自傷によって傷を負った者を大樹の元へ送り、更なる被害を危惧して霧払いの魔石を打ち上げるより早く。そこへヴィルヘルムと『鉄の牙』の精鋭達が合流した。
彼らが迅速な行動ができたのは訳がある。分断され、深刻な被害が出た場合は
魔石の効果で霧は薄い。地竜で走っていても、先程と比べ見通しは断然良かった。
地竜で走っていて───そう言ったのは、スバルがヴィルヘルム・リカードを含めた十数人を連れてアーチャーの手助けに向かっている最中であるためだ。
合流したヴィルヘルム・『鉄の牙』の内、精神被害を受けていた者の数は少なかった。そもそもヴィルヘルムが行動を共にしていたのはリカードを含む『鉄の牙』の精鋭達。
精神汚染の霧に対する耐性の有無についての基準は謎ではあるが、ある程度推測できる。スバルという例外は外すが、アーチャー、クルシュ、ヴィルヘルムといった強者は耐性を持っていた。つまり、一定以上の強さを持つならば霧の効果は薄い
しかしあくまで、「傾向」としか言えない。レムとて一定以上の強者ではあるが、マナ酔いに似た症状が出ていた為だ。
それを考慮すると、『鉄の牙』の精鋭達の被害が少ないのは理に適っていた。
スバルはアーチャーの加勢に向かってはいるが、かと言って負傷者達を守る人員も割かねばならない。敵は人々を記憶から消し去り、精神を狂わせる卑劣な魔獣。
白鯨がアーチャーという一人より先に、負傷者という群れを狙わない保証は無いのだ。故にスバルは『鉄の牙』やヴィルヘルムが声をかけて集めた老兵達全てを引き連れた訳ではない。
連れているのは十数人のみだった。クルシュやミミ姉弟は負傷者のところに残っている。
幸い、彼らの傷自体は浅い。フェリスが精神汚染を解除することが出来さえすれば、きっと彼らもまた加勢に来てくれるはず。
───消えてしまった者に対する名誉を守ることは既にできない。ならば、せめて未来を見るべきだ。
過去を悔やむのはまだ早い。
敵は未だ健在なのだから。
樹から離れて白鯨の鳴き声も大きくなりつつある。アーチャーと戦ってる白鯨が近いのだろう。
そんな時───
「なぁレム。初めからずっと、アーさんが空で戦ってるってあると思うか?」
スバルがレムに頼んでパトラッシュを止め、空───未だ霧に阻まれて月や星は見えないが───を見上げる。しかしその顔はこの戦が開幕した時と比べ、自信に満ちる顔では無く。
ヴィルヘルム達もスバルに合わせて、地竜を止めた。
「?…ありえない話ではないと思います」
ヴィルヘルムが天高く浮遊する白鯨の背中で戦っていたことを思い返せば、別段おかしな話ではない。
しかしスバル達とて、無策に白鯨の元へ向かっている訳では無い。
「そう言うてもなぁ。ほんのついさっきまで、霧ん中から声聞こえとったやろ?今は聞こえとらんようやが」
彼らに進む道を示しているのは白鯨の鳴き声。アーチャーと戦っている時に唸るそれを頼りにここまで進んできた。そしてそれは、霧の向こうから聞こえてきていたのは確か。獣人であり、耳が利くリカードが言うのだからそれは間違いない。
今は聞こえないが、スバルが言うように、「初めからずっと」空高く戦っているということは無いだろう。
しかし───
「でも、きっと白鯨は
根拠は無い。確信もない。強いて言うなら、スバルは自分の感覚を信じたに過ぎない。
大樹から出立する際、事実霧の向こうからは鯨の声が聞こえてきていた。その為、その時は自分の感覚を"勘違い"だと断じた。
───だが、霧を進む中で常に鯨を空に感じ、加えてその位置は常に変わらず。
スバルは『魔女』の匂いがする特異存在。彼程強い匂いがするのは大罪司教くらいなもの。更には、魔獣を
そんな彼の勘をただの勘違いとして処理してもいいのだろうか。アーチャーの元へ移動する中でスバルもそれを考えた。その感覚が正しいものだったと仮定したら───恐ろしい何かが起きている気がする。生半には打破出来ないような、何かが。
だからこそ彼等に言ったのだがしかし、根拠の無い仮定にヴィルヘルムが当然の疑問をぶつける。
「アーチャー殿と白鯨との戦場は初めから空───そうならば、我々が頼りにした声は
「それは───」
スバルの感覚に従うのならば、それが湧き出るのは道理。先程も言った通り、獣人の耳を頼りにここまで来たのだ。
事実スバルとて考えなかった訳ではなく。未だ、明確な答えを用意できていなかった為、自信なさげにレムに問うたのだが。
「──────」
「ーー、ーー」
直後、凄まじい魔力の奔流。共に聞こえる男の声───なんと言っているか、鮮明には聞き取れないが───と悲鳴にも近い唸り。
「上から何か来る───!」
誰かが叫んだ警告に対し、即座に回避行動を出来るよう全員が身構え───
「……まじ、かよ」
───霧の中で何が起きていたのか。
スバルがそれに答えを出すより早く、上方を覆う霧を裂いて
