それが反撃の契機になりうる。

 

「リカードさんとヴィルヘルムさんじゃなくても剣が、いやそれだけじゃなく魔法も届くってことか───!」

「そういうこっちゃ」

「ですがそれでは、それ迄戦況は動かない。そういうことですよね」

「せやな。そんな訳やから、それまでにワイらができるだけ余力削っとかな───」

「ーーーー」

 

 その時、白鯨の声がこだました。それは威嚇でも威圧でもなく───痛みに唸る声。同時に兵員の声も、高らかに上がる。

 その声につられて見れば、

 

「おぉおお!ヴィルヘルムさん、すげぇ!!」

 

 ヴィルヘルムが白鯨の右目を抉り取っているではないか。白鯨は痛みからか巨大な体を何度も何度も畝らせていた───が、鬼はそれを全く意に介さず。そのまま見事に眼球を切り離し、

 

「っと、これはまずいで───!」

 

 鯨から取り出された黄色い球体共々、重力に従って落ちてゆくヴィルヘルム。それを白鯨の巨体が追随していた。

 このままでは、ヴィルヘルムは魔獣と激突し破壊的な衝撃を受けるか、或いはその口に収まることになってしまう。それは、何の加護も持たないヴィルヘルムにとっては十分致命傷になりうる。

 空中は足場が無く、地上よりも身動きは不自由だ。ヴィルヘルムもその例に嵌る。当然剣を構えるがそれ以外に出来ることも無く。このままでは地面に到達するより早く、白鯨と接触することとなる。

 

「助けに行ったる!」

 

 ヴィルヘルムが今いる高さは地竜では到底届かない。しかしライガーなら或いは。

 こうしている間も白鯨は自身の一部を持って行かれた怒りから、グングン速度を増してヴィルヘルムを追う。

 リカードは急いでライガーを一度唸らせ、駆け出すも───その瞬間。

 

「ーーーー」

 

 白鯨の横腹に絶大な蒼炎が吹き荒れ、魔獣は弾かれたように上空へ逃げた。

 

「───うおっ、すげぇ!」

 

 その爆炎は今までのそれより数段上の威力であり。鉄壁を誇っていた白鯨すらも思わず引いてしまうほどだった。

 その跡には皮膚すら残らず。傷から覗いていた肉が、その威力を物語っていた。その一撃は、ゴーア系最高魔法よりも凄まじい焼け跡を残した。

 

「こら、兄ちゃん頼りになる!」

 

 それを放ったのはアーチャーだ。見れば、天高い所へ逃げる白鯨を真っ直ぐ見ていた。

 

「───さてと。続き、やってくるわ。とりあえずヴィルヘルムさんらと連携してどうにか余力削るわ」

 

 アーチャーの強力な一撃にリカードは獣らしく獰猛に笑って見せ、今度こそライガーを白鯨の元へ向かわせた。

 現状、白鯨に物理攻撃をたたき込めるのは四人のみ。ヴィルヘルム、リカード、アーチャー。そしてここにいるレムも可能だろう。鉄球でゴリ押しすれば、表皮を削れるはずだ。

 

「…今のままだと動けないか。やっぱレムの魔法は効かねぇのか?」

「はい…残念だから。結局、あの肌にマナを散らされてダメージが通らない上、《アル・ヒューマ》未満の魔法ではそもそも火力不足です」

「くそ…レムの魔法だと相性が悪いのか」

 

 スバルが歯ぎしりをして白鯨を見ると───

 

「お、おい。レム……見えるか?」

「はい。あれは…白鯨が……震えている?」

 

 アーチャーの攻撃を喰らった白鯨は空高くに逃げ、そのまま降りてこなかった。まさかこの猛攻撃に尻込みでもして、このまま退散でもするのだろうか。

 

 

 

 

 

 ───そんな考えは当然甘かった。

 

 

 

「──────総員、警戒せよッッ!!」

 

 

 

 そんなことあるはずもない。

 

 

 唐突に魔獣の身震いは止まり、直後、身体中のありとあらゆる所に()()()()()()()

 

「───っっ、!」

「……っ。……レムにしっかりと捕まっていてください」

 

 そして街道に響く金切り声。白鯨のそれは、聞くだけで不快になるものだった。この数瞬後、クルシュの判断は極めて正しいものだったと皆が悟る。

 

「スバルくん、何が起きても───」

「ああ…レムに命、託すぜ」

 

 

 尤も、警戒をしたところでどうしようも無いのだが。

 

 

 

 

 

「ーーーーーーー」

 

 

 

 

 