大地との激突により砂塵が巻き起こる。
「これは……」
ヴィルヘルムの絶句も無理はない。
───彼らの目の前には血に塗れた白鯨が
「───アーチャー殿」
裂傷は百を超え、アーチャーが打ち込んだであろう爆撃のような攻撃によるものか、表皮の多くは消し飛んでいた。それだけでは無い。魔獣の至る所には剣が生えるように突き刺さっていた。頭には五つの大きな穴もある。
───その殆どがアーチャーによるものなのだろうか。
「こんな短い時間で白鯨を狩ったいうんか!?」
「───いや、まさか……そんなはずは……」
白鯨が討たれたという事実に彼らはざわめく。相手は先代・剣聖すら屠った魔獣だったのだ。
───ならば、それをものの数分で狩るアーチャーという男は一体何者なのか。
白鯨をアーチャーに任せて撤退してから大樹まではすぐに到着、同時にヴィルヘルム達と合流。即座にアーチャーの助力のために大樹の元を離れた。
どんなに多く見積もっても彼と別れてから五、六分しか経っていない。
「───」
「ヴィルヘルムさん…」
例えその男が正体不明の猛者で未知の魔法の使い手だったとしても───たった五分で狩られる程度の魔獣に
地竜から下り、鯨の死体を呆然と見続けるヴィルヘルム───そしてそんな彼の事情を理解しているスバルもまた、ヴィルヘルムを見る。スバルとて、更なる激闘の果てに討伐が成されるものだと思っていたが。蓋を開けば何ともまぁ呆気ない幕切れだった。
その思い込みがいけなかった。
スバル達は失念していたが───霧は晴れていないのだ。
四百年という歳月を生きる魔獣の死体を前にして冷静になれ、というのは無理なものだ。他の可能性を考えろ、と言う方が常識的では無い。
しかし事実として霧は未だ濃い。スバル風に言うのなら「ゲームってのは、基本的にボスを倒せばフィールドにかかる効果は解除される」筈なのだ。
濃霧が掻き消えていないということは───即ち。
それをいち早く察知したのは、レムとリカードだ。
「スバルくん、しっかり掴まってくださいッッ!!」
「ヴィルヘルムさん、アカンで───」
レムの言葉と共にパトラッシュが急加速。踏み出す一歩目から最高速度で危険区域を離脱。スバルもレムに言われて彼女の腰をしっかりと掴むが───初めのうちは『加護』の効果を発揮しないため、凄まじい向かい風がスバル達二人を地竜から叩き落とさんと吹き付ける。
また異変に気づいたリカードは、傍に立つヴィルヘルムを片手で掴み、同時にライガーを走らせる。男二人は少しきついが───そんなことを言ってる暇は無かった。ましてヴィルヘルムが地竜に乗れる猶予も無く。
スバル達にとっては地に伏す鯨により死界となっていた、魔獣の躰の向こう側。そこから
「───なッッ!?白鯨は倒されたんじゃなかったのかよ!?」
それは紛れもなく白鯨が攻撃手段として用いる消滅の霧に他ならない。スバルは振り返るほどの余裕は無いが、おそらくそれは白鯨を地面ごと抉りとったことだろう。
それだけではない。霧を回避できずに呑み込まれた二、三人の悲鳴が後から聞こえる。
「───」
霧の破壊は終わらなかった。呑み込むのみならず、あまりに強く吹き付けた故に、その余波もまた強力。対象の消滅効果はないものの、単純に風速が大きい。
スバル達は地竜ごと迫る突風に吹き飛ばされ、土煙に飲み込まれた。
「一体何が……」
白鯨はアーチャーの手によって倒されたのでは無かったのか。先程まで居たではないか、息の無い魔獣が目の前に。
しかし白鯨による恐怖はまだ終わっていなかったのだ───。
「スバルくん、大丈夫ですか?」
「レム、あぁ───っっ!?」
その事実と、地面に落ちた衝撃により混乱する頭で、側に横たわるレムに答えると───スバルの視界の奥で、
「ーーーー」
白鯨が現れる。
「───避けろォォォォオオオ!!!」
口を大きく開き、地面を抉り取りながら全てを喰らう姿はまさに獣。
その先には───
「ヴィルヘ───」
一度はリカードに助けられ、霧は逃れたものの。余波の爆発によりリカードから振り落とされ、地面に転がったヴィルヘルムがいた。
「ーーーー」
「───あ」
一瞬だった。
彼の名を、満足に呼ぶ時間も無いままに鯨の口に呑み込まれ、鯨は霧へと消えた。
「ーーーー」
白鯨の骸は
しかし、霧へと消えた魔獣が嗤っていたことだけはスバルでも分かった。
───そこへ不意に、月明かりが差した。
霧が晴れ、視界が開けた。そう思って上を見れば───空に浮かぶ四つの影。
「ーーーー」
「ーーーー」
「ーーーー」
「ーーーー」
魔獣の名は───白鯨。
たった今、倒されたと思い込んでいた魔獣の名だ。いや事実、アーチャーの手によって倒されたのだろう。空飛ぶ白鯨の内の一匹でしか無かった───という但し書きはつくが。
絶望に包まれ始まる白鯨討伐第三ラウンド。───終局は近い。