 スバルとレムの決意を掻き消すように発せられた白鯨の絶叫と共に、口という口から『霧』が吹き出して───。

 

 

 世界は白に包まれた。

 

 

 同時に始まる、白鯨討伐第二ラウンド。───難易度は飛躍的に、上がる。

 

 

* * *

 

 

 魔獣の体から出た霧は白い巨体を外敵から隠し、そして敵の連携を根こそぎ奪う。

 

「───様子見が裏目に出たか」

 

 別に白鯨を舐めていた訳ではなかった。

 クルシュとヴィルヘルムが集めたという『魔法』使いから放たれる『魔法』の数々は、彼が元いた世界の魔術とは威力が格段に違った。

 また剣鬼や傭兵団の奮戦もあり、アーチャーとて一度は落ちてくると踏んでいた───が、白鯨の耐久力は彼の予想を遥かに超える。魔獣であろうと何であろうと生物である以上、肉を焼かれ、体を貫かれ、断ち切られる痛みはあるはずだ。深手を負うはずだ。

 しかし鯨は奇襲を全て耐えきって、その姿を濃霧へと隠した。そうなってしまっては十全に狙撃は出来ない。

 流石は異世界の魔獣と言うべきか。こればかりは白鯨を称賛する他ない。

 

「さて次の一手はどうか」

 

 騎乗をせずに戦場を駆け回るアーチャーは、ここらで一旦脚を休ませるのも選択肢の一つだと考えた。だが、恐らく次に来るのは霧を活かした鯨の反撃。

 ───『霧の魔獣』。その名に相応しい本領が発揮されるのだ。

 

 反射的な回避ができるようにアーチャーが身構えていると───クルシュの命令が野に響いた。

 

「───総員、回避ッッ!!!」

 

 直後。

 

 その声が聞こえた方から、悲鳴やら怒声やらが聞こえてきた。

 

「チッ───」

 

 恐らく白鯨により襲撃されたのだろう。手助けに行くためそちらに向かおうとするも、それより早くこちらに向かってくる幾つもの足音が聞こえた。

 

「───アーさん、無事だったのか!」

「む、スバル」

 

 やってきたのは地竜を操縦するレムにしがみついたスバルだ。何やら、上と後方を警戒しながらアーチャーの方へ逃げて来た。

 

「何があった?」

 

 スバルの他にも数人が連なっている。

 

「ついに来たぜ、白鯨の反撃が」

「やはり、か。『霧』という自らの領分に我々を引きずり込んだのだから───それも当然だろう」

「アーさん、上には気をつけてくれ。『霧』が降ってくる」

 

 スバル曰く、先程魔獣の体から出た霧とは違う攻撃手段だったのだと言う。逃げながら振り返り、その霧が吹き付けられた地面を見ると、そこには何も残っていなかったらしい。

 

「……なるほど。それは厄介だ」

「卿らも無事であったか」

「クルシュさん───!」

 

 さらに、クルシュも合流した。彼女に付き従い、ヴィルヘルムに集められた老兵達もいる。

 

「では、少し卿らは離れていろ───せぇい!!」

 

 クルシュが気合いと共に剣を数度振ると、視界を覆っていた霧が打ち払われた。

 彼女は『魔法』や加護を通じて『風』に精通しているのだ。なるほど、それを応用して充満する霧を払ったのだろう。

 

 視界を確保すると老兵を集め、被害状況を聞いた。

 

「各隊、何人が()()()()()

「我が隊の隊員数は十二名。三人、足りませぬ」

「……誰がやられた」

「わかりませぬ……ッ!」

 

 小隊長の一人がクルシュに応じるが、問に答えることが出来ず。しかしこのような意味のわからないやり取りが更に続いた。

 

「こちらは十四名、一名が脱落」

「我が隊は二名。同じく不明」

 

 何人が欠けたかは分かるのに誰が欠けたかは分からない。それこそが白鯨の操る『霧』の本当に恐ろしい能力。

 即ち───

 

「消滅型の───霧っ、」

 

 スバルの言った通り、先程大地を潰した霧は存在ごと世界から人を消す。消えた事実は残っても、その前後での変化は分からない。

 

「忘却の霧、か」

 

 霧に呑まれたという彼らのことは、アーチャーの頭からも消えていた。恐ろしい力だ。

 

「被害は十七名……小隊が丸々一つ消えた形か。………これは痛いな」

 

 クルシュが、隊が受けた被害に歯軋りしているのを見て。

 ここで───アーチャーの中に一つの疑問が湧く。消失の霧という、人をこの世から消し飛ばす悪魔のような能力。

 ところで白鯨から出る霧は、魔獣の体にあるマナが変質したものなのだという。そして、視界を閉ざしているこの霧も同じく白鯨が作り出したもの。そうであるなら───

 

「───っ、」

 

 そこでスバルが撃ち抜かれたように顔を上げた。

 

「……スバルも気付いたか」

「スバル『も』ってことはアーさんは見抜いていたのか?」

 

 それはアーチャーの思考に追いついた証。そこへ彼ら二人だけの会話にクルシュが疑問を投げる。

 

「何の話をしている?」

 

 二人が目を合わせ、アーチャーが「君が話せ」と言わんばかりに顎をクイッと動かした。

 

「…なぁ、クルシュさん。確かに消失の霧は脅威だよ。けど、この霧だって白鯨の体から出てきたもんだろ?」

「………何が、言いたい」

「この霧って()()()()()()()()()()()()()?」

「───」

 

 スバルの言葉にクルシュはハッとさせられたようだ。

 

「なるほど、それは道理だ。白鯨の追撃も十分ありうるか。───フェリス、霧払いの魔石の用意は?」

「いつでも。ご命令一つで」

「ならば───」

 

 霧で以てどうするかわからない以上、一秒でも早くそれを払っておくべきだ。───いや、()()()()()

 

 

 

「ーーーーーーーー」

 

 

 

 先程吹き出された消失の霧は確かに白鯨が打った最初の手だったろう。しかし四百年生きた魔獣の反撃は少しも始まってなど、いなかった。

 もしもアーチャーかスバルがこの考えに至るのがもっと早かったのなら。或いは、視界確保の為に霧払いの魔石をもっと早く使っていたら。

 

 ───濃霧により、再び闇を得たリーファウス街道に鯨の甲高い咆哮が鳴り響き。そして───狂気が伝染する。

 

 

* * *

 

 

 ドスリ───。

 

 鯨の絶叫に続いて聞こえたのはそんな音だった。見れば、スバルの後ろにいた男が地竜から落ちていた。疾走している途中ならまだしも、なぜ静止している地竜から落ちるのか。

 

「お、おい。大丈夫かよ!?落馬したら怪我じゃ済まねぇぞ……っっ!!」

 

 その男を気にかけ、スバルもパトラッシュから降りて倒れている彼を見ると。

 

「フェリス!!こっちに来てくれ!」

 

 落馬した老兵は泡を吹き、白目を剥きながら気絶していた。一体何が起きたのか───。

 とにかく、治癒魔法において右に出る者はいないフェリスに治療を求めなければ。そう考え、フェリスの名を呼ぶも。

 

「あぁぁあアァアああぁぁあァァァァあ───ッッ!!!」

「やめっ……やめろぉぉおおお!!!」

「あひあひひひひひひひィィイイィィィあああぁぁ!!」

 

 

「なん、だよ……これ」

 

 

 そこに広がっていたのは地獄絵図そのものだった。

 気絶していた男はまだマシな方だった。叫び声と共に、自分の顔を何度も何度も掻き毟っている男。さらには、何かに怯える様に自身の体を抱きしめて、自分の頭を何度も何度も地面に叩きつけている男もいた。その被害人数は十数ではきかない。

 彼らの狂い方に一貫性はないが、これは明らかに。

 

「まずは我々の平常心を奪ってきたか。獣風情にしては小癪な手を打つ」

 

 スバルの隣に立つアーチャーが冷静に分析をしながら、自傷行為に走る人々の首を手刀で叩きながら気絶させて回っていた。

 これはまず間違いなく白鯨の霧の効果。スバルとアーチャーの推察は当たったものの、それは最悪の効果だったというわけだ。

 

「おぉ…首トンって漫画の中でしか見たことなかったけど実際に出来る人いるのか………って、いやいや!そんな事じゃなくて!」

「君達にこれが一体何かわかるか?」

「精神に、直接……マナ酔いに似ていますけど、もっと悪質な……精神の汚染に近いですッ」

 

 パトラッシュの上に座るレムが、苦しげな表情でアーチャーに答えた。

 フィールドを埋め尽くすほどの霧と、加えて精神に直接干渉する力。───討伐隊にとって絶大な被害と相成った。見渡す限り、幾つもの小隊が足を止め、自らを自らの手で傷つけている男らと、彼らを止めようとしている男達がいた。

 

「耐性のある奴とない奴がいるのか……俺はなにも感じねぇけど」

「レムは少しだけでしたので……今、落ち着きます」

「アーさんは大丈夫なのか?」

「ふむ……対魔力はそれ程でも無いのだが、どうやら私も抵抗(レジスト)出来るらしい」

「良かった。ならとにかく、この人達をフェリスのところに連れて行って治して貰おう」

「了解した」

 

 周りの精神汚染者は全員、アーチャーが手際良く気絶させた。そうすれば、これ以上自傷行為はできないはずだ。

 遠くには、アーチャーのように被害者を魔法で眠らせているフェリスが見える。やはり、一旦この場を収めるためにはとりあえず気絶させるのが最善のようだ。

 

「動けるものは負傷者を大樹の根に!多少の実力行使はやむを得ん!」

 

 濃霧の先で、姿は見えないがクルシュが指示を出す。

 彼女の精神が汚染されていなければ指揮管理系統に問題あるまい。しかしその声にはクルシュの悔しさが滲んでいた。

 もう少し早く霧払いの魔石を打ち上げていたら、結果は違っていたかもしれないのだから。一瞬の判断ミスがこの惨状に繋がった。クルシュとしては、自分の落ち度だと考えるのも至極当然だろう。

 

 そこでスバルの頭にリカードとヴィルヘルム(あの二人)の姿が浮かぶ。

 主力であるあの二人まで精神汚染の被害に───いや、それよりも消失の霧に呑み込まれていたら。間違いなく戦線は崩壊する。

 

「レム…ヴィルヘルムさんとリカードさんのことは覚えているか?」

「?はい、覚えていますよ」

「ミミとへータローのことは?」

「あの双子さんですよね?」

「そうか……なら、とりあえずは良かった」

 

 レムが覚えているということは存在は消えていない。それが分かるだけで安心はできる。

 先程消えた十七人のことを、理由は不明だがスバルだけは覚えていた。ならばヴィルヘルムとリカードのことを覚えているのが気付いたら自分一人だけ───そんなことも十二分にあり得ると思い、レムに確認したのだ。

 

「ナツキスバル、卿らも負傷者を運ぶのを手伝ってくれ!」

 

 地竜に乗りながら、指揮官自ら負傷者を運ぶクルシュが近づいてきた。彼女が運ばなければならないほどに、現在追い詰められているのだろう。

 

「ヴィルヘルムさん達はどこにいるかは分かるか?」

「すまない。まだ把握はしていないが、恐らくあちらも被害が大きいはずだ。できれば早く合流したいのだが……」

 

 またも悔しそうに歯軋りするクルシュ。

 

「では大樹に向かうぞ」

「あぁ───」

 

 スバルがクルシュに承諾しようとするも。

 

「───我々を全滅させるためには、次白鯨は何をするだろうか」

 

 アーチャーは尊大に腕を組み、気絶した兵の肩を担いでいるスバルとクルシュに言った。

 

「私が白鯨なら、この混乱に乗じて追撃するだろうな」

「───まさか」

 

 この戦場で最も冷静な男の言うことは説得力が桁違いである。

 目の前の被害者を救うことにいっぱいいっぱいになっていたスバル達だが───それは見落としてはならないことでもあった。

 あの獣に知能があるかは定かでは無い。しかし視界を遮り、消失の霧で以て分散させて、精神に干渉。───あと一手ここに打ち込まれたら、クルシュ達は限りなく詰む。

 

「今襲撃されたら、誰も対応出来ねぇ……ッ!」

「いや、スバル。それは早計だ──────私が全て対処して見せよう」

「…え?」

 

 スバルだけでなく、クルシュとレムも抱える不安にアーチャーがそれを打開してみせると言った。

 

「なので、私は彼らを運ぶことは出来ないが、そこは許して欲しい」

 

 人を抱えていては対応が遅れてしまう───しかしスバルたちが驚いたのはそこでは、無い。

 

「いやいや、待ってくれ!全て対処するって……一人でかよ!?」

「そうだが?他に白鯨と戦えるほど手が空いている者がいるように見えるかね」

「そうじゃなくてだな……ッ!」

 

 アーチャーの足元を掬うような発言にスバルもつい熱くなってしまう。

 

「ナツキスバル、今は頭を熱くする時ではない」

「……悪い。けどよ、アーさんでもそれは危険だ」

 

 これら全てはスバルとてアーチャーの身を案じた発言なのだ。何故なら、この魔獣は先代・剣聖すらも下しているのだ。だからこそ余りに危険。

 加えて、足止めの為にレムが世界から消えた前のループも思い出される。何の因果か地球生まれのアーチャーという頼もしい男に出会えた事そのものが、他の人々の中から消える可能性だってある。それは看過できない。それ故の反論だったのだが───

 

「ーーーー」

「ッッ───総員、至急負傷者を運べ!」

 

 生憎と、魔獣は議論をする時間を与えてくれないらしい。

 霧の向こうから響く白鯨の声が聞こえてくる。白鯨までの距離は。近い。数十メートルも無いのかもしれない。

 

「こういう事だ、受け入れろ()()

 

 この期に及んでかからかっているのか、スバルを小僧と呼び、笑みを浮かべながらこの場を託せと言う男には───不思議と安心できた。

 この男の背中に全てを任せればどうにかなるんじゃないか、そう思えた。

 

「ナツキスバル!事態は一刻を争う!! 」

「分かってるって!レム、行くぞ」

「はい……ッッ!」

 

 既にスバル達の横には負傷者を抱えた兵員が何人も歩いていた。いち早く彼らを大樹の元へ運んで、フェリスの魔法でどうにか打開せねばならない。

 やっと全負傷者を気絶させ、運び出そうとしたそんな時に限って。いや、こんな時を狙って。

 

 近づく影にレムが叫んだ。

 

 

「白鯨、来ます!」

 

 

 霧の中からまずは太い角が───続けて醜い魔獣の口が姿を現した。

 

「ーーーーッッ、!!」

「白鯨だぁああ!!」

「クソクソクソ!!」

 

 仲間を背負った老兵も、地竜に乗った魔法使いも皆走り出した。しかし白鯨との差は僅か数メートル。この距離から霧を吹かれたら確実に消される。

 

「チィッ!!」

 

 クルシュが一太刀浴びせるも魔獣の進撃は止まらず。白鯨にとっても勝機を前にして引くことがおかしいのだ。

 

「ーーーー」

 

 こんな剣技効くものか。そう言いたげに一度嗤うと、その時には既に、何十人も一度に呑み込めそうな巨大な口には『霧』が充填されていた。

 

 

 このままではクルシュ・スバル諸共全滅だ。それは避けられない運命だった。

 この戦いの記憶すらこの世から消え、奮闘した彼らの存在すら人々の中から無くなるのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ───この場に神代の英雄と(聖杯戦争で)戦い抜いた英雄がいなければの話、ではあるが。

 

 

「ーーーー」

「───なんだとッ!?」

 

 その驚きは誰の声か。

 クルシュの風の太刀に続いて飛び出した一筋の光。

 

 

 閃き───。

 

 

 その青い輝きに目をつぶった刹那の内に、鯨の巨体が後ろに下がり、再び霧へと消えた。

 

「スバル、殿(しんがり)は私に任せろ。今の内に彼らを連れて行け!」

 

 アーチャーが一人で対応することには反対だったスバルも、目の前の光景を見せられては納得する他無かった。

 いつ間にか握っていた弓に、新たな剣(第二の矢)を装填しながら叫ぶ。

 

「スバルくん、早く怪我人のお二人を乗せてください!あと二人くらいなら行けます!」

「!…分かった。頼むぜ、パトラッシュ!」

 

 白鯨を霧へと押し戻し、アーチャーは二本目の矢も射出。同時に青い爆発が巻き起こり、一帯の霧が吹き飛んだ───。

 その先にいる鯨は、鼻先の皮膚が全て吹き飛び、痛々しく肉が露出していた。しかし瞬時にその体は霧に包まれ、影となった。どうやら鯨は恒常的に霧を放出しているようだ。

 

「アーさん……頼んだぜ」

「なに、これしきのこと。なんてことは無い」

 

 アーチャーは一度不敵に笑ってから霧に身を潜めた白鯨を追い、姿を消した。

 理由や根拠は無いけれどあの男なら生きて帰ってくる───そんな気がする。

 彼の背中がそう語っていたから。

 

「じゃあ行こうぜ!」

「はい!」

「ーーーー」

 

 スバルに呼応するようにパトラッシュが短く吠え、走り出した。レムとスバルの他に二人を乗せて尚、速度はあまり落ちていない。大樹に行く分にはなんの問題もあるまい。

 

 とりあえずはアーチャーのことを信じて、負傷者を大樹に届けるしかない。

 今のところ、自分に白鯨を引き付けると言いながら、役割を果たせていない気がする。

 これは仕方がないものがある。接近戦が多く、その為にスバルが立ち回れる場面が少ないのは事実だ。───しかしこの後、きっとその機会があるはずだ。

 

 今はまず、態勢を立て直すためにも彼らを治すことが先決だった。

 

 

 

▷▷To be continued

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